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迷宮区の奥深く、第一層は二十階から成る訳だが、既に十九階は完全制覇しており、今は最後の階層でのレベリングである。
ユートのレベルは16、シリカが13と最前線でのプレイヤーとしてもトップクラスだろう程に高い。
イベントを熟す以外で、二人して常に迷宮区の奥深くにまで潜り、無茶苦茶なレベリングをしてきた結果がこれだ。
元々、最初のデスゲーム前のスタートダッシュで、他人よりレベルを5は上げていたユートは、失速する事もなく他人より先に先に潜って、自分のレベルより高いMobを潰しており、リソースも取り放題だったのが功を奏した。
フレンド登録こそしているが、パーティは必要に応じて組む程度で、キリトは基本的にソロで動いている為に、どんな感じかは杳として知れないが、少し前に連絡を取り合った時には、レベルが10になったと言っていたから、同じペースならレベルも12くらいに上がっていると思われる。
通常なら、このゲームの適正レベルは階層の数字が=で、迷宮区は+5程度が安全マージンだったらしいのだが、デスゲームとなった今は迷宮区のフロアボスにマージンを取るならば、+10は欲しいと【鼠】の情報で言っていた。
シリカとのコンビネーションも取り易くなったし、レベルも充分ではある。
「そろそろ、フロアボスとの御対面といきたいな」
「その場合、逝きたい……ですよ?」
「違いないね」
今ではこんなブラックなジョークを言い合える程、精神的に余裕もあった。
くーっ、なんて音が幻聴だろうが何と無く聞こえた気がする。
「お腹、空きましたね」
「んー、そうだな〜」
安全な領域へと待避して疲れを癒していたが、本当にお腹の音が鳴りそうなくらい空腹感を感じている。
勿論、仮想体(アバター)にそんな情緒は無いが……
ユートはアイテムストレージから、1個で1コルという最安値の黒パンをオブジェクト化し、更に【逆襲の雌牛】というクエストで手に入れたクリームを同じくオブジェクト化、黒パンに使用した。
「あ、私にも下さい」
「ん、はい」
シリカに渡してやると、嬉しそうに黒パンへと塗りたくる。こうすると、ボソボソとした食感でしかない黒パンが、どっしりとした質感のあり田舎風ケーキになった様な味わいになってしまい、甘くて滑らかなヨーグルトみたいな爽やかな酸味まで付く……というのはキリトの談で、ユートもシリカもわざわざ何度も、クエストをクリアしてまで好んで食べたものだ。
味覚再生エンジンによる偽の感覚とはいえ、現在のこの状況では偽物も本物も違いはない。それを理解するが故に、シリカも折り合いも付けられたのだから。
「シリカ、お願いな」
「むう、それだと私が休めませんよ」
「後で代わったげるよ」
「絶対ですからね?」
シリカが少し崩した感じで正座すると、ユートは頭を膝というか太股に載せ、目を閉じた。
膝枕という奴だ。
そして直ぐに寝息を立ててしまう。そんなユートの姿を見たシリカは、彼方側でも余り休んでいないのだと判ってしまう。
ユートはアインクラッドと現実世界を往き来でき、彼方側でも色々と動いているのだと聞いていた。
キリトの家を拠点とし、SAO対策委員会とかいう組織にゲーム内での情報を渡しつつ、それを対価として足場固めをしているとか何とか、前にユートが言っていたのを覚えている。
少なくともそれが終わるまでの間、きっと休む暇も余り無いのであろう。
長丁場となるのはシリカにも判るし、年単位で攻略をせねばならないのだが、問題はプレイヤーはゲームのクリア後、どう社会復帰を為すのかという事。
一年、二年と勉強を全くしていなければどう考えても進級も進学も叶わない。
それをどうにかする為、ユートはログアウトをして動いているのだという。
「ユートさん、社会復帰の期待をしても良いんでしょうか? 流石にそこら辺がどうにもならないと凹んでしまいますよぉ……」
やはり12歳でドロップアウト・ガールというのはキツいのか、涙ぐみながらユートの黒い髪の毛を撫でるシリカであった。
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何と見付けてしまう……
「ボス部屋……ですね?」
「そうだろうね」
重厚なる鉄の扉がユートとシリカの眼前に、威圧感を漂わせつつ鎮座する。
「どうします?」
「偵察しておきたいな……往けそうならキリトと合流して戦うだけだ!」
「私達、3人だけで!?」
それは余りに無謀極まりない話だ、そもそもMMO−RPGというのは基本的にパーティプレイ推奨で、ソロでのボス戦は不可能ではないレベル。
況してや、このSAOは今やデスゲームと化して、失敗して死亡するのは同時に現実での死を意味する。
ユートは死なないのかも知れないが、そうなってはもうアバターが消滅して、ゲームからの退場となってしまい、ユートの攻略趣旨から完全に外れるのだ。
「偵察戦をしてどうしても無理そうなら、レベルの高い何処かのパーティを幾つか募って、レイドパーティを組んで戦うさ」
SAOは通常の、全六人から構成されるパーティを組む以外にも、パーティを複数で組むレイドパーティというものが在る。
六人パーティを八組……全部で四十八人パーティとなって、これでボスに挑む事が可能となっていた。
フルレイドで、役割分担を確りして挑むのが最善、それはユートも解る。
だけど、果たしてどれだけのプレイヤーがアインクラッド百層の攻略に心血を注いでいるのだろうか。
ユートにはそれが判らないから、最悪でソロというのが選択肢に存在する。
死んでしまえば終わりである以上、シリカもキリトも無理はさせられない。
「可能そうならクラインにも声を掛けて……」
「あの赤毛の方ですか」
クラインも攻略に向け、パーティの強化を頑張っていると聞いている。
「偵察戦は僕だけで征く、シリカは入らない方が」
「行きます!」
「最悪でもゲームから排除されるだけの僕と違って、シリカは殺られれば現実でも死ぬんだぞ?」
「構いません! とは言えません……死ぬのは怖いですし、嫌です」
「なら!」
「それでも! それでも、この侭置いて行かれてしまうのも怖いし、嫌です!」
こんなデスゲームになってしまったからこそ、繋がりを大事にしたいと切に願うシリカに、ユートは条件付きで共に往く事を許可する事にした。
「万が一の時には僕を囮にしてでも逃げろ。それが、一緒に往く条件だ。言っておくけどね、これはボスのデータを持ち帰るって役目があるからこそ、そう言っているんだ。聞き分けて貰うよ?」
「……はい」
何かを言い掛けたシリカだったが、矢継ぎ早に理由を説明された上に、それが正論ではシリカも反論などしようが無く、俯きがちにだが首肯するしかない。
「それじゃ、一足早くボスとの御対面といくかな」
尤も、βテスターは既に知っている訳だが……
ゴゴゴゴ……
正に重厚なる扉が音を立てて開く演出は、茅場晶彦の趣味なのか知らないが、とても凝っていた。
ボス部屋に侵入すると、其処は真っ暗闇な世界に充たされている。だが、侵入して少し経つとボッ、ボッと左右の壁に在る松明の灯が奥に向かい点っていく。
部屋の明度が上がるに連れて、ハッキリとした部屋全体の輪郭も見えてきた。
転がる大小、無数の髑髏が不気味さに拍車を掛け、部屋の最奥には玉座が鎮座しており、其処に坐するはコボルドの王……
「イルファング・ザ・コボルドロードか」
フィールドにも時々、顕れる名前持ち……ネームド・モンスター。
固有名称を持ったモンスターは、他の十把一絡げの連中とは違って強い。
フィールドに出るそれをフィールドボスと呼んで、この迷宮区に出る奴らの事をフロアボスと呼ぶ。
イルファング・ザ・コボルドロードは、青みが掛かった毛皮を纏う獣人の王。
二メートルを越える筋骨隆々の巨躯、血走った赤金色の隻眼、玉座に立て掛けられた骨を削って造っただろう斧と、革を貼り合わせて造られた円形盾。
ユートがある一定まで進むと、イルファング・ザ・コボルドロードが玉座より立ち上がって咆哮を上げ、ジャンプ一番……
「グルァァァァァッ!」
一回転をして、地響きを起こしながら降り立った。
右手にはボーン・アックスを、左手には円形盾(バックラー)を持ち、雄叫びを上げる事により戦いの始まりを告げる。
そして、待っていたと言わんばかりに左右の壁の穴から三匹の重武装コボルドが現れた。
ルインコボルド・センチネル……謂わば、イルファング・ザ・コボルドロードの護衛兵である。
「【イルファング・ザ・コボルドロード】と【ルインコボルド・センチネル】。コイツらを斃さない事には先に進めないって訳だね、征くぞシリカ!」
「はい!」
「シリカは取り巻きを!」
「了解!」
シリカは【ルインコボルド・センチネル】へと……ユートは【イルファング・ザ・コボルドロード】に向かって駈け出した。
「おらぁぁぁぁぁっ!」
ユートが右手に持つは、大太刀+8【A6D2】。
この一ヶ月の間に鍛えていた【鍛冶】を用い、自らが鍛造した現在に於いて、最高位の刀である。
使うはソードスキルではなく、ユート自身が現実で鍛え上げた緒方逸真流。
キリト曰く、リアルソードスキル。
システムアシストは無くとも、何百何千何万と揮ってきた技は今更、語るまでもない絶大な自信と信頼に充ち溢れていた。
所謂処の、練度が違うというやつだ。
イルファング・ザ・コボルドロードの骨斧を先ずは下段から上段に弾き、その勢いを利用した鋭い一撃を上段斬りで与える。
「緒方逸真流……【木霊落とし】!」
敵の武器や盾などを跳ね上げて、此方側で隙を強引に作り出し、無防備な所へ斬り付ける基本の技。
これを以前に見たキリトが『一人スイッチかよ』と洩らしていたが、ユートは苦笑いするしかない。
ソードスキルではないが故に、威力のブーストが無い一撃ではあるが、どうも茅場晶彦は可成りリアリティーというのを大事にしていたらしく、普通に斬るより大きくHPバーを削り、数ドットが減った。
それで終わりはしない。
元々、緒方逸真流の剣技──剣に限らず使える──というのは、一撃のみに懸ける特殊なとんでも技と、通常攻撃による連続(コンボ)技の二種類が在る。
奥義や秘奥が前者にあたって、基本技の組み合わせが後者に当たるが……
「うりゃぁぁぁっ!」
昔ならいざ知らず、今は完全に使い熟している技。
「【独楽乃舞】!」
上段斬りから継ぎの舞を経て、背後に廻ると無防備な背中を一回、二回、三回と斬り付ける。
「【天籟牙】っ!」
その最中に見た腰に佩いた武器……
「湾刀(タルワール)、確かHPバーが残り一本に減ったら使うんだっけ、けど……これは?」
違和感がある。
だけどその違和感の正体が判らず、首を傾げた。
その間も斬り付け続け、僅かずつHPバーを減らしていくユート。
【木霊落とし】【独楽乃舞】【天籟牙】【弐真刀】【呀佩雨】【龍星刃】……
百撃を放ち、連撃に繋げてイルファング・ザ・コボルドロードのHPバーは、どんどん減る。
何しろ、茅場晶彦は約束通りにソードスキルを使わない連撃(コンボ)に対し、一撃に10%のダメージボーナスを付けていた。
100のダメージが次には110、その次が120と段々と弥増していって、10回叩けば200のダメージとなる。
飛び飛びで叩いた場合は1000ダメージに対し、コンボなら1650ダメージにもなるのだから実に、1.6倍強だ。
勿論、コンボをすればする程にダメージ率は更に上がっていくだろう。
「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
ユートは一気呵成に攻め立て続けた。
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