「今日が誕生日ということは、凛は水瓶座か。
じゃあ、ヘラクレスと縁がないこともないなあ」
アーチャーの言葉に、遠坂凛は一瞬首を傾げたが、すぐに頷いた。
「ああ、言われてみるとそうかも。
よく考えるとガニュメデスって気の毒よね」
衛宮士郎はしおしおと頭を垂れた。
「え、えーと、日本語でお願いします……」
「わたしは喋ってるわよ?」
「が、ガニュなんとかって、なんなのさ。聞いたこともないぞ、俺」
凛は溜息を吐いた。士郎の無知と、そのへっぽこにセイバーを取られた自分の不甲斐なさに。
「……あんたね、十二星座の神話はギリシャ神話でも有名どころよ。
聖杯戦争を続ける気なら、せめてそのぐらいは知っておきなさい」
士郎の眉が寄る。運動やガラクタいじりは得意だが、調べ物は苦手だ。
「む……。じゃあ、アーチャー、わかりやすく頼むよ……」
指名を外されてむっとする凛に、アーチャーは苦笑してみせた。内心で語りかける。
『そりゃね、凛。
君のような美人の同級生に、男はなかなか教えてくれとは言えないよ』
アーチャーにも覚えのある感情だった。
「では、ヘラクレスと、水瓶座との関係を説明しようかな。
ヘラクレスが死後に神として祀られ、星になったと言う話はしただろう?」
士郎の顔色が冴えなくなった。ギリシャ最高の英雄ヘラクレスの死因。浮気から夫を取り戻そうとした妻が、媚薬と騙されて猛毒をパンツに塗り、皮膚や肉、臓器(!)がベロンベロンに腐れ落ち、苦痛のあまりに焼身自殺したなんて聞きたくなかった。
ものすごく、リアルに痛みが想像できて、いろんなものが縮み上がってくる。怖い、浮気の報い怖い!
ヘラクレスは、大神ゼウスの浮気相手の息子だ。二重の意味で、ゼウスの妻、貞淑の女神ヘラに憎まれていたからでもある。
ネメアの獅子退治に始まる十二の試練だって、ヘラの差し金だ。ヘラクレスに数々の難題を与えた従兄は、ヘラによって早産させられて王になった。難題を克服した偉業でもって、『
だがまあ、神の一員に招かれれば、いつまでもそんなことを言ってはいられない。ヘラとゼウスの子である、戦いの神アレスや争いの女神エリスは、出来が良いとは言えなかった。神の世界にも閨閥は重要だ。ヘラクレスの結婚相手として、ヘラは切り札を投入する。
「神の一員になって、ヘラも怒りを解いたんだよ。
娘の青春の女神ヘベを、ヘラクレスに嫁入りさせたんだ。
この女神は、青春の美そのものの姿でね。
天上の神々の酒宴で、給仕役に就いていたんだ」
「それと、水瓶座に関係があるのか?」
「ヘベは結婚したから退職したのよ。
で、新しい給仕役に目をつけられたのが、美少年のガニュメデス。
彼は人間だけど、大鷲に変じたゼウスにさらわれちゃったわけね。それが水瓶座」
「え、びしょうねんって……」
硬直する士郎に、美少女の手がひらひらと振られた。
「ギリシャの神々って、美しければ性別を気にしないのよね。
アポロンなんか完全に両刀よ。
美少年を西風の神と取り合って、死なせちゃったりね」
円盤投げを西風が邪魔し、ヒアキントスの頭部を直撃。死因は額からの大量出血で、その血から生まれた花がヒアシンス。アポロンに関わって、木や花になってしまった悲劇の美男美女は他にもいる。彼のかぶっている月桂樹の冠も、求愛を拒んだダフネが変じたものだ。
「ストーカーに殺されて、体の一部を身につけられるようなものじゃない。ひくわ」
凛の補足に士郎は遠い目になった。神話や伝説って詳しく知るとコワイ。神様や英雄なんかと、関わり合いになるもんじゃないのかも知れない。
「凛、何度も言うけど、もうちょっと歯に衣を着せてあげなさい。
青少年の心は繊細なんだよ」
「あら、言っとくべきでしょ。
ギリシャ系の英霊がサーヴァントになってたら、何をやるかわかんないわ。
浮気に同性愛、近親相姦に異種婚。もうなんでもありじゃない。
性的に寛容すぎる時代だもの」
「まあねえ、心理学用語の語源になるぐらい、そっちの幅は広いからなあ」
アーチャーはちょっと困った顔をすると、黒髪をかき回した。士郎は会話から置いてけぼりを食った。だから、日本語でお願いしますと言ったのに。
だが、これは遠坂主従の優しさだった。正直、このぐらい序の口である。例えば、エディプスコンプレックスとか。息子が女児型、娘が男児型と逆転しているが、ばっちりと該当する衛宮切嗣の子どもたちに、今は突きつけるべきではないだろう。
「そうでしょ。
ヘラクレスがいるんだし、古いほど神秘は高く強くなるんだから」
「それもあって、東洋系は呼べなくしたんじゃないかなあ。
古いが強いじゃ、お隣の中国には敵わない。
日本の英雄だって、強さも古さも西洋に遜色ないのに。
しかも知名度は圧倒的に勝り、触媒の入手も容易だろう」
「やっぱ遠坂のご先祖様、絶対に騙されてるよなぁ……」
凛も虚ろな目になった。術者が西洋人だったから東洋系は呼べないと伝えられていたが、他の二家の願いが叶うまで、遠坂には勝たれては困るという視点で見れば、答えは実にシンプルであった。
日本武尊のセイバーに、菅原道真や安倍晴明のキャスター。関羽はランサーかライダー、アーチャーは徳川家康か。死後に神となった半神のヘラクレスが召喚できるなら、彼らを召喚できる可能性は高い。いずれも凄まじく強力だろう。
神道には分霊という概念があり、どの神社や神棚にも等しく神が降りるという。だから触媒は、神社の朱印やお札でも大丈夫かもしれない。これらの英霊に縁の神社などは、すべて冬木周辺にある。関羽以外ならば、一日あれば総本社に行くことも可能。墓石を削る事だって不可能ではない。この是正が可能ならばいいのに。
「そういや、アーチャーは東洋系っぽいな」
「私は中国系とフランス系のハーフなんだ。
だが、国の成り立ちはフランスの方が近いんだよ」
「あ、そっか」
士郎は疑問も持たずに頷いた。アーチャーの言葉は嘘ではない。年代を言っていないだけで。
「父のルーツの古代中国でも、星を天の神々に見立てたんだ。
北極星が一番偉い天帝で、北斗七星は天帝に仕える重臣や武将たちなんだ。
ゼウスの変じた鷲座のα星がアルタイルで七夕の牽牛。
織女は琴座のベガだよ」
士郎はようやく表情を緩めた。
「冬木では旧暦の八月に七夕祭りがあるんだ。
そういうのを知ってると、七夕も面白いよなあ。
他にはどんなことがあるのさ?」
「じゃあ、こいつは知ってるかい?
織女は天帝の娘で、嫁さんの方が身分が高い格差婚だってこと」
「へぇ、そうなんだ」
「ふーん、私も初めて聞いたわ」
「天の帝が、真面目な働き者だから愛娘を嫁入りさせたんだ。
それが、結婚したとたんに、新婚生活にうつつを抜かして怠けたら、
お舅さんも怒るに決まってるよなあ。
別居して頭を冷やしなさい、とこうなる。婿に拒否権はないんだ」
あまり知られていない七夕の背景だった。神様にも婿と舅の軋轢があるのだ。ギリシャのように奔放じゃないが、さらに切なく身につまされる。
じいさんは、アインツベルンの婿だった。どうだったのだろうかと士郎は思いを馳せる。イリヤを放置したというより、養育権を取りあげられたという方が正しい気がしてきた。
「俺、イリヤにも七夕のことを教えてみる。
じいさんもそうかもしれないって。
半年先まで日本にいるか、わからないからさ。
プラネタリウムにでも連れて行けばいいのかな」
「それはいいね。星を見ればよくわかるよ。
ベガのほうが明るくて北極星に近いんだ。純白の美しい星だ。
イリヤくんはお母さん似だそうだから、察するんじゃないかな」
宇宙時代の船乗りは星に詳しい。少年少女は思わず感嘆の声をあげた。
「ベガは一万三千年前の北極星で、一万一千年後には北極星に戻るんだよ。
地球の地軸は傾いているから、長い時間をかけて、
コマの首振り運動のように、天の北極が動いていくんだ」
「え……北極星も変わるんだ」
琥珀と翡翠が瞬いた。
「そうだよ。さっきの天帝の星は、今の北極星の隣なんだ。
時代的に、ヘラクレスの北極星もきっとそうだったと思うんだよ。
バーサーカーでさえなければ、そういう話も聞くチャンスだったのに……」
「確かにもったいないわ。
セイバーも士郎のお父さんと、三回しか口をきいていないっていってたし。
で、今度はバーサーカーでしょ。
あの子はすごい魔術師だけど、箱入り娘じゃない。
強いだけじゃなくて、いい助言者が必要なのに。ヘラクレスならうってつけよ。
どうして、アーチャーかセイバーで呼ばなかったのかしら」
三人は顔を合わせた。
「聖杯戦争に注力するあまり、いろいろなことを切り捨てているのかも知れない。
士郎君、イリヤ君を大事にしてあげるんだよ」
「ああ、じいさんも言ってた。女の子には優しくしないと損をするって」
「そいつが北極星よりも変わらぬ真理さ。
おとうさんの正義の根幹も、その辺にあるのかも知れないね」
正義の対義語は、また別の正義。そう思うヤンが衛宮切嗣に初めて共感できた言葉であった。
「士郎君もセイバーの見た星を教えてもらったらどうだろう。
あとは、何を食べていたか、どんな物が好物だったとか、服の話でもいい。
パートナーには相互理解が必要だからね」
「うん、頑張るよ……」
物凄い美少女で、いかにも高貴で生真面目そうなセイバーは、気軽な会話をしにくい。でも食べ物の好みなら聞けそうだ。朝のおにぎりとサンドイッチ、昼の焼きそば、夕飯のカレーもみんな平らげたから、あんまり好き嫌いはなさそうだけど。
迫り来るエンゲル係数の危機を、衛宮士郎はまだ知らない。
※豆知識※
ちょっと昔のセキ○イハイムのCMの神様はアポロンである。月桂冠をかぶり竪琴を持っていて、パパがゼウス。アポロンは予知の神でもあるが、彼にも地震は予知できないということも意味しているという……。ほんと、秀逸なCMでした……。