「ったく……本当に、無茶ばっかりする隊長さんだぜ」
窓から差し込む夕日を背にシャーニッド・エリプトンは、この病室の住人であり、未だに眠り続けるニーナ・アントークを前にして呆れたように呟いた。
廃都市探索から数日。
それまでニーナは一度も目を覚ますことなく、死んだように眠り続けていた。
何故このようなことになったかなんてもんは、シャーニッドは勿論、その現場に駆けつけていたレイフォンやゴルネオすらも知らない。
そこで起こった事を知っているのは、眠り続けるニーナと対峙したセヴァドスだけが知っていた。
セヴァドスいわく、ニーナは廃貴族という力に魅入られたらしい。
廃貴族というものが何かは、シャーニッドが知るはずもなく、ただ理解していることはニーナが悩み苦しみ続け、そしてその結末がこの姿になってしまったということだ。
この結末は誰の責任なのか?
ニーナに嫉妬を抱かせたレイフォンか?
それとも、その嫉妬を燃えあがらせたセヴァドスのせいか?
もしくは、生き急ぎすぎたニーナの自業自得か?
そして―――そんな彼女を止めることもできず、ただ傍観者にすらなれなかったシャーニッドのせいか?
しかしそれら全ては既に過ぎ去った後、ここで何を考えようとも既に終わってしまったことである。
故にこの葛藤には意味はないだろう。
だが、シャーニッドは思うのだ。
そんな過去に縛られるのが人間というものなのだろう、と。
「まあ、武芸者なら、焦っちまうよな」
ニーナの気持ちは、シャーニッドには少なからず理解できた。
レイフォンとセヴァドスという存在は、間違いなくツェルニの希望の光であり、そして同時にツェルニの武芸者に対する毒であった。
鉱山が一つしかなく、既に後のないツェルニの武芸者にとって、その力とは最も欲するだろう。
そんな多くの武芸者達の一人がニーナというわけである。
彼女の真っ直ぐ過ぎる思いが、今回のような結末を生んでしまったと言える。
「負けたら終わり、か」
シャーニッドには、ニーナのような熱い武芸者の誇りを持ち合わせていない。
だが、それでもシャーニッドの胸には、あの時の誓いという名の焔を宿している。
親友と愛した人と誓ったあの日の約束。
あの時誓った約束全てを果たすことはもうできないだろう。
しかし、それでもシャーニッドにはまだ戦う手段があった。
まだ、果たすべきことがあった。
「まあ、隊長さん。 少しの間、これを借りておくぜ」
シャーニッドは、ニーナの錬金鋼の一本を借り受けると、その場から背を向ける。
ニーナは何れ目を覚ますだろう。
その時、いつまでも不甲斐ない恰好をしているわけにはいかない。
先輩として、仲間として、そして一人の男として。
戦う覚悟は既にできた。
過去を乗り越え、未来へ踏み出す決意。
それらを胸にシャーニッドは病院を後にした。
後日、シャーニッドの元へ生徒会長からの辞令が下される。
『シャーニッド・エリプトン。 第十七小隊の隊長代理に命ずる』
・ ・ ・ ・ ・
第十四小隊戦後、ディン・ディーはある目的を果たす為に、ツェルニの夜を歩いていた。
時々すれ違う人に、顔を会わせることなく、ただ真っ直ぐに目的地へと向かう。
ディン・ディーには誓いがあった。
ツェルニを守るということを。
武芸大会に勝ち、ツェルニを去った恩人の願いを叶えるということだ。
しかし、その誓いは案外簡単に果たされることになるかもしれない。
レイフォン・アルセイフとセヴァドス・ルッケンスという二人の怪物の手によって。
カリアンは言った。
これがツェルニを守るための最善策だ、と。
そんな彼に対し、ディンはふざけるな、と大声で叫びたかった。
確かに都市を守るための選択としては最良の判断と言えるだろう。
都市を統べるものとしての判断としては正しいことこの上ないだろう。
しかし、ならば今まで血が滲むような努力と血反吐を吐くような思いをしてきた者達はどうなる?
ツェルニをこの危機的状況までに追い込んでしまった自分達に、その言葉を吐くことは許されないかもしれないが、それでも涙を呑んで去っていった先達者達の想いも誓いを踏みにじるようなことは許すことができない。
都市への思いもなく、ただ惰性的に武芸を続ける男と、本能が赴くままに暴れる無法者なんぞに、この尊き誓いを潰させるわけにはいかなかった。
「そうだっ……だから俺は」
ディンはその誓いを守らなければならない。
一人は既にその誓いを忘れ、隊を離れてしまった。
だからこそ、ディンは止まるわけにはいかなかった。
「ディン……」
背後から呼び掛けられた声に、ディンの足が止まる。
その声はディンのよく知っている声で、そしてこの場では一番聞きたくなかった声であった。
ディンが振り返ると、そこには彼女がいた。
「……シェーナ」
ダルシェナ・シェ・マテンナ。
ディンの相棒であり、苦楽を共にした一番の理解者。
そんな彼女だからこそ、今のディンの姿を見せたくなかった。
言葉が続かないディンのかわりに、視線を落としたダルシェナが口を開く。
「何をしているんだ?」
「……気分転換だ。 先の試合を引き摺るわけにはいかないからな」
思わず出た言葉は、自分自身でも笑えてくるほどのバレバレの嘘。
それでもディンは隠さなければならなかった。
これから自分が行おうとする行為は決して誉められることではなく、彼女を汚してしまうからだ。
「嘘だな。 お前が嘘をつく時は少しだけ言葉を詰まらせる。 アイツと違ってお前は嘘をつけないからな」
だが、ディンの努力も空しく、既にダルシェナは気づいていた。
いや、気づいてしまうだろう。
彼女は彼をずっと見ていたんだから。
「小隊員に配っていた薬はなんだ?」
「栄養剤だ。 連戦になるからな。 少しでも体を回復させておかなければならない」
ディンは苦しい嘘をつく。
本当に栄養剤ならば、間違いなくチームで一番疲労するダルシェナに渡しているはずである。
無意識のうちに目を逸らしたディンに、ダルシェナは一歩一歩近づいてくる。
「なあディン、私達の付き合いも長くなったものだ」
「ああ、そうだな」
「だからわかるんだよ。 私がお前の変化を見逃すことなんてない」
「……そうか」
ダルシェナは気づいていた。
あの日、三人が二人になった日からチームの勢いが低下していることを。
それでも勝ち進めてきたのは、ディンの作戦と戦術でどうにかやってきたからだ。
だが、先日遂にその限界を見えてしまった。
たった一人の化け物を前にして、凡人による戦術なんてものは意味をなさないということを。
第十小隊としての限界地点が見えてしまった。
「あれ、違法酒なんだろ? 昔、故郷でその売買を取り締まった時に見たことがある」
「……そうだ。 俺は武芸者として最低のことをしている」
だからこそ、ディンは決して触れてはいけないものに手を伸ばしてしまった。
自分がすることが、あの時の誓いを汚すことになるかもしれないことも気づいている。
だが、それでもディンは誓いを叶えたかった。
「だが、それでも俺はっ!」
「ディン……」
ディンの叫ぶその姿は、今までダルシェナが見てきたディンの姿の中で一番弱々しく小さく見えた。
誰よりも隊のためを考えて戦ってきたディン。
そんな彼にダルシェナは助けられてきた。
だからこそ―――
「頼む。 今日のことは忘れてくれないか?」
――この場を見逃すことはできなかった。
「忘れることなんてできないよ」
――忘れることなんてできるはずがなかった。
「私達は仲間だ。 そうだろ、ディン」
ましてや、愛している人を見捨てることなど―――ダルシェナには到底できることではなかった。
「シェーナ?」
「私も罪を被ろう。 思いを背負おう。 誓いをたてた時のように」
ダルシェナには誇りがあった。
いつか故郷で立派な騎士になりたい、と。
しかし、ダルシェナはツェルニで友や仲間と出会ったことで新たな誓いができた。
その誓いは、誇りよりもダルシェナの中で尊きものとなっていた。
・ ・ ・ ・ ・
ダルシェナとディンと覚悟を決めたその日。
同じツェルニの夜の下でこんなやり取りが行われていた。
「はぁ、全くこんな奴らにいいように使われるなんてさー」
『それはお前のせいだ』
目の前に倒れ伏せた男達を前にして、自身の赤髪の頭をガリガリと掻く少年――ハイア・ライアは自身の迂闊さを仲間の念威操者にたしなめられていた。
ハイア達が受け持った仕事、それは多くの移動都市でも禁じられている違法酒ディジーの移送であった。
普段なら、ハイア達サリンバン教導団は受けることもないのだが、前の仕事をしくじったせいで資金難から目先の仕事に飛び付いてしまったからだ。
ゆえに事実を知り、契約料を頂いた段階で男達との付き合いは終了である。
彼らも用心棒として武芸者を揃えていたつもりだが、百戦錬磨の武芸者達がいるサリンバン教導団の敵ではなかった。
サリンバン教導団の長を務め、団員内でも屈指の実力であるハイアの手により、こうして打ち倒されてしまっている。
圧倒的なまでの力の差を見せつけられた武芸者達は、全く動かなくなった身体と朦朧とする意識の中でただ恐怖を覚えていた。
しかし、当の本人であるハイアは、サリンバン教導団NO.2であり、団全員の支援を行うことができる念威操者であるフェルマウスに呆れられてしまっていた
そんなフェルマウスの反応に対し、ハイアは頬を膨らませるという幼い仕草で誤魔化す。
「はぁー俺っちが迂闊だった、そう言いたいんだろう?」
『わかっているなら、もう少し自重をするべきだ』
「わかってるさー、それにこういうセコい仕事もこれっきりさー、どうやら俺っちにも運が回ってきたようだし」
『廃貴族のことか?』
こうして騙されて受けてしまった仕事であったが、唯一良かったといえば教導団が探し求めていた目標を見つけることができた。
廃貴族。
先代以前からも探してはいたが、まさかこんな場所で出会うことになるとは思っていなかった。
「日頃の行いがよかったのさー、しかも場所も学園都市、楽勝さー」
先日、このツェルニの調査隊が廃都市で探索を行った情報は既に得ている。
危機感のない学園都市なら、フェルマウスが念威を飛ばせば、その程度の情報を得ることは容易である。
最高にやり易い環境。
他の都市なら権力者や腕立ちの武芸者がいるため、これからハイア達が行うだろう行動の妨害をしてくるだろう。
上機嫌に口笛を鳴らすハイアの余裕の満ちた表情を見て、フェルマウスは苦言を飛ばす。
『ならば知っているか? この地にはグレンダンの剣が二本あることを』
グレンダンの剣――その言葉が指すことは、二人の武芸者のことを意味しており、この学園都市で廃貴族の情報を得た際に同時に耳に入った情報であった。
そして、彼らの噂はグレンダンの地に訪れたこともないハイアですら耳にはしていた。
「剣、ねぇ……元・天剣授受者と名家のボンボンのことだろ? 寧ろ丁度いい、土産が一つ増えるだけさー」
最年少天剣授受者と名門ルッケンスの子息。
誰もがその名を聞いた時には、感嘆の声や悲鳴を上げてしまうものだが、ハイアはたいしたことではないと言わんばかりに言葉を吐き捨てた。
だが、その表情に浮かぶ不満の色を消すことはできず、年齢相応の表情を見せたハイアに対し、フェルマウスは至って冷静に諭すように声をかける。
『油断をするなハイア。 相手は、歴代最年少で天剣を得たの天才と天剣に最も近い男だ。 サリンバン教導団団長であるお前でも一方だけで手に余る存在だ』
「それはこっちの台詞さフェルマウス。 戦ってもいないのに尻尾巻いて逃げるのは負け犬がすることさー」
フェルマウスの言葉を遮るのはハイアの自信に満ちた声である。
この荒れ果てた大地を転々とし、様々な戦場と死地を潜り抜けてきたハイアは間違いなく一流の武芸者であった。
その経験がハイアの自信へと繋がっていた。
そして、ハイアの言っていることは強ち間違いではなかった。
相手の強さだけを聞いて、戦おうとしない武芸者は既に武芸者ではない。
ただの臆病者である。
「俺達は猟犬。 牙の抜けたふぬけた狼と血統犬に負けるはずがないさ」
才能だけの人間に、何度も死線を潜り抜けてきた自分が負けるはずがない。
名家に生まれた人間に、泥水を被って生きてきた自分が負けるはずがない。
驕りとも油断とも取れる発言だが、ハイアにはその大言を吐くだけの力があり、その力はフェルマウスも認めている。
『そうか。 ならば、証明してみるといい』
「ん? へぇ……これは幸先がいいさ」
フェルマウスの言葉にハイアが振り返ると、そこには月光に照らされた剣士が一人。
自身の肌を刺すような圧倒的な存在感に、ハイアは思わず口元を釣り上げる。
レイフォン・アルセイフ。
グレンダンで名誉ある地位と最強の剣を授かり、そして全てを失い故郷を追われた者であった。
・・・・・
「動くな」
都市警察の仕事を受けて、密売者の後を追っていたレイフォンは血の臭いを嗅ぎ付けて、現場に急行する。
現場に辿り着き、そこにいた一人の若い男だった。
だが、その立ち振舞い、そして隙だらけに見えるが、一片の油断のないその姿にレイフォンはの鋭い声をかける。
レイフォンの言葉に釣られるように、振り返った男も腰の剣帯に差さった―――鋼鉄錬金鋼に手をかける。
男の持っていたのは、剣ではなく刀。
珍しく、そして苦い想いでのある武器に、レイフォンは油断なく青石錬金鋼を構えると、相手からは殺気と闘気が混じりあったソレが鼻の奥を刺激するように突き刺さる。
「そう言われると動きたくなるさー」
次の瞬間―――金属の弾けた音と火花が夜空に散る。
振るわれた刃の剣筋は互いに類似していた。
ただ両者の手に握られていたのは、剣と刀という大きな相違点が存在していた。
刀に振るわれた時の癖。
それらはレイフォンも覚えがあった。
内力系活剄の変化、旋剄。
青い剄を発したレイフォンの踏み込みからの一撃をかわすように、男は後方に下がりながら剄を溜める。
外力系衝剄の変化、渦剄。
体を回転させたハイアを起点に、衝剄がレイフォンに襲いかかる。
迫り来る衝剄の波をレイフォンは一振りで縦に切り裂くと、再び爆発的な加速でハイアに向かって斬り込む。
「ふっ!!」
「惜しいさ!!」
レイフォンに一撃はハイアの刀により防がれて、レイフォンはその場で、ハイアは弾き飛ばされて後方に滑りながら距離を取る。
再び攻めようとしたレイフォンに向かって、ハイアは刀を振るって牽制の衝剄が放つ。
足場であった建物の屋根の部分を削りながら迫り来る衝剄の刃に、レイフォンは横へと逃れるようにして回避すると剣を口にくわえて、空いた両手に剄を宿す。
外力系衝剄の変化、九乃。
両手から放たれた剄の弾丸はハイアに照準が向けられた。
迫りくる十の弾丸をハイアは、一発も当たることなく全て叩き落とした。
「はは、流石にいい動きさー、天剣授受者」
「っ! グレンダンの者か?」
ハイアの言葉に一瞬だけ動揺したレイフォンだったが、平静を装いながらハイアに視線を向ける。
「そ、厳密には俺っちは違うんだけど、サリンバン教導団って知っているか?」
「……グレンダンの名を広めたと言われる流浪の集団のことか?」
グレンダンは、元々から武芸の都市であり、都市のあり方もかわりはない。
だが、基本的に有能な武芸者は理由でもない限り都市の外へと出ることはない。
ゆえに、グレンダンは数ある武芸都市の一つという認識でしかなかったが、数十年前に数ある移動都市でその武を示し続けていた集団がいた。
それが、サリンバン教導団であり、グレンダンを武芸の最高峰の地として名を売ったのは彼らである。
「流浪、ね……まあ、確かにそうさー。 しかし、その実態は陛下の命の元ということは知らないだろう、天剣授受者」
「さっきから天剣授受者と言ってるけど、僕はもう天剣を持っていない」
「知っているさ。 天剣を手放した阿呆ってことくらい」
「……未練はないよ。 けど、お前ごときが語るほど軽くはない」
「はっ、噂通りのムカつくやつさ」
挑発を繰り返す男の表情は余裕に満ちてはいるが、常にこっちの動きに警戒し、そして反応すべくこちらを観察する。
その立ち振舞いに、レイフォンは頭の中にあった考えを確信した。
「……サイハーデン刀争術か」
「そうさ。 知らなかったのか? サリンバン教導団の前団長はお前の師父の兄弟弟子さー」
男から与えられた情報は、レイフォンには初耳だった。
そもそもサリンバン教導団の情報を、レイフォンは多く知っているわけではなかった。
前団長がサイハーデン刀争術の使い手するとなら、目の前の男は―――
「そう言えば名乗っていなかったさ。 俺の名前はハイア、サリンバン教導団団長を務め、アンタを倒す男さー」
男―――ハイアは不敵な眼差しを浮かべたまま、刃をこちらに向ける。
遠い地で二人の担い手はこの夜に出会ったのだった。