しんと静まり返った海。日は高いものの、動くものは波を除いて何もない。風も凪ぎ、波が岩壁にぶつかる音が聞こえる。
数日前に出航した少女――U-511と名乗った彼女は、あっという間に波間に消えた。それも文字通り。ある程度沖まで進んだ彼女は、自ら海中に飛び込んだからだ。
おそらく、彼女は潜水艦娘だったのだろう。そう言えば、『U-511』という名前にも聞き覚えがある――ような、無いような。
今の
なのに。
「……U-511……。馬鹿なことを言うものだ」
口から紡いだ言葉とは裏腹に、彼女の言葉が脳内で響き続けている。『私はみんなを守りたい』、彼女はそう言った。
「……馬鹿な、ことを」
そんな事はある訳がない。
加えて、彼女は
なのに。
「……『私はみんなを守りたい』」
口に出すと、何故だかそれがしっくり来る。
それだ、と叫ぶ何かがいる。けれど同時に、申し訳無さそうに俯く何かのイメージも見える。不思議、と言うよりは奇妙な感覚。
そして、その奇妙な感覚は、俺が
限る、のだが――
「私は……私は、私の願いは」
気をつけろ、と。悩め、と。
故に、
生きる為、菊月の願いを叶える為、その何方もを妨げる『私はみんなを守りたい』という言葉が何故こうも気にかかるのかを。
故に、
『私はみんなを守りたい』という意思が、
故に――
その言葉を言われたあの瞬間からずっと、海を征き、敵を沈め尽くし、他の艦娘と邂逅し、それ以前……独りで戦い抜けた日々、そして
「…………みんなを、まもる? 守るために、戦う? それは無駄なこと、生存のために不要なこと、その不要を不要と断じたのは……」
思考をどんどん巡らせ、己の裡に埋没してゆく。次第に風の音も波の音も遠ざかり、周囲の感覚があやふやになってゆく。そうして、そこまで深く自らの記憶を探り――漸く、
一つめの記憶は、
二つめの記憶は、その翌日だったか。海へ出られないという事に対して、どうしようもない虚無感と寂寥を感じた記憶。菊月だけが持つ、その寂しさ故に、
三つめの記憶は、その後――戦闘している仲間たちの中に、今にも沈まされそうな如月を見つけた時の記憶。その時に感じた強い感情は、今でも思い出せる……『もう、あんなに寂しいのはごめんだ』と。
そこまで思い出して、はたと気付いた。菊月が感じていたものは、寂しさだったのだと。ソロモン諸島はツラギ島の海岸に独り骸を横たえ、朽ち行きながらも抱いていた感情は寂寥と……寂寥故の、もっと戦いたかったという未練なのだと。
そう、未練。
「……そう、か。そうか。独りで寂しかったから、もう一度戦いたいと願ったのだな。戦いたいが故に戦いを望んだのではなく――嘗て姉妹より先に沈んだ不甲斐なさと、姉妹の危機に参ずることが出来なかった情けなさ。そう感じていたから、戦いたいと……『今度こそは』戦いたいと思ったのだな、菊月は。そう、それは姉妹と、仲間と海を駆け、姉妹と仲間を――」
――守る、ために。
なるほど、変質していたのは
「菊月のため、が聞いて呆れる。俺は自分の為にしか戦っていなかった。全く、気まぐれでこんな所に来たのは何の幸運だとな。――だが、もう気付いた。今度は間違えない」
そう、今度こそ。菊月の願いを汲み、彼女に報いるために。姉妹を助け、仲間を助ける。幸いに、それだけの力は得た。戦艦だろうと何だろうと、引かずに渡り合える力を。
ならば、こんな所でもたもたしている暇はない。さっさとあの、拠点としていた島へ帰り、姉妹と合流をしなければ。
俺はゆっくり立ち上がり、装備を点検する。白い外套も両腰の骨刃も問題ない。それら全てを身に付けて、俺は――
「この近くには、姫級が沢山出たらしいな。
全身に澱んでいた何かが流れ出してゆく。
身体は軽く、心はもっと軽い。
戦うべきもののために戦えるという喜びが、全身を満たしてゆく。
「姉妹たちとの再会は少し遅れるだろうが……助けないとな。あいつがあれだけ被弾していたんだ、その仲間だって苦戦している筈。なら――
こくん、と、白髪赤眼の少女が、嬉しそうに頷く幻が見えた。
その胸のうちの幻に背を押されるように、俺は気焔を噴き上げて、海へと舞い戻ったのだった。
なお戦うとは言っていない模様。
本編の菊月(偽)も同じ葛藤を抱えています。ただ、本編の方は仲間とか姉妹とかと一緒にいられるので解消されてます。
『菊月』の方に関しては、ですが。