――巡る日々の中で、平穏という優しい時間を過ごすレイフォン。
だが――彼は知っていた。
この平穏は、常に死という危険に満ちた紙一重の存在であることを。
故に彼は、戦わなければならない。
ツェルニで出会った大切な人達を守るために。
――世界とは、死に満ちた狂ったモノだと、セヴァドスは幼い時から理解していた。
弱きものは死に、強き者だけが生きることが許されるこの世界で、生まれ落ちたその時から狂っていた。
狂った世界では、狂った人間が正常である、と。
故に彼は戦う。
死と生が重なる汚れた空の下で――
・ ・ ・ ・ ・
「じゃ、レイフォン。 また明日」
「お疲れ様です」
日が落ち、黄金色の光を放つ夕暮れ。
レイフォンはハーレイと入口で別れて錬武館を出る。
最近の訓練は個人練習が多く、一七小隊員での隊の練習が殆どなくなっていた。
その原因の一番の理由は、小隊長である二ーナの不在である。
体調を崩したというわけではなく、朝の授業には休むことなく受けているのだが、放課後の小隊練習のみ欠席を繰り返していた。
練習に不真面目なフェリとシャーニッドだけではまともな鍛錬をすることはできず、そのまま解散という流れとなっていた。
レイフォンだけは、ハーレイの実験に手伝いをして練武館で汗を流していた。
———今日で一週間か。
武芸に積極的な方ではないとはいえ、流石に何度もこういう日が続くとレイフォンもニーナのことを考えてしまう。
武芸者の見本とされるような熱意と真っ直ぐな姿勢は、レイフォンにとって眩しいものであった。
だからなのか、ニーナにはあのままでいてほしいと思ってしまうのは。
練武館を出てほどなく、考え事をしていたレイフォンだったが、前方で立ち止まっている人影に足を止める。
「フェリ先輩?」
そこにいたのは、レイフォンよりも早く帰宅したフェリであった。
彼女の手には買い物袋が握られており、生活感のあるその姿は少し浮世離れした容姿のフェリには不似合であった。
———料理とかしなさそうだし。
「——何か言いましたか?」
「いえ、特に何も」
妙に感の鋭いフェリに、レイフォンは慌てて首を横に振る。
その際、周囲を見渡してみたが念威端子などは飛んでいなかった。
「こんな時間まで練習ですか?」
「え、まあそうですね。 ハーレイ先輩の頼みもありますから」
実際ハーレイの頼みもレイフォンには特に苦ではなかった。
稀に自分の研究成果を楽しそうに話すハーレイの話は、学のないレイフォンには苦痛そのものだったが、今日は特にそういうこともなく、データのみ取り続けていた。
「まったく、お人好しですね」
「はぁ」
「まあ、いいでしょう。 買い物は済みました、行きましょう」
そう言って前方を歩き出したフェリにレイフォンは慌てて声をかける。
「えっ?! 行くってどこへ?」
「ああ、そうでしたね」
伝え忘れました、と無表情のままフェリはこう答えた。
――兄が話があるようです――
その言葉にレイフォンは思わず唾を飲み込んでしまう。
フェリの兄であるカリアンには、レイフォンは色々と世話になっていた。
武芸科に無理やり入れられたりされてしまったが、特に嫌いというわけではなく、ただ苦手である———それがレイフォンの抱くカリアンへの印象である。
そんなカリアンに呼ばれたということは嫌な予感しかしなかったが、行かなければ後々面倒なことになりそうだ、とレイフォンは確信に近い予感を覚えていた。
先を歩くフェリを追うようにしてレイフォンも歩き出す。
進み始めた二人の間には沈黙のみ続いており、ほんの五分ほどでレイフォンはこの静かすぎる空気が我慢が出来なくなってしまった。
「そ、そういえば最近隊長はどうしたんでしょうね?」
出てきた会話は何処かわざとらしかった。
先輩であり、同隊員にあたるシャーニッドのような社交性などは、レイフォンの中では存在するはずもない。
精一杯のレイフォンの話題提供に対し、フェリの対応は冷たかった。
「さあ?」
「ええ……」
全く興味がないです、と謂わんばかりのフェリの反応にレイフォンは再度同じ質問をぶつけた。
「でも心配じゃありませんか?」
流石に同じ小隊にいるのだから心配ではないか、と微かな希望を乗せたレイフォンの思いの返答は冷たい視線であった。
フェリは呆れたようにため息をつく。
「……はぁ、何です? 隊長の姿が見えないことがそんなに寂しいのですか?」
「そういうわけではないんですが」
小さな体から発する圧力(プレッシャー)にレイフォンは思わず後ずさりしてしまう。
そういうわけではない、レイフォンは思わずそう言ってしまったが、実際のところはやはり心配である。
幼性体が襲来した時、剣を取った理由は幼馴染であるリーリンの手紙に書かれていた言葉だったが、ニーナの眩しい程の志を絶やしたくないという気持ちがあったのも確かだ。
勿論、メイシェンやナルキ、ミィフィといった大切な友人を守りたいという気持ちを忘れたわけではないが、それでもニーナの言葉やあり方にレイフォンが行動したことは間違いなかった。
「人の心配するのはいいですが、自分のことを心配したほうがいいですよ」
「え、どういう……」
「……喋り過ぎました。 食材が傷んでしまいます」
何か言いかけたフェリは、そのまま口を閉ざして両足の歩みを進めた。
そんなフェリを見て、レイフォンは一つだけ言いたいことがあった。
「フェリ先輩、そんなに動かすと卵が割れてしまいますよ」
「あ」
・ ・ ・ ・ ・
目的地であるロス兄妹の住むマンションに辿り着いたレイフォンは買い物袋を片手にフェリの後に続く。
ロス兄妹の部屋は、レイフォンの住む寮とは違い、広々とした空間が広がっており、部屋には高級そうなインテリア家具が備えられていた。
確実な格差を見せられたレイフォンだったが、その後に起こる出来事により全て吹き飛んでしまった。
宙を舞う歪なジャガイモの残骸、真っ二つに折られた皮付きニンジン、粉々の生卵。
まるでそこは戦場のようであった———レイフォンは後にこの光景を振り返ってそう答えた。
やはり彼女は料理ができなかった。
それも間違いなく料理スキルがゼロでは収まらないほどで、むしろマイナスといってもおかしくはなかった。
まるでキッチンの汚染獣ですね、と意味不明な納得をしたレイフォンは、ぎこちないフェリのぎこちない包丁捌きを後ろから見学————できなかった。
歪なジャガイモの残骸は水洗いを行うとそのまま皮を切って、沸騰した熱湯に放り込む。
折られたニンジンは包丁を滑らせて皮を剥き直すと、そのままスティック状に切っていく。
粉々の生卵は、綺麗なものだけボールに移して殻だけ取り除くと、そのままフォークでかき混ぜておく。
グレンダンにいた頃から料理を手伝っていたレイフォンは、その手際のいい動きで死にかけていた食材達を甦らせると、フェリに鍋の火加減だけ見てもらってそのまま料理を仕上げていく。
その間、フェリから何とも言えない視線を受けてていたのだが、とりあえず気づかないフリをする。
こうしてレイフォンの苦労の末、なんとか形になった料理がテーブルに並べられた頃、ようやくカリアンが帰って来た。
「うん、美味しいねぇ。 実は手料理というものにはとんと御無沙汰ぶりでね、故郷にいたことを思い出すして懐かしいよ」
レイフォンとフェリによる合作?の料理に、満足げに舌鼓するカリアンにレイフォンは苦笑いを返す。
その隣ではフェリが不機嫌そうに、自分の兄であるカリアン———ではなくその隣に座る人間を睨みつけていた。
「腕は落ちてませんね、私もかれこれ貴方の料理を食べるのは一年ぶりですよ」
カリアンの隣で上機嫌に料理を口に運ぶ———セヴァドスに、フェリは無表情だが明らかに不機嫌そうな雰囲気をだして舌打ちを鳴らす。
そんな二人の様子を見て、レイフォンは思わず 溜め息をついてしまう。
セヴァドスがこの地に来て、早一週間。
その間に彼が起こす問題は、レイフォンの心労は溜めるものばかりである。
都市警察での大暴れ、喧嘩をする生徒への鉄拳制裁、窓から教室への侵入、昼休みの腕相撲大会、放課後のバンジージャンプ事件などなど、よくもまあ一週間でここまで問題を起こせるものだと、レイフォンはある意味感心していた。
「で、何で彼がここにいるんです」
いつにもなく刺々しいフェリの目線にも特に気分を害すこともなく、清々しい笑みを浮かべたセヴァドスが口を開く。
「それはロス会長に呼ばれたからですよ、妹さん」
「馴れ馴れしいですね。 死んでください」
先日のセヴァドスの失礼な発言に余程頭にきていたのか、舌打ち一つして暴言を吐くフェリ。
そんな二人の様子を見て、カリアンは呆れたようにため息をつく。
「フェリ、彼とは仲良くしてほしいのだがね、レイフォン君とまでもいかなくてもいいが、次の仕事を円滑に進めたいからね」
「? どういうことですか」
「まあ、とりあえずこれを見てくれないかい——ヴァンゼ」
「ああ」
カリアンとセヴァドスと共に来ていたのだが、完全に空気と化していた武芸長のヴァンゼが頷いた。
何故かは知らないが、ヴァンゼの右腕はギブスで固定され、その上から包が巻かれているという痛々しい姿だが、毅然と振る舞いながら一枚の写真を取り出し、それをテーブルの上に置いた。
「これは?」
「この間の汚染獣の襲撃から、遅まきながらも都市外への警戒が軽視していたと感じてね。 当たり前のことだが外への警戒の対策を立てていたんだよ」
「いいことだと思います」
カリアンの言う通り、その程度のことは他の都市ではごくごく当たり前である。
だが、それを認識できないほどにツェルニは平和だったと言えるのだろう。
しかし、そのツェルニも先日の汚染獣の襲来によりその甘い認識を変える必要があった。
この世界は、やはり常に死が付き纏う怪物達に汚染された世界だと。
「これからは、経験者である君達に色々意見を聞くと思うけどよろしく頼むよ」
「カリアン、その話は後にしろ。 今は呑気に話をしている場合ではない」
ヴァンゼの指摘により、カリアンは表情を引き締めて、本題へと入る。
「そうだね。 で、これはその一環として試験的に飛ばした無人探査機から撮った映像でね———わかりづらいが、これはツェルニの進行方向500キロメルほどのところにある山だ」
汚染物質が舞う世界で取られた画像の画質は最悪そのもので、微かに何かがあるように見える程度のものであった。
山と荒れ地が映し出された写真の中央には、黒い影のようなものが映っていた。
その黒い影こそが、今回の問題である。
カリアンが指差す黒い影を見て、レイフォンも何度も確認するように視線を向けて、確信したように小さく頷いた。
「御懸念と通りかと」
「やはり、そうか。 先にルッケンス君と話して予想はついていたのだけどね」
レイフォンの肯定に、カリアンとヴァンゼの表情が暗くなる。
それを見ていたフェリは、不審そうに見つめると、机に置かれた写真へと視線を向ける。
「何の話です?」
「汚染獣ですよ」
なんでもないように言ったレイフォンの言葉に、フェリは慌てて顔を上げる。
念威繰者の彼女にも———いや、念威繰者だからこそ、汚染獣の怖さを人一倍知ってしまったのかもしれない。
同時に何故レイフォンにその写真を見せたのか、最近レイフォンがハーレイと研究している錬金鋼のこと、それらの事実から出る答えは一つ。
それ故にフェリは思わずカリアンを睨みつけてしまう。
「兄さん、また、彼を利用するつもりですか?」
「実際、彼らに頼るしか生き延びる方法はないからね」
「っ! 何のための武芸科ですかっ!」
珍しく声を荒げるフェリの言葉に、ヴァンゼは耳が痛いな、と表情を曇らせて言葉を漏らす。
武芸長であるヴァンゼだからこそ、人一倍レイフォンに頼ることが心苦しく思っているのかもしれない。
だが、それは仕方ないことだとレイフォンは思う。
学生同士の武芸大会と汚染獣との戦いでは、危険度合いがまるで比較にもならないし、対人戦闘術は汚染獣に対してまるで意味がなさない。
ツェルニの武芸者達に、汚染獣と戦えというのは死ねということと言っているようなものだった。
「私も、彼には武芸大会に専念してもらいたいと思っている。 が、状況は待ってくれないことも確かだ。 レイフォン君、この汚染獣についてわかったことは話してくれないか?」
「そうですね———恐らく、雄性体でしょう。 何期の雄性体かはわかりませんが、隣に映っている山の大きさから比べてみても一期や二期の雄性体ではないと思います」
幼性体と比べて強さが格段に上がっている雄性体。
場合によっては、千の幼性体よりも手強い相手になるだろう。
だが、それは一般的な武芸者にとってであり、元・天剣授受者であるレイフォンの敵ではない。
奢りではなく、今までの経験からレイフォンにはそう言える自信があった。
「雄性体……すまないが私やヴァンゼの生まれた都市では、汚染獣との交戦記録が長い間無くてね、強さの感覚的に理解できていないのだよ。 申し訳ないが説明してくれないか」
今まで汚染獣との戦いを経験していなかったのだろう。
武芸者でもないカリアンが詳しい方が驚きだが、都市を束ねる者して知っておいては損はないだろう。
そんなカリアンやヴァンゼ達に、レイフォンは簡単な説明を開始する。
「雄性体、一期や二期ではそう恐れるものではありませんよ。 ただ凶暴性に生命力は幼性体と比べて段違いですが」
幼性体と違い、身体が大きいために都市への侵入を許すと面倒になるのはこの形態からである。
グレンダンでは、外縁部にすらたどり着かせることなく、確実に始末することができたが、学園都市などでは全滅も考えられるくらいの危険な存在である。
「ということは、学園都市では十分脅威に値する存在ということだね」
「はい、被害を恐れなければ勝てるかもしれませんが」
恐らく何十、何百という犠牲が必要となるだろう。
そう告げると、カリアンは明らかに表情を強張らせる。
カリアン自身が考えている以上に危険だと理解したのだろう。
若干声を震わせてカリアンは口を開く。
「なるほどな。 続けてくれ」
「ほとんどの汚染獣は、三期から五期の間に繁殖期を迎えます。 それを雌性体と呼ばれるものです。 これが先日、幼性体達と共にツェルニを襲ったものですね」
あの時は、運悪く汚染獣の巣穴に足を突っ込んでしまったためにそうなってしまったが、通常は幼生体達を生んだ雌性体は、生まれたばかりの幼生体達の餌となる一般的であったが、あの時は他に栄養源がいたのでそうはならなかった。
そう捕捉すると、カリアン達は顔を苦々しく歪めた。
カリアン達は運が悪いと嘆いていたが、レイフォンが思うにツェルニは運が良い方である。
今までツェルニが汚染獣と出会わなかったこともそうだが、前回レイフォンの力により生き延びることができた。
運が悪いというのならば、先日の襲来で確実に滅びていただろう。
そんなことを考えながらレイフォンは説明を続けていく。
「そして稀に繁殖期を迎えずに、雌性体にならないモノもいます。 それが老生体と呼ばれる最悪の化け物です」
レイフォンほどの実力者に最悪といわせる存在にカリアン達は思わず息を呑む。
——老生体。
通常の都市なら半壊する覚悟があれば倒すことができるかもしれない化け物の中のバケモノ。
つまり、ツェルニのような学園都市では間違いなく全滅、運が良ければ放浪バスに乗り込んで何とか生き延びる者達はいるかもしれない。
「老生体……レイフォン君は、それを倒したこがあるのかい?」
「三人がかりで、あの時は死ぬかと思いました」
「正確には、その時、倒したのは老生六期と呼ばれる本物の化け物ですよ」
カリアンの問いかけにレイフォンは苦笑いをしながら答えると、それを捕捉するように先程までやけに静かだったセヴァドスが口を挟んできた。
その言葉に、その場にいた者の視線がレイフォンからセヴァドスへと移り変わる。
そんな視線にも、この都市への危機にも全く動じることなく、近くにあったナプキンで口元を拭うセヴァドスに対し、ヴァンゼは顔を顰めて苦々しい口調で尋ねた。
「老生六期とはなんだ?」
「汚染獣は、老生体になっても成長します。 老性一期というのは他の形態同様、皆、形が似ているのですが、それから進化した二期以降は様々な変化を遂げます。 つまり老生六期とは、六回の脱皮を繰り返し、そのたびに強さを得た本当の怪物です」
その進化の過程で生まれたのが、ベヒモトと呼ばれる名付き汚染獣である。
名付きというのは、グレンダンで一度戦い、殲滅されることなく逃げ切った汚染獣のことを指す。
敬意を表すためだと、どこかの誰が言っていたが、名前をつけるのはその汚染獣を区別するために必要だったということだろう。
つまり名付きとは、グレンダン最強の武芸者である天剣授受者が取り逃がした化け物の中の化け物の汚染獣のことである。
流石のグレンダンでも名付きの汚染獣———ベヒモトを殲滅するために、最年少天剣授受者であるレイフォンに、セヴァドスの兄であるサヴァリス、そして天剣授受者の中で最強と呼ばれるリンテンスという豪華な面々で殲滅に当たることになった。
そんな超人三人と化け物の戦いは、三日三晩繰り広げられ、激闘の末にようやく倒すことができた。
「まだ未熟な私はその戦いに参加することができませんでしたが、その時のことはよく覚えています。 あの死と生が一体化した完璧なる世界……そんな光景を見て思わず身震いしたものです。 ―――というわけで聞きたい方がいれば、三日三晩のダイジェストでお話しますよ」
「結構だ。 それよりも目の前の問題だが、どうする――カリアン?」
妙なスイッチが入り、悦に浸っているセヴァドスの提案を、ヴァンゼは吐き捨てるように断ると、この都市の最高責任者の判断を待つ。
「そうだね……」
その冷静な頭から導き出された結論をカリアンが口にしようとしたその時――レイフォンがゆっくりとした口調で答える。
「そのことですが、僕一人で行かせてもらいます」