だが、それではまだ足りないとアーチャーは語った。副部長という権力を振りかざす慎二、唯々諾々と従う士郎の双方に責任がある。容赦のない言葉だった。
「これは私が軍の司令官だったからの言葉だと思ってくれ。
士郎君は従うのではなく、不在の部長や顧問を呼び、告発すべきだった。
それが同級生である君の義務だ。
同格者としてたしなめ、下級生を守るのは正しいが、その後がよくない。
間桐慎二は、弓道部をマイナスの感情で支配してるんだ。
君に理があるのに、庇った者が悪い方につくのがまともかい?
不正ときちんと戦わなくては、友人でなくて奴隷になってしまうよ」
そして、いつの間にか管理職のリスクマネージメント講座になっていた。聖杯戦争はどこにいったのかしらと、凛は頭痛を覚えたものだ。
「士郎君が下級生の肩代わりをすればよし、とはならないんだ。
毎回ならまだしも、君は部活になかなか行けないんだろう。
恐らく、下級生にはそれも不満なんだよ」
「俺が毎日行かないのがか?」
「半分はそうだね。
毎日練習しなくても、一番上手だなんて、普通は嫉妬するものだ」
士郎は目を見開いた。
「多くの凡人にとって、慎二君の気持ちのほうがよくわかる。
弓の腕が立つから、副部長の彼より顧問と部長の評価が高い。
慎二君が面白くないのも当然だし、庇ってくれても中途半端だ。
たまにしか顔を出さず、結局は副部長にもいい顔をする。
頼りにならない八方美人だとね」
「俺が八方美人!? そ、そんなこと……」
士郎は自分のことを、口下手で不愛想だと思っていた。八方美人なんてものから程遠いと。
「それで、君に味方しなかったんじゃないかと思うのさ。
下級生にとっては、副部長の圧政は毎日のことなんだよ。
君に味方しても、君が来ない日はどうすればいいんだい?」
普段の様子をよく知らない士郎は、慎二と下級生、両方の味方をしたつもりだった。しかし、これが本当の味方と言えるだろうか。アーチャーの表情が問いかけてくる。
「でもさ……」
弓道部の問題点を鋭く抉る分析であった。凛と綾子のやりとりの後で、アーチャーは綾子にくっついて歩いた。霊体化万歳である。
責任感の強い綾子は、さっそく数人の部員を問い詰めて、凛の話が事実であることを確認していた。それをアーチャーも聞き、心理的な解釈を加えて、士郎に突きつけた。口ごもる士郎を、彼は穏やかに諭した。
「凛ではないが、もっと自分を大切にするんだ。
士郎君の行動は、すべてを助けているのではなく、
切り捨てる一を自分に置き換えているだけだよ。
そのうち周りも君を低く見て、切り捨てる側に回るかもしれない。
彼が周囲を扇動して、君に暴行を加える可能性もゼロじゃないんだよ」
「そんな心配は不要です、アーチャー。シロウは私が守ります」
セイバーの言葉に、黒髪が振られた。
「そういう問題では済まないんだよ、セイバー。
士郎君を守っても、相手に怪我を負わせたら駄目なんだ」
「襲った者にとっては当然の報いでしょう」
「うん、一般社会はそれで済むんだが、学校ってのは厄介でね。
生徒が悪さをすると、先生が責任を問われるんだ。つまり、藤村先生が」
セイバーの瞳も見開かれた。
「それは本当ですか、シロウ!」
「お、俺、考えてもみなかった……」
どっちが生徒かわからなくても、一応は顧問だ。
「でも、そうなっちまうかも。藤ねえが悪くなくても、部活も試合も無理だ」
「それを未然に防ぎ、いじめも解消できるのだからね。
士郎君独りで、どんなにいいことをしても、手の届く範囲は短い。
私は好きな話ではないが、しあわせの王子にも燕という協力者がいた」
自らを飾る宝石や金を、貧しい人に分け与えた彫像と燕の物語。アーチャーは時折、とても柔らかな喩えを使う。
「でも、私は死んだら元も子もないと思う口でね。もう死んでるけど」
「あんたって一言多いのよ」
「私は、もっと王子と燕が沢山いたらいいのにと思ったものだが、
士郎君にはそれができるんだ。王子や燕と違う人間なんだから」
思わぬ言葉に夕日色が傾げられた。金銀と黒絹もそれに倣う。
「自由に動けて、言葉が話せるじゃないか。その力で賛同者を作るべきだ。
民主主義では多数派が正義となるんだよ」
琥珀の目が真ん丸になった。
「へっ!?」
アーチャーはにっこりと微笑んだ。
「言っただろう、半数が味方してくれれば大したものだと。
君に半数がつけば、反対派は一人の差で負ける。
そうなったらしめたものだ。
慎二君がいちゃもんをつけようとも、部員みんなで決めたという後ろ盾ができる」
「それもじいさんの言ってたのと同じだ……」
「多数決の原理は、ある意味仕方がないんだよ。
人間は一人一人違う事を考えるから、全員に賛同されるのは不可能だ。
ならば、一人でも賛同者が多い方を選ぶしかない。
そういった諦念から生まれた方法なんだ。
でもこれは、人間の価値が平等だからこそのものだ」
聖杯の囁きに、エメラルドが凍結した。民主主義とは多数決だ。地位ある者でも多数決に従わなければ、おまえが悪いと追い出される。たとえ、ただ一票の差でも。票を投じる人間が、平等であるからこそのシステム。一人の王が国を背負うのと、なんと違うことなのだろう。
前回の召喚で、セイバーはひたすら勝利のみを追っていた。祖国のことだけを見ていた。自分にとっては現在でも、今から見れば遠い過去。そこから今はつながっている。
祖国が滅びても、この時代へと到るのか。どうしてだろう。どうすればそうなるのだろう……。
「そ、そこまでしなくてもいいだろ!」
「違うよ。君はあくまで部員に武具の管理方法を指導するだけさ」
「ごめん、もっと訳がわかんないんだけどさ……」
「物は言いようで、こういう風にすれば角は立たないんじゃないかな」
示されたのは、イリヤとセイバーを紹介し、弓道場の家捜し兼整理をするという、先ほどの演説内容の案。それまでの腹黒さとは一転、超が付くような正論だった。
「士郎君は弓道部一の腕前なんだろ? その人の道具の手入れ法の伝授だ。
むしろ、ありがたがって参加すると思うねえ。
51対49が最低ラインとして、その比率をいかに傾けるのかが問われることだ。
君が貢献できることを武器にすればいい。
そうすれば、君を頼りにしたい人にイエスを、
利用しようとする人にノーを見せる機会にもなる」
一人でできることはたかが知れている。だが、味方が大勢いたらどうだろう。自分の手が届かない人に、別の味方の手が届くかもしれない。
「なんでも一人でやるのは大変だ。
大変な事は我慢せずに、助けてもらうほうがいい。
君も楽をできるし、相手も引け目を感じなくなる。
もっとみんなを頼り、甘えていいんだよ」
「そうなのか?」
「そうだとも。士郎君だけじゃなくて、凛もイリヤ君もね。
あ、セラさんとリズさんもですよ。人間にはその権利がある」
幽霊であるサーヴァントにはないということか。セイバーは考え込んだ。よき王たろうとした。しかし、国は割れた。ならば、全ての民を導ける、自分よりもよき王が選ばれることを願っていた。
でも、今の世は全てを従えなくても動く。どうして、そうなっていったのだろう。アーチャーの好む歴史を紐解けば、わかるのだろうか……。
ともあれ、士郎の提案は了承され、武具庫の掃除が始まった。一時間でできる範囲から。小さな白銀の少女も覗きこみ、もの珍しげに弓道具を見まわした。その視線が一点で止まる。
「ふうん、ほんとうにあった」
魔術師の目に映るのは、武具庫の壁の複雑な呪刻。これほどの魔術の起点なら、本来は強烈な魔力を感じただろうが、遠坂主従がせっせと他の呪刻を妨害し、施術者に一撃を食らわせたせいで力を大幅に減じていた。
でも、ライダーはまだ死んでいない。聖杯の少女にはわかる。
衛宮家から譲られた木箱は運び出され、部員の姿が途切れる。イリヤは呪刻に歩み寄り、手をかざす。
「えいっ」
一瞬で施術は完了した。これで霊脈からの取水口に、大岩が置かれたも同然の状況になった。完全には閉鎖できないが、水流が減れば術式は正常に動かなくなる。
【これでいいかな?
アーチャーは子ども扱いするけど、わたしだってすごいんだから】
イリヤは満足げに微笑んだ。
【わたしもシロウのブカツのお掃除を手伝ったって、言えるわよね】
脳裏に、姿なき従者が賛同の唸りを伝えてくる。
【口実だったけど、キリツグの遺言、ホントに出てくるといいね、バーサーカー】
母国語で呟くと、イリヤは弓道場へと戻っていった。この戦争が成功すれば自分はいなくなり、成功しなくても長くは生きられないけど。遺言が見つかれば、アインツベルンのホムンクルスではなく、キリツグの娘として、シロウの姉として死ねる。
でも、本当は……。
ちょこちょこと動き回って、部員の掃除を覗く銀髪と、その後ろを躊躇いがちに歩む金髪。並外れた美少女だけに、部員の反応はいい。そして、一層士郎への同情の声が大きくなった。こんな可愛い子たちに親の問題で責められるなんて、可哀想だというものだった。
顧問の初恋の顛末にも、生温かい視線が送られたが。初恋の相手が若死にするのは悲劇だ。だが、隠し子が現れるのはアウトだ。恋が実らずに終わって、よかったよねとなってしまう。これで大河との実子までいたら、昭和の昼ドラではなく、夜の二時間サスペンス展開だったろう。
「う、やっぱりないかあ……」
大河はショートカットの髪を両手でもみくちゃにした。箱は十数個あったが、部員全員でかかれば、すぐさま捜索は終了する。
「衛宮家からの物にないことは確認できました。
顧問のフジムラさまと、部員の方々のご協力に感謝を」
結いあげられた金髪が、背筋の通った一礼をする。
「しかし他の場所に、シロウ様が隠していないとは断言できません。
申し訳ありませんが、ここにないと確信できるまで、
私の監視は続けさせてもらいます」
潔癖そうなセイバーには、大河も綾子もつけいる隙がない。隠していないという士郎の言葉は正しいと思うが、イリヤ側が信じなくては意味がない。十年分の怒りは根深いのだと、納得するしかなかった。
「う、みんな、ごめんな。そんなに簡単には出てこないか……。
家のガラクタ探すより、楽な方からやろうと思ってさ。
じゃ、的の張り直しから説明するぞ」
そこからは衛宮士郎の独壇場。彼の本質は作る者なのだから。金銀の少女は、少年の特技に目を輝かせた。家事や料理が上手で、手先が器用で、ぶっきらぼうだが誠実だ。ちょうどアーチャーと逆に。
士郎の美点を、イリヤやセイバーに見せることが大事だ。それは、戦いの能力には全く関係ないところにある。
聖杯戦争とご大層に銘打っても、蓋を開けてみれば、主な参加者がみな関係者という有様だ。こじれた関係を修正し、生きている人間を尊重するようにすれば、何を切るべきか明白だろう。自分も頭数に入れた、辛辣なアーチャーの策だった。令呪を温存するのもそのためだ。
用兵家とは、いかに部下に効率よく死んでもらうかを計算する。そんな命令に従ってもらうには、部下に理解され、支持されなくてはならない。士郎にはそれが必要なのだ。いざというときに、セイバーを死地に赴かせることができる判断と、彼女に納得してもらうための理解。
へっぽこマスターとして、不満を抱かれているうちは駄目だ。得意分野で認められ、尊敬を受けなくてはならない。ならば、美点をみせつけよう。部活動はうってつけだ。
ヤンが敷いた安全網の一つだった。今夜、ランサーに殺されてもいいように。
冬の短い午後は、あっという間に日が傾き、弓道部もお開きになった。遠坂主従やランサーとは、学校の正門で待ち合わせだ。約束の六時まで、あと二十分もない。帰るほどの時間もなし、士郎らは校門の前で時間を潰すことにした。
「すごかったわ、シロウ! かっこよかった!」
イリヤは士郎の射に魅せられた。まるで糸に引かれたように、的の真ん中に吸い込まれる矢。
「アーチャーってほんとうは、シロウみたいな人の英霊なのよね……」
ちっとも弓の英霊らしくない、凛のアーチャー。あの宝具で付けた跡の多さは、外れが多かったということでもあった。
「リン、まちがいで呼んじゃったっていってたの、本当ね」
「あはは……」
軍の司令官だと言っていたから、本人が戦闘員として優れている必要は確かにないけど、今日の私服姿では軍人らしいとは到底言えなかった。
「そんで、ランサーと食事なんて、大丈夫かな……。アイツ」
イリヤは目を瞬いた。長い睫毛の羽ばたきが、純白の小鳥のようだ。
「あら、シロウとセイバーはランサーのこと知らないの?」
「えっ!?」
士郎とセイバーは、真紅の瞳を凝視する。
「アーチャーは知ってるから夕食に誘ったのに」
「なんでアイツ、黙ってるんだ!」
金沙の髪は、大きく上下動する。聖緑に金の炎が燃え立った。イリヤは首を傾げた。白銀の紗の間から、大人びた視線が衛宮主従に送られる。
「だって、それはルール違反だもの。ランサーはお食事に招いたお客様でしょ。
サーヴァントの真名は自分で探すものよ。
ヒントはたくさんあるのに、調べないのはシロウが悪いわ」
アインツベルンのマスターにふさわしい言葉だ。
「待ってくれよ、じゃあライダーはどうなのさ!」
「ライダーは、わたしたちが停戦を持ちかけたのに襲ってきた敵。
真名がわかったのなら、仲間に教えるのがルール。
キャスターは停戦を受け入れたから、わかってても口に出さないのがルールよ」
イリヤはセイバーに近付くと、背伸びをして指を突きつけた。
【ねえ、セイバー。わたしも、あなたに同じことをしてあげてる。わかるわよね?】
セイバーの正体に首を捻っているアーチャーだが、正解を知る者はここにいる。だが彼はイリヤに聞いてこない。彼がルールを守る以上、イリヤもルールを守っている。
【シロウを守れなかったなら、わたし絶対にゆるさないわよ。
ランサーのヒントは沢山あるんだから、よく考えるのね。
サーヴァントが気付いたことを、マスターに伝えるのはいいの】
「っ……はい」
「それから、これでアーチャーを責めるのもダメよ。セイバーの命の恩人なんだから」
「あの時、私が負けたというのですか!」
「サーヴァントは心臓か頭に攻撃を当てないと死なないから、
アーチャーはライダーを倒せなかったわ。
じゃあ、必ず当たる宝具を持ってたらどう?」
夕食の誘い、赤い槍、必ず急所に当たる。イリヤのヒントが、セイバーの脳裏で形を成した。
「……アイルランドの光の御子か!」
「そいつは誰なのさ?」
「クランの猛犬、アルスターの赤枝の騎士だよ」
落ち着いた声が士郎の背後から聞こえてきた。遠坂主従が到着したのだ。
「わかりやすく言うと、ケルト版ヘラクレス。そのぐらいの大英雄。
ギリシャ=ローマ文化圏発祥の本家より、知名度は低いけどね」
語尾に、険悪な美声が被さった。
「人の正体をバラした挙句、難癖付けるたぁ、いい度胸じゃねえか」