蓬莱山家に産まれた   作:お腹減った

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Κήρ

三柱女神のへカーティア、吸血鬼、妖精を撥乱反正し終えたが、白駒の隙を過ぐるが若し。今回、俺が琉球王国と蝦夷地の妖怪を従えた娘達の幽香、妖怪の賢者の紫に頼み、日本神話とインド神話の道具で月、月の民、月の都を滅ぼしたのは、へカーティアはともかく、純狐にとって好機だったろう。でも実際は、花は折りたし梢は高しだ。そう都合よくはいかず、月に叢雲花に風でしかなかった。居安思危してるから、今回の出来事を何度回帰しても、早牛も淀遅牛も淀なんだ。月と月の都が滅ぼされ、例えそれが罠だと判っていても、純狐からしたら、来ざるを得なかっただろうが。

だがへカーティア達に一方的な殺戮をしたので、詞藻で言うと、さながら日中戦争時の日本軍が、中国へ重慶爆撃した時みたいだ。アメリカに広島と長崎へ原子爆弾投下された日本も、中国に同じコトをしてるので、アメリカを責めたりはできん。まあへカーティアは、ギリシャ神話の女神だが。

 

「うわーん! ご主人様ー! 私達を残して死なないでよー!」

「生きてたら返事しろへカーティア。傷は浅いぞ、しっかりしろ!」

 

「あんたのせいだろー! あんな雷撃を出すから世界や全宇宙が鎔解、焼き尽くされて一度滅んじゃったよ! あたいは妖精だから死ななかったけど、あんた頭おかしいんじゃないの!?」

 

「地球にはその飛び火を受けさせてないし、滅んだ宇宙を元の状態に回帰したから別にいいだろ。それにいたぶる趣味はないから、雷霆万鈞の方がへカーティアを楽にしてやれると思ったんだよ」

 

地獄の女神の従者である、ニュンペーのクラウンピースは、三柱女神の内、赤髪のへカーティアの死体を両手で揺すりながら、頽れてわんわんと泣き込んでいる。俺も宇宙空間で漂う赤い髪色のへカーティアの頬をぺチぺチ叩いても無反応。へんじがないただのしかばねのようだ。一応、彼女の肉体が灰燼に帰すことがないように力加減を調節したんだが、やりすぎたか。へカーティアが着ている服もボロボロだし、宇宙空間なのに、雷撃のせいか所々焦げ、彼女の肉体を品騭して観たら、体の一部のパーツ、足先や手の指とかが欠けていて、五体満足では無くなっている。だがこれも、千古不易だ。

でもへカーティアが俺に負けたという事は、この時点で俺はへカーティアを娶った事になる訳だ。神子達や映姫みたいな阿衡の佐はもっと欲しいから、後で欠けた体の一部を戻し、蘇生してやらなければ。地獄の女神に呼び出された妖精の大群も、纏めて雷撃で一斉に殺したが、妖精は死んでも死なないし放っておく。ただ妖精以外も呼び出してたから、そいつらも一緒に蘇生しなくてはいけない。さっき放った、雷撃の威力について言及しながらも、今も泣いて、諠鬧している地獄の妖精の肩へ片手を置き、泣き止ませるため、蘇生について話した。

 

「あの雷霆、旧約聖書の町・ソドムとゴモラが滅ぼされた時なんて目じゃない威力よ……」

「後で蘇生するから安心しろクラウンピース。ダビデの星、約束の地は間近だ」

「蘇生してくれるの? なーんだ、もう二度とご主人様に会えないと思った。これで一安心!」

 

へカーティアの体に抱きついて泣き込んでいたが、後ほど三柱女神を蘇生させる旨をクラウンピースに言を伝えると、即座に泣き止んで胸をなでおろした。変わり身が早いな。でも妖精は基本的にお気楽な性格が多いし、結構な事だ。

龍神と衣玖は、俺が念話で神綺、サリエル、くるみに頼んで呼んだ悪魔、妖怪、化け化け、眷属をそれぞれ元いた場所に転移させている。このままへカーティアを蘇生させてブリーフィングルームに連れて行こうと思ったが、そもそもへカーティアがなんの女神かを思い出した。蘇生は純狐を殺した後にしよう。魔方陣を展開してギリシャ神話に出てくる椅子を出し、宇宙空間なのに今も焦げていて、煙を発している三柱女神、へカーティア三人の死体をそれに座らせる。しかしカリストーのクラウンピースがその椅子を観ると、俺に疑問を呈した。

 

「それ…もしかしてギリシャ神話の冥府と地底のΤέως()ΑΙΔΗΣ(ハーデース)様が持ってた、忘却の椅子?」

「ニュンペーなら知ってるか。まあへカーティアは死んでるし、これに座らせても意味ないが」

 

ギリシャ神話、冥府や地下の神である ハーデース ギリシャ神話の忘却の椅子。冥府と、地底の女神、へカーティアの扱いとしては、悪く無いだろう。よくハーデースは冥界の神と言われるが、それは間違いだ。元々ハーデースは地底の神だった。ただ、後世のキリスト教徒が、ハーデースを冥界の神にしたんだ。ディズニー映画のヘラクレスのハデスは悪役にされてるけど、ギリシャ神話に出てくるハーデースは悪役じゃない。これはよく混同されるので、勘違いされやすいが、

ギリシャ神話の地底のΤέως()ΑΙΔΗΣ(ハーデース)と、新約聖書のἍιδης(ハデス)、イスラム教のالحديث(ハディース)

旧約聖書・創世記のשאול(陰府)、旧約聖書・ヨシュア記のγεεννα(ゲエンナ)は、本来同じ意味ではない。

そして、ギリシャ神話において、ハーデース、ペルセポネー、ヘカテーは冥府、地獄の神ではなく、そんなコトになったのは、主に新約聖書が原因だろう。

つまり、へカーティアが地獄の女神の場合、キリスト教の思想が、彼女に混入されているワケだ。

 

しかし地獄か。地獄と霊烏路空…お空(地獄カラス)は、ゾロアスター教起源の地獄思想と、ゾロアスター教が行う葬儀、死んだモノの死体を、死者の肉をカラスに喰わせるという鳥葬繋がりで、とても結びつきが強いモノだ。地獄にいる地獄カラスのお空は、かつて地獄と魔界を創り上げた××神話の1柱、地獄と魔界の総括女神、神綺のペットだが。

今もせっせと、悪魔たちを魔界や冥界にあるそれぞれの区域へと魔方陣で戻していた衣玖を呼び、一瞬で目の前に来た。

 

「いいかクラウンピース。このパッツンパッツンの羽衣を着ている、衣玖お姉さんに従ってくれ」

「んー判った。ご主人様が生き返らなきゃ困るからね、敗者は黙って貴方様に従うよ」

 

仕方ないと。無我の境地にいたクラウンピースは、へカーティアは蘇生するとはいえ、自分が仕える主人を殺されたのに、簡単に頷いて納得した。きっとこれは、付和雷同ではないだろう。案外、お気楽な妖精の方が、世の中の事を判っているのかもしれない。

月の都にいた全ての玉兎は、1匹も殺さず生かしているが、ただ月と月の都を創り直すまでの間、魔界、冥界、天界、地獄などへ送り、一時的な処置を施している。だから月と月の都を創り終えたら、また月の都に住ませる事となっている。ジョージ・ワシントンかな。どうでもいいけど、昔はウサギを数える際、1羽、2羽って数えていた。それで江戸時代は獣類の肉を食することは禁じられていて、獣類の肉と言っても、四本足ある獣の話だった。だから鳥みたいな二本足はそれに含まれてなかったんだが、ウサギは4本足だけど、昔から庶民はウサギを1羽と数えるから、獣じゃなくて鳥だし別に食べてもいいだろ!! という屁理屈を庶民が宣う時代があった。

 

「お待ち下さい旦那様、その措辞では私が太ってると誤解を招きかねません」

「ごめん。つまり衣玖はスゲーエロい体をしてる美人お姉さんだと、婉曲的に言いたかったんだ」

 

俺の従者でもある衣玖へ直線的に伝えたが、その衣玖は率直な物言いに両目を瞑り、右手を自分の胸に当て、自分の意思を述べ颺言し、自分が()に仕えるリュウグウノツカイというのを旗幟した。神綺が統轄している悪魔とかを衣玖に魔界へ戻してもらってたが、××神話にも天使はいて、その天使達をサリエルが統御している。当たり前だが、天使の性格は神話通り最悪だ。特に人間に対しては容赦ない。いや違うな、神話に出てくる天使の性格が、世に出ている創作物の影響で、多くの人間が勘違いしているだけか。新約聖書・ヨハネの黙示録にある天使の喇叭は、キリスト教以外に入信している異教徒の人間とか、人間としては観てないし。そもそも天使が人間の味方とか、天使が正義の味方とか、天使という存在は特に、意味不明な勘違いをされすぎだ。原因は、天使という言葉でイメージしてるのも、誤解が生じている1つの理由だろうけど、残念だがあいつらの人格、性格、天使の性格、人格は、残忍酷薄で、無慈悲で、神の敵、あるいは弱者を蹂躙する畜生しかいないんだ。だとしても、天使ガブリエル、天使ミカエルが出てくる場合、ユダヤ人だけは殺さないだろうし、ヨハネの黙示録・第14章のヤハウェが、地球に生息する全ての生物、姦淫したモノなど、神の戒めを守らないモノを全て殺し、キリストはそのさばきを、真実で正しいと言ってる。

大体、新約聖書と一口に言うが、マタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書、ヨハネによる福音書などに出てくる、キリスト、ヤハウェの性格は、それぞれの書でだいぶ違う。マタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書のキリストの性格は、まだ似ているが。

 

「…私を美人と仰って下さるのは幸甚の至りですが、リュウグウノツカイである私の存在意義は、龗神様であらせられる旦那様と龍神様、豊姫様の従者であり、私のカラダは御三方のモノです」

 

「要約すると、龗神である俺は衣玖の肉体を好きにしていいと」

「はい。私が旦那様のお気に召され、望まれるなら、喜んで私の全てを捧げます」

「…衣玖はどれだけ回帰しても、()に仕える事へ直向きだなあ」

 

地獄の女神を3人とも殺したし、これでやる事も終えた。俺が呼び出した悪魔たちを戻すのは衣玖や龍神に任せ、ついでにクラウンピースについても、純狐を殺して、へカーティアを蘇生するまでの間、衣玖や龍神に任せることにしたが、後はあいつだ。釜中の魚の純狐を殺しに行こう。

 

 

 

この場から鈴仙の元へ転移しようとしたが、その前に月があった場所へと、俺は魔方陣で来た。

 

「月は…ゼウスが真の姿を現したせいで死んだ、ギリシャ神話の神裔セメレー思い出すが……」

 

月を消滅させたから、今では観る影もないけど、跡形もなくなった月を観て、しみじみと思った。しかし宇宙空間に1柱でいると、旧約聖書・創世記や、フランスの小説『月世界旅行』とか、後はイギリスの小説『ロビンソン・クルーソー』を思い出す。いや、能面としてこころが俺の顔に張り付いてるし、宇宙、月、太陽、地球を創ったのはヤハウェだけじゃないが。

 

「旧約聖書・創世記だと、はじめに神は天と地とを創造して、地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊(・・・)が水のおもてをおおっていた――だったか。神霊って、誰のコトだろうな」

 

「一神教なら、それはユビキタス、つまりヤハウェじゃないの?」

「それがな、違うんだよこころ。ユダヤ教って、一神教とは言い難い側面もあるんだ」

「例えば、旧約聖書のエロヒムに、出エジプト記の金の子牛、唯一神教、拝一神教の違いとか?」

「それもある。ユダヤ教が受けた拝火教(ゾロアスター教)からの影響は、尨大だ。そもそもユダヤ教は一神教じゃなかったし、一神教という言葉が拡大解釈され、勘違いしているモノが多いだけだ」

 

”唯一神教”と”拝一神教”の違いを、大抵の人間は理解できてない上に、”一神教”という言葉だけでイメージし、先入観で語ったりするモノは多い。とはいえ、言葉の意味、誤用、誤読っていうのは、時代と共に変遷していくし、その変わった言葉が浸透してしまった場合は、もはや間違いでは無くなり、いくら甄別しても、その変わってしまった意味の方が、世間では正しくなっていく。これは止められない。でも、それは当然のコトだ。鬼、天狗、河童の意味が変わっていったように、元々の言葉は一所懸命だったのに、今では一生懸命になったり、固定観念が固定概念になったり、平成時代でよく使われる寛容という言葉も、明治時代と比べて意味が変わってるし、”原理主義”の意味を、ちゃんと理解せずに使うヤツも結構いるが、原理主義という言葉は、元々キリスト教徒に、宗教家に使う言葉だったし。まあ昔からあるコトだ、今に始まったコトじゃない。

能面のこころを外して、能面の表面を俺の顔に向けるが、どこにも傷一つない、見とれるほど綺麗な能面だ。しばし見詰め合うが、こころは唐突に能面から人型へと成り、周りに10は超える数の、色んな能面を漂わせながら、両手の人差し指で口を広げ、目の前にいるこころは人間形態になっても、あいかわらずの無表情でされた質問に、ここは伝説の呪文であるポマードを唱えて返した。

 

「ねえねえ弘天さん。アタシ、キレイ?」

「口裂け女かな? こころが綺麗なのは言うまでもないが、あえて言うなら可愛いな。ポマード」

「カワイイなんて照れるー。だけどそんな呪文効かぬわー!」

「こやつめ、ハハハ。こころをもっと可愛くするため、髪を結ってやろう」

「うわー。やめろー」

 

無表情で言うこころは、イヤだという言葉とは裏腹に、俺に背を向けて髪を結うのを任せた。髪型は、何にしよう。うーむ…今回全く姿を見せなかった、お嬢様結びのサグメと同じ髪型にしようか。

この宇宙には日本神話・中国神話・ギリシャ神話の神がいるが、一口に神話と言っても色々ある。神話と言ってきたが、最低でも、紀元前5000年の古代から15世紀までの期間に伝えられた神話、いや、ここは妥協して、紀元前の古代から16世紀、あるいは18世紀までに区切りをつけよう。よって、その範囲に語り継がれてきた神話しか神話として認める訳にはいかない。 この理由を説明すると、正確な世界地図が出来た以降の神話は、神話として認めるべきではないのであり、世界を知らなかった紀元前にいたモノ達が語り継いできた神話と、世界を知ってからの神話とは、もはや別モノなのだ。これは天と地ほどの差がある。だから、少なくとも、正確な世界地図が出来た以降の神話は、神話として認めない。ただしこれはある程度の水準、科学の恩恵を受けているモノたち限定。そうじゃない民族、例えばアボリジニ族とかがそれに該当する。まあアボリジニ族の神話は最近できた神話じゃないけど。他に、空飛ぶスパゲッティ・モンスター教の神話設定は意外とよくできているが、あれもダメなのだ。すなわち科学の恩恵を受けてなく、世界地図なんて知らない、つまり”ヒッピー”みたいな民族に限った神話は、20世紀に出来た神話だろうと、30世紀に出来た神話だろうと、それは例外、という話。

 

「しかし宇宙か。民間人を乗せた月面ツアー、衛星トリフネ、蓮子とメリーなど、先は長い」

「なんの話?」

「…もしや、憶えてないのかこころ。昔の話だ。神下駄主義、仏下駄主義ってワケじゃないが」

 

人間形態になっているこころは、髪を結うのをされるがまま、俺に背を向けながらも、右手の人差し指を自分の側頭部にとんとん当てて、枚を銜み、思い出そうとしている。

…仏陀、釈迦は、前世では儒童梵士という人間だったらしい。それで、前世では燃燈仏という仏と出会い、その仏から、釈迦の前世の儒童梵士の未来では仏になる予言、つまり授記した話がある。でもこの話は、そういう話じゃないんだ。

辺りを見渡しても、それらしいモノはない。まあ、月と月の都を消滅させたから、自明の理だが。それに、それが起きるのは、平成時代よりもっと先の、未来で起きる出来事。今は鎌倉時代だし、まだ時間がかかる。

 

「衛星トリフネ...月面ツアー...そんなこともあったような、なかったような…。むむむ」

「なにがむむむだ」

 

平成時代よりも未来に起きた出来事である、民間人を乗せた月面ツアーのニュースに思いを馳せた宇佐見蓮子とマエリベリー・ハーンの未来人、宇宙に浮かぶ幻想郷、緑の閉鎖楽園の鳥船遺跡や、ラグランジュポイント、宇宙ステーション人工衛星トリフネが出来るのは平成より未来の事だし、まだこの広大無辺な宇宙空間には見当たらないが、日本神話の天鳥船は地上にいるとはいえ、先は長いな。この世界には、この渺渺たる宇宙には”流出説”とか、他にも色々鮮少に混じってるけど、自殺を強要する古代ギリシアの哲学者プラトンもどうかと思う。

 

「よし。無事、お嬢様結びに出来たぞ。いやー、塵塚怪王のこころはどんな髪型でも可愛いな」

「ありがとうー。嬉しい」

「まったく、サグメはどこにいるのやら。…………あれ、なんか...忘れてないか」

「んー。多分、玉兎のコトじゃないかな?」

 

こころの返答に、なんのコトかを思い出した。しまった。今まで、こころの髪を三つ編みにして、お嬢様結びにし終えたけど、髪を結うのに夢中で、鈴仙と純狐のコトが抜け落ちていた。うーん…純狐を殺さねばらならんとはいえ、メンドイ。鈴仙と青娥が殺されるのは阻止するが、それは純狐という仙霊を放置していると、俺の奴隷と妻が殺されそうになるからであって、俺は他人の為ではなく、自分の為に生きている。摩頂放踵はイヤだ。こころの髪をずっと結っていたい。まあ…鈴仙が死ぬ結末になるコトは、絶対にナイが。

 

「マズいな、遊びすぎた。早く行かねば…能面になってくれ」

「往くぞー」

「神と人の差が力の差だけならば、 神の存在など不要だ(フヨウラ)!」

 

長話しすぎたし、人型から能面になったこころをまた顔に貼り付け、さっさと鈴仙、純狐へと向かおう。へカーティアは殺し、クラウンピースを支配下に置いた。

嫦娥を殺す事に渇欲し、純狐だけ残存した現在状況は。1926年の日本で起きた良栄丸遭難事故。『3月6日。魚一匹もとれず。食料はひとつのこらず底をついた。恐ろしい飢えと死神がじょじょにやってきた――――』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「暴戻支那ヲ膺懲ス。まるで日中戦争時のスローガン、暴支膺懲かな」

 

さながら旧約聖書のヤコブの梯子のように、宇宙空間を裂きつつ歪め、後光を射しながら神々しく、迅雷風烈に鈴仙の隣へ来たのはいいが、ちょうど終わった後のようだ。鈴仙が純狐に勝ったらしい。隣にいる俺に気付いた鈴仙は、半信半疑で俺を見たが、確信を得るためか俺の状態を聞いて来たので、答えた。今回、月の都と月の民を滅ぼしたのは、もちろん豊姫と依姫の為でもあるが、それだけではなく、重要人物の純狐とへカーティアをおびき寄せるための魚懸甘餌だった。しかも魚網鴻離だったし運がいい。もう、俺がこの場に来た時点で八方塞がり、純狐の結末は決まった。オレ天帝だけど、彼女は文人じゃないから、白玉楼中の人となるワケじゃないが。

 

「弘天様、仙霊にはなにを言っても水掛け論です。…あれ、また元の木阿弥になったんですか」

「相手がへカーティアならともかく、純狐相手なら枷や軛を付けたままで十分だろう」

「ですが人間相手ならともかく、仙霊が相手だと、私ではヤコブみたいにはいきませんよ」

「いや、よくやってくれた。十分すぎる」

 

鈴仙の労をねぎらうが、別に鈴仙が純狐を倒したり、殺す必要はない。鈴仙を純狐に宛てて、拮抗するのが目的だったし、それでいいんだ。純狐の実子をサリエルが蘇生するタメの、時間稼ぎだったから。

鈴仙と殺し合っていた、白砂青松のような美しいその女神は、ウェーブのかかった金髪で、袍服に近い真っ黒でロングスカートの服装、頭に被ってるのは大拉翅…だろうか、にしては形が少し違うが。

急に出てきたから、彼女は駭魄してから目を細め、骄傲な態度で、歯に衣着せぬ物言いで最初は喋ったが、即座に態度をあらためて否定し、表敬を示すためなのか、謝罪された。どういうわけか、俺とは半面の識の間柄でもないのに知られていたが、友人のへカーティアが喋ったのかもしれん。

 

「お前は蓬莱……否。嘗ては原初神・最高神などの天帝の一柱……でしたね。失礼しました」

「どうも。へカーティアはともかく、純狐女士の場合は初めまして、でいいのかは判らんが」

 

古代ローマ人には、その古代ローマ人独自の神話があった。しかし彼らはギリシアの影響を受けてしまい、古代ローマ人は、自分達の神話を捨てたのは有名だ。そう、我ら××神話と同じように(・・・・・・・・・・・・)元々あった神話を(・・・・・・・・)、古代ローマ人は、捨てたのだ(・・・・・)。いや…この場合は、鞍替え、あるいは創り直した、が正確かもしれない。まだ世界が初期頃だった××神話の神々も、とある理由で、昔、世界が初期頃だった時にその神話を捨てた。俺が殺されたというのもあるが、理由はそれだけではない。

次に、新約聖書・ヨハネの黙示録21章6節で、主はこう言われた。

『事はすでに成った。わたしは(ヤハウェ)アルパ(Α)でありオメガ(Ω)である。初めであり()終りである()。かわいている者には、いのちの水の泉から価なしに飲ませよう。』

 

「毕竟、天帝が御出でになるのは分が悪いです。私も戦力を増やしましょう。さあ出ておいで! 地獄の女神、ヘカーティアよ」

「遺憾だが、地獄の女神は来ないぞ玄妻」

 

純狐を観ながら答えてみたが、純狐の表情を観るに、憶えてないのかもしれん。今、純狐はへカーティアの名を呼んでも出てくる気配が無く、変わらず純狐は孤立無援。なぜ来ないのかと首をひねっていたが、宇宙空間を歪め、俺の周りに出てきた椅子に座っていた地獄の女神に気付いたようで、しかめっ面になった。まさかあの短時間で、地獄の女神がこうなってる事を予想してなかっただろう。純狐は友人の反応を確かめるべく、もう一度だけへカーティアの名を呼んでみたのはいいが、忘却の椅子に座っている三人のへカーティア・ラピスラズリは、質素な椅子に座ったままで、ずっと俯いて一切の反応を返さない。反応しないのはすでに死んでるからだが、三相一体の女神がこの体たらく。傍から観てると……なんかいたたまれない。

 

これ以上は億劫だと察した純狐は、水火を辞せずの気持ちで、喉から手が出るほど恨んでいる女神について聞かれた。百年河清を俟つはイヤだろう、しかしそれは、水中に火を求むだ。相変わらず純狐は嫦娥に関しては、旧調重弾で旧態依然だが、嘗ての夫の関係者を殺す事だけに精励恪勤するのではなく、虚室生白でいたら楽になれるだろうに、彼女にとってそれが生きがいになってるのかもしれない。

 

「月、月の都は消滅しましたが、讨厌姮娥(青娥)はどこにいるのか。月の民の(貴方)、天帝である爺々ならば、ご存知ではないですか」

「あー...知ってるんだけどさ。その…実は、軽率な事をして、あの嫦娥を娶ってしまったんだ」

 

その発言をした時、この場にいない咲夜が何かした訳でもないのに、時が止まって小康した。鷹揚だった純狐は唖然としていたが、俺の言を理解できずに、中国語と日本語も交じりながら素が出てしまう。今回の月の都侵略、残念ながら純狐にとっては、寸進尺退でしかなかった。なにせ今回、初めて青娥を娶ったのだ。つまりは俺も無関係ではなく、青娥と夫婦になった以上、蚊帳の外ではなくなってしまった。それを青娥は見越して、俺に嫁ぐことを決めたのだろう。その方が確実に守られると考えた上での季布の一諾で、打算的な行動であり、窮猿奔林なわけだ。まあ俺以外に月の都を滅ぼされたりされると色々面倒だし、特に青娥が殺されると困るから、今までも純狐へ掣肘をして来たんだが、他人の時と夫婦の時とは、守る時の対応が違うに決まってる。明敏な青娥の悪辣と狡猾の健在ぶりは、神話時代から感銘を受けてるし、そこが気に入ってて好きだ。

 

「…………吃惊! 夫妇!? 不管怎样、あの海千山千の女(青娥)を娶るなんて不经意!!」

「うん…うん......。不管什么である香囲粉陣のためとはいえ、反論できないな」

「天啊! 千里之堤,溃于一蚁之穴…天啊......」

「中国神話の女神がそれを言うのか…」

 

大体、ギリシャ神話においてのヘカテーは冥界や地底の女神であって、地獄の女神じゃねえんだ。忘却の椅子に座って、沈黙しているへカーティア・ラピスラズリの能力でいる三人の内、全く動く気配を見せない赤い髪のへカーティアの右腕を片手で掴み、上げたり下げたりして遊んでいたら、純狐が俺を睨み、切歯扼腕の態度で、小声ながらも、俺と鈴仙にはっきりと聞こえる怒声を出したから、それをいなしつつ淡々と返した。

古代日本人の日本神話、古代中国人の中国神話、古代ギリシャ人のギリシャ神話が、他の民族の神を自分達の神話に結合させたように、千軍万馬の××神話もそこは同じだ。当然ながら、力が全てという実力主義ではない。でも紀元前から語り継がれている神話とは、敗軍の将は兵を語らずで、牽強付会なんだ。

 

「昨日の襤褸今日の錦...嫦娥と夫婦…糟糕。ですが昵懇の仲に、気安く触らないでほしい」

「おいおい純狐、へカーティア・ラピスラズリは俺に負けたんだ。神話において敗者がどうなるのかは、お前が一番知っているハズ」

 

汲流知源を斟酌したようで、驚天動地した純狐は、頭から水を掛けられたような、にわかには信じ難い表情になった。聡明な彼女は、挙一明三で即座に理解したようだ。狂爛を既倒に廻らすことも出来ないだろうし、この状況では窮余一策は思いつかないだろう。冬来たりなば春遠からじになることはない。嫦娥を殺そうという毅然たる態度は好きだが、秋の鹿は笛に寄るに気を付けた方がいいんじゃないかな。

そもそも中国神話も、中国に伝わる神話だけではなくて、他国の神話も、中国神話に混ざりあって出来ている。それは色んな神話が混ざってるギリシャ神話同様、色んな神話が混ざってる中国神話も、例外じゃねえんだ。実際女神だったモノは人間にされたり、女神だったモノは怪物にされたり、神話から消されたりと、零落する場合が多い。紀元前の古代から続く神話において、女神はその傾向が特に強いんだよ。旧約聖書と新約聖書には、新しい酒は新しい皮袋に盛れとあるしな。

 

「…今日の一針明日の十針。まさか、いえそんな…でも爺々ですから…。もしや彼女さえも……」

「是的。对已经发生的事情再采取预防措施,太晚了无济于事」

「哎哟…! 過則勿憚改...対不起……不好意思、へカーティア…!」

 

純狐は前途が暗澹になったのか、蒼惶な挙措進退になり、周章狼狽して九腸寸断の表情になった。どうでもいいけど、外国では謝罪したら非を認めた事になるので賠償モノなんだったな。

俺が勘違いさせるようなことをしてるのが原因とはいえ、純狐から勘違いされてるかもしれない。へカーティアを殺したけど後で蘇生するんだ。なにせ娶ったんだからな。だがそれを知らない純狐は、へカーティアの死体の扱いを観て挑発するためや、純狐を刺激するために死体を見せていると誤解を受けてそうだ。まあでも、過程はどうあれ、結果としてへカーティアは大敗を喫した。だから純狐になんと言われようとも、へカーティアは××神話に降ったことになり、地獄の女神は俺のモノに違いない。

今も自責の念に駆られ、事態が切迫して殺気立っている純狐のため、ここは話題を変えて、気を紛らわせようと思い、不意に話しかけてみたら、純狐の顔は、疑問の色でにじませていた。なんでそんな事を突然言い出したのか、そして俺が何を言いたいのかが、真意を汲めないのだろう。

新約聖書・マルコによる福音書10章6節~9節で、キリストは言った。

『天地創造の初めから、”神は人を男と女とに造られた。それゆえに、人はその父母を離れ、ふたりの者は一体となるべきである。”彼らはもはや、ふたりではなく一体である。だから、神が合わせられたものを、人は離してはならない。』

 

「唯の人間はミトコンドリア・イヴ達と、ピテカントロプス・エレクトス、ネアンデルタール人、クロマニョン人は、做爱(セックス)をして子を産み、親は死ぬ事を、生生流転としてきた」

 

「まあ…そうですね」

 

全ての始まりとは、シュメール神話、バビロニア神話、アッシリア神話、アッカド神話など、平成時代で判明している一番古い神話は、それら全てを合わせた、総称メソポタミア神話だった。まあイラン神話、ペルシャ神話もあるが、それから各地に枝分かれしていったのだ。

彼女たち、ミトコンドリア・イブたちのように。

 

「オレは産めよ増やせよ政策(旧約聖書・創世記)ではなく、反出生主義だが、神の子孫の人間、神裔は例外だ」

等一下(待って)。爺々は香囲粉陣がお好きな方、ソレは...矛盾してません…?」

 

「してない。ミトコンドリア・イヴ達や、ピテカントロプス・エレクトス、ネアンデルタール人、クロマニョン人みたいに地球が生んだ人間と、天皇みたいな神の子孫、神裔の人間は別モノだ」

 

ピテカントロプス・エレクトス、ネアンデルタール人、クロマニョン人は地球が生んだ、猿人だ。ミトコンドリア・イヴも地球が生んだ人間であり、神々が創り出した人間ではない。寿命がいい例だ。それに食料は御食津神がいるし、水も水神で補って余りある。だから神裔が増えようと、問題ない。そもそもアマテラスやニニギの血を引く神裔が、1人だけ生き残っていればいいのだから、後は死のうが殺そうがどうでもいい。千羊の皮は一狐の腋に如かずさ。教条主義というわけではないが、古事記と日本書紀の日本神話にある、天壌無窮の神勅の神権政治だけは厳守し、遵守せねばならん。

 

「例えばさ、月という衛星が好きだ、って思うモノがいたとしても、それは月の民の事が好きだ、って事にはならんし、神と妖怪が人間の道徳、倫理を語ってたら滑稽で失笑ものだ。それと同じ」

 

「啊。旨は判りますが……」

 

平成時代にある人間の道徳というモノは、当たり前だが、古代の紀元前から、最初からあったモノじゃない。長い時間をかけて、平成時代の道徳へ育み、培ってきたんだ。

更には、その道徳、倫理の多くは、古代オリエント、古代イスラエルのユダヤ教、西洋宗教であるキリスト教の影響はもちろんのコト、アジアのイスラム教までに至るまで、日本の歴史的を観ると、それらの宗教から派生され、日本、日本人へと影響を与えた道徳、倫理もある。日本人は、それらの宗教からその倫理、道徳を培ってきたんだ。もちろん神道と仏教の影響を受けた倫理、道徳も、日本と日本人の文化、宗教観として根付き、刷り込まれて、当然、昔から数多くある。それを切り離すのはムリだ。

 

それを踏まえて言おう。例えば神の俺と永琳、または妖怪である紫と幽香が。

人間を奴隷にするなんてやめて、どんな人間だろうとも、尊厳と権利は、弱者も強者も平等にし、みんな奴隷にされず、全人類は仲良く、平和に、自由に生きたらいい。

 

なーんて言ったら、苦笑か、あるいはお腹を抱えるほど笑える。神や妖怪なのに、いったい何言ってんだと。神話好きで、各国の神話を読んで知ってたら、尚更そう思う。

旧約聖書・出エジプト記のヤハウェも、杖をモーセとアロンに授けて使わせ、ファラオに十の災いを起こさせたとはいえ、奴隷の考えを否定してないし、やめさせようとはしなかったんだ。

元々、古代の思想は、席捲した国の民族を奴隷に使うなんて、日本でも当たり前だった。もちろん国によって、奴隷の扱いの差はあった。古代ギリシャと古代ローマの、奴隷に対する扱いの差がいい例だろう。

しかし、世界人権宣言を境に、尊厳と権利とについて平等である。という流れになっただけだ。

一部の古代哲学者が奴隷制をやめるべきだと謳ってたモノはいたが、つまり、奴隷にするなという思想は、古代では無かったんだよ。世界にその思想が広まったのは、ごく最近だ。その思想が広まるコトになったのは、ある意味、古代ギリシアの哲学者たちと、新約聖書のお蔭とも言える。そもそも黒人を奴隷にするコトになった原因の一つは、新約聖書のせいでもあるが。

 

「だが人間の道徳・倫理といっても、殆どの道徳・倫理は元々宗教から生まれた派生にすぎん」

「それは紀元前の歴史が証明してますね。価値観、道徳、倫理、論理なども宗教からの派性です」

「科学者は無宗教・無神論と勘違いするモノは意外と多いが、キリスト教徒の科学者も結構いる」

 

さっきから口を挟まず、黙って観ていた玉兎を呼ぶと、いきなり呼ばれるとは思わなかったのか、面を喰らいながらも傍に来た。隣にいる玉兎の腰に手を回して密着し、鈴仙はこんな雰囲気の場面で、一体どういう反応を返せばいいのかと、え、え、と声を漏らしながら純狐と、目前にある俺の顔を一つ置きに観ながら対応に困っているが、お構いなしで続けた。

 

「全く、神は人間の信仰が無ければ存在できないなどと、誰がこんな虚言を広め、法螺吹きしたんだ。日本神話、中国神話、ギリシャ神話も、信仰なんてモノがなかろうと神々は存在できるのに」

 

信仰は儚き人間の為にってのもあるが、笑わせないでくれ。早苗は神裔じゃないか。

別に啓蒙したいわけでも、原理主義でもないが、神は人間の信仰が必要なんていう出鱈目な虚誕、古事記と日本書紀には、全然、掻暮、これっぽっちも、一切合切の記述がないのだ。トートロジーだが。

例えば、以前から念頭に置いてたけど。純狐は、天津神を見くびりすぎだ。月の民を疎んじるのは結構だが、あの程度の穢れで致命的になるなんて、古事記と日本書紀の天津神に、誤解や勘違いが生じるかもしれない。

他には、廃仏毀釈が起きた明治時代、僧が肉を食べたり、僧が妻帯するのを許されたのは浄土真宗だけだったが、当時の明治政府は、僧に僧侶肉食妻帯蓄髪等差許ノ事と布告して、浄土真宗以外の宗派などが、それをしても許されてしまい、江戸時代からの葬式仏教に、拍車がかかった。とはいえ、浄土真宗も本来ならばしてはいけないんだが。まったくもって、明治政府は本当に余計な事をした、つまりはそれと一緒だ。とりあえず、ドイツのヘルマン・ヘッセの小説『シッダールタ』が不朽の名作なのは間違いない。

 

「…放屁不看风色、無慙無愧。その曲解と虚言を鵜呑みにし、神とはそういう存在なのかと、そう盲信する人間も度し難い問題点。各国の神話の神々からすれば、いい迷惑で、顰蹙モノですね」

 

半神、あるいは神に造られた人間が、神になる神話の例を挙げるなら、ローマ神話のロームルス。ギリシャ神話のアイオロス、グラウコス、アスクレーピオス、プシューケー。北欧神話のマーニとソール兄弟。ユダヤ教の天使メタトロン、サンダルフォンの双子の兄弟とかもいる。厳密に言えば天使は神ではないが、神に近い存在だからな。インド神話のサティーはちょっと違うかもしれないが…似たようなモノだ。中国神話の黄帝、古代中国の哲学者・老子とかも神格化されて神みたいになってるしなあ。

やはり日本神話とギリシャ神話、そして日本神話と中国神話は、設定がとても酷似している。これらの神話は、内容が酷似してるのではなく、設定が酷似してるというのが重要だ。まあ内容も似てるんだけどさ。ギリシャ神話に限ってならその割合は多いが、神の子孫の人間が、神になってるんだよ!! 日本でいうアマテラスの血を引く天皇みたいに、ゼウスの血を引くヘラクレスも死んだ後は神になってるし。でも日本神話と神道って、原初神や創造神はいても、基本的に最高神がいないんだ。確か、アマテラスが最高神みたいな扱いになったのは、鎌倉時代から明治時代にかけて、じわじわとだし。それでもアマテラスは、古代日本から高位の神ではあったんだが。一例を挙げると、第41第女帝・持統天皇とかを観たら判りやすいか。おそらく彼女、持統天皇は、アマテラスになりたかったんだろう。

 

「ギリシャ神話のアイオロス、グラウコス、アスクレーピオス、プシューケー、オルペウスなどの神裔・半神は、存命時、あるいは死後。ゼウスなどの神々により、神々の列に加わっているが」

 

あ、ディオニューソスも元は神裔・半神だったが、後に神へとなってるな。

…本当はまだまだいるけど。とりあえずギリシャ神話の神裔・半神で一博引旁証したが、ギリシャ神話だけではなく、他の神話の半神が神になった原因と、神になった理由の例を挙げようモノなら、一日では語り尽くせない。今回はギリシャ神話の場合で挙げてみたが、今挙げたギリシャ神話に出てくる人物は、もちろん全て神の子孫だ。ただの人間が神になった神話じゃない。でも、人間が神になった神話って、かなーり少ないが、他の神話でもあるにはある。それは中国神話にも実際にあるんだ。まあ神と仙人は、同じ存在ではないが。

 

「ゼウスは、神裔・半神のタンタロス、ガニュメーデース、エンデュミオーンも不老不死にした」

「つまり、原因があって結果が生まれている。ギリシャ神話の例を挙げると殊の外いますね」

 

「まあギリシャ神話も然ること乍ら、こういう神話は、ギリシャ神話以外でもある。ただ他の神話の場合、大抵は1人か2人くらいしかいない。殊更ギリシャ神話が特殊なだけだ」

 

天皇は当然として、聖徳太子、厩戸皇子、菅原道真、平将門、物部布都、蘇我屠自古、藤原妹紅、幽々子、白蓮、命蓮なども、神裔だ。

よくゼウスはクズだと言われるが、実はギリシャ神話を観て蓋を開けると、意外とお節介で、しかも男相手だろうがスゲー優しいんだよ。月の女神・セレーネーに、神裔・半神のエンデュミオーンを不老不死にしてほしいと請われて、ゼウスがそれを聞き入れ、叶えてやったりもしてる。まあ、ギリシャ神話の半神は殆どゼウス子孫しか出ないし、そもそもゼウスが優しいのは神裔・半神だけだが。ゼウスは神裔・半神のセメレーと約束して間抜けなコトをしたり、ゼウスは実娘や孫娘にも手を出してる。

てかさ、ゼウスって数多の美女をレイプした事で知られてるけど、正直そういうレイプする神話、ギリシャ神話ではゼウス以外でも多くあるし、実はインド神話の神々も、あまり知られてないだけで、美女をレイプする神話がかなりあるんだよ。関係ないが、釈迦が存命してた時の古代インド人は自ら進んで苦行するドMが多く、これは俺が言うのもあれだが、カースト制のインド人は、もっと人間を大事にした方がいいと思う。

 

「だがこれは神裔・半神が神、不老不死になる話で、ただの人間が神になる話じゃない。中国神話において人間を創ったのは一般的に女媧だが、これらの人間は、純狐とは前提が違う」

 

「ギリシャ神話の神裔・半神カイニスは元女性でしたが男性になり、テイレシアースは元男性でしたが、神々の力で女性になったり、また男性に戻ったりしてます」

 

「よく知ってるな、ギリシャ神話のシプロイテスも男から女になっている。まあそれでも、神々が神裔・半神を性転換する話だし、ギリシャ神話以外でも性転換する神話はあるがソコも同じだ」

 

そもそもこういう話は、全て神々が関わっている前提で、全て起きているのだ。ギリシャ神話の海の女神・テティスはイヤがったが、神裔・半神のペーレウスと夫婦になり、あの有名なアキレウスを産んでいる。この話は、トロイア戦争が勃発する原因になった話でもある。

インド神話のモーニヒー、シカンディン。北欧神話のロキ。宇治拾遺物語の清徳聖。イソップ寓話集のハイエナ。中国の聊斎志異、捜神記とかや、昔から性転換の話は結構あるし、浄土真宗開祖・親鸞が夢で、あの聖徳太子から、色欲に負けそうになったときには私が女体化して受け止めるとかの話もある。擬人化、食人、異類婚姻譚、獣姦、同性愛、両性具有がある神話はもちろんのこと、そんな話は現実でもあるし、神話以外でもそう珍しくない。ロキも妊娠してるし。…ただし神話の場合は、神話に出てくる神か、神裔・半神に限った話。あらあら私は きんどーちゃん。そして、信じられないかもしれないが、食人がある神話って、実はそう珍しくないんだ。子供を食べる食人の話は、ギリシャ神話のタンタロス、日本の昔話の『うりこひめとあまのじゃく』とか、ドイツのグリム童話・『杜松の木』を思い出す。あと良栄丸遭難事故。

 

「祐善…。しかし仙霊か。そういや、幽霊と做爱(セックス)する話、牡丹燈籠や六朝記とかにもあったな。幽霊と做爱する話って日本にも昔から一応あるけど、中国の方が多い気がする」

 

「……あの、コレは真面目な話なんでしょうか?」

 

「ああ。ヒエロス・ガモスだ。神話や神々において、交媾をして子を産むのが、どれだけ重要かは知ってるだろ。へカーティアも玄妻も、神話の説によっては子供を産んでる元令閨じゃないか」

 

古代メソポタミアにいた巫女が行う性儀式があり、それは神聖なモノだった、つまり神聖娼婦だ。メソポタミア神話、シュメール神話の半神ギルガメシュは、友である半神エンキドゥへと、娼婦を派遣して性交渉を行わせている。大昔は宗教的な意味でも、セックスという行為そのものが神聖だったし、日本でも金精神とかの性神を生器崇拝してる。ただし、誰でもいいと乱交したワケではなく、大昔からちゃんと決まった相手とセックスをしていた。誰でもいいというワケじゃない。令閨といっても純狐はその夫を殺して、説によってヘカテーは娘を産んでいても、決まった配偶神がいないが。

ただ古代ギリシャにはδαίμων(ダイモーン)Κήρ(ケール)という考えがあった、でもこの二つも基本的に、神裔の人間や、神の子孫である半神に当て嵌まる言葉だ。ただし、Κήρはギリシャ神話の女神でもあり、その言葉は死神、または悪霊という意味もある。Κήρという言葉を広義に解釈するならば、純狐はそれに近い…かもしれんが、それに該当するかどうかについての、断言ができない。

でも純狐が悪霊だとすると、新約聖書・ルカによる福音書では、キリストが悪霊を追い出す話があるし、相性が悪そうだ。マルコによる福音書の場合は、確か御霊と悪霊を、キリストは追い出してたな。

 

「不老不死については、黄山で不老不死の霊薬を飲み、仙人になった黄帝。始皇帝・徐福。道教にある錬丹術などで中国の方が有名だ。だが純狐は、不老不死や嫦娥みたいな仙女とも言い難い」

 

「かつて黄帝が夢で観た、無為自然で治まる理想の国、華胥の国もありますね」

「キリスト、釈迦、サン・ジェルマン伯爵みたいに、黄帝も尾ひれをつけた話が多いけどな」

 

ギリシャ神話のネクタル、ゾロアスター教のハオマ、ヴェーダ神話のソーマ、後は、インド神話のアムリタなどもある。一言で言えば、これら全ては飲料で、飲むと不老、または不死のどちらかにだけなる事が出来る。まあ不老不死にもなれるんだが、でもこれは、基本的に神話の神々が飲んでるモノだ。それぞれの神話においては、神々が飲んでいいとされている飲み物であって、人間が飲んでいいとされていない。

ただし、ギリシャ神話の神裔・半神タンタロスは、神酒ネクタルや、神々の食べ物アムブロシアーを食べるコトを許されている。それとギリシャ神話の神裔・半神のプシューケーは不老不死になれる神酒のネクタールを飲み、神々の列へと加わっているが、それは彼女が神の血を引く神裔・半神だからであって、尚且つ彼女は試練を乗り越えたからこそ、神酒のネクタールを飲むことが許されている。ただの人間だったならば、神になったり、ネクタールを飲む結末には、絶対にならなかっただろう。それ以前に、ギリシャ神話に出てくる神裔・半神は、ほとんどゼウスの血を引く子孫だし。

 

「換言すると......私は日本でいう菅原道真・平将門に近いと」

 

「いや…それも語弊がある。そもそも菅原道真と平将門は、天津神の血を引いているから神裔だ。崇徳天皇、厩戸皇子もそうだ。当然それは正史(神話)通りに進み、歴史の史実が一致してる前提だが」

 

と言うのも、今挙げたギリシャ神話に出てくる人間全ては、全員、神の子孫だからだ。純狐の場合とは、少し違う。日本でいう平将門と菅原道真も、死後は怨霊から神様になったが、そもそもこの二人に共通してるのは、双方とも天津神の血を引く、神の子孫なんだ。でも純狐は神裔ではない。新約聖書・マタイによる福音書と、マルコによる福音書のキリストは、生き返ってるけど。

平氏、源氏、藤原氏が天皇の血があると証明するには、その証拠を提示しなくてはいけない。そこで、平氏、源氏、藤原氏が天皇の血を引いている、という証明人の代わりとして、俺達がいる。だから平氏、源氏、藤原氏は天皇の血を引いていると断言できるのだ。そうなるように、調節、統制して来たんだから。

 

勘違いされては困るが、人間が神になる神話の人物を、博引旁証したのは、インド神話、ギリシャ神話、北欧神話やヘブライ神話の場合、神々が創った人間や、神の子孫だからこそ、人間が神になった、あるいは神々の手で人間を神にした神話だ。つまり、それら全ての神話は、神々がいるという前提で、神々が関わっている前提の元で、神々によって、人間が神になるという、その結果が生まれているというわけだ。そして、この世界は因縁果に、因果的に閉じられている。死んでから神になったモノは、ローマ神話のロームルス、ギリシャ神話のヘラクレスなどでいるにはいるが、この二人は半神、つまり神の子孫だしな。とはいえ、純狐は神というか……仙霊だから、彼女を神という存在と呼ぶべきなのかは議論が必要だ。青娥も仙女であって、神ではない。仙人と神は別モノだ。

ただの人間が、神の子孫でもなんでもない、ミトコンドリア・イヴの子孫や、ピテカントロプス・エレクトス、ネアンデルタール人、クロマニョン人などの猿人が、神になった神話じゃないんだ。インド神話のサティーは、シヴァの最初の妻だが、彼女は死んだり生き返ったりして、輪廻転生を繰り返し、人間になったり、女神になったりしてるし、ギリシャ神話の神裔・ポリュデウケース、カストール兄弟がいる。この話は諸説あるが、一説にカストールはただの人間で、人間だった彼は死んでしまい、神裔・ポリュデウケースの願いを聞き入れた神々は、ただに人間のカストールを神にはしてるが、それは神裔・ポリュデウケースが神々に請うたから、とも言えるしな…。

 

「旧約聖書・創世記。火の鳥未来編(ガイア仮説)。ハビタブルゾーン。なあ仙霊。能力、霊力って何だろうな」

「人間原理の話ですか」

「オレ、その人間原理っていう言葉が大ッキライだから違う。眠り姫問題も好きじゃないし」

 

純狐は、女神ではある。しかし中国神話に出てくる神々は、その一部を除いた大半が、俺達と同じ神という存在ではないからな。なにせ中国神話に出てくる人間は、半神ではなく、ただの人間ばかりだからだ。まあ黄帝は色々な話が混ざってるから、ただの人間とは言い難いし、中国神話の黄帝は、蚩尤という神と戦って勝ってる。そもそも中国神話の黄帝って、神祖みたいな存在だし。結局何が言いたいかと聞かれたら、要約すると、純狐は神と人間の境界線の場合、元々は人間で、今は神寄りなのだが、厳密に言えば神ではない。撞着語法みたいなのは理解してるが、困った事に純狐は、実際に、槃根錯節な存在なんだ。

 

「そもそも霊力自体、意味不明だ。人間の定義で言えば霊力なんて人間は持っていない。まあ巫女は神の妻だし、巫女と半神と神裔はまだ判る。しかし霊力がある人間は、人間だといえないだろ」

 

「全ての原因に理由を求めるのは無粋、もしくは野暮と言うのでは?」

 

「まあ…そうだが。これは神の子孫と、ただの人間の区別をつける上で、絶対に必要な話なんだ。知っての通り、各国の神話全てが、神話時代にこの世界で実際に起きたから、避けて通れない」

 

これは、アマテラス、ニニギ、ホオリ、ウガヤフキアエズの血を引く、神の子孫・神武天皇など、アメノホヒの神裔・出雲氏、ニギハヤヒの神裔・物部氏、諏訪大明神の神裔・諏訪氏にも言える。以前にも言ったけど、俺が言ってるコトは、ギャグマンガに出てくる死なないキャラに、なんでこのキャラ死なないんだ、とツッコミしているようなモノだ。そんなコトは最初から理解している。理解した上で、この話をしてるのだ。

 

イヴが死んだのかどうかについては書かれてないが、旧約聖書のアダムは、300年以上生きてる。アダムは死にはしたが、300年以上生き、ヤハウェによって生み出された彼が、つまるところは、果たしてアダムとは、ピテカントロプス・エレクトス、ネアンデルタール人、クロマニョン人などの猿人、あるいは人間という動物なのか、人間という定義に該当するのだろうかという疑問点だ。まあアダムだけではなく、旧約聖書・創世記に出てくる人間の殆どは、どれも300年以上も生きているが。セツ、メトシェラ、エノク、ノアとかも長命だ。

しかし旧約聖書・創世記でよく疑問を持たれることが多い、創世記・1章26節にある原文では。

神はまた言われた。『われわれ(・・・・)のかたちに、われわれ(・・・・)にかたどって人を造り――――』

と、こう書かれている。この神が仮にヤハウェだとしても、われわれって表現は唯一神としておかしいのではないか、そう思われることがよくある。だが別段おかしくない。小ヤハウェと言われる天使のメタトロンがいるけど、そもそも旧約聖書にはメタトロンは出てこない。天使ガブリエル、天使ミカエルは旧約聖書に出てるが、メタトロンは偽典にしか出てこないのだ。大体、ユダヤ教はゾロアスター教の後に出来た宗教。天使という概念はゾロアスター教が起源だし、ゾロアスター教の影響を受けまくってる。キリスト教の場合は、古代ローマ帝国時代から、一部のキリスト教徒が曲解と食言を重ねてきたが、旧約聖書のエロヒムから連想し、三位一体とかいうモノでその場をしのいでいるキリスト教の教派もある。ユニテリアン主義には認められず否定されてるが。

 

「神と妖怪なら、まだ判るさ。人間じゃないからな。能力を持っていても不思議じゃない。神裔の場合でも同義だ。でもさ、ただの人間が能力なんてモノを持ってる時点で、人間と言えるのか」

 

幻想郷にいるモノなら別におかしくはない。なにせ妄想世界だからだ。ありえない事が起きたとして、何とも思わん。ある人間が魔法を使え、人間が空を飛び、人間が時を止めようと、幻想なら、妄想世界なら、全ての疑問は解決する。でもそれは、妄想世界に限った話だ。それに幻想、といえば綺麗に飾られた言葉で聞こえはいいが、幻想という言葉の意味は、妄想と何ら変わり無い。

…今は宇宙空間にいるが、我々がいるのは地球、地上にある日本であり、今の時代は鎌倉時代だ。いくら昔の鎌倉時代とはいえ、ただの人間が魔法を使い、空を飛んだり、時を止めたり、奇跡を起こしたら、流石に疑問は浮上する。とはいえ、天皇、出雲氏、物部氏、諏訪氏みたいな神の子孫なら、その疑問は全て解決される。寿命を含んだ二重の意味で、もはや別モノだからだ。

ただ幻想郷という単語、確か明治・大正・昭和時代に出版された小説で、その言葉を使った創作物があったんだが…思い出せない。でも幻想郷という単語を使った創作物が、おぼろげな記憶だが、明治・大正・昭和のどれかの時代…多分、昭和時代に世へ出た創作物であったハズ。

 

「……今の私は仙霊です」

 

「それは理解してる。だがお前の純化する能力、後天性のモノだろ。まだ仙霊じゃなかった時の、夏・殷・周時代にいた玄妻は、そんな能力持ってなかったしな。よほど嫦娥が瞋恚と観える」

 

純狐、これは古代中国の夏・殷・周の時代、紀元前2070年頃から紀元前1600年頃、まだ仙霊になる前の、お前のことだよ。日本神話でいう神と、中国神話でいう仙人は、同じ存在ではないのだ。俺なら、人間が能力なんてモノを持ってる時点で、人間とは言わないし、言えない。

 

古代ギリシャの哲学者・アリストテレスは言った。

『我々の性格は、我々の行動の結果なり。』

しかしながら、記憶がある無しで、その人間の人格や性格を、本当に形成しているのかについては、昔から議論や検証はされているが、平成時代の科学と医学では今の所、証明や解明はされていない。つまり人間は、人間という人格、性格は本当に、10人中10人は産まれて来た時から物心が付いて、成人するまでの記憶というモノを積み重ねても、人格、性格というモノを形成しているのか現時点、平成時代の科学と医学では未解決なのだ。

人間の体は水素原子が半分以上、酸素分子が25%炭素分子が10.5%で出来ている。本当はもっと細かいが、割愛しておく。そして人間は肉の塊でもあれば、脳もそのままならタンパク質の塊でしかなく、例えばCPU(電子回路)がそのままなら石であることと同じにすぎん。一言で説明するなら、CPUとは、OS(オペレーティングシステム)という、プロセスたるシステムがあるからこそ、CPUは機能する。これは一種の、ゲームに出てくるようなNPC(ノンプレイヤーキャラクター)や、人間の脳と同じ話だ。人間の感情だって突き詰めてしまえば、ただの化学反応にすぎん。約まるところ、生じた原因と、生じた原因という前提の元で、結果が生まれているという話。

アルジャーノンに花束を…とは少し違うな。あの小説は脳手術のロボトミー手術、つまり知能についての小説だった。知能を題材にしたモノであって、記憶を題材にしたモノじゃない。

 

「アメリカに敗北した当時の日本は、沖縄は1972年まで統治が続いたが、1945年から1952年の計7年間GHQの占領下にあり、1950年7月11日に小倉黒人米兵集団脱走事件が福岡県で起きた」

 

日本がアメリカに敗北しようが、神道指令されようが、それはまだいいさ。だが日本神話も実際に起きたので、1946年1月1日、GHQの詔書によって、天皇が神であることを否定されるのだけは、どうしても困るんだよ。

 

「……初めて聞く単語ばかりですが。内容から揣摩憶測すると、まるで古代中国の政権を担うモノが、前の政権の歴史を焼き払う一連の流れを、幾重にもしてきました。それに酷似してますね…」

 

「ああ。でも今は、そんな事はどうでもいいんだ。重要な事じゃない。要は、当時の日本は情報の箝口令(GHQ)を敷かれていたのが重要だ。古代中国も有力者に都合がいいよう歴史書を作り直してきた」

 

例えば、記憶が欠落している、どこぞの誰かが産まれて、××神話の内容が漏洩しないよう箝口令を敷かれたり、あるいは、どこぞの誰かが殺されて、2回も死んでしまい、その歴史(神話)を創り直すみたいに。

それは日本神話にも言えるが。つまり言わんとするところ、この世界の、アカシックレコードにある、総ての、記憶の集合体、それらの情報規制だ。もちろんこれは、回帰したモノは、全部憶えている。でも正直、忘れていたとか、思い出したという趣意は、正確な表現じゃない。そうだな……つまりこれは、精神医学の用語・仮説にある、抑圧された記憶や、回復記憶のイメージに近いか。

 

純狐の待遇について考えていたら、豊姫の能力でか魔方陣でかは判らんが、豊姫と依姫が俺の両脇にいつの間にか転移して来て、依姫が俺に疑問を投げかける。でもその前に、鈴仙は豊姫と依姫に一瞥され、一瞬睨まれたような気がした。気のせいかと思ったけど、自分の飼い主の殺気を感じ、怯懦の性格ゆえか、俺が一方的に左手を鈴仙の腰へ回していたが、鈴仙の方から抱きつかれ、小さな悲鳴を上げて、私はなにも悪く無いのに、と声を漏らして戦々恐々している鈴仙の頭を撫でてやったが、御三家である綿月家から産まれた、美人女神姉妹な海神お姫様たちの、依姫は面白くないという表情で染まり、特に豊姫のいい気はしないといった表情を伺うに、俺の勘違いじゃなかったようだ。許せ鈴仙。

もう月、月の都もない。月が出来た最も有力説のジャイアント・インパクト説とは違い、今は神綺とサリエルが月と月の都を創り直しているので、横目で観ると、まだ中途半端とはいえ、新しい月が形作られ、まだ小さいせいか、消滅した元の月より色褪せているが、太陽の光に当てられて、あの地球に住む地上の生物達へ届くように、淡い光を放ちながらも、皓月千里の月は、着々と創られつつある。

…しかし、××神話の高位の女神である、神綺とサリエルの手で月が仕上がる過程を観ていると、神話時代を思い出す。まあ輝夜と咲夜は地上に戻ってるし、そもそも今回の首謀者は俺と永琳だ。月と月の都、月の民を滅ぼし終え、全ての妖怪は魔方陣で地上に転移させてるから、輝夜の傍には永琳がいるから守る必要もないので、二人はここに来たんだろう。と、さっきまで思っていたが、よほどの理由がない限り、普段から輝夜の傍を離れない、完全で瀟洒な従者の咲夜も地上に戻ったと思ってたのに、豊姫と依姫に付き添ってこの場にいた。この場にいるのは、それ相応の理由があるのだろう。

 

「珍しいな、サクヤも来たのか」

「はい、××様。私の記憶通りなら純狐と相対するときに、私の能力が必要でしょう。カグヤ様と八意様は共に地球に戻りましたので、ご安心ください」

 

 

「そ、そんな……。その子は、私の孩子は、間違いなく、神話時代に殺されたハズ…」

 

そう言った咲夜は、子供を抱っこしていて、その子供の顔が観えたのか、純狐は酷いくらい動揺している。窃斧の疑いをかけられると思ったが、自分の実子を見間違えたりはしないようだ。彼女が杯中の蛇影をしる女神で良かった。だがあの子供は間違いなく、純狐の子…だろう。蘇生を頼んでおいたサリエルは、しっかりと仕事を終えた様だ。サリエルに頼んで蘇生したとはいえ、あの子供を創った、という訳ではないのだ。元に戻した、が正確な説明かもしれない。だからあの子の肉体全てが、元のパーツのままであり、別のパーツで代用してないからだ。つまり、咲夜が抱っこしているあの子供は、テセウスの船に該当しないし、臓器移植によくある拒絶反応も起きない。

幇助に来た依姫は、閂差しの長刀の柄を、右手で掴んで鯉口を切り、そのまま柄を握った右手に少し力を入れつつ後方に引くと、鞘から刀身が抜かれ、抜刀した刀身の切っ先を純狐に向け、右腕にある金色のブレスレットを揺らしながら、嫦娥を殺したがっている仙霊について、どういう処分をするのか、そしてその後の待遇について聞かれたけど、もう決めてる。純狐は子供を殺されても、俺達みたいに蘇生は出来ない。これはハデスなら出来るがへカーティアでは無理だ。出来るのは、例えば全てを創った、神話に出てくる創造神、または死を司る力を持った、神綺やサリエルみたいな神だけだ。まあ2柱とも高位の女神だし。中国のことわざには、医得病医不得命というのもあるが、それを覆せる。

 

「それで隊長、月と月の民に仇なすあの仙霊を如何します。また嫦娥様が狙われては困りますし、後顧の憂いを絶つため、命じて下されば私が切り捨てますが。……それとも、また娶るんですか」

 

「仕方ないわ依姫。弘さんだから」

「お姉様、隊長だからという理由で腑に落ちるのもどうかと思います」

「いいじゃない。私、依姫、八意様が希う弘さんの子を授かったのよ。嫉妬も程々にしないと」

「……弘さんの子を授かれた私は確かに幸せ者ですが、別に私は......嫉妬なんてしてません」

 

出産を終えたばかりの妻は目を細め、もの言いたげな目で一瞥してきた。俗説だが、フランス国王ルイ16世の王妃マリー・アントワネットは、近親相姦の冤罪で処刑が決まった際に、恐怖のあまり1日で白髪になったらしい。今の心境は、まさにそんな感じだ。しかし、美人、あるいは可愛い女を侍らせるという俺の夢に弁解の余地はないので、いい訳せずに肯定した。心心相印なのだよ…。奥州藤原氏は滅んでないから、鎌倉時代の安藤氏、室町時代の武田信広はいないけど、室町時代のコシャマインの戦いで松前藩を形成させたり、江戸時代のシャクシャインの戦いもあるし、やる事は多い。蝦夷地(北海道)の立ち位置は琉球王国(沖縄)と違って、少し特殊だ。それにマルコ・ポーロの東方見聞録が原因の一つで、西洋人がアジアに来るからなあ。天竺にいる魔女のミスティア・ローレライと、天子の件もあるし、ケーキを食べてる場合じゃない。

 

「そうだな…嫦娥を本当に、心の底から殺したいと恨んでいるなら、今から俺が繰り出す雷霆万鈞を防いでもらおうか。雷撃を受けて死なないなら、電光影裏斬春風というワケだしな」

「先程から你们(貴方達)は一体何の話をしているのです! それにどうして私の子が―――」

 

さっきから仙霊へ一方的に言ってる事は、当の本人の純狐からすれば、何が言いたいのか意味不明だろう。しかし、信じられないかもしれないが、今まで話した事は、全て繋がっている。支離滅裂の話ではないんだ。それでも、破鏡再び照らさずだった自分の実子が目の前にいたら、泰然自若を貫き通そうとしても、落ち着いてなんていられないだろう、闇夜の灯火だから。別にやましいコトはないので青天白日だけど、まだそれに、答えてやる事は出来ないんだ。

 

「お前の子に関しては、一切答えないぞ。だが俺の雷撃を防いだら全て教えよう。しかもその時は嫦娥を引き渡す。ただし防げなかったら嫦娥、へカーティアと同じく、××神話に降ってもらう」

 

もちろん今の言葉は然諾を重んず。そっちの方が画竜点睛だ。純狐を殺しても、中国神話の神々が出張る事の無いよう、中国神話の月の女神である青娥に頼んで釘を打ってあるから、殺しても問題は無い。地獄の女神もそれは同じだ。元々、へカーティア・ラピスラズリは、ギリシャ神話の女神じゃないからな。だから純狐を網呑舟の魚を漏らすコトのないよう、気を付けるだけ。

古代中国の儒学者 閔子騫 みたいに、絶対に逃がさないよう疾風迅雷に動いて、××神話に登用せねば。暖簾に腕押しだな。

 

「豊姫、ギリシャ神話の記憶を神格化した女神(・・・・・・・・・・) ムネーモシュネー を知ってるか」

「はい。彼女のお蔭で、地獄の女神の記憶は回帰しました」

「うむ、へカーティアの記憶が回帰してるのは、ムネーモシュネーのお蔭だ」

「ギリシャ神話には、ローマ神話、スキタイ神話、イラン神話(ペルシャ神話)。他の神話も混成されてますね」

「一つの神話に多様の神話が綯い交ぜしてるのは、中国神話と日本神話にも言えることだがな」

 

出来るだけ、今も愕然としている純狐に聞こえるように話しているが、つまり、××神話にとってその記憶を神格化した女神、ムネーモシュネーに該当するのが、知恵の女神である、永琳だ。でもまあ、それに該当する女神は永琳だけではなく、実はもう一柱…いや、もう二柱いるんだが。

ギリシャ神話の ムネーモシュネー は記憶を神格化した女神だ。ムネーモシュネーは、ゼウスとセックスして、多くの子を生んでいるのだが、ゼウスは天空神で雷神。そして天空神で雷神の俺。判るか純狐、”記憶”だ。ギリシャ神話には、”記憶を神格化した女神”がいるんだよ。へカーティアは、その記憶を神格化した、ギリシャ神話の女神である、ムネーモシュネーのお蔭で、全てを…。今まで回帰した出来事の全貌を、憶えていたんだ。 言い換えれば、へカーティアの記憶、回帰に関しては、オレ、永琳、青娥は、一切関与してない事になる。

 

「勝手に話を進めないでください。私は、先程の提案を飲んだわけではありません。それ以前に、私を××神話に引き込めば、中国神話の神々が黙っては――」

 

「残念だが、嫦娥に橋渡しを頼んで、中国神話の神々との交渉はすでに済んでる。中国神話の神々はな、お前がどうなろうと、純狐が俺に娶られようと、知ったこっちゃないとさ」

 

さっきから暫定的に、純狐を中国神話の女神といってるが、これはあくまでも便宜的や方便でしかない。つまり純狐は、中国神話の女神であって女神じゃなくて、かといって俺や永琳みたいな神という存在とは、近いながらも程遠い。要するに彼女は仙霊であり、神というより仙人寄りで、死後の平将門や菅原道真みたいな怨霊に近い存在。神と仙女は、俺と青娥は、同じ存在ではない。ただし、ギリシャ神話の女神、へカーティアは俺や永琳と同じ存在だ。

そもそも中国神話って、他の神話と比べると、神という存在や思想はかなり薄い。だから中国神話においては、仙人や君主などの人間や、元人間ばっかり出てくるんだ。

 

「夾雑物が多いこの私を、厭わしいと思わず娶ろうとするなんて。莫逆の友に聞いた通り、天帝は酔狂なお方ですね……。では彼女はどうします。へカーティアはギリシャ神話の女神です」

 

「彼女は元々ギリシャ神話のΤέως()ではない。他の神話がギリシャ神話に結合され、混ざっただけだ。これはギリシャ神話だけではなく、色んな神話が混ざってる中国神話と日本神話にも言える」

 

これはギリシャ神話以外でもよくある話なのだが、こういう話は大きく分けて2つのパターンがある。1つは古代ギリシャ人が席捲した国や民族の神をギリシャ神話へ結合した、もう1つは他の国の神が、古代ギリシャ人が他国に行って帰って来た時、または他国の民族の人間に伝来され、伝播されたその神などを、ギリシャ神話に混ぜた場合の二つだ。これはインド神話が中国神話に取り入られたり、インド神話の神々が仏教に取り入られたり、インド神話のアスラが中国に伝わって、中国とか日本で鬼という霊や妖怪になった事と、似たようなモノだ。釈迦は前世で儒童梵士という人間だったが、燃燈仏という仏と出会って儒童梵士は仏になると予言したという話があるけど、仏陀、釈迦を中国神話に取り入れて、中国神話においての釈迦が、燃灯道人とかにもなってるし。

 

今も忘却の椅子に座ってる、三人のへカーティアを横目で観ながら受け答えをしたが、もう手詰まりなのを判ってるせいか諦観し、もう笑うしかないといった感じで、三段笑いをしてから、こんなコトになった元凶である月の女神の名を、純狐は怒声で、全身全霊で叫声した。瘋癲か萎縮すると思っていたんだが、鬱憤が溜まっていたのもあり、それが起爆剤になったんだろう。逃げるコトもムリだ。仮に逃げられる状況下にあり、次の機会に再起を図ろうとしても、へカーティアが雷撃で殺され、三人のへカーティアは忘却の椅子に座って捕縛されている。友人を見捨てるコトも出来ないだろうし、この場には豊姫、依姫、咲夜がいる。停頓している純狐だけでは、鴛鴦の契りの妻たちに拮抗はムリだし、分水嶺ではなく、進退窮まり、純狐は五里霧中に立たされている。

 

「おのれッ! 謀ッたな嫦娥ァァァァァ!! あの狡知破鞋婊子ッ!」

 

おーこわ。かつての中国神話、神話時代の彼女は冷静で寡黙で、もっと利己的で、打算的で、一緒にいたらなにを考えてるか判らない、腹積もりが読めなく煙に包まれそうな、でも情にほだされやすい、見目麗しい女性だったんだが。まるで麦秀の嘆だ。でもそこがあばたもえくぼ。

 

「サクヤ。呪いたい相手に、心の中で念仏を唱えるような事をする日本のあれ、なんだっけ」

「恨んでる相手を思い浮かべ、目を縛る、鼻を縛る、耳を縛る、口を縛る、胸を縛る、手を縛る、脚を縛る、いつも××に不幸があるように。これを心の中で3回繰り返す、という内容でしたわ」

「らしいぞ純狐。って聞いてないか」

 

まあ水清ければ魚棲まずもどうかと思うが、まるで綺麗な水に真っ黒な墨汁を垂らす、いや垂らすなんて生易しくないか。墨汁が入った容器のふたを取って、そのまま綺麗な水へとぶち込んだみたいに、あんなにも憎悪の感情が怒濤の勢いで押し寄せてるし、多分、俺の言葉は聞こえてないだろうが、気にせず進行しよう。

 

「第59代天皇・宇多天皇時代、菅原 道真公は、当時・唐の情勢を知ってか、自分が行くのを面倒だと考えたのかは判らないが。建議の際、遣唐使の廃止を英断した」

 

「次にイラン神話とペルシャ神話、ゾロアスター神話のシェヘラザードとシャフリヤールか、まあ立ち位置は逆だが。後はギリシャ神話・セメレー、最後にグリム童話・忠臣ヨハネス――に近い」

 

純狐の眼を観ながら喋り、雷霆を魔方陣で右手に転移させると、宇宙空間なのに辺りから突然稲妻が降り注ぎ、雷騰雲奔だ。今も辺りに雷や稲妻が走っているので、霹靂一声や雷電霹靂が響いている。とりあえずかなり煩いのが白璧の微瑕だ。ただ雷霆がどんな形状か問われても、名状し難い。この世のモノとは思えない形状、物質だからだ。辺りに雷撃と稲妻が降り注いだので、俺が一方的にとはいえ、未だに鈴仙の腰へ手を回して密着していたが、生命の危機を感じたのか混迷の、恐怖に打ちひしがれた声を出し、俺の片足に両腕で縋りついて、嘆願を述べる。

 

「待って、落ち着いて下さい弘天様! 私さっきの雷霆の余波で死にかけたんですよ!」

「貴方が落ち着きなさい、仮にも貴方は私達の愛玩動物でしょう。お姉様、ここは能力で避難を」

「そうね…。弘さんの晴れ姿、もう一度観たかったけど…」

 

まるで護呪や、お経を読むみたいにずっと誦し、今も俺に請っている鈴仙を依姫は引っ剥がして、豊姫の能力を使い、三人とも安全地帯へテレポートした。巻き添えを避けるために豊姫の能力で消えたが、魔界や冥界、天界や地獄なら影響を受けないので、そのどれかに転移したんだろう。

しかし咲夜はこの場に残っている。俺は隣にいる咲夜を一瞥してから、また純狐を観た。

 

「俺と魅魔に似た中国神話の女神、純狐よ。仙霊の戯奴(お前)は、妖精みたいに本当の意味で死ぬ事はないだろう。だから急転直下に、旭日昇天の勢いで御覧じろ。この雷撃は須臾でも観られないのだ」

 

右手にある雷霆は今もバチバチビリビリと、それでいて腹中雷鳴みたいにゴロゴロと音が鳴っている。使わない時は基本的に大人しいが、使った時は全宇宙を滅ぼしかねない雷轟電撃の雷光というか、全宇宙を巻き込む天変地異が起きて、爪痕を残すのだ。どうだ明るくなったろう、流石にこれは、光るほど鳴らぬというワケではなく、リハクの目をもってしても見抜けない。

この世界には、平行宇宙や並行世界、パラレルワールドとか多世界解釈、コペンハーゲン解釈などやシェルドレイクの仮説は無いけど、仮に多次元宇宙論があった場合、正直、力加減を間違えたら、この雷撃を出した時の余波、または影響を与えただけで、ほとんの宇宙が呆気なく滅ぶくらい威力が半端ないし、右手にある雷霆が怖いです。せめてあの地球が消滅する事の無いように、さじ加減を気を付けなければいけない。

 

桑原桑原(くわばらくわばら)。思えば、各国の神話の雷神って高位の神が多いよな。なんでだろう」

「××様」

 

右手側にいた咲夜は、抱っこしていた赤ん坊を差し出すように渡した。空いた左手で胴を持ち上げ、そのままよく観えるように左手を挙げて示すと、嫦娥への、憎悪の渦に巻き込まれていた純狐は反応したが、まだ自我や意識はあるようだ。彼女にとって実子が生き返ったのは、旱天の慈雨だったろうから。

サリエルに頼んで純狐の子を蘇生させたが、まずは目の前にいる仙霊を殺して××神話に降させ、冷静になったのを確認してから、彼女と講和する事にしよう。子供を蘇生させ、元の魂や人格をいれたが、今はすやすや寝ている。この子供は、よほどのコトをしても起きる事はまずない。何故ならば、今この子供は、元々あった魂と人格を、元の肉体から分離してしまったので、一度分離してしまった魂と人格を、今は肉体に慣らしてなじませている最中だからだ。

 

「××神話の大天使(アークエンジェル)・サリエルへ命令し、お前の実子を蘇生させたが。この子が雷撃で死ぬ前に受け取って見せろ」

 

「な、なんてことをッ!」

 

挙げていた左腕を振りかぶり、そのまま仙霊に投げた。咄嗟の行動だったからか、純狐は呆気にとられた表情ながらも、我が子を救うべく、宇宙空間を移動してるが、子供にどんどん近づくと同時に、俺、咲夜との距離も狭まる。

……餓鬼の目に水見えず。這えば立て立てば歩めの親心 わが身につもる老いを忘れて。とはよく言ったものだ。

 

右手にある雷霆を高々に上げると、雷霆は反応して光を帯びていくが、宇宙空間の時が止まった。これは咲夜の能力のお蔭で、ちょうど、仙霊の時も止まってるが、子供を両手で抱きしめ、安堵の表情をした時に純狐は止まってる。幸せの絶頂で死ぬのも、華だろう。あんな憎悪に囚われたまま殺すより、こっちの方がいい。この手段ならば、彼女の憎悪が、地盤沈下になるハズと考えた上での行動で、晴好雨奇の気持ちみたいな、自然な笑顔をした時に止めて、純狐を殺したかったんだ。あの蘇生した子供も巻き込まれるが、肉体に細工を施してるので死なない。まあ、蘇生した子供を純狐に観てもらう事が本来の目的だったし、死んでもまたあの子を蘇生すればいい話。

 

「シェヘラザード姫。憎悪に満ちた表情も粋ですが、帰するところ、彼女は笑顔も美人ですわね」

「ああ……美人はどんな表情でも辨天だ。だから俺達だけは純狐の、あの吸い込まれそうな表情を忘れずに、ずっと覚えていよう」

 

昔、永琳にしたエゴを思い出した。だからこそ、憎悪が瀲灩した時に殺すより、神話時代から続いた憎悪の時間よりも、今この時のまま、憎悪しかなかった過去の神話時代を、一瞬とはいえ、この幸せな時間を、あざやかな絵具の色彩で塗りつぶして(回帰して)、抹消しよう。塗りつぶすから、臭い物に蓋をするわけじゃないのだ。強いて言えば、病膏肓に入っている、夾雑物を取り除くに近い。

そもそも純狐は、夫や嫦娥、自分の実子以外の昔の事は、あんまり覚えていない。仙霊になったきっかけで、殆どの記憶が欠落し、闕乏している。まあ簡単に言えば、彼女は憎悪が膠着されてる、言わば憎しみの塊だ。つまり雪中松柏で、怨みという感情、その集合体で出来ている。それは記憶も、その集合体で埋め尽くされているというコト。

 

「玄妻女士は、夏・殷・周時代に子供を殺されてから、その殺したモノに復讐するため、子を殺した男の妻になってそいつを殺したが、その後は、嗔恚だけで仙霊という存在を保っていたからな」

 

抜本塞源するため、その怨みの感情を、綺麗な絵の具の色彩で上書きするから、憎悪で出来ている純狐は、仙霊という存在を保っていられるのかが懸念だ。まあ肺肝を摧いて悩んでみたけど、どっちにしろ、彼女は殺さねばならん。瀬を踏んで淵を知ってるし、純狐にとっては、考えうるかぎりの中で、この手段が一番のセラピーだし、陰きわまりて陽生ずで、フェムトファイバーだ。

怨みなんて忘れたこの瞬間を須臾、時間というフィルムに収め、変化を嫌う永遠へとするために。後は心のケアとして、アンチエイリアスをするだけだ。

 

「抜苦与楽ではないが、清風明月へといざなうため。羿、嫦娥に抱える怨みごと、霧消して往ね」

 

旧約聖書・創世記 第1章3節~4節

『神は”光あれ”と言われた。すると光があった。神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




今回書いた通り、ギリシャ神話では神々によって神裔・半神だけが男から女、女から男へ性転換する神話があります。そして戦国時代では、神々の手により、殆どが女性になります。その時代でも軽く書きますけど、そんな奥深くまで掘り下げません。その話の内容も、せいぜい壺掘りくらいです。だから、今のうちに説明しようと思います。
天皇などは別ですが、戦国時代の神裔を女性にする最大の理由は、戦国時代の神裔、例えば平氏や源氏、藤原氏などに子供を作らせないためであり、戦国時代以降の神裔はもう出ません。したがって、同一血統の中で正しく継承が行われず、譜第じゃなくなります。
ただ弘天が手を出す場合は別ですが、蘇我氏、稗田氏、出雲氏、諏訪氏、物部氏なども同義です。
戦国時代以降の平氏、源氏、藤原氏は、ミトコンドリア・イヴの子孫ばかりを養子にとり、家督を譲るので、その子孫たちが後の江戸時代から平成時代まで子供を産んで行く事になります。でも、古い時代の人間に権力などを握らせるというわけでもないです。
つまり天皇の血、天津神の血は、戦国時代までの歴史通り、間違いなく受け継いでる、というのが、江戸時代から平成時代へ進めるにあたり、前提として必要でした。ですが女帝天皇、女性天皇だけはかなり面倒な事になるので、天皇はずっと男のままです。

他には、いくら天壌無窮の神勅が日本神話にあろうと、その神裔が増えすぎても、結局は1人、あるいは藤原氏、平氏、源氏のモノが10人ほど生きていたら、それで十分です。そもそも鎌倉幕府を強引に造らせる正当化の理由の為でもありました。なにせ天皇の血を引くモノは老化せず、しかも寿命が無いので、跡継ぎの子供を作る必要が本来ありません。当然ながら、1人が死ねば、穴埋めとして子供を産む必要はあります。
それに、寿命がない第1代神武天皇がここでは存命していて、第2代天皇から第10代天皇もそれは同じです。そもそもの始まりである神武天皇が、ここでは存命しているのです。
もちろん数を増やすという意味では子供を産むべきでしょうが、もう戦国時代辺りだと十分すぎます。かといって、邪魔だから殺すというわけでもありません。ちゃんと存命させたまま、平成まで進む事になります。でも権力などは握らせません。肝心なのは、平成時代になろうとも、戦国時代で女性になった神裔は、ちゃんと日本にいて、尚且つ存命している事が重要。絶対に生きてもらう必要があります。

後は、戦国時代以降に出てくる人間が、自分は神裔だとか、自分は天皇の血を引いてるから親族なんだぞ。と、言わせない為でもあります。
神話時代から始まり、紀元前に産まれた神武天皇から、戦国時代までの神裔でも、天津神の血はかなり薄まってるのに、平成時代の人間とかなら、もうね…さすがに、いてもいなくても一緒です。天皇の血が一滴でもあればいいとかいう話じゃないですし。

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