fate/another_dream -モウヒトリノユメ- 作:きゃべる
Fate/another dream
二話 「アカクロ」
佐々木さんを助けたあと、これ以上キャスターの本拠地で戦い続けるのはさすがに不利だということで俺たちは柳洞寺から必死で撤退した。
追撃をかわし、追跡を撒き、第三勢力を警戒し、ついでにいつもどおり襲ってきたアヤカシを佐々木さんが退治してくれた。波乱万丈の脱出劇だ。アヤカシとの命懸けの追いかけっこがワイフワークの俺の人生の中でも、今日が一番走り回ったかもしれない。ようやく安全を確信した頃には日付が変わっていた。
新都の有名チェーンのカフェで紅茶を一杯だけ注文し、できるだけ人の少ない席に座った。へとへとの体に暖かくて甘い紅茶が身にしみる。ツンとした香りに癒された。そして体力を回復させながら、霊体化――俺には特に変わったようには見えないのだが、一般人には姿が見えなくなる状態らしい――をした佐々木さんから聖杯戦争についての大まかな内容を聞いた。
《聖杯戦争》。俺が巻き込まれてしまったもの。それは万能の願望器を巡る、7人のマスターとそのサーヴァントによる世界一小さな戦争。マスターたちはかつての英雄を召喚し、使役し、他のマスターと殺し合う。たった一つの枠のために。たった一つの願いを胸に。
「そんなことが、この街で…」
〈それも何回も。此度は五度目の聖杯戦争だそうだ〉
「五回目!? じゃあ、えっと、六掛ける四で、二十四人。佐々木さんみたいな人たちを合わせたら、四十八人が……負けて死んで」
〈さあな。そこまでは知らんよ〉
サーヴァントは召喚される際、通常現世の知識を聖杯からインプットされるらしい。ところが佐々木さん自身もイレギュラーであるためか、もともと最低限しか知識が与えられないのか、そこまで詳しくは知っていなかった。
それに今晩の寝泊り問題も未だに解決していない。さてどうするかと頭を悩ませたところで、夕方頃の士郎たちとの出来事を話したところ、佐々木さんが今の状態なら会いに行っても記憶は消されないのではないか、と言った。
盲点だった。すっかり士郎たちに会えば即攻撃されると思い込んでいたが、よくよく会話を思い出せばむしろ彼らは友好的だった。記憶消去の動機は俺を守るためだとか言っていた気がする。聖杯戦争の大まかな事情を知った今なら、彼らがそうした気持ちも分からなくはなかった。
しかし、理由が理解できるからといって、感情では今だに許しがたい。問答無用で、というあたりもだが、俺の体質からして記憶消去は根本的な解決にならない。知らない危険を避けることは不可能だ。また無知な状態でほかの非友好的なサーヴァントとマスターに出会ったとき、それが俺の命日になっただろう。そんな結末を招きかねない親切心はゴメンだ。
そして何より、あの士郎が、幼馴染の友人だと思っていた士郎が、一方的に俺の記憶消去を認めたのに腹が立ったのだ。
だから衛宮邸に訪れた。これが事の顛末だ。
「なるほど。そうやって、のこのこ逃げ帰って来たのね。のび太くんみたいに」
「誰がのび太くんだ!」
現在地、衛宮邸、居間。草木も眠る丑三つ時。
メンバーは遠坂凛、衛宮士郎、セイバー、そして俺こと四月一日君尋と佐々木さん。あと屋根の上にアーチャーがいるらしい。
突撃訪問から和解を経て、ちょうど事情を話し終えたところである。
「キャスターがサーヴァントを召喚してるっていうのもおかしいけど、そいつから令呪を奪ったですって!? ただの人間が! 魔術師のサーヴァント相手に?! ああもうどうなってんのよ!?」
「それは、ええっと、自分でもよくわからなくて」
「よくわからないでそんなことされてたまるもんですか! 大体自分のサーヴァントのことを佐々木さん佐々木さんって呼んでるんじゃないわよ! 真名を隠す気もないの!? というかどうして東洋の英霊が召喚されてるのよ!?」
「いやいや、人と話すときに名を呼ぶのは礼儀だろう」
「……マスターもサーヴァントも揃いも揃って平和ボケしてるってことだけはわかったわ」
「はは……」
遠坂さんは夕方頃の態度のままだった。普段の学校での振る舞いの方が演技ということで合っているようだ。俺の夢がまた一つ崩れた。
「はあ、いいわ。ここまで話も聞いたんだし、最後まで面倒みてあげる。共闘しましょう。勝手に死なれても気分が悪いもの」
「ありがとう、遠坂さん」
「礼を言うくらいなら、少しでも役に立つ方法を考えなさい」
「わかったよ」
「ものは考えようよ。ほぼ一般人のマスターでも、3組同盟となれば全体の半数。その有利性が分からないほど素人ではないでしょう?」
言い方は厳しいが、彼女なりの優しさなのだと思う。それがとても嬉しかった。
「もうここまでバレバレなんだし、隠す気もないみたいだから一応確認しておくけど。貴方、真名は?」
遠坂さんは佐々木さんに向かって質問した。
「ふむ。私は佐々木小次郎だ」
「宮本武蔵の伝説にでてくる佐々木小次郎なのね?」
「厳密にいえば違うがな。佐々木小次郎は架空の人物だ」
「本人じゃなくて、民衆が信じている虚像が召喚されたと言うことかしら」
その後も佐々木さんと遠坂凛は会話を続けていく。ここの単語が全く理解できない。ある程度聖杯戦争について説明を受けたとはいえ、俺はやはり素人なのだと改めて実感させられた。
早々に会話を追うのは諦め、士郎に話しかけた。
「士郎は聖杯戦争のことを知ってたのか?」
「いや、昨日知ったばかりで、正直俺もあまり詳しくないんだ」
「あっそう。あーもう、わけわかんねー……」
頭を抱えた。わけのわからない事だらけだ。なんとか衛宮邸まで来て説明が受けれたものの、今度は一気に与えられた情報が消化しきれなかった。
疲れが一気に押し寄せてきたような気がする。
「学校は変だし、いきなり士郎に襲われて記憶消されかけたり金ピカの剣突きつけられたりするし、佐々木さんは死にかけるし…俺が何したっていうんだ」
「金ピカの剣?」
「ん? セイバーさんだよ。持ってただろ?」
「何がだ? 金ピカの剣だなんてセイバーは」
「――見えて、いるのですか?」
金髪の少女、セイバーが初めて口を開いた。
「はあ」
「それはありえない。私の風王結界は、空気の屈折を利用した宝具だ。一般的な霊視で見抜ける類の仕組みではありません」
「でも、たしかに金ピカの剣が」
「…自覚がないのですね。分かりました。では二つほど頼みたいことがあります」
「なんですか」
「一つ。どうか私の剣の外見などは凛や敵には内密に。士郎にもです。そして二つ。金ピカという表現は金輪際私には使わないでください。嫌なものを思い出すので」
「わかりました……?」
なんというか、妙な威圧感だった。一つ目は宝具の秘匿性がどうのこうのと遠坂さんが言っていたのでそれだろう。士郎も一応受け入れているようだ。二つ目に関しては完全に意味不明だが、断る理由はなかったので頷いておいた。
しばらくして遠坂さんは佐々木さんと話し終えたのか、俺と士郎のほうに向きなおった。
「アーチャーは負傷中だから見張りと援護に集中、セイバーが正面からの襲撃、アサシンがマスター陣の護衛と前衛の補助。当面はこれでいきましょう。まずは学校の結界を張ったマスターを倒すのが目標よ」
「学校……ってあの甘ったるいの! やっぱりあれもこの騒動がらみなのか」
「へえ、幽霊以外も見えるんだ。その困った体質も、高性能の索敵と思えば便利ね」
感心したように遠坂さんは笑った。その笑みからは、いままでの挙動が嘘に見えるくらい、余裕と優雅さが感じられる。
「この体質がなかったらそもそも巻き込まれてないんですけど」
「そういえばあなた士郎と仲が良かったのよね。魔術方面の知識は士郎とどっこいどっこいって感じかしら?」
「そこ! 露骨に話をそらさない! まあ、一応オカルト関係は否が応でも知っているというか…」
「霊視は今は関係ないわよ。魔術師のこと」
「まあ、ちょっとだけなら知ってますけど」
士郎が魔術使いだということは知っていた。
昔、俺が霊視のことを教えた際に「こっちも教えなきゃ不公平だ」という士郎の考えのもと、教えてもらったのだ。しかし、霊視と魔術はそんなにも違うのだろうか。同じオカルトには変わりないと思うのだが。
「はあ、あんたも結局士郎と同レベルってこと。どうしてこうなのよ。面倒すぎるわ」
遠坂さんはこめかみを抑えた。それでも切り捨てないのは凛のやさしさゆえだろうか。遠坂さん流に言うならそれは甘さかもしれないけれど。
「とりあえずは教会に報告に、と行きたいところだけど、あなたの場合は召喚じゃなくて強奪だしね。別にいらないわね」
「何か違うのか?」
「士郎の時は召喚で、現界したサーヴァントの数が増えてたでしょ? 強奪なら総数は変わってないから、重要度は大きく下がるわ。でも本音は教会に行く余力があるかどうかね。昨夜の戦いに加えて、今日のランサーの襲撃。四月一日くんたちもキャスターと一戦交えてきたばかりだし、コンディションは万全とは言い難い」
「それもそうだな」
皆、疲労はたまっていた。教会に行かなければ誰かが死ぬというわけでもないのだから、行かなくてもいいならそうしたかった。
「…それにあの神父にはあまり会いたくないしな」
「神父って、丘の上の教会の? 士郎がそんなこと言うなんて珍しいな」
「あー、色々あってさ。君尋も会えばわかると思うけど」
「ものすごく遠慮したくなってきた」
パン、と手を叩く乾いた音がした。
「よし! じゃあとりあえず朝まで休息を取りましょうか。疲れてたから負けましたなんて言い訳は認めないわよ」
「分かったよ。遠坂、布団出すな」
そうして一同は一時解散した。
◆
小鳥が鳴く音がする。自宅にはない畳の香りがした。
「ううーん」
《朝だぞ四月一日》
「うわあああああ!?」
目が覚めると佐々木さんがいた。突然のことで悲鳴を上げてしまった。
「な、なんでここに……って、畳…じゃあここは士郎の家で…」
「朝だ。この屋敷はいい。山門にいたころ見た夜明けとはまた違った風情がある」
「…前から少し思ってたんですけど、佐々木さんってあまり人の話聞かないですよね」
しかし今回ばかりはそのマイペースさに助けられたようだ。おかげで落ち着くことができ、昨日の記憶も戻ってきた。
右手を見れば、一筋の赤い線があった。令呪である。三角あるというそれは、もうたったひとつしか残っていない。
「聖杯戦争か……」
佐々木さんはアサシン――暗殺者のサーヴァントらしい。セイバーさんはその名の通り剣士、赤い男は弓兵、青い男は槍兵、柳洞寺であった女性は魔術師のサーヴァントなのだそうだ。サーヴァントとは、簡単に言ってしまえば偉人の幽霊のこと。
「……」
つまり、縁側に立ち庭を眺めている佐々木さんも英雄の一人だということだ。以前はそこまで意識していなかったが、殺し合いという異常な状況に、早朝の独特の雰囲気も合わさって、とても遠い人物に感じられた。
じっと見つめていると、いつまでも布団から出ない俺を不思議に思ったのか、佐々木さんはこちらを振り向いた。
「四月一日」
「はい!」
突然声をかけられて焦って答える。
「すこし訪ねたいことがあってな」
「なんですかっ」
見知った顔とはいえ、偉人、英雄からの改まった質問に、緊張してしまう。何を聞かれるのだろう。マスターとして俺にできることなどほとんどないというのに。一息ためたあと、佐々木さんは真顔で質問してきた。
「――今朝の菓子はなんだ?」
―――――。
えっと、佐々木さんは今なんと聞いてきたのだろうか。
「…今日は菓子を作らんのか?」
佐々木さんの表情にあまり変化はないが、予想外だという雰囲気が漏れていた。
「えっと、食べたかったんですか?」
「あれほど美味なるものなら、また食したくなるのは道理であろう」
佐々木さんは「なに変な反応してるの?」と言わんばかりだった。空の明るさからして、現在時刻は四時すぎだろうか。昨日のこともあるのでもう少し寝ていたかったのだけれど。もしかしてデザートを作らせるために、早く起こしたりしたのかこの人は。
「なに、山門から解放されたうえ、美女揃いの場所にいるのだ。できれば月見酒がよかったが、朝酒と言うのもまた風情がある」
「佐々木さん遊ぶ気満々ですよね!?」
佐々木さんのテンションがなぜか普段より高い気がする。というか高校生に酒を用意させる方向になっていているのはどういうことだろうか。
「わかりました、作りますよ。ちょうど桜ちゃんとの練習用に材料も補充してありますし」
「まことか」
またしても表情にあまり変化はないが、うきうきしているのが丸わかりだ。
「じゃあ、桜ちゃんが来るまでに下準備だけしておこうかな」
熱心な生徒のことを思い浮かべながら、さっさと着替えを済ませて台所にむかった。
喜んで食べてくれるだろう人もいるのだ。頑張りがいがあるというものだった。
◆
「「「「「「「いただきます」」」」」」」
大勢の声が重なる。士郎と藤村先生と俺3人だったころの食卓からは想像できないにぎやかさだ。まあ、冬木の虎は一人で5人分くらいの存在感があったのであまり関係ないかもしれないが。部活だからと、桜ちゃんが一足先に出て行ってしまったのが残念だ。遠坂さんが寝坊しなければ一緒に食べれたのに…と目線をやれば、ごめんなさいねと申し訳なさそうに返された。予想外に素直に謝罪されて、少し驚いた。
「ふむ、これはなんという菓子なのだ」
「塩クッキーです。時間がなかったので簡単なものですけど」
「塩? 菓子にか?」
「はい。少量なら変わった風味が出て美味しいんですよ」
「なるほど。して酒のほうは…」
「朝から高校生になんて無理難題出してるんですか佐々木さん」
暗に酒なんてねえよと伝えた。
今日のデザートの塩クッキー。小麦粉200gとバター100gに塩と砂糖をお好みで入れる。お手軽に作れるうえ、おいしいしコストもあまりかからないお得な一品だ。
ちなみに俺はこれを初めて作ったとき塩を20gも入れてしまい後悔した経験がある。あれはクッキーではない何かだった。
今この場では俺名義で食卓には出してあるが、実は桜ちゃんの作品だったりする。
「わーい久々の君尋のお菓子だなんて、先生嬉しいー!」
「確かに四月一日の菓子は美味だな」
「そうでしょそうでしょー! 毎年私の誕生日にはおっきなケーキ作ってくれるんだからー!」
藤村先生は嬉しそうに語りだす。しかし、突然手が止まった。
「……」
「ふ、藤ねえ?」
「って、誰よあなたーーー!!!!!!」
「む、私か?」
藤ねえの指の先にいたのは、実体化して何気なく衛宮家の食卓に混ざっていた佐々木さんだった。ちなみに今着ているのはいつもの陣羽織ではなく、士郎の義父の切嗣さんの遺品の和服だったりする。
「まーた士郎なにか拾ってきたの!? 士郎がやさしいのは知ってるけど、何でもかんでも拾ってきちゃダメじゃない!」
佐々木さんは犬か何かですか。
「佐々木さんは俺のいとこですよ。実は少し前から俺のところに来てて」
「ええーーー!? 君尋いとこいたの!? 初耳だよ!?」
「はは…俺がこっちに泊まることになったので、士郎に許可もらって一緒に来てもらったんです。桜ちゃんと藤村先生には言い忘れてたみたいで。すみません」
もちろんこれは朝のうちに遠坂さんと士郎と打ち合わせておいたウソである。
「えっ、あら、そうだったのー? もう、なんで士郎教えてくれなかったのよ。びっくりし損じゃない」
「ごめん藤ねえ」
「でも君尋のいとこねー。あんまり似てないみたいだけど」
「そ、そうでしょうか……」
藤ねえはこう見えてものすごく感がいい。これ以上怪しまれる前に、話を打ち切った。
一方の佐々木さんのほうを見る。箸を使い、和食を黙々と食べていた。セイバーといい、佐々木さんと言い、ずいぶんとおいしそうに食べている。サーヴァントは食事好きという法則でもあるのだろうか。
「佐々木さん、おいしいですか」
「ああ。皆で囲む食事がこうも楽しいとは思わなんだ」
「あ……」
そういえば、佐々木さんは山門の地縛霊だったのだ。ずっと長い間たった一人であそこにいた。少し不躾な質問だったかもしれない。
「この人参は何かをかたどっているのか?」
「えーと、ああ、士郎の作ったやつですね」
佐々木さんが箸でつまんでいたのは、味噌汁に入っていた星形に切られたにんじんだった。特に意味はないが、見た目にもこだわる士郎が作ったものだ。
ちなみに星形に切ったあと残りはごぼうと一緒にして1品増やしているあたり、士郎の主夫力は相当だ。
「ふむ、これを作ったのはあの少年か。なかなか心得ている」
佐々木さんが何をもって心得ているといったのかはわからないが、やはり風流とかそういったことだろうか。なけなしの古文知識を持ち出して想像する。士郎は風情や優雅さ、儚さの美への感受性はないほうだと思うのだが、今言うことではないだろう。
佐々木さんはゆっくり味わって食べたようだ。
「あー! トラ! トラがあっちにいる!」
藤ねえが少なくなったおかずを独り占めにするために、本人いわく綿密に計算された計画を実行したが、完全にスルーされていた。
「おなごはもう少しおしとやかであったほうがいいと思うのだが」
「藤村先生は冬木の虎ですから……おなごというよりタイガーというか……」
「タイガーって言うなああああ!!!」
こうして衛宮家の騒がしい朝食は終わった。そろそろ学校の時間だ。
◆
吐き気がする。景色が歪む。妙に蒸し暑くて冬だというのに全身から汗がにじみ出た。もうだめだ、と思ったときには既に手遅れで。学校に入ってほんの三歩で俺はひっくり返ってそのまま気絶してしまった。
「…情けなさすぎて恥ずかしすぎる」
「四月一日は感知型なのだろう。あいにく私に兵法や魔術の学はないが、そういう役割もまた必要ではないのか」
「学校の結界がたった一日でこんなにもやばいものになってるなんて想像してなかったんだ」
学校を覆う赤。
数日前まではうっすらとしたピンク色だったそれは、今やかなりの濃さになってきている。まるで赤いセロハン越しに世界を見ているようだ。甘ったるいにおいも、もはや兵器級の危険物になっているような気がする。
その威力は、俺が速攻で倒れて保健室に運び込まれるくらいには強烈だった。
「しかし、ガッコウだったか。学び舎に罠を仕掛けるとは、無粋なマスターもいたものよ」
「無粋、ですか」
現代っ子な四月一日にはそういう感覚はあまり理解できなかったが、学校に人殺しの罠を仕掛けることへの不快感は理解できた。
「やっぱり殺し合いってこういうものなのか…?」
さて、気分が悪くて保健室にいるとはいえ、この場にいる限り体調が良くなることは決してないだろう。少し話せるくらいになったのは、回復ではなく慣れだった。
「そういえば、今朝のことなのだが」
「今朝の?」
自分の役立たずっぷりを嘆いていると、佐々木さんが唐突に話題をふってきた。
「虎が言っていたのだが、たしか誕生日には菓子を送るのだと」
「……」
どうやら佐々木さんの藤村先生への呼び方は虎に決定したらしい。
「誕生日ケーキですか?」
「面白い文化もあったものだと思ってな」
つまり佐々木さんも誕生日ケーキを作ってほしい、ということだろうか。
「誕生日じゃなくても、いつでも作りますよ」
「なにもない日に飲んでどうする。花鳥風月、もしくは祝い事のときだからこそよいのだ」
「結局飲むの前提かよ!」
どうやら佐々木さんはまだ飲酒をあきらめていなかったらしい。まあ、酒自体は藤村家にあるだろうが、ケーキと一緒に飲むにはいまいち相性が良くない。
「となるとワインかウイスキーとかか」
「わいん? ういすきぃ?」
「洋菓子に会う西洋の酒の一種です。口に合うかはわかりませんが」
佐々木さんは定番の日本酒のつもりで発言していたようだが、未知のものへの興味が勝ったらしい。
「西洋……南蛮の酒、か。心惹かれるものだ」
「じゃあ今度、買いに行きましょう」
衛宮家から見える月は綺麗である。きっと佐々木さんも気に入るだろう。そんな月の綺麗な日に、ケーキとワインを用意しようと約束した。
思えばここまでゆっくり佐々木さんと話す機会は久しぶりで、しばらく談笑に夢中になっていた。突然、ずんと揺れたような感覚と同時に目の前が一瞬真っ赤に染まった。
「えっ、何が…」
「下手人が動いたようだ。さて四月一日はどうする?」
「もちろん士郎たちのところへ行きます!」
急いでベットから降りたが、勢い余ってふらついてしまった。
「やせ我慢もまた美徳と?」
「そういうわけじゃないですけど。とにかく俺にもできることがあるかもしれませんから」
「……ふむ」
手を壁につきながらよたよたと歩く俺を見かねたのか、佐々木さんが無言で俺の脇の下から手を入れて背負った。
「ぬおお!?」
「運ぼう。案内を頼む。そのような速さではいつたどり着くかわからん」
「すみません」
佐々木さんの気遣いが痛いほど身に染みた。
「一番存在感が濃い教室は一つ上の階です」
「承知した」
そう言うや否や佐々木さんは駆け出した。信じられないスピードである。うっすらと見えるステータス――マスターに与えられる能力らしい――が示す佐々木さんの素早さの値はA+。四月一日は知らなかったが、これはあのランサーのさらに上を行く、サーヴァント7騎中最高の値だった。
◆
「士郎! 遠坂さん!」
「四月一日!」
「なっ……四月一日!? お前もマスターだったのか!?」
目の前に広がっていたのは悲劇だった。倒れている人たちから血の香りはしない。けれどピクリとも動かなくて、まるで死体のようで。空間を満たす赤も相まって、気分は最悪だ。
真っ赤に染まった廊下の中、立っていたのは士郎と凛とセイバー、そして間桐信二と長髪の女性だった。間違いない。長髪の女性はサーヴァントだ。
「まさか」
この状況からして、まさか慎二がこの結界を張ったマスターだというのだろうか?
間桐信二。数少ない俺の知り合い以上の同級生。出会ったのは士郎づてだが、士郎がいなくても遊んだりする程度の仲ではだった。
「…ははっ! 自分のサーヴァントに背負われて登場だなんて、よっぽど僕のライダーの結界でダメージを受けてるみたいだな! まさか四月一日まで参加してるのは予想外だったけど、所詮は三流だね」
動揺は一瞬で、慎二はペースを取り戻したようだ。俺は図星過ぎて何も言い返せない。
「あらあら、偽臣の書に頼っているあなたがそれを言うのかしら? 令呪も持っていない身分でマスターを名乗るなんて、そっちこそ三流じゃない?」
「遠坂おまえ…! ライダー! あいつを殺せ!」
慎二は何の躊躇もなく命令した。しかしライダーと呼ばれたサーヴァントの剣は、セイバーの黄金の剣の前に阻まれる。
「くそっ、おとなしく殺されろよ! 何やってるんだライダー! さっさと仕留めろ!!」
「……」
慎二はやつあたりにも近い態度でライダーに命令する。ライダーとセイバーのすさまじい戦いが始まった。しかしそれ以上に俺の目を引いたものがあった。
「慎二の、周りに……黒い煙が……」
赤を塗りつぶす勢いで渦巻く黒。慎二を中心に漂っていて、怒りをあらわにするたびに大きく膨らみ量を増やしていく、慎二を発生源にしている何か。とても、よくないモノ。
「なんだあれ……」
俺以外の誰も気にする様子はない。俺にしか見えていない黒い煙。アヤカシではなかったが、きっとあれはそれ以上にタチが悪い。
「衛宮! 格の違いってのはこういうことだよ!」
慎二が影のような何かを飛ばして士郎を攻撃する。俺のほうにも飛んできたが、佐々木さんが全て捌いてくれた。もちろん、士郎もうまくよけている。
「どうしたマスター?」
この状況下で上の空で慎二を見つめる俺を訝しんだ佐々木さんが声をかけてきた。
「慎二の周りに黒いもやがあって」
「…注意しよう」
前々から俺の霊視のことを知っている佐々木さんはそれだけですべてを理解してくれたようだ。
「ありがとうございます」
「くそ! くそ! くそ! なんで衛宮や四月一日にはっ! 僕のほうが優れてるはずなのにィ!」
一向に当たらぬ攻撃にしびれを切らした慎二が叫ぶ。
「大体四月一日! 昨日だって俺が声をかけてやったのに無視しやがって! なめてるのかよ!」
「昨日?」
全く記憶がない。もしかして、柳洞寺へ走って行っていたとき、だろうか。あり得るとしたらそこだけだ。慎二に声をかけられたのかもしれない。
「とぼけるのかよ……! くそ、これだから凡人は少し甘やかすとすぐに調子にのって! ライダー!!!」
「が、ぁっ!」
慎二がそう叫ぶとライダーは慎二のそばにあっという間に戻り、慎二に接近していた士郎を薙ぎ払った。黒い煙が、よくないモノが、大きくなっていく。
「ひひ、ふふふふふ、ははっ、イーヒヒッ、アハハハハ! いい気味だ! あーあー、お前じゃこいつらを殺すのも大変だよな。宝具を使うのを許可してやるよ。さっさと殺しちまえ!」
「「「「!?」」」」」
宝具。どういうものかは知っている。サーヴァント、英雄を象徴するエピソードや武器を具現化した切り札だ。しかもライダーは宝具に特化したサーヴァント。その威力は計り知れない。それを、信二は解放しようとしている。
「させるか!」
セイバーは発動を防ごうとライダーに飛びかかる。ライダーも鉄杭を構えた。しかし、その鉄杭はセイバーの剣と交わることなく、ライダー自身の首を貫いた。
「えっ」
しかし、疑問はすぐに恐怖へと変化する。ライダーの首から噴き出した血が、赤い魔方陣を描いていたのだ。
「――――」
ライダーの唇が動く。何を言っているのか、ここからでは聞き取ることはできなかった。
視界が白い光で埋まった。