麻帆良在住、葛木メディアでございますっ!   作:冬霞@ハーメルン

9 / 11
山なし谷なしオチなし。
しかし重要な人物との邂逅あり。のんびり書いてくつもりでしたけど、少し次話から色々と加速させていこうかなと思います。
なんとか半年ぐらいで、キリのいいところまで持っていきたいですね。四月からはホラ、就職ですから‥‥。


Prologue〜9

 

 

 騒動の夜が明け、キャスターの心は比較的穏やかであった。

 傍目に見れば微笑ましい騒動であったことだろうが、元気いっぱいな少女たちにもみくちゃにされるというのは実に疲れる。ことさら邪気のない少女の相手というのは、どうにも慣れないことであった。

 愛衣や高音は2-Aの彼女たちに比べると、実に大人びた淑女であったのだ。キャスターは心から自分のマスターの常識人っぷりに感謝した。

 

 

「本当、若いっていいわねぇ‥‥」

 

 

 普段ならば若さに憧れる意味で放つ言葉も、今日ばかりは真逆。あんなにパワフルに騒ぐことを義務付けられるなら、いっそ若くなくていい。

 自分が少女と呼ばれていた頃も、あそこまでパワフルだっただろうか? 世間知らずの小娘だったのは認めるが、どちらかというと、こう、貞淑な令嬢だったように記憶している。いや令嬢というか、自他共に認める王女様だったのだが。

 そんなことを考えながら、前の寮母だった老婆が残してくれた着物の上から割烹着を羽織り、食堂の片付けを進めていく。

 酒こそ出なかったもののどんちゃん騒ぎが過ぎて、歓迎会直後の片付けはぞんざいだ。渋る少女たちに発破をかけて何とか片付けをしたという体面だけは整えたが、作業の最中にうつらうつらと船を漕ぎ始めるものだから最後まで完遂できなかったのである。

 

 

「あ、キャスターさん。おはようございます」

 

「‥‥愛衣? 随分と早いのね、おはよう。昨日は貴女もはしゃいでたのに元気そうじゃない」

 

「ついさっきまで寝ていたので、元気です。キャスターさんこそ、ごめんなさい片付けなんてさせてしまって‥‥」

 

「いいのよ、これも寮母のお仕事なんだから。それに昨日の片付けの残りですから、すぐに終わるわ。ちょっと待っていてね、お茶でも淹れましょう」

 

 

 洗い場で乾かしておいた食器を棚に仕舞い、細かい掃き掃除をして、まとめてあったゴミをゴミ捨て場に運ぶ。それで残った片付けはおしまい。

 普段は殆ど使う学生がいない広々とした食堂で、キャスターは愛衣と二人でお茶を淹れて一息ついた。

 麻帆良女子中等部の生徒である愛衣はキャスターが寮母を務める女子寮に居住しているが、彼女が姉と慕う高音はウルスラ女学院の寄宿舎にいる。愛衣は魔法生徒としての修行が多いためクラスメイトとは少し疎遠で、キャスターと過ごす時間は最近の楽しみの一つである。

 キャスターもキャスターで、葛木がいない時間を愛衣と過ごすのは好ましかった。マスターである彼女と交流を深め、絆を培うことは自己保身のために必要不可欠。また主人というよりは妹や生徒のような彼女の人柄も、キャスターは決して嫌いではなかった。

 

 一つ、おもしろい発見がある。佐倉愛衣という少女は思ったよりも思慮深く、キャスターのマスターとして十分な素質を備えていた。

 契約を交わした夜、キャスターは愛衣に自らの真名を告げた。これはサーヴァントとしての義務感だけではなく、彼女の出方を見るという意味も持っていた。

 多くの英霊は自らの真名を隠す。例えばアキレウス、あるいはジークフリート、もしくはクーフーリン。英雄には弱点がつきものであるから、正体を隠すことで弱点を露呈しないようにするのは当然だろう。

 しかしキャスターの場合は少し異なる。彼女には、トラウマこそあれ弱点らしい弱点はない。魔術師のサーヴァントとして当然の、例えば対魔力を持つ三騎士に対して不利であるという弱点こそあれ、真名を知られることで生じる弱点は殆ど存在しない。

 ただ、それは戦闘などについての話。マスターとの付き合い方を考えた時、“裏切りの魔女”という不名誉極まるネームバリューは最悪の障害となるだろう。だから、それを晒すことによって愛衣の人柄を知りたかったのだ。

 もしかしたら、そういう態度こそが彼女に貼られたレッテルを証明するのかもしれないが‥‥それでも、そうせざるをえなかった。

 

 そして愛衣は、キャスターの予想から完全に外れた行動をとる。

 彼女は何も調べなかったのだ。図書館に行くでもなく、誰かに聞くこともせず。キャスターは知り得ないことだが、ネットの発達した現代だというのにスマホすら使わず、何も調べなかった。

 理由は二つある。まず、彼女自身が監視されていることを予想していた。自分の軽率な行動如何によっては、キャスターの落ち度なくサーヴァントの真名を見破られてしまうことを恐れた。そして次に、自らの従者を信頼した。彼女の、とりあえずの信頼に応えようと考えた。だから何も調べなかった。

 キャスターはそれを理解したとき、己のマスターへの信頼の度合いを一つ引き上げた。未熟で若い魔術師を眩しく思い、ちょっとお酒も飲んだ。しょうがないじゃない、若いって素晴らしい。ここまで無防備に全力疾走できるって素晴らしい。

 弁護しておくと、サーヴァントというのは人類の信仰によって多少ならず在り方を強いられる英霊であるから、彼女ばかりの責任ではないのだが。

 

 

「今日は土曜日ね。学校も、修行の方もお休み?」

 

「はい。葛木先生はどうされたんですか?」

 

「‥‥新任の教師ですから、引き継ぎの仕事があるんですって。まぁ、前いたところでも特に用事を作ったりする方ではなかったから、慣れっこなんだから、寂しくなんてないんだから」

 

 

 魔術師とはいえ英霊は英霊。重厚な湯のみがキャスターの掌の中で悲鳴を上げ、愛衣の額を冷や汗が伝う。

 朝早く起きているのは片付けもそうだが、葛木が早くに寮を出たからだ。聖杯戦争中は安全のため龍洞寺から出ないようにしてもらっていたので、初めての休日を二人で過ごすという計画が無残にも粉砕されたわけである。

 宗一郎様が帰ってくるのは早くて夕方。お弁当を作ったから間違いない。ということは、少なくとも昼は一人で過ごさなければならない。

 キャスターはその点についてのみ、実に不機嫌であった。まぁそういう機会はこれからいくらでもあるだろう。そう呪文のように繰り返すばかりであったから、愛衣が来てくれたのは彼女の精神衛生上よかったのかもしれない。

 

 

「じゃあ一緒にお出かけに行くのはどうですか?」

 

「‥‥愛衣と私で、かしら?」

 

「はい! この前のお出かけは、どちらかというと買い出しみたいで興醒めでしたし‥‥もっと詳しく麻帆良の、私たちの街のことを紹介したいんです!」

 

 

 ふむ、とキャスターは顎に手をやる。まぁ、やることはない。洗濯も済ませてしまったし、掃除なんて普段やってるんだから1日ぐらいなら先回しにしたって構わない。

 マスターとは出来る限り一緒にいるようにしてはいるが、それも朝や夕方、夜の少しの時間だけである。一緒に街を歩いて、お茶とかするのもいいかもしれない。これってもしかして女子会とか、そういう最近の若い子たちの流行りを味わえるチャンスなのでは?

 神代の魔女、コルキスの王女メディア。こう見えて意外と思考は俗物的である。

 

 

「まぁ、特に用事もないし構わないわ。でも愛衣、貴女から誘ったのだからエスコートは任せてもいいのよね?」

 

「も、もちろんです! 任せてくださいキャスターさん!」

 

 

 二人分の湯のみと、急須を洗ってキャスターは管理人室へ、そして愛衣は自分の部屋へ一度戻る。

 キャスターは真っ白いハイネックのセーターと、デニムのジャケットにスカート。宗一郎の古着を仕立て直したものである。といっても宗一郎が飽きた服というわけではない。彼は破滅的にファッションセンスを欠いていたので、キャスターが無理やり奪い取り、新たな服を買い与えていたのである。

 一方の愛衣は白いブラウスにチェックのスカート、淡い赤色のタイと実に無難な格好。しかしどれもしっかりとアイロンがかけられていて、もしや勝負服の類に入るのでは。

 憧れのお姉さんと出かけるといっても気合入りすぎ‥‥なのだが、よく考えたら男性との付き合いが殆どない彼女にとっては自然なことなのだろう。

 まぁキャスターとしても、可愛らしい格好をした女の子と一緒に歩くのは悪い気分ではない。むしろ良い。というわけで、二人仲良く寮を出て街の方へと歩き出した。

 

 

「そういえばキャスターさん、冬木では何をして休日を過ごしていたんですか?」

 

「‥‥聖杯戦争の最中だったから、陣地から出るということはなかったわね。寺の掃除や炊事の手伝いをしたり、あとは戦いを有利に進めるための準備ばっかり」

 

「じゃあ葛木先生とお出かけ、とかは‥‥?」

 

「街には他のマスターやサーヴァントがいるかもしれませんでしたからね。出歩くことはできなかったわ。それでも暇なときは、工作とか、お裁縫とかをしていましたけれど」

 

「そうなんですか‥‥。あ、実はお姉さまもお裁縫が趣味なんですよ! 私、良いお店知ってるんで案内しますね!」

 

「あら本当? じゃあお願いしようかしら」

 

「任せてください!」

 

 

 寮を出て、桜通りを歩いて世界樹広場の方へ。麻帆良学園は非常に広いから、繁華街もあちらこちらに点在している。世界樹広場を取り巻くように並ぶ、中世ヨーロッパを模した町並みは、麻帆良でも一番人気のお洒落スポットだった。

 まず二人は洋裁雑貨の店へと入っていった。高音は完全無欠のお嬢様で、自室では紅茶を飲みながら詩集を読んでいると専らの噂であるが、実は人形作りが趣味であった。しかもクマさんやワンちゃん、ネコちゃんの可愛らしい縫いぐるみである。愛衣も決して愛らしい縫いぐるみが嫌いではないので、よく付き合わされて出入りしている店である。

 キャスターの場合は縫いぐるみというよりは、少女趣味のファッションの裁縫が趣味なので、この二人が互いの趣味を知れば非常に互いのためになったことだろう。特に高音は縫いぐるみに着せるお洋服が手に入って、相当に喜ぶに違いない。

 もっとも愛衣とルームメイト以外にはひた隠しにしている趣味だ。時間の問題ではあるが、しばらくはその機会もないだろう。

 

 

「今日のキャスターさんの服、大人っぽくて素敵ですけど‥‥。ちょっと、見ている布地とはイメージ違いますよね?」

 

「わ、私には似合わないじゃない、こんな可愛らしい生地‥‥。別に、自分が着る服だけ縫うってわけじゃあないのよ。そういうものなのよ」

 

「じゃあ誰に着てもらってたんですか?」

 

「誰にって、それは別に、誰か可愛らしい女の子がいれば着てもらってたんだけど‥‥」

 

 

 例えばセイバーのお嬢さんとか。と呟かれても愛衣にはよく分からなかったが、放っておくと大量に作った洋服を持て余しそうなマニア気質なところをキャスターに見た。お姉様そっくりである。

 高音の部屋にも、壁一面を埋め尽くすように大量の縫いぐるみが積まれている。まるで土嚢のような扱いは彼女自身も不満なのだそうだが、処分することも出来ず、贈る相手も限られ、愛衣はそれを難儀しているなぁと他人事のように眺めていた。

 

 

「まぁ、今日はいいわ。まだ越してきたばかりだし、落ち着いてからまた来るわね。案内してくれてありがとう、愛衣。‥‥あら?」

 

 

 品揃えはよく大きい店だが、人の出入りは多くない。そうして二人が談笑していると、思い出したかのように扉がベルを鳴らして開いて、二人の少女が入ってきた。

 一人は世にも珍しい緑色の髪と、まるでロボットのような飾りをつけた少女。こともあろうにメイド服を着ており、なおかつ違和感というものがない。クールビューティーという言葉が似合いそうなぐらい透き通った表情をしているが、一方で不思議な幼さを感じさせる。

 彼女を従えるようにして入ってきたのが、もう一人の少女。小学生と見間違えるぐらい小柄で、金絲のような髪の毛を揺らし、クリクリとした大きな瞳を鋭く細めてキャスターを見る。こちらは、外見年齢に反した不思議な大人っぽさ‥‥凄みを感じさせた。

 瞬間、愛衣が硬直したのをキャスターは感じた。そして彼女の目もまた鋭く少女を見据える。

 

 

「‥‥ほう、面白い奴がいるじゃあないか。佐倉愛衣、だったか? 随分と奇妙な連れ合いを持っているようだな」

 

「エヴァンジェリンさん‥‥、どうしてここに?」

 

「なぁに、ただの趣味さ。私が人形作りに通じていることは“よく知られている”だろう?」

 

 

 珠を転がしたような可愛らしい声に、威圧感と落ち着き。なにもかもがチグハグで、そして何よりキャスターの目を引いたのは魂のラベル。

 魔術師の英霊として現界したコルキスの王女は、肉体で覆い隠された魂の表層を見通す魔術師の視界を持っている。何らかの術式でがんじがらめにされてはいるが、その隙間から見える魂は明らかに。

 

 

「貴女、人間ではないわね」

 

「そういう貴様こそ、この世のものではなかろう。何処から迷い出てきたんだ、存在を構成するエーテルの強度が桁ひとつ違う。凡百の霊魂ではあるまいに」

 

「霊魂呼ばわりとは失礼な小娘ね。どれだけの齢を重ねてきたか知りませんが、目上の者への言葉遣いを教えてあげましょうか?」

 

「キャ、キャスターさんッ?! エヴァンジェリンさんも、こんな公の場所でそんな破廉恥なっ!」

 

 

 ピシリピシリと、そう広くはない店内の空気を凍らせるようなプレッシャーが二人の魔術師の間で張り詰めていく。

 破廉恥、と愛衣が叫んだのは卑猥であるという意味ではない。魔法は秘匿するものであるから、こんな一般人もいるような店内で魔法に関わる話をしてはいけない。そんなわかりきったことを思わず注意してしまうぐらい、凄まじい緊張を感じたのだ。

 

 

「心配しないの。既に認識阻害の魔術をかけてあるわ」

 

「認識阻害? ハッ、笑わせる。あれは呪い、いや傀儡の魔術か。いい腕じゃあないか、死なせておくのが惜しいくらいだ」

 

「あら、お褒めに預かり光栄ね。馬鹿にするのも大概にしなさいな、お嬢さん。何年生きたか知らないけれど‥‥。この時代の魔術師が私を、キャスターのサーヴァントを“褒める”だなんて侮辱もいいところよ」

 

 

 人形のような少女は不敵な笑みを浮かべながら、内心は疑惑で渦巻いていた。

 本人が語ったとおり、彼女の“誘い”に乗ったキャスターは店に唯一いた一般人である従業員に、認識阻害を施していた。しかしそれは麻帆良の魔法使いたちがやるような、意識や視線、音をごかますようなものではなく、“相手を完全に自分の支配下においてしまう”というもの。むしろ彼女が慣れ親しんだものだった。

 見ればわかる。相手が人間でないこと。幽霊の類であることは。しかし指先ひとつで、人間を傀儡にする技量。そして幽体を構成するエーテルの密度。幽霊とひとくくりにしていい相手では断じてない。

 

 

「詠唱する者、そして従者か‥‥。ああ、自己紹介が遅れたな。私はエヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。真祖の吸血鬼‥・と言って分かるかな?」

 

「真祖‥‥? 私の知識の中にある真祖の吸血鬼とは星の眷属。貴女、そうは見えないけれど?」

 

「そんなものは聞いたことがない。お前、勘違いしてるんじゃあないのか? いや、どちらにしても真祖の吸血鬼など私一人。変な噂が出回っていても不思議ではないが」

 

 

 なんだ星の眷属って厨二病か貴様、とエヴァンジェリンは呆れたように言い放った。他人のことを言えたものではないのだが、もちろん如何に聖杯から得た知識を持つキャスターとはいえ、そんな細かいネットスラングが分かるはずもない。

 一方のキャスターも怪訝な表情で、じろじろとエヴァンジェリンを眺めていた。が、余裕はあるらしく半分ぐらいは「この子に着せたいお洋服」を考えていて、それは是非とも今いる場所のせいだと考えていただきたい。

 

 

「で、私の自己紹介は済んだわけだが‥‥貴様は何者だ?」

 

「さっき教えてあげたでしょう。私はキャスターのサーヴァント。マスターは、この佐倉愛衣よ」

 

「‥‥ほう、あくまでシラを切るか。しかし幽霊ならば、確かに依り代は必要か。フン、キャスターのサーヴァントとやらが何かは分からないが‥‥厄介な奴を抱えたものだな、佐倉愛衣」

 

「ひぃッ?!」

 

 

 エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。“闇の福音(ダーク・エヴァンジェリン)”、“不死の魔法使い(マガ・ノスウェラトゥ)”、“人形使い(ドールマスター)”、“悪しき音信(おとずれ)”、“禍音の使徒”、“吸血鬼の真祖(ハイ・デイライトウォーカー)”。

 その二つ名に事欠くことはなく、かけられた賞金は至上最高の600万ドル。魔法界では英雄ナギ・スプリングフィールドに匹敵するほどの知名度を持ち、夜遅くまで寝ない子には『闇の福音がくるよ』と脅しつける、まさに生ける伝説の化け物と呼んでも過言ではあるまい。

 愛衣も極々稀に同じ場所に居合わせることもあるが、基本的には遠くから身体を小さくして眺めるに留まる。そのぐらい怖い。お母さんに怒られるよりも『闇の福音』の方が怖い、というのが魔法に関わる子どもたちの共通見解であるのだから仕方がない。

 こうして魔法を扱うようになったからさらに分かる実力の差。雲の上、あるいは地獄の蓋の下の魔王に睨まれて、情けない悲鳴をあげてしまっても誰も咎められないだろう。

 

 

「まぁ、いい。佐倉愛衣の使い魔を名乗るなら、それでいい。精々そいつを持て余さないように注意することだ」

 

「マスター、お時間が」

 

「‥‥そんなに経ったか? むぅ、長話が過ぎたか。ではな、縁があればまた会おう。化けの皮が剥がれないように注意しておけよ」

 

「それはこちらのセリフよ吸血鬼。陽の光の下をビクビク歩いて帰りなさいな」

 

「ッ! ‥‥女狐め、とっとと成仏しろ」

 

 

 キャスターの言葉が相当に気に障ったのだろうか、エヴァンジェリンは視線だけで人を殺せそうな顔をすると、ドスンドスンと足音を立てて店を出て行った。

 そのときの殺気に中てられて泡を吹きそうな愛衣を見たキャスターは溜息をつき、その溜息だけで傀儡の魔術を解除した。何事もなかったかのように店員は仕事を再開し、しゃきっとしなさいな、と軽くマスターの背中を叩いて、二人揃って店を出た。

 いい時間だったので、愛衣おすすめのカフェで昼食をとって散歩を再開する。次の目的地は二人にとっても因縁浅からぬ場所。世界樹広場であった。

 

 

「あのときは夜だったけれど、昼間はこんなに賑わっているのね」

 

 

 世界樹広場は麻帆良で最も人気のスポットである。ローマにあるスペイン広場を模しており、麻帆良の街並みと調和するように工夫を凝らして作られた。

 休日だからか景観や通行を邪魔しない程度に出店が並んでおり、観光客の姿も見える。麻帆良は麻帆良祭という都市全体を挙げての学園祭で最も多くの観光客を呼び込むが、その日本離れした景観もあって普段から観光地としての人気が高いのだ。

 

 

「不思議なものね。あのとき死を覚悟したのに、こうして世界すら飛び越えて平穏な毎日を過ごしているなんて」

 

「‥‥聖杯戦争、ですよね。正直、この世界でそんな戦いが起こっていなくて、私は安心しました。魔術師だとか、魔法使いだとか、細かいことはわかりませんけど‥‥。私は私の周りの魔法使いの人たちが、世界の平和と人々の安全を守るために働いていることを誇りに思うんです」

 

「お姉さまみたいに?」

 

「お姉さまほどでは、ないかもしれませんけれど。うん、でもやっぱりそう思います。まだ私は修行だけで精一杯で、自分が本当に何をしたいかとかは分かりませんけれど」

 

 

 愛衣は少し悲しげにキャスターを見た。

 彼女ほどの魔術の腕があれば何でも出来るのではないかと思っていた。否、今も思っている。自分が憧れている高音のように、あるいは英雄と称えられる高畑先生のように、望むように振る舞えるほどの圧倒的な実力を持っていると。

 しかしキャスターは願いを求めて聖杯戦争に参加したはずなのだ。彼女ほどの力があっても、世界は思う通りにならない。それは愛衣にとっては意外な事実で、残酷なまでの真実でもあった。

 

 

「キャスターさんは」

 

「何かしら?」

 

「どうして聖杯を求めたんですか? 聖杯で、どんな願いを叶えようとしたんですか?」

 

 

 静かに、風が二人の間を通り抜けた。

 キャスターが、そのスミレ色の瞳でまっすぐに愛衣を見た。すごく透明な瞳だな、と愛衣は思った。その透明さの中に、色んなものを感じた。

 喧騒が勝手に遠ざかっていくように、愛衣はまるで二人だけが世界に取り残されたような気分になった。おそらくキャスターが何か術をかけた、というわけではなくて。一人の人間の、英霊とまで謳われた偉大な魔術師と人生を懸けた問答の一つを許されたのだと。そういうことだと感じたのだ。

 

 

「‥‥私は、ただ帰りたかっただけよ」

 

「帰りたかった?」

 

「そうよ」

 

 

 少し高い場所にある世界樹広場からは、わずかながら麻帆良を広く眺めることが出来る。その景色を呟き、風に靡く髪を押さえながらキャスターは呟いた。

 麻帆良には湖はあるが海はない。しかし英雄となってから、キャスターの過去の記憶は磨耗するばかり。今では自分が思い出せる故郷の風景が、本物なのかどうかも分からない。

 

 

「愛衣、貴女はこれから多くを知り、成長していくことでしょう。それはとても良いことかもしれないし、悪いことかもしれない」

 

「成長することが、ですか?」

 

「そうよ。無知は罪と、後世の誰かが言ったそうだけど‥‥私に言わせれば、無知の状態で犯せる罪なんて、たかが知れている。無知を脱して偉業を為すものもいれば、無知を失って罪を犯すものもいる。私みたいに」

 

 

 自分が具体的に何を願ったのか。それはキャスター自身にもよく分からない。

 英雄とは強烈な自我を持ち、揺らがぬ己を誇示する者。だが、コルキスの王女メディアは違う。女神の呪いによって心を乱され、神話を劇的に彩るために捧げられた供物。彼女の英霊としての自我は彼女が望んだものではない。誰かに、押し着せられたものに過ぎない。

 他人に望まれて魔女になった英霊。本来ならば英霊として召喚されるべくもない、悪名によって人々の信仰を集めた反英雄。愛衣がまだ知らない、本当の自分。本当は嘘っぱちの、望まない在り方。

 

 

「だから私は帰りたかった。私の故郷に。まだ何も知らなかった、あの頃の私に。誰かに連れ去られてしまう前の少女の私‥‥。フフ、女々しいと思わない? こんなものが、英霊の願いだと失望しない?」

 

 

 愛衣は押し黙ってしまった。そんなことはない、と口にするのは簡単だが、それは出来なかった。

 まだ未熟な自分の、ちっぽけな物差しでは測りきれない言葉の重みを感じて、まるでさっぱり分からないテストを前にうんうん唸っているような気分だった。そしてそれが、哀しくて仕方がない。

 愛衣のそんな必死な表情が気に入ったのか。キャスターはくすりと微笑んでマスターの手を取った。昔のことを考えると、いつもこう。意地悪をしてしまう。それはもうやめよう。そんなことしなくても、いい場所に来たのだから。

 

 

「悪かったわ。困らせたいわけじゃなかったのよ」

 

「キャスターさん、私は」

 

「別に答えを強要しているわけではないわ。真剣に応えようとしてくれた、それだけで今は十分」

 

「でも、私はキャスターさんのマスターだから。マスターが何をすればいいか、全然分からないけど、私は」

 

「いいのよ。私はね、愛衣。宗一郎様に会えたから、もう故郷に戻る必要はないの。本当なら現世に何も残せず露と消えてしまうサーヴァントの身で、こんなに幸せになれたから。本当はもう、昔のことなんてどうでもいいのよ」

 

 

 サーヴァントとして召喚された此の身は英霊の座にいる本体の分身のようなもの。座に戻れば記憶は失われ記録と変わる‥‥かどうかは、実はキャスター自身もよく分かっていない。が、本能的に今の自分が消えれば、今の自分が経験したことは失われてしまうと感じていた。

 捻った言い回しばかりしていたが、つまるところ今のキャスターはイケイケなのである。特に問題らしい問題はない。やはり意地悪をしてしまったかと、少し反省。

 

 

「まぁ、今からやらなければいけないことは沢山あるけれどね」

 

「やらなければいけないこと、ですか?」

 

「キャスターのサーヴァントである私が十分な能力を発揮するには、色々と下準備が必要なのよ、マスター。まぁ、今のところ荒事の予定はありませんけれど。準備の準備、ぐらいはしておかないとね」

 

 

 ちらりと背後に聳え立つ世界樹を見る。

 神代の魔術師であるキャスターの実力は、現代の魔術師では逆立ちしても敵わないほどのもの。しかし彼女が貯蔵できる小源(オド)の量はそれほど多くはなく、もし万全の戦闘がしたければ神殿の構築や魔力炉、魔力貯蔵庫の確保は絶対に必要だ。

 が、目の前で激しく心配そうな顔をしている愛衣の懸念の通り、それらを用意するためには周囲の大きな反発を覚悟しなければならない。望むものを全て手に入れた平穏な毎日を過ごす今、むやみに学園長や高畑、他の魔法使いを刺激するのは好ましくない。

 彼らからの信頼を得なければいけない。裏切りの魔女たる自分が信頼を得るために努力する、なんて随分と滑稽な話だが‥‥。平穏に過ごすためには相応の努力が必要なのである。

 荒事の予定がないなら準備の必要すらないわけで、しかしキャスターはそこまで楽観はしていなかった。着々と、準備を進めなければいけない。

 

 

(まぁ、今しばらくは平穏を満喫したいところですけれど)

 

 

 先ほど出会った吸血鬼。平和な街には不必要なほどの実力、戦闘力を持っていると思しき学園長や高畑。明らかに戦闘に偏った魔法の修行をしている愛衣や高音。

 不安要素は尽きず、自分がこれから何をするべきなのか見込みもない。

 サーヴァントたる己はマスターたる愛衣を依代に現世に留まっているが、いつまでこうしていられるかも分からない。サーヴァントの維持は大聖杯によって行われ、本来供給すべき魔力に比べればマスターの負担は実に軽微。だが自分は今どこから魔力を供給されているのか?

 

 

「平穏無事な毎日だけれど、やるべきことは山積みね」

 

 

 再び繰り返して、キャスターは愛衣と共に家路に着いた。

 じきに帰ってくる宗一郎のために食事を用意して、寮生が騒ぎすぎないように巡回をして‥‥。魔力云々以前に、仕事もまた山積みであった。

 しかしその忙しさこそが平穏の証でもあり、それを味わうように、キャスターの顔は穏やかであった。

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。