戦局は、極めて緩やかに悪化を続けているらしい。
深海棲艦どもの一斉攻勢からこっち、
資源を焼かれ、資材を費やし、どうにか戦えるように持って行ったとしても、実際に戦う艦娘が少ないのだ。あの攻勢で被害を受けた艦娘……つまり、轟沈認定を受けた艦娘は数十に及ぶとか及ばないとか。それだけの艦娘が一斉に抜け、それでも人類を守るために今までと同じ戦果を挙げる。それがあれから我々艦娘に課された使命であり、そのために休み無しで働いた。
――だからだろうか。
「……困ったな」
与えられた部屋に積まれた箱の数々。綺麗にラッピングされたそれらは、全てバースデーカードが添えられている。
箱の向こう側で相貌を崩す姉妹艦たちを見て、ようやくこれが仕組まれたものだと言うことに気付いた。
「……今日は私の進水日、か」
何ということだろう、今の今まで忘れていた。内心の『菊月』から驚きの感情が伝わってくるが、驚いているのは俺も同じこと。そう、忘れていたのだ――それも、『菊月』だけでなく『俺』までもが。この頃は確かに忙しくなった。薄くなった戦力層を補うために東奔西走し、その上で勝ちを拾うためにある程度無茶な戦術の研究もしている。
そうだとしても――なんということか。
俺が、菊月の
「いえす、その通りっぴょん!」
「お姉ちゃん、最近はとても疲れた顔をしていましたからね。私達よりも多く最前線に出ているのだから仕方なくはあるんですけど――何か元気付けたいと思って」
サプライズしちゃいました、という三日月の横には、いくつかの箱を持った長月と如月。それぞれが手に持つ箱には、此処にはいない姉妹たちの名前が小さく書かれている。
祝われている……その事に、心の内の『菊月』が微笑むのが分かった。
「今日は間宮さんにも手伝って貰って、ちょっと豪勢な料理を出してもらう予定なんだ。折角だからな」
「予定のない方たちも、一緒にご飯を食べるみたい。このところ、みんな気分が沈みがちだから良い気分転換になるだろう――って、司令官も言っていたのよ」
そう言う姉妹たちに、
敵襲の合図だ。
「ちっ、こんな時に」
「もうちょっと空気読めっぴょん!!」
愚痴を言う長月と卯月。確かにまあ、空気を読めと言うのには同意する。折角の菊月の進水日、気付いたのは今だとしてももっと穏やかに……と考えたところで、ふと、良い『プレゼント』を思いついた。
「仕方ありません。せめて出来るだけ早く倒してしまいましょう。私達も――」
「……いや」
その言葉を、『俺』は遮る。
「折角だ。『私』からの返礼を見せてやろう」
言って、懐から携帯電話を――私物ではなく提督から支給された仕事用だ――取り出し、何人かにコール。幸いにも連絡をした彼女らはみな出撃していなかったようで、約束を取り付けられた。
俺が彼女らに送ったメッセージは少ない。今日が『菊月』の進水日であること、姉妹が食事会を企画してくれていること、だから襲撃をさっさと乗り切りたいこと。そして、訓練中の戦術を試したい――ということ。
「……まったく、良い仲間だな……?」
二つ返事で引き受けてくれる旨のメッセージを見つつ、工廠へ駆け込んだ
用意をすれば海へ飛び出す。海に出た
前を向く。遠く視界に捉えるのは、真紅の気炎を上げる戦艦ル級を機関とした水上戦隊。最近よく、鎮守府近海にすら出没するようになった難敵。それを前にし、仲間たちを後ろに待ち、
――さて、突然ではあるが。
『菊月』はその言動、立ち振る舞いから古強者、老練な兵士のように捉えられがちではあるが、その実戦いを好んではいない。戦士のように傷を負うことを誉とすることもなく、「実は辛かった、轟沈は嫌」ときちんと述べている。
では、なぜ彼女は戦うのか。あるいは、傷を負ってまで海に立とうとするのか。『俺』を突き動かすほどの、強い意志はどこから来ているのか。
それはただ、仲間を、そして姉妹を護りたいと思うが故だ。轟沈は嫌、傷つくのは辛い、それでも――そんなことは、あの島、あの海に取り残された、あの孤独に比べれば。仲間が、姉妹が沈んでゆくさまを、遠く海の向こうから、沈むことすら出来ずに朽ちていったことに比べれば。苦でもないのだと。
彼女はただ、仲間のためにこそ戦うのだと――彼女は口にしないが。彼女と身体を同じくした……あるいは、この魂を彼女に救われたのかも知れない俺だけは知っている。
仲間を、姉妹を護りたい。そう願う、儚くも強い彼女に、俺が贈れるものは。
「……神通、加賀、武蔵。準備は?」
『無論、いつでも』
『ええ、心配いらないわ』
『私がその背を守ります。だから――駆けなさい、菊月』
この俺が贈れるものは、この身を燃やすほどの、仲間を守る為の――
「……ああ。皆んな、」
――彼女のために輝く、力だ。
全身から立ち上る紅蓮の気焔。たった一瞬が無限に引き延ばされる感覚。想起するイメージは、あの夕焼けの海で
腰に溜めた『月光』の鞘に、そして刀身に、気焔が満ち満ちてゆく。そう、この光こそ仲間を守るためのきらめき。俺に出来る、菊月への手向け。
「先に征くぞ――」
海を蹴る――水面が爆ぜる。一足一跳びで最大まで加速し、二足めなど必要としない。
視界に映るル級が見る間に近づいてくる。無機質な顔を驚愕に歪めたそれを庇うように、随伴の重巡どもが盾となって躍り出る。
たちまちぶつけられる殺意、殺意、殺意。
即ち、
「――――ひと薙ぎに、してくれるッ!!」
それら全ての胴を、
「……ア、ア?」
上下半身を泣き別れにし、何が起こったのかも理解できないままに沈んでゆく深海棲艦を背に、『月光』を横一文字に振り抜いた
「ええ。見事な技の冴えです、菊月」
同じように海面を跳んだ神通に阻まれ、武蔵の長距離砲撃の前に屈し、加賀の艦載機の前に藻屑と消えた。
「……今日は中々調子が良かったからな。あとは、これをいつでも使えるようにしなければ」
「菊月。あなたの実力は認めますが、決して一人で戦っているなんて思わないで下さいね。あなたの側には私たちがいる、あなただけを戦わせはしない。良いですね?」
「……ああ、勿論だとも神通。そんな大切なこと、忘れられる筈がない」
だって、『菊月』は彼女らと海を駆けたいと願って、こうして立っていて。俺はその願いをこそ、護りたいと思ったのだから。
「ならば良いのです。あと――お誕生日、おめでとうございます」
「ああ、ありがとう神通」
戦闘終了の合図として、空砲を鳴らす。
空へ吸い込まれるその音は、とても澄んでこの耳に届いたのだった。
菊月!!
誕生日、おめでとう!!