ルッケンスの三男坊   作:康頼

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第三十一話

 一通り笑い終えたセヴァドスは、切り裂かれて出血し続ける腕に触れた。

 噴き出す血を掌で抑えて傷の触診を行うと、そのまま指先に微量の剄を流す。

 

 外力系衝剄の化錬変化、粘糸。

 

 傷口を器用に極薄の剄の糸で繋ぎ、細胞同士を引き合わせる。

 傷表面には、粘着性のある剄の糸を巻き付けて、完璧に縫合を行い、あとは活剄を応用して細胞の動きを活発化させる。

 この技術は、長年に渡り、天剣授受者であるリンテンスの観察と医学分野への知識を備え、粘糸という応用の利く剄技を修得しているセヴァドスのみ許された技術である。

 

 傷口がまるで再生されたかのように見える高等技術を難なく行ったセヴァドスは、興奮と呼吸を抑えるために小さく息を吐く。

 そして、この戦いをより楽しむために、———構えを取った。

 ハイア・サリンバン・ライア、間違いなく彼は最高の獲物であった。

 

 「行きますよ」

 

 血を流したことで、興奮状態から少し冷静さを取り戻したセヴァドスは、流れるような動きでハイアとの距離を詰める。

 並みの武芸者ならば、ここでセヴァドスの一撃を喰らってしまうだろうが、流石は戦闘傭兵集団の団長を務める者である。

 

 「っ死にぞこないが」

 

 ハイアは、こちらに迫り来るセヴァドスに向かって、音すら置き去りにするような斬撃を繰り出した。

 完全に虚を突いた一撃に、ハイアは今度こそ勝利を確信したのだが、

 

 「よっと」

 「え?」

 

 蚊でも叩き落すような手慣れた手つきで必殺の斬撃は弾かれ、

 

 「ぐぇぁ……」

 

 セヴァドスの右拳が横腹に突き刺さった。

 肉を千切り、骨を砕き、内臓に衝撃が襲う。

 血反吐を撒き散らし、後退するハイアの目の前には既にセヴァドスの右足が迫っていた。

 

 「どんどんいきますよっ!!」

 

 外力系衝剄の変化、裂空牙。

 首筋を切り裂くどころか、首元を一気に刎ねようと言わんばかりのギロチンを、ハイアは傷ついた身体で体勢を崩しながらも回避するが———既に次の一撃が迫っていた。

 遠心力がたっぷりと乗ったセヴァドスの上段後ろ回し蹴りが、ハイアの身体をくの字に折り曲げる。

 

 「がぁ」

 「それっ!」

 

 再びハイアの横腹に拳を叩きこみ、沈み込んだ頭部をアッパーで打ち抜く。

 天に向かって突き上げられた一撃に、ハイアの両足が宙に浮くが、まだセヴァドスの攻勢は終わらない。

 そのまま首根っこを掴むように、セヴァドスは宙に浮くハイアを地面に叩きつけるように放り投げた。

 

 ゴロゴロとアスファルトの上を転がるハイアに、セヴァドスは一歩一歩しっかりとした足取りで近づいていく。

 あり得ない———決して認めることのできない事実がハイアの脳裏を駆け巡った。

 

 「何で、何でさっきまでよりも早く動けるっ!?」

 「さあ? そんなことどうでもいいじゃないですか」

 

 もう両足だけでは立つことのできないハイアは、支え棒の代わりに愛刀を突き刺して立ち上がる。

 その姿に既に闘志はなく、ただ認めることができない感情が、ハイアをその場に立たせた。

 だが、対するセヴァドスにはそんなことはどうでもよかった。

 ただこの闘争本能を満たすために、強者との死闘に、自分の武芸を試すために、ただそれだけを考えていた。

 考えれば考えるほど愉しくなってしまう、思わず笑みが零れてしまったセヴァドスに、ハイアは漸く自分のすべきことに気が付いた。

 

 内力活剄の変化、水鏡渡り。

 ただこの場から逃げる、それだけを考えなければいけない。

 ここにいたら間違いなく死ぬということは痛いほど味わっている。

 

 「え?」

 「水鏡渡り、知ってますよ」

 

 ビルから飛び降り、全身の力を走力に変えたハイアの逃走劇は一瞬のうちに幕を下ろすことになる。

 

 「がはっ」

 「そぉれっ!!」

 

 既に正面に回り込んだセヴァドスの右拳を横腹に喰らったハイアは、そのまま後方の廃ビルの中へと吹き飛ばされた。

 瓦礫やガラスなどが全身に突き刺さり、更なる激痛がハイアを襲う。

 遠くなる意識の中、ハイアを先程までの戦闘を思い出し、そして気づく。

 再び現れたセヴァドスに、ハイアは聞かずにはいられなかった。

 

 「何で、何でルッケンスのお前が……サイハーデンの技が使え……るさ」

 

 自分が血反吐を吐きながら修得したサイハーデンの技を、セヴァドスは間違いなく使って見せた。

 それだけじゃない、ハイアの斬撃を弾いたあの動き、アレは間違いなくあの一撃を知っている動きであった。

 まるで、未来予知のように、練習のように、導かれるように、当たり前のように知っていた。

 そんなハイアの心を砕く疑問に、セヴァドスはそれこそ当たり前のように答えた。

 

 「え? だってグレンダンには道場があるじゃないですか?」

 

 そう言ったセヴァドスの言葉を、ハイアは理解できなかった。

 思考が追いつかないハイアを置いて、セヴァドスは朝食の献立を言うかのように何でもないように答えた。

 

 「武芸の本場に生まれて、都市には数多くの流派が存在するんです。 普通は色々試したいと思いますよね?」

 

 グレンダンは大小合わせれば、数多くの武芸が存在する。

 それは昔からある武門も、他所の都市から流れてきた武門もあり、自他ともに認める戦闘狂からすれば最高の遊び場と言っていい。

 だが、セヴァドスの好奇心は戦うだけでは満足に至らず、戦った相手、尊敬する相手、戦ってみたい相手の生き様とも言える武芸を知りたくなった。

 

 「天剣授受者や陛下などの圧倒的な存在を見て、教えを乞いたくならないですか? 色々知りたくなるのが武芸者というものでは?」

 

 だからセヴァドスは習った。

 兄であり、天剣の一人であるサヴァリスにルッケンスを、王族でありながら歴戦の勇士であるティグリスには弓術を。

 

 「何より、サイハーデンは私の永遠の好敵手であるレイフォンの生家。 入り浸っていてもおかしくないですよね? だから————貴方の動きは読めるんですよ」

 

 その言葉を最後にハイアの中にあった何かが崩れ去ろうとしていた。

 だが、それでもハイアは逃げるしかなかった。

 這うようにしてでも逃げようとするハイアに、セヴァドスは溜息をつきながら右腕を振り抜いた。

 

 外力系衝剄の変化、粘糸。

 既に巻き付けられていた剄の糸により、ハイアの身体はセヴァドスの足元に引き寄せられた。

 

 「逃げられても面倒なのでつけさせてもらいました」

 

 遂にハイアは逃げることもできなくなった。

 戦うことも、逃げることもできなくなったハイアは、訳も分からずに養父から譲り受けた愛刀を握りしめると

 

 「う、ううううわぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 見る影もない哀れな一振りを放った。

 そんな一撃をセヴァドスは躱すこともせず、剄を纏った左手刀で真っ二つに切り裂いた。

 小さな金属音を立てた刀の末路と同じく、ハイアの腰が砕けるようにその場に伏せた。

 

 「さあ、貴方のサイハーデンは見せていただきました。 このギリギリの状況に達した時、貴方はどんな輝きを私に見せてくれるのですか?」

 「ひっ」

 

 迫るセヴァドスに、ハイアは逃げることも立ち向かうこともできなかった。

 そんな彼に救いの手を差し伸べる者達がいた。

 

 「ハイアッ!! 逃げろっ!!」

 「ここ、俺達がっ!!」

 

 現れたのはハイアとともに幾多の戦場を駆け抜けてきた頼りになる仲間達であった。

 団長であるハイアには劣るとはいえ、武芸都市としてグレンダンの名を広めた傭兵集団である。

 セヴァドスには、ご馳走にしか思えなかった。

 

 「焦らないでください」

 

 ハイアを庇うように、そしてセヴァドスを囲むように現れた武芸者の数は十。

 全員から受ける殺意という熱い眼差しに、セヴァドスは抑えきれずに笑みを浮かべる。

 

 「皆さんで一緒に楽しみましょう」

 

 大地を砕き、一瞬で距離を詰めたセヴァドスの右拳が傭兵団の一人の顔面を捉え、そのまま骨を砕く音を立てながら地面へと叩きつけた。

 遅れるように傭兵達も動き出したが、既にセヴァドスは次の動きを完了していた。

 

 外力系衝剄の変化、裂空牙。

 放たれた衝剄の斬撃は一人の武芸者の右手足を吹き飛ばし、

 

 外力系衝剄の変化、衝断爪。

 指先から伸びる五本の剄の刃は、目の前の武芸者を剣こと切り裂いた。

 それは一瞬のことで、三人の武芸者はセヴァドスの前に倒れ伏した。

 ようやく状況を飲み込めたサリンバン教導傭兵団の団員だが、動き出そうとした瞬間にセヴァドスが反応し、その拳に沈められる。

 

 「ぐひっ……」

 「ひっ!」

 「痛ぇ、痛いよ……」

 「ぐちゅけっ」

 「や、止めてくれっ!! ぐちゅぇ」

 

 それは既に戦闘ではなく、蹂躙である。

 悲鳴を上げ、助けを求める傭兵団の仲間達に、ハイアは物陰に隠れて必死にその気配を殺す。

 耳を塞ぎ、目を瞑る———まるで雷に恐れる幼子のように建物の陰で震えるハイアのできることは、怪物の眼から逃げることしかない。

 

 「おや? いつの間にか、ハイア君がいなくなってますね。 かくれんぼでしょうか」

 

 十人の熟練の武芸者を容易に沈めたセヴァドスは、頬についた返り血を拭っていると、ハイアがいなくなったことに気が付いた。

 あの傷ならば、遠くには逃げられないだろう。

 炙り出すために周囲一帯を吹き飛ばそうと考えたセヴァドスだったが、ようやく自分の任された仕事のことを思い出した。

 

 「そう言えば、鬼ごっこもしてたんですね」

 

 ハイアやサリンバン教導傭兵団達との戦闘は、謂わばおまけみたいなものである。

 セヴァドスが、カリアンに頼まれたことは、廃貴族らしきモノを宿したと思えるニーナの護衛であった。

 

 「流石に逃げられたら会長に怒られてしまいますので、本気で追いましょうか」

 

 セヴァドスは、周囲に散らばった傭兵団の面々が動かなくなったのを確認すると、ポケットから白銀の錬金鋼取り出すと、

 レストレーション———そう呟いたセヴァドスの身体を覆うように復元された錬金鋼が張り巡らされていく。

 その姿は、天剣授受者であり、最強の盾とも呼ばれるリヴァースのような全身鎧のような姿であった。

 セヴァドスは少し厚みが薄く、都市外スーツのようにも見えた。

 

 外力系衝剄の化錬変化及び内力系活剄の変化、雷神蒼々。

 

 セヴァドスの全身に蒼い稲光が舞い、彼は一陣の雷と化す。

 轟音とともにビルを倒壊させ、飛び立ったセヴァドスが向かうのは、ハイアの仲間達のいる方向。

 その光景をハイアは声を出すことも出来ずに、ただ震える身体を抑えてこれから起こるであろう惨劇から目を背けた。

 

 

 

 

 

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 

 

 

 

 目的を果たし、この都市から脱出を行うために隠してある傭兵団専用の放浪バスの元へ向かう中、ミュンファはただ一人で足止めを行っている幼馴染の心配をしていた。

 

 「団長は大丈夫でしょうか?」

 「大丈夫だろう、相手は元天剣授受者でもないようだしな」

 「もしかしたら、足止めどころか倒してこっちに向かっているかもしれないぞ」

 

 ミュンファの心配を他所に、周りの団員達はハイアの勝利を疑っていなかった。

 まだ十代の若者とは言え、ハイアは前団長であるリュホウの秘蔵っ子であり、その力は団員ならば誰でも認めていた。

 副団長であり、唯一団長に苦言を示すことができるフェルマウスですら、ハイアの実力には疑いを持っていな

い。

 何より、ハイアの前に立ちふさがったのは、元天剣授受者であるレイフォンではなく、名門出身のセヴァドスである。

 ルッケンスの名は誰もが知っているが、幾多の戦場を駆け抜けてきたハイアが、温室育ちに負けるとは思えなかった。

 ならば、あとは他の応援が来る前にここから去ればいい、とハイアの指示に従った団員達は、ようやく自分達の放浪バスの場所へと辿り着いた。

 既に放浪バスではフェルマウスが準備をしているはずだ、とミュンファは緊張が切れたのか小さく息を吐いた———瞬間。

 

 『っ!! 全員、ここから離れなさいっ!!』

 「はい?」

 

 突然、念威から聞こえた切羽詰まったフェルマウスの声に、ミュンファは足を止めた———直後、前方に停留していた放浪バスが爆音と共に爆炎を撒き散らした。

 轟轟と炎と黒煙を巻き上げるバスの残骸から現れたのは、ここにいるはずのない人物であった。

 

 「ふう、追いつきましたが、やはりこの技はまだまだ改善点がありそうですね」

 

 全身の至る所から血を流しているが、笑みが絶えないセヴァドスが、ミュンファ達の前に現れて、こちらへ何かを放り投げた。

 

 「フェ、フェルマウスさん………」

 

 そこには身動き一つせず多量の血を流して倒れるフェルマウスの無残な姿だった。

 その余りに惨たらしい光景に、ミュンファを含めたその場にいる全員が声を失う。

 

 「とりあえず、相手の逃走手段は奪いましたし、残っている団員も貴方達が最後のようですね」

 

 錬金鋼を復元させて、煤だらけの銀髪を揺らしながら、セヴァドスは笑う。

 その笑みを見て、ようやく傭兵団のメンバーは状況を理解する。

 

 「ば、馬鹿な………なんで奴がここにいる」

 「団長、団長はどうしたんだ?!」

 

 セヴァドスがここにいるということ。

 それはハイアが足止めに失敗したということである。

 ならば、と団員達の脳裏には最悪の結末がはじき出されていた。

 

 「ハイア君なら残念ですが仕留め損ねました。 貴方達の反応からするとどうやらこちらには来ていないようですね」

 

 心底残念そうに呟くセヴァドスに、団員の一人が希望を見出す。

 ここで自分達が足止めすれば、きっとハイアは来てくれる、と。

 ハイアなら、この状況を打破することができる、と。

 

 「っ!! やるぞ、皆っ!!」

 「し、しかし、奴は……」

 「よく見てみろっ!! 奴も無傷ではない!! 俺達全員でかかればっ!?」

 

 男の檄が言い切る前に、瞬間移動したかのように現れたセヴァドスの右拳が無防備の腹へ突き刺さる。

 骨が砕ける音と口から吐き出される血反吐とともに、倒れて動かなくなった男を蹴飛ばしたセヴァドスは笑みを浮かべながら周囲を見渡す。

 その姿にミュンファを含めた団員達は、声を上げることもはおろか、身動きすることができなかった。

 

 「さあ、始めましょうか? サリンバン教導傭兵団の皆様」

 

 圧倒的な存在を前に、彼らには逃走は許されなかった。

 彼から———セヴァドス・ルッケンスからは誰も逃げられない。

 

 「最終ラウンドです」

 

 こうしてサリンバン教導傭兵団の終焉の日が訪れた。

 


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