ランスIF 二人の英雄   作:散々

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第157話 高みへ

 

-カイズ AL教本部 祈りの間-

 

「ルーク……」

「あいつ、まだ立てるのか……」

 

 剣を杖代わりにしながら立ちあがったルークを見て、共闘しているハウゼルやサテラたちも驚愕していた。今のルークはどこからどう見ても満身創痍。とても立ち上がれるような状態ではない。それなのに、魔人である自分たちですら立ち上がれぬ状況だというのに、人間であるあの男がまだ立ち上がるというのか。驚きと共にハウゼルはどこか清々しさを、サテラは悔しさを感じていた。

 

「……はぁっ!」

 

 崩れかけの体でアリオスと戦っていたイシスが相手の顔面目がけて回し蹴りを放つ。それを首だけ動かして躱したアリオスであったが、次の瞬間にはイシスは後ろへと跳びずさっていた。そう、今の一撃はここから離脱するための目眩ましでしかなかったのだ。そのままルークの横へとやってくるイシス。

 

「ルーク。立ち上がった事は素直に褒めます。ですが、勝ち目はあるのですか?」

「ある」

「……!?」

 

 それは予想もしていなかった返答であった。意地で立ち上がったイシスであるが、アリオスの圧倒的な力量は十分に把握している。そして、最早こちらに勝ち目がないという事も。そういった事もあり、今の質問は軽い冗談に過ぎなかったのだ。だが、この男は勝機があると言った。自然と口元に笑みが浮かぶ。

 

「素晴らしい。それでこそ貴方だ。それで、私は何をすればいい?」

「二十……いや、三十秒あいつを足止めしてくれ」

「了解しました。例えこの身が朽ちようとも果たさせて貰います」

「回復の雨!」

 

 アリオスから視線は外さずに会話をしている二人。その頭上から治癒の雨が降り注ぐ。この場でこれを使える仲間は一人しかいない。ロゼだ。回復の雨を使いながらこちらに駆け寄ってくる。

 

「話は聞こえなかったけど、状況から見るにラストアタックよね?」

「ああ、そうなるな。次の攻防で全てが決まる」

「……勝ち目はあるのね?」

「ああ、ある」

「そう……なら、死ぬ気で掴み取って!」

 

 ロゼのその言葉が合図になったかのように、アリオスの体から闘気が拭きだした。その闘気の中心は彼の持つエスクードソード。まるで意志を持っているかのように強烈かつ神々しい闘気を放っている。

 

「ねぇ、最後の話し合いは済んだかしら? もう殺して良いのよね?」

「行ってきます! 後は任せました!」

 

 コーラが邪悪な笑みでこちらに問いかけてくるのと同時に、イシスが弾かれたように飛び出していった。既にイシスは一人でアリオスと戦い続けており、その体はボロボロ。左腕と右足首が切断されている現状で満足に戦えるはずがない。ハッキリ言って、三十秒という注文は無茶であった。それでも彼女は文句一つ言うことなく、即断でそれを受けた。彼女もまた、紛れもない戦士だ。

 

「大回復をやっている暇はなさそうね……ヒーリングだけでも掛け続ける?」

「ああ。ギリギリまで頼む」

 

 ロゼの大回復は強力な魔法であるが、その分発動までに時間が掛かる。時間にして二分から三分ほど。それだけの時間をアリオスがわざわざ見過ごすとは思えない。必ず妨害が入る。リーザス解放戦においても戦闘が済んだ場所で仲間の兵士に囲まれているという安全な状態だったからこそ使えたのだ。ロゼのヒーリングを背中越しに受けながら、ルークが静かに腰を落とす。それは、真空斬の構え。

 

「(真空斬……? それが勝ち目だっていうの?)」

 

 余計な事を聞いて集中を欠くわけにはいかないため、ロゼが心の中で小さく呟く。ルークの見つけた勝ち筋というのは、ある意味ルークの技の中では威力の低い部類に入る真空斬だというのか。

 

「…………」

 

 ルークは何も語らず、呼吸を整えながら静かにブラックソードに闘気を溜めていた。ルークの言ったように、次の攻防で全てが決まる。既に満身創痍のこちら側は長期戦に持ち込めるだけの体力がない。長きに渡る死闘の決着というのは、得てして一瞬で決まるものなのだ。

 

「てやぁぁぁ!!」

 

 イシスが剣をかち上げるが、アリオスはそれをエスクードソードで受け流す。そして生じる、僅かな隙。本来であればそこに一撃を撃ち込むのは難しい、そんな一秒にも満たないレベルの隙だ。だがイシスの動きを見切っているアリオスは、その隙を見逃さない。

 

「二式、ショウキ!!」

 

 ドゴォッ、という轟音と共に胴体の破片が砕け舞う。そのまま崩れ落ちてしまいそうな程に強烈な一撃だ。イシスは思う。今自分はどれだけ時間を稼いだ。体感的には二十秒程だ。なるほど、先程ルークは始めに二十秒と言いかけた。それは自分の限界を考えての時間だったのだろう。だが、あの男はその後に時間を言い直した。それはどういう訳か。それだけの時間が必要だったというのが一つ。そして、自分ならばその時間を稼いでくれると期待したというのがもう一つだろう。

 

「(ならばその期待に応えぬ訳にはいかないな……)」

 

 折れかけていた膝を必死に堪え、意地で一歩前に出るイシス。アリオスの体にもたれかかるように体を預けたのだ。この行動は予測出来なかったらしく、驚いた表情を作るアリオス。

 

「……!!」

 

 そのアリオスを見上げながら、イシスは残っている左足に力を込めて右足を勢いよく振り上げる。ゼロ距離からの膝蹴りだ。まだ一度も見せた事の無い攻撃パターンであるため、あわよくば一撃入れられるかもしれないと考えて放った攻撃だ。直後に轟音が響き渡るが、その音には金属音も混じっていた。

 

「くっ……」

 

 イシスが苦悶の声を漏らす。その膝とアリオスの体の間には、エスクードソードが差し込まれていた。そう、アリオスはすんでのところでイシスの一撃をエスクードソードでガードしていたのだ。

 

「もしお前の体が万全な状態なら、俺に一撃与えられたかもしれないな……」

 

 アリオスがポツリとそう漏らす。今の一撃をアリオスがガードできたのは見切りではない。単純にイシスの動きが遅かったのだ。無理もない。胴体は20パーセントほど崩れ、左腕と右足首もない。こんな状態で全速を出せる訳がないのだ。

 

「勇者め……」

「一式、ハヤブサぁぁぁぁ!!」

 

 イシスの体を鎌鼬が襲い、勢いよく後方の壁へと吹き飛ばされる。正面と背後、両方から襲う衝撃にイシスが息を漏らすが、同時にニヤリと笑みを浮かべた。

 

「だが……果たしましたよ、ルーク……」

「ああ……よく粘ってくれた、イシス!」

「……!?」

 

 アリオスがすぐさまルークの方に向き直って身構える。ルークが闘気を溜めているのは判っていた。だが、アリオスはイシスを倒すのを優先した。なぜならば、ルークにはもう自分を倒せる手立てはない。そう考えていたからだ。そしてその考えは、今も変わっていない。

 

「(ルーク……もう無理だ……)」

「(舐めるなよ、アリオス……)」

 

 どこか哀れみを含んだ視線をルークに向けるアリオス。もうお前に出来る事は何もない、だから立ち上がるな。その目がそう物語っている。だがそれは、戦士に対しては侮辱でしかない。アリオスは勇者である。その事実は変わらない。だが、それ故にあの男は戦士の気持ちを理解していない。

 

「真空斬、フルパワー!!」

 

 極限まで闘気を溜めたブラックソードをルークが振り抜く。同時に、強大な闘気の塊がアリオス目がけて一直線に飛んでいった。ビリビリと大気が震え、床に散らばっていた破片が舞う。それだけの威力。だが、アリオスは冷静な表情を崩していない。

 

「(ルーク……申し訳無いが、お前の考えは読めている……)」

 

 迫り来る真空斬を前に、アリオスは構えていたエスクードソードを一度下げた。そのまま横へと駆け出す。極限まで闘気の溜めた真空斬はいつもより攻撃範囲が広いが、それでもまだ自分であれば十分に避けられる。視線はルークから逸らすことはせず、アリオスが今の一撃の真意を見抜く。

 

「(真空斬は逆転の切り札なんかじゃあない。それしか選択肢が無かっただけだ。その後に続く、あの移動術への目眩ましがな……)」

 

 アリオスの考えはこうだ。ルークの切り札はやはり先程の移動術。あれしか自分に一矢報いる手段は無い。では、この真空斬は何か。それは、移動術へと繋げる方法がこれしかなかっただけに過ぎない。何の前触れもなく移動術を使うよりは、直前まで違う攻撃で気を逸らしてから使用して方が成功率は高い。一度破られる前は接近戦を挑みながらその機会を見極め、真滅斬から移動術へと繋げた。あの時はそれが出来た。だが、今は違う。接近戦を挑む程の体力がルークには残されていない。下手に挑めば、移動術を使う前にやられてしまうだろう。だからこそ、選択肢が真空斬しかなかったのだ。闘気を最大まで溜めた真空斬であれば、確かに無視出来ない威力に跳ね上がり、目眩ましとしては十分になる。

 

「(もし俺がエスクードソードでこれを迎撃すれば、その隙をルークはついてくる)」

 

 撃ち落とす事は可能だ。全力の一式ハヤブサで軌道を逸らす。あるいは五十三式で消滅させてもいいし、七十二式であの技そのものを無かった事にしてもいい。だが、アリオスの選択はどれでもない。これから自分に移動術で向かって来るであろうルークを迎え撃つため、この一撃は全力で回避する。

 

「……!?」

 

 そして、その時は来る。全力で駆けていたアリオスが最後には飛び込むような形になりながらも真空斬の一撃を回避したと同時に、ルークの足が動いたのだ。筋肉が収縮したのをアリオスがその目に映した次の瞬間には、ルークの姿が消えていた。同時に感じ取る、大気の震え。

 

「(足の動き、視線、大気の震え……見えているぞ、ルーク! お前は直後に俺の左背後に現れ、攻撃を仕掛ける。だが、お前の一撃よりも俺の一撃の方が速い!)」

 

 アリオスが今は誰もいない空間、自信の左背後を振り返りながら剣をかち上げる。このタイミングであれば、自分の勝ちだ。ルークは移動し終えてから攻撃に入るが、自分はルークが移動してきたのと同時に斬るのだ。ルークに為す術はない。このやり取りがかろうじて見えていたのは、この場ではイシス一人。それもそのはず、これは既に高速の域のやり取り。だからこそ祈る。あの場にルークが現れない事を。

 

「……!?」

「取ったぞ、ルーク!!」

 

 だが、その願いは届かない。アリオスが剣をかち上げていたその先にルークは現れてしまう。韋駄天速の軌道が完全に見切られたのだ。イシスの胸中を絶望が占めるのと同時に、アリオスが自身の勝利を確信する。ルークは今剣を構えているだろうが、その剣よりも先に自分のエスクードソードが到達する。逃げ場はない。

 

「……な……に……?」

 

 だが、アリオスは現れたルークの姿を見て目を見開く。自分が想像していたのは、剣を構えて今正に攻撃に入ろうとしている状態のルークの姿。だが現実に目の前にいるのは、剣は手で握っているものの下げており、代わりに何か小袋を放り投げているルークの姿であった。そしてその小袋は、アリオスの剣の斜線上にある。駄目だ、もう止められない。あの小袋は何だ。何かの攻撃手段か。必死に頭を巡らせるアリオスだが、考えが纏まるよりも先に自身の剣が小袋を両断する。二つに分かれた小袋から出てきたのは、粉塵。キラキラと光る大量の粉が舞い散り、至近距離にいたアリオスはそれを吸い込んでしまう。

 

「なっ……ごほっ、ごほっ……」

「あ、あれは……!?」

 

 サテラが突如大声を出す。あの粉の正体に気が付いたからだ。当然だ。忘れようはずもない。

 

「パラライズの粉だ!!」

 

 パラライズの粉。かつて史上最強の暗殺者としてその名を馳せていた暗殺者パラライが生み出した魔法の粉だ。この粉は対象を麻痺させる効果を持つ。かつてリーザス解放戦の際、ランスはミリから貰い受けたパラライズの粉を使い、魔人サテラに勝利している。忘れっぽいサテラと言えど、屈辱的な敗北を生み出したこのアイテムは忘れていなかったらしい。その勝ち方は当然ルークも聞き及んでいた。

 

『ルーク、ランス、ほらよ。パラライズの粉だ』

 

 そして、あの戦争でミリからパラライズの粉を貰い受けていたのはランスだけではない。これまで使う機会が無かったために道具袋の中で眠り続けていたが、ルークも確かにミリからパラライズの粉を貰い受けていた。

 

『麻痺させるという事は、これを美女に使えば……ぐふふ……』

 

 ルークがランスならばどう戦うかと考えて思い至ったのが、このパラライズの粉であった。サテラがこの場にいた事も思い至れた大きな要因の一つだ。ランスならば確実にこうする。持っているものを全て使い、その上で勝利を掴み取る。

 

「ぶはっ……」

 

 咳き込むアリオスを見ながらルークが剣を構える。かつてパラライズの粉によってサテラに勝利したランス。そんなランスの戦法を模索しながら、そのサテラの目の前でパラライズの粉を使う。どこか運命的なものを感じながら、ルークが咆哮する。

 

「はぁぁぁぁぁぁ!!」

「いけるわ……」

「パラライズの粉はむかつくけど、ここまで来たら絶対に勝て、ルーク!!」

「カテ!!」

「ルーク……行け……!」

「そのむかつく勇者様の鼻っ柱、へし折ってやんなさい!!」

 

 ハウゼルが、サテラが、シーザーが、イシスが、そしてロゼが声を張り上げる。それは夢のような光景。ロゼはともかく、他の四人は人類を蹂躙する魔人とその部下。その四人が人間を応援しているのだ。理解出来ない。コーラにはこの光景が理解出来ない。だが、それでも一つだけ理解している事がある。

 

「真滅斬!!」

 

 それは、勇者に敗北はないという事だ。

 

「……っ」

 

 まるで時が止まったかのような静寂が部屋を包む。アリオスを斬り伏せるはずだったルークの一撃が空を斬ったのだ。麻痺して動けないはずのアリオスは、いとも容易くルークの一撃を躱して見せた。絶句する一同。何故あの男は動ける。パラライズの粉は強力な麻痺薬だ。敏感だったからという理由もあるとはいえ、魔人であるサテラすら麻痺させた実績のあるアイテム。いくら勇者といえど、麻痺しない訳がない。剣を振り下ろした体勢のまま呆然としているルークに対し、アリオスがゆっくりと口を開いた。

 

「悪いが、パラライズの粉の痺れならもう知っている……」

 

 その言葉を聞いたルークの脳裏に蘇ったのは、戦闘前にコーラが語った勇者特性の一つ。

 

『例えばスリープの呪文のように身体に影響を及ぼす攻撃には、一度受けると体に抗体が出来て二度と効かなくなるのよ』

 

 確かに言っていた。体に抗体が出来ると。だがそれは、攻撃魔法の類に対してだけだと思っていた。勝手に勘違いしていたのだ。アイテムの効果は勇者特性の範囲外だと。いや、もしその考えに至れていたとしても、人間であるアリオスがパラライズの粉を食らった事があるという考えまでは至れなかっただろう。アイテムを使ってくるモンスターは殆どいない。そのような経験を積む機会などそうはないはずなのだ。勝機は確かにあった。アリオスがパラライズの粉の痺れを経験していなければ、勝てたはずなのだ。

 

「(それすらも、勇者の幸運だとでも……)」

 

 パラライズの粉による戦法に辿りついたのはルークの経験から来るものだ。ミリから貰い受け、ランスの戦法を聞き、サテラの姿を見て思い至った。それと同じように、アリオスがパラライズの粉を食らった経験があるというのも今この時の為の幸運だったのではないだろうか。そう、全ては勇者の為に。

 

「避けなさい、ルーク!!」

 

 ロゼが絶叫する。だが、既に満身創痍のルークにはそれを成す事は出来なかった。

 

「六式、サバキ!!!」

 

 凶刃が振り下ろされ、ルークの鎧が砕け散る。鮮血が舞い、膝が折れる。それが全てを物語っていた。ゆっくりとその場に崩れ落ちていくルークを見ながらロゼは静かに目を閉じ、イシスは拳を壁に叩きつけていた。

 

「だから、勇者には勝てないって言ったのに……」

 

 前のめりに倒れたルークは愉快そうにそうコーラが呟くのを聞きながら、その意識を手放した。血溜まりが広がっていくが、ルークはピクリとも動かない。今ここに、ルークは完全敗北を喫したのだ。

 

「…………」

 

 最早声を発する者はいない。ハウゼルたちは敗北を噛みしめ、アリオスも一度は共に戦った男をこの手で斬り伏せた事に思うところがあるのだろう。だから、この状況で声を発する者がいるとすれば唯一人。

 

「さあ、アリオス! トドメを刺して!」

「コーラ、そこまでする必要は……」

「何を言っているの? 私たちはこれから逃げたリトルプリンセスを追わなきゃいけないのよ。後ろから追ってきて妨害する可能性のあるこの悪しき者たちは、しっかりと駆除しておかないと!!」

 

 コーラの声が響く。確かに正論だ。倒せる悪を見逃して、その悪が後に自分たちの障害になるなど馬鹿らしいにも程がある。だが、目の前のルークは本当に悪なのか。

 

「…………」

 

 自分と魔王の間に割って入ってきたルーク。魔人たちと手を取り合い、自分に向かってきた。そして最後まで彼女たちを見捨てる事無く、戦い抜いた。

 

「アリオス!」

「…………」

 

 コーラの声に促されるように、アリオスがゆっくりと剣を振り上げた。ルークにトドメを刺すつもりなのだ。

 

「すまん、ルーク……」

 

 そう小さく呟き、剣を振り下ろそうとするアリオス。だが、突如その手が止まる。目の前には、特徴的なピンク色の髪の少女。涙目で、されどこちらに何かを訴えかけるような目で自分を睨み付けながら、その少女は両手を大きく広げてそこに立っていた。それはまるで、ルークを庇うために割って入ってきたように見えた。だが、そんなはずはない。なぜなら、この少女は……

 

「魔王……リトルプリンセス……」

「…………」

 

 呆然とするアリオス。だが、驚いたのは彼だけではない。

 

「リトルプリンセス様!?」

「なんでここにいんだよ!」

「美樹ちゃん、駄目だ! 逃げて!!」

 

 健太郎と共に逃げたはずの美樹が何故この場にいるのか。焦るハウゼルとサテラであったが、直後に部屋に飛び込んで来た健太郎の姿を見て全てを察する。この二人は戻ってきてしまったのだ。恐らく、自分たちを心配して。その気持ちに平時であれば感動しそうなものだが、今は違う。一刻も早く逃げて欲しい。

 

「カモがネギ背負って帰ってきたわ!! アリオス、魔王を斬りなさい! 散々痛めつけた後に、私が封印するわ! さあ、早く!!」

「…………」

 

 コーラの声がどこか遠く聞こえる。それだけの何かが目の前の少女にはあったのだ。威圧感ではない。魔王の強さによる恐怖でもない。これは、意志の力。命を狙われている少女が、今正に殺されようとしている仲間を守るために死地に舞い戻ってきたのだ。そして今、自分を激しく睨み付けている。何の意味も無い。睨みでは人は殺せない。

 

「アリオス! 早く!!」

「リトルプリンセス様、逃げてください!!」

「俺は……」

 

 だが、美樹の睨みはアリオスに躊躇を生んでいた。魔王という肩書きだけで襲い掛かっていた時は何も感じなかった。だが、良く見ればただの少女でしかない。筋肉もなければ武器も持っていない、脆弱な少女。こんな少女を勇者の自分が斬り捨てるというのか。額から汗が流れる。自分は何か、取り返しのつかない間違いを犯していたのではないだろうか。

 

「もうこれ以上、みんなを傷つけないで……」

「……!?」

 

 震えるような声で目の前の少女が言葉を紡ぐ。それは到底魔王が発したとは思えぬ言葉。

 

「(出来ない……)」

「アリオス!!」

「(俺はこの少女を……殺せない……)」

 

 アリオスの心が折れたその瞬間、まるでそれに反応するかのように振り上げていたエスクードソードが光を発した。

 

「きゃっ……」

「ナンダ!?」

「しまった!? まさか……」

 

 何が起こったのか判らない一同は剣に視線を集中させるが、コーラだけが自身の持っていた懐中時計のようなものに視線を落とした。表示されている数値は2億9701万6254.5。付属されている目盛は僅かにだが10を切っている。それが意味するのは一つ。

 

「エスクードソードが錆びていく……」

 

 眩い光を発していたエスクードソードがビシビシと錆を纏っていく。そう、今この瞬間世界の死滅率が10パーセントを割ったのだ。元々ギリギリで解禁まで漕ぎ着けたエスクードソードは、それ程までに綱渡りな状態であったのだ。だからこそ、コーラは魔王の撃退を急かしていた。だからといって、こんなタイミング良くエスクードソードの解禁が切れる等という偶然があっていいのか。コーラは知らない。アリオスが魔王リトルプリンセスの殺害を躊躇したことを。殺せないと思ってしまった事を。故に呼び込む。勇者の幸運が、魔王リトルプリンセスを殺さなくて良い状況を。

 

「…………」

 

 アリオスが無言でゆっくりと剣を下げていく。それを見たコーラは目を見開き、声を荒げた。

 

「何をしているの、アリオス! 例えエスクードソードが無くても、無敵結界を無視出来る貴方なら魔王を倒す事は……」

「コーラ、もう無理だ……」

 

 コーラの声を遮り、アリオスが錆びたエスクードソードを腰に差す。そして、部屋の中を見回す。美樹を筆頭に、ハウゼル、サテラ、シーザー、イシス、ロゼ、健太郎、その全てが自分を睨み付けている。こちらはほぼ無傷、あちらは美樹以外手酷い傷を負っている。これが勇者の作り出した状況だというのならば、何と皮肉な事か。そして、ゆっくりと視線を床に倒れているルークに移す。意識がないのは見て取れる。だが、アリオスはこの男に言わない訳にはいかなかった。

 

「ルーク、俺はお前との一騎討ちには勝った……だが、俺はもうリトルプリンセスを殺せない……」

「なっ……!?」

 

 アリオスの信じられない発言を聞いてコーラが絶句する。魔王を倒すために存在している勇者が、もう魔王を倒せない、倒す気がない、そう宣言したのだ。エスクードソードが錆びたからだろうか。いや、違う。そうではないとアリオスの目が物語っている。あれは完全に戦意を失っている。

 

『ルーク……それがお前の答えか……? それがお前の正義なんだな……?』

『ああ。リトルプリンセスは殺させない!』

 

 アリオスの脳裏を過ぎるのは、ルークが自身に刃を向けてきた時の言葉。それを噛みしめるようにしながら、ゆっくりと言葉を続けた。

 

「リトルプリンセスを殺させない。その一点においては、この勝負お前の勝ちだ……」

 

 ルークの耳には届いていない。だがそれは、勝利を約束された男の確かな敗北宣言であった。勝者なき死闘、後にこの戦いはそう呼ばれる事になる。

 

 

 

-精神世界-

 

「(負けた……完膚無きまでに……)」

 

 周囲に灯りはなく、真っ暗な空間にルークはいた。天国か、地獄か、はたまた今際の際に見ている幻の場所か。ルークは仰向けに倒れており、その意識はぼんやりとしていた。考えるのは、アリオスに敗北した事。最善の手は尽くした。出来る事は全てやった。だが、負けた。悔しさと、圧倒された事に対するどこか達観した気持ちがルークの胸にはあった。ここまでの完敗、そうはない。瞬間、足に激痛が走る。誰かが自分の足を蹴ったのだ。

 

「いい加減起きろ」

「ぐっ……」

 

 げしっ、ともう一発足に蹴りが飛んできた。それと共に聞こえてきた声で蹴りを放っている者が誰だか判る。いや、正直声を聞かずとも判っていた。こういう状況で会うのは一人しかいない。

 

「ジル……」

「久しぶりだな。気分はどうだ? 負け犬」

 

 特徴的な青い髪と清廉な顔立ち。ルークの予想通り、そこに立っていたのは先々代魔王ジルであった。直球な物言いだが、どこか嫌味はない。静かに微笑みながらルークは体を起こし、座ったままの体勢でジルを見上げながら言葉を返す。

 

「最悪だな。悔しさしかない」

「馬鹿が……あれはこの私ですら監視していた存在だぞ」

「そういえば、お前でも勇者は怖れたんだったな」

 

 ルークがそう口にした瞬間、三度ルークの足に蹴りが飛んでくる。

 

「馬鹿を言え。勇者如き私の敵では無い。部下の魔人を殺されるのが面倒だったから監視していたに過ぎん」

「ふっ……」

 

 ジルの返答を聞いたルークは静かに微笑む。そうだ、この言い振る舞いこそが魔王ジルだ。

 

「それで、どうするつもりだ?」

「何がだ……?」

「惚けるな。今回の件で、貴様は自分の限界が見えたはずだ。ただの人間でしかないお前の限界がな……」

 

 その言葉がズシリと胸に響く。ジルの言う通りだ。今の自分では逆立ちしてもアリオスには勝てない。今までも遙か格上との戦闘は経験してきていた。だが振り返って見れば、自分は万全の状態の格上に勝った事が無い。トーマ・リプトンは疲弊していた上に病気持ち。魔人アイゼルは無敵結界が破られた動揺につけ込んでの奇襲。魔人ノスも仲間たちが大きな手傷を負わせていた。ジルに関しては数パーセントの実力しか出せない状態であり、その上20人近くで戦った。ユプシロン戦は魔人と共闘し、パイアールの腕を切断したのは奇襲。ディオも相手が何故かボロボロの状態で現れたからこそ奇跡的な勝利を掴めた。

 

「お前はまだ壁を越えていない。このままでは壁の向こう側にいる連中には勝てんぞ」

 

 壁の向こう側と聞いてルークが思い浮かんだ者たち。ホーネット、メガラス、ノス、ジル、まだ見ぬ魔人ケイブリス、ディオ、ユプシロン、アリオス。魔人や闘将、勇者といった存在との間にそびえ立っている人間の限界という壁。ルークはまだこの壁を越えていない。いや、人間という器では一生越える事は出来ないかもしれない。

 

「貴様が達成しようとしている夢の無謀さが判ったはずだ。それでも尚、貴様は前に進むのか?」

 

 これまでの戦いは、言わば序章に過ぎない。人間たちをまとめ上げ、魔人たちと全面戦争が始まってからが本番なのだ。それからの戦いは一段階も二段階もレベルが上がるだろう。それこそ、壁の向こう側にいる連中との戦闘も有り得る。そうとなれば、今のままでは夢半ばに倒れる事は必至。ジルはそれを指摘しているのだ。

 

『待っています、ルーク!』

 

 だがそれでも、ルークに迷いは無い。狂人の考えだという事など、無謀な夢だという事など、とっくに理解している。

 

「それでも俺は前に進むさ。その先に破滅しか無くても、迷わず突き進めと教えてくれたのはお前のはずだろう?」

 

 ルークの返事を聞いたジルが、一瞬だが嬉しそうな笑みを浮かべた気がした。次の瞬間、四度ルークの足に蹴りが飛んでくる。

 

「つっ……お前、さっきから何を……」

「足だ」

 

 先程から何故かジルは執拗に足を蹴ってくる。その事に苦言を呈そうとしたルークだったが、その言葉はジルに遮られる。

 

「……?」

「足を鍛え上げろ。徹底的にな」

 

 自身を見下ろしてくるジルを見上げながら、ルークは今の言葉を頭の中で反芻する。足を鍛えろ、その言葉が意味するところは一つしかない。

 

「韋駄天速を……?」

「ああ、貴様はそう名付けたんだったな。そうだ。真空斬も真滅斬も虎影閃も龍爆斬もこれ以上強化の必要は無い。韋駄天速、ただそれだけを磨き上げろ」

「それは流石に極端じゃないか……?」

「よもや貴様、人間である貴様が生み出した技と、魔王であるこの私の移動術が同格だとでも思っているのではあるまいな」

 

 ギロリとジルに睨まれる。確かに反論は出来ない。韋駄天速は体への負担こそ大きいが、その効果はルークの持つ技の中でも頭二つほどは抜けている。

 

「貴様が唯一壁の向こう側にいける可能性を秘めた技だ」

「…………」

 

 ルークが自身の足に視線を移す。今は二回しか撃てず、それも一回撃つ毎に足がボロボロになっていく、完全なる諸刃の剣。だがもしこの技をもっと多用できれば。デメリットをもっと減らす事が出来れば。あるいは、更なる段階に発展させる事が出来れば。

 

「壁の向こう側に……」

 

 ルークは静かに拳を握る。その目には闘志が宿っているのが確かに見て取れる。言葉通り、まだこの男は少しも自分の夢を諦めていない。すると、世界が徐々に歪み始めた。

 

「ん……これは……?」

「どうやら目覚めるようだな。これでしばしの別れだ」

「しばしの別れ……?」

「いい加減貴様も気が付いているだろう? 私の方は違うが、貴様が私と繋がっているのは貴様が死にかけた時だけだ」

 

 ジルに言われて今までジルの幻を見た時の事を思い返す。一度目はディオに腹を貫かれて死にかけた時。二度目は闘神都市脱出前のディオとの死闘、韋駄天速を初めて使用した時。確かにあの時も脇腹の肉を抉られたりして意識が朦朧としていた。そして三度目。アリオスに致命傷を受けた今。なるほど、確かにどれも死にかけている。

 

「これだけ助言を受けて、迷わず突き進むと宣言して、その上ですぐに死にかけますと情けない事を言うつもりじゃああるまいな?」

「……そうだな。約束しよう、ジル。俺はもうお前の幻を見ない。誰にも負ける事なく、夢を達成してみせる」

 

 それは、ルークの新たな誓い。これまで何度も窮地をこの魔王に救ってきて貰った。道を指し示して貰った。その繋がりを、今断ち切る。これからは自らの手で突き進む。

 

「それは困る。それでは流石に退屈だ。適度に死にかけろ」

「お前な……」

「くく……くくく……」

「ふふっ……」

 

 二人の笑い声が木霊する中、世界が歪んでいきルークの体が徐々に消えていく。

 

「精々足掻けよ、ルーク」

「ああ、そうさせて貰う」

 

 そう言い残し、ルークの姿が四散した。真っ暗な空間に残されたのは、ジルただ一人。ふん、と鼻を鳴らし、今はいなくなったルークの座っていた場所を見ながらポツリと漏らす。

 

「これで暫くは退屈だな……そろそろ本格的に例の計画を考え始めるか」

 

 その言葉が何を意味していたのか、今はまだ誰にも判らない。

 

 

 

-リーザス 天才病院-

 

「……んっ」

 

 ルークの意識がゆっくりと覚醒していく。見覚えの無い天井だ。真っ白な天井に少し眩しいと感じられる電灯。そして、女性のすすり泣く声。

 

「……なのよ、アンタの事が……」

「…………」

「お父様とお母様だけじゃなく、アンタまで失ったら……私はどうすればいいのよ……」

 

 ベッドの上に横たわっているルークの横に座り、俯きながらボロボロと泣いている少女。緑色の長髪が特徴的な、共に復讐を誓い合った少女だ。その彼女が今、泣いている。疑いようもない。理由は自分だ。

 

「ルーク……!?」

 

 俯いていた少女が目を見開く。自分の頭にソッと手が添えられたのだ。ゆっくりと頭を上げていくと、そこには目を開いてこちらに微笑み掛けているルークの姿。

 

「すまん、志津香。心配をかけた」

「あ……あ……」

「こちらがルークさんの病室になります」

 

 志津香が感極まっていたその時、ガラリと後ろの扉が開く。入って来たのは、病院の医師と思われる女性と、小太りの男性。そしてその後ろからもぞろぞろと人が入ってくる。その中には、志津香と同じ町に住む少女たちの姿もあった。

 

「あれ……? 起きてる……」

「ルークさんが目覚めてる!!」

 

 先頭に立つ女性医師がそう声を漏らすとほぼ同時。最初に叫んだのは位置的に一番ルークの姿が見えやすかったマリアであった。そしてそれは雪崩のように起こる。

 

「リュゥゥクしゃぁぁぁん!!」

「うわぁぁぁん!!」

 

 バタバタと涙ながらに駆けてくる少女が二人。とはいえ病み上がりの人間に飛び掛かるのは危険なため、その辺りは上手い事ミリや真知子が窘めて事なきを得る。ルークの目の前までやってきた少女、トマトが涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を近づけてきた。

 

「良かったですぅぅぅ……死んじゃうかと思ったですかねー……」

「すまない。心配をかけた」

「ルークさん……ぐすっ……えぐっ……」

「……エリーヌちゃんか」

 

 トマトと共にこちらに駆けてきていたのは、ハピネス製薬のご令嬢であるエリーヌ・ハピネスであった。驚いて視線を上げると、先程女性医師と共に部屋に入ってきた小太りの男性と目が合う。ペコリと頭を下げてきたその人物はハピネス製薬社長、ドハラス・ハピネスであった。

 

「ドハラス社長……」

「お久しぶりです、ルークさん。それと、ひとまず意識が戻ってくれた事にホッとしています」

「今回の件で協力してくださったんですよ」

「マリス……」

 

 スッと扉の影から現れたのは、リーザスの侍女マリス・アマリリス。

 

「驚きましたよ。AL教が重体の貴方をリーザスへと運んできた時は……」

「AL教が……?」

「はい」

 

 話は四日ほど前に戻る。AL教がうし車でリーザスへと運び込んできたのは、重体の『解放戦の英雄』であった。その報告を受けたリアは驚き、すぐに天才病院へと運び込む事を指示。同時に大回復を使用できる神官、ロゼを招集しようとしたが、AL教信者からこう告げられた。

 

『ALICE様からのお達しです。此度の怪我を治療するために大回復を使うのを禁ず。運命に身を任せよ、との事』

 

 これを聞いたリアは困惑。そんなお達しなど聞いた事が無い。とはいえ、AL教を敵に回すわけにもいかない。結局リアは天才病院に所属する天才医師、アーヤ・藤ノ宮に全てを任せるしかなかった。傷は深く、治療は困難を極める。だがそこに一つの助け船が来た。ハピネス製薬だ。まだ市場に流れてはいないが、安全性に問題が無く治癒効果も高い薬をドンドンとこちらに流してくれたのだ。聞けば、ハピネス製薬もルーク・グラントには恩義がある身との事。こうして多くの人の協力の下、ルークは一命を取り留めたのだった。

 

「そうでしたか……すいません、ドハラス社長。多大な迷惑をかけたようで」

「いえいえ。気になさらないでください」

「リア様は貸し1だと言っていましたよ、ふふ……」

「でかい貸し1になりそうだな」

 

 ドッと部屋に笑いが起こる。マリスもハピネス製薬の関係者以外は付き合いの長い面々しかいないため、こういった冗談を飛ばしたのだろう。

 

「それじゃあ目が覚めた事だし、脳に異常が残っていないかの検査をしますね。準備してくるんで、その間は自由に歓談していてください。但し、病み上がりですから無理はさせない事」

「大丈夫よ、アーヤ。私がついていますから」

「よろしくね、マリス」

 

 女性医師、アーヤ・藤ノ宮が部屋から立ち去っていく。それを見届けてから、部屋の空気が少しだけ弛緩する。やはりルークが目覚めた事にどこかみんなホッとしたのだろう。

 

「ルークさん……」

「ラン……仕事は良いのか……?」

「こんな時くらい……側にいさせてください……」

「……悪かった」

 

 瞬間、キラリとランの頬を涙が伝う。そのランの肩をミリがグイっと引き寄せ、自身の胸に顔を押しつける。ルークに泣いているところを見せないようにしたのだ。そしてそのままミリは言葉を続ける。

 

「ルーク、一体何があったんだ? AL教もそこには触れるなと言っているみてぇだしよ」

「……すまん、言えない」

「……そうか」

 

 ミリがズバッと切り込んでくる。AL教が触れるなという点を聞いてくる辺りは、何とも剛胆な性格だ。だが、あの件を口にする訳にはいかない。魔王、魔人、勇者、そして自分の立場を危うくしてまで中に入れてくれたロゼ。話してはいけない事が多すぎる。そしてルークが話せないと判断した事に、ミリは素直に納得する。それだけの信頼があったからだ。

 

「……そういえば、ロゼは?」

 

 ここに来てルークはロゼがいない事に気が付く。その問いに答えてくれたのは、真知子。

 

「AL教に呼び出されているみたいです。まだお見舞いにも見えてないようです」

「……マリス、ちょっと良いか?」

「……何か?」

 

 ルークがマリスを呼び寄せる。近寄ってきたマリスに対し、ルークはソッと耳打ちをする。

 

「俺を運び込んだAL教員の中に、ロゼはいなかったのか?」

「…………」

 

 無言で首を横に振るマリス。おかしい。あの状況であれば、ロゼが自分を運び込むのが普通のはずだ。ロゼは一体どこへ姿を消してしまったのか。

 

「(……今回の件にはロゼさんも関わっている?)」

「(ルークさんとロゼさん……そしてAL教……)」

 

 そして、マリスと真知子が同時にある事を察する。謎多きこの件には、ルークの他にロゼも関わっていると。マリスは直接聞かれたため、真知子はルークとマリスの話こそ聞こえなかったが、ロゼの話題が出た直後にルークがこのような態度を取ったためにそれを見抜いたのだ。

 

「全く……何を死にかけているんですか」

 

 その時、これまで部屋にいなかった少年の声が響く。ルークが声のした方、入り口の扉へと視線を向ける。そこに立っていたのは、見覚えのある生意気そうな少年と眼鏡の美女。ハピネス製薬の一件で深く関わった、各室長だ。

 

「ジョセフ、それにローズさんも!?」

「お久しぶりです、ルークさん」

「むむっ……美人登場ですかねー。新たなライバルですかー?」

「ああ、それはない。彼女は別に好きな人がいるからな」

「る、ルークさん、それは……」

 

 ポッと顔を赤らめるローズ。「へえ、そうなんだー」と他人事のように呟いているマリアであったが、まさか自分と同じ思い人だとは思ってもいなかった。未だローズに心残りがあるのか、ジョセフはむすっとした表情を作っていた。そしてそのままスタスタとルークに近寄ってくる。

 

「ルークさん。あれは使わなかったんですか?」

「あれ……?」

「幼迷腫ですよ」

 

 あれでルークが察さなかったため、ジョセフはルークにだけ聞こえるよう耳打ちをする。幼迷腫。ジョセフの作り出した禁断の薬だ。

 

「ああ、そういえば……」

「はぁ……やはり使わなかったんですね。あの薬を飲めば体力は一気に回復、直接傷口に振りかければどんな傷でもたちまち治したというのに……」

「しまったな。凄い薬だとは思っていたが、そこまでだったとは……」

 

 なるほど、幼迷腫で自身の傷を完璧に癒してからならばまた別の勝ち筋があったかもしれない。一度そう考えたルークであったが、静かにその考えを捨てる。パラライズの粉による作戦に隙はなかった。幼迷腫で回復していたとしても、最終的にはあそこに辿りついていただろう。とはいえ、幼迷腫の事を覚えていたらみんなにここまでの心配はかけずに済んだかもしれない。

 

「すまん、ジョセフ。折角貰ったものを有効に使えず……」

「まあ、あげたのは僕じゃなくてドハラス社長ですけどね。次は使い忘れないでくださいよ。もうあの薬は貴方とエムサさんが持っている二つしか存在しないんですから」

「……了解だ」

 

 小さく頷くルーク。ジョセフはわざわざこんな事を言うためにこの場に来たのだろうか。いや、恐らく違う。彼も多かれ少なかれルークを心配してくれていたのだろう。いつか自分が作り出すであろう幼迷腫を越えた薬、その見届け人の心配を。ジョセフがスッと一歩引いたのを見て、先程まで泣きじゃくっていたエリーヌが口を開く。

 

「ねえ、ルークさん……ちょっとお話があるの……」

「ん?」

「さっきお父さんは気にしなくて良いって言ってたけど……ごにょごにょ……」

 

 エリーヌが耳打ちをしてくる。その会話の内容は誰にも聞こえなかったが、ルークが少しだけ困ったような表情を作ったのは見て取れた。

 

「それは……むぅ……」

「駄目……?」

「……仕方ないな。一度だけな」

「やったぁぁぁ!! 準備が出来たら連絡しますね!」

 

 ピョンピョンと跳びはねるエリーヌ。一体何を約束したのだろうか。流石に友達のミルも気になったようで、エリーヌにそれを問う。

 

「ねえ、何を約束したの?」

「えへへ。その時になったらきっと判るよ」

「……?」

 

 満面の笑みで喜ぶエリーヌと、首を傾げるミル。そんな妹の姿を見ながら、今度はミリが口を開いた。

 

「俺たちはたまたまタイミングがあったけど、他にも見舞客は一杯来てたみたいだぜ」

「そうなのか?」

「はい。初めに顔を見せたのはパランチョ王国のポロン王子とピッテン隊長のお二人」

「へ? なんでそんな凄い人が……って、まさかルークさん知り合いですか!?」

「まあな。そうか、ピッテンたちが来てくれたのか……」

 

 マリアの質問に平然と答えるルークであったが、部屋の者たちはその事実を知っていた一部の者以外一様に驚いていた。一体この男はどこまで顔が広いのかと。

 

「次に闘神都市の皆様が見えました」

「サーナキアさんはもう旅立ってしまった後だったようですが、メリムさんは一緒に見えられたみたいです」

「まだ自分たちの町の復旧も忙しい時期だろうに……」

「伝言ノートに皆様色々と書いていってくださったので、後で目を通してください。それと、これはゼスのサイアス将軍からの手紙です」

 

 マリスからノートと手紙を手渡されるルーク。流石にリーザスと友好関係にあるパランチョ王国とは違い、ゼスの四将軍という立場にあるサイアスがリーザスの敷地内に入るのは容易ではない。それも、一応『解放戦の英雄』という要人が相手なのだ。だからこそ、サイアスは直接会いに来るのではなく手紙を送ってきたのだろう。

 

「他にもラジールの町の方や、レッドの町の方や……」

「そうか……後でしっかりと読ませて貰おう」

 

 ルークがそう言って手渡されたノートを側にあった机の上に置く。そして気が付く。その机の上に載っている、どこか堂々とした振る舞いの鉢植えに。

 

「あ、それは……」

「そうか……ランスも来てくれたのか……」

「えっ……!?」

 

 病人に対して送るにはあまりにも失礼な鉢植え。すぐにマリスがフォローをいれようとしたが、それを見たルークは静かに微笑んでいた。この送り主にすぐに見当がついたからだ。あのランスが来てくれた。それだけでどこか嬉しさが込み上げていた。

 

「そういえば、さっきはどうして志津香一人だったんだ?」

「……!?」

 

 それまで部屋の隅で静かにしていた志津香の体がビクッと震える。皆が部屋に入ってきたと同時に顔の涙を拭き取り、部屋の隅へと音もなく移動したのだ。だが、マリアはにんまりとした笑顔をその志津香へと向ける。

 

「いやー……志津香が二人っきりになりたそうだったからさー」

「そうじゃないでしょ!」

「なあに、元々俺たちが先に来てたんだけどな。ハピネス製薬の社長一行がやってきたってんで、ちょっと入り口まで挨拶に行ってたんだ。ミルが仲良くさせて貰ってるしな」

「カスタムの町の者として、私も一言ご挨拶にと……」

「ルークさんの事は心配でしたけど、アイテム屋としては挨拶に行った方が良いと真知子さんに言われたですかねー……」

 

 なるほど、今やチサ以上にカスタムの町をまとめ上げているランに取っては、大会社のハピネス製薬社長には一言挨拶をしておきたいところだったのだろう。ミリとミルは言わずもがな、トマトもアイテム屋としては確かにハピネス製薬と懇意にしておいた方が良い。残るはマリアと真知子と志津香。

 

「まあ、その状況になったらお邪魔虫ですよねー」

「私は以前に一度機会を貰っていますし、空気を読ませていただきました」

「あ、あんたたちね……別にそういうんじゃ……」

 

 マリアがにんまりと、真知子が涼しげな笑顔でそう答える。こうして先程の状況、病室に二人きりのルークと志津香という光景が出来上がったのだ。いや、正確には二人きりではない。静かに天井を見上げるルーク。

 

「……それでマリス。いい加減降ろしてあげてもいいんじゃないか?」

「気が付いていましたか……」

「上手く気配は消せているが、まあまだ甘いな」

「もうずっと徹夜続きですし、動揺もあったのでしょう。察してあげてください」

「まあ、判っているさ」

 

 ルークが天井を指差してそう口にすると、マリスがペコリと頭を下げる。一同には何を言っているか判らない。すると、マリスが突如手を叩いた。瞬間、天井裏から一人の女性が降りてくる。

 

「かなみ!?」

「なんだ!? ずっと天井裏に隠れてたのか!?」

「今回の一件の全容が見えませんでしたからね。万が一ルーク様が襲撃される事も考えて、天井裏にはずっとかなみを忍ばせておいたんです」

 

 そう、AL教から最低限の事しか聞かされていなかったリアはかなみにルークの警護を命じていたのだ。極力まだルークを殺したくはないという思いと、かなみの心情を思っての命であった。降りてきたかなみは体勢こそ整然としているが、顔だけが違う。今にも泣き出しそうな顔をしている。

 

「…………」

「かなみ。私を気にしなくて良いですよ」

「……ルークさん!」

 

 マリスのその言葉を聞いた瞬間、かなみの瞳からポロポロと涙が零れてくる。ある意味、この状態になったルークを一番側でずっと見続けていたのだ。目覚めた喜びもまた、一際大きいはず。自身の側でボロボロと涙を溢すかなみの頭に手を乗せ、ルークが口を開く。

 

「警備、ありがとうな。それと、心配をかけた」

「ひぐっ……ひぐっ……」

 

 かなみのすすり泣き声を聞きながら、柔らかな空気が流れる。ルークが目覚めた。もう命の心配はない。これがそれ程嬉しく、それを純粋に喜ぶ者がこれだけいるとは。マリアが部屋の中の者たちを見回しながら自然と笑顔を作り、志津香が壁にもたれかかりながらため息をつく。同時に浮かぶ、ある疑念。

 

「……ん?」

 

 かなみは天井裏でルークの警護をしていた。そう、ずっと。勿論、あの時もだ。

 

「かなみ……」

「……?」

 

 親友の志津香から問いかけられたかなみは涙を拭って後ろを振り返る。だがまだこの時彼女は気が付いていなかった。志津香の発した言葉が、どこか重い声であった事を。

 

「貴女……一体どこからどこまで見てたの?」

 

 ビシッと部屋の空気が凍り付く。そう、天井裏にいたかなみは見ていたはずだ。病室に二人きりの志津香とルークを。その時志津香が何を口にし、何をしたのかを。ダラダラとかなみの額から汗が流れる。選択を誤れば、燃やされる。

 

「せ……」

「せ?」

「戦術的撤退!!」

「あ、逃げた!?」

 

 突如窓の方に駆けていったかと思うと、そのままかなみは飛び降りていった。驚く一同。一体彼女は何を見たのか。同時に、入り口のドアが勢いよく開け放たれて志津香が飛び出していく。

 

「待ちなさい、かなみ!!」

 

 鬼の形相でかなみを追いかけていく志津香を見送りながら、一同はため息を漏らしていた。

 

「志津香……何やったんだ……?」

「さあ……?」

「ま、まさか、ちゅちゅちゅ、チューとか……!?」

「ルークさん、どうなんですか?」

「残念だが、記憶にないな」

 

 真知子の質問にルークが肩を竦めると同時に、窓の外から志津香とかなみの絶叫が聞こえてきた。ついこの間までの死線とはまるで違う、穏やかな空気。この空気を守るためにも、もう負ける訳にはいかない。それが例え、壁の向こうの者たちでも。

 

「かなみー!!」

「きゃー!!」

 

 病室で何があったのか、それは志津香とかなみしか知り得るところではない。

 

 

 

深夜

-リーザス 天才病院-

 

 そしてその日の深夜、彼女はやってきた。既に日も変わっているという時刻に病室のドアがガラリと開き、何者かが入ってくる。同時に、ルークは目を開いた。眠ってはいたが、やってきた気配に気が付いたからだ。すぐに体を起こしたルークだが、来訪者の顔を確認して緊張を解く。

 

「なんだ、ロゼか……」

「やっほー。遅くなって悪かったわね」

「構わないさ。それよりも、こんな深夜にどうやって侵入したんだ?」

「警備兵にちょっと袖の下渡してね。解放戦の時に一応顔は知られているし、すんなり通れたわ」

「なるほど」

 

 上半身だけ起こした状態のままルークがロゼと会話を続ける。当然気になるのは、あの事。

 

「今までどこにいた……?」

「……正直に言うと、あの直後にAL教の連中から拘束されてね。ムーララルーが命じたみたい。悪かったわね、大回復を掛けてあげられなくて」

「……何かされたのか?」

「これが驚く程何もなかったのよ。100人強姦マラソンでもやってくれればちょっとは欲求不満解消にでもなったでしょうに」

 

 真剣な表情のルークに対し、ロゼは茶化すような口調で返す。だが、ルークは表情を崩さない。

 

「本当に何もなかったんだな……?」

「……ええ。何もなかったわ」

「……そうか」

 

 まだ完全に納得した訳では無いが、ロゼの返事にルークは静かに頷く。これ以上追求したところで、ロゼは何も語らない。そういう女性だ。

 

「それより、あの後何があったか知りたい?」

「あの後……?」

「アンタが気絶した後よ」

 

 ロゼの口からその後の顛末が語られる。介入してきたリトルプリンセス、錆びたエスクードソード、そして、敗北を認めた勇者アリオス。

 

「お前の勝ち……だってさ。感想は?」

「……ありがたい言葉だが、どんなに贔屓目に見てもあれは俺の負けだ」

「まあ、そうよね」

 

 ルークの言葉にロゼも頷く。どんなに言い繕おうと、あれは完全に自分たちの敗北だ。勇者の力を見くびっていた。

 

「だが、次は負けない」

「……ふふっ、そういう負けず嫌いなところは男の子ねぇ。それと、ハウゼルたちから伝言を預かっているわ」

「ハウゼルたちから?」

「すぐにAL教員がやってきちゃったから、一言ずつだけどね」

 

 ルークが眉をひそめる。なるほど、義理堅いハウゼルらしいと言える行いだ。

 

「ハウゼル。ありがとう、助かりました」

「ハウゼルらしいな」

「サテラ。あそこまでいって負けんな、馬鹿!」

「返す言葉もない……」

「シーザー。敵トシテ会ッタ時ハ容赦シナイ」

「別に口調まで真似しなくていいぞ」

「あら、そう? イシス。共に高みへ、また会いましょう」

「イシスってああいう性格だったんだなぁ……」

 

 ロゼがつらつらと読み上げるのを聞きながら、ルークが先日の戦闘を思い返す。魔人と共闘した上で、完全に敗北した。今もまだ悔しさが込み上げる。だが、その悔しさを糧とする。勇者アリオスの立つ、壁の向こう側へと到達するために。

 

「ありがとうございました。良いおじさんだったんですね!」

 

 ロゼが最後に口にした言伝。だが、その主に心当たりの無かったルークが顔を上げて問いかける。

 

「それは……?」

「魔王リトルプリンセス」

「……そうか。彼女が……」

「因みに、最後に健太郎ってのが格好良い伝言を残そうとしている最中にAL教員がやってきて、慌てて逃げて行ったわ。だから、健太郎の伝言は無し」

「何気に酷いな。それより、どうしてAL教員からリトルプリンセスたちは逃げたんだ? 確か保護を求めていたんだろう?」

 

 先程ロゼが纏めた話の中にその内容もあった。だが、ロゼは小さくため息をついてから口を開く。

 

「絶対に安全だと思っていたAL教で、今までで一番とんでもない相手に襲われたからねぇ。流石にそこに留まろうとは思わなかったんでしょ」

「なるほど。ハウゼル辺りはAL教が勇者を呼んだのかもしれないと疑ってそうだな」

「そうね」

 

 そう言って壁に預けていた体をスッと起こすロゼ。そのまま入り口の扉へと歩みを進める。

 

「帰るのか?」

「ええ。もう話は済んだし、思ったよりも元気そうだったからね」

 

 静かに扉を開けるロゼ。その背中に向かって、ルークは言葉を投げる。

 

「ロゼ。今回は色々と済まなかった。だが、出来れば今後も俺についてきて欲しい」

「そうね……出来る限り協力してあげるわ」

 

 そう言い残し、ロゼは病室から去っていく。そのまま人気のない廊下を一人歩くロゼは、ポツリと呟いた。

 

「今までみたいにって訳には……いかなそうだけどね……」

 

 思い出されるのは、先日の出来事。女神の部屋へと呼び出されたロゼは、三人の司教が立ち並ぶ中で法王にこう告げられていた。

 

『神聖なるAL本部に冒険者を招き入れ、此度の混乱を悪戯に拡大した罪、軽くはないぞ?』

『承知していますわ、法王様』

『……以前にALICE様より貰い受けた特約、使わないのだな?』

『ええ。使う気は毛頭ありません』

 

 ロゼが望めばいつでも司教になれるという特約。これを使えば、今回の件をもみ消すことは容易い。だが、ロゼはそれをしない。故に下される、一つの罰。

 

『ロゼ・カド。お前の配属をカスタムの町からハニワ平原へと変更する』

 

 ハニワ平原。ゼスの僻地にあるハニーたちの楽園だ。だが、ゼスの魔法使いにとってハニーは天敵中の天敵。そんなところに人が寄りつくはずもない。そんな僻地に、ロゼは飛ばされる事になったのだ。

 

「まあ、しゃーないか」

 

 だが、ロゼに後悔はない。いつも通りどこかだらけつつも凜とした歩みで、真夜中の病院を歩いて行くのだった。

 

 

 

-平原-

 

「いい加減私の話を聞きなさい! アリオス!!」

 

 先を行くアリオスの背中をトテトテと追いながらコーラが憤慨している。だが、その返事にアリオスは答える気がない。もう散々答えたからだ。何故魔王を殺さなかったのか。その問いに対し、アリオスはずっとこう答えていた。俺に彼女は殺せない、と。

 

「アリオス! ……くっ」

 

 モンスターに襲われているという近隣の町を救うため、アリオスは駆け足で平原を行く。その背中を見ながら、コーラは一つの確信を得る。

 

「(アリオスはもう駄目ね……エスクードソードの解禁は難しくなるけど、次の勇者に賭けるしかない……)」

 

 そのままチラリと懐中時計に視線を落とす。表示されている値は2億9701万6432.5。この間よりも僅かにだが増えている。やはりまた毒を流すべきか。後少し上乗せすれば10パーセントを越えるのは確実なのだから。いや、例えエスクードソードを解禁しても今のアリオスでは意味が無い。ギリギリと歯ぎしりをしながら、その視線が末尾の端数に移る。

 

「この0.5って何なの……今まで見た事無いわ……」

 

 それは、あの時初めて見た数値であった。「0.5」。そのまま捉えるのならば、半分だけ人間。だが、そんな存在がいるのか。

 

「これは一体……」

 

 

 

-悪魔界-

 

 話は少しだけ前に遡る。ルークが斬り伏せられ、美樹がアリオスの間に割って入った頃。エスクードが錆びる直前に、それは起こっていた。

 

「どうしてだ……フェリス……」

 

 ベッドに横になる親友を見下ろしながら、一人の悪魔が呆然とした表情で問いかける。部屋に響くのは、赤ん坊の泣き声。それは親友の隣にいる。今し方彼女が産んだのだ。それはいい。問題は、その出生。

 

「どうして産んだんだ! 人間との子供を!!」

 

 そう、それは人間との間に出来た子供。禁忌とされている存在だ。人間との間に子を成した悪魔には重い罰が待つ。悪魔の尊厳どころか、その者の精神そのものを壊しかねないほどの罰だ。秘密裏に堕ろしてしまえばよかったのだ。だが、フェリスはそれをしなかった。

 

「お前だって判ってるだろう!? これからどんな事になるかを……」

「セルジィ……確かに貴女の言う事は判る。私にはこれから、重い罰が待っている……」

「なら……どうして……」

「……それが子供を作らない理由にはなっても、出来た子供を堕ろす理由にはならなかった。それだけだよ……」

 

 ぎゃーぎゃーと泣き喚く自身の赤ん坊の頬を愛おしげに撫でるフェリス。その親友の姿を見て、セルジィの頬には涙が流れていた。

 

「お前……馬鹿だよ……」

 

 これより数ヶ月の間、悪魔界は大きく揺れる。久しく前例の無かった人間との間に出来た子。その母体と子に対する罰を巡って。

 

 


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