スキル
≪ガード強化≫:ガード能力の性能を高める。
≪採掘≫:採掘ポイントでのアイテムドロップ率を高め、またドロップ数を増加させる。このスキルの熟練度が増す程によりレア度の高いアイテムを入手し易くなる。
≪調教≫:モンスターを育成する事が出来るスキル。捕らえたモンスターを飼育し、従順にさせる事で騎獣や仲間として扱うことができる。ただし、知性が高いモンスターには効果を発揮しない。
アイテム
【退魔剣・影喰】:影を喰らう者のソウルによって生み出された剣。かつて、1人の乙女の友だった魔物は永遠の従者となり、たとえ闇の怪物に成り果てようともその最期まで傍にあり続けた。闇を喰らって力を成すのは最愛の友への慈悲か、力への渇望か。その本質を反映させたこの剣には退魔の力が宿っている。
【強欲者の種】:ほんのりと冷たい、何かの果実の種。種とは次なる世代へと繋ぐ命であり、それを喰らうとは血を途絶えさせる事に他ならない。それを分かっていながらこれを食べるのであるならば、僅かな幸運がもたらされるだろう。続くはずだった命を代償にして……
VR・AR技術展覧会とは、3年前から開催される、文字通り最新のVR技術とAR技術を発表し合う、各国・各企業のデモンストレーション的企画の事である。
元々は年1回の構想だったが、想定よりも急速な進歩と人気の高さから2年目より夏・冬の2回開催に切り替わり、今回のミラノは5回目である。
ちなみに、リズベットはミラノこそ初めてであるが、イタリアを訪れるのはこれが2回目だ。記念すべき1回目は須郷事件の時にナポリにある須郷の隠れ家を暴き、非合法実験のデータを回収した。
「それにしても、東京開催の時もそうだったけど、相変わらずの賑わいね」
ミラノ郊外にある今回のVR・AR技術展覧会の会場となる施設となる多目的ホールには、イタリア国内はもちろん、世界各国から最新技術を目当てにした観光客で賑わっている。
VR・AR技術展覧会は3日間開催されるが、そのいずれも一般公開されており、やや高めの入場料さえ支払えば誰でも入場可能だ。純粋に最新技術に触れたいという人々から将来の市場価値を見出す為の企業人、今後の国力増強にも極めて有用な技術の発掘を狙う各国のエージェントによって溢れている。
リズベット達のようなVR犯罪対策室の人間も混じっているだろうが、見渡す限り人の海では仮に知人・友人がいたとしても発見は容易ではないだろう。リズベットは入場ゲートで危険物持ち込みのチェックを受け、ゲートの先で一足先にチェックを終えた光輝と合流する。
「さてと、最初は何か見て回ろうか? 最新型メディキュボイドなんてどうだい?」
「悪くないけど、あたしは義眼技術を見ておきたいかな。ほら、フランクフルトの講演会で今後はAR技術が犯罪に悪用されるって言ってたでしょ? 日本はVR技術では辛うじてトップグループに食い込んでるけど、AR技術は完全に出遅れているし」
「リズベットちゃんは真面目だねぇ。お仕事と言っても、適当に見て回ってレポート提出すれば終わりなのに。僕らが派遣されているのはVR犯罪対策室の『仕事してますよアピール』なんだから、素直に楽しめば良いんだよ」
それを言ってしまっては全て終わってしまうだろうに。相変わらず呑気かつ遠慮なく切り込む光輝に呆れて溜め息を吐きながら、確かにその通りではあると日本人用の日本語パンフレットを開きながら、リズベットも内心では同意する。
VR犯罪対策室が仮に本気でVR・AR技術展覧会の視察に乗り出しているならば、オブザーバーとして評価が低いリズベットや離島勤務予備軍である光輝を派遣するはずが無いのだ。つまり、これは手頃で空いた人材が本部にいないからこそ、御手透きな人間を分室から出向させろという本部の命令によるものだ。
逆に言えば、DBO事件は本部も分室も完全に手詰まりである事も示している。加えて、何もVR関連事件はDBO事件以外に発生していない訳ではないのだ。本部も全捜査官をDBO事件だけに傾かせるわけにもいかず、分室にも様々な小さい事件が割り振られている。今回の御遣いもそうした『小さい仕事』の1つだ。
「観光して、美味しい物食べて、レポートを纏めて仕事終了なんて、納税者への冒涜よね」
小さい頃、よくテレビを見ながら公務員の不祥事の度に税金の無駄だと叫んでいた両親を思い浮かべながら、まさか自分がその立場に成りつつある事にリズベットは自嘲的な乾いた笑い声を上げる。
「一々気にしてもしょうがないよ。それに、僕もリズベットちゃんも貰っているお給料以上の仕事はしていると思うよ。割と本気で」
「そこだけは同意だわ」
3ヶ月刻みで世界を回る度に大事件に巻き込まれては、普通ならば勲章を貰っても何ら不思議ではない程度には活躍をしているリズベットと光輝である。余りにも現実味が無さ過ぎる功績と事件の大きさから報道規制が敷かれ、また口外を固く禁じられている為に、同僚すらも彼らの活躍についてはほとんど無知である。
事件解決の度に、報酬と口止め料の労い金が振り込まれるのであるが、それも支払った対価(主に生命の危機的な意味で)に比べれば安値だ。リズベットは何も大金が欲しい訳ではないので文句も不満も無い。
「それじゃ、リズベットちゃん♪」
「それは何……?」
差し出された光輝の右手の意味が解らず、リズベットは首を傾げる。すると、彼は心外だと言わんばかりに、あるいは悪戯実行中の子どものような笑みを浮かべる。
「これだけ人が多いとはぐれちゃうかもしれないないだろう? 手を繋ごうよ」
「なっ!?」
「ほら! ほらほら! ほらほらほら! 大丈夫! 手汗はそんなに酷い部類じゃないから!」
手汗は別に気にしないが、恥ずかし過ぎる! 頬を赤らめたリズベットは前髪を弄って視線を泳がせ、何とか十数秒時間を稼ぐも変わらず差し出される光輝の右手を、震える左手で触れる。
これが決して初めてではないはずだ。GGO事件の時には腕に抱えられてビルからビルへと飛び移った事もあったし、その時はより密着して心音も耳にしていたはずだが、その時は緊急事態の為に何も感じる事は無かった。
いや、違う。これまでのリズベットならば、露骨な嫌悪感を示す以上は無かったはずだ。
(素直に……す、素直に……っ!)
握った光輝の手から流れ込む体熱に心拍を1段階早めながら、歩調をリズベットに合わせてくれる彼の隣を歩むリズベットは『素数を数えるのよ、リズ!』とグーサインをするアスナの指示に従い、必死になって頭の中で素数を思い浮かべるが、『そもそも素数の定義って何だっけ?』と白羊と黒羊がタップダンスを踊って狼の丸焼きを作るキャンプファイヤーの図という意味不明のカオスな光景以外に脳内には浮かばない。
(見た目と違って、コイツの手って意外とゴツゴツしているのよね。潰れた豆とか、傷痕とか結構多いし)
当然と言えば当然だ。VR犯罪対策室……というよりも、リズベット達が遭遇した大事件の荒事担当が光輝だったのだ。衣服で隠れているが、首から下は消えない傷痕だらけであるし、よくよく見ればこめかみには薄っすらと火傷の痕がある。
「さてと、それじゃあリズベットちゃんのご希望通り、最初は義眼技術から見ようか」
「う、うん……そうね」
手を引かれて人の海を掻き分け、光輝に先導してもらいながらリズベットはブルーを基調としたカラーリングの展示エリアに到着する。ドイツの古参電機メーカーと医療器具メーカーが共同開発した、世界初のAR技術対応義眼である。
よく誤解されている事であるが、VR技術もAR技術も茅場晶彦の登場以前から研究されていた『古い分野』である。だが、実用化や量産性の問題をクリアできておらず、それを世界初の仮想空間とそれの実用技術の開発に成功したのが茅場晶彦だ。この数年の爆発的なVR・AR技術の進歩はこうした土壌があったからこそである。言うなれば、茅場晶彦が生み出した根幹技術は正しく誰もが到来を求め、垂涎していた『銀の歯車』だったわけである。
「神経に接続する手術は別途に費用が掛かるけど、日本円で1つ3000万円くらいで可能みたいだね」
「庶民にはまだまだ手が届きそうにないわね」
「仕方ないさ。第1世代の量産型だからね。需要が高まれば生産コストを下げられるし、研究費用を回収して、法整備されて保険も適応されるようになれば、もっと身近になるはずだよ」
ガラス製のボックスに収められた、人間の眼球をそのまま展示しているのではないかと思う程に精巧な義眼だ。だが、逆にその緻密な作り込みこそが人工物である事を主張している。
VR犯罪対策室のオブザーバーとして意見を述べるならば、こうした義眼技術の進歩で最も懸念されるのが盗撮だ。特に産業スパイには有用な道具となるだろう。もちろん、スパイ行為の為だけに生まれ持った眼球をくり抜くとは考え辛いが、真のプロフェッショナルとは仕事を成し遂げる為ならば自身の血肉を削ぎ落とす事も厭わない事をリズベットは知っている。
VR技術の進歩により、仮想空間における情報管理が先進する一方で、情報漏洩をいかにして防ぐかも焦点になっている。日本では電子化されていた情報を敢えて紙面に戻して物理的に厳重管理するという手法も取られているが、この義眼技術を応用すれば、手持ちのカメラもコピー機も不要だ。ただ眺めるだけで情報を全て記録する事が出来るのだから。
続いてリズベット達が立ち寄ったのは、開催国であるイタリアの企業が目玉として準備した、3Dプリンターとの組み合わせ技術だ。デモンストレーションでは、専用の仮想空間にフルダイブした子どもが描いた落書きを解析し、更に脳のイメージを読み取ってか、それを立体化させてオブジェクトを作成し、それを現実の3Dプリンターで作成している。
「すごいわね。仮想空間のオブジェクトがそのまま現実世界で作れるなんて」
「ああ。でも、それ以上にイメージ解析技術には目を見張るものがあるよ。イメージをそのままオブジェクト化できるんだ。あれさえあれば、仮想世界の構築の容易化はもちろんだけど、現実の建築業界にも計り知れないメリットがあるね」
「でも、結局はイメージに過ぎないから細部が曖昧だし、現実世界の物理法則は仮想世界の物理エンジンで細工もできないから綿密な計算が必要になる。仮想世界側ではデザイナーの負担が減るかもしれないけど、現実世界へのフィードバックにはまだまだ時間がかかりそうね」
他にも作った料理を解析してVR空間上で自動再現する技術、VR空間での体感時間を引き延ばすブラック企業に大喜びされそうな技術、海馬に働きかけて過去の風景を再現する技術など、いずれもリズベットが子供の頃にはSFに分類されていたような物が展示されている。
と、そんな中でリズベットの耳が女性の悲鳴らしき物を捉えた。
「何かあったのかしら?」
「スリか痴漢じゃないかな。これだけの人の数だからね。あ、リズベットちゃんは安心して良いよ。かれこれ3人くらいお尻触ろうとした不埒者には成敗しておいたから!」
「そう。本当に優秀な警察犬で助かるわ」
「そこはお姫様を守る騎士様って言ってほしいなぁ」
以前とは違ってリズベットの口元にあるのは微笑であり、こうした憎まれ口は軽いジョークだ。肩を竦める光輝を逆に引っ張る形で、リズベットは先程から断続的に悲鳴が響くエリアを目指す。
本当に何事だろうか? 英語、中国語、ドイツ語、イタリア語、フランス語、スペイン語と、ありとあらゆる言語の叫び声に、リズベットは徐々にではあるが、不安を募らせ始める。
そうして行き着いた場所に掲げられていたのは……日の丸だった。
ああ、納得だ。リズベットは限りなく乾燥した眼差しを、次々と女性たちを阿鼻叫喚させている出展企業を目にして唾棄するように口を『へ』の字にする。
その企業の名はKISARAGIバイオテクノロジー株式会社。日本が誇る有数の変態企業であり、世界中に月刊ペースでネタを供給して愛されるHENTAI集団の代名詞である。
KISARAGIバイオテクノロジーはキサラギグループの1角であり、その名の通りバイオテクノロジー関連で大きな成果をもたらしている企業だ。社訓は『利益よりも好奇心を優先せよ。さすれば未来は訪れん』であり、資本主義を全否定しているのであるが、それでも不況だろうと好景気だろうと関わりなく一定の黒字を保つ優良企業である。
日本では嫌悪感が強かった遺伝子組み換え食品にもいち早く進出した他、九州に大規模な土地を購入したかと思えば大型プラントを建造して食糧生産を始め、他にも医薬品や化粧品も販売するなど、その事業は幅広い。
「キサラギ……キサラギねぇ……『また』キサラギ……」
良くも悪くも日本の評判を高め、そして貶めているのがこのグループの特徴である。たとえば、ここ数年で急速に確認され始めたUMA『AMIDA』はキサラギの生体科学実験の産物なのではないだろうかと実しやかにネットでは騒がれている。
ちなみにであるが、SAO事件やDBO事件で被害者を受け入れた日本各地の病院の名は『須和如月病院』という名前からも分かる様に、キサラギグループの出資による合同出資の産物だ。とはいえ、運営はほぼ『盟友』の須和家に丸投げらしい、とVR犯罪対策室のオブザーバーである須和の言葉をぼんやりとリズベットは思い出す。更に言えば、合同出資の理由は『患者の治療という名目で生体実験できると思ったから』という、さっさとこの企業は潰した方が良いと万人が回答するだろう物だ。もちろん、これは須和がオフレコでリズベットに語った裏側である。
「連中、今度は何をやらかしたのよ」
キサラギのトレードカラーである黄色と黒を視界に入れながら、リズベットは恐る恐るといった足取りで展覧エリアに近寄る。
だが、見回してみても悲鳴を上げるような奇抜な物は置かれていない。せいぜい直方体のガラスケースの中に銀色の粒が多量に押し込まれているぐらいだ。
と、そこでリズベットは銀色の粒が微動している事に気づく。目の錯覚かと思い、ガラスケースの中身を改めて確認した彼女は思わず悲鳴が漏れそうになる口を塞いだ。
ガラスケースに押し込まれた銀色の粒、それは極めて小型の……良く表現してダンゴムシ、悪く表現してゴキブリにしか見えないロボットだった。それがこれでもかと詰められ、蠢いている。
「うわぁ、相変わらずキモイのを展示しているね」
さすがの光輝も苦笑いで、今にも倒れそうにフラ付くリズベットの肩を支える。
「キモイとは何だ。キモイとは」
だが、光輝の……リズベットも全面同意する感想へと、突如として反論する野太い声が響く。
何事かとリズベットが二重にブレる視界で捉えたのは、キサラギ社員であると一目で分かる悪趣味な黄色と黒のストライプ柄ネクタイを締めた、野性味あふれた顔つきをした男である。プロレスラーと見紛う程の巨体であり、先日出会ったカミルよりも肩幅は広いだろう。とてもではないが、日本人離れしていると言わざるを得ない体格だ。一方で銀色の縁眼鏡をかけた姿はスマートなインテリそのものであり、体格や顔付きに反する優れた知性を感じさせる。
「その子達は我が社の研究者が寝ても覚めても冷めぬ情熱を注ぎ込んで完成させた、前代未聞の全身メディカルチェック用AR小型ロボ『名称未定』ちゃんだぞ。その子を数匹呑み込めば、後は寝ている内に全身を隈なくチェックし、AR技術の応用でスキャンした情報を基に神経1本までリアルに再現したアバターを作成できるんだ。これさえあれば癌を始めとしたあらゆる病気を早期発見できる、とっても優秀な可愛い子たちなんだぞ」
「た、確かに話を聞く限りでは有用そうね」
この生理的嫌悪感を抱くデザインは何とかならなかったのか、というツッコミは入れたいのを我慢しながら、光輝にお礼を言いつつリズベットは額を押さえながらバランスを取り戻す。
リズベットの『褒め言葉』に、男は腕を組んで嬉しそうに頷く。
「だろう? そうだろう!? やはり日本人はキサラギの心を分かってくれて助かる! 先程から聞きなれん異国の罵倒ばかりでそろそろ泣きそうだった所だったのだよ。やはり国際社会に理解を追い求めるには、我々ジャパニーズのセンスは未来を行き過ぎていたか。フッ! 日本ガラパゴス化……上等極まりないがね!」
グーサインして白い歯を輝かせる男に、リズベットは諦めの境地で『この人は人生楽しんでるなぁ』以上の気持ちは抱かないようにしようと心に誓う。どうせ、今後関わり合いになる事などないのだから。さすがにキサラギが相手ともなれば、VR犯罪対策室が出張る事は無いだろう。
だが、人生とは常に自ら逃げ道を開拓しようとすると障害がステップを踏みながら回り込んでくるものである。何故か男はドシドシとステージの土台が踏み抜けるのではないかと思う程に足音を鳴らし、リズベットに……いや、正確には光輝に近寄って来る。
「しかし、コウ坊もすっかり大人だな! 一瞬誰か分からなかったぞ!」
「叔父さんも元気そうで何よりだね。まさか国外で再会するとは思わなかったよ」
握手を交わす光輝と男を見比べながらリズベットは、世間とは狭いと思うが世界は広いはずではないだろうか、とぼんやりと現実逃避する。
意外という程でもなく交流関係が広い光輝には毎度のように驚かされるが、ここで身内が登場するとはリズベットも完全に想定の範囲外である。
「ああ、紹介するよ、リズベットちゃん。こちらは僕の叔父の――」
「如月理輝だ。コウの叔父で、ついでに言えば名付け親だな」
名刺を渡されたリズベットは、確かに自分の名前を1字渡しているなぁ、と変わらず火星と地球くらいの距離感で現実を我が身の状況を第3者視点で諦観する事に努める。
「ご丁寧にどうも。あたしは光輝さんの同僚の篠崎里香で……って『如月』ぃ!?」
だが、火星からホームランで地球・イタリア・ミラノの現実のリズベットまで精神を押し戻された彼女は、食い入るように名刺に書かれた彼の名字に目を見開く。
「あー、いわゆる養子だ。ウチは色々と如月家とも縁があるもんでな。その辺りは面倒だからコウにでも聞いてくれ」
「僕も面倒だからパス。まぁ、リズベットちゃんもいずれ家族になるわけだし、嫌でもその辺りを知る事になるだろうから別に良いんじゃないかな?」
「おっ! なんだなんだ? やっぱりただの同僚じゃないんだな!? その辺も叔父さんに教えてよ」
もう付いていけない。怒涛の情報量に圧殺され始めた脳が休息を要求し、リズベットは回れ右して退却の構えを取る。
「少し休むわ。エントランスのA3番口で30分後に待ち合わせしましょう」
「大丈夫かい? 付き添おうか?」
「1人で大丈夫。ううん、むしろ1人にさせて。本当にお願いだから」
気遣う光輝に申し訳ないと思いながら、リズベットは先程の彼の発言を否定する事も忘れて、ほぼ全力疾走でキサラギ展示エリアから逃亡する。
何か飲み物が欲しい。リズベットは乾いた喉と舌、何よりもストレスでシェイクされた心を落ち着かせるべく、エントランスの売店に向かう。だが、半ばお祭りにも等しいVR・AR技術展覧会という事だけに、4件もある売店にはいずれも長蛇の列が出来ていた。
ならば自販機だ。日本以外では野外で自動販売機を探し出すのは困難極まりなく無謀に等しいが、公共施設の屋内にはそれなりの数が設置されている事はこれまでの海外経験から把握済みだ。
近場よりも少し遠い場所の方が人も少ないだろう。リズベットは自販機の前の人垣を目にし、多目的ホールの外縁部を沿って歩いていく。徐々に人数は減り、展示会の喧騒も防音処置によって薄れ、先程までの人混みと賑わいが嘘のような静寂が訪れる。
ようやく自販機を発見したリズベットであるが、そこには先客がいた。
それは1人の少女だった。年齢は10代半ばだろうか。淡い金髪と青の瞳が特徴的な、いかにも温室育ちのお嬢様といった風貌をした可愛らしい少女である。服装も白を基調したものであり、その清楚な美しさには見惚れるものがあった。
何処となく感情が希薄にも見える少女の眼は、ジッと自動販売機のラインナップを見つめている。コーラから水まで一通りの商品を販売しているのであるが、どうやら旧型らしくタッチパネル式ではなくボタン式だ。
「…………」
どの商品にしようか悩んでいるのだろう。少女はジッと、まるで石のように動かず、自動販売機を見ている。たっぷり120秒後、彼女の指がゆらりと幽鬼のように動いた。
だが、少女はボタンではなく商品の図柄描かれたパネルに触れる。その下のボタンを押せば購入できるのであるが、そもそも硬貨が投入されていない状態だ。
(見た目からしてお嬢様みたいだし、もしかして自動販売機初めてなのかな?)
そんな漫画から飛び出したお姫様みたいな子がいるはずないだろうに。リズベットは自身の予想にツッコミを入れつつ、このまま待たされるのも困るので、彼女の手伝いをすべく話しかける。
「〈こんにちは。もしかして買い方が分からないの?〉」
優しく、年長者らしく笑顔で怯えさせないように声をかける。少女はリズベットの方を向き直ると丁寧に頭を下げる。
「こんにちは。リリウムは日本語を喋れるので、無理に英語で話しかけられないでも大丈夫ですよ?」
リズベットも驚くほどに流暢な日本語で、少女……リリウムというのだろうか? 彼女は応じてくれる。
だが、リズベットとしてもそれなりに自信があるとはいえ、英語ではなく母国語で済むというのは助かる。と、そこで彼女は何故自分が日本人だと分かったのだろうかと疑問を抱く。とはいえ、誰も彼もがアジア人を見たらすぐに中国人と答えるわけではないだろうとリズベットは自己消化する事にした。
「えと、リリウムちゃんで良いよね? 自動販売機を使うの、もしかして初めて?」
「はい。いつもはセカンドマスターが買ってくださいますので、リリウムにとって初めての買い物です」
セカンドマスター? いわゆる外国人が変な日本語を学んでしまったというヤツだろうか? 別の適当な単語に変換しようとするが、せいぜい両親程度しか思いつかず、どちらにしても問題ないだろうとリズベットは頷く。
「そっか。あのね、自販機はまずお金を入れないと買えないの。お財布持ってる?」
「お金ですか?」
そう言うとリリウムは腰のバックから財布を取り出すと、中から1枚の黒光りするカードを取り出す。リズベットも初めて見たが、クレジットカード……それもブラックカードのようだ。
やはりお金持ちの子か。ならば、本当に世間知らずなのかもしれない。本気で自販機の使い方が分からないらしいリリウムに、リズベットは残念そうに首を横に振った。
「ごめんね。この自販機はクレジットカードが使えないのよ」
「そうなのですか? でも、セカンドマスターはこれさえ見せれば何でも買えると言っていましたが」
「確かにその通りだけど、これは別。クレジットカードじゃなくて現金を使わないと。それで、どれが飲みたいの? お姉さんが買ってあげる」
「……リリウムはコーラという物に興味があります。人間は飲み過ぎると『げっぷ』と呼ばれる生理現象が発生するらしいので、リリウムも試してみたいです」
コーラか。確かにお嬢様ならば飲ませてもらえなかった、というのもあり得るかもしれない。徐々にであるが、リズベットの中での富裕層というものが世間知らずというイメージで固定化しつつあるが、彼女は財布から硬貨を取り出すと自販機に入れ、コーラを2本購入する。
日本では珍しい瓶コーラに、さすがは海外と思いながらリズベットはリリウムの分も蓋を開けて手渡し、キンと音を鳴らし合う。
黒い炭酸の液体が喉に流れ込み、喉が焼かれるような刺激にリズベットは心地良さそうに呻く。日本のコーラよりも若干炭酸がキツめなのはご愛嬌だろう。唸るリズベットは、このお嬢様の初コーラの反応はどうだろうかと興味本位で横目で見る。
「ふぇ!?」
だが、リズベットが見たのは、軽くコーラの瓶を傾け、緩やかではあるが一気にコーラを飲むリリウムの姿だ。まるで石像のポーズのように硬直しており、黒い液体は次々と彼女の喉へと流れ込み、瓶は元の透明な薄緑色になっていく。
350ミリリットルとはいえ、一気飲みするには量が多過ぎる。唖然とするリズベットを尻目に、全てを一口で飲み干したリリウムはハンカチで丁寧に口元を拭って瓶を専用のごみ箱に入れると、何かを待つようにそわそわしながら起立していた。
10秒、20秒……さらに60秒。リズベットもコーラを飲み終えた頃には、リリウムは変わらず感情は薄いが、何処か無念や残念といった眼差しをしていた。
「……やっぱり、リリウムには『げっぷ』ができませんでした」
「えと……しても良い物じゃないと思うよ? むしろ下品な行為だし」
「リリウムは『げっぷ』がしたかったのです。でも……やっぱり、リリウムの『体』にはそんな機能が備わっていないのですね」
寂しそうに自身の胸に手をやるリリウムに、リズベットは何と話しかけるべきか言葉を探す。
だが、適当な言葉が見つかるよりも先に、異様に響く足音が彼女の耳を撫でた。
「やぁ、リリウム。こんな所にいたんだね」
それは白いスーツと青のネクタイをした、不思議な男だった。
何が不思議なのかリズベットにも分からない。癖のある金髪と碧眼をした、子どもっぽい顔立ちと笑みが特徴的な美貌の男であり、年齢は20代半ばだと思うのであるが、それが正しいのかどうかさえも判別できない。
そもそも本当に美形と呼べる顔立ちなのだろうか? そもそも本当に男なのだろうか? そもそも本当に『人間』なのだろうか? ありとあらゆる意味で、脳が理解することが出来ない存在として、男は立っていた。
「ん? これはこれは……可愛らしい日本人のお嬢さんだね。キミがリリウムを見つけてくれたのかい?」
「え、あ……はい」
見惚れていたわけではない。単純に『呑まれて』いた。リズベットは話しかけられてようやく我に返り、半ば反射的に頷く。
トコトコとやや小走りで男の元に駆け寄ったリリウムに、男は無邪気でありながら、まるで精神をやすりで擦るような歪みを持つように笑む。
「セカンドマスター、AA-331にコーラを購入して頂きました。お礼がしたいのですが」
「コーラ? ああ、そうか。自動販売機じゃまだクレジットカードが使えないからか。お嬢さん、迷惑をかけたね。良ければお礼がしたいんだけど、お名前を聞かせてもらって良いかな?」
「篠ざ……いいえ、【リズベット】です」
本名ではなく、咄嗟にリズベットはSAO時代から使い続ける『今の自分』の名前を発する。
別に意図的に本名を隠そうとしたわけではない。だが、脳が、心が、魂が、この男に聞かせるべき名前は【リズベット】だと主張したのだ。
「リズベットさんか。日本人らしくないね。ペンネームか何かかな?」
「……そんなところです」
「ああ、別に気にしなくていいよ。いきなり見ず知らずの男に名乗らないのは当然だからね。だけど、そうなるとボクだけが本名を名乗るのも面白くないね」
そう言って男が懐から取り出したのは、青い薄型の長方形フィルムが入ったケースだ。そこから1枚取り出した男は、先が緑色に光るペンで何やら書き込んでいく。
リズベットの記憶が正しければ、先日アメリカで発表されたフリーライトフィルムだ。いわゆる電子の紙であり、専用のペンで文字を書き込んで、データを送信して保存したりすることができるという機能を持ちながら極めて安価である。世界同時発売を予定されており、CMで再三に亘って発売告知されている。
「キミにも少し興味がある。イレギュラーと成り得ていないが故に、キミの持つ異常性はP10042に類似するものがあるからね。ボクは運命を信じないが、これもリリウム……いや、この場合はアンビエントの御導きだと思う事にするとしようかな」
フリーフィルムをリズベットに差し出した男は、まるでリズベットの事を、彼女以上に把握しているかのような、底知れない暗がりを潜ませた目をしていた。
背筋が凍る。まるで蛇に睨まれた蛙のように動けなくなる。フリーフィルムを受け取ったリズベットはごくりと喉を鳴らした。
「それじゃ、いつか必ずお礼をさせてもらうよ。それまで息災でね、リズベットさん」
手を振りながらリリウムを伴って去っていく男を見送ったリズベットは、彼の姿が完全に見えなくなってから、手元のフリーフィルムに視線を落とした。
【INC Foundation ×××‐■■■‐▽▽▽▽】
表記されているのは携帯電話の番号だろう。そして、この英単語は確かとリズベットは知識を掘り返す。
「……INC、財団?」
ぼそりと、恐怖を吐き出すように、リズベットはその名前を呼んだ。
早く光輝に会いたい。会わなければならない。この震えを止める為に。フリーフィルムを財布に仕舞ったリズベットは、まるで押し潰されるような心臓に鞭を打つ。
何が良くない事が起きようとしている。リズベットの『本能』が怯えるようにそう囁いた。
本作では原作よりも多大に技術的未来を駆けています。主に変態企業たちが頑張り過ぎているお陰ですね。
次回からまた仮想世界に戻ります。いよいよクリスマス編です。先に述べておきますが、クリスマス編はとてもヘイワでハッピーなエピソードです。
ヒッシャ、イママデウソツイタコトナイ。シンヨウシテクダサイ。
それでは、104話でまた会いましょう。