fate/another_dream -モウヒトリノユメ- 作:きゃべる
「願いを叶えるミセって知ってる?」
間桐慎二がその噂を聞いたのは、夕方頃にクラスメートの女子と遊んでいる時のことだった。
曖昧で確証のないバカバカしい噂を一蹴したが、取り巻きの女子らは違ったようで、おかげで今日一日その話題ばかり聞かされる羽目になってしまった。
「B組の子が行ったんだって!」
「えーあの子が聞いたことを自分で経験したみたいに言うのはいつものことじゃん。信ぴょう性ないしー」
「今回ばかりはやばいんだって! なんでもその店で貰った物っていうのが――」
ああうるさいな、と思った。噂の正誤などどうでもよく、ただちょっと面白そうだからというだけで飽きずに延々と話し続けていた。
「でもお金ボッタくられそうー」
「それがそうでもないらしくって、物々交換なんだって。しかも大体が手持ちのものでいいとか!」
「マジー? じゃあ私も彼氏でも作りたいって願おうかなー」
もう女生徒とも別れて帰宅中だというのに、頭から会話が離れない。本当に馬鹿な奴らだ。そんなに簡単に願いが叶うはずがないだろう。だって、だってもしそんなに簡単に願いが叶うのならば、そんなミセがあったならば、自分は――
「……?」
――自分は今何を思った?
もしそんなミセがあったとしたら、なんだというのだ。そうだ、もしそんなものが存在していたなら、願うものなど決まっている。だがその衝動はすでに一度発散されている。
――それはいつ、どこでだ?
分からない。覚えていない。
「あー、あれだな。疲れてるのか」
今日は衛宮も四月一日も姿を見ていない。あのふたりが揃って休むだなんて珍しい。だからきっと調子が狂っているのだ。四月一日が馬鹿なことをしているのはいつものことだが、衛宮はもはや手遅れだ。あの搾取されたがりでお人よしのお気楽人間どもばかりなら、世界平和は既に実現されているだろう。ああ何て哀れな奴ら。あんな奴らの友人になってやれるのなんて僕くらいなものさ。
――でもあいつらは持っていたぞ。
「……何を?」
思い出せない。記憶があやふやだった。今まで僕の明晰な頭脳がそんな状態になったことなどないはずなのに。何かがおかしい。でもそれが何なのかが分からない。
「あれ、ここどこだよ」
道自体は見慣れている場所だ。だがこっち方面に来るつもりはなかったし、なにより見慣れない謎の建物が目の前に立っている。ここはたしか私有地の空き地ではなかったか? いつの間に建てられたというのだろう。工事している時期はなかったようだけど。
「へ? う、うわあああ!? あ、足が勝手に!? おいふざけんなよ!? なんだこれ!?」
建物の黒い塀に手を着いた瞬間、勝手に敷地内に侵入していた。足がまるで自分のものではなくなったようだった。
「おいおい、あの時の坊主じゃねえか」
「誰だ!?」
気配などなかったはずなのに。声のした方を振り返る。建物の敷地内にはエプロンと三角巾を装着した男が立っていた。
「……本当に誰だ」
「やっぱ覚えてねえのな。あの嬢ちゃんの腕はたしかってことか」
「何の話をしてるんだ? というかエプロンの下にどんな服を着てるんだお前」
ぱっと見ただけでは気付かなかったが、男の服装はどう考えても異常だった。まともな精神なら着たいとは思わない格好だ。少なくとも僕は思わない。
「まったく攻性の結界を張ったんじゃなかったのかよ。これだけ精巧に作っておいて木っ端魔術師の侵入を許すなんて泣きたくなるぜ」
「魔術師だって!? おまえ、まさかは魔術師なのか!?」
「んあー、俺が説明してやるほどの義理はねえよ。だからさっさと回れ右して家に帰んな。覚えてねえようだし、今なら見逃してやるから」
「ふざけるなよ! どういうことかキチッと話せ」
詰め寄るも男はのらりくらりと受け流すばかりで、全くやる気を感じない。
「四月一日のおキャクサマ」「四月一日におキャクサマ」
建物の玄関から二人の少女が出てきた。小悪魔と天使をかたどった人形のように精工で可愛らしい子供たち。初めて見る顔だが、この二人は今何と言ったか。
「いらっしゃいませ」「いらっしゃいませ」
「四月一日? なんでこんなところであいつの名前が出てくるんだ。あいつが魔術師と何の関係があるんだ!?」
文句を言えど、慎二の足は止まらない。まるで何かに導かれるように、玄関に突入していく。あーあ、と呟くエプロン姿の青年の声が遠くなっていった。少女たちに背中を押されたどり着いたのは、蝶が大きく描かれた紫の襖だった。意を決して、勢いよく開く。香が充満する部屋には、慎二の友人が煙管を吸って待ち構えていた。
「四月一日、なのか?」
「間桐慎二。君がこのミセに来たのも、また必然なんだろう」
交わされたのは少しの言葉とちっぽけな対価。しばらくして間桐慎二は帰っていった。
fate/another dream
第十夢 「キョウム」
アサシンは買い物袋を手に、ミセの一室に入った。スーパーも商店街も、四月一日に付いて巡ったことはあれど、一人で訪れたことはなかった。いわゆる初めてのお使いというやつだ。
「四月一日はどこにいる?」
「四月一日ベッドでまた寝てた!」「うん! 寝てたー!」
室内でお手玉をして遊んでいた幼い少女たちが、手を止めて返事をした。君尋の宝具領域の軸になっているという少女たち。ちなみに名前はマルとモロ。フルネームはマルダシとモロダシという、悪ふざけの塊のような名前だった。
「アサシンはお買い物?」「わーいご飯の時間だー!」
「しばし、この部屋で待て」
「はーい!」「はーい!」
少女たちは息ぴったりの返事を返すと、楽しそうにお手玉で遊び始めた。アサシンはそれを確認すると、君尋のいるであろう部屋に歩いて行った。
数分と掛からず寝室についた。静かにふすまをあける。部屋の中央奥に設置された大きな天蓋付きベッドに、君尋はいた。蓮柄の着物を着て寝転んでいる。
「また寝ていたのか」
「……力を行使したり、泥を抑えたりするのに一番適しているのが'夢の中'だからな。記憶を取り戻してから……いや、取り戻す以前もよく寝ていただろ」
大きなあくびをひとつ。まだ眠そうだったが、上体を起こして買い物袋を受け取った。
'夢'は君尋の起源であり、一番力を発揮できる場。ただしそこに行くためには眠らねばならない。
「買ってきたか。えーっと、豆板醤、牛肉、ネギ、白菜、セロリ、トマト、玉ねぎ、生姜……」
一つづつ丁寧に確認していく。調味料も含め、買い忘れはなかった。
「ああ、大丈夫だ。今夜は坦々麺と夫妻肺片だよ。四川料理なんてリクエストしやがって、日本で材料を集めるのがどれだけ大変なのかわかってるのか、あのマスターは。佐々木さんもわざわざ遠くまで行かせて悪いな。助かった」
「……」
麻婆豆腐は泰山と比べられるから絶対作ってやらねえ、と愚痴りながらもどこか嬉しそうで。その様子は、アサシンのよく知っている四月一日君尋のものだった。
「佐々木さん、手を出して」
「手?」
「お使いと、今まで色々してもらった事への対価だ。これだけじゃ足りないけれど、刀も返しちまったし。今渡しておこうと思って」
刀というのは藤村大河の実家の真剣である。魔力も通わず神秘もこれっぽちも秘めてはいない上、アサシンのもともと愛用していた剣とも間合いも重さも異なってはいたが、それでもいくつもの戦いで役に立ってくれた一品だった。だがその刀はすでに鳥の使い魔づてに虎に返してしまっている。
ならば新しい刀でも渡すのかと思ったが、君尋が手渡してきたのは木でできた指輪だった。
「正しくは指貫だけどな」
「私は裁縫の心得はないぞ」
「正しい用途は違う。左手の人差し指にはめれば使える、使用者によって形をかえる桃の木でできた祓具。今までの対価の代わりだよ」
とてもアサシンの指にはまらなさそうな小さな祓具は、その見た目に反して簡単にアサシンの指にはまった。あっという間に指貫は身の丈ほどの木刀へと姿を変える。ただの木だと侮るなかれ、その刀身に纏う清浄な気は、あらゆるものを両断できる神秘をも秘めていた。
「また面妖なものをもっているな」
「……」
「どうした四月一日」
「いや、昔その指ぬきを渡した時に左手の薬指にはめようとした男(馬鹿)もいたなと思って」
「……」
「……」
微妙な空気になった。
「体調は大丈夫なのか」
その空気を断ち切ったのはアサシンの方だ。
時たま吐き出す泥、突然の豹変、見えない目的。アサシンはこの手の知識には疎く経験もない。そのため予想することすらできなかった。聞いたところで理解もできないだろう。だから、体調のみを訪ねた。君尋のやろうとしていることは、自身を追い詰めるのと同義なのだろうと思ったから。
「まだ大丈夫だ」
君尋はそう答えた。「まだ」大丈夫。つまり「いつか」は大丈夫ではなくなるということ。
「……そうか」
しかし、アサシンは深く追求しなかった。その返事だけを聞いて、アサシンは部屋を出た。
◆
「よお、アサシン」
「ランサー、その格好はどうした」
部屋のすぐ外の廊下には、ランサーがいた。英霊らしい青い戦闘服の上からエプロンやら三角巾やらを着込んでいて、おまけに手にはヤリではなくモップを持っている。どうにもちぐはぐだ。
「あー、まあいろいろあってな。凝りだしたら止まらなくなったっつーか。それよりも小僧の様子が随分変わったみたいだが、ありゃ記憶操作か?」
そう言うランサーの方が様子が変わったようにしか見えなかった。頭を掻いて茶化す仕草だけを見れば、どこにでもいそうな青年である。だが彼がとてつもない力を持つ戦士だということをアサシンは知っていた。四月一日といい、この槍兵といい、力量の高い者ほど裏表の切り替えが激しいものなのだろうか。生前人と深い関わりともたなかったアサシンには分からないことばかりだ。
「さてな。どちらも同じ四月一日ではないか」
「今のあれより、昔の小僧のほうが好感はもてたけどな」
動きは妙だったが、ああいうのが一人いるだけで空気が明るくなる。とランサーはからかうように言う。アサシンには真意が読めなかった。
「何をたくらんでるのかわかんねーが、お互いマスターに恵まれないもんだ」
「確かにこうも男ばかりではうまい酒もまずくなろう」
「あの魂抜きの人形はなー、見た目はいいんだが、もう女とかそういう分類じゃねえしなあ。でだ。お前、どうすんだ?」
ランサーの雰囲気が変わった。今までの気楽な雰囲気ではなく、鋭い刺すような空気をまとっている。
「どうする、とは」
「言峰とあの小僧、何しでかすかわかんねーだろ。お前はどういうつもりなのかと思ってな。友人だったんだろ?」
このときアサシンはランサーと真意を理解した。アサシンはこの先君尋と敵対するつもりなのかを聞いているのだ。
誰の目から見ても、君尋は以前とは様子が違う。行動もスペックも、何もかもが。呪いを抱き、悪意を撒き散らす手助けを行おうとしている。今までと同じように共にい続けるには、君尋は変わりすぎてしまっていた。
「今のお前には令呪の縛りはないんだろ?」
「……確かに、私が剣を振れば抵抗すらできずに四月一日は死ぬだろうな。肉体強化の魔術すら使えないのだから」
四月一日は既にアサシンの令呪を使い切ってしまっている。一度目は自害を、二度目は復活を、三度目は達成を願われた。もはや二人の間に行動を束縛する鎖は存在しない。
何か対策をしているかもしれない。実際その可能性の方が大きい。しかしアサシンの勘がそれを否定する。四月一日はアサシンに対して一切の防御術を用いていない。今なら確実に殺せるだろう。もしそうなってもそれも運命だとあっさりと消滅を受け入れるだろう。果たして信頼なのか奢りなのか。だが、自問自答するまでもなくアサシンの答えは決まっていた。
「私は君尋に従うさ。今も昔も、あれの根本は変わってなどいない。どちらも同じ四月一日だ。一度従うと決めたのだから、当然付き合おう」
「……はっ、なるほどな」
その返答に納得したようだ。
「こっちを裏切るつもりなら、貴様とも戦える。そのほうが俺としては面白かったんだがな」
「そちらこそどうするつもりだ」
貴様こそあのキリシタンに従う義理もないだろうと問えば、ランサーはあっさりと答えた。
「俺は戦えりゃあそれでいいさ」
◆
「おはようシロウ」
「イリヤ、もう起きても大丈夫なのか?」
「ええ。あいにく外傷はなかったもの」
アインツベルン城での戦いを経て衛宮邸で保護されていたイリヤが目を覚ました。バーサーカーはただのサーヴァントとしてだけではなく、イリヤの心の支えにもなっていたようで、精神的な意味でも参っていたようだが、ここ数日ですっかり回復したようだ。
「おっはよー、遠坂さん!」
「ふぁーあ、みんな朝早いのね」
「もう六時過ぎだけどな」
「六時は十分早いわよ」
朝の衛宮邸にはたくさんの人がいた。遠坂は既に洗面所に行った後なのか、既に意識がはっきりとしている。キッチンには四月一日と桜が、そのほかは居間にいた。
「あら士郎、手伝わなくていいの?」
「なんかわからないけど、桜に追い出されたんだ」
台所では四月一日と桜が朝ごはんに加えてデザートを作っていた。
藤ねえと桜には、イリヤはセイバー同様切嗣の知り合いだと説明した。四月一日は君尋と容姿も性格もそっくりなため同一人物だと誤魔化し、百目鬼は弓道界ではかなり有名なため弓術の名手である士郎に会いに来たという設定だ。さくらも藤ねえも聞いたことくらいはあるだろう。
しかし代わりに登校するのは流石に困難だ。君尋は遠坂と同じクラスだったが、性別のためにいつも付いて回るわけにはいかないし、靴箱の位置や提出物、クラスメートの顔と名前の一致など、障害が多すぎる。そもそも制服がない。君尋は自分の制服を着て去っていったし、士郎もこれ以上予備の制服は持っていない。それにサイズが違いすぎてもう一人の四月一日も着れないだろう。
妙案を思いついたのは、やはり遠坂だった。
「四月一日さんは、この度親族が見つかったため、転校することになったらしいのです」
この場を去った君尋についていったアサシンの不在を逆手にとった説明だった。
アサシンは放浪癖のある四月一日の縁者で、つい最近まで海外を転々としていた。しかし久々に実家に連絡を連絡を入れてみたが繋がらず、不審に思って帰国してみればなんと冬木の大火災で死亡していた。そこで唯一の生き残りであった四月一日と連絡をとった。
簡単にまとめればこのような設定である。
突然お前の親戚だと言われても受け入れづらいだろうとしばらく同居することになり、ようやく決心したのでアサシンの日本での自宅についていくことにした。今日はその報告を兼ねて、転校先の制服を着て来たのだ、と。
よくもまあそんなにぽんぽんと嘘が飛び出すものだと思ったが、それ以上に感謝しなければならない。なぜなら、聖杯戦争がどのような形で終わろうとも、君尋と元の関係には戻れないのだろうから。
しかし四月一日がいくら君尋そっくりだとは言え、桜と二人きりにするのはバレてしまいそうで止めたかったのだけれど、そうしようにも良い理由が思いつかなかった。大丈夫だろうか、とハラハラしながら見守った。
◆
一方こちらは台所。四月一日は下手に藤ねえや桜に接触すると別人だとばれる可能性があるためできるだけおとなしくしておく予定だったが、なぜか桜と一緒に台所に立つはめになっていた。その原因は、昨夜の出来事にあった。いきなり間桐さんがこっそり「いつものアレは今日はしないんですか」って言ってきたのだ。
あれってなんだよ!? とエイミヤさんにヘルプ目線を送ったのだが、間桐さんに「先輩には秘密だって言ったじゃないですか!」と言われてしまえばどうしようもない。何を約束していたんだともう一人の俺を恨みつつ、もしかしたらと邪な想像をしてしまったのも仕方のない話だ。四月一日は健全な男子高校生なのだから。結局「いつものアレ」とは、菓子作りを教えてほしいという健全この上ないものだったのだが。
まあどうせこういうオチだとは思っていたけれど。どうせ俺だし。俺にはひまわりちゃんがいるんだからかまわねえし。
「四月一日先輩?」
「あ、うん! えっとじゃあまずはこの前のおさらいから行ってみようか!」
「前回は盛り付けのれんしゅうで、色のバランスに気を付けながら杏仁豆腐を盛り付けました! 色のバランスは……」
間桐さんはすらすらとこの前のおさらいを言ってくれたが、残念ながらこの内容では次にどんなことを教えるべきかがわかりにくかった。
「……じゃあ、今日は桜ちゃんの作りたいものを作ってみようか」
「作りたいもの?」
「うん。さすがに時間がかかりすぎるものはだめだけどね」
「えっと……どうしましょうか……」
こうして決まったのがフォンダンショコラである。そして今朝、ちょうど仕上げの段階に入ったのだ。
「食べる前に温めるんだけど、時間には気を付けてね」
「はい!」
こうして俺と桜ちゃんは無事朝食のデザートを完成させたのだった。
◆
「最近は君尋のお菓子がいっぱいで先生嬉しいなー! あ、でも今日のはちょっと味付けいつもと違ってたよね。何か変えたの?」
「な、なんでもないと思いますよ!」
「んー、そっかー。じゃあ先生先に学校に行ってるね! 急用があるのは仕方ないけど、みんなもサボらないように!」
「私も朝練があるので先に行きますね」
そう言って、桜と藤ねえは去って行った。四月一日のことは何とかごまかせたようだ。
「……ふう。よかったな、ばれなくて」
「おい、デザートの追加はねえのか」
「そんなもんはねえよ! というかお前に食べさせてやっただけでも喜べ! そしてこの四月一日様の慈悲に感謝するがいい!」
声高に叫ぶもう一人の四月一日には目もくれず、百目鬼静はそれなりの大きさがあるはずのフォンダンショコラを一気に食べてしまった。
「ああ!? 俺の分のデザートが! 一口かよ!」
俺結局一口も食ってねー! ともう一人の四月一日は悲鳴を上げた。さんざん文句を言っても、百目鬼はどこ吹く風である。
君尋と彼はやはり似ているところもあるが違うところも多くある。呼び方も変えたほうがいいかもしれない。ややこしいことこの上ないのだ。
二人の四月一日の共通点。容姿に気質。霊媒体質。帰宅部であること。料理がうまいこと。片目だけ視力が悪いこと。一人暮らしをしていること。
二人の四月一日の相違点。人間関係。バイトの有無。想い人の有無。人間であるということ。友人が衛宮士郎ではなく百目鬼静であるということ。
「……」
ここから見ている限りでは、もうひとりの四月一日は元の四月一日君尋と同じ様に振る舞えていた。ひょっとすると藤ねえあたりは気づいた上でそっとしているのかもしれないが。
夕飯はとても美味しかった。もう一人の四月一日君尋が作った味噌汁は、俺のよく知っている君尋が作った味噌汁の味がした。
◆
「今後の予定なんだけど、短期決戦でいくわよ。現在残っている敵サーヴァントはランサーとキャスターと、第四次のキャスターである君尋と、おそらく一緒にいるアサシン。どちらのキャスターにしろクラス特性上スロースターターであることは間違いないでしょうし、これ以上時間を与えるのはまずい。特に君尋のほうはこっちの手の内もかなりばれちゃってるし」
「キャスターはこうしている今も魔力を集め続けてますから」
表向きはガス漏れ事故として処理されているのだが、これはキャスターの魔力収集の影響だ。
「……にしても、俺がその……英霊? になるなんて正直わからないというか、なんというか」
「この世界のあなたが絶対に英霊になるとも言い切れないけど……現代ではそもそも英雄が生まれること自体難しいのに、可能性があるだけでもおかしいのよ。そんな世の中で英霊まで上り詰めるなんて、何やったのよあんた」
「うーん……?」
四月一日の能力は、士郎の知っている君尋同様の、最高レベルの感知すなわち霊感だった。しかしキャスタークラスに選ばれるような英霊の能力がこれだけとは考えづらい。泥も、本人の能力というよりは扱いかねている厄介者だという印象しかない。キャスターとしての純粋な君尋の能力を推測することは難しかった。
ちなみに百目鬼は血筋的な退魔能力を保有しているそうだ。これは百目鬼本人よりも遠坂の方が詳しかった。百目鬼家は退魔組織の末端で、何かしらに特化している他家とは違い'なんでもできる'オールラウンダーな家系だったそうだ。二代前がとても優秀だったらしいが、様々な要因から滅びてしまったというのが魔術師界での共通認識らしい。百目鬼静本人も退魔組織に関する知識は皆無で、かろうじて祖父が憑き物落としをしていたと知っている程度だった。
「そもそもそのキャスターっていうのは、本当に未来の俺なんでしょうか?」
「別の正体の何かが俺に化けて混乱させようとしているって可能性はないのか」
「その可能性もあるわ」
「いや、君尋は間違いなく「四月一日君尋の一つの可能性」だ」
四月一日や百目鬼の疑問はもっともだ。しかし、俺はそう言い切った。俺だけが知っている言質がある。
「どうしてそう言い切れるのよ」
「直接会って確かめた」
「……ちょっとどういうことよ!? それいつの話なの!?」
凛は思わず立ち上がって俺に訪ねてきた。
「今日の昼頃に、公園で君尋と会った」
「そういうことはちゃんと言いなさい! 何かされなかったでしょうね!?」
「……いや、大丈夫だ。何もされてない。多分」
「士郎が気づいてないだけでマーキングやら暗示やらされてる可能性の方が大きいのよ!」
ちょっと見せなさい! と服を剥がれかけた。宝石魔術を利用しての工程短縮検査の結果はシロだったが、遠坂は解せないといった表情だ。まあ、一応真実である。実際何もされていないのだから。
「君尋は変身なんてしてないわ。十年前にお母さまが会った時から少しも変わってないもの」
「どうしてあなたが10年前のことを知っているのか、って聞くのは野暮ね。ホムンクルスの知識の共有かしら」
「そうよ。10年前の「今を生きる四月一日君尋」は幼年体だったのに、すでにキャスターが青年体に変身してたのはいくらなんでもおかしいわ」
よくわからないが、凛は信じてくれたようだ。
「とりあえず藤村先生と桜に今夜は衛宮家に来ないように言っておいたから、今夜仕掛けましょう」
「学校には行くのか?」
「私は休むわ。戦う前にいろいろ調整したいものもあるし」
「そっか。じゃあ俺は行くよ」
ただでさえ昨日は君尋と会うために学校を休んでしまっている。藤ねえにも注意されてしまったし、何度もサボるのはよくない。
「では何かあれば令呪を」
「ああ、わかってる」
俺を除いた全員が、衛宮邸に待機ということになる。
「はあ……士郎、一人だけ別行動するなんて本気なの?」
「む。絶対に休まなきゃいけない事情があるわけじゃないんだし、当然だろ」
「これだからあんたは……」
凛が頭を抱える。しかし、よくわからないがあきらめたらしく、結局登校の許可をもらった。
そして学校に行く準備をするために立ち上がったちょうどその時だった。
「――行く必要はない」
「え」
背後から声がした。
もう一人の四月一日の声ではない。彼は正面にいる。
聞きなれた声――まぎれもない君尋の声だ。
「なっ!?」
「……!」
四月一日と百目鬼は驚いたが、ほかの人物に見えている様子はない。霊視の才能があるからだろうか。
振り向くと、そこにはやはり君尋がいた。
黒をベースとした、大きな椿柄が印象的な中華服を着ている。
君尋が俺の目を見つめた。
――次会うときは敵サーヴァントと敵マスターだ。
今更ながら、昨日の別れ際の言葉を思い出す。
「おやすみ。良い夢を」
視界が、黒ク染マッテイク――――
◆
エイミヤ君がいきなり意識を失い床に倒れ込んだ。原因がまぎれもなく、突然居間に現れた'もう一人の俺'だろう。まるで侑子さんが着ていそうなデザインの服を身にまとっている。
「士郎!?」
遠坂さんとセイバーさんも異常に気付いたようで、臨戦態勢に入った。しかしどうやらもう一人の俺が見えているのは、襲われた士郎くんと、俺と、俺と視界を共有している百目鬼だけのようだった。
「エイミヤ君になにをしたんですか」
「……」
もう一人の俺は、俺には目もくれずもう一人の人物に目をやった。銀髪の少女、イリヤスフィールである。
「久しぶりだね、イリヤちゃん」
「私の役目は分かっているようね」
「君を連れて来いと頼まれましたから」
「そう」
イリヤは抵抗しない。もう一人の俺がイリヤの手を取ると、イリヤも気を失った。
「待て!」
もう一人の俺は動かない。しかしそのままここから去ろうとしているのだけは分かった。
「エイミヤ君は……」
「夢を見ているだけだ」
ようやくもう一人の俺は返事をした。
「夢?」
「そういえば、このころの俺も、夢で見ることだけはできたんだっけな」
君尋はそう最後につぶやくと、イリヤとともに消えていった。
まるで夢から覚める瞬間のように、あっさりと。
「しっかりしてくださいシロウ! どうしたのです!? シロウ!」
セイバーが士郎君をゆすり起こそうとしたが、士郎君はピクリとも動かなかった。
「魔術……いや、それよりももっと自発的な、でも外からきっかけが与えられてる何か。しかも相当深く夢に浸かってる」
夢を見ているだけだと、この人達と十年間暮らしてきたという俺ではない俺は確かにそう言っていた。けれどただ眠っているだけにしては深刻すぎる容態のらしく、エイミヤくんは魂を抜かれたように微動だにしない。彼は夢を見ていて、俺は夢を見ることができると。それが意味すること。
「もしかして、俺なら……?」
キャスターが士郎くんの言う通り未来の俺なのだとしたら、俺はキャスターと同じことができるのではないだろうか。技術も性能も段違いに劣っていても、いつかあのサーヴァントの領域にまでたどり着ける方向性は潜在している。ならば、何か俺にできることがあるのではないか。そう思い、俺は士郎君のもとに駆け寄った。
「エイミヤ君は夢を見ている。俺は夢を見ることができる。だったらエイミヤくんの夢と同じ夢を見れば……!」
俺の力で助けられるのなら、絶対に助けたかった。