私は世界に二人いる。
◆
私が生まれた場所はどことも知れない山奥だった。
小さい村落からも離れた、人のいない場所にひっそりと建つ一軒の家。私と両親はそこに住み、外界との関わりなど今となっては考えられないほどないままに幼少期を過ごしたのだ。
日々を生きることで精一杯。
糧を得ること以外に考えることなど無い。
だけど、家においてある刀に魅了されて、私は父に剣を教わった。
繰り返される同じ日常の中に一つだけ混じった異物。剣を振るだけの簡単なことでも、私にはそれが後々どうなるのかがはっきりと
それは『未来』だ。
ただ愚直に剣を振るうだけでいいのかと疑問に思う私の目には、それがもたらす結果が見えた。
魔を裂き、妖を切り、退魔のために鍛え上げられた剣術。
剣は腕の延長だと教わり、そういう感覚に慣れるように振り続けた。
それで終われば、私はきっと何も知らずに今もあの場所で剣を振り続けていたに違いない。
──転機は突如として訪れた。
私の目は未来を視る。
村にも一人だけいる胡散臭いおばあさんの理解不能な占いよりも余程信用出来る、絶対の未来。私が『こういう未来にしたい』と願えば、私の目にはそれを成すための行動が映る。それに従えば何の間違いもなく私の見た未来に辿り着く。それは『必然』だ。
だから、それはきっと必然だったのだと思うのだ。
何をしに来たのかはわからなかったが、閉鎖的な村にある日現れた謎の二人組。二人は剣を持ち、村の人々を次々に切り殺していった。
目的も同様に知る由はない。
興味もないのだから、別に知ろうとも思わない。
私に言えるのは、その二人がいたから
肉を切り裂く刃物の感触。あげられる悲鳴、阿鼻叫喚の地獄絵図。ふりまかれた血潮は災禍の爪痕として村を赤く染め上げ、私は村の人々が全滅したのちに二人を切り殺した。
確かに二人は強かったが、それだけだ。未来の見える私にとって、二人の剣に当たる理由がない。身体能力の差も、技術的な差も、『未来が見える』という一点だけで容易く上回った。気を扱うことさえ出来れば最低限のことが出来るのだから、ある意味でそれもまた必然だった。
化け物でも見るような目で私を見る二人。
二人には感謝をしようと思った。
未来はあくまで『視えている』だけ。感触もなければ音もない。五感のうち視覚だけでしか得られない断片的な未来は確かに便利といえるが、私にとっては邪魔でしか無いものだ。
刃が肉を切り裂いた。白い骨とピンク色の筋繊維。真っ赤に噴き出す赤い血潮。これは今にしかない。視えるだけの未来には、私が欲しいものなど無い。
絶叫は耳に心地よく、死にたくないと死に物狂いで刃を振るうその姿に笑みを浮かべた。
だって、無駄だろう、そんなもの。未来が見えている私に当たるはずがない。未来は確定しているのに変わるわけがない。
村は小さいながらも共同体として存在していた。野菜を作るのも、魚を捕るのも、獣を狩るのも、私一人で賄うことは出来ない。このまま備蓄している食料を食いつぶして死ぬだけ。
それは嫌だなぁと思ったけれど、どうしてかこの地獄から出たいとは思えず。
そんな折、私は関西呪術協会とやらの長と出会ったのだ。
●
私を引き取ることにしたらしい関西呪術協会の長は、長の一人娘と出会わせた。
両親もいなくなり、一人ぼっちになった私が寂しがらないように──立場上易々と友人さえも作れない娘を寂しがらせないように、私を連れてきたらしい。
嬉しい、という気持ちは当然あった。生まれてこの方友人なんていた試しがない。それが例え閉鎖的な村の中であろうと、私は常に異物だった。
呪い子、あるいは忌子と人は呼ぶ。
生まれてくるべきではなかったと村中から罵詈雑言を浴びせられたこともある。
幼い私の理解できる言葉ではなかったが、確かな悪意を持ってぶつけられた言葉は私の精神を鬱屈させていた。
臆病になっていたといってもいい。
裏切られたことこそないが、それは初めから悪意を持って相手することしか考えていないから。両親以外の生物は皆自分の敵なのだと、幼いながらになんとなく理解はしていた。
「あなたの名前を教えて。うち、近衛木乃香っていうんよ」
「う、うちの名前は──」
あの時の私は、諦観していた。
人の振りをしていれば問題はないと長に言われたけれど、それはやはり本当の『私』を認めて貰えないことと同義で。
私が私ではない誰かの振りをしていれば、痛みもないし苦しくもない。
両親だって、最後は私を捨てた。
生まれてくるべきではなかったと吐き捨てた二人。望まれて生まれてきたのではない私は、私ではない『誰か』の殻を被ることでようやくここにいることが出来た。
両親からの最後の選別──名前という名の呪いを貰って。
桜が咲く刹那のように生きる。
それが、私の貰った『名』の呪いだった。
未来を視る力も誰かに言えるはずはなく、ただ自分が変えられない未来を勝手に視て苦しむしかなかった。
本当はわかっていたのだ。彼女はきっと裏切らないだろう。彼女は、このまま真実を語らずにいる限り私の境遇に同情こそしても敵意や悪意を向けることはない。──だが、今に至るまでにその『未来』を見ることはなかった。
元より長期での未来を視たことなどほとんどない。精々が二三日程度の短い間隔で訪れる簡易的な未来予知。
それでも、変えることは出来なかった。
視た瞬間にその未来は『確定』する。今があってその結果として未来があるのではなく、未来という結果ありきの
木乃香お嬢様が川でおぼれかけた時も、それを事前に知っていながら助けることは出来なかった。
せめて、たった一人の友人である彼女のためになることがしたくて、私は剣を習い始めた。
◆
京都神鳴流。
退魔を旨とし、古来より日本の裏稼業をやってきた流派だ。その極地は『肉体に傷をつけることなく憑依した妖を斬る』ことであり、私の理想とは真逆を行く流派でもある。
友人など出来るはずもなかった。どこから来たとも知れない不気味な女を、他の門弟たちは遠巻きに眺めて観察するだけ。話をするどころか近づこうとすらしてこない。
もっとも、それは私にとって実に心地のいい環境だった。
私が今を生きていると感じられるのは剣を振っているときだ。剣が肉を裂き血をまき散らして叫喚を上げさせるその瞬間だけは、過去も未来も現在も関係なく『私』の存在を感じられる。
私の眼無しでも、私が門弟の中で最も熟達した剣士になるのにはそれほど時間がかからなかった。剣にかける意気込みが、情熱が、想いが違う。
人間の力で人間以上の存在である妖魔と戦う以上、神鳴流という流派は他のそれよりもずっと才能の有無による差は大きい。何年も愚直に剣を振り続けても碌に奥義を使えない愚図さえ門弟の中にはいたのだ。
そのくせ、プライドだけは一人前にある。
年功序列など意味を成さない実力主義のはずの神鳴流の中でさえ、そんな屑が罷り通る。
女だからと私の剣を奪い取ろうとし、あまつさえ暴行してどちらが上かを知らしめようなど笑わせる。
だから斬った。
神鳴流は得物を選ばないのに、この愚図は人の刀を奪おうとしたのだから、私は手刀で愚図の両手両足を切り裂いて徹底的に切り刻んだ。
面白くない。
あの時は確かに生きていると感じられたはずなのに、今の私は人を斬っても生きているという感覚がない。絶頂してしまいそうなほどの高揚感がまるで湧いてこない。
何が違うのかと考えても、私はあまり頭がよくないからわからない。
一先ずあの時と同じように、同門の門弟を次々に切り殺してみたけれど──やはり高揚感は得られない。
「面白いやつやな」
私に目を付けられたのは普通の人よりちょっとだけ長生きをしているという関西の重鎮。
私は彼に興味はなかったけれど、退魔にあって人を斬る私の剣を認めてくれるというから庇護下に入った。何時の世も私のような剣士は出てくるらしいし、協会に反旗を翻した術師を相手取るときには普通の神鳴流剣士だと足手まといになりかねないのだという。
それも当然。
何故なら、退魔の剣は元々人を斬るためのものではない。
関西の長も元は人斬りで過去の大戦に参加していたというし、同門の門弟を切り殺したからと言っても反旗を翻したわけではないのなら多少の罰則で済む。
それが実力社会の本質だ。日本の裏社会というのも中々にどす黒い。
「俺は関東なんぞ認めん。あの狸も中々どうしてやってくれおるが、俺らとて古来より日本を守ってきたんや。ぶっ潰してでもあの土地を取り返したる」
一時期は東京の首塚に眠る平将門を使い、災厄を引き起こして関東を滅ぼす計画まで持ち上がっていたらしい。
それだけ関東に恨みつらみがあるということであり、過激派が追い詰められているという証拠でもあった。
実際、関東融和派が力を伸ばしてきている。おそらく関東の首魁の仕業だろうと彼は言っていたが、例によって興味はない。
首塚の件もその後の対処に非常に手間取るうえ、元が特級の霊地ということもあって過激派でさえ二の足を踏むレベルの存在だ。私もあそこの封印を解けば、未来を視るまでもなく生きていられるとは到底思えない。
手に持った刀の手入れをしながらそう思っていると、彼はおもむろに私の方を見た。
「……そやな、外側から崩すことが難しいなら内側から崩したるか。おい、お前ちょっくら麻帆良に転入してこいや」
思わず私が呆れるほどに自信満々な顔で、彼はそう言った。
「期待しとんで、『一斬り』」
●
麻帆良女子中等部。私の入るクラスはAで、木乃香お嬢様と同じだった。
元より私の剣はお嬢様を守るために存在する。別クラスでもやり遂げて見せるつもりではあったが、お嬢様の祖父である学園長はそのあたりを配慮してくれたらしい。
未来は変えられないが、逆に言えばお嬢様が危険に会う未来さえ視なければ安全だということ。加えて、私の視る未来は如何にしてお嬢様を危険から遠ざけるかを知るために利用できる。
関東にいるということは、関西を裏切るということ。
お嬢様がこちらにいるのだから仕方のないことではあるが、同門の門弟や師範たちからは猛烈に反発された。
性格も気質も気に入らないと常々言われていたが、実力主義の神鳴流においては一人でも多くの強い剣士を育て上げることが協会の力につながる。それが寄りにもよって関西ではなく関東の協会の庇護下に入るなどあり得ないことだ。
全てを捨てる覚悟があるか、と長に問われた。
私にそんな質問をする意味が、私にはわからなかった。
元より私には何もない。
お嬢様との縁だけを失いたくないと感じるのだから、それ以外の何を犠牲にしようとも構わない。
何も持っていないものに捨てる覚悟を問われても答えられるわけがない。だから私は、「私はお嬢様のために剣を振るうだけです」とだけ答えた。
それだけが、私の唯一見つけた居場所だと思っているから。
長はなんとも言えないような表情をしていたけれど、今麻帆良にいるということは少なくとも認めてくれたということだ。
お嬢様のために命を捨てろと言われればそうするし、お嬢様の敵になるなら誰であろうと──例えお嬢様の友人であっても斬り殺す。
惜しむべくは、「関西からの刺客である」という可能性を潰すために、中等部で過ごす間はお嬢様との接触を出来る限りしないよう言われていることか。
疑われることには慣れている。敵意や悪意を受けることもなれている。
同郷であり、関東関西の融和政策の一環でこちらに嫁いできた葛葉先生も似たような境遇だと聞いたが、浮気されて離婚したとかで同情されたこともあってうまくいっているらしい。
対して私は友達と呼べる相手はお嬢様しかいなかった。まともに会話をするのも長、お嬢様、師範くらいで他人と話す話題も持っていない。同じ部屋になった龍宮とはそれなりにうまくいっていると思っているが、彼女は何時敵に回ってもおかしくない傭兵だ。
神鳴流は武器を選ばないが、常に武器を携帯することにしている。
何事もなく二年が経ち、三年になる。
ネギ先生という驚きの相手はいたが、それ以外はいたって平穏と言っていい。剣の腕が鈍っていないことを祈るばかりだ。一応毎日振って修行はしているのだが。
最大の難関であろう京都への修学旅行も、私は本来ならば反対する立場だ。
学園長にも考えがあるのだろうが、今の京都は危険だ。活発になっている過激派の動きもさることながら、ネギ先生という特大級の爆弾が直接乗り込むというのだから穏健派もあまりいい顔はしていない。
それでも、お嬢様がこれを機に一度帰省することを聞いたからにはそれに従うまで。
私の最優先事項は、あくまでお嬢様の意思なのだから。
「ちょっといいかい、
修学旅行の朝、ネギ先生と話す機会がなかったからと言伝を頼まれたらしい使い魔のカモさんは、周りに気を付けながらしっかり伝えてくれた。
「兄貴からの伝言だ。『過激派の相手はこちらで何とかするつもりですが、桜咲さんは近衛さんを最優先で守ってください』ってよ。生徒の方は兄貴が守るそうだ」
学園長から親書の受け渡しも頼まれていたはずだが、ネギ先生はそれよりも生徒の安全を優先するのだろうか。
私は誰よりも優先してお嬢様を守る。ネギ先生がそれをどこまで理解しているのかはわからないが、先生もお嬢様を優先するよう言ったのなら問題はない。
今のところ致命的なことが起こるような未来は視ていない。無事に修学旅行が終わればいいが──と思った瞬間にネギ先生は親書を奪われていた。
唖然とした私だが、ネギ先生は焦ることもなくこちらを一度だけ見た。
その瞬間に──私は未来を視た。
突発的に視たその未来は、ネギ先生が初めて会ったときと同じようにアーチャーと呼ばれる大男を連れて長に親書を渡している場面。
これを見たということは、少なくとも親書を渡すことに成功するということだ。心配する必要はない。
だから、私はお嬢様の身を守ることだけを最優先にした。
◆
謎の大男に監視されていたのを仲間のフェイトが気付き、未来視を以てしても手も足も出ない相手だと悟って逃走を決断した。
強敵に挑むというのも中々悪くはないが、今捕まるわけにもいかないし戦闘不能にされるのも御免被る。
血気盛んな小太郎は早々に正面から殴りかかって潰されていたけれど、フェイトが回収していたから別にいいだろう。
多分、というより、まず確実に私たちの中で一番強いのは彼女だ。飛び抜けている、と言っても過言ではない。
まぁ、私は人を斬れればそれで良いのだけれど──やはり、快感を得るにはただ斬るだけではつまらない。
実力が離れすぎていては駄目なのだろうと思う。自分が強すぎれば瞬く間に敵を切り裂き血を浴びることになるし、敵が強すぎれば自分が何かをやる間もなく殺される可能性がある。それではとても退屈にすぎる。
剣をぶつけあい、殺気をぶつけあい、実力の伯仲した相手と死と隣り合わせの殺し合いをするのが良いのだ。
それが出来る相手自体少ないのだけれど──一応、目星はつけてある。
「初めまして、センパイ」
初めましてと言っても、見かけたこと自体なら何度かある。
門弟の中でもかなり
それらは全てどうでもいい。
ただ、私に釣り合うだけの敵対者が欲しい。強すぎず弱すぎず、死と隣り合わせの中で生を感じられるような殺し合いがしたい。
未来を視る私とまともにやり合えるのは実力が隔絶しているフェイトやあの大男、それと長もそうだろうが、こうなると戦闘そのものが長続きしない。
「……お前は」
「月詠言います。噂はかねがね聞いてますえ、刹那センパイ」
「……なるほど、私もお前のことは聞いている」
同門の姉妹弟子ということもあってか、私と彼女はよく間違えられる。
見た目も、剣筋も、雰囲気も何もかもが全く違うのに、年が近いというだけで間違われる。上の人間がどれだけ個人を見ていないかがよくわかるというものだ。
「うち、強い人が好きなんです」
弱い人に興味はない。
「剣を交えて殺し合って、死を間近に感じながら生きていることを感じたいんです」
そのためには強い人が必要だ。
「なので──センパイを近いうちに殺しに行きます」
結局はそこに落ち着く。
彼女は実力主義の神鳴流にあって師範代が気にかけるほどの逸材だ。いわゆる天才の一種なのだろう。
私の場合は相手をした師範代のプライドをズタズタに引き裂くまで剣を打ち合うことをやめないから、別の意味で気にかけられていたけれど。まぁ、そんなことに意味はない。
未来を視ない素の実力でいえば、おそらくは彼女の方が一回り強い。
事情は知らないけれど、彼女もまた私と同じように退魔にありながら人を斬ることを目的とした剣の持ち主だ。それは振るわれる剣を見ればわかる。
だから──彼女となら、きっと今までで最高の快感を得られることだろう。
そう考えると、私は思わず口元を緩めてしまっていた。