錬武館の後片づけを終え、ようやく家路に着くことができるレイフォンだったが、まだ彼にはやるべきことが残っていた。
空は暗く、辺りは昼間と違い静まっている頃、レイフォンはとあるビルの屋上からの夜景を眺めていた。
勿論、気分転換で夜風に当たっているわけではない。
いや、寧ろ今日の出来事を振り返れば、そんな行動も悪くない気がした。
だが、残念なことに今は頼み事を受けるためにここにいたのであった。
剣帯に刺さった錬金鋼を抜いて感触を確かめるレイフォンの背後から――ナルキが声をかけた。
「すまんな」
「いいよ」
隣に立って申し訳なさそうに頭を下げるナルキに、レイフォンは何でもないことであると笑みを返す。
レイフォンがここにいる理由———それはナルキから武芸の実力を買って仕事を頼まれたからである。
仕事の内容は、データチップを盗んだキャラバンの人間の捕縛というものであった。
何でもないような仕事内容にも聞こえ、ツェルニ最高アタッカーと名高いレイフォンが出る問題ではないが、実は中々厄介な仕事内容となっている。
盗人の正体が、普通の一般人などではなく、腕の良い武芸者が相手になると都市警察の人間だけでは荷が重たくなってくる。
こういう時、一般的にツェルニの中で優秀な部類な武芸者にあたる小隊員の者に頼むのが一番なのだが――
「本当に良かったのか? 本当は小隊の人間がやるようなことじゃないんだ」
ナルキの言うように、エリート志向でプライドの高い小隊員は、こういうネズミ捕りのような仕事を好まなかった。
都市の平和を守るのが武芸者の仕事の一つであるにもかかわらず、こういう時に力を発揮しないのはおかしい話だとレイフォンは思っていたが、現状、ツェルニではそういう風になっていた。
「うん、構わないよ。 ナルキには日頃からお世話になっているし」
特にそういう拘りもないレイフォンは、迷うことなく了承した。
友人の頼みを断る、というのはレイフォンにはできないことであったし、何よりも今回は少し気になっていることがある。
「それに彼を放置していた方が危ないし、ね」
「ああ……」
これから戦うことになるだろう武芸者達よりも今か今かと、出番を嬉しそうに待っている戦闘狂にレイフォンは注意を割いていた。
そんな心境のレイフォンを悟ったかのように、ナルキは同情の視線を向けながら肩を叩いた。
「レイとんは知らなかったのか? 彼が都市警察に入ろうとしていたことを」
「うん、そういう話はしなかったからね。 でもよくよく考えてみると、似たようなことを故郷でしてた気がするよ」
レイフォンの脳裏に浮かぶのは、グレンダンにいた頃のことである。
凄腕の武芸者が多い都市とはいえ、犯罪が少なかったわけではない。
寧ろ、物資やお金などがない貧困層が住まう場所では、頻繁に軽犯罪が多発していた。
勿論一般人が犯罪を起こすこともあったが、それ以上に武芸者がもめ事を起こすことが多かった。
武芸の本場とも謂われるグレンダンの武芸者のレベルは高く、そのような者が犯罪行為に及ぶと周りへの被害が大きくなるのは言うまでもない。
そういうときに活躍するのが天剣授受者という怪物達とセヴァドスのような達人級の武芸者達である。
立場などでなかなか動くことができない天剣授受者達に対し、比較的自由な人間のセヴァドスは、すぐに行動を起こして犯人逮捕に協力していた。
勿論、セヴァドスが平和を守るために動いたという殊勲な正義感を持っていたわけではなく、ただ犯罪を起こした武芸者と戦いたいがために手伝っていたことはグレンダンにいる者なら知っている常識であった。
つまりレイフォンがこの場にいる一番の理由は、これから取り押さえる犯罪者(ぶげいしゃ)ではなく、それを取り押さえようとする武芸者(セヴァドス)を止めるためである。
「まったく、都市警察の人間が面倒を起こすというのは、どういうことなんだ」
「それは同感だけど、取り逃がすということはまずあり得ないと思うよ」
武芸者の潔癖さをもつナルキは少しだけ憤慨しているようだが、レイフォンはある意味いい人間を雇ったかもしれないと内心、感心するように頷いていた。
グレンダンでも驚異の逮捕率を誇るセヴァドスなら、ツェルニの治安を脅かす犯罪者を捕まえることは容易なことだろう。
「ってどうやら動いたみたいだな」
「あ、うん」
ナルキと話をしていると、いつも間にか作戦が始まろうとしていた。
作戦の手順として、まず初めに目標がいる宿泊施設に都市警察に人間が近づいて、相手に最終勧告としてデータチップの返還の交渉を持ちかける。
それに相手が応じれば、レイフォン達は御役目御免なのだが、そんなに簡単に済む話ならここまでの事態には陥っていないだろう。
相手も武芸者、それも力のある武芸者達である。
ひな鳥のようなツェルニの包囲なんぞ、強引に斬りぬけてくることは容易に想像できた。
その時がレイフォン達の仕事の始まりである
レイフォンとナルキが視線を宿泊施設の入り口に向けると、二人の交渉人が犯人たちに近づいていく。
交渉を開始しようと拡声器を手に持った次の瞬間、事態は一気に急変する。
扉が蹴破られると同時に現れた犯人達の手により、二人の交渉人達は一瞬の内に地面に転がされたのである。
現れたの武芸者の数は五人。
全員が淀みのない動きで、都市警察が敷いた包囲網を易々と突破していく。
「まずいね。 かなりの手練だ」
活剄で強化された視力で、レイフォンは武芸者達を見る。
武芸者達が流す剄の量とその質、身体の動きから、レイフォンは学生武芸者では荷が重い相手と判断すると瞬時にビルの屋上から飛び降りた。
迷いのない流れるような動きに近くにいたナルキが全く反応できない中で、そのレイフォンよりも早く動く人間がいた。
セヴァドス・ルッケンスである。
向かい側のビルにいたセヴァドスは、閃光のような疾さでレイフォンよりも先行すると武芸者達に向かって飛んでいく。
その後ろ姿を追いながらレイフォンは嫌な予感を感じつつもその足を速めた。
・ ・ ・ ・ ・
様々なことを思い悩むレイフォンとは違い、セヴァドスの思考は単純明快。
実にシンプルな考えで満面の笑みを浮かべながら、ツェルニの空を駆ける。
右手には、愛用しているガントレット型の錬金鋼ではなく、都市警察で支給される警棒の錬金鋼が握られていた。
小隊ではない一年生のセヴァドスには、錬金鋼を携帯許可は許されていない。
そのため使い慣れていない得物で戦うことになるだろうが、セヴァドスにとってその程度のことは問題ですらなく、クルクルと警棒を回して視線の先の獲物を見る。
学生武芸者を容易に蹴散らす五人の犯罪者。
———グレンダンにいたのよりも質は落ちそうですけど、学生相手よりは楽しめそうですね。
戦うこと。
それがセヴァドスの全てといっても過言ではなかった。
「そういえば、確か威嚇からでしたね。 犯罪者とはいえ、先に攻撃を仕掛けることができないとは、全く面倒ですね」
そろそろ射程に入る時、セヴァドスは事前に教わっていたルールを思い出した。
都市警察という組織は、何でも先に警告をしなければならないらしい。
確かグレンダンでもそんなことを言ってた気がしたが、実に面倒なことだと思う。
そもそも奇襲されるほうが悪いのではないだろうか?
「しかし、この状況下でそんな温い考えは命取りになりそうですけど、まあこれが学園都市というものですかね」
歴戦の戦士でもあるセヴァドスのシビアな考えは的を得ているのだが、恐らく周りの者の意見を述べるとすれば、セヴァドスにはこれくらいの束縛があったほうが都市のためであると、全員が口を揃えて言うだろう。
「さて、ではそろそろお仕事を始めましょうか」
思考を切り替え、目の前の武芸者を獣の如き鋭い視線で睨みつける。
戦闘態勢に移行したセヴァドスは、膨大な剄を練り、それと同時に大きく息を吸い込む。
内力系活剄の変化、戦声。
剄のこもった大声で、大気を振動させる威嚇術で、熟練者となれば振動した大気により金属片などを吹き飛ばして、相手を攻撃することができる技でもある。
セヴァドスは、その際に自身に漲る闘気を飛ばして、相手への挨拶代わりとしたのだが、ここで予想外なことが起きてしまう。
「おや」
セヴァドスの姿を見るや否や表情を強張らせた犯人達は、セヴァドスを恐れるように四方へと飛んでその場から逃げ出していく。
セヴァドスが放った剄量の異常さに気づき、自分では絶対に勝てない人間と瞬時に悟ったのだろう。
恐れをなした犯人達であったが、そのことを瞬時に判断できるということは場数を踏んだ強者に違いはなかった。
しかし、彼らの取った行動は、セヴァドスにとって面白くないものである。
闘争を楽しみとするセヴァドスは、彼らの逃走を見逃すはずがなかった。
「ならば、鬼ごっこと行きましょうか」
比較的逃げ遅れた男に、セヴァドスは爆発的な速度の旋剄で、一瞬にして距離を詰め寄ると、膨大な剄が纏わりついた警棒を振り下ろす。
技ですらない理不尽なまでの暴力だったが、目の前の犯人――A(仮名)を倒すには十分だった。
セヴァドスの一撃を反応すらできなかった犯人Aは、背骨へのその一撃を受けて、蛙が潰れたかのような呻き声と共に、そのまま真下の建物の屋根を突き破って、地面に叩きつけられて沈黙した。
「む、一撃で壊れてしまいましたか? やはり量産品はいけませんね。 まあ、私は、拳が一番ですから問題ありませんが」
ピクリとも動かない犯人Aへの関心を失ったセヴァドスは、破損した錬金鋼をその場で放り投げると、少し離れた場所にいた次の獲物の犯人Bの方へと跳んだ。
「っ!? お前何処からっ!!」
「今回は、趣を凝らして前に立ち塞がってみましたがどうでしょうか?」
気配を感じさせることなく、突然、セヴァドスは犯人Bの目の前に躍り出た。
その行動に犯人Bは驚きに満ちた表情で硬直し、それを見ていたセヴァドスは、余裕綽々といった様子で笑みを浮かべる。
「戦場でそんな隙を見せてもいいんですか?」
「――っちっ!!」
挑発的な言葉をぶつけるセヴァドスに、犯人Bの表情は驚きから怒りへと変化し、腰の錬金鋼を引き抜き復元させる。
復元された錬金鋼の形状、それは奇しくもレイフォンに良く似たものとなっていた。
「剣ですか……彼と戦う時の予行演習とさせてもらいましょうか」
「ぬかせっ!! 学生風情がっ!!」
旋剄で一瞬のうちに距離を詰めてきた犯人Bは、怒りに満ちた一撃を振り下ろす。
怒りに囚われていたとはいえ、その剣筋は冷静そのもので、確実にセヴァドスの急所を狙っていた。
その躊躇いの無さは間違いなく戦場を知るもので、そんな場数の慣れた相手に、武芸の本場で鬼才と呼ばれたセヴァドスは楽しげに笑みを浮かべた。
「へぇ、中々悪くないですよ。 これなら都市警察へと入った甲斐がありますね」
「くっ、粋がるなよっ、小僧っ!!」
犯人Bの剣筋は、セヴァドスを確実に追い込んでいく。
もう少しで当たりそうなくらい、紙一重な剣撃にセヴァドスは後退する。
――だが、男の剣がセヴァドスを掠めることはなかった。
すでに五十回は剣を振るっただろう。
それでも一度もセヴァドスに傷を作ることはなかったし、セヴァドスから三センチ以上離れることもなかった。
振るう者は恐怖で表情が歪み、避けるものは花の咲いたような優しい笑みを浮かべる。
余りに異常なその光景に、犯人Bは恐怖に震えながら声を上げる。
「お、お前一体何者なんだよっ!!」
「そう言えば、そろそろ一分は経ちますね。 貴方だけに構っている暇はありませんから」
男の問いに答えることはなく、セヴァドスは右手の人差指と中指に剄を込める。
そして、そのまま右手を弓を引くように下げると、矢のように右手を突き出した。
「タイムアップです」
外力系衝剄の変化、風花穿。
大気を切り裂き、一線の閃光の如き光を放った衝剄の槍は、犯人Bの右肩を貫き刺さると、そのまま貫通して男の右肩に真っ赤な花を咲かした。
「――ぐぎゃぁぁ、ああああ!!!」
「一応、加減はしましたよ。 ではさようなら」
セヴァドスが腕を引き抜くと、犯人Bは悲鳴を上げながら錬金鋼を取り落とす。
そんな凄惨な光景を見ても、笑みを崩さないセヴァドスは男の後頭部を蹴り、隣の建物の中へと吹き飛ばした。
犯人Bの容体を確認することもなく、セヴァドスは次なる獲物を探しに空を舞う。
「さて、次は……おや、時間を掛け過ぎましたか」
セヴァドスの目に捉えたのは、逆方向へと逃げた二人の犯人達を蹴散らしたレイフォンの姿である。
そして、最後の一人である犯人Eに向かって剣を振り下ろそうとするレイフォンに向かって、微弱な衝剄の弾丸を放つ。
飛来する弾丸に、レイフォンは瞬時に反応すると、振り上げられた剣を一閃して叩き落とした。
「何をするんですか?」
「まあ、少し待ってください」
突然攻撃され、普段以上に殺気立った冷徹な眼つきでレイフォンが睨んでくるのに対し、セヴァドスはその横に立つと笑みを浮かべたまま世間話をするような気楽さで口を開く。
「私は、まだ二人しか倒していません」
セヴァドスが二人倒し、レイフォンが三人目を倒そうとした。
つまりは、獲物がほしいというわけである。
そんなセヴァドスの言い分を聞いて、レイフォンが呆れたように声を出す。
「それは貴方が遊んでいたからでしょう?」
「否定はしません」
「じゃ、さっさと倒してください」
特に犯人逮捕にこだわりのなかったレイフォンは、セヴァドスに最後のいけにえを譲った。
「しかし、そうなると何か譲られたみたいで嫌ですね。 ふむ……一度逃がして二人で追いかけるというのはどうでしょうか?」
「どうしてそんな意味のわからない提案がでるんですか……」
「いえ、レイフォンとも勝負ができて一石二鳥じゃないですか」
早く終わらしたいレイフォンに対し、遊び足りないセヴァドスの意見は平行線を辿り、話し合いの決着がつかなかった。
埒が明かないと判断したレイフォンとセヴァドスは、もう一人の当事者に聞くことにした。
「では、貴方に聞きましょうか? どっちと戦いたいですか?」
「へっ?」
レイフォンにより仲間が一瞬で潰されたため、腰を抜かしていた最後の一人である犯人Eに、セヴァドスは笑顔で尋ねる。
その問いは、武芸者Eにとって予想外で理解しがたい内容で、茫然と目の前のレイフォンを見ていた。
「こっちは仕事を早く終わらしたいので、早く決めてください」
「ぇ?」
レイフォンから発する冷徹な視線を見て、犯人Eは自分ごときが敵う相手ではないと本能的に悟ってしまい、視線をそらしてしまう。
彷徨っていた視線は、その隣にいるセヴァドスにも向けられ、セヴァドスは笑顔のまま右手を振る。
右手を振った際に、右指に滴る血液が周りに飛び散り、妙にシュールで恐怖映像だった。
前門に虎、後門に狼という生易しいものではなく、両門とも死神というのが適切な表現であった。
故に、犯人Eが取れる手段は一つしかなかった。
「と、投降させてくださ、い」
錬金鋼を遠くへ放り投げ、両手を掲げることだけが、犯人Eがこの場から逃げることのできる最後の抵抗手段であった。