織田信奈の野望〜ぬらりひょんと狐の嫁入り〜   作:海野入鹿

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寸劇の始まり。


第四話

 泉の怪異現象が始まってから七日後、一週間が過ぎようとしているのに現象は収まらず依然泉の水は白く濁っていた。

 だが、その中でも状況は僅かにも進展があった。

 蒲生賢秀は報告の為に城主六角承禎の前でうやうやしく頭を下げ報告を口にする。

 

「殿、泉の白化は依然収まらず、例の卵の発現も継続しております。」

 

この報告に六角承禎は憤慨し強い口調で蒲生賢秀に詰め寄る。

 

「蒲生! 貴様は何をしておった! 貴様がこれほど無能とは!」

 

 この無慈悲な言葉に蒲生賢秀の心中は穏やかでは無かったが、相手は主君、ぐっと怒りをのみ込み本題へと流れを変える。

 

「殿、今までの話は現状報告にすぎませぬ。朗報はこれからでございます。」

 

「ほう、申してみよ。」

 

 怒りは未だ収まってはいないが、朗報と聞かされまずは矛をおさめた。

 

「先ごろ子飼いの忍び、伊賀崎道順が帰城いたしました。」

 

「ほう。」

 

「道順が今回集めた情報の内、怪異に対して最適の者がおりまする。」

 

「最適、とな。」

 

 六角承禎は眉をピクリと動かし興味がなさそうに短く反応するが、それはあくまでポーズであり、心情は早く続きを話せと言った所だった。

 

「は、その者は封印師とのことで、今まで数々の怪異を封印して来た者だそうです。」

 

「封印?」

 

「は、殿も噂ぐらいは耳にされたかと思いますが、暫く前に囁かれていた飛騨にあった三つの怪異譚を解決し封印したのもこの者だそうでございます。」

 

「ほう、あの。」

 

「そして豊後では土蜘蛛の封印までこなしたとか。」

 

「つ、土蜘蛛だと! 土蜘蛛と言えば、平安の世で源頼光によって退治された大妖ではないか!」

 

「確かに。」

 

「それを封印しただと! その者を此処へ! 早よう連れてまいれ!」

 

「はっ!」

 

 六角承禎の一喝により観音寺城で起こった謎の怪異の解決に封印師が呼ばれる事になった。

 

 

 蒲生賢秀が六角承禎より命を授かってから十日後、賢秀の下へ道順から吉報が届けられた。

 その内容は件の封印師を発見し交渉の末此度の怪異騒動を引き受けると言う知らせだった。

 封印師が到着する予定日、蒲生賢秀は自身の部下数人を共に観音寺城の城門前で今か今かと到着を待っていた。

 だがその心中は期待半分、不安半分と言った所。

 期待はもちろん数々の怪異を封印したと言う実績。

 不安の方はと言えば、そんな事を生業としている人物がはたしてまともかどうかと言うことだった。

 この賢秀の心配は、半分正解、半分外れと言うちょうど良い采配となって姿を現した。

 観音寺城は山城である。

 今、賢秀の居る城門は山の中腹ほど、だから見えた。

 寺の山道の様に作られた観音寺城へと続く道を二人の男女が登って来る姿が。

 その二人の第一印象は黒、まるでこの世の者では無い何かを体現したかの様な二つの黒がゆっくりと自分達の方へ近づいて来る。

 もしかしたらこの二人を城内へと招き入れた事が六角氏の運命を決定したのかもしれない。

 自ら望んで招き入れた事が。

 だがそれは先の話。

 

「遠き所よくぞ参って下さった。某は蒲生賢秀。六角家の家老を務めておる者で御座います。」

 

 賢秀はうやうやしく一礼すると丁寧に自己紹介をした。

 

「これはこれは丁寧なご挨拶痛み入ります。わたくし名を中禅寺秋彦、祓いと封印式を生業としております。」

 

 黒の着物に黒の袴、そして同じく黒のロングコートと呼んでもいい程の長さの羽織を着た左目に眼帯をする総髪の男が名乗りを挙げる。

 

「妾は中禅寺千鶴子。この仏頂顔をした男の妻にして陰陽術を扱う者に御座います。」

 

 漆黒に染め上げられた小袖姿の髪の長い女が簡潔に名乗る。

 男の妻と言っているが、その容姿は膝にまで届きそうな長い黒髪が印象的でやっと少女の殻を破った程度の年齢に見える。

 そして女は礼を込めた丁寧な仕草で頭を下げた。

 これに驚いたのは蒲生賢秀、封印師などと言う怪しげな職を持つ怪しげな者達がこれほどの礼を取れるとは思ってもみなかったからだ。

 この者達ならば城主、六角承禎に引き合わせても自身の評価が下がる事は無いと安堵した。

 

「では中禅寺どの……」

 

「それでは少々硬苦しかろう。妾達の事は京極堂と呼ばれるが良かろう。敬称もいらぬゆえ。」

 

 賢秀が中へ案内しようと名を呼んだ瞬間、妻、千鶴子が割って入った。

 この突然の乱入に賢秀は目を丸くしながら驚いたが、さすがは名門蒲生家の当主、すぐに気持ちを持ち直し

 

「なるほど、では京極堂殿、敬称無しではさすがに失礼、この様に呼ばせて頂きますがいかがか?」

 

「さようで御座いますか。ではそのように。」

 

 千鶴子は袂で口を覆いながらつややかな笑みを浮かべ蒲生賢秀の気持ちを尊重する事にした。

 

「では京極堂殿、奥方様、我が城主の下へ。」

 

 言って蒲生賢秀は京極堂夫妻を伴っていざ城主六角承禎の下へ。

 

 

 

 

 

 六角承禎が待つ観音寺城本丸へと向かう道中、中禅寺夫妻は前を行く蒲生賢秀に気づかれぬ様気を付けながら言葉を交わしていた。

 

「一体何で中禅寺だの京極堂だのこんな名前が出て来るんだ? お前の差し金か?」

 

「何を言っておるのじゃ。まったく、これは全て子狐の考えた事。」

 

「成程な……ヤツなら考えそうな名だ。」

 

「ほう、そうなのか?」

 

「ああ。怪異との遭遇に憑き物落とし。そうなれば名は中禅寺秋彦以外あり得まいとか何とか言いだしたんだろう。」

 

「うむ。まっことその通りじゃったな。」

 

「それでも俺の名が又市や長耳。お前がお銀と言う名で無かっただけ良しとするか。」

 

「ふふ、それもまた面白そうじゃな。頭の片隅に覚えておこう。」

 

 

 

 

 

 

 こんなやり取りをしている二人を余所に一行は城主六角承禎の下へとたどり着く。

 現在は蒲生賢秀が六角承禎に二人の紹介をしている最中だ。

 その光景を下座で黙って見つめる中禅寺夫妻。

 この二人、焦らすのは大好きだが、焦らされるのは大っ嫌いな二人なのだが、ここは大人しく見守っていた。

 内心はどう思っているかは謎なのだが。

 そうこうしている内無事二人についての説明も終わり、中禅寺夫妻は城主六角承禎に挨拶をすませる。

 こうした城主に対しての一連の流れが終了するとまるで待ち切れなかったかの様に六角承禎は一段高くなった上座から転げ落ちるかの様に中禅寺夫妻の下へと駆け寄りまくし立てる様に現状を説明する。

 

「成程。そのような事が。」

 

「何とかならぬか京極堂よ。」

 

 中禅寺秋彦は顎に手をやると「ふむ」と一言つぶやき

 

「まずはその卵とやらを見せて頂けますかな。」

 

 そう切り出した。

 この言葉を待ってましたとばかりに六角承禎は家臣の一人に命を下す。

 しばしの後命を賜った物がうやうやしく半紙に乗せた白い固まりを持って城主の元へとはせ参じた。

 これを確認した蒲生賢秀はそれを受け取ると中禅寺夫妻の前に静かに置いた。

 その物体を一目見たとたん千鶴子は「うむ」と小さく言葉を漏らすと急に立ち上がった。

 

「失礼。これはかなりの穢れを持って居る。城主殿すまんが着替え用の部屋を一部屋用意してはくれぬか。」

 

 そう言い残し侍女に案内され部屋を出ていった。

 困惑するのは部屋に残された者達。

 奇怪な怪異現象だと思っていたが、穢れが大き過ぎると言う不吉な言葉を突き付けられ残った者達はパニックに陥っていた。

 ガヤガヤ、ザワザワと部屋の中に羽虫の様などよめきが起きている。

 その中でも静かに口をつむっていた中禅寺秋彦だがおもむろに口を開く。

 

「城主殿、これはいささか拙い物ですな。」

 

「ど、どう言う事だ、京極堂。」

 

 焦りのあまりどもりながら六角承禎は問いかける。

 

「この卵は水の中にあったと聞かされたがそれは本当ですかな?」

 

「さ、さよう。この城に続く水道にびっしりと。」

 

「これの形状を見ます所、これは蛇、またはそれに連なる物と見受けられる。」

 

「う、うむ。わしらの見立てもそうじゃ。」

 

「しかしこれは不味い。本当に不味い。」

 

 中禅寺秋彦は不味いと言う、不安になる言葉を繰り返す。

 本題をはぐらかされて不味いと言う言葉だけを並べられれば人は本当に不安に襲われる。

 それをこれでもかと言うくらい繰り返されている。

 そんな状態に長く耐えられる者などそう多くはいないだろう。

 

「京極堂! 不味い不味いと言うばかりで無くキチンと説明をせぬか!」

 

 語気を強め中禅寺秋彦に詰め寄る六角承禎。

 これを柳の様にかわした中禅寺秋彦は懐から小刀を出すと卵を真っ二つに割った。

 

「見えますかな城主殿。」

 

「み、見えるがこれが何じゃと申すのか。」

 

「中身ですよ城主殿。」

 

「中身と申すか……」

 

 言われて六角承禎も蒲生賢秀も割られた卵に視線を向ける。

 そこにあった物は以前自分達が確認した時と同じ物だった。

 中身など無かった。

 いや、あったと言った方が良いのか。

 卵の断面は白、つまりは白い固形物。

 外側から内側まで真っ白な一つの固形物。

 最初にこれを見た六角承禎達は何かの粉末、小麦や米の粉を固めた物では無いかと想像したがこの物体の硬さを鑑みてそれは無いと言う結果に至った。

 それほどの硬さがこの白い物体にはあった。

 人の手ではおよそ固める事が出来ない程の硬さが。

 それを知ってか知らずか、まあ予想通りなのだがそんな事を露にも出さずに中禅寺秋彦は言葉を続ける。

 

「水に関わり合いが有りながらこの様な卵を産む物。これは不味い。」

 

「だ、だから何が不味いと言うのじゃ!」

 

「城主殿、これは蛟(みずち)で御座います。」

 

「蛟? 一体何じゃそれは。」

 

「蛟とは龍。下等な龍の眷族で御座います。」

 

 この言葉にまたしても羽虫の様なざわめきが起きる。

 

「お、お主、今下等と申したな。ならば退治も簡単では無いのか。」

 

 六角承禎は中禅寺秋彦が漏らした下等と言う言葉を捉えて僅かな希望を見出そうとしていた。

 だがこの希望も打ち砕かれる事になる。

 

「それは無理じゃな。城主殿、下等だからこそ質が悪い。」

 

 着替えが終わって戻って来た千鶴子だ。

 陰陽師特有の白を基調とした衣装での登場だ。

 その衣装のせいなのか、はたまた生まれ持った物なのかその佇まいには気品と神聖さが醸し出されていた。

 

「お、奥方殿、質が悪い、とは?」

 

 蒲生賢秀が千鶴子に問いかける。

 

「城主殿達は下等と聞いて弱いと思うておるやも知れんがそれは違う。怪異の上等下等は知恵や理性、それに徳などの上下に起因する。」

 

「徳、でござるか。」

 

「さよう。じゃからこそ質が悪い。」

 

 質が悪いと千鶴子は繰り返す。

 夫は不味いと繰り返し、妻は質が悪いと繰り返す。

 これが先ほどの意趣返しであるならばそれこそ質が悪いと言う物だ。

 そして恐らくはわざとであろう。

 そんな事を短い時間で繰り返され不吉な言葉を浴びせ掛けられ観音寺城の面々はこれでもかと不安に落ちていった。

 

「蛟とは龍の下等眷族であり蛇の気性を持つ怪異であります。」

 

 さすがに可哀そうになったのか中禅寺秋彦が口を開いた。

 

「それにこの卵。卵と言う事はこの蛟は雌の気、つまりは陰気を持つ物と言う事。そして中身が無い卵、つまりは子が産めない、これは最悪の状況と言っても良い。」

 

「ど、ど、ど、どう言う事じゃ。」

 

 六角承禎の問いに中禅寺秋彦は一瞬の沈黙の後

 

「そうですな、一つ一つ話して行きましょうか。」

 

 そう中禅寺秋彦が切り出すと誰かのゴクリと唾を飲む音がした。

 

「まずは蛟についてで御座いますが、蛟は先ほども申しましたが龍の眷族に御座います。龍の眷族ゆえ蛟もまた水気を宿しております。ですので水気、水のある場所には必ず蛟は存在いたします。」

 

 此処までの話では誰一人異論を唱える者は居ない。

 

「そして蛟は蛇の気性を持っております。城主殿、蛇と聞いて何を思いますかな?」

 

「蛇と聞いてだと? うーん執念深いとかかの。」

 

 問われた六角承禎はあやふやだが思いついた事を口にした。

これを聞いた中禅寺秋彦はニヤリと笑みをこぼし

 

「正解で御座います。蛇の怪異は他のどの怪異と比べても質が悪い。最悪と言って良い。そして今観音寺城を襲っている怪異は卵を産むことから雌。蛇の気性を持ちながら雌、女の気性を持ち合わせた怪異、濡れ女や清姫などが代表的ですが、この二つを取って見ても質が悪いと語っております。濡れ女は捕食、つまりは餌、清姫は愛しき男をどこまでもどこまでも追って行く、執念深さが挙げられます。」

 

「「ううむ」」

 

 部屋の中からうめき声が漏れる。

 

「そして次は卵についてで御座います。お話を聞き、現状の確認をしました所この蛟は母性が非常に強い事がうかがわれます。この代表例は鬼子母神を挙げれば良いでしょうかな。鬼子母神については説明不要で御座いましょう。重要なのは卵の方で御座います。中身のない卵、これは母の悲哀を現しております。」

 

「悲哀、とな。」

 

「これは子を産めぬ母の悲哀、いや、これだけの量ですと最早執念、怨念と言ってもいいほどです。だからこそ不味い、質が悪い。これを解決し無事封印するには最悪の方法しか残されておりませぬ。」

 

「最悪とは?」

 

あれだけザワついていた部屋の中が中禅寺秋彦のこの言葉によってシーンと水を打ったかの様に静まりかえった。

中禅寺秋彦はたっぷり三分ほど沈黙を守った後

 

「人柱で御座います。」

 

 簡潔に残酷に解決方を口にした。

 そして間を置かずに六角承禎に向け口を開く。

 

「城主殿、この地に純潔を守っておられる男(おのこ)は居りますかな?」

 

「その様な者なら城下を探せばいくらでも……」

 

「いえ、それではダメなのですよ。先ほども申しましたが蛟とは龍の眷族、上を目指す性質を持っております。したがって封印の指針は上で御座います。ですので、人柱となる人物は泉より上に存在する者でなくてはなりませぬ。でなければ蛟を上へと導けませんゆえ。」

 

この言葉をきっかけに三度羽虫の様などよめきが起こり家臣達がそこかしこで

 

「賢政だ。」

 

「賢政がいる。」

 

「あれの命一つで六角家が守れるのならば……」

 

 と、一人の人物の名前を囁き出した。

 家臣団の中で今回の怪異の対しての恐怖が中禅寺秋彦の話によって増幅された為、誰も賢政に対して礼を取る者が居なかった。

 その何とも言えぬ空気が支配した広間の中で決定を求められる立場にある者、それは六格承禎唯一人。

 この家臣達の唸りとも呼べる呟きに六角承禎も腹を括るしか無かった。

 今後の近江、浅井家と事を構える事になったとしても。

 

「我が家で預かっておる者がそれに該当する唯一の者、その者を差し出そう。」

 

 とうとう六角承禎はその言葉を口にした。

 だが中禅寺夫妻の追い込みはそれでは終わらなかった。

 魚を釣っただけでは終わらない。

 生き締めで鮮度を保たねばとでも言う様に。

 

「城主殿、一つ確認したいのだが宜しいか?」

 

 今まで沈黙を守っていた千鶴子が口を開いた。

 

「何じゃ。申してみよ。」

 

「この地にその者の血縁者は居らぬでござろうな。」

 

 この問いに六角承禎はピクリと眉を上げ

 

「何故にそのような事を。」

 

「関係大有りじゃからじゃよ。」

 

 袂で口元を隠しながら凄みある言葉を千鶴子は口にする。

 六角承禎から見える千鶴子の表情は目元だけなのだが、その瞳は恫喝するが如しだった。

 小娘が無礼な!と逆に恫喝する事も出来たが、千鶴子の底冷えする様な眼光に六角承禎は飲まれてしまった。

 そして、その返答は

 

「お、居らぬ。あれの身内は全てあれの故郷におる。」

 

 嘘を吐いた。

 何故かは解らないがそう口から出た。

 

「では、封印式は三日後、新月の晩に行います。」

 

 もう話す事は無いと中禅寺秋彦が切り出す。

 だが、それだは終われないと千鶴子が口を挟む。

 

「主様、それでは終われませぬぞ。もう一つ重要な事が。」

 

「うん? ああそうだったな。城主殿、封印式までの間、賢政殿を千鶴子にお預け下さいますよう。色々と手順がありますゆえ。」

 

「う、うむ。承知した。賢秀、賢政を奥方の下へ。」

 

「はっ!」

 

 こうして出来の悪いペテン劇は幕を挙げる。

 

 




次話では怪異譚の核心へ。
ではなく、嘘とペテンの一発勝負。

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