麻帆良在住、葛木メディアでございますっ!   作:冬霞@ハーメルン

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Prologue〜3

 

 

 

 

 

 幼稚舎、初等部、中等部、高等部、大学、大学院。

 麻帆良学園都市はその内部に、尋常ではない数の教育施設を保有している。

 揺り篭から就職まで、などというどころではない。男子校や女子校、工科系の専門学校もあれば、ミッションスクールすら存在しているのだ。

 インターナショナルな教育理念―――と言っても麻帆良の教育理念の全てを把握している者がいるかと言えば、甚だ微妙だが―――に則って留学システムも完備。

 あまりにも分岐が多いエスカレーターは、ゆとりある、それでいて多様で高度な勉学環境を生徒達に提供する。

 麻帆良出身というだけで名実共に完璧な箔がつくこの都市は、正に世界においても非常に高い評価を受けている日本一の学園都市という称号に恥じない場所であった。

 さて、そんな麻帆良の最高責任者が誰かと道を歩く生徒に問えば、誰もが一人の老人を答えるだろう。

 日く、妖怪ぬらりひょん。日く、仙人原始天尊。日く、肌色の洋梨。日く、あの孫娘と血縁だなんて嘘だろオイ。

 フルネームが全く出てこないのはご愛嬌というものだろうが、とにかく件の老人こそが麻帆良学園の学園長、近衛近右衛門である。

 

 落ち窪んだ眼窩、白く長い髭と眉。ついでに耳も長く、イヤリング‥‥否、円環で着飾っていた。

 なにより特徴的なのは仇名の一つの由来である、エイリアンのように長く伸びた後頭部。専門外の人間であっても、思わずレントゲンを撮らせてくれないかと言わずにはいられない。

 ついでに言えば孫娘の近衛木乃香が、こっそりファンクラブが出来るくらいの美少女であることも不思議に拍車をかけていた。まさに遺伝子の神秘。ダーウィンもびっくりだ。

 

 そんな、人外であると大部分の生徒が信じて疑わぬ老齢の学園長は今、女子中等部の校舎にある学園長室で来訪者と相対していた。

 机にかけている学園長の右隣りには老け顔の教師が一人立っている。

 地味な草色のスーツ、手入れを怠っているのであろう不精髭、口にくわえた火の点いていないマルボロ。

 くたびれた大人という印象が強いが、無造作に片手をズボンのポケットに突っ込んだ何気ない姿勢には殆ど隙が見られない。

 

 さもありなん、彼は俗に本国と呼ばれる魔法世界《ウンドゥス・マギクス》においてAA+の戦闘評価を受ける程の卓越した使い手である。

 ぶっちゃけた話、この学園、ひいては東日本における最大戦力の二人が同じところで油断せずに目の前の人物達が驚異であるかどうかを量ろうとしているのだ。

 

 

「ふむ、まずは自己紹介といこうかの。

 儂は麻帆良学園の学園長、近衛近右衛門じゃ。関東魔法協会の理事も務めておる」

 

「“関東魔法協会”‥‥大した名前ね。

 私はキャスターのサーヴァント。こちらは前のマスターであった‥‥」

 

「冬木の穂群原学園で倫理と現代社会の教師をしている、葛木宗一郎という」

 

 

 彼らの目の前には何もかもがてんでんばらばらな、三人の男女が立っていた。

 紫色の古風なローブを羽織り、フードで顔の大部分を隠した女性。血まみれのスーツを着ている仏頂面の男性。そして‥‥何やら怯えている女子中等部の生徒。

 仕方がない。学園最強の二人の視線を浴びるなど、今まで数度、それも大勢の中に埋没している状況でしかないのだ。

 元々目立たない性質である彼女が姉と仰ぐ上級生という盾なしに他人の前に出ることが、そもそもアメリカに留学していた頃以来の経験である。

 

 

(うぇ〜ん、なんで私までこっちにいるんですかぁ〜?!)

 

 

 おそらく完全な第三者が今の状況を観察すれば、この場の主役は間違いなく彼女、実は何の罪もない哀れな佐倉愛衣だと判断することだろう。

 何せ学園長の真正面にいるのが愛衣であり、現在は彼女をマスターと仰ぐキャスターがその側に寄り添い、そのキャスターに葛木が寄り添っている。

 実際は全く状況を把握できていない上に誰の手綱も握ってはいないのだが、まるっきり手練れの従者を二人侍らせた魔法使いの図であった。

 

 もちろん再三になるが愛衣は全く状況を把握していない。

 ここに来ることも、姉と慕う上級生‥‥高音・D・グッドマンと、自分をマスターと呼ぶキャスターなる女性が話して決めたことだ。

 割り込みづらい会談に二人に声をかけることも躊躇われた愛衣は隣で同様に立ち尽くしていた大人の男性、葛木とコミュニケーションをとろうとして‥‥気まずくなったので早々に諦めた。

 

 何しろこちらの話に対して「ああ」やら「そうか」やら「成程」やら、三文字以上の返答が返ってこないのだ。初対面でこれでは心が折れてしまう。

 彼女も比較的内向的で、社交性に欠ける部分があったのだ。正直どうやってアメリカという国でやっていけたのか不思議に思われてしまう程に。

 

 

(お姉様ぁ、一人にしないで下さいよぅ‥‥!)

 

 

 一方この場で唯一の味方―――無論そんなことはないのだが、今の彼女には正常な判断力が欠けている―――である高音はといえば、部屋の隅で何やら不機嫌そうにしている。

 これもまた理由は単純明快。自惚れではなくそれなりに自信があった魔術をいとも簡単に破られてしまったのと、よりによってその女に妹分を盗られてしまったからだ。

 

 直情的で思い込みが激しく多少油断することも多いが、高音は年齢に比して極めて優秀な魔法使いであった。

 そも彼女が得意としている影を使った魔法は習得自体が非常に困難で、使いこなせるようになるのも長い修練を必要とする。

 影を加工した極薄の刃や操り人形。影から影へと移動する転移魔法や、相手の影に干渉することで行動の自由を奪う影縫いなど、一癖も二癖もある魔法揃いだ。

 だが高音はそういった側面もあって使用者が極めて少ない影の魔法を、比較的高いレベルで行使することができる。

 

 そこには確かに彼女が生まれ持った才覚というものが関係してはいるだろうが、やはりそれ以上に自らに妥協を許さない真摯で高潔な高音の姿勢が影響しているのだろう。

 世のため人のためになることを目指して努力を怠らない高音は上役である魔法先生達からも高く評価されている。今の麻帆良の看板生徒と言ってもいいかもしれない。

 

 だからこそ自分の魔法を児戯に等しいと言わんばかりに破ってみせたローブの女に激しい憤りを抱いているし、その女性と大事で可愛い妹分が現状セットになってしまっていることも甚だ不愉快であった。

 尤も確かに感じている憤りが嫉妬や憎悪などの黒い感情ではなく、不甲斐ない我が身に向けられているあたりは、なんだかんだで正義感の強い彼女らしさを表しているのだが。

 

 

「サーヴァント‥‥とは、一体何のことかね?」

 

「あら、大層な見てくれの割には意外と無知なのね、老魔術師。

 ‥‥いいでしょう、どうせ大した情報でもなし、いずれは知られてしまいことだしね。

 それに、まだ私のマスターにも説明が出来ていませんから」

 

 

 自分に礼を述べた時とは一転、見事なまでに挑発的な態度に驚いていた愛衣は突然また自分の方に視線を向けられて、びくりと身を震わせた。

 室内であるというのに頑なに脱ごうとしないローブから見えるのは、紫色に彩られた細い唇のみ。

 

 ともすれば下品にも見られがちな口紅は、しかし彼女に限ってはとてもよく似合っている。

 市販のものだろうか、もし機会があったら是非にも化粧のコツを教えてもらおうと、半ば現実逃避気味に愛衣は頭の片隅ど考えた。

 

 

「サーヴァントとは、有り体に言えば英霊よ。生前に人の身では余りある偉業を成し遂げ、仕事に民草の信仰によってその存在を精霊の域にまで高められたもの‥‥。それが私」

 

「英霊‥‥なるほどのぅ。つまりお主は英雄譚や伝説に出て来る登場人物とな?」

 

「概ね、そう考えて構わないわ」

 

 

 何気なく、さもどうでもいいかのように口にしたキャスターの言葉に、その部屋にいた彼女自身と葛木以外の全員が凍り付いた。

 始めに思ったのは、噛み砕いて言うと『何言ってんだコイツは?』である。少なくとも自身が英雄であると言われて素直に『あぁそうか』と頷けるわけがない。

 

 これがタカミチの旧知の人物であるナギ・スプリングフィールドが言ったなら不思議な説得力があった―――というか実際に公言して憚らなかった―――だろうが、初対面が相手ではあまりにも荒唐無稽というものであろう。

 どちらにしてもナギがもう一人いるという事態と比べれば、今の状況の方が幾分マシなのかもしれない。

 それでいて本人を憎めない辺りがあの男の人徳というものだとは思うのだが。

 

 

「あの、もしかして“依り代”っていうのは‥‥‥?」

 

「えぇ、貴女の考えている通りよ、マスター。

 基本的に死者である私は現世に留まることができない。現界しているためには生者を標とし、現世という海に錨を打ち込む必要があるわ。それが貴女」

 

 

 まず最初に考えを改めたのは一同の中でも最年少であるが、初めにキャスターと接触した愛衣であった。

 高音が広場にやって来る前に聞いた言葉を思い返せば、成る程、今の話にもあの時の感謝にも合点がいくというもの。

 

 知らない内に暗示をかけられて操られたことは確かに不快ではあるが、それでも結果として人一人の命が助かったのだと考えれば気分も決して悪くない。

 学園長らに見せる酷薄な笑みが少々気になりはしたが、それでも自分の方に向ける穏やかな微笑みがやけに記憶に残り、悪い人だとは思えなかった。

 

 ちなみにいくら裏切りの魔女たるキャスターとて、宗一郎同様、恩人に直ぐさま仇で返すような者ではないから、実は愛衣は的確に彼女の本質を見抜いていたことになる。

 もっとも当の愛衣本人はそこまで考えているわけではなく、あくまでも直感に近い結論ではあった。

 しかしやはり、優しさは優しさを引き寄せるのである。その点まだ未熟な少女は、この世界の魔法使いらしく十分な優しさを持ち合わせていたのだった。

 

 一方また別な方向でキャスターの言葉に信憑性を感じたのは、先程から何時でも愛衣を庇うことが出来る位置にスタンバイしていた高音である。

 彼女もまた、自らが全く感知できない催眠を仕掛けられた愛衣と同様に圧倒的なまでの実力の差を感じさせられた一人であった。

 

 たまに修業の一環として魔法先生に稽古をつけてもらうことがある彼女であったが、比べものにならない程の差を感じたのは上位の数名だけ。

 それにしたって地道に修練を重ねていけば将来的には追い縋ることができるかもしれないという程であり、紫色の魔女に感じたような、天と地ほどの差ではなかった。

 

 だからこそ彼女が自らを英霊であると自称しても、少なくとも実力に関しては相応以上であると認めざるをえないのだ。

 

 

「到底、信じられんなぁ。ナギの馬鹿ではあるまいし、自分が英霊だなどと言われてものう‥‥」

 

 

 葛木が身分証明として差し出した教員証―――IDカードのようになっている―――を確認しながら、学園長は困ったように嘆息した。

 一緒に挟まれた教員免許のコピーには一見したところ一切の不備がなく、使い込んだ跡があるために偽造と断定するわけにもいかない。

 多少時間をかければ自分の権限で本当に登録されているかどうか確かめることもできるが、何しろ時間がかかる上にさしたる成果があがるとも考えられない。

 

 何故ならこういった証明書を偽造する場合には、外見を精巧に似せるだけではなく、本当に書類から、真っ当な手段に極めて近い方法で作ることが多いからだ。

 かく言う彼自身も権限を利用して何度か行ってきたことであるし、近い内にはもう一回手配する予定もある。‥‥こちらは一先ず保留が無難だろう。

 

 

「では証拠を見せましょうか。‥‥ほら」

 

「な、なんと?!」

 

「消えた‥‥?!」

 

 

 だが怪訝な顔の老人を前にキャスターはそう言うと、次の瞬間には霞のように消え去ってしまったではないか。

 何の予兆もなく瞬時に消え失せてみせたキャスターに、学園長だけではなくタカミチも高音も瞬時に身構えて辺りを警戒する。

 

 気配遮断? 透明化? 空間転移? どちらにしても魔法の行使を疎外する特殊な結界を張ってある学園長室で、このように魔法を使うことなどありえない。

 いくら相手が途方もつかない程の実力者だと認識している高音ですら、それに関しては認めているのだ。なにせここは言わば学園長の土俵なのだから。

 

 それに例え結界の効果を振り切ることができたとしても、魔法を使ったのであれば必ず某かの反応が残る。

 だからこそ目の前で行われた霊体化という現象が、魔法によるものではないのは明らかであった。

 

 

「ご理解いただけたかしら?」

 

「ふーむ、少なくとも君が人間でないと言うことに疑う予知はなさそうじゃのぅ‥‥」

 

「難しく考える必要はないわ。要は、今の私は彼女の使い魔のようなものということよ」

 

「成る程のう。しかし、まだまだ聞かねばならんことはたくさんあるぞい。葛木君‥‥と言ったかな? 彼との関係や、どういう目的で、どうやってココにやって来たのかじゃ」

 

 

 麻帆良は侵入者を感知する結界によって囲われており、その結界の管理は最強の魔法使い―――諸事情あって力を封印されてはいるが、こと知識に関しては一番だ―――によって成されている。

 故に麻帆良に侵入しようとする者は尽く学園側に存在を知られることとなり、ついでに言えば結界の精度は文字通りオコジョ妖精一匹通さぬ程だ。

 

 だが、今回その結界は彼女達の侵入に反応しなかった。おそらく高音と愛衣の報告が無ければ当分の間は気付けなかっただろう。

 由々しき問題だ。まるで侵入を感知出来ずに、これほどの術者が麻帆良の内部に入り込んだのだ。関東魔法協会として厳粛に対処しなければならない。

 この辺りは組織としての体面やら何やらが関係するややこしい部分であるが、それらを馬鹿にして笑い飛ばすことが出来る者などいはしまい。

 世界を跨ぐ大きな勢力を持っていたとしても、あくまで魔法使い達は社会の裏を生きる人種である。

 当然ながら、社会の裏を安定して生きていくためには大きな組織の庇護がいる。影から彼らのような魔法使いを支援するために、関東魔法協会は弱みを見せるわけにはいかないのだ。

 不安要素があるなら早急に確認し、対処する必要がある。判断は慎重に的確に、それでいて万が一にも失態が外に知られない内に、だ。

 

 

「‥‥わからないのよ」

 

「ほ?」

 

「だから、私にもわからないのよ」

 

 

 しかし、それなりの舌戦や腹の探り合いを想定してひそかに身構えていた学園長その他は、さっきまでとは一転、心底困り果てた様子のキャスターに思わず間の抜けた声を漏らした。

 わからない、とはどういうことか。某かの目的を持って、東日本最大級の霊地であるこの麻帆良までやって来たのではなかったのか。

 悪意を携えた侵入者に、普段は好々爺然とした態度の学園長は一切容赦する気はない。学園を、ひいては魔法大国へと成長しつつある日本の半分を維持する者として責任を負っているからだ。

 だが一方でやむを得ない事情を持った者に対して、必要以上に強く当たるということもなかった。むしろ協力的とすら言ってもいいだろう。

 そういった特殊な事情を抱える魔法使いの力になってやるのもまた、関東魔法協会理事、つまりは麻帆良の学園長である自分の持った役目なのである。

 だからこそ、割と深刻な事情というものを想定して対応策を既にいくつか検討していたわけであるが、この答は流石に予想外であった。

 

 

「宗一郎様は元々の私のマスター‥‥依り代よ。私達はちょっとしたイザコザに巻き込まれていて、あのとき確かに命を落としたと思ったわ。

 でも気付いたら何時の間にかこんな一流の霊地に‥‥。何があったのが、私の方が聞きたいぐらいよ」

 

 

 説明が全く要領を得ていない。おそらくはキャスター自身も未だに答を模索している状況なのだろう。半ば独り言のようにそう呟いた。

 『何時の間にか』? ならば空間転移か、催眠をかけられて意識の無い内に密かに運び込まれたか‥‥。どちらにしても、有り得ない。

 そも転移の魔法は上級の術者であれば行使する者も少なくないし、それなりの設備があれば超長距離であろうと越えることができる。

 だがどちらにしても言えるのは、水や影、予め据えて置いた石碑など、何かしらの媒介が無ければ極めて困難であるということだ。

 

 

「私に関して言えば、霊体に過ぎないから一度再構成されたという可能性もあるけれど、宗一郎様は生身だし‥‥」

 

「どちらにしても麻帆良の中に転移するのは困難じゃし、成功したとしても結界には引っ掛かる。どうにも合点がいかんのう‥‥」

 

 

 更に言うならば、関東魔法協会の本部とも言える麻帆良が、転移による侵入に対して備えをしていないはずがない。

 許可されている者以外の転移は幾種類もの結界によって妨害されるし、よしんば突破されたとしても突破されたという事実はしっかりと確認できるはずなのだ。

 そも術としての名称は空間“転移”であるが、現実空間である三次元においては確認できずとも、何処かしらを経由して移動しているということは研究論文でも示されている。

 それを感知すらできないのは概ね一つしか考えられない。則ち別世界からのジャンプ、魔法世界《ウンドゥス・マギクス》を経由しての転移である。

 

 

(しかしまぁ、冬木という地名からして日本国内じゃしのぅ‥‥)

 

 

 宗一郎から渡された教員証その他の身分証明書を確認すれば、そこにはしっかりと西日本の某県の住所が記載されていた。

 もとより現実世界と魔法世界を繋ぐゲートは全てが確認されており、今のところゲート以外を使った行き来は報告されていない。

 甚だ理解に苦しむことではあるが、おそらく魔法世界を経由したという可能性は0に近いだろう。

 

 

「ではお主らは事故という形で麻帆良にやって来た、こういう解釈で構わんかの?」

 

「そうね、何者かの意図が働いているという可能性も否めないけど、今のところはそう考えるのが自然かしら」

 

「何物か‥‥。その辺りは追々調べていく必要がありそうじゃな」

 

「私達に何かを出来る者というのもあまり想像できないけどね」

 

 

 結論自体は簡潔だが、問題はそこまで簡単ではない。なにしろ殆ど全てのことが曖昧で推測の域を出ず、麻帆良に害なす可能性も完全には払拭されていない。

 だが少なくとも今は互いに同じテーブルに座り、取引というよりは協力して議論するという形で交渉を行っている。

 長年の経験に照らし合わせて相手を見るに、確かに扱いにくい要注意人物であろうが、今のところ敵対というスタンスをとる必要はなさそうだ。

 部屋の隅に待機してじっと黙っている高音が異様に身構えて警戒していることからも伺えるキャスターなる女性の実力を―――多少は高音の過大評価と考えるにしても―――鑑みるに、懸念が少し和らいだといってもいいだろう。

 

 

「ところで今一つ聞いておきたいのじゃが、お主らが巻き込まれとったイザコザというのは―――」

 

「プライベートよ。慎みなさい」

 

「‥‥いや、そうではなくての、お主らが麻帆良に来たことでソレがこちらに飛び火してくる可能性はないか、と聞きたかったんじゃ」

 

 

 そう、彼女達自身に害意がないと分かった以上、学園長はそれを一番懸念していた。

 自らを英霊と自称する彼女程の手練れが不覚をとるまでの事態。例えばの話だが、もし葛木教諭の傷の下手人が彼らを追い掛けて麻帆良までやって来たりすれば‥‥。

 普段から相手している侵入者達とは比べものにならないぐらい厄介な相手となる。こちらとしても、それなりの用意が必要だ。

 

 ちなみに学園長の頭の中に、厄介事を嫌って彼女達を追い出してしまおうなどという、ある意味では至極真っ当な考えはない。

 魔法使いとは須らく力を持たない者の助けになるべきであり、関東魔法協会という組織になってもその行動理念は変わらない。

 命の危険すらある程の窮地に陥っている人間を見捨てるなど、『立派な魔法使い《マギステル・マギ》』のすることではないのだ。

 請われれば保護もするし、組織として、近右衛門個人としても出来る限りの援助の手を惜しむつもりはなかった。

 

 

「あぁ、おそらくそれはないわね。というよりも数日で騒ぎは治まるでしょう」

 

「ほ、それは本当かの?」

 

「ええ、おそらくは。‥‥何事にもイレギュラーはあるから断言はできないけど、ここまで影響が及ぶことはないと考えて構わないわ」

 

 

 冬木の地で巻き起こった第五次聖杯戦争は、キャスターが離脱した時点でセイバーとランサーの二騎のサーヴァントを残すのみ。

 本来なら残ったサーヴァントが一騎となった段階で万能の願望器たる聖杯が現れるから、残った二人の性格を考えればあの時点で聖杯戦争は殆ど終わったと断言しても構わない。

 少なくとも二人とも正面切っての勝負を好みとしているようだから、あれから時間をおいて戦うということもないだろう。

 遅くとも数日で勝負はつくと考えて間違いない。それ以上は考えられないのだ。

 

 だがキャスターが気にかかっていたのは、最後に自分達に攻撃を仕掛けてきた金色の鎧を着た男。

 あれ程の力を持った存在、サーヴァントとしか思えない。ならばあれ以降も、間違いなく冬木の街は波乱に充たされたことだろう。

 

 

「ふむ、では次の問題は君達をどうするかじゃな」

 

「どうする? ‥‥まさか、貴方達程度で私達をどうこうするつもり? 身の程を知りなさい」

 

「な、何を勘違いしとるんじゃ?! 儂はお主らに危害を加えるつもりはないぞい!」

 

「あら?」

 

「まったく、その好戦的な態度をどうにかせんと、余計な誤解ばかり生むぞい」

 

 

 次々に変化する状況に些か神経過敏になっていたキャスターが学園長の言葉に反応し、二階分程の吹き抜けを持つ大きな学園長室に濃密な殺気が立ち込めた。

 すかさず今まで一切会話に参加せずに事態を静観していたタカミチが両手をズボンのポケットに入れて身構え、高音も高音なりに杖を構えて戦闘に備える。

 一方すかさず諸手を挙げて降伏の態度を示した学園長は、実は一同の中で一番賢明であった。

 

 実力差を察して無駄に終わる戦いを諦めたというわけではなく、単純に戦わなくて済む相手とわざわざ戦って誤解を深める愚を犯したくなかったのである。

 まぁ実際問題として彼ぐらいの術者であれば、最終的な勝敗は揺るがないとしても、キャスターと戦っても程々に良い勝負にはなる。

 そういうこともあって、他の二人よりは幾分余裕があったということもあるのだが。

 

 ちなみにキャスターの言った“私達”の括りの中にちゃっかり入れられてしまった愛衣はと言えば、今すぐにでも意識を手放してしまいたいとでも言いたげに目の端に涙を浮かべて震えている。

 彼女としては知らない内にではあっても人助けをしただけのはずなのに、先程から理不尽な状況に置かれて踏んだり蹴ったりの気分だった。

 

 

「つまりじゃな、お主達が望むなら冬木までの交通の手配をするぞい、と言いたかったんじゃ」

 

「冬木まで‥‥?」

 

「うむ。まぁちょっとした事情聴取には付き合ってもらいたいから、今すぐというわけにはいかんがの」

 

 

 さて、ここは非常に考えどころである。

 今の冬木に戻ったところで、確実に聖杯戦争が終わっているとは限らない。もし続いているところに飛び込んでしまえば、地形的有利がない状態で戦闘を行わなければならない。

 また例え聖杯戦争が終わっていても、あのような土地で英霊である自分が現界しているのは非常に危険であるし、何より今のマスターの都合もある。

 当然ながらサーヴァントはマスターから遠くは離れられないから、もし冬木に戻るとすれば隣ですっかり怯えてしまっている純朴な少女にもついてきてもらわねばならない。

 一見したところココに通っている学生のようであるし、それは叶わないだろう。なにより戻るメリットが全くと言って良い程になかった。

 

 いや、強いて言うなら隣で普段と全く変わらず立ち尽くしている、元マスターの方が問題か。

 この世に属さぬ自分と違い、彼は冬木の街で教職に就いている身である。仕事があるのだから、彼だけは元の地へ戻さなければならない。

 何より彼とは契約の際に、彼の普段の生活を乱さないようにと命令されている。自分勝手な我が儘に突き合わせることは忍びない。

 

 だが道理として彼を帰さなければと思う一方で、どうしても、万難を排してでも最愛の人と一緒にいたいと思わざるを得なかった。

 言うなればこれは後にも先にもない大きなチャンスである。聖杯を求めなくとも、戦わなくとも彼と一緒にいられるかもしれないのだ。

 どういうわけだか知らないが、本来なら大聖杯のバックアップがあってこそ現界が可能なこの身が、マスターからの僅かな供給だけで存在出来ている。

 これなら聖杯に受肉を願う必要もなければ、他のサーヴァントと戦い必要もない。

 英霊であるこの身を狙う魔術師がやって来るかもしれないが、平穏に過ごせば可能性は低くなるし、大源が濃いこの霊地ならば魔術行使にも問題はない。

 また、マスター二人に彼の素性を知られてしまっている以上、向こうの状況がわからないままに帰していいのかという懸念もあった。

 いや、理屈をこねるのは止めよう。とにかくもし彼がこの地に留まることを了承してくれさえすれば、自分が切ない程に望んだ、ささやかで平穏な生活を遂に手にすることができるかもしれないのだ。

 

 愛する人と一緒に居たいという何物にも替えがたい望みと、愛する人のためにこそ一緒にいてはいけないのではないかという考え。

 矛盾する二つの思考に結論を出すことができず、キャスターは宗一郎の方を向いた。

 

 

「宗一郎様‥‥」

 

「‥‥お前の考えを言うがいい」

 

 

 血に汚れた渋い緑色のスーツ。自分と関わらなければ彼が傷つくことはなかったはずだ。

 それを悔やむ気持ちもある。それが嬉しい気持ちもある。悪いことなのかもしれないが、彼が自分と一緒にいてくれている証明だとも思った。

 だからこそ、彼といたいというのが自分だけの気持ちであると負い目を感じていたこともある。

 彼の優しさは嬉しさで体が痛いくらいに感じていたが、まだ不安。もしかしたらそれこそが自分の業なのかもしれないが。

 だから正しく進退窮まるところで、自分では判断がつかなかったのだ。

 

 

「私は、お前の考えに従おう」

 

「ですが宗一郎様、本当によろしいのですか‥‥?」

 

「構わん」

 

 

 言葉は少ない。だがしかし、宗一郎は決して考えもしないでこの言葉を言ったわけではなかった。

 再三になるが、彼は只求めていた。

 自分に存在する価値をもたらしてくれるもの。自分が死ぬ瞬間に、あぁ、これこそが自分がこの世に生まれて来た理由だったのだと納得できるもの。

 ただ一つ、その答えだけが欲しかった。その答えだけを求めていた。

 今まで惰性ながらも淡々と生きてきたのはその為にだけ。そしてそれは、今までの人生で得ることはなかった。

 

 だが一月弱ほど前に彼女、キャスターに出会い、彼はそこに何かを見いだした。

 それは本当に些細なもので、それでも今までの人生の中で僅かに彼の琴線に触れたもの。

 始めこそ『美しい女であった』という理由であったそれは、共に日々を過ごす内に別の感情へと変わっていく。

 それが俗に言う恋や愛なのであるかは彼のあずかり知らぬところであったが、それでも彼の感情に僅かでも揺らぎを生んだことだけは間違いない。

 

 本当に少しずつ、非常に不確かなものではあったが、彼は何かを掴みつつあることを感じていた。

 今まで全く掴むことが出来なかったものへの手がかりは、紛れもない彼女であるのだろう。

 ならば彼女と共にいるべきだ。いや、いたい。この感触、感情の答えを知りたい。

 

 実際にはそこまで明確な思考ではなかったが、それでいてやっぱり明確な思考の結果として、宗一郎はキャスターの言葉に頷いた。

 思考の流れとしては目的に行き着くまでの合理的な過程であったのかもしれないが、同時に理屈ではない感情を抱えていることも自覚している。

 つまるところ彼は常に岸の見えない海の中でもがいていて、今も尚もがき続けているのだ。

 断じて機械などではなく、それでいて人間であるのかも確証ができない。

 本当は先程不確かだと断じた、恋や、愛の類の感情を覚えているかもしれなかったが、それを断言できる人間ではなかった。

 ある意味では互いに求め合っている、非常にお似合いのカップルである。

 

 

「ありがとう、ございます‥‥」

 

 

 おそらくそれは、自分を必要としている者のためにあろうとする優しさの一種でもあったのだ。

 だからキャスターは葛木の意志を感じて、先程までの高圧的な魔女の態度とは一点、涙を流して俯いた。

 喜びと、申し訳なさと、やはりソレを遥かに上回る喜び。

 長い年月と過酷な生涯を経て漸く安住の地を得た嬉しさが、大勢に裏切られて漸く手に入れた愛する人から受けた優しさに対する嬉しさが、それらが流させたとても綺麗な涙だった。

 

 

「‥‥私は依り代であるマスターの傍を離れることが出来ないわ。冬木には戻れない」

 

「ふぉっふぉっふぉ。成る程、確かに道理じゃのう。ではどうするか‥‥」

 

「出来れば人としての身分を与えてくれるようなら良いんですけど、貴方にはそこまでの権限があるのかしら?」

 

「ほ、そりゃちぃと儂を過小評価しすぎじゃい。お主ら不審人物二人ぐらいの戸籍なら、ちょちょいっと弄るコトぐらい簡単じゃ。まぁ麻帆良の中に限定されるがの」 

 

 

 人前である為かすがりつくことはしないで暫く涙を流していたキャスターが顔を上げてそう告げると、近右衛門は嬉しそうに髭を撫でると考え込んだ。

 彼女は要注意人物ではあるだろうが、この様子を見れば問題はあるまい。ここまで綺麗な姿を見せられてはそう思わざるをえない。

 さて、彼女がそう望んでいる以上、二人を麻帆良に迎える事に関して積極的に考えなければならないだろう。

 このような魔法使いに職を手配してやるのも関東魔法協会の仕事だ。もちろん出来る範囲でという話になりはするが、利便を図ってやることに吝かではなかった。

 

 ちなみに空気が一気に穏便になった為、愛衣と高音は互いに少しずつ距離を詰めて漸く隣同士になっていた。

 彼女達とて日々『立派な魔法使い《マギステル・マギ》』を目指して修行しているとはいえ、年頃の少女。

 目の前でここまで綺麗な涙を見せられてしまっては、多少歩み寄らざるをえない、歩み寄ってしまうところがある。

 とりあえず一番嬉しかったのは険呑な空気が和らいだことであるのだが。

 

 

「ふむ、しかし流石に直ぐに職を用意してやるわけにはいかんな。詳しい事情聴取の準備もあることじゃし、明日にでもまたココに来て貰っても構わんかの? 今夜はこちらでホテルを手配しよう」

 

「‥‥構わないけど、当然黙秘権はあるんでしょうね?」

 

「勿論じゃ。まぁそう堅苦しいものにはならんよ。ココの最高責任者は儂じゃからな」

 

 

 涙を見せたことが恥ずかしいのか、ローブの袖で口元まで覆ったキャスターが不機嫌な声で言う。

 本来の彼女は非常に純真な少女であったのだが、残念なことに長年魔女と呼ばれ続けたためにしょうねが多少曲がってしまっていた。

 その曲がった部分だけ見ていれば性悪の魔女であったのだろうが、宗一郎との会話で見せた涙から本来の性格の一端を察してしまった以上、むしろ魅力的な仕草に見えてしまう。

 弱みを見せないのが交渉の基本であるのなら、戦況は先程までとは一転まるきり学園長側に有利であった。

 もちろん戦力としてキャスターの側が勝っているから学園長も調子に乗ることはなく、だからこそ逆に彼女にとって不幸なことに、戦況はこれ以上ゆるがないのである。

 

 

「高音君、愛衣君、悪いんじゃがキャスター君と葛木君を駅前のホテルに案内してくれんか? 君たちが到着する頃までには部屋の手配をしておこう」

 

「了解しました。行きますわよ、愛衣、お二人とも」

 

「は、はいっ、お姉様!」

 

 

 少しだけ警戒を解いたらしい高音の先導で、愛衣に寄り添うようにキャスターが、キャスターに寄り添うように葛木が学園長室を出て行く。

 最後に扉を閉める時に葛木が静かに、それでいてしっかりと謝意を表して頭を下げていったのが印象に残った。

 成る程、色々と多少の些細な懸念事項はありそうだが、一先ず人柄自体に問題はなさそうだ。

 教員として務めていた経歴も長そうである。最近とみに不足しがちな教員達に少しだけ楽をさせてやることができるかもしれない。

 まだまだ最終的に判断を下す程には信用できないが、今は学園側に害を為す意思がない以上は、新たな魔法関係者が一人麻帆良に入ってきただけのことだ。

 

 

「高畑君、中等部の社会の先生が一人、定年退職したんだったかのう?」

 

「えぇ、ちょうど良いですね。彼なら広域指導員も任せることができそうだ」

 

「ほ? どういうことじゃ?」

 

「隠しているようでしたが、彼は中々の使い手です。正中線にブレがなかった‥‥」

 

 

 真っ直ぐに立つということは存外難しい。

 そもそも人間の臓器は左右対称に配置されていないし、腕や足の長さも左右で違う場合がある。

 砂漠で真っ直ぐに歩くのが如何に困難であるかというのは有名な話であろうが、歩き方、立ち方も似たようなものがある。

 手練れのタカミチの目から見ても、葛木の立ち方、歩き方は完璧と言って良い程に完璧なものであった。

 

 正中線を保つというのは、武術において非常に大事なことである。

 例えば琉球王国に伝えられていた武術の秘伝にもそういうものがあるし、人体の急所も正中線に集中している。

 しかし習得が非常に難しい上に効果が地味―――一見するとわからない―――なために、しっかりと修行しようとする者は少ない。

 もとより完璧な歩き方、立ち方などというものは生半可な修行で手に入れられるものではないのだ。

 

 だからこそむしろ彼が警戒していたのは、一見して脅威と分かるキャスターよりも一般人に見えがちな葛木の方であった。

 

 

「コチラでどのぐらい使えるか分かりませんが、少なくとも一般人としてはかなりの手練れと見えます」

 

「君にそこまで言わせるとは‥‥。ふむ、色々と調べなければならんことが増えたか」

 

「冬木、でしたか。至急調査をさせます。西は麻帆良の影響力が及びにくいですから、直ぐというわけにもいきませんが」

 

「わかっておる。まぁ必要以上に焦ることもないわい。大したことではなさそうじゃ」

 

 

 だが一度下した評価自体は揺るがない。過去に何があったとしても、今の人柄で彼は評価する。

 例えばそれは世間では凶悪犯と通っている真祖の吸血鬼についても同様であり、彼女達についても同じであった。

 生徒達からはとても信頼されているというわけではないが、それでも彼には長年の経験から得た判断力がある。

 それを知っているタカミチもまた彼の判断を信用して、会談中は一切手を出そうとしなかったのだ。

 

 これが新たな問題を呼び込むのか、それとも何も起こらないのか‥‥。

 神ならぬ人の身では、自分の判断を信じて進んでいくしかない。

 とりあえず今は彼女達に与える仕事の選別をしようと、学園長は彼の秘書も兼任している魔法先生を呼び出したのであった。

 


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