竹林に烏天狗が降りて来たと兎からの報告があった。見掛けない天狗だと言うので、何か面倒事かと見たてゐは用件を確認しに行く事にした。永遠亭と結界は永琳が守護しているが、結界の外の竹林は兎の領分である。
烏天狗は伯耆の御山に住む射命丸と名乗った。天狗は元来閉鎖的であり、今回のように遠方まで出て来るのは相当に珍しい事だ。
用件はと言うと、御山を治めていた伯耆坊なる大天狗が、訳あって四国に移った相模の大天狗の領地へ移る為、当面の間は烏天狗達が後釜を狙い相争う見込みだと言う。
大天狗とは種族の名ではなく地位であり、一帯の天狗を支配する権力者である。天狗自体が強力な種族なので、それを束ねる権力は同時に強大な武力を意味する。
多くの大天狗は天狗の術を修め人間から天狗に変じた者だが、信濃飯綱山の三郎天狗のように烏天狗である事もある。また、突出した実力者が居ない場合は複数の天狗による合議が一体の大天狗と見做される事もある。その座を残された烏天狗達が狙っているのだ。
天狗の争い自体の被害は受けなくとも、縄張りを追い出された妖怪が他所へ行き暴れる可能性もあるから気を付けてくれとの事だったが、実際には追い出される程度の者がこの竹林を襲うのは不可能なので要らぬ心配であった。
無駄足を踏ませた詫び代わりに、てゐは射命丸を少しだけ幸運にしてやる事にした。昔は人間にしか効かなかった「人間を幸運にする能力」だが、時を経て力が増した事で、人間の姿をしている人外の存在にもほんのり幸運を
「御礼に微力ではあるが貴女の前途を祝福させて貰った。もし良ければ今後も此処に来てくれれば
烏天狗の最大の武器である高速飛行は、荒事だけでなく情報収集にも役立つ。強い烏天狗程多くの情報を持っているものだ。射命丸が定期的に来訪すれば、竹林を出ずして遠方の情勢を知る事が出来る。一見一方的に与えるようだが、双方に益のある提案である。
「あやややや、これは神力ではありませんか。たかが妖獣だと思えば神様だったとは。大変失礼を致しました。喜んでこれからも寄らせて頂きますよ」
射命丸は即座に言葉を丁寧にした。天狗は種族特性として上位の者に弱いのである。
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その後も約束通り射命丸は何度か来て、その度に祝福を与えていたのだが、結局射命丸が大天狗になる事は無かった。力が足りなかったからという訳では無い。射命丸自身に権力への野望が更々無かったのだ。権力に付随する厄介事に煩わされるよりも高速飛行を極めたいらしい。既に近隣に並ぶ者は居ないのだが、本邦最速の座を虎視眈々と狙っているとか。
そんな謎の情熱を見せる射命丸だが、狙い通り様々な情報を教えてくれた。最速を標榜するだけあって彼女の情報収集範囲は途轍もなく広かった。狙った以上の見返りである。
曰く、元はと言えば大天狗の伯耆坊が去ったのは四国でかつての役行者に匹敵する程の強大な大天狗が現れた所為だとか。
大天狗を顎で使うような御方に匹敵するとなれば仕方無いだろう。
曰く、随分前に「結界の妖怪」が東の方に作った隠れ里の妖怪が大挙して月に攻め込んだとか、其処には鬼神と配下の鬼がわらわら居て吐くまで酒を飲まされたとか。
酒に強い天狗が吐くとは余程の事だ。
曰く、オオクニヌシ様は何人も妻が居るにも関わらず出雲大社の巫女に手を出しているとか。
オオクニヌシ様も御元気そうで何よりである。