《はじまりの街》近郊のフィールドで、メサイアはLv1モンスター、青い毛並みに、腰ほどまでの背丈の大形の猪……《フレンジー・ボア》と相対していた。攻撃パターンは基本的に突進だけ。レベルが1であることも相まってか、基本的に苦労する相手ではない。
しかしメサイアはここ数回が初めての戦闘である。苦戦、とまではいかずとも、少々手こずっていた。
「ぴぎぃぃぃっ!」
「くっ……このっ……!」
フレンジー・ボアの突進攻撃を、片手剣を使っていなす。刀身を使っての防御は両手剣の方が向いているのだが、生憎例の如く《両手剣》スキルはない。これまでにこの青猪は三体倒したが、合計でスキル熟練度は4も上がっていなかった。
公式サイトに載っていた簡易的な説明文によれば、《両手剣》は《片手剣》スキル熟練度が10になった瞬間に出現するらしい。できれば一時間以内に入手したいなぁ、と思いつつ、メサイアは剣を肩に担ぐように構えた。
じり、じり、と数秒間の間、『何か』を待つ。丁度それは、気をためているような動作で――――そして、その『何か』は訪れた。
きぃぃぃん、という音と共に、刀身が黄色く発光する。
「……はぁっ!!」
次の瞬間、「ぴぎぃぃい!」と激しく
激しいエフェクトライトと共に、一気に猪の周囲に表示されていた傍線……HPバーに記された彼のHPが減少し、0になる。
「ぷぎぃぃぃ……」
直後、本日三体目の《フレンジー・ボア》は、無数のポリゴン片となって爆散・消滅した。
「ふぅ……やった」
やりきったぞ、という達成感と共に、興奮と爽快感が湧いてくる。他の2DRPGではこんなことはなかっただろう。自らの体を直接使って戦うVRMMOだからこその快感だ。
さて、と、ステータスウィンドウから取得中のスキル一覧を選択。《片手剣》のスキル熟練度をチェックする。見れば、先ほどまで4程度だった熟練度は、なんと5になっている。剣防御やソードスキルなどを積極的に使ったのがよかったようだ。
「よしっ……」
思わず小さくガッツポーズを取ってしまう。目標の《両手剣》まで、あと半分……
その時だった。
「お兄さんすごいね! もしかしてβテスター?」
明るい少女の声が届いたのは。
顔を上げると、そこには紺色の髪の毛の少女の二人組。よく似たアバターを使っている。片方は温和な顔立ちで、にこにこ笑っている。もう片方は活発そうな顔立ちで、こっちは『ニカッ!』とでも形容すべき、太陽の様な笑顔を浮かべていた。どうやらこちらの方が先ほどの台詞の発声者の様だ。
そのセリフが、自分に向けられたものだと気付くのに数秒の時間を要した。
「え……っと……ぼ、僕?」
「そう! お兄さん!」
元気少女の方はさらに満々の笑みを浮かべる。それをみて、謎の罪悪感が湧いてくるメサイア。きっと少女は、メサイアがβテスターであることを期待していたのだろう。あわよくばレクチャーを受けようと思って声をかけてきたに違いない。
だが……
「ごめん。僕はβテスターじゃないよ。唯の
「ぇええぇえぇええ!? ボク達と同じ!? それであの動き!? すっごぉぃ!!」
すると少女は目を真ん丸にして絶叫した。どうやら本気で驚いているらしい。メサイアとしてはそんなにすごいことをしたつもりはないのだが。
メサイアが目を白黒させていると、今までずっと笑顔を浮かべているだけだった、もう一人の少女の方が口を開いた。
「妹、感情表現が激しいんです。御不快になられたならすみません」
「い、いや。そんな事ないよ。元気でいい子だなぁ、と思って……」
「元気でいい子かぁ。そんな事言われたことなかったなぁ。やっぱりお兄さんはいい人だ! ボクはユウキ! こっちは姉ちゃんのラン。お兄さんは?」
ユウキ、と名乗った元気少女が、こちらの名前を問うてくる。別に隠すことではないし、向こうも名乗ったのだからこちらも名乗るのが礼儀だろう、と思って返す。
「メサイア。よろしく、ユウキ、ラン」
すると、ユウキとランが少しだけ驚いたような表情を取った。
「メサイア……
これが、メサイアとラン、ユウキの姉妹が出会った瞬間であった。
***
「ユウキ、そっち行った!」
「オッケー、姉ちゃん!」
ランが指示を飛ばすと、ユウキはそれに即座に反応して片手剣を構える。淡く発光した剣が、信じられないスピードで振るわれて、対峙していたフレンジー・ボアをやすやすと切り裂いた。
「いえーい!」
ブイサインをとるユウキ。その姿を見て、メサイアは内心で舌を巻いていた。
先ほどユウキは、メサイアの動きを見て「βテスターではないか」と伺いを立てた。だが実のところメサイアはβテスターではなく、その真実に対して彼女は、「それにしては動きがいい」と驚いていた。
だがメサイアにしてみれば、それはそっくりそのままユウキにあてはまる事でもあった。
恐ろしいまでの戦闘センス。まだ動きには硬い所があるような気がするが、それは初日だから仕方がないと言える。だが、秘めたポテンシャルは想像を超える域にまで達している気がしてならない。恐らく、今後戦闘を重ねていくにつれて、彼女はどんどん強くなっていく。日が経つごとに、恐るべき才能で
間違いなく彼女は、このゲームで《トッププレイヤー》と呼ばれる存在に成長するはずだ。
そしてその隣には、あのランという名前の姉が常に控えているのだろう。先ほどから、彼女がユウキや時々メサイアに出してくる指示は、非常に的確だった。空恐ろしくなるほど攻略ペースが上がったほどだ。
状況判断能力や、空間把握能力、指導能力に秀でているのだろう。大規模を率いる軍団長、というよりは、少数精鋭を指導する切り込み隊長と言ったところだろうか。ラン自身はあまり戦闘をしないので、どちらかと言えば《参謀》という言葉が似合うような気がしなくもないが。
とにかく、この姉妹は強い。それだけは確かだった。
そんなことを考えていると、トコトコとユウキが近づいてきて、こちらを上目使いに眺めた。柄にもなくドキドキしてしまう。
「メサイア、レベル上がった?」
「うん? いや、まだだけど……どうしてそう思ったんだい?」
「いや、だってさっきからちらちらステータスウィンドウ気にしてるから……」
ああ、とメサイアは納得した。同時に、ユウキに「違うよ」という否定の回答も出す。
「僕が気にしてるのはスキル熟練度さ。《片手剣》の熟練度が10で《両手剣》が出現するから。あとちょっとなんだ」
すると、ユウキは目を真ん丸にして叫んだ。
「へぇぇっ! じゃぁメサイアは壁剣士?」
彼女が口にした《壁剣士》とは、RPGにおける《
故に、その剣で攻撃を防ぎ、自分も味方も剣で守るが故に、《壁剣士》。
メサイアのプレイスタイルは、それに近いと言っていいだろう。
「そうだね。将来的にはそう言うビルド構成になるかな……」
「じゃぁボク達とは相性いいね」
「え?」
にこっ、と嬉しそうに笑うユウキ。仮想世界では直接脳波を受け取るが故に感情表現が表に出やすいという事を聞いたことがある。という事は、今彼女は本気で嬉しいと思っているのだろうか。
「だってメサイアが
それを聞いて。
メサイアは、少し混乱した。彼としては、この三人で行動するのは今日限りの事だと思っていたのだ。ただの即席パーティーだと。
だが、ユウキが口にしたのは、いわばこのゲームをプレイしていく事においての、永続的なパーティー構成……つまりは《コンビ》だとか《トリオ》だとかの結成の誘いだ。彼女がそんな深い所まで考えているのかどうかは分からないが、文面だけを見るならその通りだ。
ならばせめて。
彼女たちに自分が必要なくなるまでは、パーティーを組もう。
そう思ったメサイアだった。
そのまま狩を続けているうちに、とうとうメサイアの《片手剣》熟練度が10に到達した。ついに、スキルスロットに《両手剣》の文字が出現する。
「やっ……たぁっ!」
「おおっ! 《両手剣》でた!?」
「うん! ありがとう、ユウキ、ラン」
これで――――これで、ずっと欲しかった《両手剣》が使えるようになる。現在のアイテムストレージに在るのは片手剣《スモールソード》だけなので、これから《はじまりの街》の武器屋に戻って両手用直剣を購入する必要がある。
片手剣よりも大型であるだけあって、両手剣は値が張るだろう。しかしそれは問題にならない。メサイアの所持
「あの、メサイアさん」
その時、ランがおずおずと声をかけてきた。どうしたの? と問うと、彼女はすこし残念そうな表情で、
「私達、これから少し……そうですね、最長で二時間ちょっとログアウトしなければならないんです。それで……あの、よろしかったら、再ログインしたあとも、パーティーを組ませていただけないでしょうか?」
「もちろん、構わないよ。じゃぁ、ログインしてきたらメッセージ飛ばして」
それはメサイアからしてみても願ったりかなったりな提案だった。先ほどユウキが言ったように、彼女たちとメサイアは戦術的にも相性がいい。それに、メサイアは彼女たちについていくと決めたばかりだった。
すでに《フレンド登録》は済ませてある。これは、お互いの居場所を知ったり、迷宮区以外でならばメッセージを自由に飛ばせたりする便利な機能だ。
「そうですか!! ありがとうございます!」
「よかったー。じゃぁ、またあとでね!」
一転して嬉しそうな表情になったランとユウキが、右手の人差し指と中指をそろえて振る。ちりりん、という音と共に、半透明のメニュー・ウインドウが出現。ログアウトボタンを探しているのだろう。少女たちは画面をスクロールしていく。
そんな光景をしり目に、メサイアはこれからどうしようかな、と考えていた。
父親はメサイアに構ってこないので…そもそも虐待だって、
今日中にレベルが上がると良いなぁ、などと思っていた、その時だった。
「あれ?」
素っ頓狂なユウキの声が響いた。
「……? どうしたの?」
「あのね、メサイア。ログアウトボタンがないの」
「……え?」
彼女の口から紡がれたのは、予期せぬ事態だった。
「……ランも?」
「は、はい」
――どういう事だろう。
メサイアは内心で首をかしげた。
《ナーヴギア》及び《ソードアート・オンライン》には、ログアウトに関するボイスコマンドは搭載されていない(と取説に書いてあった)。つまり、内部でログアウトボタンを押すか、リアルで電源を消す・あるいはディスクを取り出すかしない限りは、仮想世界から現実世界への復帰はかなわないのだ。
ナーヴギアは仮想世界と現実世界の五感をお互いに完全にシャットアウトしてしまう。つまり、ログアウトボタンが消失した今、現実世界への自発的帰還は不可能になった、と言ってもいい。
「バグかな……いや、それにしてはひどすぎる……」
こんなバグ、見つかったら即座に修正がかかるだろう。SAOを運営している《アーガス》という会社は、ほかのMMOにおいてもユーザー重視のサービスで人気を集めていたらしいのだから。
まだ報告が届いていないのかと、先ほどからランがGMコールを行っているものの……
「……駄目です。応答がありません……」
「そっか……どういう、事なんだ……?」
メサイアがこの奇怪な状況に頭を抱えかけた、その時。
視界が、真っ白に染まった。
「うわっ!?」
「わわわっ!」
「きゃぁ!?」
次に視界に色が戻った時、そこはこのゲームで最初に見た景色……《はじまりの街》の中央広場だった。だが、そこにはあの時とは違って、無数のプレイヤー達がぎゅうぎゅう詰めになっている。一万人近くいるだろうか。
「おい、どうなってんだよ」
「バグの説明か?」
「これで帰れるのかしら」
プレイヤー達は口々にそんなことを囁き合っている。
……とそこで、メサイアは直前まで一緒にいたはずのパーティーメンバーの姿が見えないことに気が付いた。
「……っ、そうだ、ユウキ!? ラン!?」
「こ、ここだよメサイア!」
「こっちです!」
その声がした方向に振り向くと、一メートルほど離れた場所に、見知った少女たちが。
「大丈夫だった?」
「うん。バッチし……何だけど……これは……?」
「どういう事なんでしょうか……?」
二人もまた、この奇妙な状況に疑問と不安を隠せないらしい。
――――嫌な予感がした。何と言うか……そう、ここで、世界が終わりを迎えるかのような。
そしてその予感は、あながち間違っていない形で証明されてしまう。
「あっ! 上を見ろ!」
誰かが叫んだ。つられて上空を見上げてみれば、夕やけ色だった大空は、それよりなお濃い血の色に染まっていた。よくよく見れば、それは六角形の半透明のパネルのようなものに覆われているからであり、その全てに【ワーニング】と言ったような英単語が描かれている。
――――そして。
どろり、と形容すべき動作と共に、そのパネルの隙間から、同色の液体がこぼれ出た。
それらは中央でわだかまると、何かの形を生み出していく。
それは、がらんどうの真紅のローブだった。サイズだけが異様に大きい。
がらんどうの巨人は、鷹揚にその両手を広げると―――――
『……プレイヤーの諸君。私の世界へようこそ。私の名は茅場晶彦。いまやこの世界をコントロールできる唯一の人間だ』
告げた。
SAOの創造者を名乗るその男は。
この世界が、すでに『ゲームであっても遊びではなくなった』ことを。
さてさて、デスゲーム開始と相成りました。
次回は第一層攻略会議の予定です。ディアベルはん生存させようかどうしようか。そもそも完成はいつになるのやら。
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