-食料コア 地下四階-
ゆっくりと崩れ落ちていくルークの姿を、フェリスはどこか信じられないような気持ちで見ていた。別に初めての事ではない。魔王ジルの爪で体を貫かれた事もある。だが、あの時と違うのはその出血量。細い爪で貫かれたのと違い、手刀が深々と突き刺さったのだ。ルークの腹部からは、夥しい程の血が噴き出していた。
「おい……嘘だろ……」
自然とそう呟いてしまう。目の前のルークが死に向かっているのが判る。悪魔であるフェリスは魂の回収という仕事柄、基本的に自分で手を下しはしないが、人の死というものは沢山見てきている。だが、今抱いている感情はこれまでと何か違う。目の前にいる人間の死というものに対して、激しい感情が渦巻いているのが判る。それは、確かな憤怒。フェリスがそれを感じ取るときには、既にディオに向かって鎌を振るっていた。
「ルークに何してるのよ!!」
「クカカカカ!」
フェリスの振るった鎌を高笑いと共に手刀で受け止めるディオ。続いてディオに飛びかかったのはリックとサイアス。
「バイ・ラ・ウェイ!!」
「死神だと……?」
高速でリックの剣が振るわれ、無数の赤い線が宙に走る。そんな中、ディオはハッキリと見る。リックの後ろに、死神の姿を。
「見えましたか。ならば貴方に明日は……」
そう言った瞬間、リックの右肩と胸の間に激痛が走る。無数とも言える程の網目状の線をかいくぐり、ディオが手刀を繰り出してきたのだ。その手刀がリックの体を貫く。
「笑わせるな。死を支配するのはこの私だ」
「がはっ……」
「リックさん!!」
「炎舞脚!!」
貫かれた右肩口下から血を噴き出し、リックが体勢を崩す。その後方から駆けてきたサイアスが炎を纏った蹴りを繰り出すが、それを首だけ動かして軽々躱すディオ。魔法使いであるサイアスとは、体術のレベルが違いすぎる。
「スノーレーザー!」
ウスピラも再び魔法を放つ。だが、ディオはそれを避けようともしない。体に直撃したスノーレーザーは、またしても宙に四散してしまう。やはり魔法ではディオにダメージを与えられない。
「シィル、行くわよ!」
「は、はい!」
ロゼがシィルを連れて前に駆けだすが、最前線で倒れているルークとセスナのところまではディオが邪魔で行くことが出来ない。回復の雨ではあの出血は止められないだろう。早くヒーリングをかけなくては、二人とも命に関わる。そのとき、ランスの声が通路に響いた。
「おぉっと、動くなよ貴様! このお嬢ちゃんが俺様に酷い目に遭ってしまうぞ!」
「ふぇぇぇぇ……」
左手で剣を持ち、右手でメリムの胸を鷲づかみにしながらディオに向かってそう叫ぶランス。それを見たディオは一度後方に跳んで下がる。
「逃がすか!」
「待ちなさい! 今は二人の治療が先決よ!」
怒りに任せてディオを追おうとするフェリスだったが、ロゼが大声でそれを止める。二人を治療する又とないチャンスなのだ。すぐにロゼはルークに、シィルはセスナに駆け寄る。
「なに死にそうになってるのよ……ヒーリング!」
ルークの腹部に手を当てて治療を始めるロゼ。その横ではシィルがセスナの治療を始めていた。
「すいません、リックさん。後回しになって……」
「いえ、今はルーク殿とセスナ殿を……」
リックが出血している右肩口下を抑えながらシィルにそう返す。二人とも出血は収まってきたが、意識はない。だが、このような状態になっても二人はしっかりと自分の武器を握っていた。ルークの剣は折れてしまっているのにも関わらずだ。
「まだ戦う気なの……?」
ロゼがそう問いかけるが、ルークは反応しない。そんな中、後方に下がったディオがビッチに視線を向けて判断を仰ぐ。
「どうする?」
「ケヒャケヒャ! メリムはもういらん。気にせず皆殺しにしろ!」
「なっ!?」
ビッチの非情な言葉に目を見開く一同。すぐにリックが声を荒げる。
「貴様! 仲間を見捨てるというのか!!」
「ケヒャケヒャ! メリムなどわたくしの道具に過ぎん。使えない道具は捨てるのが当然だろう?」
「外道が……」
サイアスがビッチを睨み付けるが、ビッチはそれを気にする様子もない。ランスが胸を揉みながらメリムに話し掛ける。
「おい、あのクソ親父は君を見捨てるつもりだぞ?」
「仕方ないんです……私は、ビッチ様の道具ですから……」
「……ちっ」
悲しげにそう返事をするメリム。それを聞いたランスは胸を揉むのを止め、軽く舌打ちをする。状況はあまりにも最悪。ビッチとディオに視線を向けたまま、サイアスが小声でロゼに問いかける。
「どうだ……?」
「出血は止まったけど……」
「町に戻らないとまずそうか……?」
「それが最低条件。この場にいたら、とてもじゃないけど……」
「ならば、手段は一つか……リックとフェリスもそれでいいな……?」
未だ二人の意識は戻っておらず、ロゼの見立てではこのままでは危険な状態だという。ならば、戦闘を続けるのは得策ではないだろう。サイアスが側にいるリックとフェリスにもそう伝えると、二人は無言で頷く。フェリスは少し不本意そうではあったが、それを主張していられる状況ではない。そんな会話をしていると、ディオがゆっくりと前に歩き出す。
「さて……許しも出たことだから、再開しようか。クカカカカ!」
「逃げるぞっ!!」
サイアスがそう叫んでルークを担ぐ。リックも痛む体で何とかセスナを担ぎ、通路を逆走する。ロゼとシィルもそれに続き、ウスピラとチルディも共に駆け出す。ランスもメリムを肩に担ぎ、全力で駆けだした。ランスに担がれながら困惑するメリム。
「えっ、ど、どうして私も!?」
「あんなクソ親父のところにいては駄目だ。このハイパーな英雄の俺様と一緒に来い!」
「ディオ! 追え! 殺せ!」
「言われずとも」
逃げて行くランスたちをすぐさま追いかけるディオ。こちらとディオの距離はみるみる内に縮まっていった。当然だ。ルーク、セスナ、メリムの三人を担いでいるのだから、どうしても全力で駆けることが出来ない。
「逃がさんぞ、ゴミ共。全員私の頭蓋骨コレクションになってもらおう」
「シィル。さっさとお帰り盆栽を使え!」
「は、はい。ランス様!」
「駄目……」
ランスに促されてシィルが道具袋からお帰り盆栽を取り出すが、それを使おうとするのをウスピラが止める。悲鳴にも似た声を上げるチルディ。
「ど、どうしてですの!? 今すぐ逃げないと……」
「範囲……ギリギリ奴も入っている……」
「今使えば、奴も一緒に町に来るということか……」
「…………」
お帰り盆栽は使用者の周囲にいる者も一緒に町に帰還させる。その効果範囲にディオが入ってしまっているのだ。ウスピラの言葉を聞いて、フェリスが無言で鎌を握りしめる。行くしかない。今この場でディオとまだまともに戦えるのは自分だけだ。時間稼ぎをするのは、自分しかいない。
「……フェリス」
「ん?」
突然サイアスから声を掛けられる。何事かと振り返った瞬間、彼が抱えていたルークをいきなり渡される。慌ててそれを担ぐフェリス。
「な、何を!?」
「ルークを頼んだぞ」
「お前……まさか!?」
「魔人がいるのであれば、悪魔のあんたと結界を無効化するルークは必要不可欠だ」
そう言い残して、その場に立ち止まるサイアス。同じくセスナを担いでいたため後方にいたリックがすぐに異変に気が付き叫ぶ。
「サイアス殿!」
「炎舞脚!」
迫ってきていたディオに向かって蹴り技を繰り出すサイアス。それを受け止めるために一瞬ディオが止まった瞬間、サイアスは天井に向けて魔法を放つ。
「火爆破!!」
サイアスが火爆破で通路の天井を破壊し、落ちてきた瓦礫によって通路が隔てられていく。
「ちっ……」
「行かせんよ!」
ディオが瓦礫で塞がる前に通路を進もうとするが、サイアスが蹴りを連続で繰り出しそれを阻む。積み上げる瓦礫で見えなくなっていくサイアスの姿。その背中に向かってウスピラが声を上げる。
「サイアス!」
「ウスピラ。地上に戻ったら、デートくらいはしてくれるかい?」
ウスピラの声を聞いたサイアスがいつもと変わらない口調でそんな言葉を言い残す。それを最後に、通路は瓦礫によって完全に隔てられた。
「そんな……」
「さっさと逃げるぞ。シィル!」
「はい、ランス様!」
「サイアス……」
瓦礫が邪魔をしてお帰り盆栽の有効範囲からサイアスとディオが外れる。今ならばカサドの町に帰れる。ランスに促され、シィルがすぐさまお帰り盆栽を使用する。ワープ効果によって全員の体がこの場から消えていく中、ウスピラは最後までサイアスの姿が消えた瓦礫を見ているのだった。
「ククク……一人で残るとは、愚かな奴だ」
「誰かが足止めしなければ、逃げられそうになかったからな」
瓦礫で隔たれた通路の向こうでは、ディオがサイアスを前にして笑っていた。だが、サイアスの言うとおり、天井を落としたとしても瓦礫で完全に隔たれる前にディオはすぐに追いついていただろう。この手段が現状で考え得る最良の手段だったのだ。
「悪魔が時間稼ぎをしようとしていたのを邪魔したのは何故だ?」
「女一人ここに残すほど、腐った男じゃないんでね」
ディオの問いに対し、サイアスは両手と両足に魔力を溜めながら不敵に答える。ディオはその答えを聞き、ゆっくりと右腕を上げていく。
「あの悪魔の方が殺し甲斐があったのだがな……まあいい、貴様の頭蓋骨で我慢するとしよう」
「お断りだ。地上に戻ったら、デートが待っているんでな」
ディオが手刀を振り下ろし、サイアスが炎を纏った蹴りを繰り出す。二人の攻撃が交差した瞬間、瓦礫がまた一つガラリと天井から落ちるのだった。
-カサドの町 うまうま食堂-
「いらっしゃい。あら、サーナキアちゃんじゃないの」
「お久しぶりです、フロンさん」
「ほえー、ここにランスさんがいるんですかねー」
サーナキアに連れられてトマトはカサドの町までやってきていた。トマトとフロンが互いに自己紹介をし合っていると、そのフロンにサーナキアが問いかける。
「それで、ランスはいるかな?」
「ランスの坊やだったら、今は迷宮に行っていていないよ。でも、上で待っている仲間のお嬢ちゃんたちの話じゃ、すぐ戻るらしいよ」
「それじゃあ、待たせて貰うことにします。仲間というのはシィルちゃんと……イオですか?」
自分に乱暴するよう命令を下したイオを警戒しながらサーナキアは尋ねるが、フロンは首を横に振る。
「いや。忍者のお嬢ちゃんと魔法使いのお嬢ちゃんだよ」
「忍者と言えばかなみさんです!」
「かなみ……? 離ればなれになったって言う仲間かい……って、おーい!」
「おやおや、元気なお嬢ちゃんだね」
フロンの言葉を聞いたトマトはすぐさま二階に駆けていく。説明も無しに二階へと上がってしまったトマトにサーナキアは声を上げ、フロンはそれを笑顔で見送る。二階に上がったトマトがフロンに教えられた部屋を開けると、そこにはかなみとナギの二人がいた。部屋に飛び込んできたトマトを確認し、かなみも笑顔になる。
「トマトさん! よかった、無事だったんですね!」
「かなみさんとアスマさんも無事でよかったです!」
無事の再会を喜ぶ二人。すると、二人の後方が何やらオレンジ色な事に気が付く。首を傾げながら声を出すトマト。
「オレンジ色の部屋ですかー。趣味が悪いですかねー?」
「いや、壁の色じゃなくて……」
「えっ?」
トマトが少し遠目で後ろのオレンジの物体を見る。すると、それは巨大なぷりょであった。それも二体。
「って、これはなんですかねー!?」
「外に放置するのも危険だからな。フロンに頼んで入れさせて貰った」
「いえ、そうでなくて……」
「この中にレイラさんとマリアさんが捕らえられているの」
ナギの説明ではよく判らなかったため、かなみが代わりに説明をする。巨大さに圧倒されて気が付かなかったが、確かに中にマリアとレイラが捕らわれている。
「あっ、本当です! 早く助け出してあげないと……」
「それが……このぷりょから助け出すためには、ぷりょスレイヤーという特殊な剣が必要なの」
「ぷりょスレイヤー!?」
困ったように話すかなみであったが、トマトはその言葉に大きく反応する。ナギも巨大ぷりょをプニプニと触りながら言葉を続ける。
「この闘神都市のどこかに隠されているはずなんだがな」
「ルークさんたちは今それを探しているの。もうすぐ帰ってくるはずだけどね」
「ふっふっふ……そのぷりょスレイヤーがここにあるといったら、どうしますですかねー?」
「え?」
目を丸くするかなみを前に、トマトが持っていた剣を高々と上げる。
「これがそのぷりょスレイヤーです!」
「ほ、本当に!? トマトさん、凄いです!」
「やるな、貴様」
「はっはっはです!」
鼻がぐいーん、と伸びていくトマト。そのままぶつぶつと何かを言い始める。
「これはもう、ルークさんの中のトマト株も急上昇ですかねー。やっぱり頼りになるな、トマト。お礼は俺の口づけで。駄目ですルークさん、みんなが見ていますです。ぐへへへへ……」
体をくねくねとさせながら妄想を垂れ流すトマト。ナギは至って冷静な表情のままかなみに問いかける。
「大丈夫なのか? こいつは」
「えっと……と、トマトさん。とにかくレイラさんとマリアさんを……」
二人を解放して貰おうと思ったそのとき、下の階から大量の人の気配がする。どうやらルークたちが帰ってきたようだ。ナギがそれにいち早く気が付き、口を開く。
「戻ってきたみたいだな」
「おっと、こいつはナイスタイミングです! トマトの勇姿をルークさんにも見て貰うです!」
「トマトさん、待って! 二人を解放してあげて!」
どたどたと部屋から飛び出していくトマトを追いかけるかなみ。ぷりょに取り込まれている二人が、少しだけトマトを睨んだ気がするのは気のせいではないだろう。
一階で待っていたサーナキアは食堂の扉が開いたのを見て視線を向ける。先頭で入ってきたのはランス。椅子に腰掛けていたサーナキアに気が付き、ランスが口を開く。
「ん、サーナキアちゃんじゃないか。戻っていたのか?」
「ようやく来たな、ランス! あの時の屈辱を晴らす為に特訓したボクの力を見せてやる!」
剣先をランスに向けるが、重すぎて手がプルプルと震えている。ランスが呆れたような視線を送ってくる。
「……その剣、サーナキアちゃんには重いんじゃないか?」
「そんな事は無い! この剣は伝説の名剣、騎士であるボクに相応しい剣だ。さあ、勝負だランス!」
「いやだ。スケベ合戦の勝負だったら受けてやるがな。俺様のハイパー兵器でサーナキアちゃんをめろめろにしてやろう。がはは!」
「くっ……騎士であるボクをまた侮辱する気か!」
「ランス様、それどころでは……サーナキアさん、申し訳ありませんが少し待っていてくれませんか?」
ランスの後ろにいたシィルがサーナキアに頭を下げてくる。サーナキアが不思議そうにその光景を眺めていると、ランスとシィルに続いてどたどたと大人数が食堂に入ってくる。見覚えのない人物ばかりだが、二人だけ知っている顔があった。悪魔のフェリスと、その彼女が抱えている男性。それは、腹部にべっとりと血の跡がついているルークであった。サーナキアが驚いて声を出す。
「る、ルーク! 何があったんだ!?」
「ルーク……さん……」
「嘘……」
からん、とぷりょスレイヤーが床に落ちる。ちょうどかなみとトマトが一階に下りてきたところだったのだ。ルークがフェリスに抱えられているのを見て、二人の顔が青ざめる。
「説明は後よ! すぐに二階で治療をするわ!」
ロゼが呆けている三人を一喝し、二階へと上がっていく。青ざめている二人の横を通りながら、口を開く。
「大丈夫、命には別状無いから。トーマやジルとの戦いでも生き残ったこいつが、簡単に死ぬ訳ないでしょ」
「ロゼさん……」
「治療は集中力が勝負だから、私とシィル以外は部屋に入らないこと。フェリスとリックもそれでお願い」
「ああ、判った。頼んだぞ」
「よろしくお願いします」
ロゼ、シィル、フェリス、リックの四人がルークとセスナを運んで二階に上がっていく四人。フェリスとリックは二人を運び終えた後すぐに一階に下りていき、隣の部屋にいたナギも一度部屋を覗いた後、ロゼに促されて一階に下りていった。部屋の中に残ったのはロゼとシィルのみ。廊下からフェリスとリックの気配が無くなった後、シィルがロゼに恐る恐る問いかける。
「ロゼさん、命に別状が無いって……」
「これから無くなる予定よ」
「…………」
シィルがゴクリと息を呑む。ヒーラーであるシィルには判っていた。二人とも、治療が遅れれば命が危うい状況なのだ。だが、シィルにはまだどこか気持ちの余裕があった。というのも、ロゼがあの技を使えるのを知っていたからだ。
「シィルはセスナをお願い。私がルークを治療するわ」
「はい。ロゼさん、大回復は……?」
そう尋ねるシィル。これがシィルの気持ちの余裕の要因。どんな大怪我でも立ち所に治してしまうヒーラーの奥義、大回復。これがあれば、二人は命を繋げる事だろう。だが、ロゼの口から出たのは意外な言葉。
「大回復は使わないわよ」
「えっ!? ど、どうして……」
「説明は後。急ぎなさい!」
「は、はい!」
ロゼに一喝され、慌ててセスナの治療に入るシィル。ロゼもルークの治療を進めながら、頭の中では目まぐるしく状況の整理を行っていた。
「(ルークを助けるために大回復を使うメリットよりもデメリットの方が高い……)」
解放戦後すぐに闘神都市へと飛ばされたシィルは知らなかったが、リーザス解放戦の後、ロゼがまともに動けるようになったのは三日程経ってからの事であった。大回復とは、そういう技なのだ。動けなくなった自分を見捨てていく事はしない連中だろう。となれば、みすみす足手まといを一人増やす事になるのだ。そして、それ以上に重要な事がある。
「(セルのいない今、私が倒れる訳にはいかない……)」
そう、解放戦のときはロゼ以外にも多くのヒーラーが存在していた。シィル、セル、マリス、ゲリラ軍に参加していたヒーラーや看護兵などがそれだ。だが、今この場には自分とシィルしかいない。セルも行方不明であり、生存しているかどうかも不明。こちらの仲間の人数が多い状況で、回復をシィル一人に任せる訳にはいかないのだ。
「(それに、絶対に勝たなきゃいけないあの時とも違う)」
また、解放戦の時はノスやジルへの勝利が必須であったが、今は違う。脱出が一番の目的であり、闘将ディオや魔人たちとわざわざ戦う必要は無いのだ。そのため、今の状況でルークとセスナの存在は必須ではない。男結界を無効化した事や、別れ際のサイアスの言葉からルークが魔人の無敵結界を無効化出来る可能性も考慮にいれたが、それでもルークの優先度は高くない。現状最も死んではいけない人物は、別にいる。
「(アスマ、ウスピラ、それとマリアね……)」
ロゼが念頭に置いたのは、脱出手段。第一候補はヘルマンの飛行艇の奪取だが、それが叶わなかった場合の保険を掛けておく必要がある。では、それ以外にどのような脱出手段が存在する可能性があるのか。口には出していなかったが、迷宮を探索している間に多くの魔法装置を目撃していたロゼは、この都市が非常に魔法に重点を置いた都市である事に見当がついていた。となれば、予備の脱出手段として最も可能性が高いのは、魔力を使った代物。ゼスの飛行艇も魔力で動く物だった事を考えれば、十分に可能性はある。そうなってくると、高い魔力を持った魔法使いは最低でも一人は生き残ってなければならないのだ。志津香、カバッハーン、サイアスの三人がいない今、アスマとウスピラは絶対に殺してはならない。また、ヘルマンの飛行艇を奪えた場合でもそれが壊れている可能性がある。魔力を使った代物にも言える事だが、それらが壊れていた場合に修理出来る可能性がある人材として、マリアの存在もまた必要不可欠。彼女たちが命の危機であれば大回復を使う決断もしたかもしれないが、そうでないのならば使う訳にはいかないのだ。
「(冷たい人間で悪いわね……)」
ルークの顔を見下ろしながら心の中でそう呟くロゼ。必死にヒーリングを続けているが、ルークが生き残るかは8:2といったところか。最悪ルークが死んでしまった場合、大回復を使わなかった事の非難も含め全て自分が被るつもりでいた。だからこそ、シィルをセスナの治療にあてがったのだ。ルークと親密にしているシィルやセルであれば、この判断は出来なかったであろう。非情とも言える決断だが、理を積み上げた上での苦渋の決断であった。
「(ロゼさん……)」
真剣な表情で治療を続けるロゼを見て、シィルは何かを感じ取る。流石にロゼがどのような考えの下に大回復を使わないと決断したかまでは判らなかったが、彼女が必死にヒーリングを掛け続けているのを見て、何か深い考えの下での判断なのだろうと確信する。だからこそこれ以上何も聞かず、シィルも必死にセスナの治療を続けるのだった。
「ふん……」
ロゼとシィルが治療を続けている頃、下の階ではランスが鼻を鳴らしながらメリムに向き直っていた。因みに彼女はずっと担がれていた訳では無い。食堂に戻る最中、もう逃げる気はないからと言ってきたので、担ぐのを止めて一緒に走ってきていたのだ。
「シィル……は今いないから、フェリス。ここに書いてあるものをアイテム屋で買って来い!」
「ん……こんなもの、何に使う気よ?」
心配そうに二階に視線を向けていたフェリスにランスが紙を手渡す。その内容を見たフェリスが怪訝そうにランスに尋ねる。
「当然、尋問だ! ヘルマンの軍の情報を聞き出すぞ!」
何も判っていなそうなメリムを見ながら、ランスの顔がイヤらしいものになる。それを見たフェリスは呆れたような表情で口を開く。
「こんな時でもあんたは平常運転なのね……」
「まあ、ルークなら大丈夫だろ。それよりも死んでる可能性が高いのは、あっちの優男だな。もうそろそろ殺されているかもしれん……」
ランスが平然とルークは大丈夫だと言ってのける。それは、無意識の信頼なのか。その言葉に続けてサイアスの事を口にした瞬間、机がバンと強く叩かれる。
「ウスピラさん……」
机を叩いたのは、ウスピラ。ランスを睨み付けながら、ハッキリと言葉にする。
「サイアスは生きている……」
「……ふん」
ランスがぷいと横を向く。そのとき、上の階からナギが下りてくる。ルークが運ばれているのを見た彼女は、少し、ほんの少しだけ困惑した表情を浮かべている。
「おい、何故ルークがやられているんだ? やったのは誰か教えろ、殺しに行く」
「アスマ様……お供します……」
「ちょ、ちょっと待ちなさ……」
ウスピラを引き連れてアスマが食堂を出て行こうとする。フェリスが止めようとするが、彼女が制止の言葉を言い切るよりも早く、ナギの進行を邪魔するようにリックの剣が差し出される。
「ルーク殿をやった相手に魔法は効きません。ルーク殿とセスナ殿が起きられるまで、しばしお待ちを……」
「貴様、ルークがやられたのだぞ。何を悠長に構えている。リーザス最強というのはその程度か?」
ナギが普段と変わらない口調でリックに抗議するが、直後に感じたのはリックの殺気。
「……今はしばしお待ちを。はらわたが煮えくりかえっているのは……アスマ殿とウスピラ殿だけではありません」
「……なるほど。それほどの殺気を持ちながら、今は待つという選択をするのか。ならば、直接対峙した貴様の意見に従うとしよう」
ナギが興味深げにリックの顔を見る。志津香やルークにばかり気が向いていたが、この男もまた、大陸屈指の強者。その男が敵と対峙した上でそう言うのであれば、その判断は間違いではないのだろう。
「アスマ様。ですが、サイアスが……」
「今から行っても無駄だろう。生き延びているにしても、死んでいるにしてもな」
「サイアスは……生きています……」
「貴様が言うのなら、そうなのだろう。なら、座して待て」
ナギがそう平然と言い放ち、椅子に腰掛ける。その正面に座っているのは、チルディ。特に興味もない相手なので、ナギは特に顔を見ようとしなかった。しかし、チルディの表情は以前までと比べて明らかに暗くなっている。
「(何も出来なかった……このわたくしが……何も……)」
かつてミネバと対峙したときは、こんな事はなかった。それは相手が人間だったからだろう。しかし、先程出会ったディオは違う。異質の何か。純粋な悪意の塊。プライドが高く、努力家でもあるチルディ。自分の実力には自信があった。それなのに、あの場にいた者で唯一何も出来なかったのだ。セスナは動けたというのにだ。ルークとセスナが深手を負い、サイアスが残ったことでどうしてもそちらに気がいってしまい、全員が気付けずにいた。その傷ついた心を。
-食料コア 地下四階-
ボチャン、という激しい水音が響く。そのまま激しい水の流れで水路を流されていく男の姿を見て、ディオが憎々しげに吐き捨てる。
「ちっ……これが狙いだったか……」
勇猛果敢に向かってきていたサイアスだったが、しばらくすると怯えた表情になり、逃げ回るようになったのだ。その姿が滑稽であり、怯えた人間をいたぶり殺すことが最も好みであったディオはあえてサイアスを逃げ回らせた。しかし、それは失策。こうしてサイアスには水路を利用して逃げられてしまった。思い返せば、逃げ惑うサイアスの歩みはこの水路まで最短ルートを通っていた。となれば、あれが演技だったのは間違いない。
「ククク、食えぬ男だ……」
頭蓋骨を手に入れられなかったのは残念であったが、素直に賞賛を送るディオ。そのディオを追って、息を切らせながらビッチが駆けてくる。
「おい、あのクソはやったんだろうな!」
「水路に飛び込まれた」
「なにぃ!? では、逃がしたのか!」
「どうだかな。あの出血では、死んでいる可能性も高いだろう」
ディオの発言は真実だ。サイアスも腰の辺りに深い傷を負っており、そんな状態で激しい水に流されたのであれば、死んでいる可能性の方が高いと言えるだろう。しかし、ビッチは不満げにぶつぶつと文句を口にする。
「全く……なぜ優秀なわたくしの下には無能な部下しか集まらんのだ……」
「あまり勘違いするなよ」
瞬間、ビッチの肩がディオに掴まれる。物凄い握力であり、ディオの爪がビッチの肩に食い込む。
「い、痛い! き、貴様! 爆発させられたいのか!」
「私は部下ではない……今は爆弾によって命令を聞いてやっているが、私の上には誰も立つ事は許さんよ……誰もな……」
パッと肩から手が離される。爪が食い込み、出血している箇所を自らヒーリングで治療するビッチ。興味なさげに視線を外し、水路を見るディオ。俄然興味が湧いたのは、二人の男。その二人の名を仲間が何と呼んでいたのかを思い出す。
「ルーク、そしてサイアスか……欲しいぞ、貴様らの頭蓋骨がな……ククク、カカカカカ!」
-下部動力エリア-
「すっかりパイアールを見失っちゃったわね。あ、この資料なんか役に立つかもしれないわ……」
「…………」
下部動力エリアではハウゼルとメガラスが闘神都市の調査を行っていた。かつての研究室と思われる部屋を探っていると、闘神都市の動かし方に繋がるような資料が出てくる。ハウゼルがそれを持ち帰るべく手に持つ横で、メガラスも黙々と資料を探っていた。パイアールを仕留めたいところだが、一日以上捜し回っても見つからない今となっては、闘神都市から既に撤退した可能性も高い。そのため、本来の目的である調査を優先していたのだ。
「この部屋にはもう何もなさそうね。次に行きましょう」
「…………」
ハウゼルとメガラスが部屋を出る。目の前に流れるのは水路。この辺りの水路は他の箇所と比べて流れが緩やかだ。
「埃っぽくなっちゃったわ……」
「水浴び……してもいいのだぞ……」
「……遠慮しておく」
メガラスが水路を指差すが、出発前にしていた背中に乗せるうんぬんの話を思い出し、ハウゼルがそれを断る。とはいえ、若干心残りなのか。ハウゼルが何気なく水路に目を向けると、そこには赤い水が流れていた。特に異常は無いなと視線を戻すが、すぐにおかしな事に気が付いて振り返る。
「あ、赤い水!?」
「あそこに誰かいるぞ……」
誰かが流れ着いているのを発見したメガラスは飛んでそちらに向かい、ハウゼルもそれに続く。水路から引き上げてみれば、全身傷だらけの人間の男。特に腰からは激しい出血をしている。
「人間……死んでいるの?」
「いや……」
息はあるようだが、意識を失っている。出血も止まっていないため、放っておけば命に関わるかもしれない。だが、人間界不可侵派の二人ではあるが、特に人間を助ける義理も無い。どうしようかと悩んでいると、目の前の男がぼそりと呟く。
「ルー……ク……」
「ルーク? メガラス、この人間は……」
「奴の知人か……」
こうしてサイアスはハウゼルとメガラスに発見される。そしてこの出会いは、サイアスのその後の運命を大きく変える出会いとなる。
[技]
炎舞脚 (オリ技)
使用者 サイアス・クラウン
足に炎を纏わせ敵に放つ近接専用魔法。蹴りの威力が高い訳ではないが、防御しただけでもその炎で敵にダメージを与えられる為、相手は対処が難しいという使い勝手の良い技。
[装備品]
ぷりょスレイヤー
闘神都市でトマトとサーナキアが発見した剣。巨大ぷりょを分解する効果がある。大量生産の難しい貴重な剣であり、ぷりょが大量発生しやすい地域では必需品とされている。