織田信奈の野望〜ぬらりひょんと狐の嫁入り〜   作:海野入鹿

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新章スタートです。


第六話 織田信奈と永遠の別れ
別れの一


「はぁはぁはぁ。」

 

 静寂が支配する山間の街道を三人の男が馬に乗り駆けていた。

 辺りは静まりかえり、聞こえて来るのは三人の男の息遣いと馬が奏でる蹄の音だけだった。

 その先頭を走る男が振り返り後ろを走る男に声をかける。

 

「旦那様! もうすぐ美濃で御座います! そこで馬を乗り換え一気に清州へ!」

 

「ああ。」

 

 二番目に位置した男は自分にしか聞こえない様な小さな声で返事を返し頷いてみせる。

 それほどまでに余裕が無かった。

 半日程前、先頭の男、忍び衆である鉢屋衆第七班に属するこの者からもたらされた清洲での一大事。

 その事で頭が一杯になっているため二番目に馬を駆る男、幻灯館主人は余裕が無かった。

 それほどの情報が清州から、いや、雫里の里からもたらされていた。

 だからこそ急ぐ、一刻も早く清州へ。

 

「主殿! 一体何…が、あっ……たの、ですか!」

 

 最後尾を駆ける男、森宗意軒が前を駆ける幻灯館主人に問いかけた。

 だが、返事は帰ってこなかった。

 幻灯館主人の背中はいずれ解ると暗に語っているようだった。

 馬を次々と乗り潰し、三人は尾張へ入国し目的地清州へ。

 清州に到着し一息つく間も無く一行に声をかける者がいた。

 黒髪を高い位置で結った少女、池田恒興だった。

 常日頃から武家の者らしく硬い表情をしている恒興なのだが、今日はそれ以上に固く切迫した表情をしていた。

 

「すみません急がせて。」

 

「それはいい。で、容態は?」

 

 問われた恒興は僅かに微笑むと

 

「今は安定しています。それで申し訳ありませんが、末森まで御同行願えませんか?」

 

「分かった。代わりの馬は?」

 

「用意してあります。」

 

 言って一行は再度馬に乗り込み清洲を南下し末森城を目指す。

 一同無言のまま街道を駈け何事も無く無事に末森城へと到着する。

 恒興は門番らしき男に声をかけ幻灯館主人、森宗意軒の二人を城内へと導く。

 鉢屋衆の者は末森城到着の僅か前に隊列を離れている。

 草履を脱ぎ足を洗うと恒興は急かすように二人を従え城の奥へと入って行く。

 末森城最奥の部屋へとたどり着くと恒興は腰を折り障子に向かって声をかけた。

 

「恒興で御座います。件の御仁をお連れいたしました。」

 

 しばしの静寂の後、障子の向こう側から返事があった。

 

「お入りなさい。」

 

 女性の声だった。

 恒興は障子に手を掛け静かに滑らせる。

 障子が開かれ見えた光景は……

 部屋の中央には布団が敷かれ、その豪華さから地位の高い人物が寝ていると思われる。

 布団の横には三人の人物。

 枕の位置から見て左側、恒興達から見て奥の側に二人、そして右側、障子の側に一人。

 奥の二人は男性で平手政秀、森可成、織田家の重鎮達。

 右側は女性が静かに座っておりその人物は、織田家の姫である吉姫の小姓であった丹羽長秀。

 平手政秀、森可成の二人は真正面から一行、幻灯館主人を強い視線で睨むのみで言葉は発し無い。

 しかし丹羽長秀だけは「あっ」と小さく声を漏らす。

 どうやら来客が誰であるかを知らされていなかったのは彼女一人の様だった。

 清州からもたらされた緊急の報、それは、尾張大名織田信秀倒れるの訃報だった。

 腹上死と言う説もあれば、酒を飲み過ぎての死と言う説もある、だが実際織田信秀と言う人物に会い触れ合う事で幻灯館主人の中では腹上死と言う死因は消去されていた。

 残るは酒による腎臓、もしくは肝臓がらみの死。

 だから連れて来ていた。

 誰を?

 森宗意軒と言う人物を。

 おそらく今、この時代で最も未来の医学に精通している男を。

 だがこれでも彼を救える可能性は半分も無い。

 いやほんの僅か。

 それでも可能性に賭けたかった。

 うつむきながら部屋を見つめる幻灯館主人に部屋の中から声がかかった。

 「近こう寄れ」と弱弱しい声で。

 その声に反応する様に長秀が場を一人分譲る様に横にずれる。

 幻灯館主人は落ち着きを装いながらも素早い動きで尾張大名織田信秀に近づくと優しく声をかける。

 

「殿、驚きましたぞ。いきなり聞かされて。しかし、床に伏せっていながらもお顔の色よろしく……」

 

 此処まで流れる様に語っていた幻灯館主人が突然口ごもる。

 その理由は……織田信秀の表情にあった。

 その表情はこの世の終わりの様であり、魑魅魍魎を前にした人の様でもあった。

 

「な、なんでございましょうか?」

 

 幻灯館主人は驚きの声を絞りだす。

 それに対して織田信秀が口にした言葉は?

 

「気持ち悪いのぉ。お主、いつからそんな礼儀を気にする男になった。」

 

 そう言って顔をほころばせた。

 その表情は痛々しく無理をしているのはありありと解った。

 だから、両の拳をまるで畳を毟るかの様に強く握りしめ幻灯館主人は顔を上げる。

 今は病床に耽るこの男の気概に答える為に。

 

「酷い言いようだなおっさん。あんたが倒れたと言うからわざわざ近江くんだりから見舞いに来てやったと言うのに。」

 

 言って悪党の笑みを浮かべた。

 

「そう言うな。此度はお主に確認したい事があってな。」

 

「確認? 借金の額ならきっちり台帳に記してあるが?」

 

 この発言に織田信秀は眉を下げ安心したと言う様に笑みを見せた。

 その態度こそお前だと言う様に、その姿を見たかったと言う様に。

 そして爆弾を投下する決意を固めた。

 この無礼物にはもう確認など知った事では無い。

 本人の意思など知った事かと。

 そして、この男なら安心して託せると。

 

「借金、借金と。それが病床に伏せっておる父に対して言う言葉か。」

 

「「なっ!」」

 

 二つの声が驚きの声を上げる。

 声の主は幻灯館主人と丹羽長秀の物だった。

 

「おっさん頭でも打ったのか?」

 

「そうですよ殿。三点です。」

 

 そう言って二人は声をそろえて笑う。

 しかし相手は尾張の虎、そうは問屋が卸さない。

 

「すまぬ三郎よ。」

 

 三郎?

 織田信秀が口にした三郎と言う名、それは織田信長の通称である。

 そして何故謝るのか。

 幻灯館主人の底意地の悪い頭脳は冷静に状況を判断し始める。

 以前街の茶屋で織田信秀と初めて出会った時の彼の言葉。

 

 

 

 娘を守ってはくれないか

 

 

 

 幻灯館主人は思う。

 ああ、その時が訪れたのだと。

 しかし謎は残る、何故自分を三郎と呼ぶのか?

 そして何故謝る?

 その答えは織田信秀自身から語られる。

 

「あの時、わしが遠乗りに誘わなんだらお主が記憶を失う事は無かった……」

 

「はぁ?」

 

 直前の緊張感など無かった様に間抜けな声を漏らした。

 それはそうだろう、自分は遥か未来からの来訪者なのだから。

 状況が把握出来ない状況に陥った幻灯館主人は視線だけを左右にずらし辺りを探る事にした。

 左の丹羽長秀は眉間に皺を寄せ困惑の表情。

 奇麗な顔が台無しである。

 前へと視線を向けると織田家の家老二人が仏頂面で鎮座していた。

 まるで仁王像の様だ。

 まあそんな物だろうと無視を決め込む。

 そして最後に視線は布団から半身を起した織田信秀の下へ。

 その姿は両の手で顔を覆い後悔で満ちている様に見えた。

 だが、僅かな手の隙間から垣間見える口元には………………邪悪な笑みが浮かんでいた。

 その瞬間、幻灯館主人の脳裏にある言葉が浮かぶ。

 それはあの日、町の茶屋で目の前の男が口にした言葉。

 

 

 

 お主の考えておる事は解る。そこは何とかしよう

 

 

 

 幻灯館主人は頭痛のする思いだった。

 それはそうだろう、いくら自分の娘を託す者だとしても、一介の商人を嘘を吐き通して家臣を巻き込み武家のそれも大名の一家に迎えようと言うのだ。

 もはや正気の沙汰では無い。

 困惑する幻灯館主人と丹羽長秀を余所に織田信秀は言葉を続ける。

 

「恒興よ、お主は覚えておろう我が息子三郎の事を。」

 

 問われた池田恒興は当然と言った態度で口を開いた。

 

「はい、覚えております。私がまだ勝三郎と言う名であった幼少の時優しく可愛がっていただきましたから。」

 

 この発言を耳にした幻灯館主人はこめかみをピクリと痙攣させながら視線をぐるりと後方に向ける。

 視線の先は恒興だ。

 二人の視線がぶつかると、恒興はゆっくりと視線をそらした。

 こめかみからは薄っすらと汗が流れ落ちるサマが見てとれた。

 これを見た幻灯館主人は恒興に対して怒りなどでは無く憐みを感じ取っていた。

 その心は?

 社長のパワハラに苦しむ中小企業の新入社員、だった。

 そんな事を考えていた未来人の耳に別の声が飛び込んで来た。

 

「わしも覚えておるわ。目を閉じれば今でも思い出す物よ。あの利発で元気な若の姿がのう……」

 

 この発言に幻灯館主人の身体は瞬時に反応した。

 寝起きでの行動だったら間違いなく首を負傷していたであろうと言うスピードで。

 視線の先には織田家の最長老である平手政秀。

 だが、この視線は恒興に向けられた物とは百八十度違いじっとりとした物だった。

 この視線の意味は?

 

 “お前まで何言ってんだ!このクソ爺!”

 

 である。

 この狼狽する幻灯館主人の姿を織田信秀は布団の中から嬉しそうに見つめていた。

 織田家の未来がこのような光景が日常茶飯事であってほしいと言う様に。

 だが、織田信秀は知っていた。

 いや、知っているのでは無い。

 確信していたのだった。

 今後織田家が進むであろう泥沼の未来を。

 それはこの時代の先を読んでの事では無かった。

 もっと身近な存在によって織田家は血にまみれるとの確信からだ。

 その人物とは?

 自分の妻であり子供達の母親、土田御前。

 信秀が次期大名として指名しているのは自身の長女。

 だが、その長女と母である土田御前の仲は非常に不味い関係であった。

 時代の先を見つめる娘と、格式と伝統を重んじる母。

 それはまるで水と油。

 そんなお互いだからか、土田御前は長女が年を重ねる毎に自分から遠ざけていた。

 そして男の子が産まれその態度は加速度的に増して行く事になる。

 今では長女では無く、その男の子を次期織田家の頭首にと考えるに至っていた。

 だからこそ確信するのであった。

 いずれ織田家は二つに割れると言う事が。

 その為の布石を自分の命がある内に打っておきたいと言うのが尾張大名織田信秀の真の望みなのだ。

 




今章は二部構成となっております。

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