キャスターの魔術の成果は、まずまずとのことだった。
「マスターとのラインに干渉する術を仕掛けておいたわ。
派手に宝具を使うと不足する、といいのだけれどね」
「はあ……」
しかし、少々歯切れが悪い。
「術は一応成功したのだけれど、
英雄王はアーチャーとして十年も現界しているのでしょう?
アーチャーの中には、魔力の蓄積能力がある者がいるそうよ」
思いがけないことを言われて、アーチャーは面食らった顔になった。
「そんな便利な能力、私にもあるんですか?」
「マキリの文献に載っていたことだから、貴方については何とも言えないわ。
ただ、あの男が蓄積能力を持っていると考えたほうがよいのではなくて?」
魔女の提言に、魔術師は顔を曇らせた。
「ごもっともです。十年分の蓄積か……。どの程度のものでしょう?」
「あの男、単独行動スキルは高いし、恐らく受肉している。
不確定要素が多すぎて、何とも言えないのよ。
令呪について、もう少し研究すればいい手があるかもしれないけれど」
「ははあ……」
同じアーチャーでも、魔力に余裕のないヤン・ウェンリーには何とも言えなかった。
「彼らの現状から推測しうる穴は塞いだつもりですが、
十年というのは決して短くないんですよね……」
世の中には、十年たらずで少尉から皇帝になって、宇宙を統一する人間もいるのである。身元をでっちあげ、現代社会に基盤を築いていても何の不思議もない。英雄王の才気やカリスマ、美貌は、皇帝ラインハルトにそうそう劣るものではない。社会の公平化が進んだ平和な日本では、あれほど急速な成り上がりは不可能だろうが。
「正しい判断には、正しい情報と正しい分析が欠かせません。
一番重要なのは情報ですが、それが何も手に入らない。
実のところ、塞いだつもりが穴だらけという可能性が高いんですよ。
私は魔術について、全くの素人ですから」
浮かない顔のアーチャーに、キャスターも似た表情を作った。
「あら、玄人だから苦労をしていないとでも?
私の時代は世界に魔力が溢れていて、強大な魔術の行使も容易かったわ。
今は無理よ。あの男に服を贈る理由も手段もないし。
それにしても悪趣味な服よね。どうにかしてやりたいものだこと」
「ははは……」
アーチャーは苦笑を相槌がわりにした。当然のことだが、神代と今ではすいぶん勝手が違うらしい。むしろ、適応できているのが凄い。そんなキャスターの実力をもってしても、新たな魔術に挑むのは難事業のようだった。
「それより、貴方はいいの?
聖堂教会や魔術教会にまで喧嘩を売ったようなものよ」
「彼らが動いてくれるなら、むしろ願ったり叶ったりですがね。
我々ではなく、主たる原因の改善に努めてもらいたいものだ。
もっとも今回の目的は、住民への注意喚起なんですよ」
戦場に民間人がいる。いや、民間人の中で戦闘をしている。生前のヤン・ウェンリーは、エル・ファシルやイゼルローン要塞から数百万人を避難させることができたが、サーヴァントの身では、冬木市の数万人でも不可能だ。
警察に協力を願おうとも、魔術は一般人にとって空想の産物である。末端に訴えたところで、一笑に付されて終わりだろう。だが事実であることを知り、警察を動かせる権力は存在するのだ。それが聖堂教会であり、魔術協会だった。
騒ぎを起こすことで、権力者サイドが重い腰を上げてくれるのを期待しつつ、この一件が住民の注意喚起となることを祈るのみだ。ガス中毒や吸血鬼騒ぎよりも、刃物で人を襲う犯罪者のインパクトは凄まじい。外出や夜歩き、ひいては英雄王の援助者の出現を抑制したいところだ。
「貴方にしては気の長い話ね……」
「勝算が掴めませんから、私たちが負けた後のことも考えないと。
その為には、あなたに生き残っていただきたいんです。
間桐の令呪を、桜君たちが引き継ぐことができるかもしれない。
アインツベルンの大聖杯、遠坂の霊脈からのアプローチの研究。
こうした対抗手段ができれば、長期的には勝てるんです」
キャスターの片眉が上がった。
「長期的?」
「言峰神父は凛たちの倍以上の年齢ですよ」
いずれは、寿命というリミットがやってくる。
「まあ、四半世紀後に全面核戦争が起きなければですが」
余計な一言に、今度は眉が寄る。
「嫌なことを言わないで。どのみち、大聖杯の研究は必要ね。
あれを浄化しないと、いずれひどいことになるわ。
私の下僕が本来の役割を果たす羽目になるかもしれない」
世界の滅亡要因を殲滅するのが、エミヤシロウが世界と結んだ契約。
「ある意味でアサシンの願いが叶うわけだけれど、
私の願いより尊重するはずがないでしょう」
「ありがとうございます。
そのほうがずっと建設的ですよ。
さっきも住民に被害が出ないよう、サポートもしていただいて」
キャスターは優雅に手を振った。
「これが、魔力搾取の贖罪ということでいいかしら?
私を呼んだ男を殺したことを、詫びるつもりはないけれど」
黒髪が傾げられた。
「しかし、そうおっしゃるということは気になさっているんでしょう?
あなたのマスターが、パートナーとなる日のためにも、
負い目を抱かないようにしたほうがいいと思いますが……」
キャスターは目を細めた。菫の紫が、毒の花の色に変じる。
「貴方も私の下僕にならないこと?
この世界に残留することも不可能ではないわよ」
「いやあ」
アーチャーはベレーを脱ぐと髪をかき回した。
「お誘いはありがたいんですが、私は戦い以外に能のない人間です。
聖杯戦争が終われば、役に立つ部分がなくなってしまいますよ。
それどころか、きっと害になる」
「つれない男ね」
キャスターは華奢な肩を竦めた。
「平和な世界を見るのが、望みだったのでしょうに」
「だからですよ。私が居残れば、あの子たちは平和から遠ざかる」
黒い瞳には愛情と静かな諦念が同居していた。
「聖杯戦争の期間が終了したら、恐らく宝具は使えなくなるでしょう。
そうなったら、私には落第ぎりぎりの軍人の能力しかない。
執行者やら代行者やらが来ても、対抗なんてできませんよ」
やはり、彼にはわかっていたようだった。自身の価値と、それに反する無力さ。遥か未来から招かれた英霊。本来はあり得ない、だが実在するなら途轍もない価値がある。魔術師にとっては等身大のダイヤモンドのようなものだ。
一方、聖堂教会にしてみれば、世界の滅びを告げる悪霊だ。二週間程度で消えるから、目こぼしをされているだけであって、この世に残留したら狩るべき存在となる。
彼の身柄を巡って、争いが勃発する可能性が高い。誇り高く、心優しく、だが、ちょっぴりケチな彼のマスターは、はいどうぞと差し出しはしないだろう。しかし、宝具が使えなければ、凛たちを守る術はないのだ。
「その点、あなたは魔術が使える。
そうした勢力と抗争するより、知識の伝達を選べば八方丸く収まります」
「私の魔術、今の世では使えないものも多いのだけれど……」
「それは相手の問題なので、あなたが気にしなくても平気です。
失われた魔術を復元するのも、後世の人間の役割ではないですか?」
最たる例はアインツベルン。
「もっともね。今に合わせて術を考えるのも面白そうだわ」
未来人の言葉に、神代人は頷いた。さすがは当時最高の研究者だ。現代の魔術師よりも進取の気性に富んでいる。アーチャーは頭を下げた。脱帽したままの頭を。
「イリヤ君の目指す魔法についても、協力してあげていただけませんか?
……あの子が器になんてならないように」
「ならば、あなたも一緒に考えてあげたら?
私のサーヴァントにおなりなさいな」
「いや、それはそれは
私は出来ないことはやらない主義なのでね」
銀の睫毛が瞬いた。
「頑固ね、貴方は。もう少し動揺するかと思ったのに」
「私にも色々と経験があるんですよ」
穏やかな微笑みには、キャスターの追及を諦めさせるものがあった。
「今日のところはここまでにしましょう。でも、時間までよく考えて頂戴。
私のほうがいい主になるわよ」
アーチャーは微かな微笑みを浮かべた。
「あなたを主と仰ぐより、友人のままでいたいんですがね」
穏やかな水面の下、広がる深淵がキャスターの前に現れる。咄嗟に切り返せないでいると、アーチャーは携帯電話を差し出した。
「じゃあ、これをお願いします」
そして姿を消す。やはり魔力不足のようだ。時間を稼ぎたいのはこのせいだろう。
「なんて男」
キャスターは独語してこめかみを押さえた。一見無害で平凡な顔で、とんでもない殺し文句を吐いてくる。意図しているのか否か、口説き文句へのお断りにもなっているではないか。
「どうやって捕まえたものかしらね……」
***
昨晩の殺人未遂事件から、ほぼ一日が経過した冬木の街には、パトカーや警官が目立つようになった。マウント深山商店街も例外ではなく、夕食の買い物時間の割に、普段よりも人気が少ない。減った買い物客の中で、金銀に赤毛の取り合わせはとても目立った。
「あいつら、捕まるかな……」
「それが一番いいって、アーチャーが言ってたわ」
赤毛の少年に、銀髪の少女が言う。
「それがヒガイシャのためだって。
でも、キャスターのお薬ってすごいね」
「ん」
慎二たちの父は意識を取り戻し、簡単な受け答えができるようになった。鸚鵡返しに近いものだが、一定の意志を有すると認められるだろう。
次に薬が与えられたのは、監禁の被害者たちだった。長期間の拘束と低栄養で衰弱し、植物状態寸前だったのが、意識を取り戻した。
『メドゥーサの首は、切り落とされても石化の眼光を失わなかった。
その血で作られたアスクレーピオスの死者蘇生の薬は、死者を完璧に蘇らせた』
これらの神話のエピソードから、彼女の血には脳細胞の復元効果があるのではないか。そうアーチャーは考え、キャスターも同意した。寿命を伸ばす魔術は存在するが、老化を遅らせての延命に過ぎない。結局年は取るわけで、身体機能は低下するし、思考や行動もそれに引きずられる。杖が必要な老人は、十メートルだって走れないし、走る気も失せてゆく。
『一気に不老不死は難しいけれど、
ずっと頭脳明晰というのは次次善ぐらいにならないか?』
今回のマスターが、次回の聖杯戦争まで詳細な記憶を持ち越せたら、御三家は本来の形に返って協力し、目的を達することもできるだろう。まだまだ研究中だけれどと、キャスター謹製の魔法薬が使われたのだった。
「確かにすごいな。慎二と桜もビックリしてた」
キャスターの説明は、半分も分からなかったけれど。
「魔術師が科学者や薬学者の元祖って、本当なんだな」
セイバーは魔術師マーリンのことを思い返した。
「彼は天候を操るのが得意でした。
今でいう、ええと、気象学ですか?
その知識があったのかもしれません」
「それは凄いぞ、セイバー。今の天気予報は、スパコンで計算してるんだからさ。
そう思うと、俺、才能ないのかも……」
キャメルの学生服の肩が落ちる。会計を終えて、店から出てきた執事が右の眉を跳ね上げた。
「もとより衛宮士郎に才能などない。精々、学び、悪あがきすることだ」
木で鼻をくくったような台詞に、士郎はむっとして言い返した。
「そう言うお前はどうなのさ!?」
鋼が琥珀を見据える。
「恩師の勧める進路を選んでいたら、こうなってはいないと言っておこう」
「うっ……」
凄まじい重さの発言だった。
「で、でも、アーチャーを見てると、進学も公務員も、ものすごく大変だって思うぞ」
エミヤとアーチャー、どちらかの道を選べと言われても、どちらも遠慮したい。ぼやく士郎を、エミヤは冷然と突っぱねた。
「安心しろ。
あの人の学校のレベルは、貴様が東大にストレート合格するよりも難しい。
進路指導の選択肢にさえ上がらんよ」
「ム、ムカつく……!」
未来の英霊のエミヤには、残された事績から自分の歩んだ道を見つめなおすことはできない。目の前のかつての自分の相似形が、黒歴史真っ最中を歩んでいる。
抹消してしまいたい思いで一杯だったが、遠坂凛と英霊たちの言葉がエミヤを変えた。衛宮士郎を導くことで、エミヤシロウと違う道を歩ませる。無限の並行世界の中で、守護者に至らぬ士郎ばかりになれば、英霊エミヤは消えるかもしれない。
そう考えたエミヤは開き直った。ギルガメッシュなど何するものぞ。もう逢えない人々と再会し、あの頃の自分に物申してやるチャンスではないか。
「悔しいなら、もっと考えろ。
厄介なマスターに呼び出され、もっと厄介な同盟者に振り回され、
さらに厄介な師匠と身内に酷使されて、
時速70キロのサイクリングをしたいか、衛宮士郎」
褐色の右手には、食料品と酒と紅茶の袋がぶら下げられ、左手にはファンシーショップの紙袋。精悍な偉丈夫ぶりが台無しである。
士郎は固く誓った。
「お、俺、頑張るよ」
生者たちとサーヴァント、もしもいるなら守護霊に。
士郎もまた、変わりつつあった。ただ一人生き残ったことを負い目にするのではなく、生きているからできることを探す。一人ではなく、みんなと協力し、大人の知恵も借りて、彼方の希望に一歩づつ近づいて行こう。
自分だけでは果たせなくても、いつかきっと届く。セイバーの理想のように。
「ならば、決して気を抜くな」
エミヤの視線が白刃と化す。夕空をよぎる蝙蝠に、魔力の痕跡を認めて。
「連中はまだ諦めていない」
*****
「こちらは広報ふゆき、冬木市役所です。警察署よりお知らせします。
昨日の午後六時頃、刃物を持った男による殺人未遂事件が発生しました。
犯人の年齢は20歳前後、身長は180センチ前後で痩せ型、
金髪で白いジャケットを着ています。
外にいる方はすぐに帰宅し、戸締まりに注意しましょう。
お心当たりの方は警察署までご連絡ください。繰り返します――」
昨夜から何度目だろうか。すっかり聞き飽きた同報無線のアナウンスが流れてくる。普段は散歩から帰ってこない老人や、悪質商法や詐欺の注意を呼びかける程度だった。雑音として聞き流していたが、これほど音量のあるものだったのか。
「……煩い。止めさせろ」
「ふむ、どうやってだ? 警察に電話で抗議でもするか?」
いらだちを募らせるギルガメッシュに対して、言峰綺礼の口調はそっけない。
「匿名の苦情は無視されるのがオチだ。ライダーなど捨て置けばよかったものを」
赤色巨星の表面に、プロミネンスが燃え立った。
「我は王だ。地を荒らす蛇を捨て置けぬ」
「なに?」
言峰は呆気にとられた。そして舌打ちする。考えてみるべきだった。黒いアーチャーは、ただの一言からランサーの真名を悟った。言峰と衛宮士郎たちとのやりとりから、言峰に不審を抱き、第八のサーヴァントの存在を予測していたようだ。
そして、あの陣営には前回と同じセイバーがいる。彼女が鮮明な記録を持っていても不思議ではない。第四次アーチャーの出で立ちや言動、戦闘方法から英雄王の正体も推測していたのだろう。その言葉の矢は見事に的を捕らえ、核心を抉り、ギルガメッシュを揺り動かした。
『友を亡くしたあなたが、地の果て、海の底まで追い求め、
一度は手にし、失ったものではないのですか?』
ギルガメッシュの英雄としての伝承に訴える言葉だ。神の理不尽に友と抵抗し、神の報復で友を喪い、世界中を旅したギルガメッシュ。
――しかし。思い返してみれば、あれは痛烈な皮肉だったのではなかろうか。アーチャーは、彼ら主従が孤児を監禁し、虐待していたことを非難した。一方、今回の衛宮主従は確固たる信頼関係を築いている。マスターの力添えで、迷いを振り切り、真の力を揮ったセイバー。それを目の当たりにさせての一撃だ。
国は滅び、民は死に、しかし不朽の英雄譚が今も伝わる。そこに謳われているのはエルキドゥとの友情と冒険の日々。今のおまえの行いは、かの友に羞じないものなのか、と。
強大な身体能力を誇り、凄まじい宝具を所有していても、サーヴァントは元は人間だ。人として、分かち難い感情を狙い撃ちされた。ギルガメッシュの生前の事績からすると、地を荒らす蛇の女妖を無視できないのは当然だった。
「……してやられた」
言峰も無視しろとは言ったが、強く禁じたわけではない。天馬が最大の宝具と思われるライダーは、市街地では全力の戦闘はできまいと思ったからだ。英雄王の宝具と能力をもってすれば、簡単に決着がつく。陽動か索敵か、ライダーの動向は目障りであったし、石化の魔眼は言峰には致命的だ。片が付くなら重畳と考えたことは否めない。
「一般人は聖杯戦争を知らん。
傍目には、男が女を刃物で襲っているとしか写らんだろう」
凛のアーチャーは魔術とは関係のない英雄に見える。軍人のような服装に、兵卒ではなく、高級士官を窺わせる言動。彼の思考や感性は一般人のものだ。それが魔術師の思い込みを掻きまわす。
「それがなんだ」
「恐らく、貴様の宝具の痕跡を警察に見せるのが目的だ。
警察が調べれば、深山の一家殺人の傷との一致はすぐに明らかになる」
つまるところ、言峰と同じく全国公開手配になる。ギルガメッシュが担っていた物資や移動手段の調達が、著しく困難になるだろう。
しかし、それだけが目的か? 抜け道はいくらでもある。あの黒い瞳がそれを見逃すとは思えない。
言峰は顎に手をやった。アーチャーの目的を推測し、そこから行動を逆算することにしたのだ。こちらの出方を読み、さらに誘導してくるような輩に対抗するには心もとないが。
「たしか、凛は、いやアーチャーは、大聖杯の調査を提案していたな。
衛宮士郎は凛の弟子、アインツベルンの娘は弟子の義理のきょうだい。
三者には密接な関係があり、協力のうえで利益を享受したい、だったか」
そして、間桐臓硯が死去してもライダーが残存している以上、彼女のマスターは孫のどちらかだ。メドゥーサという高名な英霊を呼べるのは、強力な魔術師でないと不可能。マスターは間桐桜の方だろう。――間桐慎二の妹であり、遠坂凛の妹でもある。
ここにもまた、密接な関係が存在している。衛宮切嗣の娘と義息と、遠坂時臣の二人の娘。愛憎の坩堝と化してもおかしくないのに、遺児たちは一致団結し、知ってか知らずか親の仇を追っているではないか。言峰の面に、歪んだ笑みが浮かんだ。
「何を笑っている?」
「――運命とは、なんとも皮肉に満ちていると思ってな。
前回の聖杯戦争で、親らがああ振舞っていたら、
あの子どもたちは存在しなかったかもしれん」
「ふ、よくも言う。それでは貴様も本性に目覚めず、
悦びを知らずにいただろう」
「たしかにな」
そして、ギルガメッシュも退屈を知らずに済んだだろう。工房に篭り、漁夫の利を狙っていた父に比べて、娘は攻防の緩急が巧みだ。他のサーヴァントと同盟するなぞ、あの征服王にもできなかった。
――この男はどうであろうか。己に迷い、虚ろな心を満たそうとしていた十年前のほうが、今より面白かったのは間違いない。
「では綺礼、貴様、奴の目的をどう思う?」
「無論、聖杯戦争の成功だろう。戦争ではなく儀式としてのな。
今の状況で、あちらは我々以外と殺しあう必要はないわけだ」
「ほう……」
「聖杯に賭ける願いがあったとしても、バーサーカーになす術はない。
あの様子では、アーチャーは聖杯を欲していないだろう」
ギルガメッシュは無言で頷いた。
「アサシンの主はキャスターだ。ランサーを奪ったのもあの女だな。
二騎が邪魔になれば、令呪で始末できる」
サーヴァントの七騎のうち、四騎の欲求を除外できるなら、あとはマスター同士の折り合いの問題になる。遠坂凛、イリヤスフィール・フォン・アインツベルン、間桐桜(または慎二)、そして衛宮士郎。非常に近しく、密接な関係にある面々だ。彼らの間に交錯する、師弟という縦の線、きょうだいという横の線、友情や愛情という対角線。
実に堅牢だ。
揺さぶれそうなキャスターは、ちゃっかりと間桐家の師におさまっている。ライダーの存在も、キャスターの親戚ということで通し、当主を喪った間桐と陣地が欲しいキャスターにとって、相互に利益をもたらす組み合わせだ。
あの戦力をアーチャーが指揮すれば、ギルガメッシュを下せるかもしれない。そうなればあとは簡単だ。最終的に聖杯を欲するマスターとサーヴァントが組み直せばいいのである。
「となると、これはもう駒を潰しあう戦争とは呼べん。
より多くの利益を、自陣に引き入れるパワーゲームだ」
将棋やチェスではなく、碁やオセロのように、数を多く取ったものの勝ち。御三家の少女たちと衛宮士郎が、言峰主従を相手取って、着々と盤面を削り取っている。盤面の名は社会的地位という。たとえ勝利しても、世間に居場所はない。裏のルートを使って逃走しても、一時しのぎにすぎず、いずれ枯死する運命だ。
黄金の王は傲然と言い放った。
「我には関係ない。団結されるのが厄介なら、個々に蹴散らすのみよ。
先じてキャスターのマスターを討てばよい。
一石二鳥どころでなく、三羽を脱落させられる」
言峰は首を横に振った。
「いや、それも上策ではなかろう。
キャスターのマスターが知れないことを除いてもだ。
今回の器も、アインツベルンの小娘だろう。
一気に三体を取り込んだら、母親のように衰弱するかもしれん」
前回のセイバーは、マスターに蚊帳の外に置かれていた。聖杯の器の担い手は、器そのものだと知らされていなかったろう。しかし、今回は遠坂凛やキャスターという優れた魔術師がいる。アーチャーとバーサーカー以外の英霊たちは、魔術の造詣が深い者ばかりだ。
「さすがに今回は気付かれる。
衛宮切嗣は妻を犠牲にできたが、衛宮士郎にはできまい。
我々と敵対する前ならば、そこを衝いて離反させることもできたのだろうが……」
二人は苦い顔になった。ランサーを奪われて一時的な避難のつもりが、地下室の孤児の存在を暴かれて目算が狂った。逃避行が続き、攻めれば攻め返され、挙句の果ては異常犯罪者扱いである。ギルガメッシュの我慢も、とうに底を尽いていた。
「小細工は要らん。バーサーカーを屠り、器を押さえてしまえばいい」
遠距離攻撃を得意とするアーチャーは、接近戦限定のバーサーカーに対して有利だ。
「アーチャーは弱い陣営の防衛は手厚くしたが、
セイバーとバーサーカーのマスターは自由にさせている。
その油断を衝くのだ」
「……ほう。悪くない」
衛宮夫妻の子どもたちは、父母と同じ思いを味あわせてやれる。再び招かれたセイバーは、また慟哭を繰り返すことになるだろう。いや、マスターらとの絆が深いぶんだけ、痛みは激しさを増すはずだ。
「やってみるがいい」
※烏鷺を競う