私が菊月(偽)だ。   作:ディム

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揺れる海、その一

激戦の続く海。

艦娘達は入れ替わり立ち替わり補給を済ませて海を駆け、迫り来る深海棲艦の脅威を押し戻し戦線を広げている。今日の海は軽く波立ち、荒れそうな天気は戦場の空気をそのまま反映しているかのよう。そんな空と海の間で菊月()は、

 

「……むう」

 

鎮守府近海の警備をしていた。

 

「何が『むう』ですかお姉ちゃん。お姉ちゃんはまだリハビリしなきゃならないのは分かっているでしょう」

 

「……ああ、それはそうなのだが……むう」

 

俺の漏らした独り言を聞いたのか、口を尖らせているであろう三日月の言葉に暫し黙り込む。無線の向こうからは、僚艦である長月と卯月が苦笑する気配を感じた。

 

菊月()が目を覚まして数日。ちょうど今が二面作戦はどちらも佳境へと突入し、いよいよ艦娘達にも疲れが見えてくる頃。そんな中で両作戦の――特に中規模作戦において顕著だが――中核となっている艦娘、それが皐月……『皐月改二』だった。

中規模作戦の第二段階、コロネハイカラ島沖の海戦で軽巡棲姫との交戦中に改二へと進化を遂げた皐月。かつての悪夢を乗り越えて見事に仲間を護り抜いた皐月の活躍で艦隊は奮起したらしい。精神の具合がその身の力に直結するのは艦娘の特徴だが、この皐月の活躍により彼女らは疲れすら乗り越えて今も戦いを続けているらしい。

 

「そして交代もなしに前線に立ち続けている皐月のお陰で、私はこうして悠々と資源輸送の遠征に出られる、というわけか……」

 

「なにをむくれているんですか、お姉ちゃん」

 

「むくれてなどいない。……ただ、少しこの身を不甲斐なく感じているだけだ。私がもう少ししっかりとしていれば、皐月やその後詰めとして出ている如月を休ませることもできたのだからな……」

 

「そればっかりは仕方がないです。お姉ちゃんの怪我は先陣を切って駆逐棲姫と戦闘をした上での、名誉の負傷だったんですから。それに、私たちがしっかりと仕事をすることで皐月お姉ちゃんや如月お姉ちゃんの助けにも、他の方々の助けにもなれるんです。それを分かっていないお姉ちゃんじゃないでしょう?」

 

「そう、だな……。ならばやはり、これは私の僻みかも知れんな」

 

負けず嫌いな一面を持つ『菊月』にしては意外なことに、今のこの状況に対して抱いている感情はない。だからこの、胸にくすぶる小さな棘のような感情は『俺』のものなのだろう。自嘲する風に漏らせば、『俺』は菊月の口から小さく溜息を吐いた。頭を振る。目覚めて以来残るごく小さな頭痛が、俺の頭に走った。

 

「……まあ、私は私に出来ることをするだけだ。思い上がっている暇はない、か」

 

「菊月、何か言ったぴょん?」

 

「いや、何も。……よし、ヒトヨンマルマル、予定時刻だ。長月、現在の遠征進捗は」

 

「ああ、問題無しだ。距離にしておよそ六割半を過ぎた、敵との邂逅も無し。これならば資源を十割持って帰ることが出来るだろう」

 

「よし。……全艦に通達。遠征任務も佳境を越えた、あとはこのまま警戒を維持しつつ輸送船団の護衛を継続する。隊列は変わらず私が先頭、卯月が後方。長月、三日月がそれぞれ船団護衛左右だ。それでは、気を引き締めてかかれ」

 

無線に向かってそう投げかければ、向こう側からそれぞれ了解の返事が返ってくる。それを聞きつつ、菊月()は艤装の連装砲の点検を始めるのだった。

 

――――――――――――――――――――――――

 

陽が完全に水平線に沈み切るころ、その陽を背にして俺達は鎮守府に帰投した。遠巻きに表れる深海棲艦を幾度か撃退し、資源を乗せた輸送艦は全て着港。特別大成功とまでは行かないが、文句無しの成功と言って差し支えない結果だった。

 

「……提督、いるか」

 

『うむ、何用だ』

 

「……遠征に出ていた菊月だ。遠征結果と回収資源を纏めた報告書を持ってきたのだが、報告は可能か」

 

『ふむ、その程度なら――』

 

言いかけて、扉の向こうの提督は押し黙る。何事かと耳を澄ませてみれば、どうやら扉の向こうにいる誰かと話をしているようだ。話の内容は聞き取れない。そのまま暫く待機していると、提督から入室許可が下りる。ドアノブを回し扉を押し開くと、そこにいたのは提督と、珍しい艦娘だった。

 

「ああ、提督と……こちらは」

 

「こんばんは、初めまして菊月さん。私は軽巡大淀、あなたの噂はかねがね耳にしていますよ」

 

「大淀は今まで大本営に出向していたのだが、最近の作戦の激化に伴って此方へ帰還させたのだ。これからは作戦立案や指揮の補佐を担当してもらうことになる」

 

「……ああ、分かった。よろしく、大淀さん。それで、私の方はこの報告書を提出すれば良いだけなのだが……其方は何の用で、こんな時間まで話をしていたのだ。その机に広げられた海図や地図を見る限り、雑談ではないのだろう」

 

ちらり、と視線を提督に向ける。提督は顎に手を当てて暫く黙考した後、ゆっくりと視線を上げて口を開いた。

 

「大淀、良いか」

 

「別に言っていけない内容ではありませんよ、提督」

 

「そうか。……実はな、先日奪還した海域に出現していた敵深海棲艦のうち、一部が再集結しているようなのだ。大規模な艦隊ではないがそれなりの数で、戦艦級も数隻確認できるらしい」

 

「また、それらとは別に飛行場姫も確認できたそうです――その有り様はぼろぼろで、今にも沈みそうだと報告を受けましたけれど。大和さんの全門斉射を至近距離から受けたらしいですが、それから鑑みるに、沈められて再生したのではなく瀕死のまま逃げ切っていたようですね」

 

む、と思わず言葉を漏らす。適当な数ならば姉妹たちと出撃をしようかとも思っていたが、流石にそうもいかないようだ。

 

「ふむ……で? その艦隊が集結しているというのは何処なのだ、提督」

 

「二面作戦の初段作戦、その舞台。ソロモン海、ショートランド沖だ」

 

「そうか――」

 

と、言いかけた瞬間。俺は奇妙な感覚に襲われた。しっかりと立っていると理解できるのに感じる、眩暈のような感覚。ゆらりくらりと転がり、宙に浮くような感覚。十秒ほどの体感時間は実際には一瞬だったのだろう、未だゆらめく感覚の中で、

 

「――私を出撃させてくれないか」

 

菊月()の口は勝手に、そんなことを呟いていた。

 

「なに?」

 

「この二面作戦を、中断する訳にもいくまい。控えの艦娘か交代要員で艦隊を組むのだろうが、その中に混ぜてくれれば構わぬ……」

 

「確かにこの残存艦隊には戦力を割き辛い。菊月にはもともとこの艦隊の控えを頼むつもりだったが――何故、出撃したいというのだ」

 

口が動く。前後も覚束ないけれど、口から流れる菊月の声だけが耳に入ってくる。そして、その声は一瞬だけ躊躇ったあと、

 

「……菊月()のために、戦わなければならないからだ」

 

そう言った。提督は再び顎に手をやり、大淀は先程からこちらを見つめて沈黙している。しばらく後に、提督はおもむろに口を開いた。

 

「分かった、考慮しておこう。正直なところ、負傷後の慣らしもあまり済んでいないお前を使うのは気が引ける。だが、戦力的にも第一艦隊の面子であるお前がいた方が楽なのも確かだ。だからせめて、傷を負わずに帰ってこい。でないと、私がまた三日月にどやされるのでな」

 

「……感謝する、司令官」

 

そこまで言うと、菊月()の口はぴたりと言葉を紡ぐごとをやめた。同時に眩暈から立ち直る。一つ大きく息を吸えば、意識もはっきりと覚醒した。踵を返しドアの前まで歩き、二人に一礼。

 

報告書の提出を忘れていたことに気づき、慌てて戻った菊月()が目にしたのは、苦笑する提督と大淀の姿だった。




最近少しずつ一話の文字数が増えていってます。まあ、更新速度の低下とは見合わないくらいなので申し訳ないのは変わりません。

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