fate/another_dream -モウヒトリノユメ- 作:きゃべる
四月一日君尋は夢を見た。
どこまでも続く闇のなか、自分ともう一人の男だけが存在している。それは自分と瓜二つで。自分との違いらしい違いといえば、和服を着ていることと、眼鏡をかけていないことと、落ち着いた雰囲気を持っていることぐらいだった。
「もうすぐ、始まるんだな」
男は言った。
「始まり? それってどういう…それにここは…?」
「もうすぐ。きっともうすぐすべてが――」
男の輪郭が歪み、無数の鳥に変化し、煙と共に飛び去って行く。なんとも形容しがたい光景だった。そこにいるのは鳥だというのに、四月一日はまるで蝶の羽化のように感じられた。
「あなたは、誰ですか?」
男は返事をしなかった。
目覚ましの音がする。目を開けることなく枕元においてあったそれを探り当て止め、メガネをかけてから目を開ける。見慣れた天井が目に入った。時計の針は、いつも設定しているとおりちょうど5時をさしていた。
「妙な夢だったな…」
そうつぶやきながら、布団から起き上がって伸びをする。意味の分からない夢だったが、別段直接的な被害を被ったわけでもなく、超霊媒体質の四月一日からすれば比較的大したことのない方に分類される出来事だった。
超霊媒体質。それは四月一日君尋という存在を語る上で欠かせられぬものだ。見る、聞こえる、話せる、触れる、引き寄せるその体質は、まさしく「超」と呼ぶにふさわしいと、彼は度々言っていた。これで祓うことはできないのだから、とにかく大変だった。もし彼――友人の義父がいなければ、今もこうやって五体満足ではいられなかっただろう。
四月一日は一人暮らしをしているため、朝は忙しい。朝食と昼の弁当を用意し、身支度を済ませて家を出る頃には、今朝の夢のことなどすっかり忘れてしまっていた。
xxxholic×fate/stay night
Fate/another dream -モウヒトリノユメ-
第一夢 「ヒツゼン」
通学途中に寄った寺は、別段そういったことにこだわりがあるわけでもない四月一日にとってすら、素晴らしい場所だった。冬はつとめて、とは言ったものだ。なるほど、冬の早朝程素晴らしいものもそうはあるまい。
「ふっふふ~ん! 今日もいい天気だな~!」
ルンルン気分で階段を登る。素晴らしい朝。カバンの中に入っている、いつも以上に上手く作れた菓子。そしてそれ以上に上機嫌になれる理由が「この寺」にはあった。
「外に出ても、何も変なのがついてこねえ! もうここに住みたいくらいだー!」
そう、それがなにより四月一日が上機嫌である理由だった。四月一日君尋は先も述べたとおり、超霊媒体質である。外出すればアヤカシをひきよせるのは当たり前。心霊現象に出くわさない日はなく、心霊スポットなどは論外、映画館やカラオケなどの大衆向けの娯楽店は当然ながら、自宅すら安息の地ではない。常に警戒し、精神を消耗するような日々が当たり前だった。しかしこの寺――柳洞寺では、なぜかアヤカシの類を一切見なかった。唯一の短所といえば長すぎる山門までの階段だが、運動神経のいい四月一日にとってはたいしたことではない。
「今日はいいことありそうだー!」
テンションを上げながら、スキップをしてはしゃぐ。数少ない友人からは妙な動きだとしばしば評されるが、感情は全身で表現してしまうのが四月一日の気質だった。
「相変わらず元気そうだな」
「あ!」
長い長い階段を登りきり、ようやく山門までたどり着いた時、横から声をかけられた。
「早朝の静けさを壊す気か、無粋だぞ」
「す、すいません…」
内容は厳しいが、口調や雰囲気からは怒りは感じられない。むしろ子供をからかうようなそんな愉快そうな声の主は、長髪を後ろでひとくくりにして、陣羽織を着た、身の丈程の長刀を背負った男だった。山門前、階段の一番上の段に腰掛けている。自体錯誤なことこの上ないが、この人はこれで正しいのだ。いや、この「霊」というべきか。
出会ったのは本の半年前のことだ。たまたまここを訪れた際、山門にいた「ナニカ」に挨拶をした。ここが寺でなければ陣羽織を着たいかにもな人物がヒトでないことくらい予想できたのだろうが、どっちにしろあの時の四月一日はあまりにも不注意だった。かけられるはずのない声に驚いた彼と一悶着あったが、アヤカシでも怨念でもないただの地縛霊の彼とは今ではとても親しい仲だ。
「今日はミルフィーユです! どうぞ」
「ん、おお。かたじけない」
彼は嬉しそうに顔をほころばせた。手渡したのは、昨晩仕込み、今朝包装下ばかりの洋菓子のミルフィーユだ。霊も食事ができると聞いて以来、ここを訪れては、彼に色々な料理を渡すのが日課になっていた。なぜ食べられるのかはよくわからないが、そもそも日常的に意味不明の超常現象に囲まれている身だ。そういうものはそういうものなのだと、分からないまま受け入れるのは得意だった。
「ほう、これはなかなか」
「口にあったみたいで良かったです」
彼は地縛霊と言うこともあり、山門からあまり離れられないのだそうだ。本人は俗世に興味などないと主張しているが、流石に何百年ただそこにいるだけというのはやはり暇らしい。変わったものが食べたいということで、洋風菓子も実は彼からのリクエストだった。初めのころは危なっかしかったフォークの使い方も、今では何とか扱える程度にはなってきている。
あまりにも美味しそうに食べてくれるので、作った側としてはとても嬉しかった。こんなに美味しそうにものを食べる人物は、彼の他にはタイガー…もとい某冬木の虎くらいしか知らない。
ひとしきり味わった後、彼はふと顔を上げこちらを見た。
「そうだ、伝えたいことがあってな」
「なんですか?」
「最近「名」を得た」
「本当ですか!?」
彼は名無しの幽霊だった。それが名を得たとはどういうことだろうか。
すく、と彼は立ち上がると、こちらを見据えてクスリと笑った。
「我が名は「佐々木小次郎」だ」
「佐々木小次郎……って宮本武蔵のライバルの!?」
「私は佐々木小次郎だよ」
佐々木小次郎と言えば宮本武蔵の逸話であまりにも有名だ。こんな有名人だったとは思いもよらなかった。世界中探せば有名人の幽霊は他にもいるのかもしれない。
「じゃあ今度からは、佐々木さんと呼ばせて貰いますね」
そう言うと佐々木さんは一瞬きょとんとした表情になった。そしてしばらくしたあと、満足そうに頷いた。
「佐々木さん。佐々木さんか。ふむ、名とは良いものだな」
「はい、素敵なものだと思います」
山門の名無しの友人に、佐々木小次郎という名前ができた。佐々木さんの言うとおり、名前とはいいものだ。親が子のことを思って、願いが込められた贈り物。それが名前がなのだから。
「じゃあ、今日は佐々木さんの誕生日ですね」
「誕生日?」
「名前はその人自身を表すものだから、それを得た日も誕生日なんじゃないでしょうか。それに、佐々木さんの誕生日が分からないのが残念でしたから、いっそ作ってしまえばいいかと思って」
かなり無理やりな理論だったが、これは四月一日なりの祝い方だった。いままで佐々木さんと過ごした時間はとても楽しいものだったし、きっと佐々木さんは誕生日を祝われた経験もないにちがいないと考えたからだ。
「誕生日、か」
佐々木さんは少し嬉しそうに頷いた。
「さて、世間話も良いが、そろそろ「ガッコウ」とやらにに行くべきではないのか」
「え……って時間!? マズ、早く行かないと!」
あわてて彼に一礼し踵を返し、足を出そうとしたところで、再び彼に、佐々木小次郎に声をかけられた。
「四月一日、日頃の礼だ。もう一つ伝えなくてはならない事がある」
「伝えなくてはいけない事?」
佐々木さんの目はいつになく真剣だった。
「――暫く夜に出歩くな」
内容は単純明快。しかし理由がわからなかった。
「できれば日中もここには訪れぬほうが良いだろう」
「佐々木さんは…」
「私は既に変質している」
変質している? しかし、表面上はいつもと違うようには見えなかった。でも、よくよく目を凝らしてみれば――いつもよりも存在がはっきりしているような、そんな気がした。
「行け。此度の菓子も中々に美味かったぞ」
「……はい」
学校の朝学活まで、もうあまり時間もなかった。なぜなのかと問い返すこともなく、四月一日は階段を駆け下りて行った。
「ふふふ、女狐よ。残念ながらあれは私の数少ない縁を持つ者でな。渡すつもりはないのだ。精々邪魔させてもらうとしよう」
佐々木小次郎の名を背負った「サーヴァントもどき」は、誰もいないはずの虚空に向かってそう呟いた。
◆
「……やっぱりおかしいよな」
放課後、運動場を歩きながら一人つぶやいた。当たりには後片付けをしている運動部員をのぞいて、ほとんど人はいない。
「誰も、気づいてないのか」
この運動場を含めた学校全体が、学校全体が薄いピンクがかったようになっていた。多くの人は気にしている様子もなく、いつも通りにしか見えないようだ。しかし持ち前の体質ゆえか、四月一日は異常に気付いていた。甘ったるい香水がぶちまけられているような、不健康で退廃的な香りが鼻につく。
「う……」
臭いに酔ったせいか、少しふらついた。異常事態だということくらいは分かる。だがろくな知識のない四月一日には、この異常の正体も対処法も全く見当がつかなかった。
「とにかくさっさと学校からでるしかない、か」
多少ふらついた足取りで、校門に向かった。
「君尋!」
桃色に満たされた空間から出ようとしたまさにその時、聞き慣れた声がかけられた。
「士郎? こんな時間までまた何か手伝ってたのか。お疲れ様」
そこにいたのは通称冬木の便利屋、兼四月一日の幼なじみである例の友人、衛宮士郎だった。士郎は昔は弓道部に所属していたが、今は帰宅部のはずだ。四月一日のように教師に呼び出されて遅刻の反省書類を欠かされていたのとも違う。だというのにこんな時間まで残っていたのは、やはり通称通り何か手伝いでもしていたのだろう。
「まあ、俺にできることならやるのは当たり前だしな。あのさ、少し頼みごとがあるんだけど、いいか?」
頼みごと。士郎がするなんて珍しい。
「今から弓道場の掃除するんだけど、桜に遅くなるって伝えといてくれないか」
「あれ、士郎ってまだ弓道部だったけ。ああ、ボランティアか。手伝うけど」
「いや、大したことじゃないから別に大丈夫だ」
「なら伝えとく」
士郎は礼を言うと弓道場に向かっていった。
「……?」
弓道場の赤さが回りより濃い気がした。目をこする。
「……気のせいかな」
もともと赤色もごくごく薄いものだ。差があってもそうそうわからない。確かめるのも面倒だし、自分の体質を考慮すると藪蛇になりかねない。気のせいだということにしておいた。
「危ないから、気を付けろよ」
「? ああ、最近多いもんな、ガス中毒。でも弓道場にガス管は無いから大丈夫だぞ」
士郎は何か勘違いしていたようだが、助言そのものは聞いてくれた。四月一日が校門をでると、視界の赤色は嘘のように消え去った。
◆
「桜ちゃん、いる?」
家主不在の衛宮邸。玄関からいるであろう少女に呼びかけた。
「わ、四月一日先輩!」
少女――桜が小走りで玄関までやってくる。俺が久々にここに訪れたからか、目を丸くして驚いていた。
「今日はこっちに泊まる予定なんですか? えっと、先輩は…」
一緒に帰ってきていると思ったのか、桜は玄関の外を首を伸ばして士郎を探している。
「士郎はちょっと用事で遅くなるみたい。一応連絡を、と思って。伝言だよ」
「そうなんですか。ありがとうございます」
そういって行儀よくお辞儀をした。
間桐桜は無論衛宮家の住人ではない。しかし、今となっては家族も同然だった。時期は違えど、俺と同じようなものだ。桜が衛宮家に通うようになったのは、詳しいことはわからないが、弓道部がらみのとある事件かららしい。通い始めたころに比べ、今の桜はずいぶんと明るくなった。いいことだと思う。
「じゃあそろそろ帰るね」
「もうですか? せっかくだからゆっくりしてくださってもいいんですよ?」
「いきなり押しかけても迷惑でしょ」
「そんなことありません。四月一日先輩がいると、先輩も、藤村先生も楽しそうなんですよ? もちろん私もです」
「そうかな…」
「そうですよ……そうだ。あの! えっと……」
桜ちゃんはすこし恥ずかしそうにもじもじした後、意を決したようにすこし緊張した顔になる。
「料理を教えてくれませんか?」
「料理? わざわざ俺が教えなくても、もう十分上手いと思うけど」
疑問形になってしまったのは仕方ない。 最近衛宮邸に来ることがなかったとはいえ、それでもかなりの頻度で訪れている俺は、桜ちゃんの料理の腕を知っていたからだ。洋食に関しては、俺や士郎よりも美味しいかもしれない。
「デザートを作ってみたいんです。四月一日先輩のお菓子みたいになかなか作れなくて……」
なるほど。桜ちゃんは洋食においてはかなりの腕前だが、あくまで家庭料理レベルでしかない。普段あまり作らないような菓子類などは俺の独壇場だ。というか、桜ちゃんも年頃なのだ。お菓子作りに興味がわくのは当然だろう。…しかしむしろこの場合は。
「それって、士郎のため?」
「えっ…あ、あの、それは……!」
「いいよ。もうすぐだもんね、バレンタイン」
「えっと、私、先輩にもっと喜んでもらいたくて。練習したいんです。……だから、この家にいてください」
「言うようになったよなあ、桜ちゃん。藤村さんに似てきたんじゃない?」
「ふふ、それ、先輩にも言われました」
「あはは、さすが士郎。よし! じゃあしばらくはここにできるだけ通うようにするよ」
「ありがとうございます。それで、あの、先輩には秘密にしておいてもらえないでしょうか…」
今までとは打って変わって、桜ちゃんは目をそらし、恥ずかしそうに言った。
「約束する。一緒に士郎のやつを驚かせてやろう。そのかわりスパルタでいくからね!」
「はい! 頑張ります!」
桜ちゃんは背筋をぴんと伸ばすとはきはきと答えた。こんなにも一途に想われているとても士郎がうらやましい。
「じゃあ、せっかくだし今日は夕飯こっちで食べていこうかな。今日はまずは試作なしで基本から教えるね」
「よろしくお願いします、先生」
先生。なれない呼び方だがなかなか気分がよかった。
◆
デザート作りの特訓の練習の約束をした次の日。俺は材料を買いに商店街まで買い物に来ていた。卵や牛乳は衛宮邸にも常備されているが、それらだけで作れるものなどたかがしれているからだ。今夜も衛宮邸へ行き桜ちゃんと試作品を作るのだ。士郎はどうせ蔵に篭って色々いじっているからバレないだろうという大雑把な作戦だ。
ところがその当の本人を、ここで見つけてしまった。
「士郎!」
「君尋?」
「あら、あなたはたしか」
そこにいたのは士郎だけではなくて、なんとその一人は一方的に見知った顔だった。
「士郎、なんで学園のアイドルである遠坂凛と一緒に!?」
「…ちょっと家具が壊れてしまって困っていたところを、衛宮くんが治してくださると言ってくださったんです」
「士郎のその技術を今以上に羨ましいと思ったことはないっ!」
「えっと…」
遠坂凛は笑顔で返してくれた。笑顔が好印象だ。学園のアイドルの称号は伊達ではない。
「そうだ士郎、昨日はどうしたんだ? ずいぶん遅かったみたいだけど。桜ちゃんも藤村先生も心配してたし」
「えっと、き、昨日はだな…」
士郎は言いよどんだ。珍しい。
「聞いちゃまずかったかな」
「そんなことはないぞ。だけど…」
士郎の声が小さくなっていく。他人に迷惑をかけるのを極端に嫌がる性格だから、はっきり言えないのかもしれない。おせっかいだっただろうか。
「や、言いたくなかったら別にいいよ」
「そういうわけじゃ」
「また今度機会があったら言ってくれ」
「……ああ、わかった」
士郎と二言三言言葉を交わしたあと、未だにしゃべらない人物に目を向けた。
「この人は?」
「ああ。こいつはセイバーって言って、親父を頼って日本にきたんだ。しばらく家に泊まってもらう予定なんだ」
「セイバーです」
金髪の美少女は控えめな声で名乗った。人見知りなのだろうか。 しかし、突然現れて泊まりとは、桜ちゃんの恋心を知る身としては気が気ではない。士郎がそういう下種な男でないのはよく知っているが、桜ちゃんには同情した。
「へえ、切嗣さんの。じゃあそっちの男の人も?」
最後の一人に目を向けながら軽い気持ちで聞いた。しかし士郎から返事はない。もしかして聞いてはいけないことだったのだろうか。
「そっちの、て、誰のことだ? もしかして霊、か?」
「えっ」
後半は小さめの声で聞かれた。
もし俺が最後の一人だと思っていた人物が無関係な霊だったなら、非常にまずい。士郎には既に事情を説明してあるからいいのだが、この美少女二人は違う。初対面で「俺霊感あるんだぜ!」と言うような人物など、胡散臭いことこの上ない。
「ええっと…?」
《ふむ、霊体化しているはずなのだが。君には霊視の才能があるようだな》
「なぁっ! この感じ、似てる…?」
無関係な霊らしき男にいきなり話しかけられ、思わず奇声をあげてしまった。それにしてもこの感覚、佐々木さんと酷似している。うまく説明できないが、この赤い外套の男も地縛霊なのだろうか。でも、金髪の少女の感覚とも似ているし、彼女の方は幽霊じゃないようだし、イマイチどういう存在なのかが理解できない。
何よりこれ以上の沈黙は気まずすぎる。
「ええっと! あの! ちょっと急用思い出したんで、帰るね!」
早々に立ち去らせてもらおうと慌てて三人に背を向けたところで。
「――させると思ったの?」
あかいあくまがいる、と思った。
さっきまでの笑顔は変わらない。だというのになんなのだろうかこの威圧感は。ツインテールの美少女だった――現在進行形で美少女なはずなのだけれど――につかまれている右手がギリギリと悲鳴をあげた。
「え? 私の家で夕飯を作りたい? 積極的ですこと!」
これは本能だ――彼女に逆うべきではない 。
「ちょぉっとお話しましょうか?」
「ッ、はいっ! よ、喜んで!!」
士郎の同情する目が見えた。あいつも経験済みだと言うことだろう。合掌。
◆
「霊媒体質……ちょっと面倒ね」
遠坂凛に連れ込まれた路地裏で、体質や士郎との関係を洗いざらい吐かされた。セイバーさんと遠坂凛、そしておそらく幽霊であろう赤い服を着た男性の警戒するような、値踏みするような目線が刺さる。申し訳なさそうな士郎だけが癒しだった。
「霊感と魔術は違うものとはいえ、霊体化したサーヴァントまで見えるなんて。ああもう、どうしてこんなのばかりなのよ、もったいない!」
遠坂凛は難しそうな顔をして考えていた。
「サーヴァントっていうのはいったいなんなんですか?」
「…そうね。とりあえずは」
凛はじっとこちらを見つめてくる。
学園のアイドルは、瞳も綺麗だった。
あれ…?
そういえば、おれは何をしていただろうか。
ここがどこだかわからない。
いや、そうではない。
そもそもおれはしろうとしょうてんがいなんかでであっていないんじゃなかったか…
「何してるんだ遠坂!?」
「!?」
士郎の声で我に返った。とっさに遠坂さんから目をそらすと、さっきまでのかすみがかった思考が一気に晴れる。
「今のはいったい…」
「士郎こそどういうつもりかしら。彼は無関係なのよ。記憶を消すのは当たり前でしょう」
「だけど!」
「それともあなたは友達を殺したいの?」
「そういうわけじゃない!」
士郎と遠坂凛は口論しだした。聖杯戦争。記憶。危険。安全。無関係。魔術師。死。日常生活ではありえない言葉が飛び交っていた。
「…わかったよ」
どうやら口論は士郎が納得する形で終結したようだ。凛は一回ため息をつくと、再びこちらを見た。――こちらを?
「悪い、君尋」
冗談じゃ、ない。
さっきの感覚をもう一度味わえというのか。すべてが靄がかったような感覚。何回もやられてはとまらないと、逃げるため走り出した。
「って、ぎゃああーーーーーー!!っ」
走り出した途端、首元に何かが添えられた。先ほどの女性、セイバーのもっている黄金の剣だ。
「ありがとうセイバー。ごめんなさいね。でも記憶を消すだけだから、別に死ぬわけじゃあるまいし、大丈夫よ」
何が大丈夫だ。記憶を消される? しかも士郎がそんなことにかかわっている? わけがわからないことは日常茶飯事だが、これからあなたの記憶を消しますよと言われて受け入れるほど悟ってはいない。
《―――》
「……?!」
何かの声が聞こえた。士郎でも凛でもセイバーでも赤い男性でもましてや自分の声でもない第三者の声だった。しかしどこかで聞いたことがあるような。
「何者だ」
しかし、考える間もなくセイバーの声で再び現実に呼び戻された。首元には剣は添えられていない。
士郎たちは新たに現れた青い男といつの間にか敵対していた。
「よお。弓兵に嬢ちゃんと、坊主にセイバーだな」
青い男はさっきの声の主ではなかったようだ。
「…ッ!」
青い男がいるうちに逃げ出そうと、走り出した。これでも運動神経はいいほうだ。士郎にも、女性にも負けるつもりはない。
「ちょっと待ちなさいあんた…!」
「敵を前にしてよそ見とはいい度胸じゃねーか」
遠くになされるやり取りを聞く限りは、なんとか逃げ切れそうな気がする。だが、どこに逃げても安全な場所などない。衛宮邸は当然、自宅も場所が割れている。ビジネスホテルに泊まれるほどの金は持っていないし、野宿は自分の体質的に、別の意味で危険すぎる。ならばどうすればいい。
取り合えずは……佐々木さんに会わなければいけない。そんな気がした。何しろ今朝の佐々木さんはいつもと違い、セイバーと呼ばれた女性や弓兵と呼ばれた男性と似たような雰囲気を持っていたのだ。きっと何か知っているはずだ。
俺は後ろを振り向くことなく柳洞寺に向かって走って行った。
◆
柳洞寺の階段前までたどり着いた頃には、すっかり日が沈んでいた。
「佐々木さん……!」
必死で山門まで駆け上がる。一段飛ばしではだめだ。二段三段と勢いに任せて飛ばして進む。
「佐々木さん…どこに…!?」
「ふむ、四月一日か」
「佐々木さん!」
佐々木さんはいつものように山門の前にいた。入口を背にして立っている。
「聞きたいことがあって。佐々木さんは知ってませんか!? 士郎が…あと、遠坂さんも、幽霊が…!」
あわてているせいか、うまく言葉をまとめることができない。佐々木さんはそんな俺の支離滅裂な言葉を遮るように言った。
「今すぐ去れ。早く逃げろ」
「逃げ…?」
ただならぬ雰囲気に押された。
赤みがかかった学校。
昨夜帰ってこなかった士郎。
商店街で会った赤い幽霊と、剣をもったセイバー。
その2人と共にいた遠坂さんと士郎。
そして今の状況。
「俺の知らないところで何が…」
「あら、おもしろいお客さんね」
「!?」
ミステリアスでどこか妖艶な声。佐々木さんの後ろ、山門の真下にその女性はいた。フードを深くかぶっていて、顔はよく見えない。
「門番が役割を放棄だなんて、いったいどういうつもりかしら」
「なに、頼まれたのは門番だけ。ゆえにちょうど今こやつを追い返そうとしていたところよ」
この女性は、何者だろうか。セイバーやアーチャー、青い男や佐々木さんと同じ雰囲気をまとっていた。
「まあいいわ。あれを捉えなさい」
「えっ、俺!?」
この場には3人しかいない。あれ、とは間違いなく俺のことだろう。
「ほう、それでどうするつもりだ」
「言う必要があるのかしら?」
「……」
佐々木さんは黙っている。女性は佐々木さんの左横を通り、俺のほうへ向かってきた。
「あ……」
そして女性の手が俺に触れる。まさにその瞬間、佐々木さんが初めて刀を抜いた。
「本当に何のつもりかしら、アサシン?」
「なに、貴様に付き合ってやる義理以上に譲れぬものがあったというだけのこと」
佐々木さんは素人目に見ても長すぎる長刀を右手だけで軽々と持ち、その切っ先を女性に向けていた。
「悪いが、こればかりは傍観はできん」
そう言って、佐々木さんは刀を構えなおした。
「……」
「……」
数拍の間。そして動いたのはほぼ同時だった。
神速の剣が、四月一日には認識できないほどの速度で女性に向かっていく。よけることなどできない。だれもがそう思うくらい美しく無駄のない斬撃だった。
――しかしその神速の剣よりも、女性の行動が終わるのはさらに早かった。
「自害なさい、アサシン」
「佐々木さん!?」
目の前が赤く染まる。血だ。紛れもない、暖かい血液。彼の愛刀が、彼自身の手によって、主人の胸を貫いていた。どこか遠いところからこの場を見ているような、現実離れした感覚に支配される。ああ、霊でも血が出るのかとおかしなところで感心した。
「妙な気を起こすから、こうなるのよ」
自害を命じた張本人であるローブを着た女性がつまらなさそうにそう言って、こちらに迫ってくる。
そうだ、逃げないと。佐々木さんはこんな自分のために時間を稼ごうとしてくれた。きっと無意味なことだと分かっていたのに、こんな俺のために、彼は。だから、なんとしても俺は生きのびなければいけないはずなのに。
「ッ……!」
「佐々木、さん」
彼にはまだ僅かに息があった。あと数十秒後に死ぬだろう。幽霊である彼をそう形容するのは変かもしれないが、それ以外に表現のしようがなかった。動くどころか話すことすらできないに違いない。けれど、まだ確かに霊としての彼は生きていた。
「面倒なことになる前に、利用させてもらうわよ。雑多な魂を集めるよりも余程効率がいいわ」
「あ……」
逃げないと。逃げないといけない。そばには誰もいない。四月一日君尋一人の力で逃げ切らなければ。
「くそ!」
震える足を無理やり立たせた。目の前にはキャスターという女性。倒れ伏す佐々木さん。逃げなければ。逃げなければいけないと思うのに。
――佐々木さんを見捨てて逃げることなどできなかった。
四月一日はキャスターを睨み返した。
武器はない。勝機だって無い。それでも立ち向かわなければいけない。他ならぬ佐々木さんがそうしたのだから。
「あら、逃げないのね。私としては手間が省けていいのだけど」
なにか、なにかないか。
四月一日君尋にできること。なんだっていい。いっそ自分の身はどうなってもいい。だから、せめて彼だけでも助けることはできないだろうか。
「ばいばい、坊や」
キャスターがそう言い、死を直感したまさにその時。
世界が黒く染まった。
真っ暗闇の空間。何も見えなかった。
「ここは……」
ここは夢のなかだと、なぜかそんな確信があった。はらりと桜の花びらが散っていくのを見て、後ろを振り返る。
「また会ったね」
「……俺?」
目の前にいたのは、俺とうり二つの男だった。……思い出した。少し前に夢であった男だ。
「心のどこかで、無関係なまま平凡に生きてほしいと思っていたのかもしれない。けれど、こうなってしまったのも、きっとまた必然だったんだろうね」
男は俺と同じ顔だとは思えないような落ち着いた様子で、つぶやく。しかし、どことなく悲しそうな声だった。
「願いをここに」
「願い?」
「利き手をこちらへ」
右手に男が手を重ねると、強い痛みが走った。赤くてまるで子供が落書きしたような、それでいて美しい対称性を持った模様が浮かび上がる。
「なあっ!? なんだこれ!?」
「強く願えば使える」
「待ってください! あなたは!?」
男はどこか遠くを見つめて、もはやこちらの存在を気にする様子すらなかった。
「――あなたの願い、かなえましょう」
目の前がだんだん白くなっていく。夢から覚める兆候だ。
半信半疑だったが、言われたとおり、右手の赤いぐちゃぐちゃした痣に意識を集中させた。意識を研ぎ澄まし、強く願う。
≪――――≫
「なっ!?」
キャスターが察してあわてて対応しようと魔力弾を放ってくるが、もう遅かった。
≪――――全快してください、佐々木さん――――!≫
ものすごい速さの何かが目の前を通り、魔力弾をひとつ残らず撃ち落としていく。
「了解した、マスター」
それは銀色に輝く長刀、先ほどまでアサシンを貫いていたはずの物干し竿だった。紫の陣羽織は相変わらず血で濡れていたけれど、傷はどこにも見あたらない。よかった。上手くいったのだ。
「私から令呪を奪ったですって……!?」
「さて、今までの礼をさせてもらうぞ」
アサシンは、否、佐々木さんは不敵に笑う。こうして俺は、聖杯戦争に参加することになったのだった。