麻帆良在住、葛木メディアでございますっ!   作:冬霞@ハーメルン

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Prologue〜1

 

 

 

 

 麻帆良。

 長きにわたる鎖国から解き放たれ、世界に名だたる列強諸国に追い縋らんとした時の日本政府が創立した、一世紀以上の歴史を持つ世界有数の学園都市の名である。

 そこに居住しているのは都市内に数多く存在する学校に通う生徒や教職、関係者。学園都市の様々な店や公共機関の職員など。

 基本的に流通以外の殆どがこの街の中で賄われているがために、もはやその様相は陸の孤島と呼ばれるに足る。

 生徒達はおろか、教職員や家族であっても全く外部に出る必要がない。

 そして外部からも限定的ながら関係者以外の出入りが制限されている。

 ある意味では治外法権さえ程度によって許可されているこの街は、常識的に考えれば異常極まりない。

 

 何故この街がここまで異常であるのか。

 また何故その異常さに気付けないのか。

 その理由の一端がまさに、とある場所にて説明されようとしていた。

 

 この街には親しみを込めて『世界樹』と呼ばれる大樹がある。

 広大な学園都市の何処からでも―――当然ながら建物が邪魔をする場合はこの限りではないけれど―――目にすることのできるソレは、地面というよりは地球に根を張っているというのが相応しい程に巨大である。

 まさにギネス級の代物ではあるが、不思議と今まで外部のマスコミからの取材などは受けたことがない。

 『世界樹をこよなく愛する友の会』やら何やらが裏で精力的に活動しているのだという根も葉も無い噂や、この学園都市に隠された、とある者達によるものであるのだという真実もあるが、つまるところ皆、世界樹と麻帆良が好きなのだ。

 

 そして世界樹のちょうど麓―――根本や木陰と呼ばれない辺りが世界樹の巨大さを如実に表していると思う―――に位置する広場で、一つの神秘が具現しつつあった。

 ドラマや映画のように上空からその広場を観察していれば、特によく異常を観測することができただろう。

 

 まず広場の中心部―――とはいっても世界樹の目の前というだけであり、厳密に中心というわけではない―――に異常は現れた。

 一つ、まるで針で穿ったかのように空間に小さな揺らぎを認めることができるだろうか。

 おそらくは目の良い、もしくは勘の良い者にしか気づけなかっただろうが、中空の一点に僅かな揺らぎが見えるはずだ。

 その揺らぎが次の瞬間には瞬く間に広がり、背景を捻じ曲げていく。

 例えばその背景がゼリーや粘土に書かれていたら、おそらくは今の状況と同じように見えたことだろう。

 だがしかし永遠に続くかと思われた広がっていく揺らぎの大きさは、丁度この学園の学園長室の扉ほど、簡潔に言えば人が二人ほど並んで立てるぐらいの広さで浸食を止めた。

 

 揺らぎは空間をめちゃくちゃに歪ませ、そこがどうなっているのか視認させない。

 グシャグシャにしたチラシの文字は読みづらいだろう。正しくそれと同じ状況だ。

 そして一度グシャグシャに丸められた空間が再度広がって元の平穏を取り戻したとき―――。

 広場には、さっきまでは無かった二つの人影を認めることができた。

 

 

「‥‥こ、ここは‥‥?」

 

 

 二つの人影の内の、小さな方が僅かに身じろぎした。

 まず受ける印象は紫色。全身を紫色のローブで覆っているのだ。

 時代錯誤も甚だしい、古風で優美なローブは見るからに上等な仕立て。

 背中ぐらいしか見えないためにしかと断言はできないが、輪郭や声などから判断するにおそらくは女性であろう。

 まだ女を捨てるには早すぎる、それでいて近所の子供からは下手すればオバサンと呼ばれてしまうぐらいの年頃に見える女性は、肘で体を持ち上げて自分の周りの光景を見回した。

 

 

「私の神殿‥‥では、ないわね。大源の色が違う‥‥」

 

 

 普段はおそらく肩に掛かったフードを被っているのであろうが、今は素顔が露わになっている。

 綺麗な、女性だった。

 群青色の髪の毛は一本一本がきめ細やかで、サイドを三つ編みにした複雑な髪型をしている。

 決して薄化粧ではないにせよ上品に見える朱に彩られた唇は世の男共が目を離せぬ程に美しく、髪の毛と同じ色の瞳は吸い込まれてしまいそうなくらいの深さを感じてしまう。

 その瞳は今は、困惑一色に彩られていた。

 自分のおかれた状況を全く理解できておらず、辺りから必死で情報を得ようと視線と頭を動かしている。

 

 

「私は‥‥セイバーのマスターと、アーチャーのマスターを追い詰めようとして‥‥」

 

 

 思い返すのは記憶の中で一番新しい光景。

 万能の願望器を奪い合う戦いの終局近くで、舞台となった街で有数の霊脈に神殿を築き、敵のマスターを誘き寄せた、その光景。

 敵の家族を人質にとり、状況だけでなく戦力すらも相手側をはるかに上回っていたはずだ。

 あらゆる要素が自分の思い通りに進み、あらゆる要素が勝利へと向かっていると確信した。

 その、矢先。

 全ての些末な謀り事など力業で押し流してしまう程の数多の金色の光を。

 

 

「金色の、サーヴァントは‥‥何処‥‥? いない‥‥?」

 

 

 圧倒的な物量。

 長い時間をかけて集めた、最優のサーヴァントの斬撃すら防ぐ魔力の盾をものともしない圧倒的な物量。

 柄にもなく未来を目指して積み上げた全ての所行を嘲笑うかのように三つの光刃が自分の身を突き貫き、目指した未来は―――

 

 

「―――はっ、宗一郎様は、宗一郎様?!」

 

 

 半ば朦朧と惰性で動いていた頭が瞬時に覚醒した。膝立ちになって、先程よりも視界を高くして求める者を探す。

 未来は、自分が目指した未来は、一体どうなってしまったのか。

 記憶にある一番新しい光景は、悪夢のような人生の果て、人生の終わりの更に向こう側、そこでまたも身に味わうことになった悪夢の続きに存在したささやかな夢は。

 記憶の何処を見回しても寸分変わらぬ、最愛の人物の顔は。

 我が身を呈して守ろうとした最愛のマスターの姿を探した彼女は、ふと地面を探った手が何かに当たるのを感じて視線を向けた。

 

 

「宗一郎様っ?!!!」

 

 

 果たしてそこに、目指した未来は横たわっていた。

 最後に目にした深い緑色の素っ気ないスーツはしかし、紅い鮮血で彩られている。

 あふれ出す赤が野外にあってなお清潔な石畳へと広がり、汚している。

 診断するまでもない。明らかに致命傷だ。

 医者ではなく魔術師である自分の目から見ても、その体躯の隅々から生命を構成する“なにか”が刻一刻と抜け出しつつあるのが手に取るように理解できる。

 一も二もなかった。彼女は俯せに横たわる男性の顔に両手を沿えて、必死で彼の名前を呼んだ。

 

 

「宗一郎様! 宗一郎様っ! しっかりなさって下さい宗一郎様!」

 

 

 いやだ、いやだ、いやだ、いやだいやだいやだ。

 何故こんなことになってしまったのか。私はただ、本当にささやかな願いを叶えようとしただけなのに。

 生きている間のみならず、死後だって世界は嫌なことばかりだった。

 信じるという言葉の意味を、愛するということの本当を、幸せになるという希望を、自分ほど望み、裏切られた者がいるだろうか。

 裏切られた、諦めた、流された。何もかもが自分に牙を剥くと歎き、もがき、それでも変わらず、結局はこのザマ。

 いつだって、そんなことは望んでいなかった。誰だってそうだろう、本当に些細な幸せを求めていただけなのに、あんな風になってしまうなんて。

 

 しかし誰に望んでも、誰に尽くしても、それを得ることは叶わなかった。

 あげくの果てには見捨てられ、人々の噂の中に魔女として現れる。

 笑いぐさだろう、結局そうして本当に魔女になってしまった自分がいるのだから。

 裏切りの魔女として座に上げられれば後世ですら悪名は語り継がれ、それが信仰にすら昇華したのは何という笑い話か。

 記憶と記録を辿り、何度もこんなはずじゃなかったと全てを悔やみ、新たにかりそめの生を受けた先での自身すらも情けなくて笑う。

 女神の怒りをかった哀れな女の末路よと自嘲したその時に、この人に出会えたのはどれほどの奇跡だろうか。

 何者をも信じず、神すら敵に回したこの自分が、何かに感謝したくなる程の奇跡だったのだ。

 

 その最愛の人が今まさに目の前で命を落とそうとしている。

 命の通貨である血をとめどなく流し、冷たくなってしまおうとしている。

 身の毛もよだつような絶望の具現に、彼女は彼以外の全てのことが頭から抜け落ちた。

 此処は何処なのか、自分達はどういう状況にいるのか、そもそも何が起こったのか。

 尽きぬ疑問はしかし、瑣末事であると切り捨てる暇もなく恐怖一色に塗り潰される。

 

 

「ち、治療を‥‥そう、治療をしなきゃ‥‥!」

 

 

 いやだ、いやだ、いやだ、いやだいやだいやだいや。

 やっと手に入れることができると思ったのに、やっと幸せになれると思ったのに、こんなのは嘘だ、こんなのはいやだ!

 失う恐怖は全身を震わせ、涙は自然と滝のように零れ落ちる。それでも彼女は頬に添えていた手を傷へと這わせ、必死に治療を試みた。

 当然ながら傷は深い。体の前面から背中へといくつもの大きな傷が貫通して穴を作っている。

 あの時は常と全く変わらぬ主の様子に、我が身を呈することで武具の豪雨から彼を守ることが出来たとばかり思っていたが、どうやら彼の優しさだったらしい。

 あまりの量と速さに閃光かと見間違うた魔弾はしかし紛れも無く剣や槍。

 それが貫通したのであるから、当然ながら彼の身に穿たれた傷は一つ一つが致命傷であった。

 

 

「‥‥簡単、こんなの何度だってやってきた事なんだから‥‥。失敗なんてしない、失敗なんてしない、失敗なんてしない‥‥! こんな簡単な治療、手こずった事なんて一度もない‥‥!」

 

 

 幸いだったのはあの金色のサーヴァントが放ってきた武具の中に、傷の治療を疎外する呪いを持ったものや、解毒の効かない猛毒を持ったものが含まれていなかったことであろうか。

 確かに傷は思わず失うことを想像して声が、手が、傍目に見ても震えているのが分かってしまう程に深かった。

 しかし彼女とて悪名ながらも神代の魔女としてその名を轟かせた身。決して不可能な治療ではなく、十分に間に合うはずだったのだ。

 傷を塞ぎ、臓腑を癒し、失ってしまった生命の力を補充する。

 何度だって同じことをやったことがある。一回だって失敗したことはなかった。

 恐れから不安定になりつつある心を叱咤激励し、彼女は震えながらも自信を持って治療を始めようとした。

 しかし―――

 

 

「あ‥‥? う、そ‥‥嘘よ‥‥なんで、こんな‥‥?!」

 

 

 今更ながらの説明になるが、彼女は人間ではない。

 それでいてそう言われて普通は想像されるような、宇宙人や、吸血鬼や、妖魔や鬼の類でもない。

 過去の時代に生き、人の身では到底成し得ない偉業を果たし、死後も人々の信仰によってその存在を精霊に近い場所まで昇華させられた崇高な存在。

 そう、彼女は俗に言う『英霊』と呼ばれる存在であった。

 

 つまるところ今は議論に値しない諸々の要素を省いて説明すれば、彼女は死者、乃ち今この現世に存在しているはずのない、存在してはならない身だ。

 死者が現世に存在している。この矛盾を解消するには、当然ながらいくつかの条件を必要とすることは想像に難くない。

 しかして一刻も早く目の前の男性を治療しようと願う彼女には、その内の一つ、死者を現世に繋ぎ留めるための依り代が欠けていたのだった。

 

 

「嘘、嘘よ、こんなの‥‥いやだぁ! どうして、お願い‥‥死なないで‥‥!」

 

 

 伸ばした手の存在感が薄れ、霞んでいく。

 治療をしようと集めた魔力が霧散し、全身から力が抜け、いくらあがいても魔術を使うことができない。

 道理だった。元より彼女は現世に喚ばれた際に、『魔術師《キャスター》のサーヴァント』という殻を被せられた身である。

 本来人間などに御しきれる存在ではない英霊を現界させるための策の一つとして、彼女は自らの能力の一部を著しく制限されている。

 もちろん制限された状態であろうが現世に於いて彼女がこと魔術師という枠の中では最強であることには変わりないのだが問題は別のところにある。

 

 召喚されたサーヴァントがマスターに従うにはギブアンドテイクに即したいくつかの理由があるが、その中の一つに、『依り代が無ければ現世にいられないから』というものがあった。

 例えばアーチャーのクラスのサーヴァントであれば単独行動という特別なスキルを大元の召喚主である聖杯から与えられているのだが、彼女にそれはない。

 故に保有している魔力の量に関係なく―――多少は関係あるのだが、彼女自身の保有している魔力の量は決して多くなかった―――彼女は消えかけているのだ。

 もちろん通常ならば今すぐに消えるというわけでもないだろう。彼女とて一回はその憂き目を味わったことがあるし、あの時は数時間は保ったはずだ。

 しかし今いる場所は―――彼女は全く預かり知らぬことであるが―――消滅を感じた時の場所とは勝手が異なる。

 有り体に言えば、彼女とこの世界との繋がりというものが一切と言って良い程に存在していないのだ。

 

 

「ひ‥‥ぁ、ああ、あ――― 。や、やだ、たすけて、誰か、お願い、お願い! たすけて、たすけてよ‥‥!」

 

 

 確かに今までは目の前で俯せに倒れている男性が依り代の役目を果たしていたのであろうが、彼も同様にこの世界の人間ではなく、今は依り代として成り立たない。

 彼を助ける手段があるのに、この身に残った僅かの魔力があれば助けられるのに、それを行使することさえできない。

 どうしようもない、絶望だった。

 誰か、誰でもいい、依り代となり得る新たなマスターを探さなければならない。

 かつて自らが喚び出した虚構の暗殺者のように、何か建造物や物体を依り代にすることは叶わなかった。

 アレは依り代が触媒をも兼ねていたから可能であった反則技。本来ならマスターは現世に所属している魔術師や死徒、この際ただの人間だって構わない。

 

 誰かいないか、善人でも悪人でもいい、依り代に出来る人間はいないか。

 例え我が身が後に地獄の釜へと投げ入れられても構わない。今この人を助けることができるのならば。

 今この瞬間にも命が抜けて逝きつつありこの人を、助けてくれる人はいないか。

 もし生前の所業のせいで今の状況があるのだとしたら、自分の五体を百遍引き裂いても足りはしない。

 だがそれも彼を助けてからだ。今までとこれからの全てを今に賭けたっていい。今はただ―――!

 

 

「誰か‥‥そこに‥‥?」

 

「―――ッ?!」

 

 

 ザリ、と靴が石畳を擦る音がして、魔術師のサーヴァントは顔を上げた。

 人の気配のしなかった広場に軽い足音。それは段々と広場の中心にいる自分達の方へと近づいて来て、遂に誰何の声が聞こえてくる。

 何もかもが没してしまう程の暗闇の中で僅かに見えた光明。

 その声を聞いた彼女の顔は、絶望の淵に必死ですがりついた手を聖母がすくい上げてくれたことに感謝するかのように見え。

 それでいて、まるで待ちに待った獲物がやってきたかのような、酷薄な笑みを含んだように。

 美しい唇がゆっくりと弧を描いたのであった。

 


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