衛宮士郎は、柳洞寺に行く道を、こんなに長く感じたことはない。藤村大河も同様である。雪色の睫毛を伏せた妖精に、なんと言葉を掛けたらいいか。だが、大河は士郎より、対人スキルがずっと高かった。
「そ、そうだ、士郎とイリヤちゃん。お花買ってこ、お花!」
「お花?」
「そうそう、お墓に供えるの。士郎、お線香は持ってきた?」
「あっ……忘れてた」
「ダメねえ。ほら、あのお店なら両方売ってるから」
大河が指差したのは柳洞寺の門前町の商店だった。参拝者用になんでも売っているところだ。花に線香、不祝儀袋にお供えの菓子、黒いストッキング。そして、おでんや団子、甘酒、お汁粉。夏だとラムネやかき氷が登場する。昔からの甘味処で、そちら目当ての客も多い。
言われるがままに入ってみると先客がいた。
「あら、こんにちは、藤村先生。衛宮くんとイリヤさんも」
「あ、あれ、遠坂さん?」
とっさにわからなかったのは、長い黒髪を普段と異なる形にしていたからだ。後頭部でシニヨンにまとめている。メイドのセイバーに似た髪形だ。名のとおりの凛とした美貌がさらに引き立っている。
その隣に細身の青年が立っている。年齢は凛よりも一、二歳年上か。濃灰色のコートと黒いズボンに白のマフラー。彼はかすかに微笑むと、あいさつと一緒に会釈した。
士郎とイリヤとその連れは、必死で声を飲み込んだ。思わず、誰!? と言ってしまいそうだったので。もちろん、周知の存在だ。遠坂凛のサーヴァントのアーチャーである。
馬子にも衣装というべきか、遠坂時臣の上質な衣服は、彼を見違えるほどに引き立てていた。似合わない軍服コスプレをした、高校生から大学生といった外見だったのが、
完璧に大学生に見える。それも、かなり偏差値の高そうな学校の。
おさまりの悪い髪を、整えているのも大きい。自分の親戚を名乗るなら、きちんとしなきゃただじゃおかない。そんな凛の厳命によるものだ。
「あの、そちらは……?」
「こちらは、わたしの大叔父の孫にあたる柳井さんです」
「はじめまして、僕は柳井と申します」
彼はそう言うと、再び一礼した。
「は、はい、こちらこそはじめまして!」
大河が慌ててお辞儀したので、士郎たちもそれに習う。動揺を表すまいと、みんな必死だった。アーチャーが実体化して同行するのも、柳井と名乗るのも聞いていた。しかし、服の試着もしてもらっておくべきだった。服装の効果は大したもので、茫洋は鷹揚に、貧弱で生っ白いが、細身の白皙と形容できるようになっている。
凛の磨けば光る彼氏と下級生が噂するのも納得であり、本日は光っていた。大河の同行をアーチャーが求めた理由の一つを、士郎は理解した。凛に噂が立たないようにだ。大人としての責任というか、男としての配慮というか。
自分の射は、魔術鍛錬の延長にある邪道だ。だから、弓道部と距離を置いたほうがいいと思っていたが、昨日の助言のように頑張ってみようか。
そう思う傍らで、よそ行きの顔をした凛が、アーチャーに大河を紹介している。
「こちらの藤村先生は、わたしの学校の先生で、
あちらの衛宮くんは同級生なんです」
「ああ、そうですか。よろしくお願いします。
凛さん、あちらの方たちは……?」
「ええと、衛宮くんの関係の方なの」
「皆さんもお寺に行かれるんですか?」
穏やかな問い掛けに、一斉に色とりどりの頭が上下動する。
「そうですか。短い間ですが、よろしくお願いします」
「あ、ひょっとして、遠坂さんが言ってたご親戚の方ですか?」
大河の質問に、黒い短髪が傾げられる。もう一人の黒髪の持ち主が代わって肯定した。
「はい。わたしの大叔父は、小さい頃に養子に行っていたんです。
わたしも知らなかったんですけれど」
「先日祖父が亡くなりまして、色々な手続きを始めたところなんですが、
僕の母も祖父の戸籍を取るまで知らなかったそうです。
たまたま、僕は京都の大学に在学していまして、母の代わりです。
家系図を作るから、お寺にも伺うようにと言われまして」
娘の子なら、凛の大叔父の養子先の姓と違っていても不思議ではない。ヤンは自分のぼんやり加減を自覚していたから、実名に近い音の偽名にした。呼ばれたら返事ができるようにだ。
そんなことは露知らない大河は、アーチャーの態度に気後れしたようだ。
「す、すみません、お悔やみも申し上げずに、失礼なこと言っちゃって」
「いいえ、とんでもないことです。あの、失礼ですが……」
「え、あ、ああ、こっちはまあ、お墓参りですから。
そうだ、お花とお線香買わないと!
イリヤちゃん、切嗣さんにお花を選んであげて」
「う、うん」
イリヤは熱心に花を選ぶふりをした。キリツグと同じ一人称も反則だ。学生の一人称が『私』なのは不自然だという、凛の指導のせいだった。
「では、お先に」
会釈する凛に大河が声を掛ける。
「遠坂さんと柳井さん、よかったら一緒に行かない?
ここの若住職とわたし、同級生なんだ。本堂に行くんなら紹介してあげる」
「本当ですか。ありがとうございます。それではお言葉に甘えさせていただきます」
外見上の年少者が、折り目正しく謝礼し、年長者は慌てて両手を振った。
「い、いえ、そんな、大したことじゃありませんから……」
大河はたじたじと後ずさった。イリヤに、こそこそと呟く。
「ねえ、イリヤちゃん、遠坂さんと知り合いなんだよね?」
「わたしより、お爺さまとよ。リンは若いけどトーシュだから」
「じゃあ、あの柳井くんは知ってる?」
イリヤはとりあえず首を横に振った。
「そっか、そうよね。くう、親戚までハイレベルなんだぁ。
士郎とそんなに変わんなさそうな歳なのに、しっかりしてるわねぇ。
どこの大学かしら。……やっぱ、国立かな」
そりゃまあ、本当はじいさんよりちょっとだけ若いぐらいだし……。
口に出せない士郎は、遠い目をして花と線香の支払いを済ませた。実は、大河の予想はあたらずしも遠からずで、ヤン・ウェンリーの母校、自由惑星同盟軍士官学校は難関の国立校なのだが、士郎には知る由もない。
そしてみんなで連れ立って、柳洞寺の参道を登っていく。メイド達は山門のところで主人に一礼して、ここで待つと告げた。見えざる巨大な従者も、イリヤの指示で離れる。
「……なんでさ」
*****
そこは運命の夜、青銀の騎士と共に、朝日を目指して登った道。理想に溺れ死ねと赤き騎士に宣告され、転がり落ちた長い長い階段。愛する者たちを救うために、幾多の分かれ道の果てにつながる場所。
寄り代は、その時『彼女』の手から離れていた。ゆえにこの地で召喚を行うものがあれば、『彼』が呼ばれるのもひとつの道理。
そして『彼』は知っていた。あらゆる時間軸に、人間の滅びの原因を滅ぼすために、
舞い降りる守護者である『彼』だけが。
その生と死、行動により人類の存亡を左右する、黄金の有翼獅子と黒い梟。梟が卵のうちに死なないように、あるいは有翼獅子を引き裂くことがないように、滅ぼした数多の世界を。
真紅の少女ではなく、黒紫の魔女に召喚された時点で、ここは異なる並行世界だとは気づいていた。しかし……。
『一体何が起こっているんだ!?』
『うるさいわね。おだまりなさい』
主からの叱責に、彼は我に返った。
『……マスター、今、客人がそちらに向かったのだがね』
『坊やと銀のお嬢ちゃんのサーヴァントは?』
『約束のとおり、門の前にいる。
マスターの客人らには手を出さんようにしてもらいたいものだな』
『あら、仮初めの命でも惜しくなったのかしら?』
『そうとばかりも言い切れんが、確かに否定はせんよ』
霊体のまま、彼は深く深く溜息を吐いた。一体、何が起こっているのか。衛宮士郎と遠坂凛が連れ立って、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンと共にここを訪れるなどとは。
そして、この門前にセイバーが待機している。なぜか、メイド服を着て。バーサーカーも姿を一瞬姿を現した。外で待つとの約束に応じるということだろうが。
なんという勝ち目のなさだ。キャスターの魔術の加護があるにせよ、セイバーとバーサーカー、単独でも勝ちを拾えぬ相手が同盟している。土曜日の昼前の訪問は、戦う気がないというあちらの意思表明だろう。だが、戦略的には容赦なく詰みの状態。そして……カオスだ。
こんなイレギュラーを起こしているのは、あの黒髪の青年に違いあるまい。
『遠坂の主従はそのまま通したが、よかったのかね、マスター』
『彼らは主賓よ。それに、礼を尽くした賢者を遇さぬのは破滅の道。
おまえも口を閉じなさい。セイバーとバーサーカーを監視するがいいわ』
『……撃退せよと言われんことを、感謝すべきなのかね』
彼は鉄灰色の目に自嘲を浮かべた。こればかりは、令呪をもって命じられても無理だが。鷹の目で様子を窺い、来訪者がいないことを確認して実体化する。
二騎のサーヴァントのうち、実体と理性を持つ者が、弾かれたように飛び離れる。
「――貴様は!?」
「ここの門番だ。ああ、私には君達と戦闘に及ぶつもりはない」
紅い外套に黒い軽鎧を身につけた、鍛え抜かれた長身の青年だった。銀髪に鉄灰色の瞳に、褐色の肌。年齢は二十代半ばほど。人種を特定しかねる容貌の主だ。その身から感じ取れる魔力は、明らかにサーヴァントのもの。もっとも、虚空から出現できる人間もいないが。
「っ……アサシンか!」
武装しようとしたセイバーに、二対の真紅の矢が突き刺さる。
「そちらのおっしゃるように、白昼の戦闘はいけませんよ」
「服、また破いたらダメ」
鉛色の巨人も姿を現す。紅い騎士はシニカルに苦笑して首を振った。
「だから、争う気はないと言っているのだが。
君たちが奮闘するには、いささか時と場所が悪いとは思わんかね?
そら、あと五分もすれば参拝者が来るぞ」
「くっ……」
「私が姿を見せたのは、そちらが約定を守った対価だ。
無理に押し通るならば、相応の代償を覚悟してもらうがね」
二騎のマスターは、キャスターの元に。ここでアサシンを斃しても意味がない。半面、三人のマスターの令呪は、すべてが揃っている。
「とはいえ、キャスターも等価の危険を冒している。
君達のマスターは、いつでも令呪を使うことができる。
管理者の顔を立てて、おとなしく待っていてもらいたいものだな」
深みのある声で理路整然と説明され、緑柱石の瞳に険が奔った。
「……暗殺者にしては、随分と口が回るものだ」
「なに、私は門番に過ぎんよ。
やってできんこともないが、暗殺は本業ではないしな」
「何!?」
アサシンは特異なサーヴァントである。その座に招かれる英雄は、山の翁ハサン・サッバーハと固定されている。歴代のハサンの中から、もっとも召喚者に似たサーヴァントが招かれるというのだ。しかし、このアサシンの容貌はアラブ系とは言えない。銀髪に灰色の目もそうだが、顔立ちも服装も異なる。
「さて、この辺にしておこうか。参拝客がそろそろ山門の麓に差し掛かるからな」
消えかける青年に向かって、白光が瞬いた。無表情なメイドが携帯で撮影したのである。面食らったアサシンの顔は意外に若く、だが言葉を発する間もなく姿を消した。年配の婦人が二人、おしゃべりしながら近づいてきたからだ。
「……うん、撮れてる」
偽の後輩は、呆気に取られた。
「あ、あなたまで何をやっているのですか!?」
「アーチャーに見せる」
二人に向けられた画像は、半分透けていたが、顔立ちや服装は充分に見てとれる。こっちは正真正銘の心霊写真だ。セラがこめかみをもんだ。
「リズ、本来なら大変な無作法ですよ。
場合が場合ですから、お手柄ではありますが。
さ、あの奥様たちが門を潜る前に、あなたはさっきのお店に行きなさい。
携帯を壊されてはいけませんからね」
「一応、イリヤにもメールするから」
「それがいいでしょう」
リズは無言で頷く。
「念のため、セイバーもリズに同行してもらえませんか。
あの子がアサシンに襲われては、元も子もありません」
後輩扱いに抗議しようとしたセイバーに、千円札が二枚差し出された。
「ただで待たせていただくわけにもいかないでしょう。
二人でなにか食べていらっしゃい。昼食に響かない程度に」
セイバーは、ドイツの美女と日本の偉人の顔に視線を交互に送った。そして金の頭が下げられる。
「……あなたに感謝を。しかし、一人で大丈夫ですか」
「バーサーカーがいますからね。私はお嬢様をお待ちします」
視線で促されて、セイバーはリズの後を追った。しっかりとお金を握り締めて。セラは首を振り、溜息混じりにぼやいた。
「本当に新入りなら、仕込むのは骨でしたよ、アーチャー様」
衛宮切嗣に関わる者は仲良くしなさい。そうすれば勝機も出てくるし、願いが叶う公算も高くなるから。それが遠坂のサーヴァントの言葉だった。
彼は、セイバーをアインツベルンのメイドにすることによって、士郎の警護を可能にした。藤村家に同行することで、イリヤとの交流も促されている。そして、セラにはそっと電話で告げた。
【今回の聖杯戦争は、凶兆ともいえるイレギュラーです。
私はマスターを若死にさせたくはありませんし、私の願いは大体は叶っています。
そして遠坂凛の目的は、聖杯戦争の優勝でした。
ま、私じゃ勝てませんから、凛ももう諦めてますよ。命あっての物種ですし】
苦笑の気配が伝わってきた。きっと、黒髪をかき回しているのだろう。
【それより何より、何とか生き延びませんとね。
たった六十年の先延ばしですが、人間にとって実に大きい。
凛が大人になり、子どもや孫に恵まれる時間が一番欲しいのです。
それが遠坂の本当の勝利です。聖杯戦争より大事な】
わずかに間を置いて、続きが語られる。
【私は子どもに恵まれませんでしたから。
ああ、お気になさらず、もてない甲斐性なしだったんですよ。
人生で叶わなかった事を叶えるのも、サーヴァントの目的なんでしょう。
子どもに戦いをさせたくない、幸せになってほしいというのも】
セラは息を飲み込んだ。それはあるいは衛宮切嗣の願いかも知れなかった。
【ですから、そちらの聖杯入手に助力したいと思っています。
しかし、さらに重要なのはイリヤ君と士郎君の幸福ではありませんか?
親を失った子に殺し合いをさせるだなんて、大人として許容できるものではない。
なんとか回避したいと私は思うのです】
【承りました。わたくしもお嬢様が義理の弟の血に塗れるのは……。
わたくしが目を離した隙に、衛宮様のお宅に行ってしまわれたのです】
【やはりねえ。
顔も見ず、何も知らない相手だから、殺意に歯止めがかからない。
でも、お互いを知ってみれば、なかなかそうはいかなくなる。
どちらもとてもいい子たちだ。生活環境なりの偏りはあるようですが】
ぐうの音も出てこない指摘だった。
【そしてね、それ以上に偏っていると感じるのは、
二人の父である衛宮切嗣です。
私の知る英雄に似ている部分があるように思うんですよ】
【どのような部分が似ているとおっしゃるのですか?】
深い知性を感じさせる声が、イリヤの家庭教師の耳朶を打った。
【心の一部が子どものままだ。
その夢に疾走し、届いたのが私の敵だった人で、挫折し、届かなかったのが彼。
そう感じます】
【あ、あなたは……なにを……】
【士郎君に告げておかなかったこと。
イリヤ君を取り戻すのに、一つの手段しか取っていないこと。
第三者の力を借りることを知らないのではないでしょうか。
いじめを誰にも相談できない子どものように。
まあ、これは今はどうでもいい。
亡くなった人のことであって、それを掘り起こすのは彼の子どもの仕事だから】
衛宮切嗣の世間知の欠落への指摘。それがイリヤの孤独の原因ではないかと青年は言う。
【問題は生きている子どもの方です。
士郎君にとって養父はヒーローで正義の味方だった。
それを追おうとしている。最後の約束が遺言となってしまったからだ。
ですが、子どもにヒーローになれだなんて、
善良な人間に異常者になれというも同然です。
そこへ持ってきて、英雄だったサーヴァントという
二重に異常な存在が輝かしい活躍を見せたら、
余計に魅了されてしまいますよ。碌なことになりやしない】
大人しい童顔に似合わぬ、何とも苦々しい口調だった。
【私は、彼の前であの美しく凛々しいセイバーに戦って欲しくありません。
敵国の皇帝は、輝くほどに美しい、生ける軍神そのものの存在でした。
私が殺した敵軍の中には、彼を崇拝し、忠誠を捧げ、
皇帝陛下万歳と叫んだ若者が何万人もいるのです。ですから――】
セイバーをなるべく戦闘させない。表面上はアインツベルンの使用人であり、イリヤへの罪悪感を持っているセイバーならば、セラたちの制御もある程度は可能。遠坂陣営は、士郎とイリヤが危険な目に遭う局面を作らないよう努力する。
【実際に必要なことでもあります。
魔力供給はまだまだ不充分だそうですので。
もしも、別行動の際にセイバーが戦闘に及びそうになったら、
なんとか彼女の気を逸らしてください。
バーサーカーで脅しても、美味で懐柔しても、何でも構いませんから】
今回はその併用である。アーチャーの慧眼を讃えるべきか。その洞察の凄まじさに慄くべきか。まあ、戦闘が避けられるなら一番だ。ここは死者の眠る場所への道、バーサーカーに壊させていいものではない。
そして先ほどアサシンが指摘したのは、登ってくる参拝客だった。そろそろ昼食の支度の時間である。三々五々、墓参りを終えた人々が降りてくる。
それにしても、ずいぶん人数が多い。墓参りは春、夏、秋にシーズンがあると聞いていたのだが、二月にも行事があったのだろうか。
そこまで考えたセラははっとした。冬木の災害から十年。まもなく命日を迎える犠牲者へ、追悼と慰霊に訪れた人たちなのだ。黒っぽい服装の老若男女。いずれも顔を曇らせ、ハンカチで涙を拭う人もいる。
「冬木の大災害の原因が、第四次聖杯戦争だとしたら……」
そして、アーチャーが危惧していたイレギュラーの今回。これ以上の数の遺族が生まれないと、どうして断言できるだろう。母の死に泣き、父の失踪に怒ったイリヤが、自分や士郎と同じ存在を作るのか?
セラは手を固く握り締めた。
これはアーチャーの作為ではないが、想定していた必然だった。彼の世界では一回の会戦につき、数万単位の戦死者が出ていた。その日には、墓地が参拝者で埋め尽くされる。
ヤンは、災害の五百人超の死者のうち、柳洞寺に相当数が埋葬されていると睨んだ。
地図によれば新都に墓地はなく、最も近くて大きいのがここだ。
しかし、彼が考えていた以上の効果を生んだ。子どもを守るのは大人の義務、そう考えるのは一人ではなかったからだ。組織の中で、しがらみの多かったヤン・ウェンリーは、他者に頼ることを知っていた。その相手の適性と力量を見抜き、任せられることは任せてしまう。
ヤンは、生真面目で冷静で、教師らしい威厳を持つセラに参謀長役を任せることにしたのだ。本質を突いた、端的な発言をするリズは副参謀長役。そして、危ういバランスの士郎とイリヤ、セイバーの安全網を担ってもらおう。そういう目論見であった。連日連夜、遠坂主従が衛宮家に出入りするわけにもいかないからだ。
「たしかにこれでは危険ですね。皆様、どうかご無事で……」