SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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今回のクリスマス編は今までのエピソードでも最高レベルでスローペースです。
具体的に言えば、今までが亀ならば、今回はナメクジくらいスローペースです。

スキル
≪錬金術≫:多種多様なアイテムを合成させる事ができるスキル。
≪樵≫:樹木の切断にボーナスが付くスキル。植物系モンスターへのダメージが増加する。

アイテム
【狂笑石】:砕けると人の笑い声を発する石。とても脆く、僅かな衝撃で粉々に砕ける。砕けると悲鳴を上げる七色石が変質したものであるとされているが真偽は不明である。
【温もりの指輪】:装着者から寒さを遠ざける焼き焦げた指輪。元々は火炙りに処せられる魔女に与えられる木製の安価な指輪であるが、火に焦がされながらも炭化せずに残ってしまった。温もりを宿すのは今も燻ぶる炎の力か、それとも身に付けながら焼かれた魔女の怨念か。


Episode13-4 記憶と心

 懐かしきアインクラッド、はじまりの街をオレとサチは慎重に進み、デスゲームの開始が告げられた広場を目指す。

 終わりつつある街は隆盛の果てに荒廃を迎えたはじまりの街といったテイストではあったが、それでも否応なくアインクラッドの思い出を蘇らせる切っ掛けとなった。2度と踏む事はないだろうと確信していたはずのアインクラッドへと戻って来たというのは、オレにとっても感慨深いものがある。

 だが、同時にDBOについて新たな疑問が生まれた。それはサーバーの規模についてである。

 オレも専門的な知識は持ち合わせていない為に、せいぜい噂レベルでしか知らないが、茅場晶彦がもたらしたVR技術が起爆剤となり、世間では急速に技術が進歩していた。その勢いとは前代未聞である程の速度らしい。

 だが、いかなる技術であろうとも普及と一般化には多大な時間とコストがかかる。そこから1つの疑問が生まれる。即ち、SAOの正式サービス開始時点では、SAOは1万人程度の並列ログイン処理、アインクラッドの規格外のデータ容量、そして演算能力。当時のアーガスはSAOという金の卵の為に外資を含めて、ありとあらゆる資本から借金し、当時民間企業が入手できる最高クラスのサーバーを30台も揃えたそうだ。それでもアインクラッドの運営には限界ギリギリだったと、オレも現実世界への帰還後に政府の人からそれとなく教えられた。

 アミュスフィアがナーヴギアに比べてダウングレードされているのは、単なる安全処置だけではない。万人規模の並列ログインをしても脳とアバターに致命的なラグを発生させない為にあえて性能を落としているのだ。サーバーへと最大限に負荷をかけている要因の1つは他でもない、生きた人間そのものなのだ。

 さすがの茅場もVR技術に関しては天才でも、それ以外に関しては『優秀』止まりだったらしく、自分のVR技術を最大限に活かすサーバーの開発には着手しなかった。というよりも出来なかった。さすがの茅場の才能もマルチではなかったという事だろう。結局、茅場は『焦点を合わせる』という目の動作からフォーカスシステムを生み出し、サーバーへの負荷を減らす事で仮想世界の実現化を目指した。それでも、サーバーを何台も繋げて力技で解決する以外に茅場晶彦もアインクラッドの誕生を成し遂げられなかったのである。

 対して、DBOはナーヴギア以上のハイスペックを誇るアミュスフィアⅢ、広大なステージや多種多様なモンスター・ダンジョン・イベントの並列処理、フォーカスシステムのみに依存しないクリアな世界、SAOから極限以上に進化した最難関と言われる『水』の質感の再現、SAOから増加したアイテム、スキル、ソードスキルなどのアバター付随のデータ、他にもオレが無知な分野でこれでもかとサーバー殺しの要素が詰まっているはずだ。

 そうであるにも関わらず、使い捨て同然のクリスマスダンジョンで街1つを準備するなど、サーバーを爆発させる気かと言いたくなる所業だ。

 オレもうろ覚えであるが、ログイン前に見たDBOのパッケージにはレクトエレクトロニクスのロゴが入っていたはずだ。いかに大企業のレクトグループであるとしても、こんな出鱈目な仮想世界を維持する為には、どれだけの費用を投資して何百台のサーバーを揃えれば良いのだろうか? サーバールームだけでビル1つが建設されてしまいそうである。

 そうなると、やはり茅場の後継者は必ずレクトと繋がりがある。レクトに……それも経営に関与できる地位に茅場の後継者が在籍していると考えるべきだろうな。下手すればレクトの経営陣の誰かなのかもしれない。

 膨大な資本を持ち、脳の錯覚で人殺しができるような狂気の技術を開発し、死者の復活なんて人類未曾有の奇跡すらも手中に収め、後継者と名乗るだけの手解きを茅場晶彦から受けた人物。必ず『異常』を抱えたヤツのはずだ。そして、これは直感であるが、この手のタイプは仮面を被るのがずば抜けて上手い。

 社会的地位が高く、社交性に富み、財力もあり、同性・異性問わずに良好な関係を構築できるコミュニケーション能力を持つ人間。そして、本性は残忍なまでに子供っぽく、悪意を玩具のように弄び、目的の為ならば犠牲の数をむしろ積極的に増やして喜ぶ狂気を持つ。これが姿を現さない茅場の後継者にオレが今まで得た情報から推測できる人物像だ。

 糞が。せめて現実世界に……兄貴に連絡を取る手段さえあれば、オレが感じている茅場の後継者に繋がる情報を渡せるというのに。あの狂人の事だ。仮想世界だからこそ気づけるこれらの要素は、現実世界の方では巧妙に隠蔽工作されているはずだ。

 だが、兄貴ならば必ず近しいところまで追い詰めているはずだ。確か相棒は『アイツ』の専属ブラックスミスだった女と聞いている。あの兄貴があそこまで熱を上げて惚れ込み、屈辱を甘んじてねーちゃんから指導を受けてまで自己改革に挑んだ程だ。かなり頭がキレるはずである。

 ……いい加減に殴られっぱなしなのも性に合わないし、オレも本格的に茅場の後継者の正体を探ってみるか。幸いにもレクトにも関わっているともなれば、結城家とも少なからずの接点があったはずだ。

 おじいちゃんが何度か結城家の良く分からん一族会合の大喧嘩で仲裁役として出張った事があるらしいし、毎年欠かさず御中元と御歳暮でおじいちゃんの牛の肉を贈ってるって言ってたからな。上手く記憶を掘り返せば、該当する人物の情報を欠片でも得られるかもしれない。

 それに何より、レクトが絡んでいて、結城家と接触している確率が高いならば、今まさに真横を歩くサチのお陰で不本意ながらでも死者の復活が証明された事により、1つの手がかりを得られる可能性が生まれた。

 グリムロックにはグリセルダさんを……そして『アイツ』にはアスナを餌にして茅場の後継者はDBOに誘い込んだ。全ては【人の持つ意思の力】を否定する為に。そして、ヤツは腐れ思考ではあるが、何だかんだ言って『ご褒美』はしっかり準備しているはずだ。……それが本人にとって喜ばしい形かどうかは別だろうがな。

 今後の方針は、茅場の後継者の情報を得る為にも死者の復活について積極的に調べるべきだな。グリセルダさんは元からグリムロックとの約束もあってそれなりにパッチを通して情報網を広げているし、アスナの居場所をつかめば『アイツ』との接触も容易になる。どちらも無駄足にはならないだろう。

 

「なにか考え事ですか?」

 

 と、サチが不安げにオレに尋ねてきて、オレは思考の海から浮上する。どうやら胸の内が表情に出過ぎてしまっていたようだ。今のオレは険しく眉間に皴を寄せているはずである。

 クリスマスダンジョンで絶体絶命の状況であるにも関わらず、少しばかり余裕が過ぎたな。余計な事に思考を割くわけにはいかないと言いつつもこの様だ。オレは今ある情報を圧縮して金庫に閉じ込めて脳髄の奥底に押し込む。全ては帰ってから解答して精査し、今後の方針をより綿密に詰めていけば良い。

 

「何でもねーよ。少しばかり懐かしいなって思っただけさ。オレもアインクラッドを生きた1人だからさ」

 

「あなたも『サチ』と同じだったのですね。だったら、何処かで出会っていたのかもしれません。すれ違っていたのかもしれません。そうだとするならば、少しだけ残念です。あなたさえいれば、私は……『サチ』は『あの人』に何も背負わずに済んだのかもしれません」

 

「それは絶対に無い。オレが居たら余計に事態を悪化させてたはずだからな」

 

 サチからすれば、こんな意味不明な状況でも努めて冷静に対処しているように見せているオレは頼りになる人物に映っているのかもしれないが、オレが関われば大抵の事態は好転どころか悪化するのが常だ。

 オレさえいなければ……レイフォックスもツバメちゃんも復讐に狂うことなど無かった。

 オレさえいなければ……クラディールもキャッティもあんな死に方をする事は無かった。

 オレさえいなければ……エレインは復讐されることなく、今もアイラさんと一緒に生きていたはずだ。

 

 

 

『厄病神! お前が入ってから散々な目ばかりだ!』

 

『悪いけど、アンタをギルドに置いておくわけにはいかないわ。みんな怯えてるの。アンタが怖いって……』

 

『なんで平然と人を殺せるんだよ!? イカレてる……イカレてるよ、オマエ!』

 

 

 

 ……ああ、糞が。懐かしきアインクラッドは胸糞悪い思い出まで蘇らせやがる。オレが【渡り鳥】と呼ばれる前……傭兵ではなく、ただのソロプレイヤーとして、パーティやギルドを渡り歩いていた頃の記憶を引き摺り出す。

 あの頃は報酬など気にせず、自分の居場所が欲しくて必死だった気がする。傭兵業の真似事こそしていたが、基本的に無償で、本当の仲間になれるだろうと信じて、ひたすらにパーティやギルドに尽くしていた。

 だが、いつの頃からか、オレは傭兵になっていた。PoHが言った通り、オレはあらゆる依頼を報酬次第で引き受ける、オレを排斥していた連中からコルやアイテムを積まれて自身を戦力として売る傭兵になっていた。

 サチにとってアインクラッドが恐怖の始まりであり、死を迎えた最期の地であるならば、オレにとってアインクラッドとは『今のオレ』を形作った場所なのかもしれない。

 

「オレは『オレ』だ。ただひたすらに狩って、奪って、喰らって、戦う。サチが望むような救い主にはなれない。そういう役目は『アイツ』がしてくれるさ」

 

「『アイツ』?」

 

 小首を傾げるサチに、オレは自然と目を細めた。憧れを抱き、肩を並べる事を許し、共に立ち塞がる全てを薙ぎ払い続けた【黒の剣士】の強き眼を思い出すように。

 

「……相棒さ。オレよりもずっと強くて、真っ直ぐで、たくさんの人を救って……でも、本当に大切な人だけは守れなかった、オレのたった1人の相棒さ」

 

 多くの人を救っていながら、アスナを死なせた悔恨に縛られ続け、その仇を討つという執念だけでアインクラッドを制覇した男。

 この先の広場に『アイツ』の過去が幻影のようにいるならば、オレは見ておきたい。お前はどんな表情で茅場が語るデスゲームの始まりを聞いていたんだ? どんな気持ちであの3年以上にも及んだ死闘へと駆けたんだ?

 

「お喋りはこれくらいだ。サチ、構えろ」

 

 この先の路地裏を抜ければ広場まで最短距離なのであるが、赤い空の下、不気味な暗がりと化した小道からは、液体を滴らせ、そして素足でペタペタと足音を鳴らす何かが潜んでいる。

 ゴクリとサチが生唾を飲み、槍を両手でしっかり握りしめて建物の壁へと背中を押し付けて息を殺す。やはりサチに戦いに関して期待するのは無理そうだな。

 足音からして人型、滴る音は粘着質である程度の重量がある……泥に近いな。オレは鉈を抜いて角から顔を出す。

 見えたのは白い肌だった。それは褒め言葉としての『色白』という意味ではなく、本当の意味で白色をした、およそ生物的ではない白色の人型の後ろ姿だ。

 骨格は人間と同一。髪の毛は無く、衣服も纏っていない。肘を曲げて手首をだらんと垂らし、やや内股気味で歩く事によりバランスを取っているようにも見える。

 カーソルはモンスターであるが、オレは何か奇妙な違和感を覚える。サチに待っているように指示し、オレはわざと足音を鳴らして路地裏へと躍り出た。

 耳は削ぎ落とされているが聴覚はあるらしく、足音に反応して1度動きを停止し、白色の人型は緩慢に振り返った。

 

『アァ……Aァアaaaa……』

 

 口から漏れるのは唸り声……いや、悲鳴か。もはや鼓膜を震わす叫び声すらも許されない程に磨り潰された精神の断末魔か。

 振り返った白色の人型、その目からはオレとサチが目覚めた宿屋の1室を浸していた黒い液体で塗りつぶされ、また涙のように溢れていた。瞳はおよそ確認できず、ただひたすらに粘着質な黒い液体の涙を流し続けるのみ。口からも止まらぬ唾液のように黒い液体を垂らし、歯という歯は釘に置き換えられ、舌はまるで鋏で切られて蛇のように2つに分かれていた。

 辛うじて男性である事を示すように、股間の性器は革状の拘束具で覆われているが、そこには禍々しい有刺鉄線が縫い付けてある。

 白色の人型はオレを確認するなり、釘の歯を鳴らし、黒い液体を撒き散らしながら突撃してくる。その爪は全て剥がされ、代わりに金属の爪が『溶接』されている。だが、それは武器としてではなく、拷問の名残としか見えない程に鋭さが無い。

 技もキレも無い横振りの爪攻撃を難なく避け、オレは鉈でその漂白されたような肌を逆袈裟斬りにする。だが、飛び散る赤黒い光の中、白色の人型のHPが3割ほど削れる。裸体のせいか、防御力は無く、HPも低い。

 

『イタイ……あa……あ……なaあ……ンデ……』

 

 うるさい。黙れ黙れ黙れ。まるで救いを求めるように手を伸ばす白色の人型の額に鉈を振り下ろし、そのまま膝に蹴りを喰らわせて転倒させると、黎明の剣を抜いて心臓に突き立てた。

 本来ならば赤黒い光になって飛び散るはずであるが、白色の人型はそのまま亡骸を残し続ける。だが、まるで急速に腐敗するように肌は腐って異臭を立ち上げ、目玉は膨張して割れて黒い液体を溢れさせる。オレが刻んだ傷口からも同様に粘つく黒い液体が赤黒いアバターの肉を溶かしながら地面へと流れ出す。

 リザルト画面と同時にオレが入手したのは【白の亡人の心臓】だ。どうやらイベント用アイテムらしく、回復にも戦闘にも使用できる類のアイテムでは無い。今のところ有用性は不明であるが、少なくともあの白色の人型が『白の亡人』と呼ばれるモンスターである事は分かった。

 いや、モンスターと言えるのか? オレは鉈にへばりつく赤黒い光を見下ろしながら、空いてる左手で顔を覆う。

 

「……集中しろ。慣れてるだろ?『いつも』と同じさ。そうさ……『いつも』と、同じだ」

 

 嫌でも分かる。白の亡人……アレは……アレは……モンスターなどと呼ぶべき存在ではない。

 動揺を悟られるな。サチに無用な怯えはそれだけ事態を悪化させる。

 いつものように消化しろ。相手がいかなる存在であれ、立ち塞がるならば敵だ。歯向かうならば殺せ。全てを薙ぎ払い続けろ。弁明など要らない。

 

「このニオイは……それに、この『怪物』は何ですか?」

 

 口と鼻を手で覆い、サチが姿を現す。路地裏に充満する白の亡人の悪臭は、まるで夏場に放置した生ゴミのようだ。ここが仮想世界でなければ、胃が痙攣して中身をぶちまける人間が続出しているに違いない。

 

「『ただのモンスター』だ。気にするな。それよりも先に進むぞ。『絶対に離れるな』」

 

 頷くサチを連れ、路地裏を更に進む。白の亡人は1体だけだったのか、出現する気配も無く広場に到着した。

 予想通り、広場には茅場が用いた巨大な魔法使いのようなアバターが宙に浮き、そして白黒のSAO時代のプレイヤーが絶望と現実逃避の眼差しを茅場へと向けている。だが、いずれの姿も【手鏡】の使用以前らしく、オレが見知ったプレイヤーは見当たらない。何よりも外観男女比が違い過ぎる。ネカマはともかく、仮想世界で自分の容姿を女の子にして演じたいっていう気持ちがオレには理解できねーな。

 この1万人の中には筋肉隆々の武道家のようなアバターをしたオレもいるはずだ。あの頃のオレは筋肉至上主義の男らしさに憧れていたからな。今でも理想は筋肉モリモリのマッチョマンなのは変わりないが。

 広場の中央部分に、オレの記憶には無い、黒い泥のようなもので満たされた丸い穴を見つける。直径1メートルほどの穴であり、あの黒猫に呑まれた時に落ち続けた闇を思い出させる。

 

「穴を開放させる為には白の亡人の心臓が1つ必要……か」

 

 穴を調べて表示されたメッセージを読んだオレは、アイテムストレージから白の亡人の血を取り出す。ぶよぶよとしたゼリー状の黒い肉塊は、黒い穴に惹き込まれるようにして溶解し、その粘ついた液体が闇と交わっていく。

 脈動し、穴の中の闇が澱みながらも渦巻き始める。どうやらクリスマスダンジョンを攻略する上で、白の亡人の撃破は避けて通れないようだ。最初だから1つで済んだが、この先は多くの数が必要になるかもしれない。

 

「ここを下りるのですか?」

 

「嫌か?」

 

「……それしか手段が無いならば是非などありません」

 

 我儘を言ったら背中を蹴飛ばしてでも放り込もうと思っていたが、良い覚悟を示してくれる。

 ならば、せめてオレから先に飛び込ませてもらうとしよう。闇が渦巻く穴へとオレがサチに強気に笑いかけながら、まるで散歩でも行くようなステップを踏んで穴へと身を投げる。

 黒猫に喰われた時と同様の圧迫感が全身を襲うが、今度は意識を手放さない。頭上を見れば、同じく穴に飛び込んだサチが逆様の状態で緩やかに落下していた。

 やがて周囲の闇が晴れ、オレは上下左右にシェイクされたかのようなバランス感覚の欠如と共に膝を着いて着地する。揺らぐ視界の中、同じく着地したサチを確認し、次はいったい何処に飛ばされたのかと見回す。

 どうやら到着地点は、宿屋のように黒い液体に浸されていないが残留物が天井より滴る、淡い青色をテーマにして家具が揃えられた部屋だ。ぬいぐるみやレースがあしらわれたカーテン、可愛らしい小物などから察するに、どうやら女の子の私室の様である。

 だが、ハッキリ言って場違いにも程がある。というのも、アインクラッドらしさもDBOらしさも無い、まるで現実世界で暮らす女の子の部屋そのものだからだ。

 だとするならば、とオレは教科書やノートが置かれた学習机に歩み寄る。そこには写真スタンドが飾られており、何かのゲームイベントだろう、4人の少年と1人の少女がグッズを手にして笑顔を咲かせている。

 そして、写真の中にいるセミロングの髪が似合う泣きぼくろの少女は間違いなくサチだ。

 

「ここはサチの部屋か?」

 

 ほぼ当たりだろうが、一応確認を込めてオレはサチに問う。だが、彼女の返答は無い。

 いや、違う。サチは答えたくても話すことが出来なかったのだ。彼女は放心したまま涙を頬に伝わせ、唇を震わせていた。

 

「『サチ』の……私の、部屋? どうして……もう、帰って来れるはず、無かったのに」

 

 ベッドに腰掛けたサチは枕の横に置かれた大きな黄色の目が特徴的な黒猫のぬいぐるみを撫でる。

 

「みんなが誕生日にくれたプレゼント……クレーンゲームの景品なんです。私が欲しがっていたの憶えていてくれて、1万円も使って取ってくれたんです。みんな下手なのに無理してくれて……」

 

 薄いカーテンから差し込む月光に照らされたサチは大切な記憶を紐解くように語る。まるで、誰かに聞いてもらわなければ破裂する、シャボン玉のように淡い夢であると言うかのように。

 

「この服はパパが買ってくれたんです。出張ばかりで忙しくて、ほとんど家にいないけど欠かさず毎晩電話をかけてくれるんです」

 

 壁にかけられた、やや大人っぽい黒のワンピースにサチは手を伸ばす。だが、決して触れようとしない。

 

「ママはいつも早起きしてお弁当を作ってくれるんですけど、卵焼きだけは下手なんです。なんでかなぁ……きっと出汁作りが下手なんだろうなぁ……」

 

 笑う。サチは笑う。だが、その表情は懐かしむものでも、帰れるはずが無かった現実世界を目にする歓喜でもなく、まるで白紙を墨が滲ませていくように、歪んでいく。

 

「どうして?」

 

 そう、ここはサチの部屋だ。現実世界を生き、仮想世界に囚われ、そして死んだ少女の部屋だ。

 

「どうして……どうして、こんなにも憶えているのに……全部、全部全部全部憶えているのに……っ!」

 

 それはもはや叫びだった。サチのどうしようもない感情の爆発だった。

 

 

 

「どうして『サチ』の部屋なの!? 私は……私は『何』!? こんなにも『サチ』の記憶があるのに、どうして私は『サチ』じゃないの!?」

 

 

 

 サチは『サチという少女』を基にして生まれた存在だ。彼女は『サチ』の全てを持っている。受け継いでいる。それは記憶であり、知識であり、感情である。だが、『受け継いでいる』と意識している以上、サチは『サチ』と区別される。

 以前サチが語った彼女の中にある苦悩。オレはあの時、心が連続する限り、サチは『サチ』であると考えた。要は記憶喪失の人間が、外部から以前の自分の記憶を教えられたようなものだと。だからこそ、サチには本物の偽り無き連続した感情があるのだと。

 

「だったら解き明かそう」

 

 だから、オレが再び彼女を立ち上がらせる方法は1つしかない。泣き崩れるサチへとオレは手を差し伸ばした。

 

「この世界はサチの記憶なんだ。だったら、この世界の何処かに答えがあるかもしれない。このダンジョンを進み続ければ、サチが求める『答え』があるかもしれない。だから、先に進もう」

 

 無神経なオレの無責任な提案に、サチは縋るような眼と怒りの視線をぶつける。

 

「……『答え』が無かったら、どうするんですか? その『答え』が……私と『サチ』は違うものという証明だとしたらどうするんですか!?」

 

 そうだよな。怖いよな。自分が『自分』じゃないのかもしれない。先に進んで、宝箱を開けてみても中身はガラクタで、求めていた真実なんて手に入らないのかもしれない。あるいは、その真実こそが最悪の裏切りなのかもしれない。

 

「だったら、サチはここで立ち止まるか? それなら好きにしろ。せいぜい『サチ』の記憶の中で溺れるんだな」

 

 これは言葉の刃だ。サチを立ち上がらせる為の……彼女の心を抉る短剣だ。

 留まれるはずがない。ここはサチにとって余りにも愛おしく優しい記憶の再現だとしても……ここは『サチ』の部屋なのだから。

 

「あなたは……本当に『火』のような方ですね」

 

 それは恨み言か、それとも別の何かか。サチは槍を杖代わりにして立ち上がる。その眼差しは暗く濁っている。まるでオレ達が落ちてきた穴と同じように……

 やれやれ。これでオレとサチの緩い関係も終わりか。攻略や戦いと離れた位置にいるサチとの時間は、暇潰しではあったが意外と気に入ってたんだがな。もう、あの生温い時間は2度と訪れる事は無いだろう。オレはそれだけの言葉を重ね過ぎた。

 名残惜しそうにサチは部屋を見回してからドアを開ける。サチの家は2階建てらしく、部屋を出るとL字型の廊下があり、他に1部屋が2階にはあるようだ。恐らく両親の寝室だろう。

 1階に下りるとリビングらしき空間から夜の闇を照らすテレビの光が注ぎ込んでいる。オレとサチは目を合わせて頷き合い、リビングをまず探索する事にした。

 どうやらサチの家はそれなりに裕福らしく、リビングには大型テレビとソファが配置されている。そして、ソファに寛ぎながらテレビを鑑賞するのは、サチの面影を持つ女性と男性だ。恐らくサチの両親だろう。

 一瞬だが彼らに駆け寄ろうとしたサチであるが、両親もまた白黒の状態であり、自分に何ら反応を示さないと分かっているのだろう。涙を目に溜める以上の事はしなかった。

 テレビに映るのは何処かの森の風景だ。誰かの一人称視点の光景であり、白い雪と夜の闇が広がる世界に1本の捻じれた巨大な樅木だ。オレの記憶が正しければ、アインクラッド35層の迷いの森にあった樅木ではないだろうか? 依頼でレベル不相応にも迷いの森に赴いたパーティを救出すべく赴いた時に発見したのだ。これでもかとイベントフラグっぽさがあったのでアルゴから情報を買ったが、確かオレが依頼をこなした2ヶ月前にクリスマスイベントが起きた場所だったはずである。

 確かボスの名は……【背教者ニコラス】だったか? アルゴによれば『アイツ』によって単独で撃破されたらしく、クラインがかなりレアなアイテムを譲ってもらったらしい事を何処か苦々しそうに語っていた。

 と、オレが情報を整理している間に、テレビでは件のボスらしき、サンタクロースを醜悪に改変した巨人が空より舞い降りていた。斧とずた袋を持った醜悪なサンタクロースは何か前口上を述べているようであるが、音声が無いせいで何を喋っているのか分からず、また視点の主もそんな事お構いなしに斬りかかる。そこで映像は終わり、テレビの画面に砂嵐が舞う。

 今のはダンジョン攻略のヒントだろうか? それとも茅場の後継者の悪趣味な悪戯か? 判別がまるで付かないが、先程登場した醜悪なサンタクロースはオレがアルゴから仕入れた【背教者ニコラス】の外見と一致する。

 だとするならば、今のは『アイツ』の視点なのか? どうして、ここで『アイツ』が見た光景なんかが映される? 単なるクリスマス繋がりかもしれないが、重要な情報である確率も高い。

 時刻は午後22時40分。あと1時間と少しでクリスマスイヴも終了だ。今のところ、ダンジョンを攻略するには『闇の穴を発見』し、なおかつ解放する為に『白の亡人の心臓』を入手せねばならない。

 

「闇の穴はサチにとって重要な場所にあるはずだ。はじまりの街の広場はサチにとってデスゲームが始まった『恐怖の始まり』だ。だったら、この現実世界はいつの時間を切り取っているんだ?」

 

「2022年8月28日、『サチ』が夜の学校に忍び込んだ日です」

 

 ぼそりと答えるサチはダイニングテーブルの日捲り式カレンダーの日付を読む。なるほど。ここが現実世界のサチの家を模した仮想世界であるならば、当然家具を始めとした品々の配置はサチには手に取る様に把握できるわけか。

 

「なんで忍び込んだんだよ?」

 

「部室にゲームを置き忘れてしまったんです。SAO用にナーヴギアを買ったばかりの私達がSAOをプレイする前に仮想世界慣れする為に準備したものでしたが、『サチ』が部室に置き忘れてしまったんです。深夜には仮想世界でみんなと合流しないといけなかったので、私はこっそり家を抜け出して学校に忍び込みました」

 

 バツが悪そうにサチは丁寧に事の起こりを教えてくれる。なるほど。オレは当時などゲームにまるで興味が無い人間だったが、世間ではSAOを待望してナーヴギアを買う連中が続出し、とりあえず仮想世界慣れしようとありとあらゆるVRゲームが飛ぶように売れた時期だったな。

 しかし、サチは今もそうであるが、昔も真面目そうなくせに、意外と大胆な真似をするようだ。オレはリビングの棚に飾られた、家族3人の仲睦まじい写真を目にしつつ、玄関からサチの家を出る。

 クリスマスのくせに夏の蒸し暑さとか勘弁してもらいたいな。オレはコートの内側に熱が籠り始めている事に気づく。デバフにはならんだろうが、この不快感はなかなかに集中力を削って来る。注意せねばならないだろう。

 

「地方都市の住宅街ってところか。サチの学校に行くにはどうしたら良いんだ?」

 

「ここから徒歩で行ける距離です。案内しますので付いてきてください」

 

 先導するサチに従い、オレは鉈を片手に住宅街の道を歩く。傍から見れば通報されてもおかしくない殺人鬼だな。まぁ、身の丈もある槍を抱えるサチも大概だが、オレの方が武器のビジュアル的に危険度判定が上だろう。

 

「……先程はありがとう、ございます」

 

 出発して数分と歩んだところで、サチは1度立ち止まると振り返ることなくそう呟いた。

 

「私は『答え』が知りたい。たとえ、どんなに残酷であるとしても、この記憶の……ううん、『違うよね』」

 

 月光を見上げながら、少しだけサチの何かが変わった気がした。いや、彼女の顔を覆っていた仮面が剥げていく音が聞こえた。

 

「私はね……『サチ』でありたいんだ。『あの人』を想う私の心に嘘は無いって、正真正銘『サチ』として私が持ち続けていた気持ちだって……そう信じたいの。だから、『クゥリ』が言った通り探してみるね。私が『私』であるかもしれない『答え』を」

 

 振り返ったサチは……オレの知っているサチじゃなかった。

 ああ、そうか。それが本当の『サチ』ってわけか。今までの堅苦しい、まるで第3者のように自分を含めた全てを語っていた少女はいなくなり、1人の人間として、記憶と感情に従う少女が目の前にいる事を認める。

 はにかみながら笑うサチに、オレは相変わらずチョロいなと思いつつも胸を高鳴らせるのだった。

 

 ……いや、失恋は確定しているんですがね。オレ、どう見てもこれって『とても良い友人』止まりフラグが立ってるし。




現実世界を再現した仮想世界を、仮想世界のダンジョンとして攻略する。
……何を言っているのか分からないと思った皆様はとても正しいのでご安心ください。

それでは、108話でまた会いましょう。

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