fate/another_dream -モウヒトリノユメ-   作:きゃべる

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夢虫:蝶の別称


第十三夢 「ユメムシ」

 

 

 

 

fate/another dream

 

第十三夢 「ユメムシ」

 

 

 

 

 

 子供が一人泣いていた。

 

 しかし少年は一人ではなかった。

 

 少年には愛する人がいた。恋する少女がいた。生涯の腐れ縁がいた。導く先人がいた。大切な子がいた。尊きモノがいた。もう一人の己がいた。

 

 だから寂しくなかった。永遠の時を超え、皆はまた一人と消えていく。ついぞ再開は果たされなかった。けれど本当に寂しくなどなかったのだ。

 

 

 

 子供が一人泣いていた。

 

 しかし少年は一人ではなかった。

 

 少年には親しい幼馴染がいた。心を許せる姉がいた。悲しい義父がいた。かわいい後輩がいた。ともに笑える同級生がいた。杯をする友がいた。かわいそうな主がいた。願いを乞う呪いがいた。

 

 だから寂しくなかった。裏切り失いまた消える。全てを拾うことはできない。けれどそれでよかったのだ。

 

 

 

 存在自体がありえない。そんな自分が許されている。少年は幸せだった。

 

 どちらも等しく価値がある。一度目は終わった。しかし二度目は続いている。

 だからこれはわがままだ。最後に残った悪あがき。

 

 モウ一人ノユメはもうすぐ――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――気楽に'遊ぶ'としよう。

 

 君尋はそう言った。

 

「後ろに、聖杯があるんだろ。イリヤを返せ。狙いは時間稼ぎなんだろ」

 

「ろうたげな顔して言うことだけは一人前なのは変わらねえな。士郎がマスターのところに行くってんなら、止めろと命令されている」

 

 右手に剣鳥を乗せる。

 全てを解析するわけではない。必要な部分だけを用意する。出来ることだけをする。ただその発想があればよかったのだ。

 創造の理念を鑑定し、基本となる骨子を想定し、構成された材質を複製し、制作に及ぶ技術を模倣し、成長に至る経験に共感し、蓄積された年月を再現する。左手に鈍く光る羽剣があらわれた。初めて投影に成功したとは思えないほどに手に馴染んだ。

 

「……瑠璃色の羽。形だけ似た贋作ができるのはよくあることだけど、この鳥だけは見た目すら真似できない」

 

「いい剣だろ? そいつは基盤から異なる異世界の神秘だからな。よく分からないものをよく分からないままに再現できるようにならなきゃ、剣鳥は完全投影できやしない。でも、武器としては瑠璃色小羽は上物だ」

 

「だって、君尋がくれた鳥だからな」

 

 羽剣を投影する。投影する、投影する、投影する――! 

 恐ろしい程にかみ合い、最適効率で剣群が形成されていく。まるで俺が投影するために作られたかのようだ。実際そうなのかもしれない。数にして二十六と原物が一。剣鳥は完全再現をせず羽剣の投影にのみ専念すれば、これ以上扱いやすいものもなかった。手始めに二本の刃が、挟み込むように君尋に向かい射出される。

 

「――!」

 

 だが君尋は二本の羽剣を一歩も動くことなく弾いた。あの逸れ方は結界だろうか。

 

「何故防がれた、と思った?」

 

 ゆらりと四肢に力も入れずリラックスしていた。疲弊した様子もみられない。問いかけは誘導かとも思ったが、たしかにどのような手段で防いでいるのか仕組みに気づかなくては対処のしようがない。

 

「単純な防御魔術って訳じゃないみたいだ」

 

「だろうかね? 数うちゃ当たるかも知れないよ」

 

 挑発だったが、あえて応じる。なにせ羽剣の投影効率は高すぎて、射出するよりも早く補充できるのだ。試し打ちによる隙も魔力損失もほぼ無いに等しい。

 追加され、射出され、補充され、弾かれる。三十を超える剣群が攻撃するも、結界を貫くには至らなかった。

 

「よほど強力な結界なのか……いや、むしろ条件付きの結界、なのか?」

 

「勘がいい。はは、そのとおりだよ。でも剣鳥の方に細工してるとは考えなかったんだな。意外だ」

 

「だって投影の過程で構造解析したからな。分かるさ」

 

 創造の理念は、まもる祈りだった。

 基本となる骨子は、よりそうことだった。

 構成された材質は、'剣'と'鳥'の二重属性だった。

 製作に及ぶ技術は、この世界のものではなかった。

 成長に至る経験は、幾星霜の雨と夢の中でのぬくもりだった。

 蓄積された年月は、数千を越えるが一日も経ってはいなかった。

 

 これは、君尋が君尋自身を殺す力を与えた可能性だ。

 自分が辿れぬ未来のために孵した鳥なのだ。

 

 だから原因があるとしたら武器ではなく結界だ。鳥剣に秘められた神秘ですら貫けぬほどの魔力は君尋の周辺からは感じられない。ならば条件付きの防御と考えるのが定石だ。

 辺りを見回した。背後には桜、左には塀、右には縁側、正面には君尋。これといった異常はない。位置条件でないのなら'遠距離攻撃'という概念への防御なのだろうか? 矢避けの加護というものなら、聞いたことがあった。 

 近距離攻撃ならば、効くだろうか。

 思ってからの行動はできるだけ素早く。およそ十メートルほどの距離を走って一気に詰めた。サーヴァント相手に近づいて戦うなど自殺行為以外の何者でもないが、セイバーの言葉を信じるなら君尋は肉体強化の魔術は不得手のはずだ。

 

「さて、時間はどんどん過ぎていくが、間に合うのかどうか。イリヤを助けたいんだろう?」

 

 だが直接の攻撃も弾かれた。急ブレーキのかけられた右手が痛むが、弾かれた衝撃を利用し回転して二激目を叩き込む。しかしこれも届かない。最終手段で武器を手放した素手で腹を狙ったが、これもまた無意味に終わった。

 

 ――否、無意味ではなかった。直接攻撃して気づいたことが一つあった。

 

「腕が勝手に動いて……!?」

 

 剣がはじかれたのではなかった。殴ろうとする前に、君尋に当たる前に、俺が自分の意志で止めていたのだ。当然俺に覚悟がなかっただとかそういう話ではない。強迫観念、無意識下の禁忌、明らかに魔術による暗示だ。

 俺は魔術師としてはへっぽこだ。その暗示への耐性の低さが今の状況を生んでいる。

 

「手を出せないみたいだな。俺もここまでうまくいくかは不安だったんだが、良かった。本来はこういう用法じゃないんだ」

 

 時間がすぎれば過ぎるほど、どんどんイリヤは死に近づいていく。早くしなければ。早急に打開策を考え出さねばならない。

 もう一度辺りを見回す。庭に飾ってある無骨な石が目に入った。

 

 ――あれだ。あれを使おう。

 

 羽剣を再度投影した。

 

「だったらこれで……どうだッ!」

 

 射出された剣は、庭の石へと向かう。しかし相手も想定内だったのか、対応は早かった。

 

「ッ、無月!」

 

 剣が岩を砕き、破片が辺りに飛び散り、鋭い欠け口が二人の肌を傷つけようとする。だがそれは管狐の炎にあっけなく払われた。

 

「……ついに出してきたな」

 

 八つの尾を持つ獣。主人を傷つけようとする俺に敵意をむきだしにした管狐に、愛嬌たっぷりだったかつての面影は見当たらない。管狐は四次キャスターの主要攻撃手段(メインウェポン)だ。半端な攻撃はもう通らないだろう。

 攻あぐむ俺に退屈になったのか、君尋はビックニュースを俺に告げた。

 

「なあ、向こうはもう決着がついたぞ。この感じだと、二騎共に同時消滅らしいなあ」

 

「!」

 

 思わず後ろを振り向くが、ふたりのサーヴァントは未だに戦い続けていた。しかし君尋が嘘をついているようには見えない。他のサーヴァント――アーチャーとランサーのことなのだろう。

 

 ――泥の聖杯がまた満たされた。

 

 時間がない。けれど、どうすればいい。自己意思での攻撃は届かず、間接攻撃のような狙いが甘く威力の弱い攻撃は全て管狐に潰される。暗示は位置条件でも攻撃手段条件でもなかった。何か見落としている。けれどそれが分からない。分からないままでは戦いすら始められない。君尋にとって、今のやりとりは'遊び'同然なのだ。

 

 

「――シロウ! 終わらせるのです!」

 

「――!」

 

 

 セイバーの、声が届いた。

 

 続く言葉はない。剣戟しか鳴らない。背後からの助言だった。

 

「ああ、そうだったのか」

 

 また、面倒をかけさせてしまった。気づいてしまえば簡単な仕組みだった。

 俺も知っていたじゃないか。切嗣に教わった古い護法。二人で行い、この世ならざる驚異から身を守る術。夜道を歩くときによく実践したものだ。

 ただの気休めの術だと聞いていた。不安を鎮めて、アヤカシに付込まれにくくするだけの自己暗示。それが力ある術者が行使しただけでここまでの強制力を持ち合わせるのか。まるで遠坂のガンドみたいだと思った。指をさした相手の体調を崩すだけの呪いが、マシンガン並みの物理的な破壊力を秘めているのだ。

 

「……勘付いちゃったかあ」

 

 言葉をつないでいる限り、ある言葉で断ち切らぬ限り、その流れは決して途切れることはなく、何者にも邪魔されることがない。いくら俺が攻撃しようと、続く会話がそれを拒んでいたのだ。会話の頭文字と語尾の連続。妙な違和感の正体はそれだった。

 

 

「ああ、終わらせよう――――投影開始(トレース・オ『ン』)」

 

 

 無意識の'しりとり遊び'が終わる。パキン、と護法の守りが壊れる音がした。これより始まるのは、'遊び'ではなく'殺し合い'だ。

 

 刹那、俺は君尋に斬りかかる。羽剣を射出し、管狐を牽制し、炎を回避し、距離をとっては再び接近する。

 

 攻撃には手応えがあった。君尋は初めて俺を傷つける術を行使した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何だここはーーーーー!」

 

 蝶に導かれてエイミヤさんたちと別行動を取っていた俺たちは、絶賛迷子中だった。

 

 ミセはよく知っている場所のはずなのに、部屋の配置が違う。部屋のサイズが違う。モノが異常に多く、なぜか家具や壁までもが攻撃してくる。上下左右の常識はもはやここには存在しない。

 

「この前行ったあの変な屋敷みたいだな」

 

「なんでお前はそんなに冷静なんだよ腹立つ! なにか打開策でも思いついたのか!?」

 

「ない」

 

「だったらなんでそんなに偉そうなんだよーーー!?」

 

 衣裳室を抜け、酒蔵を横切り、客間を出た。

 

「ああっ! あの蝶! 見つけた!」

 

 エイミヤさんと別れる直前に見つけ、見失っていたアゲハ蝶を再び発見した。それを追いかけ、廊下の角を曲がる。右、左、左、真ん中、右。最後の角を左に曲がると、蝶はいなくなっていた。その代わりに、その先には二つの扉が立ちふさがっていた。片方には月が、片方には太陽が掘られている。陰陽道、というやつなのだろうか。

 

「……これは」

 

 他に道はない。気が付けばやってきた道も塞がれて壁になっていた。

 

「ど、百目鬼!? 勝手に入ってんじゃねえよ! ななななにか起こったら」

 

「どのみちどちらかに入らなきゃ出られないだろ」

 

「それはそうだけど……」

 

 百目鬼は迷わず太陽の扉に手をかけ、ずんずん先に進んでいった。慌ててついて行く。

 太陽の扉の先には、暖色のモノが溢れていた。室内だというのに空には太陽が道を照らし、草木が青々と茂っている。しかし別段これといったものはなく、攻撃してくるものもいなかった。

 

「行き止まりみたいだな」

 

 数分歩いただろうか、細い一本道の終点にたどり着いた。そこには俺たちの身長くらいの細長い台が組んであって、そのてっぺんに水晶が置かれている。触ろうとしたが、見えない何かにはじかれてしまった。

 

「『この日、この時、二つが消えて、思い出が訪れる』……? なんだこれ?」

 

 壁にはそう刻まれていたが、俺にも百目鬼にも意味がわからなかった。

 

 仕方なく引き返し、今度は月の扉の先を目指す。太陽の扉の中ちは対照的に、深夜の湖の辺が広がっていた。円形に近い部屋の中央の湖を迂回するようにぐるっと奥を目指す。室内なのに空に月が浮かんでいるのはまあ予想通りだった。

 

「こっちにもまったく同じ台と水晶が……」

 

「壁に彫ってある文字も同じだな」

 

 太陽と月、昼と夜、森と湖、直線と円形。対照的な部屋に同じ台と水晶とメッセージが設置してあった。

 

「うーん? 一体どういうことなんだ?」

 

「おい四月一日、太陽の間の方に行け」

 

「って百目鬼!? だからお前なんで命令口調なんだよ!?」

 

「お前が待ってる側だったらタイミングが合わせにくいだろうが」

 

「何のタイミングだよ」

 

「この日、この時、二つの水晶を同時に落して壊せってことだろ」

 

「ああっ! そうか、なるほど!」

 

 たしかに壁のメッセージはそう指し示しているようにも取れた。しかしだからといってこいつは行動が早すぎるし、言葉も足りない。だから妙に腹が立つ。

 

「でも同時に落とすなんてできるのか? 経路の形が違うから同時に入っても水晶のところまで同時に着かないだろうし、連絡手段もないのに」

 

 百目鬼は右目を指さした。俺が蜘蛛に取られた右目を、百目鬼の右目の半分をもらうことで再び視力を得た右目を。目を共有して以来、百目鬼は俺の見ているものが見えることが有るという。

 

「……たしかに、右目でこっちの様子が分かればいけるかも。でもなんかお前に言われるとムカツクんだよーーーーー!」

 

「五月蝿い阿呆。さっさと行け」

 

「合理的なのはわかるけどなんで俺が移動する側なんだっつーのーーーー!」

 

 ちなみに百目鬼は俺の視界を見ることが出来るが、俺はこの野郎の視界を見ることはできない。百目鬼の目を俺が貰ったために得た視界共有だから仕方ないとはいえ、一方的なプライバシーの侵害である。

 

「分かってんならさっさと行け」

 

「五月蝿え!」

 

 湖を迂回し、月の扉から出て、再び太陽の扉の奥の森へと足を進めた。再び水晶の置かれた第のもとへとたどり着く。

 

「……視界共有できてるのか?」

 

 恐る恐る手を伸ばす。予想通りなら、まったく同時なら水晶にも触れるはずだった。

 

「おお! 触れた!」

 

 手は弾かれなかった。成功だった。俺からは全く向こうの様子が伺えないので、タイミングが合わせられるかは向こう任せだったのだ。

 

「よいしょ、っと」

 

 水晶を押して台の上から落とした。予想以上に重く勢いよく落ちていく。水晶は地面に落ちると同時に四散した。音はしなかった。

 

「あ、雨だ」

 

 室内の空から雨が溢れる。やはり不思議だ。

 

「しかしここからどうすりゃいいんだろうな。思い出が訪れるってのも意味分かんねえし、室内で雨なんか降っても何の役にも立たねえし」

 

 

 

「この罰当たり!」

 

 

 

「いっでええ!! って、この声、まさか……どうしてここに!?」

 

 

 背後から頭を叩かれる。振り向くとそこには見慣れた少女が立っていた。

 

 

「雨童女!? どうしてここに!?」

 

「こっちもあっちも、罰当たりは写し身でも罰当たりなんだから。こんな趣味の悪い結界を張るなんて」

 

 写し身とは、サーヴァントの四月一日君尋のことだろうか。趣味の悪い結界――その起点が二つの水晶だったのかもしれない。

 

「でもこれでようやく入れたわ。あの子に感謝しなさいよね。この私が手伝ってあげるのよ」

 

「手伝うって、何を……」

 

「知ってる? 罰当たりには、天罰が下るのよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――雨だ。

 

 空から水滴が落ちてきた。ぴちょんと地面の色が濃く染まる。それを見た君尋は、回避行動も発動しかけの'隙間の術'も中断し、血相を変えて防御結界を張った。不審に思い思わず手を止める。あれは俺では破れない。一体何が起こるというのか。

 結界は完璧で、一工程(シングルアクション)で築かれたものとは思えないほどに美しかった。これが君尋の本気の魔術行使なのか、今までのゆったりとした術の発動はやはり手を抜かれていたのかと悔しくなった。だがそれ以上に湧き上がるのは不安だ。サーヴァントがそこまで警戒するモノがやってくる。それに俺は耐え切れるのだろうかと。しかしそれは杞憂に終わる。

 

 雨が降る。水滴の数は増え、俺の体も水に濡れた。雨は誰の上にも等しく恵みを与えた。君尋の防御結界は、尊い存在を前に意味を成さなかった。結界をすり抜けた雨粒が空を見上げた君尋の額にぶつかった。瞬間、君尋の動きが止まる。

 

「ぐぁっッ!?」

 

 口元を抑えて、泥を散らす。君尋ではなく、君尋の体内に宿る泥が苦しんでいた。

 

「やは、り、雨童女の……!? なんでっ、うぐッ……」

 

 雨粒は俺を害することはなかった。

 今しかない。俺は一気に距離を詰める。

 

「うおおおおおお!!」

 

 管狐が正面に立ちはだかる。八つの尾の先から火球が放たれ、その全てが大儀式魔術にも匹敵する神秘を秘めていた。今までの炎とは段違いの威力に、この雨が君尋にとって致命的なモノなのだと改めて悟る。火球の余剰熱ですら喰らえば即死だが、管狐の放つ弾幕には決定的な安置が存在した。それは君尋が立つ空間。管狐が君尋を守ろうとする為に生まれる必要な隙だった。俺は最短距離で君尋の懐まで潜り込んだ。この身は剣だ。危険を冒さなければ、大きな成果は得られない。

 大半の羽剣は炎に焼かれ、隙を付いて射出したモノも爪で叩き潰される。振り下ろした両手の剣は、腕ごと管狐の牙に噛み砕かれた。

 

「っつ、あ゛あ゛あ゛ぁっ!!」

 

 脳が焼けるようだった。骨が砕かれ、人の身には清浄すぎる気が両腕を侵食する。尊すぎる光は、生まれながらに受肉し醜さを併せ持つ人を蒸発させるのだ。

 しかし意識は飛ばさない。それでも目はそらさない。管狐の全ては俺が引きつけておかなくてはならないのだから。

 

 

 ――そして計画通り、俺の手を離れた自立式の剣鳥が特攻し、君尋の霊格を貫いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――四月一日!?」

 

 あちらの様子がおかしいのには気づいていた。突然降り始めた雨は、この場で剣を交えるサーヴァント二人にはなんの影響も与えなかったが、聖杯に、フユミソギに、空間全てに干渉していた。全てを洗い流す、穢れを許さぬ天の恵み。それが数百年単位で清められた教会の聖水を軽く凌駕する、尊き精霊そのものなのだと、アサシンは知らない。

 突然絶たれた魔力供給。事態を把握するにはそれだけで十分だった。

 

 欠かれる集中力、そらされる注意、一瞬の動揺。セイバーがそれを見逃すはずがなく、両手に握る黄金の剣を頭上に高く掲げる。

 

「《約束された(エクス)――」

 

 セイバーの宝具は圧倒的な破壊力からは想像がつかないほど一瞬で発動可能だった。外界から切り離された空間内だというのに、あっという間にその刀身に星の祝福が満ちていく。

 たった二秒。されど二秒。剣の達人が優に十は獲物を振えるほどの無防備な時間だった。

 

「――秘剣、燕返し」

 

 アサシンがセイバーの宝具の発動に気づいてから対処するには十分すぎる空白だ。後から発動したはずの宝具が、先に発動された宝具よりも素早くその首を狙う。たったひと振りの四撃だ。

 

 一の太刀が、《約束された勝利の剣》の剣先で歪められる。

 

 二の太刀は、無理やり身体を捻ることで回避され致命傷には至らない。

 

 三の太刀を、セイバーはとっさに動かした篭手付きの右手と引き換えに防ぐ。

 

 そして死角から放たれた四の太刀が、最優の英霊の霊格を貫いた。

 

 

「悪いなアサシン。この勝負、引き分けのようだ」

 

 

 持ち主のコントロールを失った星の光は、四散することなくその場で暴発した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、勝負の明暗を分けたのは情報量の差であった。

 アサシンはイレギュラーな英霊であるために、聖杯戦争のシステムに暗かった。サーヴァントを倒すには、首を跳ねるか心の臓を貫けば良いのだとしか認識していなかった。セイバーの宝具がその場を焼き尽くす熱線だと言う事しか知らなかった。首のみを狙う戦い方を、友がために、確実な勝利のために曲げてしまった。

 セイバーは正規の英霊であるために、聖杯戦争のシステムに明るかった。首を跳ねればその手の逸話を持たぬ限り身体のコントロールは失われるが、心の臓を貫かれるだけでは消滅までの一瞬の間に何か成せるだけの隙が生まれる可能性があることを知っていた。アサシンの《燕返し》が多重屈折現象による同時攻撃で、死角から放たれる四撃目があることもアーチャーから聞いていた。

 

 

 数度打ち合った時点で、セイバーはアサシンの驚異を実感した。決して低くはないステータス。万全の魔力供給。遠距離攻撃を飲み込むキャスターの結界。それら全てを最大限に活用する技術。唯一の弱点だった武器の強度も、桃の祓い具を手に入れたことで消えていた。

 戦況を打開しうるのは宝具しかない。しかしどれほどの隙を作ろうと、アサシンなら全ての体制から二秒以内に《燕返し》を発動し終えると直感した。事実上、真名開放は不可能だった。

 だからセイバーは首を守り、宝具の発動時に小細工を施した。端からまともに《約束された勝利の剣》の真名開放するつもりなどなかったのだ。

 セイバーは通常どおり《約束された勝利の剣》を発動するのではなく、ただ星の祝福を刀身に集め続けた。淀みない魔力の流れは見る影もなく、力で光の奔流をねじ伏せるのみ。ひと目で分かる異常だが、アサシンは魔を知らぬ男。聖剣の光の歪み淀みには気づけない。そして持ち主の圧力を失った圧縮魔力は、暴発し、あたり一面を飲み込んだ。己の勝利ではなく確実な敵の殲滅を望んだ選択。清々しいほどの共倒れだった。

 

 

「――っ、―――――!」

 

 

 アサシンが最後に耳にしたのは、半年以上聴き慣れた男と同じ、別人の声だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 霊核は剣鳥に容易く貫かれた。己を殺せるように祈って孵したのだから当然だった。十年前にはそれを修繕した泥も、受肉の穢れすら持たぬ尊い聖雨の前にひれ伏した。悲しそうな目をした無月が視界から消えていく。ああ、本当に無月には悪いことをしてばかりだ。せめて最後に一言謝りたかったのに、それもかなわない。

 

 遠くで空間が歪むのを感じ取る。セイバーさんの宝具だが、どうにも様子がおかしい。あれでは相打ちしてしまう。遠距離攻撃を狭間に飲み込む術でも威力を削ぎきれない。自陣だというのに、佐々木さんを守る余力すら残っていなかった。

 

 

「君、尋」

 

 

 俺に続くように士郎も倒れ込む。両の腕は滅茶苦茶で、聖性に焼かれたせいか出血できぬ程に黒焦げていた。士郎には自分を殺させるなんて重責を追わせてしまった。人を殺すことは、潰れてしまうほどに重いことなのに。無色の聖杯と同じ存在意思を持つ為に都合の良い執行体として《この世全ての悪》(この子)に選ばれた俺には、こうすることしかできなかった。

 

 

 ――優柔不断な歪みの終着点。これで少しは自己意志で動いていればマシなものを。見るに耐えん。即刻我の目前から去ね。

 

 

 十年前の英雄王の言葉が蘇る。全くその通りだった。俺は優柔不断だった。マスターの願いも、《この世すべての悪》(この子)の願いも、士郎の願いも全部叶えたがった。その代償がここにある。

 でも、それでいいのだ。なすべき役目は全て終えた。

 

 腕を失い、精神すら侵食する尊さに晒されてなお、士郎は意識を失わない。ここから先は俺のわがままだ。何か声をかけたかった。彼は俺の十年間だった。

 だが、[等価交換]スキルがそれを拒む。自己意思での行動に対しペナルティを与えるスキルを所有してしまうくらい、俺の生き方は他人の願いを叶える方向に特化されていた。霊核を失った今行動を起こそうものなら、言葉を発する前に俺は消滅してしまうだろう。

 

 

「――士郎」

 

 

 それでも俺は声をかけた。俺の宝具《願いを叶えるミセ》の真価がそこにある。他人の願いを叶えた数と質だけ、俺は奇跡の行使を許される。かつては英雄王を打倒する程の可能性を秘めた切り札を、俺は友へと送る言葉に託した。

 

 

「――どうか、夢を否定しないで」

 

 

 視界が暗転する。俺の言葉は彼に届いただろうか。それを確かめることももうできない。言峰綺礼は、桜ちゃんは、藤村さんは、遠坂さんは、佐々木さんは、今を生きる俺は、百目鬼は、■■さんは――――

 

 

 

「おやすみなさい四月一日。どうか、良い夢を」

 

 

 

「ゆ――こ――――さ――」

 

 

 

 無意識に唇が震えるが、何と言ったのか自覚できない。

 誰の声かはわからなかった。ただとても暖かくて、どこか懐かしくて。会いたいのに会えなくて。手を伸ばしても届かなくて。悠久の時を超えても再開できなくて。

 とても―――美しい人だった。

 

 

 

 

 こうして、モウ一人ノユメは終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「君、尋」

 

 君尋が、目の前で消えていった。たった一つの言葉を残して。

 

「う゛、あぁ……」

 

 立たなければならない。進まねばならない。そうしなければ俺が殺した君尋に顔向けできなかった。

 肘から先が残っていない。痛みで死んでしまいそうだ。けれどちゃんと足は残っているのだから、歩けぬ道理はない。剣鳥が小さな翼で服を引っ張った。俺が立つ手助けをしてくれているのだろう。

 

「ありがとう」

 

 君尋が還っても剣鳥は消えなかった。慰めるでもなく、糾弾するでもなく、ただ俺のそばを飛んでいる。

 

「エイミヤ君!? 大丈夫!? う、腕がっ……!」

 

 たった今死んだ友人の声が聞こえた。友人ではない四月一日君尋だった。

 

「セイ、バー……!?」

 

 四月一日と共にやって来た百目鬼静が瀕死のセイバーを抱えていた。四月一日の妙な腕の構えは、もはや実体すら保てず霊体化したアサシンを抱えているからなのだろう。どちらも意識を失っている。否、霊核を傷つけられたサーヴァントはもはや死んだも同然だ。

 

「大丈夫か、セイバー!」

 

 特にセイバーの状態は悲惨で、肉体がなければとうの昔に消滅していただろう。声をかける。届くはずがない。それでも呼び続ける。そうせずにはいられなかった。

 

「――ねえ、その人を助けたい?」

 

「侑子さんっ!? いつの間にここに!?」

 

「褒めてあげるわ四月一日。四月一日ったらすっかり一人前になっちゃって、あーんな結界まで張るんだもの。四月一日と百目鬼くんがアレ壊してくれたおかげでようやく私も雨童女たちもここに入ることができた」

 

「どっちがどっちかややこしいんですけど!」

 

 黒い髪の綺麗な女の人がいた。侑子さんと呼ばれた彼女を俺は知っている。彼女は次元の魔女で、願いを叶えるミセの最初の店主だった。

 

「猶予はないわ。迷う時間は残されていない」

 

「セイバーを、助けられるのか」

 

「貴方が対価を払うならば。四月一日もよ」

 

「俺も?」

 

「見たんでしょう、キャスターの思い出を」

 

「……はい」

 

 セイバーを救える。抗いがたい誘惑だった。

 

「何をすればいい」

 

「記憶を差し出しなさい。炎の悪夢か、月下の誓いのどちらかを」

 

「なっ……!?」

 

 それ、は。どちらも衛宮士郎の根幹を成す記憶だった。衛宮士郎そのものだった。それを失うということは、自分を殺すことに等しい。

 それでも、それでも俺が対価を払うことでセイバーを救うことが出来るのならば――

 

「シ……ロウ。私は、構いません。どうか、貴方の夢を否定しないでください」

 

 

 ――どうか、夢を否定しないで

 

 

 息も切れ切れなセイバーの声が、さっき聞いたばかりの言葉と重なった。

 

「セイバー……」

 

「さあ、答えを」

 

 次元の魔女が問う。俺ともう一人の四月一日君尋は、同時に答えをだした。

 

 

 

「俺は、彼を救います」「俺は、対価を支払わない」

 

 

 

「貴方の願い――叶えましょう」

 

 

 

 魔力が流れる。術者が消滅しても未だ崩壊しないこの空間は、'願いを叶える'行為に最適化されていた。一つが消えて、一つが蘇る。セイバーは、消えた。アサシンは未だ目覚めない。

 

「…………」

 

 これで、良かったのだろうか。

 

「四月一日はまだここから出ちゃダメよ。私が行くまで入口で待っておきなさい。さて、衛宮士郎。貴方にはまだ仕事が残っているわ」

 

「ああ、わかってるさ」

 

「……エイミヤさん、お願いします」

 

 アサシンを抱えたもう一人の四月一日は、百目鬼静と共にここから去っていく。申し訳なさそうな顔をしていた。

 

「絶対、大丈夫だよ」

 

「え?」

 

「無敵の呪文だ」

 

「……うん。わかったよ。ありがとう」

 

 あの時とは立場が逆だ。もう俺の友人はいないけれど、俺の友人と同じで違う人に語りかける。それを聞いた彼は去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――衛宮士郎」

 

 言峰綺礼は聖杯と化したイリヤの前に立っていた。聖雨すら届かぬ闇の中に《この世全ての悪》の本体がそびえ立っている。セイバーの消えた今、大聖杯を破壊する術はない。

 

「それに、随分面白い客だ。壱原侑子」

 

「知っていたのね。初めまして」

 

「こちらとしては十年の付き合いだよ。キャスターの夢と何ら変わらぬ姿だ」

 

 言峰も、俺と同じように契約したサーヴァントの夢を見ていたのだろう。最終決戦に似つかわしくない敵意無き会話だった。

 

「衛宮士郎。ここに来たということは、聖杯を破壊する気だな」

 

「いいや、俺は聖杯を破壊しない」

 

「ほう?」

 

 言峰は片眉を上げた。

 

「俺は、誰の夢も否定しない。そういう正義の味方になると決めた。お前の夢も、《この世全ての悪》の夢も、君尋が命を賭して叶えようとした夢だ。だから、俺は壊したくない」

 

「――つまらん。興ざめだよ衛宮士郎、貴様はもはや正義の味方に成りえない」

 

 言峰は俺に哀れむような目線を向けた。アーチャーと似た目をしていた。期待はずれだと、用済みだと、愚者に言い聞かせるようだった。言峰達の夢を否定しないということは、世界を滅ぼすことを許容するようなものだ。正義の味方がする選択ではない。だがそんなことはとっくに自覚している。

 

「お前さ、自分が気に入らないからって、それが世界の真理みたいに語る癖やめたほうがいいぞ」

 

「……ならば問おう。正義の味方未満の子供の夢しか持たぬ貴様は、何をしにこの場へやって来た?」

 

「イリヤを助けるためだ」

 

 イリヤの目は何も移していない。けれどまだ死んではいない。君尋は最初から泥の一部だった。北極の氷のようなものだ。還っても今更聖杯の中身が満たされることはない。アサシンが生きているから、最後の一騎が残っているから、イリヤは完全な聖杯には至ってない。

 

「矛盾しているな。私の夢を叶えることと、聖杯を生きながらえさせることは同時に成り立たん」

 

「対価は払う。どれだけの時間がかかろうと、絶対に払いきる。だから」

 

「あれを、聖杯と分離すれば良いのね?」

 

「……なるほどな」

 

 言峰は納得したようだった。次元の魔女が君尋とそっくりの魔法陣を展開する。いや、君尋の魔法陣が次元の魔女の魔法陣に似ているのだ。

 聖杯とイリヤを切り離すことなど、普通の魔術師には不可能だ。けれど次元の魔女は普通ではない。対価を払えば、心のどこかで「生きたい」と願っているイリヤを救うことが出来る。

 

「お前だって気づいてるんだろ。キャスターが死んで、この空間はもうすぐ閉じる。まだ崩壊していないのは、ここに本来の持ち主と今を生きるキャスターが存在しているからだ。二人が去れば、もう脱出する手段なんてない。覚めない夢を永遠に見続ける。誕生を夢見た《この世全ての悪》は、夢の中で孵るんだ」

 

「知っているさ」

 

「言峰、ここを出よう。《この世全ての悪》は、誕生そのものはする。でも言峰は人だ。俺はお前のことが好きじゃないし、悪人だけど、人なんだ。人の夢は覚めなきゃだめだ。何もお前が死ぬことはない」

 

「……どこまでも衛宮切嗣の息子だよ、お前は。自分は夢を見ながら、他人が夢を見るのを否定する」

 

「そ、そういうことじゃない!」

 

「お前に私(悪)は救えない。私の寿命は第五次聖杯戦争の終結とともに尽きる。それが十年前の大火災でキャスターに支払った対価だ」

 

「!」

 

 寿命が対価。《この世全ての悪》の誕生の願いと引き換えに、言峰は死ぬ。言峰をここから連れ出そうと、決して生き残ることはない。

 言峰綺礼は笑っていた。それはこれから死にゆく者の顔ではなかった。

 

「誕生する存在が有るのなら、祝福をするのが神父の勤めだ。その瞬間を見守らなければならない。無垢な赤子を捨て置けというのかね?」

 

「……それが、お前の夢なのか」

 

「ああそうだ」

 

 聖杯そのものと化したイリヤの身体から銀の光球が抜け出した。そこに実体はなく、むしろサーヴァントに近いエーテル体で。これは、イリヤそのものだ。体でも魂でもない精神体。限りなく魔法に近い奇跡だった。

 

「この対価は高くつくわよ」

 

「俺にできることならばなんでもします」

 

「なんでもするなんて気安く口にしない方がいいわ」

 

「それは――そうですね」

 

 あの日、公園で教わった等価交換の原則。簡単に捨ててしまえる自分を捧げたところで、大切なものとは交換できるはずがないという理だ。

 夢を、否定したくない。君尋の助言も、セイバーの言葉も、否定したくなかった。

 

 俺は言峰と《この世すべての悪》に背を向けた。六騎しか収めていない杯だが、この場は最上級の霊地に等しい。十二分に生まれうる。

 

「さよなら、君尋。セイバー」

 

 決して振り向くことなく、杯の中に還った二人に声をかけた。結局救えたのはイリヤだけで、救えなかったのは君尋と彼女。得たのはかけがえのない戦友と形見の小鳥。失ったのは自身の両腕。これが俺の聖杯戦争だった。

 自らの足で《願いを叶えるミセ》から脱出すると同時に疲労が限界に達し、俺は心地よい眠りに身を任せた。

 

 

 

 

 そして閉じた夢の中で、望まれた悪が産声をあげた。――夢は叶ったのだ。


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