私が菊月(偽)だ。   作:ディム

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今日の分。さすがにこれを遅刻する訳にはいきません。


番外編、五月五日は。

五月五日。端午の節句……現在では『こどもの日』として広く親しまれている日。鎮守府でも、もちろんその『こどもの日』には盛大なパーティーが開かれる。

 

「ぷっぷくぷぅ〜!今日はお祭りだぴょぉん!!」

 

「夕立、こどもの日大好きっぽい!!」

 

「ふむ。流石の間宮さんも駆逐艦のパワーの前にはタジタジみたいでちね。あ、間宮さんビールおかわりでち」

 

『こどもの日』だけあって、今日の主役は駆逐艦と潜水艦……の筈なのだが、どちらを向いても酒盛りをしている艦娘が眼に映る。それも、戦艦や空母と言った『おとな』も含め。要するに、何かにかこつけて騒いでいるだけなのだろう。『菊月』も、今のような賑やかさならば嫌いでは無いようだ。

 

「しかし……ふむ、賑やかに過ぎるか」

 

食堂の端、椅子に座ってチビチビとグラスを傾けていると、ふらふらとした足取りで見覚えのある艦娘が菊月()に近づいてくる。

 

「やぁっほぉ〜、菊月さん飲んでるぅ〜?」

 

「……青葉か、酒臭いぞ。私は……飲んでいないこともない、という程度だな」

 

「あー、駄目駄目そんなんじゃ!ほらもっと、景気良く!それでぇ、スクープ写真の一つでも残してくれれば恐縮なんですよぉ〜!」

 

「……出来上がっている、か……そうだな、青葉。好きに飲んでおくといい……」

 

「あい!青葉、了解しましたぁ!」

 

幸せそうに、手に持った瓶から更に酒を煽りながら歩き去る青葉。あの調子だと、明日はどうなっているか分からないだろう。そんな取り留めもないことを考えつつ、更にグラスを煽る。瓶の中の焼酎が半分程に減ったあたりで、また別の艦娘達の接近に気付く。

 

「やあ、菊月。瓶の具合からして、それなりに楽しんではいるようじゃないか。どうだ、一杯?」

 

「……武蔵か。せっかくだ、受けよう……」

 

姿を見せたのは武蔵、そしてその武蔵に襟首を掴まれて引き摺られる大和。どうやら既に潰れた大和とは異なり、武蔵はまだまだ飲み足りないらしい。差し出される朱塗りの盃を受け取り、なみなみと注がれた日本酒を飲み干す。すっきりとした辛口が心地良い。

 

「体躯に似合わず、よくヤるじゃないか。大和など、ものの二三杯でこうだと言うのに。そら、良ければその焼酎も注いでくれないか?」

 

「……遠くから見ていたが、あの量は『二三杯』というものでは無いだろう?お前がザルなだけで、大和とて酒豪だ。……ん、さあ飲め」

 

武蔵は、盃に注いだ焼酎を一息に飲み干し大きく息を吐く。その顔はほんのりと朱に染まっている。大和と飲み比べをすれば、流石の武蔵とてそうなると言うものだろう。

 

「うむ、美味いじゃないか。私は日本酒を嗜むが、菊月の其れも良いじゃないか。それで、どうした。向こうで飲まんのか?」

 

「……酒が苦手な訳ではないが、戦艦と正規空母の潰し合いに混じる気は無いのでな。だからと言って、向こうの駆逐艦の集まりで騒ぐというガラでも無いだろう?私は、見ているのが一番だ……それに、いつでも酔い覚ましに行けるしな」

 

そう言って、椅子から立ち上がり食堂の外れのドアへと向かう。

 

「酔い覚ましか。夜風は冷たい、風邪を引くなよ菊月」

 

「お前こそ、飲み過ぎには気をつけろ。程々で止めておけよ……」

 

そう言って、他の艦娘に気取られないように静かに食堂を出ると、一気に喧騒から遠ざかる。電灯の明かりが照らす廊下を静かに歩き、扉を開けて外に出る。吹き付ける風が身体の熱を冷ましてゆく。

 

「…………」

 

ゆっくりとコンクリート造りの道を歩き、海の側の港の先へ立つ。全身から伝わる感触は冷たく、心を鎮めるようだ。凪いで静かな海には、大きな月の姿が映り込んでいる。それを見ながら、菊月()はゆっくりと目を閉じた。

 

「…………ふぅ」

 

無意識に右脇腹へ手を伸ばし、そこを摩る。脳裏に浮かぶのは『菊月』の記憶。空を切る黒い影、落ちる爆弾、痛み、そして傷。

 

五月五日。その日は、嘗て駆逐艦『菊月』が喪われた日だ。

 

ただ静かに、『菊月』の裡へ埋没してゆく。この冷たい潮風も、水面に映る月影も、すべて『あの海』で感じたものと同じ。息を吐き、身体を弛緩させる。菊月の身体、だというのならその最奥に眠る感情は、記憶は。

触れなければならない、忘れる訳にはいかない。それが『菊月』の原点だというのなら、菊月()になった『俺』は知らなければならない。奥のおく、『菊月』そのものへと近づくように深く深く――

 

「――!お――ゃん!おねえちゃん!!」

 

「……?みかづき?」

 

いつの間にか、深く埋没し過ぎていたらしい。首だけ振り向けば、菊月()の肩を強く揺さぶる神通と、菊月()の身体に抱きついている三日月、月明かりに照らされた二人の姿が目に入った。

 

「どうしたんだ、一体……?」

 

「〜〜っ!どうしたもこうしたも無いですっ!ふとお姉ちゃんを探しても姿が見えないし、さっきまで座ってたっていう椅子には酒瓶しか残ってませんし!今日が『お姉ちゃんが喪われた日』だって思い出したら、私、わたしっ!」

 

「菊月、あなたを探して呆然と立ち尽くしていた三日月を私が連れてきたんです。幸い、武蔵から酔い覚ましに出かけたということは聞けましたが――その、今立ち尽くしていた菊月は。今にも海色に溶けて消えてしまいそうなぐらい、儚く感じました。今日という日にあなたが何を思うのか、それに何かを言うことは出来ません。ですが、あなたは今、確かにここに居る。ツラギではなく。それを、忘れないでください」

 

「……。ああ、そうか。ありがとう三日月、神通。そうだな、菊月(私/俺)はここにいる……」

 

今もあの静かの海に残されているのは、『俺』のいた世界の菊月。この世界の軍艦『菊月』は、ツラギの海へ沈んだ。それらの記憶は、確かにこの身体の中に存在する。ならば、『俺』がすべきことは。それを抱えて、『菊月』として生きてゆくことなのだろう。

 

「おーい!菊月、見つかったか!?」

 

「菊月ちゃん!ああ、居たのね。良かったわ」

 

「全く、心配したぴょん!」

 

駆けつけた長月、如月、卯月にも散々文句を言われる。それに苦笑し、手を引かれるままに鎮守府へ向けて歩き出す。最後に一回だけ目を瞑り、己の中を覗き見て、次いで目を開けて月を眺める。口元に笑みを浮かべ、彼女(・・)へ語りかける。

 

「ああ。共に、行こう……」

 

まだまだ『菊月』として胸を張れるものではないことは分かっている。それでも最後に目を閉じた一瞬、菊月()の心の中の海に浮かぶ勇壮なる一隻の軍艦と、それに腰掛ける白髪の少女が、俺に微笑んでくれたような気がした。




五月五日は、駆逐艦『菊月』が喪失した日。

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