故郷で『天剣授受者』という最強の武芸者の地位を得たレイフォン・アルセイフであったが、彼も人の子であり、幾つかの苦手なモノが存在する。
一つはニンジン。
生まれ育った孤児院が貧乏だったため、食べ物を残すと言う行為はしたことがないが、それでもニンジンの味は苦手であった。
できることなら食べたくないが、それでも嫌悪するほどのものではなかった。
一つは勉強。
幼い頃から武芸一筋で生きてきたレイフォン。
強ければ良い、というグレンダン主義の頂点であった天剣授受者の一角だったために、勉強の必要性がなかった。
しかし、この一年間、必死の勉強のおかげでなんとかツェルニに合格したのだが(正確にはカリアンがレイフォンの素性を知っていたために)、それでも勉強というものが大変苦手である。
ニンジンとは違い、生理的にも受け付けられないほどの苦手なものだが、武芸以外の道を見つけるために必要だと思い、日々努力を重ねている。
そして、もう一つ。
それは現在、教室の教卓の前に立っている男である。
「セヴァドス・ルッケンスです。 諸事情により、入学が遅れてしまいましたが、こうして入学することが出来ました。 皆さん、一年間よろしくお願いします」
太陽のような明るい笑みを浮かべながら、セヴァドスは深々とお辞儀をする。
その様子に教室から歓声――特に女子生徒の黄色い声が教室内に響き渡っていた。
完全に好印象を得たセヴァドスを見て、レイフォンは複雑そうな表情で、彼を見ていた。
同郷の者なら知っているだろう、セヴァドス・ルッケンスの問題児さに。
場外乱闘を行って器物破損を繰り返すことなど朝飯前で、天剣授受者達の住む屋敷で暴れまわったり、都市を統べる女王に喧嘩を売るなど、その行動力はグレンダンでも一二を争うくらいである。
そして同時に知っている彼の実力を。
そうなると、レイフォンの頭に一つの疑問が浮かぶ。
何故、この都市に来たのか?
戦闘狂であるセヴァドスにとって、グレンダンは楽園そのものである。
そんな彼が何故ここにいるかは、レイフォンには解らなかったが、ただ一つ言えることがある。
本当に面倒なことになった、と――
・ ・ ・ ・ ・
一限目を終えて、休憩時間となった教室の中央では、男女問わない人だかりができていた。
その人だかりの中心にいるのは勿論転校してきたセヴァドスである。
見た目が整い、丁寧口調の彼の第一印象は良く、最高のスタートを切った彼の周りに集まったクラスメートの質問にも、セヴァドスは笑顔で答えていた。
そんな転校生を遠く離れた場所から、レイフォン、ナルキ、メイシェン、ミィフィの仲良し四人組はその光景を眺めていた。
「へぇー、グレンダンからの転校生か~。 レイとん、知ってる人?」
「えっと、まあ……」
ミィフィの質問にレイフォンは消極的に頷き返す。
確かに知り合いで、何度も話したこともあるし、戦ったこともある。
別に嫌いというわけではないが、グレンダンでの日々を思い出すと、とりあえず距離を取りたいなーというのがレイフォンの正直な感想である。
「しかし、それなら良かったんじゃないのか? 同郷の者がいるというのは心強いものだろ?」
「そうだね……」
自分にはミィフィやメイシェンがいることだしな、と頷くナルキに対して、レイフォンは苦笑いを返す。
ナルキの言う通り、都市外への留学した際に、故郷の人間がいるということは頼りになるだろう。
だが目の前の男は、安心ではなく心労しか与えてくれなさそうである。
「やあ、レイフォン。 久しぶりですね」
「何故、貴方がここにいるんですか?」
人混みをかき分けて現れたセヴァドスに、レイフォンは思わず溜め息をついてしまう。
突然、転校生が一人の生徒に話しかけた。
その事実が、教室中の人の興味を引くのは無理もないことである。
隣にいるミィフィ達も気をつかってか、会話に入ることはなく、こちらの会話を傍観していた。
完全に孤立した気分になり落ち込むレイフォンに対し、元凶であるセヴァドスは特に気にした様子もなく、親しく話しかけてくる。
「顔見知りがいる。 それだけで心の持ちようが違うというものですね」
ほっとした様子を見せるセヴァドス。
その姿とその発言は、周りの目から見ても違和感がなかった。
だが、レイフォンは思わず貴方がそれを言うか? その似合わない台詞に突っ込みたくなるが、周囲の目があるためしぶしぶ諦めることとなる。
しかし、ある意味良かったのかもしれない。
何れはセヴァドスと話をしておいた方がいいだろう。
そう考えたレイフォンは、覚悟を決めたように顔を引き締めて口を開いた。
「校内の案内でもしようか?」
と発言して、教室を出たのだったが――
「どうしてこうなるのかな?」
「まあ、ミィだしな」
セヴァドスと楽しげに話しながら歩くミィフィを見て、レイフォンは肩の力が抜けたように項垂れた。
ナルキの言うとおり、ミィフィという好奇心の塊の少女が、グレンダンの転校生に興味がないはずがなかった。
「へぇ、セヴァちんってそういう本も読んでるんだ」
「はい、知識はある方がいいと思いますから」
波長があったのだろう、和気藹々と話をするミィフィとセヴァドス。
どうやら共通の趣味である読書の話に花が咲いているようで、先程からレイフォンには無縁の言葉が飛び交っていた。
そんな二人を眺めていたレイフォンは、これからどうするか考えていると、話を終えたのか、先頭を歩いていたミィフィとセヴァドスがこちらに振り返った。
「いや~、セヴァちんって本当に面白いね。 レイとんにこんな友人がいたとは意外だよ」
「いえ、私も色々勉強になりました。 今度、その本貸してくれませんか?」
「いいよ~」
出会って一時間程なのに、凄まじい仲の良さを見せる二人に、レイフォンとナルキは顔を見合わせる。
「今、気づいたんだが、結構良い組み合わせじゃないか?」
「そう? 僕は、混ぜるな危険、みたいな匂いしかしないけど」
友人のミィフィの様子に、良い縁に恵まれたのではないか?と解釈したナルキと違い、いやな予感しかしないレイフォンは、先程から冷や汗が止まらなかった。
「しかし、セヴァちんというのは、セヴァドスのあだ名か?」
「うん、結構すんなり決まったよ」
「私も気に入りました」
ミィフィに付けられたあだ名を喜んでいるセヴァドスだったが、ふと何か気づいたように口を開く。
「そういえば、レイフォンのあだ名はレイとんなのですか?」
「うん、私がつけたよ」
自信満々な様子で頷くミィフィを見て、セヴァドスは感心したように頷き返すと、レイフォンへと視線を向ける。
「なら、レイとんも私のことは、セヴァちんと呼んでください」
「呼びません」
食い気味に拒絶の言葉を返したレイフォンに、セヴァドスは一瞬眉を下げるが、再び笑顔で向けた。
「では、昔のようにセヴァと呼んでいただければ嬉しいのですが?」
「僕は、今まで貴方のことを親しげに呼んだことはない」
「では、私はレイとんと呼ばせて頂きましよう」
「聞けよ、おい」
相変わらず人の話を聞かないセヴァドスに、レイフォンの言葉が荒々しくなっていく。
しかし、そんなことをセヴァドスが気にするわけはなく、何かに気づいたのかように突然声を上げる。
「む、そこにいるのは店員さんではありませんか?」
レイフォンを完全に無視したセヴァドスは、ゆっくりと歩き出しナルキの――背後に隠れていたメイシェンに声を掛ける。
その呼びかけにメイシェンは、体をピクリとさせると、そのまま恐る恐る頭を下げる。
「その……あの時はありがとうございました」
「いえ、私もあのソースの作り方を教えていただいて助かりました」
「どういう状況なんだ?」
「こっちに聞かれても解らないよ」
二人の会話のやり取りを聞いて、全く場面を想像できなかったナルキは、隣のレイフォンに話しかける。
が、レイフォンがそんなことを知る由もなく、ただ首を傾げるしかなかった。
ナルキとレイフォンと違い、好奇心の塊であり、新人雑誌編集者でもあるミィフィは、面白そうに口をはさむ。
「ねぇ、何かあったの?」
「ん? いえ、彼女にケーキにかかっていた果汁ソースの作り方を聞いたのですよ」
「え、と……店で絡まれた時に助けてくれたの」
同時に発言した二人の言い分の違いに、流石のミィフィも首を傾げるしかなかった。
「どういうこと?」
「恐らく、メイが正しいんだと思うよ」
基本的にズレた発言をするセヴァドスの事を、痛いほど知っていたレイフォンは、セヴァドスの言い分を話し半分に聞いて解釈した。
「ということは、彼は暴漢を追い払ったことか? 中々筋が通ってるじゃないか?」
正義感の強いナルキは、メイシェンの言葉だけを捉え過ぎて感心していたが、レイフォンは違うと思っていた。
恐らく暴漢を倒すつもりはなく、ただ暴漢という名の被害者が、セヴァドスという災難に巻き込まれたということだろう。
そうなると、その暴漢は運が悪かったね、とレイフォンは他人事のように考えていた。
「へぇ、やっぱりグレンダン出身の人って強いんだね」
レイフォンの説明にますます興味が惹かれたのか、ミィフィは何処からともなくメモ帳を取り出すと取材をするように目を煌かせて、セヴァドスに標的を絞っていた。
武芸の本場であるグレンダン出身であるレイフォンの凄まじいデビュー戦を見ていたせいで、彼も同様のスター選手になるのではないかと考えるのは無理もない話である。
それは武芸者のナルキも同様に関心があったようで、セヴァドスの頭のてっぺんから足のつま先まで、隅々まで視線を動かしていた。
「グレンダンの留学生が皆強いかは知らないけど、彼は――セヴァドスは強いよ」
そう言って思い出すのは、セヴァドスの出た試合や戦闘についてである。
レイフォンが初めてセヴァドスのことを知り、戦ったのは天剣を得る前の試合――天剣授受戦だった。
結果はレイフォンの勝利であったが、どちらが勝ってもおかしくないほどの実力差である。
その後、何度か出会っただけで喧嘩を売られて戦ったが、その時の彼の成長具合は恐ろしいモノであった。
天剣という絶対的なアドバンテージが無ければ、レイフォンは敗北していたかもしれないと冷静な判断を下していた。
「おや、うれしいですね。 レイフォンにそう言っていただけると」
「ほうほう、レイとんが認める武芸者か……これは要チェック」
レイフォンの言葉が嬉しかったのか、いつも以上に良い笑みセヴァドスの隣では、ミィフィがメモ帳に何か必死に書きこんでいた。
二人を見て、レイフォンはこれから起こるだろう波乱をひしひしと感じていたのである。
・ ・ ・ ・ ・
その後、授業は問題なく進み、レイフォンは安堵の息をついて昼食を迎えた。
凄まじい量の食べ物とデザートを食べるセヴァドスを見て、ミィフィ達が和むように目を向けていた。
そんな和やかな昼食を終えて、午後から行われるのは体術訓練の授業。
充てられた訓練場には、レイフォンとセヴァドス、そして同じ武芸科であるナルキの姿があった。
圧倒的な強さを誇るレイフォンの組み手を相手するのはナルキしかいなかったが、今日からはその傍にはセヴァドスがいた。
グレンダンVSグレンダン。
もしかすると起こるかも知れない対戦カードに、必然的に訓練場の視線はレイフォン達に集まっていた。
「よっと」
「うわっ!!」
周りの期待には答えることはせず、レイフォンの相手をしているのはいつも通りのナルキであった。
セヴァドスは、その隣で何やら楽しそうに笑みを浮かべてその訓練風景を眺めていた。
「へぇー、ナルキさん、中々筋がいいですね」
「うん、僕も今の動きは良かったと思うよ」
「そ、そうか? 武芸の本場の者に褒められると嬉しいものだな」
セヴァドス、レイフォン、というグレンダン出身の二人に褒められて、ナルキも満更ではなさそうに嬉しそうな笑みを浮かべる。
実際にナルキの体術は、一年生の中でも中々卓越したものである。
ナルキいわく、衝剄が苦手なようだが、もしこの克服と全体のレベルアップが出来れば、小隊入りも夢ではないと二人は思っていた。
「きちんとした訓練を継続すれば、もっと上を目指せると思うよ」
「そうだ、私が訓練をつけましょうか」
「貴方は少し黙っていろ」
楽しげにナルキを鍛える師に立候補するセヴァドスを、レイフォンは冷たくあしらうと倒れていたナルキに手を差し出す。
「しかし、こうも注目されるとやり辛いな」
「そうかな?」
「別に害はありませんから、気にすることではないですよ」
周りの視線を感じていたナルキは、疲れたようにそう溢すが、当の本人達は全く気にした様子もなく首をかしげていた。
そんな三人に近付く者たちがいた。
「少し、いいかな?」
話しかけられたことにより、 そちらに視線を向けてみるとそこには三人の男達が立っていた。
訓練着の肩についているラインの色からして彼等は恐らく三年生だろう。
その視線の色、感情は、レイフォンにとって見覚えのあるものである。
「なんですか」
「そっちの、十七小隊のエース殿に用があってね」
挑戦的な視線に、レイフォンは少し呆れそうになるが、彼らの望みに答えることにした。
「三人でいいんですか」
「……大した自信だね」
傲慢とも言えるその台詞に、男達は気分を害したのか、顔を顰める。
男達の表情に怒気が混ざり、周囲が緊張感に包まれたその時、――沈黙を貫いていた男が動いた。
「少し良いですか」
笑みを浮かべたセヴァドスが、三年生の一人に話しかけた。
殺伐とした空気の中でも笑みを浮かべる一年に毒気が抜かれたのか、眉を顰めた三年生は、うっとしそうに口を開く。
「なにかな?」
「いえ、皆さん三年生なんですよね?」
「そうだが……」
当たり前のことを聞くセヴァドスに、一人を除いてこの場にいる人間が首を傾げていると、セヴァドスの口が再び開く。
「実は私は今日編入しまして、色々勉強したいと思っていたんです」
「……なるほど、腕試しというわけだな」
一人の三年生が好戦的な笑みを浮かべると、セヴァドスは笑みを浮かべたまま頷きかえす。
「それに私もグレンダン出身なんですよ。 もし私を倒せれば自慢になりませんか?」
セヴァドスの安い挑発に、三年の目の色が変わる。
明らかに標的が変わった。
「いいだろう。 上級生として胸を貸してやろう」
「ちょっ……」
「まあ、レイフォン。 いいじゃないですか、期待に応えるのも武芸者ですよ」
生意気な一年生の鼻をへし折ってやろうと意気込む三年生を見て、レイフォンは慌てて止めに入ろうとするが、やんわりとしたセヴァドスの制止の声に遮られる。
そして、そのセヴァドスの余裕に満ちた声は、相手のプライドを傷つけた。
「後悔するなよ」
同時に襲いかかってきた三年生にセヴァドスは、ゆっくりと地面を蹴る。
――爆発音、ブチ抜かれた床。
「ぶばはっ!」
閃光とかした右拳が、三年生の横腹を捉えた。
肉の潰れる音と骨が砕ける音。
そんな嫌な音を立てながら吹き飛ばされた三年生の一人は、一回、二回と、ピンボールのように地面に叩きつけられて、凄まじい速度で回転しながら訓練場の壁に突き刺さる。
力無く、言葉無く、倒れ伏せた三年生は、白眼を剥き、鼻や目、耳からから血を流し、全身を痙攣させるという無残な姿を晒した。
衝撃映像を間近で見た残りの二人の足が完全に止まった瞬間――セヴァドスは残る二人の正面に現れた。
「油断大敵ですよ」
「あべしっ!」
「ひでぶっ!」
いやに明るい言葉とともに、弾かれた両手の中指の指先が二人の額を捉えた。
デコピンを食らった二人は、体を縦に一回転させながら地面に叩きつけられると、同様に体を痙攣させ始めた。
額から血を流す二人を見て、セヴァドスは首を傾げた。
「ふむ、鍛錬が足りないようですね。 まずは基礎からやり直したほうがいいですよ」
童子のような笑みを浮かべるセヴァドスに、その場にいた全員がヒいていたのはいうまでもなかった。