私が菊月(偽)だ。   作:ディム

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なんか「お風呂?(チラッ)」みたいな感想が割とあったのでお風呂回。
ただし時間は前回より数日後ですが。


暗雲、その三

 ちゃぽん、と湯の跳ねる音がする。

 木製の桶を湯船から引っ張り出し、掬ったそれを小さな腰掛けに掛ければ、腰掛けは仄かに温かさを取り戻す。それにゆっくりと腰を下ろし、カランを捻れば、シャワーヘッドから熱い湯が噴き出し全身に降り注ぐ。それは海風に冷えた身体を芯から温め、その熱に思わず鳥肌が立ってしまう。前髪をかき上げ顔を流れる湯に晒せば、思わず声が漏れた。

 

「んっ……ふぅ」

「あはは、菊月ったら気の抜けた声出しちゃって」

 

 じゃぼん、という水音。小さな椅子に座ったまま首だけで後ろを向けば、大きな湯船のへりに腕と顎を預けうつ伏せ気味に此方を見る陽炎と目が合った。見慣れたツインテールを解いた彼女は、どことなく見知らぬ艦娘に見えてしまう。

 

「陽炎か。……そういえば、先に入渠していたな」

「ま、あたしは今回こっぴどくやられたからね。いやー、沈むかと思ったわ」

「……全くだ。心配させられる此方の身にもなってみろ」

「いや、それあんたに言われちゃお終いだから。隊列から抜けて一人で敵へ向けてスッ飛んでくの見る度に、肝を冷やすのはこっちなのよ?」

「……む」

 

 藪蛇だったか、と脳内で呟けば、当たり前だと『菊月』が返す。こうも責められては分が悪い、と菊月()はシャワーへ頭をくぐらせた。髪を伝って全身へ滴れる湯が、まるで全身に沁み渡るかのように感じる。いや、あながち間違いでも無いのだが。

 菊月()達の所属する鎮守府を除いた殆どの鎮守府や基地において、風呂の湯に用いられる水には薄めた高速修復材が混ぜられている。その理由は、艦娘の修復や研究についての一切を引き受ける艦娘――つまり明石の不在だ。

 明石が常駐している俺達の鎮守府でならば中破も大破も彼女に修理して貰えば良いが、他の鎮守府ではそうはいかない。故に、艦娘の身体を修復させる薬剤を湯に混ぜ込み、ゆっくりと時間をかける事で身体を()すようにしているらしい。今回の作戦のような前線任務の際に用いられる基地でも同じで、修復材の濃度を調整すれば修理完了までの時間を調整することも可能だとか。

 ついでに、こうした前線の補給基地の場合は特にその入渠施設――つまり風呂には、銭湯のような富士山と日の出の絵が描かれていることが多いそうだ。どれも聞き齧りに過ぎないが、今こうして使用している風呂の壁に富士山が描かれているのは事実。多分、聞いたことは全部事実なのだろう。

 

「んー? どったの菊月、手止めて」

「……いや、何でもないさ。ただ、この富士山を見てな。そういえば実物を見た事が無かった、と」

「あー。でも普通艦娘で富士山見た事あるのなんてあんまり居ないんじゃない? あの辺りの海、あんまり深海棲艦出ないし」

 

 言いつつ、陽炎はいきなり湯船の中で立ち上がった。おもむろに露わになる少女の裸体に、思わず目を背ける。いや、艦娘になってこれだけ時間が経てば裸くらい何度か見たことはある。あるが、だからと言って凝視出来るほど俺のメンタルは強くないのだ。だから極力他の艦娘がいる時に風呂に入るようにはしないし、誰かと湯船に浸かる時は目を瞑って、身体を見ないように気をつけている。

 ぺたぺたとタイルを歩く音がする。陽炎の足音だ。俺はそれに構わず、彼女から目を逸らしたまま髪に指を通す――寸前、両の手首を後ろからガッチリと掴まれた。

 

「……どうした。私は髪を洗いたいのだが」

「や、それは見てて分かってる。で、あたしもずっと浸かってるだけなのも暇なのよね。だから洗わせてよ、髪」

「……まあ、お前になら構わんか。……言っておくが、あまり雑に扱ってくれるなよ」

「へぇ〜? 菊月ってば、やっぱり髪のお手入れとか気を付けてるんだ? 綺麗だし、そうじゃないかと思ってたのよ!」

「正確には、手入れに気を使わされている、だ。……如月のやつがこまめにチェックしていてな。あまり変な洗い方をしたなら、お前が如月に文句を付けられると忠告したまでだ」

「はいはい、分かったわよ――ってうわ、想像してたよりサラッサラねこれ」

 

 わしゃわしゃと動く手に頭を任せ、目を瞑りながら一息つく。他人に洗われているというのもあるだろうが、何よりきめ細かい少女の細指が頭を撫で回す感覚に心地良くなり、肩の力が抜けてゆく。カユいところはございませんかー、なんて軽口に苦笑いで応えつつも軽口を返していれば、不意に陽炎が口を開く。

 

「ね、菊月」

「……何だ、いきなり」

「いよいよ明日ね」

 

 髪の泡を流し終えると、陽炎が俺の肩へ顎を乗せつつそう言った。

 そう、明日。明日、菊月()達はこの中部方面の作戦の最終段階へと突入する。即ち、中部方面中枢海域の敵本隊の撃滅。複数の鬼や姫の存在が予測される、難しい任務だ。

 

「……難しい作戦だが、私達ならばやれないことはない。それは分かっているだろう?」

「勿論よ。けどね、なんか不安なのよ。あんたは、そんな感覚って感じたこと無い?」

「有るか無いかで言えば……有る。特に、ここ最近はな。だが、気にしていても仕方あるまい。嫌な予感がするのならば、それに備えておくべきだ」

「――ホンット、あんたってブレないわね。いちいち悩んでる自分が馬鹿らしくなってくるわよ」

「……お前は長女だからだろう。以前会った我等の姉……睦月も、お前と似たように色々と悩んでいたからよく分かるさ。まあ、長女の宿命だとでも思って諦めろ」

「――そうね。ま、こんなに気を揉むのもあたしぐらいだろうし。仕事だと思って諦めるわよ」

 

 首を後ろに傾けながらそう言ってやれば、目の合った陽炎がはにかみ、目を閉じる。その顔からは、先程のような不安は読み取れなかった。普段から元気な陽炎だ、その彼女が沈んでいると此方の気も滅入ってしまう。滅入ってしまうのだが、

 

「……ところでだな、陽炎」

「んー? どうしたのかしら、菊月」

「良い加減、私の腹を撫でるのを止めてくれ」

「えー、良いじゃない減るもんじゃなし」

「減るとか減らないという問題ではない……!」

「もう、あんたって割と短気よね。仕方ない、お腹触るのは止めたげるわ」

「だからと言って胸に手を伸ばすなっ!」

 

 じゃれつく陽炎に、それを振り払う菊月()。攻防の最中、新たに入渠して来た大和ら艦隊の仲間達と、ゆっくりと汗を流す。穏やかな時間が流れ、話に花が咲く。

 

 ――これが、菊月()達が皆で過ごした最後の団欒となった。




菊月って、可愛いよね。

あ、そういえば先日ついにアーケードデビューしました。

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