虚無の果実~雪風と真紅の魔王~   作:ヒロジン

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駆紋戒斗がハルケギニアへとやってきてから一週間が経った。

戒斗がハルケギニアの知識をタバサを介して吸収していくと同時に、
タバサも日常の中で駆紋戒斗という男がどういう男なのかということを理解していった。

そんなある日、学院の宝物庫を「土くれのフーケ」が襲撃し、学院の秘法『異界の錠前と紺板』を盗み出した。事件の目撃者であったルイズ、キュルケ、タバサは、戒斗と才人、オスマンの秘書のミス・ロングビルを連れて、それぞれの目的のためにフーケ討伐隊に名乗りを上げた。


フーケの潜伏先を突き止めた一行だったが、学院の秘法はロックシードと戦極ドライバーだった。戒斗の機転により正体を明かされたミス・ロングビルことフーケは、才人の手から秘法を奪い、得意のゴーレムの魔法でルイズたちを葬ろうとした。

しかし、ルイズの想いを汲み取った才人と才人の覚悟を悟り、アーマードライダーバロンに変身した戒斗の猛攻によりゴーレムは倒された。ルイズを人質にとり、優位に立とうとするフーケだったが、最終的にドライバーとロックシードの謎の誤作動により、意識を失った。

学院に戻った戒斗とタバサにオスマンは秘法として保管してあったドライバーが、30年前にオスマン氏の窮地を救ったユグドラシルの研究員らしき男性の形見であることを明かし、戒斗の目的を聞いたうえで彼への協力を誓い、ドライバーと錠前を譲り渡したのだった。





第11話 「2人の王女 ハルケギニアの『森』 ①」

「ふわぁぁぁぁぁぁぁぁ……退屈ね……」

 

 

トリステイン王国を騒がせている盗賊「土くれのフーケ」が、魔法学院の生徒三人とその連れの平民に捕らえられた日の数日前、トリステインの国境から約千リーグほど離れた場所にある隣国のガリア王国の首都「リュティス」、その東に位置するヴェルサルテイル宮殿の一角で一人の少女が大きな欠伸をしながら、気だるげにベッドで横になっていた。

 

少女の名は「イザベラ」、ガリア王国の現国王「ジョゼフ」の娘であった。細い目つきに、瞳と同じ青みがかった長髪が印象的で、その珍しい髪の色がガリア王家の人間であることを悠然と物語っていた。しかし、そんな顔立ちや品の良さを下品で野暮ったい動作が全て台無しにしてしまっていた。

 

 

「……退屈よ……」

 

 

イザベラは再びそう呟くと、ベッドの横から垂れ下がった紐を引っ張った。するとすぐさま三人の侍女が部屋に飛び込んできた。

 

 

「お呼びでございますか、殿下?」

 

「退屈なのよ」

 

 

イザベラはため息をつきながら、三度繰り返した。

 

 

「ゲームのお相手でもいたしましょうか?」

 

「シャッフル? ホイスト? カードにはうんざりだわ」

 

「では、サイコロ遊びなどは……」

 

「下々の遊びじゃない。王女の遊びではないわ」

 

「では、気晴らしに狩りなどはいかがでございましょうか?」

 

「外に出たくないの」

 

 

困ったように侍女たちは顔を見合わせる。イザベラは苛々が募った顔でまくし立てた。

 

 

「まったく、父上もひどいわ! わたしだって王家のお役に立ちたいのよ! わたしはどこぞの人形娘と違って本当に有能なんだから! だから官職が欲しいって言ったのに……『北花壇警護騎士団』の団長任務ですって? こんな地味な仕事うんざりだわ! 父親は娘が可愛くないのかしら!」

 

 

別名『薔薇園』とも呼ばれるヴェルサルテイル宮殿には、南、東、西と大きく分けて3つの花壇群が存在する。ガリア王国の騎士団は、その花壇にちなんで『南薔薇警護騎士団』などと呼称されている。

 

しかし、北側には花壇が存在しないため、名前に北が入る騎士団は『表向きには』存在しない。イザベラが団長を務める北花壇警護騎士団は、いわば暗部……ガリア王国国内の裏の面倒ごとを扱う影の騎士団であった。

 

この組織にはお互いの顔も知らない名誉とは無縁の『シュバリエ』たちが所属している。彼女の従姉妹にあたるシャルロット……現在はタバサと名乗っている少女もここに所属していた。

 

 

「そうだ! またあの人形娘を呼べばいいのよ! 今度はどんな恥ずかしいことをさせてやろうかね……」

 

 

イザベラはそう呟くと、口角を吊り上げ、獲物を見つけた肉食獣のような凶悪な笑みを浮かべた。その表情に侍女たちは、自分がターゲットとならないようにただ静かに震えながら静観することしかできなかった。

 

 

***********

 

 

フーケの捕獲に成功した夜、トリステイン魔法学院では予定通り『フリッグの舞踏会』が開催されていた。食堂の上の階にあるホールは着飾った大勢の生徒で盛り上がっていた。そんな中、平賀才人は人気のないバルコニーで、夜空に浮かぶ二つの月を見つめていた。

 

 

「……俺が伝説の使い魔か……よくわかんねぇな……」

 

 

オスマン氏の部屋で、フーケの一件の報告を終えたあと、才人は廊下ですれ違ったコルベールに自分の左手のルーンについて何か知っていないか聞いてみたのだ。コルベールは悩んだ末に、才人を再び学院長の部屋に連れて行った。

 

戒斗と話を終えていたオスマン氏は、才人の問いに答えてくれた。曰く、才人に刻まれたルーンは、かつて『あらゆる武器を使いこなした伝説の使い魔』のものと同じであり、剣を握った瞬間に身体能力が跳ね上がるのもそのためだろう、とのことだった。

 

 

「オスマンさんは、俺がこの世界に呼ばれたのはこのルーンと関係があるかもとか言ってたけど……デルフ、お前は何かしらねぇか?」

 

 

才人は背中に背負ったデルフリンガーに話しかける。

 

 

「さぁな……俺にもわかんねぇな」

 

「そっか……俺、地球に帰れるのかな?」

 

 

未だに地球に帰る手がかりを全くつかめていない才人は、故郷の両親の姿を思い出しながら、そう呟いた。オスマン氏は先ほどの話のあとに、元の世界へ繋がる方法を探すことを約束してくれた。彼と同郷の人間である駆紋戒斗も、彼の『目的』の片手間だが、同じように協力してくれると言ってくれた。

 

だが、未だ何の手がかりすら掴めていない。才人は気分を紛らわせるために、先ほどテーブルからかっぱらってきたワインの入ったグラスを煽った。そんなことを先ほどから繰り返しているため、いい感じに出来上がっていた。

 

 

そんな時、ホールの入り口に控えた呼び出しの衛士が、才人の主人であるルイズの到着を告げた。ルイズを見た才人は、思わず息を飲んだ。長いピンクブロンドの髪をバレッタにまとめ、胸元の開いた白いパーティードレスに身を包んでいた。そんないつもと違う格好が、彼女の高貴さをいつも以上に演出し、文字通りの『美少女』に変身させていた。

 

ホールに入ったルイズは、周りの男たちからのダンスのお誘いを全て断り、才人の元へ近寄った。才人はあまりに眩しすぎるルイズを直視できず、思わず目を逸らした。

 

 

「楽しんでるみたいね。てっきり、カイトと一緒にいると思ったんだけど?」

 

「あいつなら来てないよ。どこで何やってんだか……お前は踊らないのか?」

 

「相手がいないのよ……ワイン、いただいてもいいかしら?」

 

 

ルイズは途中の給仕からもらったワイングラスを才人に差し出した。才人は目を逸らしたまま、ルイズのグラスにワインを注いだ。

 

 

「ありがとう……ねぇ、サイト……」

 

「なんだよ……」

 

「……えっと……今日はありがとう……」

 

 

才人は思わずルイズを見つめた。予想外の言葉であったからだ。ルイズはというと、少し頬を赤らめながら、

 

 

「……どうしたんだ? 藪から棒に?」

 

「その……ゴーレムに潰されそうになったとき、助けてくれたじゃない……それに、あの時あんたが逃げなかったのって、わたしが泣いたからでしょ……だから、その……」

 

「あぁ、その話か……気にすんな、俺はお前の使い魔だろ? それに、お前も俺や戒斗に何も報酬がないのはおかしいって言ってくれたじゃねぇか。お互い様だよ……」

 

「……わかったわ。じゃあ、もう何も言わないわ……」

 

 

ルイズは再びグラスを口に当て、傾けた。そしてその後、しばらく2人は何も話さなかった。才人に関しては、こういうときなんと話を切り出していいかわからなかっただけなのだが……

 

 

「……ねぇ、サイト。信じてあげるわ」

 

「なにを?」

 

「……その、あんたが別の世界から来たってこと」

 

「なんだよ、信じてなかったのか?」

 

「半信半疑だったわ。でも、信じてあげることにしたの。わたしはあなたの主人でしょ?」

 

 

ルイズは意趣返しと言わんばかりに、笑みを浮かべてそう言った。才人は再び、目を逸らした。「ねぇ、サイト……」という声を受けて、ルイズのほうを振り向くと、彼女は顔を赤らめながらドレスの裾を恭しく両手で持ち上げ、膝を曲げて才人に一礼し、こう言った。

 

 

「今日だけだからね……わたくしと一曲踊っていただけませんこと。ジェントルマン」

 

 

その時のルイズは才人の目に、激しく可愛く、綺麗で、清楚にうつった。完全に魅了された才人はふらふらとルイズの手を取った。2人はそのままホールへ向かい、ダンスを踊り始めた。そんな2人の光景を見ていたデルフリンガーが、「おでれーた! 相棒! てーしたもんだ!」とこそっと呟いた。

 

 

****************

 

 

「……ここは……学院の……医務室?」

 

 

才人とルイズ、キュルケやタバサが舞踏会を満喫している頃、学院の医務室では、一人の人間が目を覚ました。土くれのフーケである。

 

 

「……そうだ……確かベルトを使おうとして気を失って……」

 

 

フーケはベッドから起き上がろうとしたが、体に思うように力が入らなかった。なんとか上半身を起こしたものの、これでは歩くことさえ困難だと感じた。

 

 

「……なんか調子悪いわね……おまけに、ご丁寧にこんなものまで……」

 

 

そういいながら、フーケは自分の背後に目をやった。彼女の両手は後ろにまわされた状態で革製のベルトのようなもので固定されていた。両足の足首にも同じようなベルトが取り付けられていた。仮に体調が万全でも、これでは地面を芋虫のように這って移動することしかできないだろう。辺りを見回したが、自分の杖はおろか、刃物の類は一切発見できなかった。

 

 

「……まぁ、牢屋よりはマシだろうから、贅沢は言えないね……それにしても、なんでわたしはここにいるのかしら……」

 

 

フーケのような名の知れた犯罪者なら、捕まった際に問答無用で街の衛兵に引き渡されるのが普通の対応だった。にもかかわらず、彼女は学院の医務室まで運ばれていた。拘束こそされているものの、罪人に対してあまりにもぬるい対応に、フーケの頭は疑問で埋め尽くされていた。そんなことを考えていたとき、医務室のドアが開き、中に一人の男は入ってきた。

 

 

「おや、あんたは……カイトだったかしら?」

 

「起きていたか? 様子を見に来ただけだったが、ちょうどいい」

 

 

その男は駆紋戒斗だった。舞踏会に参加した才人、ルイズ、キュルケ、タバサとは違い、彼は舞踏会に参加していなかったのだ。

 

 

「なんのよう? 盗みに失敗した哀れな盗人を笑いに来たのかしら?」

 

「そんな下らないことをしている暇は俺にはない。土くれのフーケ、貴様に用があるから来た……ただそれだけの話だ」

 

 

戒斗はフーケの横たわるベッドの近くに置いてあった椅子に腰掛けた。

 

 

「用? なにかしら?」

 

「単刀直入に聞こう……お前はこいつの情報をどこで手に入れた?」

 

 

戒斗はそう言いながら懐から戦極ドライバーとバナナロックシードを取り出した。

 

 

「……忌々しいわね。そいつらのおかげでこんなところで寝転がる羽目になったんだから……」

 

 

フーケは忌々しげにドライバーを見つめながらそう言い放った。

 

 

「もう少し魔法での治療が遅ければ、何らかの障害が残っていたそうだ。生きていただけマシだと思え……こいつと関わった人間の末路は二つに一つ……無様な最後を迎えるか……あるいは、過酷な運命を乗り越え、本当の『強者』に至るか……そのどちらかだ」

 

「そう……なら、私は盗んだ宝のせいで破滅した哀れな盗賊っていう末路を迎えるのかしら……まぁ、盗人に落ちた身としてはお似合いな最後なのかもね……なんだい、その目は? 笑いたきゃ笑いなさいよ」

 

「……貴様が私欲のためだけに盗みをやっているのなら、そうしただろう……だが、そういうわけでもないようだからな」

 

「……私は貴族の連中が憎い。ただそれだけで盗みをやってただけさ」

 

 

フーケはそう言ったが、戒斗が「ティファニア」と呟いたことで表情が変わった。今にも戒斗に飛び掛り、殺そうとする獣のような目つきだった。

 

 

「……どこでそれを聞いた?」

 

「貴様が気絶する前に呟いていたのを聞いていただけだ……なぜ、そんな表情をする?」

 

「……そう……馬鹿だね、私も……死にそうになった直前に呟く言葉があの娘の名前なんて……」

 

 

フーケはほっとしたようにため息をついた。

 

 

「貴様の家族か?」

 

「なんでそう思うのかしら?」

 

 

フーケの問いに、戒斗は無言で懐から何かを取りだした。よく見ると、それは古い羊皮紙だった。文章が書かれており、大分前に書かれた手紙のようであった。

 

 

「さっき貴様の部屋と持ち物を調べさせてもらった。錠前の情報を手に入れた連中との手がかりが残っているかもしれんと思ったが……代わりにこいつが出てきた」

 

 

『マチルダ姉さん、勝手に袋にこの手紙を入れたことは謝ります。でも、思ったんです。姉さんがいない間わたしが寂しいように、姉さんもきっと寂しいんじゃないかって……姉さんがわたしたちを愛してくれているように、わたし達も姉さんのことを愛しています。だからこの手紙をわたしたちだと思ってください。わたしたちはいつでも一緒です! ティファニアより』

 

 

手紙にはこう書いてあった。

 

 

「見られちゃったのね……身内との繋がりがわかるものなんて、さっさと捨てればよかったのに……捨てられなかった。あの娘が私のためを思って書いてくれたんだもの……」

 

 

乾いた笑みを浮かべながら、フーケはそう呟いた。

 

 

「……情けない話よ。盗人に堕ちることでしか、大切なものを守れないなんて……おまけに堕ちた理由も半分は私の個人的な復讐のためさ……」

 

「……守れているだけまだマシだ。自分の大切なものが壊れていくのを……ただ見ていることしかできなかった『弱者』に比べたらな……」

 

 

その言葉を聞いたフーケは、青年の意外な言葉に彼の顔を見た。そして、彼の表情からなんとなくだが、それは彼自身が経験した過去なのだとなんとなく察した。

 

 

「……なんか変な空気になっちまったね。ええと、錠前の件だっけ? なんてことはないよ。半年くらい前だったかな? 街の酒場で働きながら次の獲物を探していたら、元魔法学院の教師っていう男から学院にあまり公にされていない秘法があるって情報を手に入れたのさ……まぁ、本当に学院の教師だったか怪しいけどね」

 

「そうか……その男はどういう風貌だった?」

 

「わからないね。会ったのは酒場で一度きりだったし、フードを被っていて顔はよく見えなかったからね。たまたま相手した男がそんなことを口走ったのを、聞いていただけさ。その酒場にはあのエロジジイもよく来ていたから、好都合だと思ってさ」

 

「なるほど……その男はお前がオスマンにしたように、お前を利用するつもりだったのかもしれんな……」

 

「ちょっと待ちなよ。それはどういうことだい?」

 

 

驚いたような様子のフーケに、戒斗は淡々と話を続けた。

 

 

「そのままの意味だ。今この街にこの錠前と同じものをばら撒いている連中がいる。お前に情報を伝えた男がその連中の仲間だったかもしれんということだ。お前を利用して、この錠前とベルトを盗み出させるためにな」

 

「そうだったのかい……この私もなめられたものねぇ……」

 

 

フーケの顔には苛立ちが感じられた。自分が都合のいい駒にされたと知ったのだから、当然の反応だろう。

 

 

「……ねぇ、カイト。ひとつ聞いてもいいかい?」

 

「なんだ?」

 

「あんたはその錠前についてやたら詳しいみたいだけど……そいつは一体なんなんだい? それにその錠前をばら撒いている連中っていうのは何者なんだい? あんたはそいつらを追っているみたいだし……いや、もっと言えば、そもそもあんたは一体何者なんだい?」

 

「ひとつ聞きたいといった割には随分と数が多いな……」

 

「あんたは人の知られたくない秘密を勝手に家捜しした上で知ったんだ。あんたも話してくれたっていいんじゃないかい? それでこそフェアってもんでしょう?」

 

 

フーケの言葉に戒斗はふっと笑った。

 

 

「いいだろう。俺はこのハルケギニアとは別の世界からやってきた人間だ。そして、この錠前とベルトは俺の居た世界を襲った災厄……その力を利用するために一人の科学者によって作り出された技術だ」

 

「……別世界に災厄とはえらくスケールの大きい話だね……で、それがなんでこのハルケギニアに存在してるんだい? あんたも含めてだ」

 

「俺にもわからん……だが、このまま連中を野放しにしておくと……十中八九、このハルケギニアは滅びる。突拍子もない話だが、紛れもない事実だ」

 

「……ハハハ!! 別世界の次は、世界の終わりってかい!! 面白いね、あんた!!……でも、なんでだろうね……こんな突拍子もない内容なのに、全然冗談に思えないんだよ……」

 

 

ロックシードのエネルギーの暴走を体験したからなのか、それとも駆紋戒斗という男のカリスマ故か、フーケは目の前の青年が語る言葉は全て事実なのだということを感じとっていた。

 

 

「……ねぇ、カイト。提案があるんだけど、聞いてくれないかい?」

 

 

フーケの言葉に、戒斗は「言ってみろ」とぶっきらぼうに答えた。

 

 

「……私を雇わないかい? あんたはその連中を追っているんでしょ? こう見えても、裏の情報には結構くわしいんでね。あんたの力になれると思うんだけど……どうだい?」

 

「……貴様が裏切り、逃げないという保証があるのか? 味方のふりをして、宝を奪おうとした貴様を俺がすぐ信用すると思うのか?」

 

 

戒斗の言葉に、フーケも「そりゃ、もっともな意見だね」と笑った。

 

 

「でも、信じてくれないかい? こんな私にだって、愛する者がいるんだよ。世界が滅ぶなんて聞いて、黙って檻の中で寝ているだなんて、できるわけないでしょう……あんたに力を貸すのが最善だと、私の勘が言っているのさ……」

 

 

フーケの言葉を受けた戒斗は、目を閉じた。しばらく経って、ため息をつきながら、答えを返した。

 

 

「……まぁ、いい。利用できる駒は多いにこしたことはない……ただし、裏切れば容赦はしないぞ」

 

「……意外だね。正直、分が悪すぎる交渉だと思ったんだけどさ……あんた、卑怯なやつは嫌いなんだろう?」

 

「そうだな……裏切り、騙まし討ちは、本当の『強さ』とはかけ離れた『弱い』行為だ……それが、自分の利益や保身のためならな……」

 

 

戒斗はフーケを真っ直ぐ見つめた。フーケには戒斗の目がとても澄んでいると感じた。彼の魂や信念の在り方が表れたような目だった。

 

 

「卑怯な手を使おうとも……罪に手を染め罪人に落ちぶれようとも、愛する者を守る為に戦う決意……それはそいつなりの強さだ。この手紙は、お前がその強さを持っていると俺に言っている。俺は誰も信じない……愛するものを守るというお前の言葉が本物だと感じた、俺の判断を信じるだけだ……」

 

 

 

フーケは手紙の主を家族だと言った。駆紋戒斗という青年にも、かつて家族は存在した。だが、彼は家族を襲った危機に、何もできなかった……彼を除いた全てが壊れ尽くすまで、ただただ現実逃避を繰り返しながら、見ているだけしかできなかったのだ。

 

そして、最終的には彼自身も壊れてしまった。『優しさ』を『弱さ』と切り捨てて、絶対的な『強さ』を求めるようになった。人間として捨ててはいけないものを、自ら切り捨ててしまったのだ。

 

愛する者を養うため盗賊という身に堕ちたフーケだが、かつて戒斗が切り捨てたものを彼女は切り捨てず戦っている……それはかつての戒斗なら『弱さ』として切り捨てたのだろうが、今の彼はそうは思わなかった。

 

 

フーケ、そしてタバサも、自分の『家族』を守る為に戦い続けている。その決意と行動は、幼く……そして弱かった少年時代の『駆紋戒斗』には、できなかったことだからだ……。

 

 

 

「……変な男だね、あんた。あんたの居た世界の人間は、みんなあんたみたいな変人ばっかりなのかい?」

 

「安心しろ。俺も周りの連中からよく変わり者だと言われてきた」

 

「それはよかったわ……じゃあ、何はともあれ交渉成立だ。お互い、存分に利用しようじゃないか」

 

「そうだな……三日後の早朝、オスマンに俺の知っている情報を伝える。貴様にもそこで、こいつについて教えてやる。それまでは寝ているふりをしていろ。貴様の今後は、それまでに考えておいてやる」

 

 

そう戒斗が言い終えたとき、医務室のドアからタバサが入ってきた。舞踏会の会場に参加した彼女はドレス姿だったはずだが、いつもの学生服とローブ姿に戻っていた。彼女の表情がいつになく真剣なように感じ取れた。

 

 

「タバサか……どうした?」

 

「……ガリアから手紙が来た……」

 

 

彼女のその言葉は、異国からの留学生という仮初の立場から、彼女の本来の立場である『北花壇騎士団』の一員として戦いの日々に戻らなければならないのだということを示していた。

 

 

*****************

 

 

フーケとの会話をした翌日、タバサと戒斗はシルフィードの背に乗り、ガリア王国の王宮「ヴェルサルテイル宮殿」の内にある小宮殿「プチ・トロワ」の前に降り立っていた。二人がここにやってきた理由は、昨日タバサに送られてきた手紙にあった。

 

あの手紙はこのプチ・トロワの主であり、『北花壇騎士団』の団長であるタバサの従姉妹『イザベラ』から団員であるタバサへの任務の通達であった。北花壇騎士団では表沙汰にできない国内で起きた問題を解決するために設けられた裏の機関である。任務の際は団員がイザベラの元に招集され、そこで直接任務の指示書を受けとるか、伝書梟から直接指令を受けるかのどちらかの手段がとられていた。

 

タバサの場合は、イザベラの元に召喚される機会が多かった。理由は単純で、イザベラがタバサをストレスのはけ口にしたかったからである。召集される度に、普通の少女ならトラウマになりそうな行為をタバサは何度も受けていた。しかし、タバサはそれらの行為に何の反応も示さなかった……いや、何も感じなくなってしまっていた。その事実が、イザベラのイライラを更に加速させ、回を増すごとに行為はエスカレートしていった。

 

 

「初めてみたが豪華絢爛とはまさにこのことだな……」

 

 

そんな事情を知らない戒斗は、辺りを見回しポツリと呟いた。建築に興味がないとはいえ、目の前の宮殿が素晴らしいかそうでないかくらいは判断できた。

 

 

「おかえりなさいませ、シャルロット様」

 

 

入り口に控えた衛士の一人がタバサに近寄り、深く一礼した。

 

 

「おい」

 

 

そんな彼を、他の衛士がたしなめた。苦々しい顔をしながら、敬礼をした衛士は一歩下がった。

 

 

「姫殿下がお待ちだ。それとその男は誰だ?」

 

 

衛士の中の一人がそう言った。

 

 

「連れ。気にしなくていい」

 

 

タバサはそう言ったが、その衛士は戒斗の顔をしかめっつらでジロジロと見つめた。

 

「そうか。だが、宮殿に入るのはお前だけだ。どこの馬の骨とも分からんやつを、姫殿下に会わせられるか」

 

「わかってる。カイト、ここで待っていて。すぐ戻る」

 

「あぁ……」

 

 

タバサは衛士の一人にシルフィードに食事を与えるように頼み、王宮へと入っていった。正直、彼女は戒斗が宮殿に入れなかったことは、むしろいいことだと思っていた。この中でいつも起こっていることが今日も行われたのなら、駆紋戒斗という男がどういう行動に出るかは想像に難くなかったからだ。彼女はいつものように、とある部屋に向かって歩いていった。

 

一方、待ちぼうけをくらった戒斗は特にやることもないので、王宮の敷地内をなんとなく見回していた。当然、衛士たちから興味と忌避が混じった視線を受け続けることになったが、当の本人は全く気にしていなかった。戒斗の視線の先に、薔薇色の大理石で組まれた巨大な建物……ガリア王国の政治の中枢である「グラン・トロワ」が目に入った。

 

 

「……あそこにあいつの……『タバサ』の敵がいるわけか……」

 

 

タバサの母親は幼い彼女の身代わりとなって、心を壊す薬を飲んだ。それは間違いなく政敵であった現国王『ジョゼフ一世』の差し金であろう。タバサの目的は母親が飲んだ薬の解毒薬を手に入れ、母親の心を取り戻すこと。そして、父と母、自分をこんな運命へと誘ったジョゼフに復讐することだと、戒斗は聞いていた。

 

 

憎むべき敵を倒すために、その敵にいいように使われる……それがどれほど辛いことかは想像に難くなかった。戒斗はしばらくの間、グラン・トロワをじっと見つめていた。

 

 

それから5分ほど経っただろうか……宮殿の中から侍女の格好をした女性が現れ、衛士に何かを耳打ちした。衛士は怪訝な顔で戒斗を見つめた後に、彼に近寄った。

 

 

「おい、貴様」

 

「……俺のことか?」

 

「そうだ、七号の連れの貴様だ。姫殿下がお呼びだ。至急殿下の部屋に向かえ!」

 

 

衛士からそう言われた戒斗は、無言で宮殿の中に入っていった。中の装飾も立派なものであったが、戒斗は案内の侍女の後に無言で着いていくだけだった。数分後、とある部屋の前に戒斗は案内された。

 

部屋の前には2体の石像が杖を交差させていたが、侍女の『お連れさまをご案内しました』という言葉と共に、杖の交差を解除した。タバサに聞いていた意志を持った魔法像『ガーゴイル』だと、戒斗は悟った。

 

天井から垂れ下がった分厚い生地のカーテンを捲り、部屋に入った戒斗を待っていたのは目を疑うような光景だった。

 

 

「待っていたわ。あんたね、人形娘の連れだという男は?……ふ~ん、中々いい男じゃない?」

 

「…………」

 

 

戒斗の目線の先には2人の青い髪の少女がいた。1人は見たことがないロングヘアーの少女で、ニタニタと薄気味悪い笑みを戒斗に送っていた。豪華なドレスと頭に乗せた王冠から、タバサから話で聞いていたジョゼフの娘であり、タバサの従姉妹『イザベラ』だとわかった

 

そしてもう1人はタバサだったのだが、格好が問題だった。彼女は何も身に纏っていなかったのであった。顔や体には卵や泥のようなものがこびりついており、辺りを見回せば泥の入った腸詰や割れた卵、それらがかかったとタバサの着ていた衣服が散らばっていた。彼女の戒斗を見つめる目は驚きと疑問の感情に溢れていた。どうやら、戒斗がここに来ることを知らされていなかったようだ。

 

 

「どう、この人形娘の格好は? いい格好でしょう! あんたとこの娘がどういう関係かは知らないけど、どんな気分かしら? 連れがこんなみっともない格好で……いや、むしろ恋仲だったら、この娘の裸を見て興奮したりするのかしら!」

 

 

イザベラは一人笑っていた。タバサは無言だった。戒斗も無言だった。

 

 

「あんたはどうなのよ人形娘! 連れにみっともない格好を見られた気分は? 恥ずかしい? 悲しい? おほ! おほ! おっほっほ! いい気味だわ!」

 

 

イザベラは狂ったように高笑いを続けた。部屋の隅にいる侍女たちは気が気でないらしく、震えながらことの成り行きを見守っていた。

 

 

「…………」

 

 

イザベラの笑い声が響き渡る中、戒斗はゆっくりとタバサのいる方向に向かって歩き出した。

 

 

「ちょっと、誰が来ていいって言ったのよ! あんたはそこでこいつを見ているだけでいいの! そのために呼んだんだから!」

 

 

イザベラがそうまくし立てるが、戒斗は彼女の言葉など聞こえてないといった風にタバサの前までやってきて立ち止まった。

 

 

「……わたしなら大丈夫。彼女の言うとおりにして」

 

 

タバサがこの部屋で、初めて言葉を発した。彼女は戒斗に今の自分の姿を見られることを恐れていた。「恥ずかしい」という気持ちもないではなかった。彼女は今の自分の姿を……卑怯者から一方的に虐げられる自分の『弱い』姿を見られたくなかった。だが、それ以上に、この光景を見た戒斗の行動が心配であった。

 

 

タバサは思った。カイトは、この光景を作り出した従姉妹に対して必ず激怒し、彼女に間違いなく牙を剥く。彼が王家の人間に危害を加えようとすることは、彼の連れである自分の責任も追及されかねない。そうなれば、自分の目的が……母親を助け出すことができなくなってしまう。その事態に陥ることを彼女は恐れていた。

 

 

「…………」

 

 

タバサの言葉を聞いても戒斗は無言のままだったが、しばらくして彼はおもむろに上着を脱いだ。そして、上着を手に持ったまま屈んだ後、それをタバサの体に優しく羽織らせた。突然の出来事だった。

 

 

「……カイト?」

 

「……お前は強いな。俺が思っていたよりも、ずっと強い……」

 

 

そういいながら、戒斗はタバサの頭にそっと手を乗せ、彼女の髪についていた泥や卵白を優しく払いのけた。その手はとても温かく、タバサは何も考えられなくなってしまった。

 

 

「ちょっと!! なに勝手なことしているの!? 」

 

 

イザベラがヒステリックな声を上げる。その声を聞いた戒斗はゆっくりと立ち上がり、イザベラのほうに向き直った。その表情からは一切の優しさが消えていた。

 

 

「……貴様がイザベラか……貴様こそ、これは一体どういうことだ?」

 

 

戒斗の雰囲気にイザベラは一瞬身震いしそうになった。しかし、なんとか踏みとどまり、ふんぞり返って言葉を紡いだ。

 

 

「ど、どういうことって……わたしの人形をわたしがどう使おうが勝手でしょ? こんな魔法ができるだけしかない人形みたいな小娘は、わたしに言いように使われるのが幸福なことなのよ!! ……それよりあんた、王女であるわたしを前にして、その態度は何? 今すぐ跪きなさい!! 人形娘の連れなら、この娘と一緒で大人しくわたしに従うのよ!!」

 

 

威勢よく言葉を並べるイザベラであったが、それは口先だけでしかなかった。王女となった彼女の目の前には誰もが跪いた。本心はどうか知らないが、誰もが彼女を敬う言葉を吐いた。ひと時の優越感に浸っていられた。

 

だが、目の前の平民は違った。その眼光はまるで子を殺された猛獣のようにギラギラと輝き、今にも飛び掛ってきそうな錯覚さえ感じた。部屋の外に控えていた警護の騎士たちも、戒斗の放つただならぬ雰囲気に警戒を強めた。

 

 

「……俺は今は信じている。どんなに道を間違えようとも、必ず人はやり直せると……『葛葉』……『舞』……お前たちが教えてくれたことだからな……」

 

 

戒斗はそう呟いた。それは目の前にいるイザベラに対してでも、後ろにいるタバサに対しての言葉でもなかった。

 

 

「……だが……道を間違えた弱者のせいで、虐げられるやつがいるなら……俺のやることはただひとつだ!」

 

 

その言葉を聞いたとき、タバサは戒斗のやろうとしていることがわかり、立ち上がろうとした。だが、その直前に戒斗の右手に握られていたマツボックリのロックシードのスイッチが操作された。タバサの後ろの空間にクラックが出現し、そこから這い出た下級インベスが両腕でタバサを抱え込んだ。

 

インベスは少し隙間を作るようにタバサを抱えており、危害を加えるような意志は感じられなかった。だが、タバサは全く身動きが取れなくなってしまった。

 

 

「ッ!? 放して!!」

 

 

だが、タバサは叫んだ。だが、インベスは動かなかった。タバサは暴れたが、彼女の力ではどうしようもなかった。

 

 

「な、なに? なんなのよ、その怪物は!? あ、あんた……な、なにをしようって言うの…」

 

 

見たこともない怪物を目の前にして、イザベラは思わず呟いた。いつのまにかドライバーを腰に装着していた戒斗が彼女の問いに答える。

 

 

「言葉通りの意味だ。イザベラ、貴様の父親はタバサ……いや、『シャルロット』から全てを奪い取った。そして貴様は今、『タバサ』として戦うと決めたこいつの覚悟を踏みにじった。俺も同じことをするだけだ……貴様らから全てを奪い……踏みにじるッ!!」

 

 

戒斗の言葉は激しい怒気を纏っていた。タバサは自分の予感が正しかったのだと感じた。目の前の青年は、たった一人で『ジョゼフ一世』に……『ガリア王国』に戦争を仕掛けようとしているのだと。イザベラは悟った。目の前の平民は……自分と自分の父親を……ガリアの象徴であるガリア王家を滅ぼそうとしているのだと。

 

 

「ひッ!? お、お前たちッ!? わ、わたしを守りなさい!! あいつを殺せ!! 早くしろ!!」

 

 

イザベラの声と同時に待機していた警護の騎士たちが、一気に部屋に駆け込んできた。彼らはイザベラの盾となるように騎士たちが4人、戒斗とタバサを囲むように4人と一瞬で散開し、配置についた。

 

 

いずれも東百合花壇警護騎士団の精鋭であった。盾ができたことで、優勢に立ったと勘違いしたイザベラは高笑いを上げた。

 

 

「はっ……ははは……ハハハ!! 残念だったわね、平民!! こいつらはみんなトライアングル以上の使い手だ。そんな怪物一匹で、どうこうできる連中じゃないよ!! わたしに無礼を働いた罰だ……嬲り殺しにしてやる!!」

 

 

戒斗は冷静に自らを囲む騎士たちを見回した。彼らの手に握られた杖の切っ先は、戒斗を向いていた。

 

 

「……俺にそいつを向けるというなら容赦はしない……怪我をしたくなかったら、さっさとそれを下ろせ」

 

 

戒斗の言葉を戯言と受け取った4人の衛兵たちは、戒斗目掛けて同時に魔法を放とうとした。だが、同時に戒斗の頭上の空間に裂け目が出現し、巨大なバナナのような金属の固まりが衛兵たちを勢いよく弾き飛ばした。

 

吹き飛んだ衛兵は壁に叩きつけられ、そのまま全員気を失った。戒斗は右手の人差し指に引っ掛けたバナナロックシードを器用に一回転させ、ベルトにセットした。

 

 

「……変身……」

 

『COME ON! バナーナ・アームズ!! KNIGHT・OF・SPEAR!!』

 

 

その言葉と同時に、ベルトのブレードが倒される。戒斗の頭上へと舞い戻ったバナナアームズが彼の頭に被さり、数秒もしないうちに『アーマードライダー バロン』への変身は完了した。

 

 

「そ、そんな変な鎧着たからってなんだっていうの!? お前たち!! 早くあいつを殺せ!!」

 

 

イザベラを守っていた騎士たちは、戒斗目掛けて一斉に魔法を放った。火球、風の刃、魔法の矢、土の塊が戒斗目掛けて一直線に飛来する。その直前、戒斗は新たに取り出したマンゴーとオレンジのロックシードを開錠した。

 

 

『グガァァァァッ!!』

 

『ギェェェェェッ!!』

 

 

次の瞬間、戒斗の両脇の次元が裂け、そこから赤と青の異形が飛び出し、その両腕で騎士たちが放った魔法を全て弾き飛ばした。タバサはそれが、先日の戦いで遭遇したライオンとカミキリムシに酷似したインベスだとわかった。その姿を見た侍女たちは、恐怖のあまり気を失ってしまった。

 

 

「いけ……『種』は植えるな……」

 

 

戒斗の言葉を聞いたインベス2体はその場で頷き、唸り声と共にイザベラを守る騎士に襲い掛かった。

 

 

「う、うわぁぁぁぁッ!!?」

 

 

見たこともない異形に襲われた騎士は錯乱状態に陥り、ひとたまりもなかった。4人のうち、1人はライオンインベスに殴り倒され、2人はカミキリインベスの触覚に捕まり、壁に叩きつけられて意識を手放した。

 

 

「ぐっ……化け物め、なめるなッ!!」

 

 

だが、最後に残った若い騎士は違った。遠距離の魔法の効き目が悪いと判断したのか、杖に魔力の刃を纏う魔法を発動させ、流れるような剣裁きでインベス2体を切りつけた。2体のインベスは一瞬怯んだが、すぐに体勢を立て直した。

 

 

「ほう……少しはやる奴もいるようだな……さて……」

 

 

戒斗はそう呟くとゆっくりとイザベラのほうに向かって歩き出した。イザベラの目に写った槍を手にして自分に歩み寄る異形の騎士の姿は、彼女の脳裏に自分の命を刈りに来た悪魔を連想させた。

 

 

「ヒッ……だだ、だだ、だれか……わ、わ、あわ…………」

 

 

イザベラは必死に言葉を紡ごうとした。だが、今の彼女には「誰か私を助けろ」というその短い言葉を紡ぐことすらできなかった。恐怖で体中の震えが止まらない。もはや立っていることすらできなかった。

 

 

「カイト!! だめッ!!」

 

 

タバサは必死に叫んだ。だが、戒斗は敢えて無視した。目の前でこんな卑劣で汚い行為をされて、黙っていられるほど彼は温厚ではなかった。

 

 

考えてみれば、これはタバサの目的を果たす絶好のチャンスなのだ。自分の眼下でガタガタ震えている女は、ジョゼフの娘だ。タバサの母親の心を取り戻す方法を知っているかもしれない。

 

 

もし知らないなら、それはそれで構わない。彼女がタバサにしてきたことがどういうことなのかを理解させ、その上で本命を……『ジョゼフ一世』を打ち倒せだけばいい……それだけの話だと考えていた。偶然とはいえ、戒斗は敵の本陣の中にいるのだ。このチャンスを逃す必要がどこにあるというのだ。

 

 

身体中に力が漲るのを感じていた。今ならば、どんな障害が立ちふさがろうと関係ない。体調は万全ではないが……いざとなれば、『あの姿』に戻り、刃向かうもの全てを滅ぼせばいい……そう思うほどに、今の彼は怒り狂っていた。

 

 

目の前の女が……強くあろうとするものの弱みにつけこむ『卑劣なる弱者』が許せなかったのだ。

 

 

「……タバサの母親の心を直す方法を知っているか?」

 

 

バナスピアーの切っ先をイザベラの顔に向けながら、戒斗は彼女に問いを投げる。イザベラは必死に首を縦に振った。

 

 

「く、くすりが……あ、あるはずよ!! え、えるふが、つ、つくった……こ、こ、ここ、ろをな、なおす……くすりが……」

 

「そうか……で、それは今この場所にあるのか?」

 

「し、しららないッ!! わ、わたし、たし、たし……」

 

 

なんとかその場を取り繕うとするイザベラの姿は無様だった。顔中に冷や汗がびっしりと張り付き、必死に首を横に振るたびに汗が床にこぼれていた。身体中の震えが止まらず、滑稽を通り越して、見るに耐えない姿になっていた。

 

 

「…………」

 

 

そんな彼女の様子を見た戒斗は、自分の怒りが萎えていくのがわかった。先ほどまでなら目の前の女を一発ぶん殴るくらいの気持ちだったのだが、あまりにも弱く醜い姿にそんな気も起こらなくなってしまった。

 

 

「……やめだ……」

 

 

戒斗はそう呟くと手にしていたマンゴーとオレンジ、マツボックリの錠前を開錠した。同時に、若い騎士とにらみ合いをしていたインベス2体の横とタバサを拘束していた下級インベスの背後にクラックが出現した。

 

 

「……戻れ……」

 

 

その言葉に、カミキリインベスと下級インベスは敬礼のような仕草をした後、クラックの向こうに姿を消した。そして、空いていた3つのクラックのうち、2つが閉じられ、元の空間に戻った。

 

 

だが、ここで戒斗にも予想外の出来事が起こった。ライオンインベスが戒斗の命令を受けてもクラックの向こうに戻らないのだ。加えて、新たに開かれたクラックも一向に閉じる気配がなかった。ロックシードによるクラックは限定的なもので、数秒も経たずに閉じてしまうはずなのだが、30秒ほど経過しても依然として2メートルほどの大きさのまま、空間に存在し続けたのだ。

 

 

「どういうことだ?」

 

 

疑問が晴れない戒斗の元に、ライオンインベスがゆっくりと歩いてきた。今、戒斗は目の前のインベスの制御を行っていなかったが、インベスから敵対の意志は感じられなかった。戒斗の目の前で立ち止まったインベスは、まず戒斗に深く一礼した。そして、クラックのほうに向き直り、右手でクラックを指差した。

 

 

「……あそこに入れ……というのか?」

 

 

戒斗の言葉にインベスは頷いた。ちょうどそのとき、クラックから何か小さな物体が、部屋の中へと入ってきた。

 

 

『……コホン……あ~、あ~……もしもし? そこの鎧の貴方? まぁ、別に誰でもいいのだけれど、私の声が聞こえていたら、返事をいただけないかしら?』

 

 

それは小さな鳥の形をした石像だった。胸には金色に光り輝く文字のようなものが浮かんでおり、パクパクと動く口からは若い女性のような高さの声が聞こえてきた。どうやら、ガーゴイルに似た何かのようだった。

 

 

「……貴様、何者だ?」

 

『あ、聞こえてたみたいね。久々に使ったから不備があったらどうしようかと思っていたのだけど……よかったわ、まだまだ全然使えるみたいね。流石、わたしの作ったガーゴイルだわ』

 

 

戒斗の言葉に、ガーゴイルはおっとりとした雰囲気の声でそう返した。先ほどまでの殺伐とした空気に似合わない軽い言葉に、タバサ、イザベラ、そして最後までを保っていた若い騎士は、ただただガーゴイルを見つめるだけしかできなかった。

 

 

「……もう一度聞くぞ。貴様は何者だ? このクラックを維持し、インベスのコントロールを奪ったのも貴様の仕業か?」

 

『えぇ、そうよ。といっても、私がやっているのはあなたが開けた裂け目の維持だけだけどね。そのライオン君が貴方に従っているのは、その子の意志よ……よく見れば、なんだかお取り込み中だったみたいね。また、機会を改めたほうがいいかしら?』

 

 

なんともマイペースな調子でガーゴイルは話を続けた。戒斗は頭を抱えたくなる衝動を押さえ、とりあえず変身を解除した。

 

 

「……貴様が何者かはこの際どうでもいい。俺になんのようだ?」

 

「そんなツンツンしなくてもいいわよ。別に一戦交えようってわけじゃないの……お兄さん。ちょっと、貴方とお話したくなったからお誘いしただけ……駄目かしら?」

 

「俺と話だと?」

 

『ええそうよ。あなたの持っているその錠前……森の果実を加工したものでしょ? 同じ力を使うものとして少し……いいえ、かなり興味があるの! 』

 

 

この言葉に、戒斗とタバサは驚きを隠せなかった。このガーゴイルのコントローラーは、『ヘルヘイムの森』の存在を知っている。しかも、『同じ力』を使うなどと言ったのだ。

 

 

「……いいだろう。貴様のお話とやらに参加してやる。こっちも聞きたいことが山ほど出来た」

 

『ありがとう、嬉しいわ。 せっかくだから、そこの小さなお嬢さんに王冠を被ったお嬢さん……そして、騎士のお兄さんも参加してくれないかしら? 人と話すのは久しぶりですもの。大勢でやったほうが、きっと盛り上がるわ』

 

「わ、わたしもッ!?」

 

 

この言葉を聞いたイザベラは狼狽した。彼女は今ここで起こっていることの10%も理解できていなかったからだ。同じようにタバサも、若い騎士も驚いていた。

 

 

「……この中で、森の真実を知っているのは俺とタバサ……俺のコートを着ている女だけだ。あとの二人を連れて行ったところで、何も分からんと思うぞ」

 

『そう? ……でも、あまり関係ないわよ。そのうち、そこの2人にも関係してくる話だと思うから……』

 

 

戒斗はため息をついた。このガーゴイルとまともに話すだけ無駄だということがわかったからだ。

 

 

『来てくれるみたいね。案内はそこのレオ君に任せるから、彼の後についてきて。あ、あと女の子2人は着替えないといけなさそうだから、それが終わったらで構わないわ……じゃあ、お兄さんにお嬢さんたち……森の中で待ってるわ』

 

 

そういい残すと、ガーゴイルは裂け目の向こうへと消えていった。裂け目の奥に見えるのは、一面に生い茂る奇怪な樹木の群れ、群れ、群れ……駆紋戒斗という男の人生を狂わせた全ての元凶である『ヘルヘイムの森』が広がっていた。

 

 

12話へ続く

 




0130 感想欄からいただいた誤字を修正

0320 ガーゴイルの操縦者のセリフを少し変更 細部修正

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