蓬莱山家に産まれた   作:お腹減った

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是故言悖而出者,亦悖而入;貨悖而入者,亦悖而出
知不知上;不知知病。夫唯病病,是以不病。聖人不病,以其病病,是以不病


老子道德經 二十章

『絕學無憂,唯之與阿,相去幾何。善之與惡,相去若何。人之所畏,不可不畏。荒兮其未央哉。衆人熙熙,如享太牢,如春登臺。我獨怕兮其未兆;如嬰兒之未孩;儽儽兮若無所歸。衆人皆有餘,而我獨若遺。我愚人之心也哉。沌沌兮,俗人昭昭,我獨若昏。俗人察察,我獨悶悶。澹兮其若海,飂兮若無止,衆人皆有以,而我獨頑似鄙。我獨異於人,而貴食母。』

 

「神農、虞、夏忽焉沒兮,我安適歸矣。于嗟徂兮,命之衰矣」

 

狂えば天才。吠えればカリスマ。死んだら神様。何もしなけりゃ生き仏。

論語・陽貨第十七

『子貢曰。君子亦有惡乎。子曰。有惡。惡称人之惡者。惡居下流而訕上者。惡勇而無禮者。惡果敢而窒者。曰。賜也亦有惡乎。惡徼以爲知者。惡不孫以爲勇者。惡訐以爲直者。』

新約聖書・使徒行伝 第17章30節

『神は、このような無知の時代を、これまでは見過ごしにされていたが、今はどこにおる人でも、みな悔い改めなければならないことを命じておられる。』

新約聖書・コロサイ人への手紙 第2章8節

『あなたがたは、むなしいだましごとの哲学で、人のとりこにされないように、気をつけなさい。それはキリストに従わず、世のもろもろの霊力に従う人間の言伝えに基くものにすぎない。』

 

「る~こと。お前に言っておきたいコトがある」

「なんでしょう」

「実は日本人ってイスラム教徒なんだよ」

 

クルアーン 第2章256節

『宗教には強制があってはならない。正に正しい道は迷誤から明らかに〝分別〟されている。それで邪神を退けてアッラーを信仰する者は、決して壊れることのない、堅固な取っ手を握った者である。アッラーは全聴にして全知であられる。』

クルアーン 第109章6節

『あなたがたには、あなたがたの宗教があり、わたしには、わたしの宗教があるのである。』

 

「宗教・聖典と同じコトをぬかすなんて、日本人って面白いなあ」

「断章取義は、舞文弄法は褒められたものではありませんよ」

「全くだ。輪廻転生、憑依、錬金術、魔法、神などの存在を使い、おんぶにだっこするヤツもな」

 

クルアーン 9章6節

『もし多神教徒の中に、あなたに保護を求める者があれば保護し、アッラーの御言葉を聞かせ、その後かれを安全な所に送れ。これはかれらが、知識のない民のためである。』

他人に押し付けるなっていう思想自体は、古代中国・古代ギリシア・古代インドにもあった。もちろん言い方や論理や思想、どういう事柄についてかなどの違いはあったが。しかしながら聖典とされるクルアーンから引用したけど、イスラーム教徒がソレを守っているかどうかなんてどうでもいいんだよ。肝心なのは、宗教と同じコトを言っているところだ。

クルアーンだけでなく、紀元前から続く宗教の聖典を読めば読むほどそう思わずにはいられないよ。どう考えても日本人は無宗教ではない。そのくせ倫理・思想・法・宗教観・論理をムダに垂れ流すクソ民族だし、まったく笑えない冗談だ。無自覚な分、質が悪い。宗教と宗教家をバカにしたり、非難したりは出来ねえな。

老子道德經 三十八章

『上德不德,是以有德;下德不失德,是以無德。上德無為而無以為;下德為之而有以為。上仁為之而無以為;上義為之而有以為。上禮為之而莫之應,則攘臂而扔之。故失道而後德,失德而後仁,失仁而後義,失義而後禮。夫禮者,忠信之薄,而亂之首。前識者,道之華,而愚之始。是以大丈夫處其厚,不居其薄;處其實,不居其華。故去彼取此。』

 

「大体、鬼の頭に角があるのは当たり前と言われているが、その設定も後世の――」

「全ての鬼はお酒が大好きですよね」

「……ソレを本気で言っているなら、傑作だな」

「そうですか。それより輪ゴムの話しましょうよ」

「話変えすぎだろ」

 

車輪の再発明じゃないが、初めて観たモノ、というのは印象に残りやすい。場合によってはソレを最初に出来たモノと勘違いする時もある。コレは無知と自惚れと見聞のなさ故に思い込むのが原因だ。とはいえ、ソレを悪いコトと言うつもりはない。元々は知ってか知らでかだったのに、いつの間にか知ってか知らずかになった。御伽話の意味も昔と変わっている。性善説と性悪説なんか元々の意味とは全く違う解釈をされている時だってある。コレを妨げるコトなど出来やしない。

ただ、例えば赤蛮奇のスペルカード・ヘルズレイみたいに、あるキャラの目からビームを出すなんて設定があるけど、その設定はもうインド神話にあり、イスラーム教、古代ギリシアでも論じられていた。その設定を使う経緯が、知ってか知らずかは置いておくとしても、真の意味でオリジナルじゃなかったのだ。どう言い繕っても、ソレは2番煎じ。また、言葉も文字も倫理も思想も価値観も、自分が生み出したものではない。

 

「ともあれ、××様へお伝えしたいことがあります」

 

さっきは気を利かしてくれて話に乗ってきてくれたが、従者はこの話が終わったと判断したらしく、わざわざ話題を逸らして聞きたくないコトから現実逃避してたのに、セクサロイドとはいえ心も人間と同じにしているハズの彼女は、一方的で機械的ながらも、事務的に突きつけて来た。

論語・憲問第十四

『子路問事君。子曰、勿欺也、而犯之。』

 

「神綺様がまた魔界を消滅しました」

「……うん。アレでも魔界の女神だから彗氾画塗だろうな」

「男見るなら7年一度、諏訪の木落し坂落しと言いますが、地獄や冥界にまで被害が及んでます」

「そうなんだ、すごいね」

 

孔子は『子曰、巍巍乎、舜禹之有天下也、而不與焉。』と言ったのだ。和羹塩梅という言葉もある。だから有能なモノに任せよう。諏訪国にいるモノは多士済済なんだから、オレがするよりはいい。実際にソレをやって乗っ取られた国もあるが。やっぱり儒学者たるもの、王道楽土を目指すべきだ。だが中通外直は出来なさそう。

セクサロイドであり××神話の従者でもある彼女、る~ことの言葉を空返事で返しつつ、家畜化した虫を鑑賞する。今はもそもそと桑の葉を食しているけど、なにを隠そうその虫とはあのカイコである。虫とは得も言われぬ存在ではあるが、コレはずっと眺めていたい生き物だ。ただじっと観ているだけなのに、なんだか世界が平和になりそうな気がする。地平天成はココにあったんだ。

……でも、おかしいよな。今の季節は冬なのに、なんで元気に動きモリモリ食べているんだろう。普通、虫って冬眠とかするモノじゃないのか。実は冬じゃない、なんて事はないだろう。昨日は雪が降ってたから間違いない。異常気象ではないし、冬以外は基本的に寝ている雪女のレティと昨日会った。

 

「池魚籠鳥。神が鄒魯遺風を守るのも大変だなあ。上善如水に生きられたらいいんだが」

「墨名儒行もほどほどになさってください」

「出来ないんだな、それが。名儒になりたいワケではないし、木石も困るけど」

 

亡八だったら好き勝手に動けて楽なんだが。仁・義・礼・智・信・忠・孝・悌の八徳を出来るモノがいるなら大したもんだ。しかしオレは曲り形にも××神話の神の一柱で、元とはいえ至上神(最高神)。いくら釈迦と孔子の教えでも、神である以上、絶対にしてはいけないモノもある。

乃公居馬上而得之,安事詩書。居馬上得之,寧可以馬上治之乎。

 

部屋の隅にいるメイド服を着た従者は、本来なら夢月と幻月、もしくはユウゲンマガンやくるみの生活をサポートするだけの存在で、跖狗吠尭である。その彼女がなぜここにいるのかというと、さっき言ってたけど魔界で問題が起きたらしい。しかも原因が神綺。見た感じは普段通りみたいで、まるで大噴火でも起きたかのような全体を揺るがす天変地異が起こり、何気ない動作で大地が割れ天が裂け、最後には魔界が崩壊したというか、氷が解けていくように消えたと聞かされた。

だから神綺がまた魔界を創り直しているらしいが、そもそもなんでそんなコトになったのかを聞くと、神綺が永琳のようにオレと一緒にいたいから、などとる~ことに言われて目が点になった。信じがたい話だ。あれだけ繰り返し、来来世世してきたのに、今更、寂しがるようなコトは起きないハズ。

 

「世皆無常,會必有離。愛別離苦、是故会者定離」

 

気を紛らわせるためにカイコを眺めていたら、今も無言のまま、どことなく威圧感を背に受けている。そこまで繊細な性格ではないとはいえ、気が散るじゃないか。早くしろ早くしろという言霊が、オレの脳を侵食し始めて来た。集中力がここまでないとは自分に失望した。無視し続けていたが、いるにしてもせめて傍観、もしくは空気のようなモノになって欲しいモノである。ムダと知りつつも頼んでみよう。

 

「……あのさ、無言の圧力をやめてくれないか」

「私のことはダッチワイフとでも思っていただけたら」

「ムリに決まってるだろ!」

 

顔を観る気も関わる気もなかったが、る~ことの返答に思わずツッコミして振り向くと、従者は無表情を気取っているが、どこか悽愴流涕のようなモノを感じ取った。いや……きっと気のせいだろう。しかしなんだか圧延されている気分。

新しい桑の葉を与えつつ彼女の話を聞き流していたが、アレなんだっけ。あ、ミヤイリガイだったな。そろそろリグルを使って地方病でも流行らすか。蚊も使おう。そうなると彼女に会わねばならんのだが、今は神綺に預けたまま。今は復元しているみたいだけど、もし魔界に行ったら、アイツは大丈夫大丈夫と言いながら引き止め、そのままずるずると永住させられる破目になるのは必至。待て、これはる~ことの巧妙な罠だ。人間がなーっ、バッタをなーっ、ゆるさーん。

ただ、あの世界は神綺がいるからこそ成り立っているというか、神綺そのモノが反映されていると言っていい。だからきっと、娘のアリスに会えないから寂しさが募って魔界が崩壊したんだろう。いつも面倒事は神綺か冥界にいるサリエルに放り投げているのだが、二柱とも色々堪っているのかな。

……って、もしそうならオレのせいになるじゃん! こんなコト姉さんに知られたらマズいぞ。や、やっぱり話だけでもきいておこう。

 

「御付きのメイドの夢子はなにをしている。こういう時の彼女だろ。神綺を諫めてないのか」

「魔界が消滅した時も、夢子様は普段通りに、神綺様のお世話に力を尽くしておられます」

「流石に萃香がしたコトまで要求する気はないけど、無反応も困るな……」

 

だからオレの元へ来たんだろうが、この前の青娥と純狐の件でてんやわんやだったのだ。これ以上はオレのキャパシティだともたない。だからサリエルか永琳に頼めばいいのではないかとセクサロイドに聞いてみたが、忙しいらしい。そこで、虫を眺めてヒマそうにしてたから頼んでるようだ。

子曰、天生徳於予、桓魋其如予何。そういえばオレ蓬莱の薬をまだ飲んでないから不死になってないな。てかへカーティアと純狐を××神話に降したあの時、抱き着いてきた神綺を振り切るために魔方陣でムリに帰ってきたし、そもそも前の世界でオレ殺された……んだよな。何度も思い出そうとしてみたが、往事渺茫だ。どういうワケか肝心な記憶だけが抜け落ちている。判んないなら考えるのを放棄して、カイコを観ている方が有意義だ。無求備於一人と言われるかもしれないが、永琳に任せておけば大抵のコトは何とかなる。

 

これ以上は無駄だと悟ったのか、それとも同じコトを延々と言い続けて気が滅入ったのかは不明だが、彼女はなんの脈絡もなく強引ながらも、話題を変えて来た。

 

「曾母投杼と言い、耳を疑う話でも繰り返せばソレを信じます。ソレが母であろうとも」

「そうだな。実はオレが女好きではないって何度も言えば氏子と妻たちも鵜呑みにするだろう」

「ソレはありえません。失笑、あるいは噴飯されるだけです」

 

今の発言は流石に看過できなかったらしく、即座にありえないと言われ、ウソだと看破された。そりゃあオレは女が大好きだし、コレからも娶るし、諏訪国で侍らせるけど、仮にも××神話の従者として創られたハズなのに、否定しながら鼻で笑われたよ。しかしオレがどういう女性を好きなのかを熟知している永琳がる~ことの容姿や肉体を創っているから、別段イヤな気はしないが。

哀公問社於宰我。宰我對曰、夏后氏以松、殷人以柏、周人以栗。曰、使民戰栗也。子聞之曰、成事不説、遂事不諌、既徃不咎。

 

新約聖書・ローマ人への手紙 第1章14節

『わたしには、ギリシヤ人にも未開の人にも、賢い者にも無知な者にも、果すべき責任がある。』

第1章15節

『そこで、わたしとしての切なる願いは、ローマにいるあなたがたにも、福音を宣べ伝えることなのである。』

第1章16節

『わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力である。』

新約聖書・使徒行伝 第17章11節

『ここにいるユダヤ人はテサロニケの者たちよりも素直であって、心から教を受けいれ、果してそのとおりかどうかを知ろうとして、日々聖書を調べていた。』

第17章12節

『そういうわけで、彼らのうちの多くの者が信者になった。また、ギリシヤの貴婦人や男子で信じた者も、少なくなかった。』

 

和光同塵、大慈大悲(上求菩提下化衆生)と言いますが、瞿曇(釈尊)存命時に、吉離舍瞿曇弥という女性がいましたね」

「造言蜚語。釈迦は元々ああいうモノ、人を助けるだ救うだと言っている方がおかしいのだ」

「はい。しかし世界は循環して来ましたが、また回帰する必要はあると思いますか」

 

釈迦の話からいきなり飛躍して世界について聞いて来た。流石のオレでも唐突過ぎて面食らいかけたが、きっと意味があるんだろうと、楽観的になって深くは考えずにそのまま受け答える。

日本神話もそうだが、各国の神話って、論理の飛躍が凄く多いんだけど、オレはソレを当たり前と思っているから、すでに手遅れだ。そういうモノだと考えてないモノからすれば、思考停止と言われるかもしれないが、なぜ神話に疑問を抱くのかがオレには理解できない。もう戻れないだろう。

 

新約聖書・使徒行伝 第17章18節

『また、エピクロス派やストア派の哲学者数人も、パウロと議論を戦わせていたが、その中のある者たちが言った、"このおしゃべりは、いったい、何を言おうとしているのか。"また、ほかの者たちは、"あれは、異国の神々を伝えようとしているらしい"と言った。パウロが、イエスと復活とを、宣べ伝えていたからであった。』

第17章19節~20節

『そこで、彼らはパウロをアレオパゴスの評議所に連れて行って、"君の語っている新しい教がどんなものか、知らせてもらえまいか。 君がなんだか珍らしいことをわれわれに聞かせているので、それがなんの事なのか知りたいと思うのだ"と言った。』

第17章22節

『そこでパウロ(ユダヤ人)は、アレオパゴスの評議所のまん中に立って言った。"アテネの人(ギリシア人)たちよ、あなたがたは、あらゆる点において、すこぶる宗教心に富んでおられると、わたしは見ている。"』

第17章23節

『実は、わたしが道を通りながら、あなたがたの拝むいろいろなものを、よく見ているうちに、〝知られない神に〟と刻まれた祭壇もあるのに気がついた。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるものを、いま知らせてあげよう。』

 

「どうだろうか。ただ、エジプト神話・インド神話・マヤ神話(アステカ神話)オルペウス教(ピュタゴラス教団)ならまだしも、あの日本神話はそういう神話ではない」

 

古代中国の兵家・孫子は『故能而示之不能。』と言い、道家・老子は『國之利器、不可以示人。』と言ったが、今も佇んでいるであろうセクサロイドは、この話をしていったいなにを伝えたいのか判らない。多分、そこまで深い意味はないのだろう。あったとしても、老子が道教の〝道〟について説明できなかったコトと同じかな。

オレはエピクロス派やストア派ではなくキュレネ学派だが、テーブルの上に置かれている、書物の表紙を一瞥し、少し埃を被って薄汚れていたので右手で払う。このセクサロイド、何を考えているのか不明だが帰る気はないらしい。これ以上は平行線になるだけだし、そもそもオレは今というか、普段からヒマだろと言われたら実際その通りなので、ここは話に付き合うことにしよう。時間だけは無限にあるんだ。

老子道德經 三十三章

『知人者智,自知者明。勝人者有力,自勝者強。知足者富。強行者有志。不失其所者久。死而不亡者壽(・・・・・・)。』

 

「主に()われて、今もどこかで生きている猶太人(ユダヤ人)・アハシェロスは、イエス(ハ・マシアク)が帰るまで永遠に、否応なく彷徨う。それに回帰してきたが、永琳にとって須要な意味があるかどうか」

 

コーラン 第4章46節

『ユダヤ人のある者は〝啓典の〟字句の位置を変えて、「わたしたちは聞いた、だが従わない。」と言い、また「あなたがたは、聞かされないことを聞け。」またはその舌をゆがめて〝ラーイナー〟と言い、また宗教を中傷する。だがかれらがもし、「わたしたちは聞きます、そして従います。」、「謹聴せよ。」、また〝ウンズルナー〟と言うならば、かれらのために最もよく、また最も正しい。だがアッラーはかれら(ユダヤ人)が不信心なために、見はなされた。それでも僅かの者しか信仰しない。』

 

「...これは異な事を。神綺様、サリエル様、八意様の御三方にとっては意味があったのでしょう。だからこそ御身――××様がここにおります。吉離舍瞿曇弥の話とは違って」

 

セクサロイドが言ったのは比喩か婉曲なのだろうか。正直、なにを言いたいのかよく判らなくて、オレの読解力・理解力が無いだけなのかは定かではない。直截簡明に言ってくれたら助かるけど、なによりも永琳に創られたる~ことの伝えたいコトを汲み取れないなんて、おいは恥ずかしか! と思ったら、よくよく考えるとインド神話が実際に起きたワケだし、それを照らし合わせて観た場合、仏教の開祖・釈迦がただの人間ではなく神の血を引く人間、つまり神裔になる。

インドには聖仙の子孫とか普通にいるし、古代インドのカースト、ゴートラという意味で照合した場合、釈迦ってただの人間じゃなく神裔なのだ。だから神話が起き、かつ血が絶えていないなら、天皇たちと同じ神裔になるだろう。大体、人類の始祖とされ、神の血を引いているマヌがいる時点で、古代インド人は。

 

「この世界は死生有命、富貴在天だ。各国の神話が起きた以上、四海兄弟ではないが」

「知らなければ求める事はなかったでしょう。都合のいい部分だけを真実だと信じられますから」

「そりゃ、お前……」

 

小泉八雲の著作『蓬莱』の記述にはこうある。

『当時のその場所(蓬莱)チャイナ(秦王朝)の書物では、多くがこのように語る――

蓬莱では死も苦痛も無く冬も無い。花はその場所では決して萎れず、果物は決して衰えず、人がその果物を一度でも味わいさえすれば、二度と渇きや飢えを感じない。蓬莱では大した有害な知識はなく、人々の心が決して老いることは無い。心がいつまでも若い理由は、蓬莱の人々は生まれてから死ぬまで微笑んでいるからだ──神々が彼らの間に悲しみを送る時を例外とし、悲しみが去るまで顔にベールを掛ける。蓬莱の全ての民族は皆がひとつの家族の一員であるように、お互いに愛し合い信頼している。』

老子道德經 八十一章

『信言不美,美言不信。善者不辯,辯者不善。知者不博,博者不知。聖人不積,既以為人己愈有,既以與人己愈多。天之道,利而不害;聖人之道,為而不爭。』

 

「××様......蓬莱山様」

 

口を噤む。妻のダレカが、妹の輝夜を蓬莱山で呼んだコトも、呼ばれているところも観たコトはないし、オレはいつも弘天か××でしか呼ばれなかったから、ダレのコトを言っているのか須臾ほど理解が遅れた。

空海は『三教指帰(聾瞽指帰)』で儒教・道教・仏教の三教を語っていたが、そうだ。すっかり忘れていたとはいえ、オレは仙人が住むとされている蓬莱山なんだ。そして実妹の輝夜も……。

 

小泉八雲・著作『蓬莱』

『青い光景は高くなるほど深みを無くし──海と空(・・・)は輝く靄もやを通して混じりあう。その日は春、時は朝。ただ空と海(・・・)だけ──一面に広がる空色……前方では細波さざなみが銀白色の光線を捕まえて泡の糸を渦うずにする。』

『蓬莱の大気である。この大気は我々人類の時代ではなく、窒素と酸素の混合物ではない。それは全く空気では無く、想念──百万兆の百万兆倍の世代の魂がひとつの巨大な半透明の中に融合した実体──によって形成され、人々の魂の思考方法が我々のそれとは全く異なる。たとえ死すべき人の身であっても、その大気を吸い込めば、この精神の高鳴る鼓動を血液の中に取り込み、内面から感覚を変え──空間と時間の概念を再構成し(・・・・・・・・・・・・・)──それによって、かつて彼らが見たのと同じだけの物が見え、かつて彼らが感じたのと同じだけの物を感じ、かつて彼らが考えたのと同じだけの物を考えられるようになる。』

 

そういえばオレ、天界へ行った時に妹の輝夜の須臾を操る能力とか、諏訪国や宇宙で純狐と相対した時、咲夜の時間を操る能力を使ったが、時間に関する能力は効いたためしがない。普通に動けたし、なんでだろうと思ってもあんまり考えないように頭の隅へ追いやってた。でもやっぱりソレが理由なのか。それに、西行妖は妖気があるからまだ判るが、今の季節は冬なのに、神社の裏にあるウメと桜が今も咲き続けている。一年中ずっとだ。散るコトもなかったし、ましてや枯れたところを今まで観たコトがない。そして蓬莱山は地上だけではなく海底にあるモノと言われていたが、かつての浦島太郎は竜宮城に行き、その庭では四季が観られた。

うつりゆく雲に嵐の声すなり散るかまさきのかづらきの山。そもそも今って本当に冬なのか。吐いた息は白く、気温は低いし、昨日も雪が降った。でも虫は冬眠していない。本来咲き続けないモノも依然として咲き乱れている。今観たら積もった雪の上に花びらが落ちて風景を彩ってるだろう。だが本当に……今は冬なのか。

菅家文草・臘月独興

『欲尽寒光休幾処、将来暖気宿誰家、氷封水面聞無浪、雪点林頭見有花、可恨未知励学業、書斎窓下過年華。』

 

「××様はΖΕΥΣ(ゼウス)神でありיהוה(ヤハウェ)神です。しかし......御身が蓬莱である事も忘れないでください」

「潜移暗化……言われてみたらオレって蓬莱山でもあったな。最近は抜け落ちてたよ」

「不完全な記憶しかないのは御辛いでしょう。心中お察しします」

「取天下常以無事,及其有事,不足以取天下」

 

旧約聖書・サムエル記下 第12章24節

『ダビデは妻バテシバを慰め、彼女の所にはいって、彼女と共に寝たので、彼女は男の子を産んだ。ダビデはその名をソロモンと名づけた。主はこれを愛された。』

旧約聖書・列王紀上 第3章3節

『ソロモンは主を愛し、父ダビデの定めに歩んだが、ただ彼は高き所で犠牲をささげ、香をたいた。』

旧約聖書・歴代志下 第9章8節

『あなたの神、主はほむべきかな。主はあなたを喜び、あなたをその位につかせ、あなたの神、主のために王とされました。あなたの神はイスラエルを愛して、とこしえにこれを堅くするために、あなたをその王とされ、公道と正義を行われるのです。』

第20章6節

『言った、"われわれの先祖の神、主よ、あなたは天にいます神ではありませんか。異邦人のすべての国を治められるではありませんか。あなたの手には力があり、勢いがあって、あなたに逆らいうる者はありません。"』

第20章7節

『われわれの神よ、あなたはこの国の民をあなたの民イスラエルの前から追い払って、あなたの友アブラハムの子孫に、これを永遠に与えられたではありませんか。』

 

「しかしまだ記憶が戻らないって、まるでインド神話のドゥフシャンタ王の気分だよ」

「そうですね。指輪は......ありませんが」

「オレのはないが、他のモノの指輪(記憶)はあるじゃないか。なにせ××が――」

 

記憶、と言えば、神奈子の記憶はる~ことが預かっているハズ。確か永琳がそう言ってた。本来なら××が預かっているのに今回は違うらしい。その理由についてアレコレ考えても皆目見当がつかない。オレの頭では知恵熱が出てムリだった。

だから従者に妻たちの、特に神奈子について切り出そうとしたその時――光芒一閃、雪崩でも起きたかのような音が耳に入る。

何事かと思って観たが、なんの変哲も無い障子が、ただそこにあるだけだった。開けたら境内というか神社の庭があるだけだ。でも騏驥過隙とはいえどさどさと聞こえたし、音から判断するに、何かが落ちる音のハズ。音の正体を思案したが、恐らく神社の屋根に積もっていた雪が解けて地面へと落下したのだろう。従者に記憶のコトを聞こうとしたのだが、興が醒めたな。恐らくコレは外へ行けと言う天啓。

嗚呼、もう少しカイコを眺めていたかったが行くか。庭を観るためおもむろに立ち上がって障子を開けると、外は雪が一面に降り積もり白銀の世界になっていた。昨日は霏霏していたとはいえ、まだ解けてないらしい。勁雪はいい。観たくないモノを覆ってくれるから。観えないだけでちゃんとソコにはあるし、いつかは顔を見せるが。

そういえば、鬼女であるヤマメとパルスィ、紅葉たちと坂田ネムノを引き込んだのも冬だったな。レティが諏訪国へ来たのもこの季節だ。感慨深いモノがある。彼女も憶えてるのかな。

 

「よい季節ですね。先程、諏訪湖も見て来ましたが塩梅もそこそこ。御神渡りでもなされますか」

「どうせするなら諏訪子の方が適任だろう」

「ソレで神綺様の件ですが」

「判った判った。明日か明後日にアリスを説得して連れていくから」

「ありがとうございます。違えず履行してくださいね」

「あ、当たり前じゃないか」

 

ループをかちぬくぞ! ただまあ打つ手はないです。

本来は平安時代で終わる気でいたが、どの道、このままいつも通りに行くと、神裔は戦国時代で終わる。あの天皇も例外ではない。オレがソレをしなくても、明治時代の時点でもはや日本・日本人ではなくなっているのだから、どうでもいいコトさ。とっくの昔に終わってるんだ。

一念万年とは言うが、他のモノも含めて何度も何度も回帰しているのは、智慧(忘却)の女神・永琳が全ての原因ではなく、蓬莱のオレにも一因はあるとはいえ、やめる意味なんて現状で言えばないんだ。延々と世界を巡り続けて来たとはいえ、今が苦痛かと聞かれたらそうでもない。

なぜならば、オレと実妹の輝夜は、あの〝蓬莱〟なのだから。

オレ達の現状は、まさにギリシア神話のティテュオスやアトラースと言っていいだろう。しかしループ世界を抜け出したいワケでもないし、オレは二回死んだが、既に死ぬ運命から逃れているので、このまま繰り返しても特に不都合はない。ダレカを助けるコトもないし、やり直したいワケでもなければ、未だに飽きてすらいない。だからやるコトと言ったら、女を侍らすくらい……かな。とはいえオレたちはそうであっても、昔なんかのホラー映画で、運命にさらえってな! というのがあったように、他のモノがそうとは限らないけど、そこまで気にしなくてもいいだろうな。その理由は色々あり、数々の美女を娶ってきたが、忘却しているモノが大半だし、そこまで問題視する必要はない。少なくとも今は。

バケモンにはバケモンをぶつけるように、ループにはループをぶつけんだよ!

 

旧約聖書・ミカ書 第6章8節

『人よ、彼はさきによい事のなんであるかをあなたに告げられた。主のあなたに求められることは、ただ公義をおこない、いつくしみを愛し、へりくだってあなたの神と共に歩むことではないか。』

第7章18節

『だれかあなたのように不義をゆるし、その嗣業の残れる者のためにとがを見過ごされる神があろうか。神はいつくしみを喜ばれるので、その怒りをながく保たず』

第7章19節

『再びわれわれをあわれみ、われわれの不義を足で踏みつけられる。あなたはわれわれのもろもろの罪を海の深みに投げ入れ』

第7章20節

『昔からわれわれの先祖たちに誓われたように、真実をヤコブに示し、いつくしみをアブラハムに示される。』

 

「ところで××様。倒れてます、天人が」

「見なかったことにしよう」

「いけません」

 

従者なのにオレの言葉を聞き入れず、ちゃんと沓脱ぎ石に履物が置いてあるというのに、はだしのまま自然と天人で出来たオブジェへと向かった。お天道様が出て多少は暖かいとはいえ、セクサロイドなのは知ってるが、アイツ寒冷を感じたいのか。へカーティアみたいにファッションというコトだろう。いや、自分で言っておいてアレだがソレはない。

つられて行ってしまいそうになる。行くべきなのかな。でもあの服どう観ても天子だ。この状況になった経緯とか意味とかはまだ判んないが、このオレがボケてない限り、あんな印象に残りやすいモノを見間違うワケがない。ココからじゃ、彼女の腕とか足とかが雪に埋もれててよく見えないが、間違いない。流石にあんな場所で寝ているワケないが、かといって天人は丈夫だし死んではいないだろう。多分。なんでココにいるんだ。天竺にいる魔女のミスティア・ローレライを連れて来るハズだったが、まさか仕遂げたのか。

ここは鬼女に聞いてみた方が早いか。普段、諏訪国にいる鬼は酒を飲むか、飯を食うか、宴会をするか、建築をするかだ。ネムノは一人でいるコトが多く、ヤマメは妖怪の山へと引きこもってて、パルスィは天魔と神子の相手をし、華扇は青娥から仙術を学んで修行しており、たまに勇儀とかは永琳の河童やオレの天狗を顎で使う時もあるが、萃香はいつも霧になってこの国全体にいるから、今回の一部始終を観てたかもしれん。

 

「お前なにか知ってるか」

「ん? んー」

 

観えないが気配はする鬼女へ話しかける。彼女は一度聞き返してきたら、すぐに自分が聞かれてると理解したようで、霧から人型へとなったら、金田一耕助の石坂浩二ほどではないが、右手で頭を掻いて目線を逸らす。いつもはハッキリと答えるのに、今日は珍しく歯切れが悪かった。そういえばさっき雪崩みたいなけたたましい音を耳にしている。てっきり屋根の雪が落ちただけだろうと考えていたが、もしや先程の原因はこの鬼女で、あの天子に何かしたのではないか。

一刻お互い無言だったが、沈黙に耐え切れなかったらしく、萃香は観念して白状した。

論語・衛靈公第十五

『子曰、君子求諸己。小人求諸人。』

 

「......昔みたいに天界の一部を貸してくれないかねぇ、って聞いたんだよ。だけどそんな事駄目に決まってるでしょって言うから、記憶の確認もできたし、では力ずくでという流れに」

 

「お前……記憶があるなら天子はダレの娘か憶えてるよな」

「当然。白蓮たちと同じだ。それで天界へ行く時もあるから私がいなくてもしゃんとしなよ」

「自由だなあ」

 

幼妻はなにがあったかを明るみに出す。しかし罪の意識はないのかケロッとしている。悪びれもせず、鬼らしさを突き抜けているのは観ていて気持ちがよかったが、言いたいコトは全て言い終えたのかまた霧へと戻った。

論語・公冶長第五

『子貢曰、夫子之文章、可得而聞也。夫子之言性與天道、不可得而聞也。』

ああ、鬼と言えば、上記で子貢が述べたコトと似たように、どういうワケなのか、孔子は神様のような存在や霊的存在を語らなかったと言われているが、そんなコトはない。むしろそういうモノを否定せずに認めている。

八佾第三

『祭如在、祭神如神在。子曰、吾不與祭、如不祭。』

『王孫賈問曰。與其媚於奧。寧媚於竈。何謂也。子曰。不然。獲罪於天。無所禱也。』

『季氏旅於泰山。子謂冉有曰。女弗能救與。對曰。不能。子曰。嗚呼。曾謂泰山不如林放乎。』

雍也第六

『子謂仲弓曰、犂牛之子、騂且角、雖欲勿用、山川其舍諸。』

述而第七

『子疾病、子路請祷、子曰、有諸、子路對曰、有之、誄曰、祷爾于上下神祇、子曰、丘之祷之久矣。』

例えで神様を出している場合もあるし、今挙げたモノ以外でも霊魂と神様のコトを語る記述が他にもあるけど、怪力乱神を語らずという言葉が独り歩きしているだけだろう。この言葉は勇儀を想起するが、カレが怪力乱神と言ったからと解釈してるモノは論語を読まず、そのことわざだけを観て言っているだけじゃないのかな。ただ孔子の場合は、神様を使って道徳・倫理・思想・価値観などを説かなかっただけで、無宗教者でも無神論者でもないんだなそれが。ホントに困るんだよ。そういういい加減で自分勝手な妄想に、しかも全て読まずに閲読もせず、根拠がないのに妄言を垂れ流されると、鬼や魔女や神様みたいに元々の設定が変わるだろクソ野郎。なにも儒教の聖典全てを読めという気はないが、せめて論語くらいは一から十まで観てから言うべきだろう。

学而第一

『曾子曰、吾日三省吾身、爲人謀而忠乎、與朋友交言而不信乎、傳不習乎。』

ただ学而第一のように、知ったかぶるなとか、知りもせず・ちゃんと調べもせずにいい加減なコトを言うなってのは、もう紀元前から言われているコトで、コレ以外でも似た記述が論語にはあり、言い訳するなっていう記述もある。

所詮、平成時代のモノが紀元前の人間と同じコトを言った時点で二番煎じだ。どれだけ綺麗に述べても、どれだけ論理を組み立てても、その言葉・思想・倫理・論理・宗教観に重みはなく、紀元前の泰山北斗な先人が旗幟した、後追いの禹行舜趨でしかない。ソレは全て一将万骨だ。

老子道德經 十八章

『大道廢,有仁義;智慧出,有大偽;六親不和,有孝慈;國家昏亂,有忠臣。』

 

「だが許可を得たのか。天界はオレじゃなくてサリエルの管轄だし、後で嫌味を言われるぞ」

「うんにゃ、仮にも弘は天帝()だよね。天界にいる天使や神々くらい黙らせといてよ」

「胡孫入袋は煩累だが詮方ない。その代りに今度、勇儀と華扇の寝込みを襲って犯すから手伝え」

「んー......いいよ。でもそっかー、もうその時期なんだね。ヤマメと坂田ネムノはどうするの」

「愚問だな。オレは弘天だぞ。全員とセックスするに決まっている。美人であれば例外はない」

「パルスィも忘れちゃダメだよ」

「そ……そうだな」

 

論語・陽貨第十七

『孔子曰、恭寛信敏恵。恭則不侮、寛則得衆、信則人任焉、敏則有功、惠則足以使人。』

大統領のように働き、王様のように遊ぶのは御免被るが、常に国を監視している萃香が言うには、どうも天子が白龍に乗ってこの国へと来たみたいだ。というコトは魔女や吸血鬼を諏訪国へと引き込むという大役を果たし終えたのだろう。それでこの神社へと来たのはいいが、妻の鬼女に絡まれてしまったらしい。鬼ころしを飲んで酔っ払い、絡み酒になったのか、などとバカなコトを思考してすぐにやめる。よくよく考えなくても彼女は普段からこうだったし今更であった。

ただ、役目を終えたのは理解したが、辺りを見渡しても魔女のミスティア・ローレライがいない。彼女を魔法の森にいる魔女たちへと引き渡してから来たのかな。ならなにも言うコトはない。オレの目的は女を集めて侍らすコトだけなんだ。それ以上の意味はあるように観えて実際は特にない。ウソだが。

 

新約聖書・ローマ人への手紙 第9章24節

『神は、このあわれみの器として、またわたしたちをも、ユダヤ人の中からだけではなく、異邦人の中からも召されたのである。』

第9章25節~26節

『それは、ホセアの書でも言われているとおりである、"わたしは、わたしの民でない者を、わたしの民と呼び、愛されなかった者を、愛される者と呼ぶであろう。 あなたがたはわたしの民ではないと、彼らに言ったその場所で、彼らは生ける神の子らであると、呼ばれるであろう。"』

旧約聖書・ホセア書 第1章10節

『しかしイスラエルの人々の数は海の砂のように量ることも、数えることもできないほどになって、さきに彼らが"あなたがたは、わたしの民ではない"と言われたその所で、"あなたがたは生ける神の子である"と言われるようになる。』

第2章23節

わたし(ヤハウェ)はわたしのために彼を地にまき、あわれまれぬ者をあわれみ、わたしの民でない者に向かって、"あなたはわたしの民である"と言い、彼は"あなたはわたしの神である"と言う。』

 

「××様」

「なんだ」

 

萃香と話し込んでいる間、る~ことは天子の顎を上げ、彼女の目を開けて瞳孔を観て、呼吸をしているかどうかを確認し、最後は首の脈をはかったりという一連の動作をしていたらしく、ちょうど鬼女が霧になったと同時にソレを終えて天人をどうするか聞いて来た。

 

「まだ息はあります。気絶しているだけで大した怪我はありませんが、いかがいたしましょう」

「連れて行くか」

 

頼んでいたコトを果たしてくれたから、手厚くもてなしたいところではあるが、まだ目を覚まさない。太陽は出ているがソレでも気温は低いし、このまま放置するのも忍びないので、神社の中へと避難して暖を取るべく、沓脱ぎ石の上にある履物に足を入れ、彼女の元へと向かい、雪に埋もれて冷え切った天子の胴を掴み、そのまま肩に担ぐ。一応はセクサロイドであり、オレよりも力があるからる~ことは替わりに運ぼうとしたが断って、藍へ寝具を出すよう伝えに行ってもらい、従者は小走りで戻った。

 

旧約聖書・イザヤ書 第14章1節

『主はヤコブをあわれみ、イスラエルを再び選んで、これをおのれの地に置かれる。異邦人はこれに加わって、ヤコブの家に結びつらなり』

第56章6節

『また主に連なり、主に仕え、主の名を愛し、そのしもべとなり、すべて安息日を守って、これを汚さず、わが契約を堅く守る異邦人は――』

第56章7節

『わたしはこれをわが聖なる山にこさせ、わが祈の家のうちで楽しませる、彼らの燔祭と犠牲とは、わが祭壇の上に受けいれられる。わが家はすべての民の祈の家ととなえられるからである。』

旧約聖書・ヨシュア記 第22章5節

『ただ主のしもべモーセが、あなたがたに命じた戒めと、律法とを慎んで行い、あなたがたの神、主を愛し、そのすべての道に歩み、その命令を守って、主につき従い、心をつくし、精神をつくして、主に仕えなさい。』

 

「氏神様ー!」

 

声がする方へ関心を向けると、ソコには童女がいた。オレに気付いてもらうためか、淳良な白蓮が大声を出して、両手をぶんぶん振り全身を使ってアピールしながら、とびっきりの笑顔で飛び跳ねている。その光景はまるで真っ白な世界に咲いた一輪の花。あの子の表情に釣られて微笑みながら手を振り返すが、どうやら西行妖の下で、早苗、命蓮、幽々子と一緒に雪だるまを造っているようだ。ただソコには幽香もおり、太陽の光から肌を守るためか、傘になっている小傘をさしていたが、一緒に造りながらも童女たちを慈しむように観ていた。彼女はいつもどこかへふらっと行き、自分の花畑の世話をしている場面をよく観かけるが、今日はあの子たちと遊んであげているのかな。

脳内で憶測を巡らしていたら、気が付けば白蓮は間近にいて、オレの視界へと飛び込んでいた。しかも子供にしては腰の入った走りでこちらに向かっており、かなりの衝撃が推定される。無意識に身構えてダイレクトアタックへ備えると、童女は減速せずにそのまま抱き着いてきたが、いつものような衝撃はなかった。ほっとした。痛めつけられるお腹は守られたのだ。恐らく肩に担いでいる天子の存在に気づき、加減したのかもしれん。心優しい童女である。

 

新約聖書・ローマ人への手紙 第4章16節

『このようなわけで、すべては信仰によるのである。それは恵みによるのであって、すべての子孫に、すなわち、律法に立つ者だけにではなく、アブラハムの信仰に従う者にも、この約束が保証されるのである。アブラハムは、神の前で、わたしたちすべての者の父であって』

第4章17節

『"わたしは、あなたを立てて多くの国民の父とした"と書いてあるとおりである。彼はこの神、すなわち、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのである。』

旧約聖書・創世記 第17章5節

『"あなたの名は、もはやアブラムとは言われず、あなたの名はアブラハムと呼ばれるであろう。わたしはあなたを多くの国民の父とするからである。"』

 

「その子、誰?」

「白蓮と命蓮、早苗の姉妹だ。腹違いのな」

「そうなんだ」

 

あ、うっかり早苗の真名を呼んでしまった。本人に聞かれてないからノーカン……だよな。

右手は天子を支えているから使えないので、左手で頬に触れる。ふと向こうにいる童女たちを観ると――命蓮が厳しい眼差しでこちらを観ていた。怖い。機嫌を損ねるコトをしていないハズだが……もしかしてオレじゃなくて、白蓮を観ているんじゃないか、アレ。この距離では判別困難だけど、目線低い気がするし。幽々子は造るコトより西行妖との戯れに余念が無く、そもそも白蓮がココにいることに気付いていなかった。手伝っていた幽香も造り足りないと感じたのか、また雪を固めて転がし続けている。大きさは童女たちの倍以上になりそうだ。妖怪だけあって力が有り余っているのだろう、我が娘ながら末恐ろしい。しかし、一念化生でもしたかのように、あそこまでのロングヘアーが映えた良い女になるとは夢想だにしなかったが、紫と幽香をオレと永琳の娘にしたあの日は、まるで昨日のコトだったように感じる。日月逾邁だなあ。

だが早苗だけはまだ終わりではないという確固たる意志のもと、二段重ねになっている体の形をせっせと整え成る丈真ん丸にして、雪だるまの仕上げである腕と顔、帽子をみんなで取り掛かるべく、両手をメガホンがわりにして、白蓮を召集した。

 

新約聖書・コロサイ人への手紙 第3章11節

『そこには、もはやギリシヤ人とユダヤ人、割礼と無割礼、未開の人、スクテヤ人、奴隷、自由人の差別はない。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにいますのである。』

第3章12節

『だから、あなたがたは、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者であるから、あわれみの心、慈愛、謙そん、柔和、寛容を身に着けなさい。』

新約聖書・ガラテヤ人への手紙 第3章26節

『あなたがたはみな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである。』

第3章28節

『もはや、ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである。』

第3章29節

『もしキリストのものであるなら、あなたがたはアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのである。』

 

「最後の要ですよー!」

「ほら、預言者が呼んでるぞ。行ってやれ」

「うん!」

 

去り際でも表情を変えず、手を振りながら童女たちの元へ向かった。画竜点睛にならず成し遂げられたらいいが。

ココに来るまでに白い地面にはオレの足跡がくっきりと残っており、足跡を辿って戻った。靴脱ぎ石に履き物を脱いで跨ぎ、縁側へ到着。そのまま居間へ入り障子を開けたまま、割れ物でも扱うように天子を床へと置く。思ったより軽くて楽だった。

まずは天子の身体を温めるため、部屋の隅に置いていた火鉢を使う。灰と炭はもう入ってるし、雷霆を使って火を付けたのはいいけど苦労した。神の武器をこんなコトに使うなんて、雷霆は泣いているかもしれん。気温が上がるまでの間、畳の上に布団を敷くべきだろうが、そういうコトは全て藍に丸投げなので、寝具はどこにあるかのかをオレは知らない。だからる~ことの帰りを待つばかりである。つくづく自分が百孔千創で酒嚢飯袋だと思うよ。恬として恥じを感じないが。

 

それまでどうしようか。まずは意識を戻すため、軽く天子の頬を片手でぺちぺち叩くと顰めっ面になる。起きなかったのでとりあえず彼女の身体を頭の先からつま先まで総覧するが、まだ子供とはいえ、将来性は高いぞ。きっと傍から見たら少女の肉体を舐めまわすように観えてしまうだろう。オレの脳が体へ信号を送ったのか、ふと天子のスカートを捲って覗いてみたが、履いてなかった。どこかで落としたか履き忘れたのか、それとも昔流行った健康法かな。

なんと非難されようと、ただ少女の女性器を観ただけだ。反論する気も、弁明する気もない。ただ最近たまってたし、肉眼で観たから無性にセックスしたくなったけど、なにも恥じるコトはない。コレは故意であって故意ではないんだ。い、いかん……体が勝手に風呂場の中に……

 

「......なにゆえ天子様の胸部を揉みしだいておられるのですか」

「え、人命救助だよ。人として当たり前だろ」

「いくつか言いたいことはありますが、まず人ではないですね」

 

天子の身体を鑑賞し、乙女の柔肌を嬲るために衣服を引ん剝き、毒牙に掛けて弄び、まだダレも観たコトも到達したこともないであろう、天人の桃源郷を全て蹂躙して制覇しようとしたら、いつの間にかる~ことは夜具を抱えて戻ってきていた。彼女は呆れた表情もせず、見慣れた光景と言わんばかりに真顔で問い返してきたから、オレはあっけらかんに答えつつ揉むのはやめない。なのに従者は全くの無反応。ただ黙々と隣で寝具を敷いている。もしかして感情に不具合が生じているんじゃないか。でも永琳がそんなミスを犯すとはとても思えない。

 

「幼而不孫弟、長而無述焉、老而不死、是爲賊。子日、鄙夫可與事君也與哉、其未得之也、患得之、既得之、患失之。苟患失之、無所不至矣」

 

天子を持ち上げて寝かせたら、る~ことがなにか言った気がしたが思いなしだろう。

しかし硬いな、硬すぎる。膨らみつつあるがまだ早熟。くびれも臀部もダメダメだ。まだ成長中だから今後に期待しよう。あれ、そもそも天人って成長するんだっけ。するよな、うん。もしもの時はゼウスであるこのオレの力で肉体を成長させる。精神がソレに追いつきはしないかもしれんが、ギャップがあってむしろいいかもしれん。まあ美人・可愛い女とセックスできるならどうでもいいや。

 

「......なんで私、ココで寝てるの」

「やっと起きたか。事情は知らんが、お前家の庭で倒れてたんだよ」

「そうなんだ......まだよく判らないけど、介抱してくれたのね」

「したのはそこの従者だ。オレは見捨てようとしたら、従者がどうしてもと言うからしぶしぶ」

「ヒドイ!」

 

仰向けに寝ていたが、目を覚ました天子は上半身だけ起き上がり、状況を飲み込むために辺りを見渡す。いつも諏訪国にいるオレがココにいるコトに加え、部屋の造形からして神社にいるのではないかという結論に至ったのか、黙り込んでしまう。あんまり憶えてない様子だし、過去を確かめる為に自分の記憶を遡っているように見て取れる。

だがる~ことは天子の体調を気を揉んでいたようで、いつもなら言われる前から察して動くのに、今回はソレをせずに彼女へ聞いた。

 

「ご無事で何よりです。なにか召し上がりますか?」

「え、あ、そうね。じゃあなにか暖かい物を」

「畏まりました」

 

天子の好みも性格も、思考・行動パターンなどの全てを知っている従者は、居間から出ていき調理場へと向かった。る~ことがダレカを甲斐甲斐しく世話を焼くなんて、まるで本当に従者みたいじゃないか。いや、そのために永琳の手で創られたんだが、オレの前ではあの姿を滅多に見せないので、造次顛沛ほど度肝を抜かれた。ただ台所って藍が誰にも、あの永琳にさえ譲らない戦場で、恐らくオレでも勝手に入って使うと怒られるくらい神聖な場所なんだ。だからアイツも使わせてもらえなさそう。断られても、魔方陣を使って月の都に行けばいいだけの話ではあるが。

 

「私、どうして気絶したのかしら」

「おいおい大丈夫か」

「頭がぐわんぐわんしてる。諏訪国へ来た時までの記憶はあるけど後は憶えてないのよ」

「憶えてないというコトは大したコトがないのだろう。捨て置け」

「でも小鬼を観た気が......」

 

そう伝えても、彼女は片手で自分のデコを押さえてうんうん唸っている。先の萃香の話を窺うに、まず感動話のような出来事ではないと断定できるため、このまま思い出されても後々面倒だからこのまま忘れていてほしい。というか諏訪国へ来た理由も忘れてそうなふしがあるんだが、大丈夫だろうか。永琳に頼んで診てもらおうかな。ただ、ムダと言う気はないが、判んないコトを考えても実りがない。体調も万全とは言えないのだ。オレは考える時が無限にあると言っても過言ではないが、天子は違う。彼女にとって時間とは尺璧非宝なのだ。

そこで気を逸らすため、隣で彼女の腰に手を回して抱き寄せ、寄り添うが、さっきから普通に会話してはいたといえ胸を揉むコトだけはやめていなかったので、まだ頭がぼーっとしてか天子は気付いてなかったみたいだが、だんだんと意識や視界も明瞭になってきたのか、自分の胸部へと視界を向けてから目をぱちくりさせ、オレを睨め付けてきた。

 

「っていつまで触ってるのよ!?」

「ぶべら!」

「輝夜に聞いた通りね......女、女、女! 神としてはずかしくないの!?」

「ないな! 神として言うなら却って誉れ高いぞ。それにオレ達は鳶飛戾天、魚躍于淵だろ」

 

ようやく自分がなにをされてるのかは理解したらしく、洗練された流れる動作で小気味好い平手打ちを頬に貰った。こんなコトしておいてアレだが、決して彼女の乳房を揉みしだきたかったワケではない。本当だ。ウソだけどウソじゃない。五箇条の御誓文みたいに天神地祇へと誓ってもいい。都合よく天子の記憶から萃香だけが抜け落ちているし、鬼女に敵意を向けられると蟠りが出来てしまう。だから諏訪国を治めるモノとして心を痛め、ココはなんとかしようと憂い、国や天子と妻たちの間で溝が出来ないようにした行動なんだ。やっぱり夫婦関係は偕老同穴になれば、他のモノだってソレに時雨之化されて自然と関雎之化へなるハズだ。殺伐とした空気もキライじゃないが。

……でもコレって、本当に偶然なのか。オレも人のコトを言えないのだが、そんな都合よく記憶が無くなるモノなのか。少し前なら偶然で済んだが、この前、魔女たちが住む館でレーテー(忘却)の水を観たのだ。杞憂かもしれん。神経の過敏かもしれん。でも今回ばかりは訝しんでしまう。

天子と言うのは、古代中国において天帝の子とされていた。そしてこの少女、今は天子という名ではあるが、まだこの世界が初期頃、無始曠劫の彼女は、天子と言う名ではなかった。

確かあの時は、そう。彼女の旧名は地子だ。

旧約聖書・詩篇 第109篇15節

『それらを常に(ヤハウェ)のみ前に置き、彼の記憶を地から断ってください。』

 

「とはいえ晴れて自由の身だ。好きに生きろ」

「......えっと、本当にいいの?」

「徙木之信だ。イヤならお前を強引に娶り辱めて凌辱してもいいんだぞ。てかやらせろよ」

「乱暴にするのはやめて! 大体、そんなコトしたらいくら貴方でも天帝に罰せられるわよ」

「……いやー。ソレは無理だと思うが」

 

胸を揉んだだけなのに今尚、警戒心がマックスになった天子は、鷹の前の雀で両手を使い胸を隠すようにしている。天人にも恥じらいの感情はあるようだ。前々から思ってたんだが、天人と仙人の違いってなんだろうな。古代インドと古代中国の文献を通覧して観たけど、正直区別がつかないぞ。精神・思想・理想などの細かい違いは確かにあるとはいえ、とてもじゃないが判別できないし、別モノとは思えない。大同小異じゃないのか。インド神話のリシと中国神話の仙人も、苦行があるかないかと、神の血を引いているか否かの違いとしか……。

ひふみ神示・第二十五巻 白銀の巻

『天人に結婚もあれば仕事もあるぞ。死も亦あるのであるぞ。死とは住む段階の違ふ場合に起る現象ぞ。死とは生きることぞ。』

極め之巻 第十八帖

『この神示は、神と竜神と天人天使と人民たちに与へてあるのぢゃ。天界での出来事は必ず地上に移りて来るのであるが、それを受け入れる、その時の地上の状態によって早くもなればおそくもなり、時によっては順序も違ふのであるぞ、人民は近目であるから色々と申すなれど、広い高い立場で永遠の目でよく見極めて下されよ。寸分の間違ひもないのであるぞ、これが間違ったら宇宙はコナミジン、神はないのであるぞ。』

ひふみ神示から引用しておいてなんだが、オレはこの日月神示が大ッ嫌いだ。

 

「まあ今日はココに泊まったらいい。いや、泊まれ。コレは神勅だ」

「さっきの話を聞いて長居するほど図太くないつもりなんですけど」

「いいからいいから。ぼたん鍋と熊鍋の宴席を設けるし食っていけ」

 

江戸時代にいた滝野瓢水の句に、手に取るなやはり野に置け蓮華草というのがあるが、諏訪国へ留まるより放肆に生きた方が天子らしい。

それで日の出くらいの話だが、影狼とルーミアがイノシシ数匹とクマ一頭を狩ってきた。血抜きはしてたみたいで、藍とてゐとレティが捌いているから、あとは調理するだけ。肉を今日中に消費させておきたいのだ。オレの妻たちや神使は大勢いるとはいえ、肉を食べるコトに強い拒絶感を示すモノが結構いる。だから総じて言えば食べるより、お酒を飲んで騒いでいるだけだ。鬼はそもそも団子より花が多くを占め、食べるのは酒をあまり飲まないルーミアとか影狼とか、オレのようなモノくらい。肉が残っても腐らせてしまう。蔵の地下にレティが使う冷凍倉庫もあるとはいえ、あの場所は寝るためにあるから。こんな季節に、しかも外でするなんてよくやるなと言われそうだが、酒をちびちび飲んでたらそこまで気にならない。ただ飲めないモノは厚着している。

天子を宴会の席へ誘ったのはいいが、目が覚めてからずっとなにか引っかかった表情の彼女は、そのままポツリと漏らした。

 

「......もう冬至近くじゃなかった?」

「そうだ」

 

旧約聖書・申命記 第27章26節

『"この律法の言葉を守り行わない者はのろわれる。"民はみなアァメンと言わなければならない。』

新約聖書・ガラテヤ人への手紙3章10節

『いったい、律法の行いによる者は、皆のろいの下にある。"律法の書に書いてあるいっさいのことを守らず、これを行わない者は、皆のろわれる"と書いてあるからである。』

第3章11節

『そこで、律法によっては、神のみまえに義とされる者はひとりもないことが、明らかである。なぜなら、"信仰による義人は生きる"からである。』

第3章12節

『律法は信仰に基いているものではない。かえって、"律法を行う者は律法によって生きる"のである。』

第3章13節

『キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、わたしたちを律法ののろいからあがない出して下さった。聖書に、"木にかけられる者は、すべてのろわれる"と書いてある。』

第3章14節

『それは、アブラハムの受けた祝福が、イエス・キリストにあって異邦人に及ぶためであり、約束された御霊を、わたしたちが信仰によって受けるためである。』

旧約聖書・申命記 第21章23節

『翌朝までその死体を木の上に留めておいてはならない。必ずそれをその日のうちに埋めなければならない。木にかけられた者は神にのろわれた者だからである。あなたの神、主が嗣業として賜わる地を汚してはならない。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

旧約聖書・詩篇 第103篇3節

『主はあなたのすべての不義をゆるし、あなたのすべての病をいやし』

第103章4節

『あなたのいのちを墓からあがないいだし、いつくしみと、あわれみとをあなたにこうむらせ』

第103章5節

『あなたの生きながらえるかぎり、良き物をもってあなたを飽き足らせられる。こうしてあなたは若返って、わしのように新たになる。』

第103章6節

『主はすべてしえたげられる者のために正義と公正とを行われる。』

第103章8節

『主はあわれみに富み、めぐみふかく、怒ること遅く、いつくしみ豊かでいらせられる。』

第103章9節

『主は常に責めることをせず、また、とこしえに怒りをいだかれない。』

 

「其詩曰,南風之薰兮,可以解吾民之慍兮。南風之時兮,可以阜吾民之財兮」

 

弁才天の元へ訪問しに行っていたマミゾウが謁見を終え帰って来た。狸の頭領である彼女の部下の狸からそう伝えられ、鎮守の森へと来たのはいいが、奥へと進むごとに異臭が濃くなっていくので眉を顰めてしまう。ヒドイ匂いだな。酒と煙管の匂いもあるが、血の臭いも混ざっている。後の方はともかく、彼女がやけ酒でもしながら煙管をふかす、ワケないな。アイツに限ってソレはない。

魔法の森ほどではないが、ここもかなり広いし迷いやすい。諏訪国・他国もそうで、森が多すぎる。オレは方向・方角に関する感覚はあまりよろしくないのだ。星を観たら多少は判るかもしれないが、覚えられる気がしない。もしもの時は魔方陣もあるとはいえ、全員がコレを使えるワケではない。正直コレでは不便。だから個人的に言えばもっと道を造りたいし、拡張して整備したいところではあるが、そうなると森を切り倒さなくてはいけない。やはり河童や鬼を使ってもっと開拓すべきか。

菅家文草・水中月

『滿足寒蟾落水心、非空非有兩難尋、潛行且破雲千里、徹底終無影陸沉、圓似江波初鑄鏡、映如沙岸半披金、人皆俯察雖清淨、唯恨低頭夜漏深。』

 

「悖出悖入。脚下照顧。あー、寒い。今日は一段と冷え込むな。咲夜が編んだマフラーを持って行けばよかった」

 

新約聖書・テトスヘの手紙 第2章7節

『あなた自身を良いわざの模範として示し、人を教える場合には、清廉と謹厳とをもってし』

第2章8節

『非難のない健全な言葉を用いなさい。そうすれば、反対者も、わたしたちについてなんの悪口も言えなくなり、自ら恥じいるであろう。』

新約聖書・エペソ人への手紙 第4章29節

『悪い言葉をいっさい、あなたがたの口から出してはいけない。必要があれば、人の徳を高めるのに役立つような言葉を語って、聞いている者の益になるようにしなさい。』

新約聖書・ペテロの第一の手紙 第3章16節

『しかし、やさしく、慎み深く、明らかな良心をもって、弁明しなさい。そうすれば、あなたがたがキリストにあって営んでいる良い生活をそしる人々も、そのようにののしったことを恥じいるであろう。』

 

「犀の角のようにただ独り歩め、だったか。しかしそんなこと言われても、出来るワケがない」

 

仏典の『スッタニパータ』にある蛇の章三・犀の角ではそう書かれている。

あそこを一言で言い表すなら〝依存せず環境から精神と心を自由にしなさい〟というモノ。ソコには様々なコトが書かれているが、ソレを端的に纏めるとそういう記述だ。そんな記述があっても、今じゃ日本の仏教に見る影もないがな。

霊界の文字はこの世のものに比べて曲線が多い、と言ったのはスウェーデンの思想家だったかな。神代から滄桑之変してきたが、平成時代になっても草満囹圄になるコトは一度もなかった。でもソレは当たり前だし、桑土綢繆しても徒労に終わる。帰馬放牛は出来ないし、太平洋戦争時、日本の新聞などは天気予報の欄が消されたのだ。グリム童話だって、例えばアッシェンプッテルみたいに、元々は魔女がいない話だったモノが、後世では魔女が出てくる話になっているのもあるんだ。平成時代にある創作物の殆どは、元々の設定・物語を改変しまくっているモノばかり。別にキライなワケじゃないんだが、あの有名なディズニーはいつもそうだ。

老子道德經 五十三章

『使我介然有知,行於大道,唯施是畏。大道甚夷,而民好徑。朝甚除,田甚蕪,倉甚虛;服文綵,帶利劍,厭飲食,財貨有餘;是謂盜夸。非道也哉。』

 

「…悪木盗泉。儒教の始祖・孔子は、喉が渇いてもその水を飲まなかったが、吉離舍瞿曇弥の時、釈迦はただ諭すだけだった。だが日本で無謬化されているカレは、彼女を救うのかもしれん」

 

一切衆生悉有仏性、山川草木国土悉皆成仏のように、元々あった設定が別の設定を添加され、変わってしまうのを観てきたが、ソレは一つや二つじゃない。まだ××神話があった時から、何度も何度も別ものになっていく世界を、ずっと繰り返してきた。平成時代なんかは酷い有様だ。もはや原型すらない。古代ギリシア人も古代中国人も、完全に一致するかどうかという意味で、平成時代にいるモノと同じ、などと答えるモノはいない。そして人間ってのは公正・公平が好きなんだろ。であれば秋霜烈日にしなくてはいけない。とすると留めてないなら、同じではない。同じではないならば、同じ扱いをすべきではない。そう、平成時代の日本人もな。紀元前に鼓腹撃壌が出来たのに、今は出来ないんだから笑えるよ。

愛ゆえに神は苦しまねばならぬ。愛ゆえに神は悲しまねばならぬ。愛ゆえに……。オレはその時から愛をすてた。こんなに悲しいのなら、苦しいのなら……愛などいらぬ。一つでも変わった時点で愛などいらぬ。はむかう者には死あるのみ。

 

旧約聖書・イザヤ書 第59章15節

『真実は欠けてなく、悪を離れる者はかすめ奪われる。主はこれを見て、公平がなかったことを喜ばれなかった。』

新約聖書・マタイによる福音書 第23章23節

『偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。はっか、いのんど、クミンなどの薬味の十分の一を宮に納めておりながら、律法の中でもっと重要な、公平とあわれみと忠実とを見のがしている。それもしなければならないが、これも見のがしてはならない。』

旧約聖書・エゼキエル書 第18章7節~8節

『だれをもしえたげず、質物を返し、決して奪わず、食物を飢えた者に与え、裸の者に衣服を着せ、利息や高利をとって貸さず、手をひいて悪を行わず、人と人との間に真実のさばきを行い』

第18章9節

『わたしの定めに歩み、わたしのおきてを忠実に守るならば、彼は正しい人である。彼は必ず生きることができると、主なる神は言われる。』

旧約聖書・ホセア書 第2章19節

『またわたしは永遠にあなたとちぎりを結ぶ。すなわち正義と、公平と、いつくしみと、あわれみとをもってちぎりを結ぶ。』

 

「しかしソレは、本当にあの釈迦なのか。抜苦与楽とは言うが、仮にそんな話があったとしても、もはや別モノじゃないか。芥川龍之介の蜘蛛の糸だって本来ならばおかしいのだ」

 

観無量寿経とかも成立時期が遅いとはいえ、なんとも言えない。

『佛告阿難。此經名觀極樂國土、無量壽佛、觀世音菩薩、大勢至菩薩。亦名淨除業障、生諸佛前。汝當受持。無令忘失。行此三昧者、現身得見、無量壽佛、及二大士。若善男子善女人、但聞佛名、二菩薩名、除無量劫、生死之罪。何況憶念。若念佛者、當知此人、是人中分陀利華。觀世音菩薩、大勢至菩薩、爲其勝友。當坐道場、生諸佛家。佛告阿難。汝好持是語。持是語者、即是持無量壽佛名。佛說此語時、尊者目犍連、阿難及韋提希等、聞佛所說、皆大歡喜。――爾時世尊、足歩虚空、還耆闍崛山。爾時阿難、廣爲大衆、說如上事。無量諸天 及龍夜叉、聞佛所說、皆大歡喜、禮佛而退。』

あの世尊(釈迦)がこれを言った……いやーどうなんだろうか。いくら龍樹が大乗仏教中観派の祖で、釈迦が説いた〝空〟の思想についての論証が優秀で、仏教をココまで広めた人物としては功績が大きすぎる偉大な人物がいるとはいえ、大乗経典はとんでもないコトをしてくれました。とはいえ、大乗仏教だけじゃなくて、上座部仏教にも言える部分はあるんだが。

天上天下唯我独尊だって釈迦が言ったとされているとはいえ、実際はそうじゃない。

でも××神話があった時、白蓮も命蓮も、どいつもこいつも釈迦と空海の教えを守ってなかった。だったらもう別モノだ。日本の僧侶ではあっても、仏教としての僧侶ではないだろ。

 

旧約聖書・歴代志下 第19章2節

『そのとき、先見者ハナニの子エヒウが出てヨシャパテを迎えて言った、"あなたは悪人を助け、主を憎む者を愛してよいのですか。それゆえ怒りが主の前から出て、あなたの上に臨みます。"』

第19章6節

『そして裁判人たちに言った、"あなたがたは自分のする事に気をつけなさい。あなたがたは人のために裁判するのではなく、主のためにするのです。あなたがたが裁判する時には、主はあなたがたと共におられます。"』

第19章7節

『"だからあなたがたは主を恐れ、慎んで行いなさい。われわれの神、主には不義がなく、人をかたより見ることなく、まいないを取ることもないからです。"』

新約聖書・コロサイ人への手紙 第3章25節

『不正を行う者は、自分の行った不正に対して報いを受けるであろう。それには差別扱いはない。』

 

「釈迦はイエスじゃない。四門出遊も実際にあったのかどうかを聞いたら、首を傾げる」

 

論語・里仁第四

『子曰、君子之於天下也、無適也。無莫也。義之與比。』

衛霊公第十五

『子曰、羣居終日、言不及義、好行小慧、難矣哉。』

『子曰、君子不以言擧人、不以人廢言。』

往生は、一定と思へば一定、不定と思へば不定なりというのはキライだ。蝉噪蛙鳴になるとアレだが、談論風発と百家争鳴は大事なコトだろう。ただ、尭鼓舜木は肝要なコトだし、論旨明快な議論だとしても、感情的にならず論理的になるコトを求められているとはいえ、課題にもよるが質を上げるタメには感情論を交えた方がいい。収拾がつかない場合になるコトもあるだろうし、揚げ足取りするヤツだけは論外だがな。

子曰、吾不如老農。おまえは何を言っているんだと思われそうだが、そもそもオレは啓蒙主義であると同時に蒙昧主義なのだ。あとキュレネ学派寄り。別に老子と似たようなコトを言う気はさらさらないが、本来なら啓蒙・啓発なんてするべきじゃない。冗談じゃないぞ。本来、知識というモノは自分を立派な人間にするタメであったり、知っておくべき立場の人物が学ぶべきであり、そうでないモノは知らなくていいし、うだうだ語らなくていいんだよ。自己修養してた方がよほどいい。

 

詩經・小旻

『旻天疾威、敷于下土。謀猶回遹、何日斯沮。謀臧不從、不臧覆用。我視謀猶、亦孔之邛。潝潝訿訿、亦孔之哀。謀之其臧、則具是違。謀之不臧、則具是依。我視謀猶、伊于胡底。我龜既厭、不我告猶。謀夫孔多、是用不集。發言盈庭、誰敢執其咎。如匪行邁謀、是用不得于道。哀哉為猶、匪先民是程、匪大猶是經、維邇言是聽、維邇言是爭。如彼築室于道謀、是用不潰于成。國雖靡止、或聖或否。民雖靡膴、或哲或謀、或肅或艾。如彼泉流、無淪胥以敗。不敢暴虎、不敢馮河。人知其一、莫知其他。戰戰兢兢、如臨深淵、如履薄冰。』

 

「ミトコンドリア・イヴとサン人から、よくもここまで四散したモノだが、マラーノはユダヤ人と言えるのだろうか。キリスト教もサウロがいなかったら、どうなっていたのだろう」

 

人間というモノはいい加減なコトを垂れ流すクソ猿で、無責任だ。特に空想上の存在、例えば神などは特に顕著。妄想で語れるから。当然ながらそういう記述があるならば問題はない。似たような記述があればまだいい。その通りに書かれているならなおよい。だが、実際はそうじゃない。余計な設定出して、元々のモノを弄りまわす。垂名竹帛の人物が言っていないコトを平然と言わせる…ソレって法的な問題はあれど、実在する人物をお人形遊びに使うコトとなにが違う。明治時代から昭和時代の創作物にも言えるコトだが、こんなコトが許されるのか。こんなコトが平然と罷り通るのか。神様のコトなんて人間には判らない、とか言う不可知論者は、そもそも話す気がないんだから黙ってろ。語るコトを放棄するなら、不可知論者らしく無記でいてくれよ。釈迦のようにな。

 

ただ、人間っていうクソ猿は、極端なコトがキライらしい。そもそも極端ってなんだ。二元論的な意味ならば、人が嫌がるコトはするなとか、みんな敬い合い、平和に健やかでいられるのが一番とか、殺人・犯罪をなくそうとかいう潔癖な思想を持つモノもいるが、その思想は極端じゃないのか。大体ソレは古代中国人が似たようなコトを言ってはいたが、その思想は紀元前から平成時代なっても、神話や伝説を除けばソレが続いた例はない。その平和はいつまで続くのか。そもそも平和に永遠なんてあるのか、インターバルなだけじゃないのか。畢竟自分がイヤだから、理解できないから、納得できないから、都合が悪いモノだから、極端だなんだと言ってるだけじゃないのか。メソポタミアも、古代エジプトも、古代ギリシアも、古代ローマも、古代中国も、古代インドも、古代イスラエル(ユダ王国)も、メソアメリカ文明も、文化や技術、知識も莫大なモノだったし、国や民に一時の平和があった時もあるし弥栄だったが、栄枯衰退だった。

 

旧約聖書・エレミヤ書 第5章27節

『かごに鳥が満ちているように、彼らの家は不義の宝で満ちている。それゆえ、彼らは大いなる者、裕福な者となり、』

第5章28節

『肥えて、つやがあり、その悪しき行いには際限がない。彼らは公正に、みなしごの訴えをさばいて、それを助けようとはせず、また貧しい人の訴えをさばかない。』

第5章29節

『主は言われる、わたしはこのような事のために、彼らを罰しないであろうか。わたしはこのような民に、あだを返さないであろうか。』

旧約聖書・箴言 第17章26節

『正しい人を罰するのはよくない、尊い人を打つのは悪い。』

 

「牀寒枕冷到明遅、更起橙前獨詠詩、詩興変來爲感興、關身万事自然悲。勁草だろうと、行雲流水はやっぱり無理だ。截断衆流も出来ない」

 

よく区別をつけろと言うモノもいる。混同を避けるために明晰をするのは結構なコトだが、ソレを理解できるモノがどれだけいる。どれだけのモノが耳を傾けるんだ。例え傾けたとしても、大半の人間は自分にとって興味があるモノ・都合がいいモノかどうかでしかない。言うまでもないコトだが、区別ってのは大衆に理解されてなきゃ意味ないんだよ。ソレが出来ない時点で、しかも曖昧の状態なら、区別したとは言えねえな。引っ掻き回しただけだ。

法や倫理や教えを守れないモノを異常の眼で観たり感じたりするのは宗教。かと言って忠実に守ろうとするのだって宗教なんだよ。人間を殺して神の供物にするという思想だって宗教だし、人間を殺すなって言う思想も宗教だ。ソレを違うとは言わせないし、ソレを語った人間が宗教を非難したなら、オレはソイツを延々と非難し続けよう。

古代ギリシア人哲学者だろうと、古代中国人哲学者であろうと、古代インド人哲学者だろうとも、思想を語ったならソレは宗教だ。いくらあの時代の人間は天才だったとはいえ、例外はない。ソレは違うと、ソレは哲学であって宗教ではないとは絶対に言わせない。言わせてなるモノか。

ただ往生極楽のためには南無阿弥陀仏と申して、疑なく往生するぞと思ひとりて申すほかには別の子細候はず。ただし三心・四修と申すことの候ふは、みな決定して南無阿弥陀仏にて往生するぞと思ふうちに籠り候ふなり。

 

新約聖書・ヤコブの手紙 第4章11節

『兄弟たちよ。互に悪口を言い合ってはならない。兄弟の悪口を言ったり、自分の兄弟をさばいたりする者は、律法をそしり、律法をさばくやからである。もしあなたが律法をさばくなら、律法の実行者ではなくて、その審判者なのである。』

第4章12節

『しかし、立法者であり審判者であるかたは、ただひとりであって、救うことも滅ぼすこともできるのである。しかるに、隣り人をさばくあなたは、いったい、何者であるか。』

第5章9節

『兄弟たちよ。互に不平を言い合ってはならない。さばきを受けるかも知れないから。見よ、さばき主が、すでに戸口に立っておられる。』

第5章12節

『さて、わたしの兄弟たちよ。何はともあれ、誓いをしてはならない。天をさしても、地をさしても、あるいは、そのほかのどんな誓いによっても、いっさい誓ってはならない。むしろ、〝しかり〟を〝しかり〟とし、〝否〟を〝否〟としなさい。そうしないと、あなたがたは、さばきを受けることになる。』

 

「かつて命蓮寺にいたモノも、戒律・教えは守られていなかった。ソレを守る守らないで仏教徒か否かの是非を問うのはともかく、ソレは仏教と言えるのか。ソレを同じモノと言えるのか」

 

まれに、儒教は宗教ではないと言うモノもいるが、笑えない冗談はやめてくれ。

そもそも孔子は論語で祖先の霊魂や〝天〟と〝天命〟について語っていたが、その思想・概念自体がもはや宗教。アレの思想・倫理(道徳)・論理は宗教でしかない。平和を謳ったり、善政が行われて民が安楽な生活をするコトを目指すのだって宗教だし、君主(人間)はかくあるべし、と言うのもそうなんだ。孟子と荀子の思想・倫理・論理だって宗教なんだよ。処世術だって思想でしかないし、日本の儒教も宗教さ。史記に書かれてる儒教思想も宗教だし、儒教の聖典は論語だけではなく、五経とか三礼とか春秋とかある。あのユダヤ教だって創世記だけじゃないし、宗教家も聖書を読んで学び研鑽を積んでいるだろ。アレが宗教ではないと言うのであれば、イスラーム教とオウム真理教も宗教ではなく、また双方の思想も宗教ではない。自分たちにとって都合が悪いモノだから、政府と大抵のモノはオウム真理教をカルト宗教と烙印しているがな。到頭自分がイヤなだけで、なんでそんなコトをするのか納得・理解できないから、オウム真理教をそういう扱いにしているだけなんだよ。

でもソレって、原理主義の宗教家と何が違う。なにも違わない、同じじゃないか。

他人に迷惑をかけるなとか、人間(生き物)を殺してはいけないとか、騙してはいけない、ウソをついてはいけない、法を守れ、なんて垂れ流しているモノもいるけど、そんな倫理・思想・法・教え・戒め・規律(習俗)は、既に紀元前から続く宗教の聖典で同じコトを言ってるんだ。しかも自分にとって都合がいい思想は宗教じゃなくて、それ以外は宗教とかほざくんだから笑える。

いやー、以前も言ったが日本人って本当にクソだよ。ハーブか何かやつておられる?

 

論語・為政第二

『子曰、爲政以徳、譬如北辰居其所、而衆星共之。』

旧約聖書・イザヤ書 第9章7節

『そのまつりごとと平和とは、増し加わって限りなく、ダビデの位に座して、その国を治め、今より後、とこしえに公平と正義とをもってこれを立て、これを保たれる。万軍の主の熱心がこれをなされるのである。』

新約聖書・マタイによる福音書 第5章9節

『平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。』

新約聖書・ヤコブの手紙 第3章17節

『しかし上からの知恵は、第一に清く、次に平和、寛容、温順であり、あわれみと良い実とに満ち、かたより見ず、偽りがない。』

第3章18節

『義の実は、平和を造り出す人たちによって、平和のうちにまかれるものである。』

新約聖書・ペテロの第一の手紙 第3章11節

『悪を避けて善を行い、平和を求めて、これを追え。』

 

「悪酔強酒と言っても、オレは女を侍らすのだ。断捨離という宗教もあるが、してたまるか」

 

新約聖書・マタイによる福音書 第7章1節~2節

『人をさばくな。自分がさばかれないためである。あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量りが与えられるであろう。』

新約聖書・ルカによる福音書 第6章37節

『人をさばくな。そうすれば、自分もさばかれることがないであろう。また人を罪に定めるな。そうすれば、自分も罪に定められることがないであろう。ゆるしてやれ。そうすれば、自分もゆるされるであろう。』

新約聖書・エペソ人への手紙 第4章32節

『互に情深く、あわれみ深い者となり、神がキリストにあってあなたがたをゆるして下さったように、あなたがたも互にゆるし合いなさい。』

新約聖書・コロサイ人への手紙 第3章13節

『互に忍びあい、もし互に責むべきことがあれば、ゆるし合いなさい。主もあなたがたをゆるして下さったのだから、そのように、あなたがたもゆるし合いなさい。』

第3章14節

『これらいっさいのものの上に、愛を加えなさい。愛は、すべてを完全に結ぶ帯である。』

論語・顔淵第十二

『樊遅問仁。子曰、愛人。問知。子曰、知人。樊遅未達。子曰、擧直錯諸枉、能使枉者直。』

 

 

 

 

 

 

「やあ、お帰り。調子はどうだい」

 

辺りは累卵之危とした空気が漂う中、会いたかった人物をやっと観つけて、臆面もなく気軽に声をかける。だが神幸を終え、還幸した彼女からは、刺すような視線を投げかけられた。

諏訪国にいる全ての狸の頭領で、二ッ岩大明神という神様でもあり、団三郎狸という妖怪でもある彼女は、自分の身体と同じくらい巨大な尻尾に座り、蔚然たる態度で名に恥じない佇まい。周りには彼女の部下・化け狸たちが取り囲むようにいた。オレが面倒なコトをあまねく受け流す達人で、且つ神でなかったら圧倒されそうな貫禄ではあったが、彼女は突然にも一変させ、コロッと豹変したが、穏和とした気配をまるで淼漫かくの如き醸し出すと、ソレは見る見る浸透していった。

 

「なんだい、こんな真夜中に人間風情が......んん?」

 

彼女は額に皺を寄せた。密度が高く、蓊欝とした鎮守の森ゆえに、あまり光芒はしておらず、ぼんやりとしか観えないせいか、それとも掛けている伊達眼鏡の度があってないのかはハッキリしないが、ソレを左手で動かし調節しながら、ずいっと顔を近づけてくると識別し始める。

一息おき、オレが誰なのかを理解すると、普段の彼女に戻った。

 

「おやおや。誰かと思えば......声を荒げて失礼したなお前さん」

「そうか、手遅れだったようだ。オレをニンゲンと見間違えるほど耄碌していようとは……」

「失敬な、灰色の脳細胞を持つ儂は身体も心もぴちぴちじゃぞ」

「う、うん。今のお前もいいが、オレは人間に化けてる時の方が好きだな」

 

先程とは異なり、忽ちのうちにさばさばした彼女をよそに、コチラは反応に困って言葉に詰まると、どう返すべきかの判断がつかず、脳内会議では満場一致で苦笑いをするという議決しかなかった。そんな反応をしても、寛仁大度な二ッ岩大明神はソレを物ともせず、寒かったのか首に巻いているマフラーをより一層深く巻き、オレがココへ来たのを窺い知り頷くと、確信をもって告げる。わざわざここへ赴く理由なんて、しかも彼女が諏訪国へ帰って来た直後に媾曳するなんてすぐ導き出せる。一つしかないのだ。

 

「ほいほい。用件は察しておる」

「聞一以知十とはさすが我が神使」

「帯礪之誓した間柄。智慧(忘却)の女神と白澤が、アレをする前からずっと付き合いじゃからのう...」

「そうだな」

「ほれ、件の琵琶じゃ」

 

マミゾウは部下の狸たちを蜘蛛の子のように散らし、巨大な尻尾に手を突っ込んで取り出したるは弦楽器。ソレを両手で受け取り、そのまま垂直に構えるとしっくりくる。なんだか懐かしい気持ちが芽ばえてきた。失った記憶も戻りそうな兆候。琵琶をもう一度観ると、弁才天は気を利かしてくれたのか、新品ではなく年季を感じるモノだが、あの女神、確か憶えてるんだっけ。

 

「しかしすんなりくれるとは、弁才天様様だな」

「何度もしてきたことじゃが、やはりあの女神と語らうのは肝が冷えるぞい」

「ああ。よくやってくれた。またなにかあれば頼むよ」

 

ねぎらいの言葉をかけたら、虚飾を身にまとわず、媼のようにふぉっふぉっふぉと笑うが、心なしか疲れているように観える。コレからも苦労をかけてしまうだろうが、玩人喪徳になって愛想を尽かされないように気を付けねば。桃李不言下自成蹊が理想。

コレで琵琶と、鬼女の紅葉が持っていた琴を手中に収めた。残りは和太鼓の堀川雷鼓だが、オレが造ってみようかな。永琳なら頭がよいとは言えないオレでも判りやすく伝授してくれるだろうし、今度聞きながら造ってみよう。

 

「いずれは阿波狸合戦も起きるだろう。今回はどうするよ」

「関与するコトはない。もう、ないんじゃよ」

「子在川上曰、逝者如斯夫、不舍晝夜だなあ」

 

そう語るマミゾウは、遠い目をしながら過去の記憶に思いを馳せ、心ここに在らずだった。

かつて××神話のオレ達は、その神話を捨てた。そんな結末になった経緯は単純そうに見えて結構複雑で、どういう理由でそんなコトをせざるを得なかったなどは多々あるが、アレコレ語ったところで意味はない。あの頃と今とでは逐年変わったし、そもそも終わってるんだ。

紀元前にいた民族で、先進的な文明を築いたと思ったらいつの間にか消えた民族もいる。急に出てきて侵略したと思ったら、そのまま忽然として消え失せた民族もいた。ある民族がいきなり歴史に登場してきたと思ったら、別の民族文化の影響を受けて同化し、消えた民族たちもいた。シュメール人も、ヒッタイト人も、エリミ人も、海の民も、××神話の民族だって例に漏れない。聚散十春なのだ。

昔、レミングというネズミが集団自殺をする、と思われていたけど、今じゃそんなコト言われてない。江戸時代の浮世絵師・歌川国虎は、世界の七不思議とされてる古代ギリシアにあったロドス島の巨像を描いたけど、今じゃその巨像はない。そして儒教の始祖・孔子が少正卯という人物を誅殺している。後世の儒学者はなぜソレをしたか、どういうコトなのかを長く論争した。しただけだが。

 

「よいかお前さん。この惑星は地球じゃ」

「なんだいきなり」

「いやまあ昔、お前さんの妻1柱と1人、あと数柱の手により、その神話がなくなってしもうた」

「白衣蒼狗、もう終わったコトだ。今は一新紀元だよ」

 

儒教の始祖・孔子は言った。

『子曰、吾之於人也、誰毀誰譽。如有所譽者、其有所試矣。斯民也、三代之所以直道而行也。』

今の、室町時代の日本人と、平成時代のクソ民族である日本人は同じではないようにな。たまに同じ民族と言うモノもいるが、同じなワケないだろ。今の時代とアレは別の民族だ。そういうコトを言うから、どこぞのクソ共は勘違いするんだよ。平成時代の日本人が古代日本人と同じ民族なワケないだろ。百歩譲って同じ民族だとしても、日本神話の神々が21世紀の日本人を助けるワケないだろ。ソレは大昔の話だよ。仮に助けたとしても天皇、出雲氏みたいな社家のモノ達くらいだろう。百姓の血を引くクソ猿共が神に助けてもらえると思ったら大間違いだぞ。都合のいいコトを考える前に、いい加減現実を観るんだな。

日本の歴史は江戸時代で終わっている。明治時代からはもう別の歴史なのだから。大体、天皇の血が2000年以上続いているというが、ソレは日本の宗教・神話の話なんだぞ。日本の歴史の話じゃない。歴史と神話は同じではないんだ。仮に天皇の血が続いてたとしても、その証拠がないじゃないか。とっととDNA鑑定でもしたらどうだ。

 

「戻さんのか」

「ソレをしてなんになる。ギリシア神話も、古代ギリシア人も終わったんだ。日本もな」

「截趾適屨。終わったモノを蒸し返す事はあるまい。じゃがお前さんはそうでも他のモノは...」

 

彼女はそれ以上言わず、煙管しきりに煙を吐く。仮に××神話を戻したとしても、ソレはかつての××神話というモノに観えるかもしれないが、実際は別のなにかであって、そんなコトをした時点であの頃の××神話ではないんだ。どれだけ言葉を尽くそうとも、ソレを同じモノと言わせるワケにはいかない。

シュメール人も、エジプト人も、中国人も、ギリシア人も、ローマ人も、インド人も、ペルシア人も、フェニキア人も、朝鮮人も、日本人も、アイヌも、古往今来から変わらずにいられたモノはいない。変わるのは当然だし、ソコをどう言っても今更なのだ。だが、変わったのならば、同じではない。同じではないのであれば、同じ扱いをするべきではない。

永垂不朽である釈迦存命時の仏教と今の仏教が同じなどと、いったいどこのダレが言えようか。

論語・八佾第三

『子曰、禘自既灌而往者、吾不欲觀之矣。』

『子貢欲去告朔之餼羊。子曰、賜也、爾愛其羊。我愛其禮。』

子罕第九

『子曰、麻冕禮也。今也純儉。吾從衆。拜下禮也。今拜乎上泰也。雖違衆、吾從下。』

先進第十一

『子曰、先進於禮樂野人也、後進於禮樂君子也、如用之、則吾從先進。』

 

「長旅で疲れたろう。ちょうど今みんなで瓊筵してんだよ。空腹で眠れないならお前も来い」

「饗応を受けよう。儀狄もあるんじゃろ?」

「酒好きが多いから多岐多様だぞ」

 

来た道を戻りながら狸の頭目と昔話に花を咲かせる。

さっきマミゾウが惑星と言ったが、地球の反対側には惑星がもう一つある、という仮説が昔あった。今でこそ反地球はないとされているが、古代ではあるとされていた。太陽の向こうにもう一つの地球があったら、そこにはオレ達と同じ神々や人間が住んでいるのかもしれん。ただ、否定された仮説ではあるが、今にして思えばアレって、量子力学を抜きにしても、パラレルワールドの原型とも言えるんじゃないか。なにせもう一つの地球があるんだ。しかも当時はソレを観測することは出来なかったワケだし、やっぱりあの仮説は一種の並行世界と言える。とはいえこの世界には関係ない話だ。ココはそんなモノで出来ているワケではないんだから。

 

「やっと戻って来られた」

「壮観じゃな」

 

鎮守の森を抜けて神社へ戻ってくると、緑酒紅灯の光景がオレの視界を埋め尽くす。個人個人で楽しんでいるモノもいれば、一応今は冬で雪も積もっているが、酒盛りしつつ体を温め、参道に咲く西行妖を眺めながら呑花臥酒になっている鬼達のように、稠密で混雑となっているモノ達もいた。永琳、豊姫、依姫の姿を探すが、月の民はいないようだ。他の月の民、輝夜と咲夜は諏訪国にいなくて、今も山城国にいる。

 

「ちょいと河童たちと話をしてくるぞい」

「判った。琵琶、ありがとうな」

「構わんよ。儂はお前さんの神使じゃぞ。当然のコトをしたまでよのう」

 

温顔になり、満足げに語るマミゾウは、両眼を閉じ唇を煙管の吸口に当てて吸い出し、口腔に含んで溜まったモノを一気に吐き出すと、ソレは空へ消えていき、首に巻いているマフラーを瀝瀝の風に靡かせながら、彼女はにとりたちの元へと向かった。と言ってもココにはいない。今日は蔵の地下にいるのだろう。一部例外もいるが、河童は寸暇を惜しんで、永琳の指導の下、日夜、技術の向上に努め、志向している。

菁菁者莪、樂育材也。君子能長育人材、則天下喜樂之矣。珍しく神子もいたが、どうも白蓮と命蓮に政治・法を説いているようだ。英才教育かな? どうせなら帝王学も学ばせるべきか。そうすると慧音の帰りが待ち遠しいモノである。ただ、二人とも眠たそうだ。いつもなら就床している時間のハズだが、元々彼女は話すと長いし、語るが好きで気付いてないんだろうな。なんか活き活きとしていてやめ時を感じない。このまま放っておくと朝まで続けそうだよ。止めようとも思ったら、屠自古が現れる。彼女は神子を強引に引っ張って行くと、そのまま強制送還されたので政治講座はお開きとなった。ソレに気付いた藍が限界寸前だった二人を連れて神社へ連れていくが、片付けもあるのでまた戻ってくるだろう。あの子たちはまだ幼いから、今の諏訪国の政治は垂簾聴政なんだがな。

 

旧約聖書・エレミヤ書 第23章5節

『主は仰せられる、見よ、わたしがダビデのために一つの正しい枝を起す日がくる。彼は王となって世を治め、栄えて、公平と正義を世に行う。』

旧約聖書・エゼキエル書 第37章25節

『彼らはわがしもべヤコブに、わたしが与えた地に住む。これはあなたがたの先祖の住んだ所である。そこに彼らと、その子らと、その子孫とが永遠に住み、わがしもべダビデが、永遠に彼らの君となる。』

旧約聖書・ゼカリヤ書 第12章8節

『その日、主はエルサレムの住民を守られる。彼らの中の弱い者も、その日には、ダビデのようになる。またダビデの家は神のように、彼らに先だつ主の使のようになる。』

 

「狐と言えば…妖狐變美女社樹成樓臺、コレは中唐の詩人・白居易か。唐時代の小説・『任氏伝』は夫婦に、明代の『二刻拍案驚奇』は報恩をしていた。女爲狐媚害則深、寄言狐媚者天火有時來」

 

論語・泰伯第八

『子曰、巍巍乎。舜禹之有天下也。而不與焉。』

『舜有臣五人、而天下治。武王曰、予有亂臣十人。孔子曰、才難、不其然乎。唐虞之際、於斯爲盛。有婦人焉。九人而已。三分天下有其二、以服事殷。周之徳、其可謂至徳也已矣。』

『子曰、禹吾無間然矣。菲飮食、而致孝乎鬼神、惡衣服、而致美乎黻冕、卑宮室、而盡力乎溝洫。禹吾無間然矣。』

憲問第十四

『南宮适、問於孔子曰、羿善射、奡盪舟。倶不得其死然。禹稷躬稼而有天下、夫子不答。南宮适出。子曰、君子哉若人。尚徳哉若人。』

 

「古代中国の歴史書・『吳越春秋』によれば、綏綏白狐,九尾痝痝。我家嘉夷,來賓為王。成家成室,我造彼昌。天人之際,於茲則行とある。でも禹は死んだ。あの時代は終わったんだよ、孔子」

 

吳越春秋の記述に、古代中国・夏の創始者とされる禹は、白色の九尾の狐を見て塗山氏の娘を娶った、という話がある。オレの藍は白色と言えなくもないが、どちらかと言えば金色っぽい。

そういえば、下野国(栃木県)で封印されかけていた玉藻前を藍が助け、狐同士で話し合い、藍の僚属にならないかと持ちかけたところ、安閑ならなんでもいいと、考える素振りも見せずに保護を求めて来たらしく、そのまま諏訪国へと引き抜いたとかなんとか。でもオレは話題に出した女性を観たコトがない。いや、会おうとしたコトはあるけど、家事で手が離せないとか、閨に行きましょうとか言われ、他の話を始めて気を逸らされ、うやむやにされている。嫉妬……なワケないよな、あの藍に限って。つまるところ彼女と会ってみたいものだ、しかしどうやって妻に悟られるコトのないよう、それとなく聞きだすべきだろうか。

 

「神農、虞、夏忽焉沒兮......薤露ですね。ときに天帝、私をお呼びでしょうか」

「狐違いだよ純狐ちゃん」

 

どこからともなく仙霊の声が聞こえたが、声だけで姿は見せなかった。この前もすぐに次元を裂いて来たが、まさかずっと哨戒されてるのか。今までそんな胚胎はなかったし、様相を呈しているコトはなかったという認識。オレはもう死ぬコトはない、そもそも敵なんているワケないと揣摩臆測している。彼女の忖度は嬉しいが、取り越し苦労に終わるだろう。いや、もしかしなくても青娥が慎まず、立場を弁えないコトをしないか観ているだけのような……。

だが瓊筵を始めたのは日の入りくらいだったのに、まだ終わっていない。あの時と比べたら随分と人が減っており、落ち着いてきたが、みんな臥し所へ行ったのだろう。常日頃から仕事とかはあんまりないので、基本的にやめ時がない。いつもなら地面に寝っ転がって爆睡してるけど、この季節にソレは酷。だからコレが終わるのは、全員が床に就くまでだな。結局、最後に残るのは鬼だけなんだが。しかし置酒高会もいいが後片付けも大変だなあ。藍であれば率先して行い、顔には出さず内心では嬉々としながらするだろうが、てゐとかは面倒だと愚痴をこぼすだろう。ナズーリンは黙々とするだろうが、星はテキパキこなしそう。虎と言えば、仏教の薩埵太子を思い出すなあ。

 

「お腹すいたな。喰おう」

 

せっかくの宴会、なにか食べようか。酒はあんまり飲まないから、基本食べる専門である。オレは飲食之人だ。あとは女さえいたらいい。それ以外のコトはそこまで興味ない。でも厚酒肥肉だからどれから食べるか思案投首だな――などとマイペースでいたら思考も動きも止まる。

西行妖の下で雪だるまが完成されており、顔も腕も絵にかいたような出来栄え。だがソコは重要ではない。その場には華扇もいたが、ソコではオレの預言者が、仙女の紡ぐ甘い言葉で誘われ、誑かされようとしていた。かつて古代イスラエル人が、他の神に仕えて拝したかのように、あそこにいる仙女と現人神の実娘の会話は大凡の予想はつくので頭が痛くなる。なぜなら××神話が崖っぷちに立たされようとしていたから、阻止すべく動かざるを得ない。

 

旧約聖書・列王紀下 第17章15節

『そして彼らは主の定めを捨て、主が彼らの先祖たちと結ばれた契約を破り、また彼らに与えられた警告を軽んじ、かつむなしい偶像に従ってむなしくなり、また周囲の異邦人に従った。これは主が、彼らのようにおこなってはならないと彼らに命じられたものである。』

旧約聖書・エゼキエル書 第8章12節

『時に彼はわたしに言われた、人の子よ、イスラエルの家の長老たちが暗い所で行う事、すなわちおのおのその偶像の室で行う事を見るか。彼らは言う、"主はわれわれを見られない。主はこの地を捨てられた"と。』

第9章8節

『さて彼らが人々を打ち殺していた時、わたしひとりだけが残されたので、ひれ伏して、叫んで言った、"ああ主なる神よ、あなたがエルサレムの上に怒りを注がれるとき、イスラエルの残りの者を、ことごとく滅ぼされるのですか。"』

新約聖書・ルカによる福音書 第23章34節

『そのとき、イエスは言われた、"父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです。"人々はイエスの着物をくじ引きで分け合った。』

 

「改宗します? 貴方ならいい仙人になれますよ?」

「うーん、仙人にはなりたくないです」

「そこまでだ、残念だったな娘々。オレの預言者を改宗するのはやめてもらおうか」

「あら。爺々から話しかけてくださるなんて、私も捨てたものではありませんね。その節は助かりました」

 

いきなり彼女たちの話へ排擠したが、これっぽっちもイヤな顔せず、まるで酒食徴逐のようだった。青娥の言うその節とは仙霊である純狐のコトだろう。杯酒解怨とはいかなかったものの、ソレでも昔と比べて心の隔てる距離は、二つの星よりも近くなった、ハズ。大徳は小怨を滅ぼすだ。もっとも仙霊と違って、彼女はソコまで感情的にならずにいられるから、純狐を諫められたら解決したようなモノだったので、顔を突き合わせて話し合ったのは良いが、呉越同舟の関係にするため、落としどころを観つけるのは苦労した。

しかし青娥はまたとぼけた。柳に風とは言うが、オレが釣られるコトを理解してて早苗を誘っていたのではないか。こうやって世界に魅せつけるようにしてわざと注目を浴びるかのような行動をとってる。……いやいや、自分で言っておいてなんだが、いくらなんでも今回ばかりは流石に下衆の勘ぐりだ。仮にも彼女は妻なのだから、オレが信じてやらないでダレが信じるというんだ。そうさ。勘ぐり過ぎなだけだ。

そもそも早苗を仙人にしても、正直言ってダレも困らない。だから青娥と一緒にいる華扇は一切止めていない。止める理由がないから。困るのはオレだけだろう。永琳とかはそういうのに興味がないからなにも言わない。だがオレはそうじゃない。釣りと判ってても、誘引だと理解してても、その餌へと全力で食らいつくしかない。惹起される前に止めなくてはいけないんだ。例え本人の意思でなりたいと言っても、邪魔は出来ても応援はしてあげられないんだよ。

新約聖書・ヤコブの手紙 第4章5節

『それとも、"神は、わたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに愛しておられる"と聖書に書いてあるのは、むなしい言葉だと思うのか。』

新約聖書・ペテロの第一の手紙 第3章22節

『キリストは天に上って神の右に座し、天使たちともろもろの権威、権力を従えておられるのである。』

新約聖書・ガラテヤ人への手紙 第2章21節

『わたしは、神の恵みを無にはしない。もし、義が律法によって得られるとすれば、キリストの死はむだであったことになる。』

 

「……」

「弘様、どうかされましたか?」

 

太平記 巻第三十七

『形は人にして額に一の角ありければ、見る人是を一角仙人とぞ申ける。修行功積て、神通殊にあらたなり。或時山路に降て、松のしづく苔の露、石岩滑なりけるに、此仙人谷へ下るとて、すべりて地にぞ倒れける。仙人腹を立て、竜王があればこそ雨をも降らせ、雨があればこそ我はすべりて倒れたり。不如此竜王共を捕へて禁楼せんにはと思て、内外八海の間に、あらゆる所の大龍・小竜共を捕へて、岩の中にぞ押篭ける。――其一角仙人は仏の因位なり。其婬女は耶輙陀羅女これなり。』

 

「弘様。弘様」

「あ、悪い。なんだ」

 

肩を揺すられて我にかえる。内心では駭魄しつつ返事をすると、隣にいる華扇が、大憂そうに覗き込んでいるのに気がついた。どうもここ最近、変だ。自分のコトながら不気味としか言いようがない。オレはココまで耄碌していたというのか。

大隠は市に隠る。対面にはゆったりとしている嫦娥――青娥が腰を下ろしており、こちらが視線を向けると微笑んだ。春風駘蕩ながらもいつも通りの和其光、同其塵を地で行っている。相も変わらず奔波を避ける円転滑脱な妻だった。本来の性格からして金声玉振ではないし、諏訪国に滞留するような女じゃない。昔は雲水不住だったハズなんだが、なにか興味を引くモノでも観つけたか、もしくはココを気に入ったのかな。天変地異が起きそうだが、後者ならどれだけありがたいコトだろう。もしもの時は掣肘するが。

というかいつの間にやら早苗がいなくなっている。あの子は話を聞くのが飽きたのか、すでに天子のところにいた。オレの与り知らぬところで仲良くなったらしい。よかった、一応断ってはいたが、仙人になろうとする現人神はいなかったのか。しかし元気だなー。白蓮と命蓮は眠たそうだったのに。幽々子はとっくに寝ているんだろう、姿が見えないし。

 

新約聖書・マルコによる福音書 8章28節

『彼らは答えて言った、"バプテスマのヨハネだと、言っています。また、エリヤだと言い、また、預言者のひとりだと言っている者もあります。"』

8章29節

『そこでイエスは彼らに尋ねられた、"それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか。"ペテロが答えて言った、"あなたこそキリストです。"』

8章30節

『するとイエスは、自分のことをだれにも言ってはいけないと、彼らを戒められた。』

老子道德經 五十六章

『知者不言,言者不知。塞其兑,閉其門,挫其銳,解其分,和其光,同其塵,是謂玄同。故不可得而親,不可得而踈;不可得而利,不可得而害;不可得而貴,不可得而賤。故為天下貴。』

 

「大丈夫ですか? 気分が優れないなら横になられた方が」

「いや。鬼と龍と仙人の関係について考えてただけだ」

「どうしてまた」

「ちょっと気になってさ」

 

そもそもこの一角仙人の話はインド起源で、確かインド神話ではリシュヤ・シュリンガと言ったか。

彼女は毛ほどもそんな気持ちにはならなかっただろうが、オレはなんだか気まずく感じて、彼女を直視できずに逸らしたら、華扇の肩に乗っていた雷獣と視線が合う。下手をしたら雷獣はオレより賢い。心心相印だな。きっと空気を読んで察してくれたのだろう。地面に下りて胡坐をかいているオレの膝へとすり寄って来たので、青色で中々イカス鬣を撫でると気持ちよさそうな声を漏らした。神と妖怪という違いはあるが、雷同士相性は悪くないようだ。しかしなんて器がデカいんだろう。オレより立派ではないか。

そんな中、無言にこちらを観ているであろう鬼女を一瞥する。だがまだ気遣わしげだった。安心してもらおうと、こうして雷獣へ触れ合っているのに、彼女はあえて指摘せずに、黙っていた。なんと声をかけたらいいか判らない。だからオレには、話題を変えるしか思いつかなかった。

 

「それで仙人って羽化登仙と聞くが、そうなのか」

「いえ......そもそも仙人って空を飛べるんですか、青娥様?」

「よく知られているのは久米仙人でしょうね。元来の仙人とは違いますが、空前ではないわ」

「実りある話に恐縮ですが、ソレは仙人と言えるのでしょうか」

「仏典・『佛說觀無量壽佛經』によれば、あのブッダも空を飛びましたから」

 

仙人と同じように、あの釈迦でさえ存在・意味が変わった、青娥は華扇にそう言いたかったのだろう。

そうして、オレが火付け役になったのか、不本意ながらも仙人同士の歓言愉色に突入してしまう。彼女が言うには、日本の『吉備真備』と『雲居官蔵』もそんな話があったらしい。他にはインドにいた『法道』にもそのような話があり、仏典の『楞厳経』で似たような記述を観たコトがある、と華扇に教示した。

ココにいるとはいえ、青娥は基本的に食事をしないので、ただ集まりの中で気に入ったモノを捕まえて、浅斟低唱するかのように、交歓で語らうだけ。流暢に詠うから、金谷酒数も出来そうにない。ただ両者ともに容姿と身なりがいいし、程孔傾蓋な状景はまるで扇影衣香だった。

しかしながら仙人が空を飛んだ、という例を青娥はいくつか挙げてオレは詠嘆した。だが章句小儒と言われても、雑駁と言われようとも、弘天のオレとしては、仏典だけは認めるワケにはいかなかった。

 

新約聖書・ガラテヤ人への手紙 第3章15節

『兄弟たちよ。世のならわしを例にとって言おう。人間の遺言でさえ、いったん作成されたら、これを無効にしたり、これに付け加えたりすることは、だれにもできない。』

第3章19節

『それでは、律法はなんであるか。それは違反を促すため、あとから加えられたのであって、約束されていた子孫が来るまで存続するだけのものであり、かつ、天使たちをとおし、仲介者の手によって制定されたものにすぎない。』

 

「待て。アレは禍棗災梨だ、屠毒筆墨でしかない。オレはあんなの認めないからなッ!」

「無関心な大衆にとってアレは娯楽でしかないもの、それほど煩う事かしら。由めくのも大変ね」

「違う。大姦似忠ではなく本心だ」

「一部例外はいますが、インド神話に基づく場合、古代インド人は神裔ですよ。つまり――」

「虚静恬淡に言うな。判っている」

 

風になひくふしのけふりのそらにきえてゆくゑもしらぬわか思哉。

確かに神話においての〝血〟とは大事なモノだ。しかしソレは宗教があってこそ、初めて意味を持つんだ。だがその宗教は終わった。民族としての日本人も死んだ。日本神話の信仰は無くならなかったが、そもそも明治時代で宗教的なことは変わりまくってる。アメリカに降伏して負けたし、日本が建国したのは1952年。まだ百年も経ってないんだ。大体、日本の歴史は江戸時代で終わってるんだよ。天皇としての天皇も平成時代の時点で死んだも同然なのだぞ。

神話の民族、神に創られた民族でも、どこからともなく現れ、先進的な文明を築いたと思ったら消えた民族もいるし、急に出てきて侵略したと思ったら、そのまま忽然として消えうせた民族もいた。様々な民族の歴史を学んでつくづく思うコトだが、アイツらどこへ行ったんだろうなあ。

 

「フリと言えば......爺々は私のコトを本当に好いてますね」

「どこをどう観たらそのような解釈が出てくるのだ」

「だって、そういうフリでしょう? 加えて敵愾に近い感情を向けられるのも私だけ」

 

儒教の始祖・孔子は言った

『子日、唯女子與小人爲難養也。近之則不孫、遠之則怨。』

オレは女好きだ。ソレは周りのモノ達にとって周知の事実である。そのハズなのに、オレって、なんで青娥のコトが気に入らないんだろうか。仙姿玉質でナイスボディだし、性格・人格……はやや問題があるけど、ソコまで破綻しているワケじゃない。彼女との関係や付き合いを顧みると、欠点よりも美点の方が圧倒的に多いと断言できる。むしろ都合のいいコトばかりだし、青娥はオレとまぐわうコトを嫌がらず、却ってウェルカムときた。無視できない部分はあるにはあるが、それでも非の打ち所がないと言える。なにより、美人とセックスできるのであれば、端倪すべからざる妻であっても、なにも問題はないハズなのだ。

人心惟危,道心惟微;惟精惟一,允执厥中。子曰、君子成人之美、不成人之惡。小人反是。

 

「素は好色のみ。それ以外は、箕子と蒯通がしたように狂人のフリ」

「そんなワケ――」

「あります」

 

旧約聖書・エレミヤ書 第15章10節

『ああ、わたしはわざわいだ。わが母よ、あなたは、なぜ、わたしを産んだのか。全国の人はわたしと争い、わたしを攻める。わたしは人に貸したこともなく、人に借りたこともないのに、皆わたしをのろう。』

第20章14節

『わたしの生れた日はのろわれよ。母がわたしを産んだ日は祝福を受けるな。』

第20章15節

『わたしの父に"男の子が、生れました"と告げて、彼を大いに喜ばせた人は、のろわれよ。』

第20章16節

『その人は、主のあわれみを受けることなく、滅ぼされた町のようになれ。朝には、彼に叫びを聞かせ、昼には戦いの声を聞かせよ。』

第20章17節

『彼がわたしを胎内で殺さず、わが母をわたしの墓場となさず、その胎をいつまでも大きくしなかったからである。』

第20章18節

『なにゆえにわたしは胎内を出てきて、悩みと悲しみに会い、恥を受けて一生を過ごすのか。』

新約聖書・ローマ人への手紙 第9章20節

『ああ人よ。あなたは、神に言い逆らうとは、いったい、何者なのか。造られたものが造った者に向かって、"なぜ、わたしをこのように造ったのか"と言うことがあろうか。』

 

 

 

 

「観てきました。××神話があった時からずっと」

 

彼女はオレの両手を手に取り包み込んだ。ついさっきまで鬼達が騒いでいたのを聞こえてたが、耳から入る情報を遮断された騏驥過隙に、兆載永劫でしかなかった世界から音が消えた。ふと観ると、みんな電池が切れたように倒れている。神も、妖怪も、人間も、一人残らずだ。いや、河童とかは神社の裏にある蔵の地下にいるし、天狗は仕事が重なって今日はいないし、最初は魔女たちもいたがすでに魔法の森へと帰っている。他にも臥房へ行っているモノもいるから、いつもよりは少ないのだが。

造次顛沛に無音だったが、次第に鬼たちのいびきも聞こえて、気持ちよさそうな寝声もかすかに聞き取れる。距離はあるとはいえ、鬼の声が大きいからだろう。なにかあったワケではない、ただ寝てるだけだ。でもダメじゃないか。酔ったからといえども、神社の中でなきゃ風邪ひくぞ。観ると、隣にいた華扇も倒れ込むように熟睡している。いつ、眠ったのかを、覚えていない。彼女と話し、青娥と語らっていたが、アレからそれほど時は経っていないハズなのに。

 

「私のように生きるのは、爺々には出来ないでしょうね」

「……ソレが出来たら苦労しないんだよ」

「大変でしたね。疲れたでしょう。もう休んでも......いいんですよ」

 

そんなコト出来るワケない――滾滾と湧き上がる高揚の感情に従い彼女へ言い返そうとしたら、声が出なかった。

あれ、なんか頭が真っ白になってきた。というよりなにも考えたくない。三度の飯より女が好きなオレの夢は、諏訪国で女を集めて侍らすコトではあった。あったが、もはやどうでもよくなってきた。このまま全てを委ねてしまえばどれだけ楽になれるのだろう。××神話のコトは全部忘れて、いっそのコトこのまま羊裘垂釣に――

 

菅家文草・早春内宴 侍仁壽殿 同賦春娃無氣力 應製一首

『紈質何爲不勝衣、謾言春色滿腰圍、残粧自嬾開珠匣、寸歩還愁出粉闈、嬌眼曾波風欲亂、舞身廻雪霽猶飛、花間日暮笙歌斷、遙望微雲洞裏歸。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「噫......もう来られるとは、予想より早いですね」

 

 

突如、体全体に衝撃が走り、明滅していた意識が灼たになっていく。青娥は残念そうに呟いたが、動こうとした俯仰之間、右足に痛みがあり、ソコに目を向けると、腿に矢が刺さっていた。コレ、永琳のだ。すぐに抜くべきなのだが、その矢は雲散霧消した。神気で創られたモノだからなのだろうが、それでも足に穴は開いているんだから鮮血淋漓。叫び声をあげるほどじゃないし、歩こうと思えば歩ける程度とはいえ、どうせなら腕の方がよかった。

ただ、立ってる時ならともかくとして、わざわざ胡坐をかいてたオレの足を狙ったのも、何か意味はあるんだろうか。一応は痛覚もあるんだしせめて掠めるくらいにしてほしいモノである。というか、まさか落ちかけていたのか、呑まれかけていたのか、このオレが。

しかしこんな一齣になっても、嫦娥がいるのにあの純狐は出てこなかった。

 

「そんな相好してどうした」

「嫌い?」

「好きだ」

「私もよ」

 

オレの足を射抜いた張本人へと視線を向けるが、手水舎近くに永琳がいるだけで神奈子はいなかった。

胡坐をかいていたが、ちょっと辛くてへたり込む。すると、いつの間にかオレの両脇に綿月姉妹がいた。気配をまるで感じなかったが、豊姫の能力を使って転移したのだろう。しかしあの永琳が矢を放つなんてよほどのコト。オレにはこんな重苦しい空気になる所為が判んない。だってみんな酔いつぶれているだけじゃないか。観た感じ、誰かが殺されているワケではないんだ。だから出来るだけ普段通りに声をかけた。しかし一触即発なムードを和らげることは出来なかった。

永琳との会話を終えた直後、海神の依姫は、腰に巻いたベルトを使い、いつも佩刀して携えている長刀の鞘へと左手を当て、柄を右手で掴み、矢継ぎ早に発する。

 

「嫦娥様、斬られる心組は終えていますか」

「いいえ。それよりも、夫婦の営みに水を差すなんて無粋でしょ?」

「......アレが営み? 私達には営みではないように見受けられましたが」

「嘱目されているコトは判っていましたが......信用されてませんね」

「この惨状と、××神話においての貴方がどういう立場でいるのかを自覚してください」

 

刻薄の視線を青娥に向けているが、見るからに瞋恚している依姫は、長刀の鯉口を切ろうする寸前で、豊姫はいつも持ち歩いている扇子を使い自身へと煽ぎながら、ソレを止めようとせずにいつも通りニコニコしてた。でも月の最新兵器の扇子を使いそうな気がした。いくら咲夜の能力で神社の内部空間を拡張しているとはいえ、こんなところで暴れたら間違いなくあの家が崩壊する。鬼達がいるから普請するのは楽でも、愛着はある。それにココにいるのがオレ達だけならまだいいが、このままでは他のモノたちも巻き込んでしまう。ソレは絶対に避けるべきだ。妻達になにかあったら、まあそれぞれでなんとかしそうな気もするが、早苗達に危険が及ぶのは困窮する。

色んな女を我が物とし、一部男も引き込んだが、支配下に収めたモノを諏訪国にいさせてる訳柄は、当然ながら女を侍らすためではあるが、早苗、白蓮、命蓮、幽々子を垂堂之戒するためでもあり、この国の基盤を盤石なモノとし、鞏固にしたかったのもある。今回はアレでなんの用を成さなかったとしても、必要なコトだった。

……しかし永琳の相好は、このオレでさえ片手の指くらいしか観たコトがない。アレはいつだったか、そう、まだ××神話があった時だ。そんな彼女は神気で出来た第二矢をつがえていたが、ソレを終えると矢じりを青娥に向けて言った。

 

「困るわね。それ以上カレを宥め賺すなら......」

「あら怖い。では爺々、今回はここまでにしましょう」

 

彼女は潮時と察し、オレから離れた。するとカラダがふわふわ浮き始め、そのまま何事もなかったように空へと飛んで行く。本来、青娥は蓬莱の薬を飲んでるから死にはしない。だがその薬を創ったのは永琳と輝夜、相手が不老不死でもその対処法は何百、何千、何万とある。それに永琳の頭脳なら、蓬莱の薬の効果を無くす薬を創れるだろうし、争ってもお互いに利益はないハズだ。だからと言って、分が悪いから彼女は逃げた、とも思えない。

××神話の海神一族である綿月姉妹、その妹が紫色で長い髪のポニーテールを揺らし、右腕にある金色のブレスレット二つはぶつかりあってチャリチャリと鏘然させながら、片膝を地面につけ、崩れるように座るオレの足の虚空を観て言った。

 

「隊長。神綺様から蓬莱の薬を頂いているハズです。今すぐ飲んでください」

「断る」

 

依姫の要求を即答で突っぱねる。意表を突かれたのか彼女は腰を上げた。しばしの間、寂静になったが、釈然としないからか恐る恐る事情を聞いてきた。永琳と豊姫は語らず、彼女の言うコトに同調はしなかったが、内心ではきっと同じ気持ちなのだろう。それでもダメだ。

 

「な......なぜですか?」

「とにかくダメだ。まだアレを飲む気はない」

 

それ以上何も言えなくなったのか、唇を噛み、切歯扼腕している依姫は、長刀の鞘を掴んでいる手が震えており、納得できない気持ちがそのまま握力に変換されているのか、鞘が悲鳴を挙げているのではないかと思うくらいに軋ませている。込めすぎた指先が熱そうだ。永琳が原因とはいえ、足に穴が空いているとはいえ、こんなの唾付けとけばそのうち治るよ。それに瀕死の状態だったらまだしも、この程度では蓬莱の薬を飲むほどじゃない。

だが納得できないのか、必至に昂っていた感情を抑えていた依姫は、青娥に対して吐き捨てるように言い放つ。

 

「やはり擺脱すべきでした。今からでも遅くは――」

「ソレはダメよ」

「ですがお姉さま、私はッ!」

「彼女は弘さんに嫁ぎ××神話の一柱になった。理由はソレで十分」

 

長女に止められ、彼女は寂寥の念に襲われ出した。あの光景にかつては神奈子もいたが、往時の面影はない。悲しいかな、アイツの記憶はまだ戻ってないんだから。オレが青娥を娶ったとはいえ、忸怩たる思いなんてモノはない。きっかけはどうあれ、あの仙女が欲しかった。かつての華扇へとするため、仙術を学ばせたかった。ソレをオレには出来なかったから。だから娶り、××神話に引き込んだ。ただそれだけだ。

姉の言で説き伏せられていた依姫は、自分を押し殺そうとしたが、その前に永琳へと尋ねる。共鳴されたかったワケでも、翼賛を得たかったワケでもない。ただ聞かずにはいられないのだ。

 

「八意様は首肯しているのですか」

「ないわね。百代過客に回帰したとはいえ、ソレが出来た時は鮮少と言ってもいいでしょう」

「いて」

 

息衝きながら頭にチョップされた。痛くはないが反射的に口から音が出てしまった。忘却の女神は、特に震駭せず、神色自若に矢を放ち的確に射抜いてくるのだ。もう慣れたのかもしれん。

永琳が魔方陣を展開し、ソコから透明の瓶を取り出す。中に入っているのは、観た感じ手水舎や川にあるような、どこにでもある水のようだ。しかしこの渦中にあって、月の頭脳と呼ばれた女が水を出すワケがない。水だったとしても、無意味なモノではないだろう。

 

「それでも、××が決めたコトですよ。然らば私達は従うのです。判りましたか、依姫」

「......はい」

 

「依姫は謹厚すぎよ。子供を産んでから弥が上にも情緒纏綿となっている。姉を亀鑑としなさい」

「私淑して豊姫みたいになられても困るなあ」

「あー。弘さんヒドイですー。ココは私が増えたと思って喜んでください」

 

忿懣やるかたない依姫は、永琳に諭されてしゅんとした。そう言われるのは判っていただろうに、どうしても腑に落ちないから、かつての師匠にそう言われて強引に納得せざるを得なかったのか。豊姫と違って、そういうところは不器用な妻だった。ただ和顔施な綿月家の長女は、オレの発言は心外だったようで、待遇を抗議するため、持っていた扇子をオレの頬へぐりぐり押し付け、等閑視はやめてほしいという反抗の意思を示す。結構痛いが、おかげで場の空気は和らぎ、ソレを観ていた妹は憂色に包まれて、潺湲しそうだったが、恵比須顔になった。よかった。

それで永琳がいつもとは違う話し方になったが、アレは素だ。元々ああいう喋り方の女神で。ずっと循環してきたから、オレだけじゃなく、綿月姉妹に対しても距離が近くなり、最近は融和されて砕けた口調をしていただけ。今でこそ××とはこんな関係だが、最初はオレにも敬語だったし歪な夫婦だった。

立ち上がろうとすると、痛みが走る。我慢できなくはないので、そのまま両手を地面に置いて重々しく立ち上がる。思い出話にふけている場合ではなかったぞ。

 

「それで話しているところ悪いが、腿が痛すぎるんだ。このまま見殺しにする気か」

「ごめんなさい。あの場ではソレしかなかったの」

「まあそのおかげで目が覚めたから問題はないが。どうせ、オレは死なないんだし」

 

右手に持っていた瓶のふたを開け、仏教の空みたいになっている穴へと垂らす。一気にかけるのではなく、穴へ染みこませるようにし、動作は緩徐だった。するとだんだん痛みが引いていき、喪失していた肉が塞がれた。こんな便利なモノがあるのに出さなかったのは、蓬莱の薬を飲ませようと依姫に促すためか。

綿月姉妹は急に発言を控えている。彼女たちは静かにコチラを見守ってはいるが、会話の邪魔にならないように配慮しているようだ。

 

「いつもは弘が籠絡するのに、まさか誑し込まれると思わなかった」

「そうか。でも青娥を娶ってから終ぞ目新しいコトばかりだな。悪くない」

「弘が生きているだけで満ち足りた生活よ。昨日より今日が好き。今日よりもまだ知らない明日はもっと好きになれる。みんなでいっしょに明日に行こうね」

 

悠揚迫らぬ智慧(忘却)の女神は青娥に対し非難はせず、咎めたりもしなかった。月の頭脳は判っているハズだ、オレに何かあっても、かつてのように何もしなくていい。元々アレの性格・人格を理解して娶った。オレに何かあれば開門揖盗だ。それに、なんか変だ。確かにみんな寝てて、オレも流されかけたし、足の一部が空虚したのも永琳のしたコトではあるけど、大元の原因は嫦娥、ではない。どうしても彼女がしたコト、とは思えなかった。どう言えばいいのか……強いて言えばあからさまなんだ。仙女は否定も肯定もしなかったとはいえ、アレでは自分が犯人と言っているようなモノじゃないか。ただでさえ立場的な意味でも、××神話の一柱の意味でも、彼女は槃根錯節なのだ。そんな同床異夢の彼女がわざわざ掲焉し、脚光を浴びている。暗澹なだけで有益は一つもないよ。月夜に提灯だ。現に永琳と豊姫はともかく、依姫にいい印象を抱かれてはいないだろう。ただ一番気になるのは、純狐が出てこなかったコトだが。

 

「治るの早すぎだろ。魔法みたいだな」

「珍しいわね、正鵠を射るなんて」

「あれ、××は魔法を使えたのか」

「厳密には魔法じゃない。ただ魔女達が使う魔法も、古代の力のコピーを使用しているだけ」

「古代って……憶えてないぞ。当時そんなのなかったハズだ。あ、××神話があった時だな」

「そうよ。弘の雷霆のような、まだ人間が居なかった時代の無秩序な力。あの頃が懐かしいわ」

 

念のために足を振ると、さっきまでの痛みと穴がウソのように消えていた。なんとも万能な妻である。その空になった瓶を魔方陣で転移させるが、永琳の能力ってあらゆる薬を作る能力だっけ。日常生活ではあんまり発揮できないから、すっかり忘れてたよ。

今日は猥雑して孔席墨突だったが、ソコはいったん忘れて、まずは宴会の後片付けをしよう。じゃないと朝になっちまう。

 

新約聖書・マタイによる福音書 第22章42節

『"あなたがたはキリストをどう思うか。だれの子なのか。"彼らは"ダビデの子です"と答えた。』

第22章43節

『イエスは言われた、"それではどうして、ダビデが御霊に感じてキリストを主と呼んでいるのか。"』

新約聖書・ルカによる福音書 第20章42節

『ダビデ自身が詩篇の中で言っている、"主はわが主に仰せになった。"』

第20章43節

『"あなたの敵をあなたの足台とする時までは、わたしの右に座していなさい。" 』

新約聖書・マルコによる福音書 第12章36節

『ダビデ自身が聖霊に感じて言った、"主はわが主に仰せになった、あなたの敵をあなたの足もとに置くときまでは、わたしの右に座していなさい。"』

旧約聖書・詩篇 第110篇1節

『主はわが主に言われる、"わたしがあなたのもろもろの敵をあなたの足台とするまで、わたしの右に座せよ"と。』

新約聖書・マルコによる福音書 第12章37節

『"このように、ダビデ自身がキリストを主と呼んでいる。それなら、どうしてキリストはダビデの子であろうか。"大ぜいの群衆は、喜んでイエスに耳を傾けていた。』

 

「じゃあみんなを揺り起こすか。このままだと風邪を引くから、依姫と豊姫も手を貸してくれ」

「判りました」

「はーい。でも弘さん、私も子供を産みたいのでその後は相莚しませんか。侘寝は徒然です」

「いいな、しよう」

「......待ってください、虚言ではなく赤心ですか? 真に受けますよ、狂信しますよ!?」

「していいぞ」

「なんということでしょう。冶金踊躍も終え、遂にこの日を迎えました......やったー!」

 

旧約聖書・ミカ書 第5章2節

『しかしベツレヘム・エフラタよ、あなたはユダの氏族のうちで小さい者だが、イスラエルを治める者があなたのうちからわたしのために出る。その出るのは昔から、いにしえの日からである。』

新約聖書・ヨハネによる福音書 第7章42節

『"キリストは、ダビデの子孫から、またダビデのいたベツレヘムの村から出ると、聖書に書いてあるではないか"と言った。』

新約聖書・使徒行伝 第2章25節

『ダビデはイエスについてこう言っている、"わたしは常に目の前に主を見た。主は、わたしが動かされないため、わたしの右にいて下さるからである。"』

第2章29節

『兄弟たちよ、族長ダビデについては、わたしはあなたがたにむかって大胆に言うことができる。彼は死んで葬られ、現にその墓が今日に至るまで、わたしたちの間に残っている。』

第2章30節

『彼は預言者であって、"その子孫のひとりを王位につかせよう"と、神が堅く彼に誓われたことを認めていたので』

旧約聖書・詩篇 第132篇11節

『主はまことをもってダビデに誓われたので、それにそむくことはない。すなわち言われた、"わたしはあなたの身から出た子のひとりを、あなたの位につかせる。"』

新約聖書・使徒行伝 第2章31節

『キリストの復活をあらかじめ知って、"彼は黄泉に捨ておかれることがなく、またその肉体が朽ち果てることもない"と語ったのである。』

第2章32節

『このイエスを、神はよみがえらせた。そして、わたしたちは皆その証人なのである。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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