多少の不安を抱えながら、修学旅行は三日目に入った。
相変わらず騒がしい3-Aの生徒を宥めるのに忙しかったのはあったが、逆に言えばそれだけで済んだのは僥倖といえるかもしれない。
襲撃されることもなく、ラブラブキッス大作戦などというアホ臭いイベントもない。教師陣が寝静まらない生徒に頭を痛めただけで終わった二日目の夜である。
朝から元気の良いことで、事前に立てた計画を確認している超さんなどを除けば出掛けたくてウズウズしているようだ。
まぁ、俺も親書を渡しに行かなければならないので今日は暇ではない。悪いが生徒の誘いは全てパスさせて貰う。
そう思っていたが、当然のようについてくる宮崎さんたちの班。
「……僕は行くところがあるんですが、班で行くところは決めていないんですか?」
「まーね。特にこれと言って予定はないかなー」
「ゲームセンターで関西限定のカードでも手に入れに行こうかと思っていたです」
早乙女さんが頭の後ろに手を回しながら俺の言葉に返答し、綾瀬さんがそれに付け加える。
しかし、関西まで来てゲームセンターで遊ぶとは……なんというか、面白みがないのではないだろうか。本人がいいならそれでもいいだろうが、何か見に行くなり食い倒れなりやることはあるだろうに。
「ネギ先生はどこにいくつもりなの?」
「行くところはいろいろあるんですが、まずは近衛さんのご実家ですかね」
「うちの実家?」
きょとんとした顔をする面々。桜咲さんだけは相変わらず無表情だが、今更気にすることでもない。
近衛さんの実家に行くのは親書を届けると同時にナギの別荘の在処を聞くためでもある。やることが多くていろいろ大変だ。
「なんで木乃香の実家に?」
「学園長から仕事を頼まれているんですよ。近衛さんのお父さんに重要書類を渡すことと、もう一つ別件で私事もあります」
「ふーん。修学旅行に来てまで仕事かー……先生も大変だね」
「……パル。修学旅行は元々生徒の見聞を広めるための行事ですよ。先生にとっては紛れもない仕事の一環です」
綾瀬さんの言うとおりだが、今となっては有名無実も等しいし、そもそもその修学旅行中に別の仕事なんて普通は持ちこまない。多分。
先生たちも先生たちで割と楽しんでる部分があるから、修学旅行っていうのは学業の合間の休みみたいなものだと俺は思っているわけだが、今は関係ない。
「ずっとそこにいるわけではないですが、行くというなら時間をずらしたほうがいいと思いますよ。僕は早めに行って仕事を片付ける必要がありますから、その間近衛さんはお父さんと話すことも出来ないでしょう」
「そうだね、木乃香の実家も見てみたくはあるけど、先生と時間が被ってると迷惑だろうし」
「仕方ないですね」
意外とあっさり引いてくれたが、事は俺に関するだけじゃなく近衛さんにも関わるからな。積もる話もあるだろうが、同時に行っても迷惑だと察してくれたのかもしれない。出来れば来ないでほしいというのが本音だが、無理にストーカーされるよりは別口で行ってもらった方が内々に処理もしやすい。
アーウェルンクスも殺人は基本的にしないようだし、組織に属する以上は一般人相手に殺戮をするような連中ではないはずだ。……まぁ、どの道アーチャーに監視して貰う以外対処する方法はないのだが。
後ろで雑談していた宮崎さんと神楽坂さんもその案に同意したようで、しばらく京都を散策してから近衛さんの実家に行くことにしたらしい。
近衛さんも割と早い時期から麻帆良にいたし、地元っていう感覚はあまりないかもしれない。旅行会社のパンフレットを見ながら行くところを探しているのを見ると余計にそう思う。
その間に宮崎さんを少し離れたところまで連れて行く。
「え、えっと……」
「この間の返事ですが」
「あ、あうぅ……その、えと、私が気持ちを伝えたかっただけで、返事は別に……」
「いえ、僕も恋愛というのはよくわからないので……教師と生徒という立場もありますし、まずは友達から、ということでどうでしょう」
これでも問題あるかもしれないが、年齢でいうならむしろ俺の方が低いからな。原作でも思ったが、これはこれで無難なところに落ち着いたということだろう。
最後に桜咲さんの方を向き、儀礼的に「近衛さんを任せます」と小さく告げて、頷いたのを確認してから立ち去る。
信用出来るかどうかでいえば否に傾いている今だが、アーチャーをこのあたりで最も高い位置に配置している現在、彼女が裏切ってもすぐさま駆けつけられるようにしている。どちらかといえば俺よりもそちらを気にするように言ってあるからな。
俺の場合は緊急だったら令呪を使えばいいわけだから、この配置が最善だと思っている。
ともあれ、正攻法で抜け出した俺は単身で関西呪術協会へと向かうことになった。
●
伏見神社のように多数の鳥居が立ち並ぶ石段の前。
夜に行くと幽霊でも出そうな感じだ。霊体って意味なら普段からアーチャーで見慣れてるが、あれとはまた意味合いが違うし。
まぁ、グズグズしているほど暇はない。過激派の妨害が来ることは予想済みだし、あとから来るであろう近衛さんたちのためにも罠の類は念入りに潰しておかねばならないのだから。
ということで階段をのぼりはじめ、いくつか仕掛けられていた罠を潰しつつ進む。
罠というか、これは結界だな。原作でも言われていた無限なんたらの咒法。対象を切り取られた空間内に隔離する結界だ。
わかりにくいし陰陽道に詳しくない俺では危うく引っかかるところだったが、注意してみれば鳥居の裏に符が貼り付けてあったので何とか気付けた。
あとはどれほどのものかと考えていた時、彼は目の前に現れる。
「結界見破るとは思わんかったが、中々楽しめそうやな、お前」
体の節々に包帯を巻いた学ランの少年──おそらく犬上小太郎──は、蜘蛛の式を携えて現れた。
どうせなら奇襲でもすればよかったのにと思わなくもないが、こちらに都合がいいので言うことはない。されたとしても対応は可能だがね。
「……過激派かな?」
「せや。お前の持っとる親書、渡してもらうで」
「大きい口を叩くなら勝ってからにして欲しいものだけど」
「は、言うやないか西洋魔術師。なら──力づくで奪ったるわ!」
『気』を使った身体強化。鋭い踏み込みと速い拳。
大口叩くだけはあってそれなり以上には出来るようだが……まぁ、相手が悪かったと思って貰おう。手早く『戦いの歌』を発動させ、動きを見切る。
はっきり言って、この程度なら相手にならない。普段からアーチャーの動きを見て、少し前にはエヴァと死闘をやったのだ。動きがスローモーションに感じられる。
初撃に続いて顔を狙って振るわれる拳をいなし、密着した状態で拳を小太郎の脇腹にそっと触れさせるように当てた。
「魔法の射手、連弾・雷の十七矢」
魔法の射手という術は基本的な術なだけあって応用性が非常に高い。一撃一撃の威力は術者の力量に左右されるものの、使い手によっては無数の魔法の射手を束ねて弱い一撃を圧倒的なまでの破壊力に引き上げることが出来る。
俺がやったのはまさにそれ。
手から放出し、散弾のように散らばる前の収束した状態で敵にぶつけ、その威力を跳ね上げる。
あばらの一本や二本くらいは折れたかもしれないが、高い授業料だと思って諦めて貰おう。
血を吐いて吹き飛ぶ小太郎を尻目に、おそらくは壁として用意したであろう蜘蛛の式神を一瞥して石段を再度昇り始めた。
「ま、待てや……!」
「……骨の一本くらいはいっているはずだ。余り動かない方がいい」
小太郎の方を見ると、服の内側から見えるいくつかの呪符。陰陽道に関してはそれほど詳しくないものの、攻撃のあとにあれが破れて落ちたということは防御用の呪符なのだろう。
物理攻撃はほとんどしていないからな。確かに呪符を仕込んでおけば魔法の射手の直撃を受けても立ち上がれるのは納得できる。
それが賢明な判断かどうかはさておき、数度拳を打ちこんでいながらかすり傷一つ負わせられないのだから、彼我の差くらい理解してほしいものだが。
傲慢と言われようが、俺と小太郎の間に埋め難い差が生まれているのは確かだ。弱者をなじるのもいびるのも趣味ではない。
というか、基本的に俺が習熟した魔法は威力が高すぎて加減が効かないのだ。魔法の射手の本数を減らすくらいしか小太郎レベルの相手は出来ないし、それ以上を使うと下手すれば即死しかねない。
非殺傷なんて便利な機能もないし。
「俺が……このまま、やられるわけないやろ!!」
髪が白く染まって腰まで伸び、肌が白く染まって可視化出来るほど濃密な気が吹き出る。
獣化。うろ覚えだが、小太郎は犬神の一族か何かだから使えたはずだ。
奥の手だということはわかるが、果たしてどれほど強化がなされているのか──気にならないといえばうそになる。
「おおおおおおおっ!!」
先程よりもより速く鋭い踏み込み。だが、それでも俺に傷を与えるにはまだ遅い。
心臓を狙って穿つ貫手を弾き、そのまま回転して小太郎の脇腹を蹴り飛ばす。多少は硬くなったようだが、魔法使いのそれと違って呪符は障壁のように万能ではないらしい。
「ふっ!」
息を吐き出すと同時に踏み込み、再度向かってきた小太郎を正面から殴り飛ばす。カウンターとしてはなった一撃はかなり効いたようで、口元から血を流して足元がふらついている。
杖を持ってきていればヘラクレス直伝の杖術でもっと上手いこと戦えるんだが、生憎と持ってきていないので、昔少しだけかじっていた空手で相手をしているのだ。
だがまぁ、こうなると余りよくない。
元々俺の有利な距離は近距離ではあっても至近距離ではない。アーチャーがいれば話は別だが、今ここにはいない以上考えるだけ無駄といえる。狙撃して貰えば一瞬で片は付くが、それをやると小太郎の命の保証が出来かねる。
これから融和をしようというのに、過激派だからと西洋魔法使いが殺してしまっては元の木阿弥だ。
だから死なない程度に加減しつつ倒さなければならないのだが……時間をかけるのも余りよくないというのがまた面倒なところだ。
「……仕方ないな」
「なんや、捌けてるからってもう勝った気か!」
随分とタフだ。これはもう本当に時間をかけすぎると厄介なことになりかねないので、次の一撃で決めることにする。
というか、魔力と体力は出来る限り温存したい。おそらくは今夜あたりに仕掛けてくるだろうと踏んでいるため、対アーウェルンクスを想定するなら疲弊はなるべく少ないほうがいいのは当然だ。
「ラス・テル・マ・スキル・マギステル。闇夜切り裂く一条の光、我が手に宿りて敵を喰らえ──『白き雷』・術式改変」
貫手は駄目だ、殺しかねない。
だから、比較的ダメージを浸透させつつ相手の動きを奪う打撃で落とす。
『白き雷』を纏った右手で拳を作り、地面を陥没させるほど強く踏み込むと同時に胸の中央へと拳を叩きこんだ。
「ぐ、おっ──ッ!!?」
『白き雷』の効果もあって体が麻痺しているであろう小太郎は碌に動けなくなった。目だけは諦めまいとしているが、根性論でどうにか出来るような差ではない。
相手が格上であろうとも戦おうとするその意思を悪いとは言わないが、一般的にそれは蛮勇と呼ぶ。どうしてもそれをしなければなら無い状況ならばともかく、今回に限って言えばもっと手段はほかにあっただろう。
こっちは楽できていいがね。
「『眠りの霧』」
動けなくなったところで重ねて『眠りの霧』を使い、小太郎を眠らせておく。ここに置いておくと後からくる面々に邪魔になりそうなのがあれだが、連れて行く方法が無い。背負っていくなんて論外だしなぁ。
……放っておいていいか。しばらく寝たままだろうし、起きたとしても流石に一般人に手を出すことはあるまい。
早めに本山を訪ねて捕縛をお願いしておけばいいことでもある。
「……彼がこちらに来たということは、残りが近衛さんを狙っているということか」
それはそれで面倒だが、アーチャーを割り振れば最悪の事態は避けられる。親書を狙ってきたのが彼だけならそれほど重要視されていなかったのかもしれないが、関東と関西の関係性を変える一つの切っ掛けにはなるだろう。
近衛さんに関しては、桜咲さんの立ち位置次第。
今の俺は魔法使いである前に一人の教師だ。桜咲さんもまた俺の生徒である以上、敵だとしても更生の余地はあると信じるほかにない。
幸い疲労は左程ない。アーウェルンクス相手に対等に戦えるとは思っていないが、足止めくらいなら可能だと思いたいものだ。
何故アーウェルンクスだとわかったのかを説明出来ないため、「実力者がいる」という程度の警告しか詠春さんに出来ないのは痛いが──その分アーチャーに頑張って貰おう。
そう考えながら、俺は関西呪術協会総本山へとたどり着いた。
次の投稿予定日は四月一日です。