私が菊月(偽)だ。   作:ディム

250 / 276
菊月(偽)のターン。


超番外・戦慄の亡霊編!純白の呪船、後編その二

 しんと静まり返った海。日は高いものの、動くものは波を除いて何もない。風も凪ぎ、波が岩壁にぶつかる音が聞こえる。

 数日前に出航した少女――U-511と名乗った彼女は、あっという間に波間に消えた。それも文字通り。ある程度沖まで進んだ彼女は、自ら海中に飛び込んだからだ。

 おそらく、彼女は潜水艦娘だったのだろう。そう言えば、『U-511』という名前にも聞き覚えがある――ような、無いような。菊月()が人間の男であったのはもう遠い昔のように思え、それ以上に人間の男であった時に持っていた知識などとうの昔に消え失せた。同じように、菊月()菊月()として生きてゆく……この死と硝煙の匂いに充ち満ちた海で菊月を沈めない為に必要なもの以外も、遥か昔に消し去った。

 今の菊月()の中に存在するのは、ただ菊月を沈めない為に、ただ菊月の願い――沈まず傷付かずに戦い続けること、それを全うするために必要なものだけだ。

 

 なのに。

 

「……U-511……。馬鹿なことを言うものだ」

 

 口から紡いだ言葉とは裏腹に、彼女の言葉が脳内で響き続けている。『私はみんなを守りたい』、彼女はそう言った。

 

「……馬鹿な、ことを」

 

 そんな事はある訳がない。

 菊月()にとっての最優先事項は、菊月を沈めないことと菊月の願いを叶える事。そして、その菊月の願いとは『沈まず傷付かずに戦い続ける』だ。決して、U-511の口に出したようなことではない。

 加えて、彼女は菊月()のことを別の何か――あるいは誰かと勘違いしていた。確か、シャルンホルストとか言ったか。どう聞いても『菊月』とは聞こえないそれは、言うまでもなく菊月()の名前ではない。つまり、彼女は出だしの時点から間違えている。その言葉が、菊月()に届く訳がない。

 

 なのに。

 

「……『私はみんなを守りたい』」

 

 口に出すと、何故だかそれがしっくり来る。

 菊月()が菊月と成って以来感じていなかった、昂揚感のような何かが湧き上がりそうになる。

 それだ、と叫ぶ何かがいる。けれど同時に、申し訳無さそうに俯く何かのイメージも見える。不思議、と言うよりは奇妙な感覚。

 そして、その奇妙な感覚は、俺が菊月()として生きる上で全くの無駄だ。故に、さっさと忘却するに限る。

 限る、のだが――

 

「私は……私は、私の願いは」

 

 菊月()の中の何かも叫ぶ。

 気をつけろ、と。悩め、と。菊月()にとって、ここが分水嶺であると。お前は、何かを忘れている――と。

 故に、菊月()は悩む。

 生きる為、菊月の願いを叶える為、その何方もを妨げる『私はみんなを守りたい』という言葉が何故こうも気にかかるのかを。

 故に、菊月()は自問自答する。

 『私はみんなを守りたい』という意思が、菊月()にとって相容れぬものかどうかを。

 故に――菊月()は遡る。

 その言葉を言われたあの瞬間からずっと、海を征き、敵を沈め尽くし、他の艦娘と邂逅し、それ以前……独りで戦い抜けた日々、そして菊月()菊月()と成った初めての瞬間まで。

 

「…………みんなを、まもる? 守るために、戦う? それは無駄なこと、生存のために不要なこと、その不要を不要と断じたのは……」

 

 思考をどんどん巡らせ、己の裡に埋没してゆく。次第に風の音も波の音も遠ざかり、周囲の感覚があやふやになってゆく。そうして、そこまで深く自らの記憶を探り――漸く、菊月()はそれらに行き着いた。

 

 一つめの記憶は、菊月()菊月()と成った島の中央に存在した小さな泉の記憶。海へ出るためにそこで予行練習をし、無様に水面下に沈み溺れ掛けた。その時に――菊月()は、『菊月』は沈むのを怖がっているという事を覚えた。

 二つめの記憶は、その翌日だったか。海へ出られないという事に対して、どうしようもない虚無感と寂寥を感じた記憶。菊月だけが持つ、その寂しさ故に、菊月()は海へ出て戦うことを決意した。

 三つめの記憶は、その後――戦闘している仲間たちの中に、今にも沈まされそうな如月を見つけた時の記憶。その時に感じた強い感情は、今でも思い出せる……『もう、あんなに寂しいのはごめんだ』と。

 

 そこまで思い出して、はたと気付いた。菊月が感じていたものは、寂しさだったのだと。ソロモン諸島はツラギ島の海岸に独り骸を横たえ、朽ち行きながらも抱いていた感情は寂寥と……寂寥故の、もっと戦いたかったという未練なのだと。

 そう、未練。菊月()が戦う理由は菊月の願い、菊月の願いは沈まず傷つかずもう一度戦うこと。しかし、その根底にあったものは寂寥……独りぼっちの寂しさだった。

 

「……そう、か。そうか。独りで寂しかったから、もう一度戦いたいと願ったのだな。戦いたいが故に戦いを望んだのではなく――嘗て姉妹より先に沈んだ不甲斐なさと、姉妹の危機に参ずることが出来なかった情けなさ。そう感じていたから、戦いたいと……『今度こそは』戦いたいと思ったのだな、菊月は。そう、それは姉妹と、仲間と海を駆け、姉妹と仲間を――」

 

 ――守る、ために。

 

 なるほど、変質していたのは菊月()の――()の方だった。『菊月』の願いを叶えるために必死で戦い続けるうちに、『沈まずに戦い続けたい』という願いの受け取り方を間違えた。菊月は仲間のために、姉妹のために戦いたいと思っていたのに、俺がそれを菊月だけに向けていたのだ。

 

「菊月のため、が聞いて呆れる。俺は自分の為にしか戦っていなかった。全く、気まぐれでこんな所に来たのは何の幸運だとな。――だが、もう気付いた。今度は間違えない」

 

 そう、今度こそ。菊月の願いを汲み、彼女に報いるために。姉妹を助け、仲間を助ける。幸いに、それだけの力は得た。戦艦だろうと何だろうと、引かずに渡り合える力を。

 ならば、こんな所でもたもたしている暇はない。さっさとあの、拠点としていた島へ帰り、姉妹と合流をしなければ。

 俺はゆっくり立ち上がり、装備を点検する。白い外套も両腰の骨刃も問題ない。それら全てを身に付けて、俺は――

 

「この近くには、姫級が沢山出たらしいな。U-511(ゆー)はそう言っていた。……なら、本当ならさっさと帰るべきなのだろうが、私はどうもU-511を見捨てられないらしい」

 

 全身に澱んでいた何かが流れ出してゆく。

 身体は軽く、心はもっと軽い。

 戦うべきもののために戦えるという喜びが、全身を満たしてゆく。

 

「姉妹たちとの再会は少し遅れるだろうが……助けないとな。あいつがあれだけ被弾していたんだ、その仲間だって苦戦している筈。なら――()は、友のために戦おう。構わないよな……『菊月』」

 

 こくん、と、白髪赤眼の少女が、嬉しそうに頷く幻が見えた。

 その胸のうちの幻に背を押されるように、俺は気焔を噴き上げて、海へと舞い戻ったのだった。




なお戦うとは言っていない模様。

本編の菊月(偽)も同じ葛藤を抱えています。ただ、本編の方は仲間とか姉妹とかと一緒にいられるので解消されてます。
『菊月』の方に関しては、ですが。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。