「なんでさ」
純朴な問いを発する男子高生と、無言で眼光を険しくする女子高生。
「私の部下には大層な女好きが二人もいた。
彼ら曰く、美人は声まで美しい。なぜならば、美しい骨格が美声を奏でるからだ」
「……たしかにそうかも。遠坂も、セイバーも、イリヤもみんなそうだ」
ヤンは思わず眉を上げて、士郎の顔を見なおした。この少年、なかなかやるなあ。
そのへんは衛宮切嗣に似たんだろうか。
「彼らのうちの一人は、映画俳優も裸足で逃げ出すような大変な美男子だった。
もう一人だって、そこらのタレントも目じゃない愛嬌のある美男子だ。
二人とも美声の持ち主でもあった」
「アーチャー、ものすごい説得力だ……」
士郎は拳を握りしめた。黒髪が頷きを返す。
「それだけじゃないんだ。私の周囲の美男美女は、みんなその条件に適合した。
なにより敵国の皇帝は、絶世の美貌に素晴らしく音楽的な声の持ち主だ。
こうなると、彼らの言に異説は持てない」
「え、絶世のって、そこまで……」
「私の言葉などでは、表現しきれないような美青年だった。
あのキャスターも、とても美しい声だったよ。
生前はかなり高い身分の女性だったと思う。言葉遣いにも落ち着いた気品があった」
「でも、それだけじゃさあ」
「士郎君、もうひとつあるんだ。美人は自分の魅力を知っている
そして、それは会話にも現れる。本物の美人は会話も魅力的だ。
美声は美貌を保証しないが、美貌の美声には裏づけがある。これも彼らの弁だがね。
彼女の話は、とても知的で興味深かったよ」
夕日色の髪が、音を立てる勢いで上下に振られた。あほな会話の男子どもに、女子の視線が突き刺さる。
「この馬鹿、そんなこと言っている場合じゃないでしょ!」
「リンの言うとおりです」
「シロウもアーチャーもフケツだわ。ケダモノね!」
「うん、ケダモノ」
「お嬢様、益体もない低俗な番組をご覧になってはいけません。
リズ、おまえも見てないでお止めしなさい」
蒼褪める高校二年生(真)と、平然たる高校三年生(偽)。後者は表情も変えずに、少女たちに説いてみせた。
「いいや、これだって真面目な話さ。わずかな材料でも手がかりになる。
キャスターとなる英霊は、魔術が魔術として語られた時代の英雄だ。
そして、身分の高い美女だということを踏まえれば、事前対策がある程度可能だ。
毒薬に媚薬、魅了や幻惑の類いには注意するとか」
セイバーの手から、茶菓子の饅頭が膝に転がり落ちた。
「な、な、何を言って……」
動揺した様子のセイバーに、ヤンはおや、と思った。
キャスターへの主戦論といい、この様子といい、魔術師に反感を抱く理由があるのかもしれない。
第四次のキャスターが非道な相手だったのだろうか。前回のマスターと、よほどにうまくいかなかったというのもあり得る。あるいは……生前の問題か。
この儀式は降霊だという。前回亡くなった参加者を呼んで、事情聴取ができればいいのに。それこそキャスターに聞いてみたい。そのほうが手っ取り早いと思うヤンだ。ハムレットの父王のように、誰が悪いのか告発してくれないものだろうか。彼らの息子や娘が、ハムレットのようになっては困るけれど。
それは口にせず、ヤンは最も危険そうな人物に懇々と注意をした。
「お伽噺にあるだろう。魔術を使う、美貌の高貴な女性」
随分と回りくどい言い方である。
「って、魔女だろ?」
「士郎君、キャスターはそう呼ばれるのは嫌いなようだ。注意してほしい。
白雪姫に眠れる森の美女、白鳥の湖。そのへんの常套手段じゃないか。
幻惑はアーサー王の魔術師マーリンもやってなかったっけかな」
心臓に悪いどころではない言葉だった。サーヴァントの心臓が、いかなるものかは不明だが。セイバーは、座卓の下に転がり込んだ饅頭に手を伸ばすことで、表情と動揺を隠した。
「お伽噺には、原型となる話が神話や伝説にあるんだ。
月や夜の女神。アルテミスにヘカテー、北欧のフレイヤ、ケルトのモリガン。
変化に幻惑、出産と豊穣。そして死や眠りも司る。
月と夜、さらには水と神秘の象徴なんだ。
美しく、情が深く、ゆえに嫉妬深くて残酷にもなる。
女性の二面性とも言えるんだろうね」
「いや、俺に同意を求められても、その、困るんだけど……」
また女子の目力が増強してるし。女の子には優しくしないと損をする。じいさんの言葉は真理だったようだ。
「キャスターは、そういう存在なんじゃないかな。
彼女はセイバーにご執心のようだった。
篭城戦には弱点があるんだよ」
「弱点?」
士郎は頭を捻る。たしか、歴史の授業に出てきたような気がする。
「援軍がいないとダメだってことか」
アーチャーは微笑んだ。
「一般的にはそれが正解だが、聖杯戦争では少々違うんだ。
相手に無視されると意味がないのさ」
「え、無視って……」
「それが一番困るんだ。彼女の仮想敵がイリヤ君ならね」
「わたし?」
自分を指さすイリヤに、アーチャーは頷いた。
「わかっている限りでは、君たちが最強の主従だ。
アインツベルンのマスターとして、聖杯の器も持っている。
そんな君がキャスター以外のサーヴァントを斃し、霊地に籠ってしまったら?」
「む……。陣地から出て、攻めるしかなくなるよなあ」
「そのとおり。短期戦の聖杯戦争で、勝つには不利なクラスと言える。
だからこそ、セイバーという前衛を欲しているんだろうね」
イゼルローン要塞だけでは雷神の槌が意味を成さないように、キャスターの魔術の範囲へ追い込み役が必要になるというわけだ。おおよその魔術をキャンセルできるセイバーなら、同士討ちの心配がいらない。
「魔術師の考えることは一緒ね。
だから、セイバーは最優のサーヴァントというわけよ」
もっとも、セイバーとして付与される対魔力は、標準的には大魔術で即死しない程度。魔術では傷付けられぬ士郎のセイバーは、破格の存在である。
「キャスターの魔術ごとき、私には効きません」
「しかし、セイバーが魔術をキャンセルできても、
士郎君が篭絡されてしまってはどうしようもない。
そういうことがないようにと、君たちに注意喚起をしておくよ」
「ちょっと待ちなさい。あんた、キャスターとそんなことまで話したわけ?」
雷雲漂う凛の言葉に、アーチャーは小首を傾げた。
「いいや、違う。私も彼女にスカウトされたんだ。
高待遇を匂わせてくれたが、無辜の市民の生命力が報酬では頷くつもりはないよ。
しかし、それは私やセイバーを抱えるに足る魔力を集めているってことだ。
争うよりも、交渉でなんとかしたい相手なんだよなあ」
勝てない戦いはしない。戦うならば負けないで済む方法でやる。そして負けたことはないという凛のサーヴァントは、緑茶をもの珍しそうに啜って続けた。
「それだけの魔力を運用できる者なら、
魔力の釜たる聖杯をうまく使えるんじゃないかって思うのさ。
イリヤ君の家の悲願や、凛の研究テーマにも有益な情報を持っているかもしれない。
効率よく複数の願いを叶える方法も。
マスターとサーヴァント、二者のどんな願いでも叶うシステムならば、
妥協すればもっといける可能性もあるんじゃないかな?」
「でも聖杯は、サーヴァントが残り一騎にならないと出現しないのよ」
こちらは緑茶も和菓子も、一口でやめにした銀髪の少女の言葉だった。
「そうかなあ。これまでの四回、願いを叶えた者はなく、
しかし、斃れたサーヴァントはいるわけだろう。
それも含めて、専門家に診てもらおうと考えているわけさ」
ヤンは顔色一つ変えず、凛に明かした内容は伏せて、他の陣営に考えの一部を明かした。視線で同意を求められ、セイバーは頷いた。
「ええ、私も前回、この手でサーヴァントを斃しています。
「そして、君と黄金のサーヴァントが残った。
君は途中で消滅したそうだが、その相手とマスターはどうなったのか」
「……いいえ、何も」
「何もわからないで戦いを進めてはいけないと思う。
私たちサーヴァントは、幽霊の一欠片のコピーにすぎない。
死んだところで、なんの痛痒もないが、人間はそうはいかない。
だからこそのサーヴァント、騎士の果し合いに
代理を立てるようなものではないかな」
士郎がまた目を丸くした。
「騎士の果し合いに代理ってありなのか……?」
それに聖緑の瞳が苦笑する。
「シロウ、珍しいことではありません。
たとえば、貴婦人の代理として、夫の仇と一騎打ちをすることもあります。
そう言いたいのですね、アーチャー」
「この場合は父母の仇というか、その原因が前回の聖杯戦争だろう。
特に御三家同士で、跡取りを殺しあったら本末転倒だ。
家門を断絶させないための取り決めがあったのかもしれない。
だが、外から迎えられた、切嗣氏にそれが伝わっていたかどうか。
セイバーは何か……」
金の髪が力なく揺れる。
「イリヤ君は?」
躊躇いがちに銀髪も揺れた。
「とまあ、こういう次第だ。巻き込まれた士郎君は当然知らないだろう」
「ちょっと、わたしには聞かないわけ?」
翡翠の瞳に険を含ませる凛に、黒い瞳の半ばまでを瞼が覆った。
「自分が死んだら後がないのに、セイバーを呼んで出陣する気だった君が、
知っていたとは思えないね」
「うっ……悪かったわよ。根に持ってたの、あんた……」
「そういうわけじゃないよ。それが趣味の人間もいる。
まあ、凛は違うってわかるけどね」
「え?」
どんな趣味だ。というか、なんて奴だ。一同が眉間に縦皺を作る中、黒髪のサーヴァントの嘆き節が続く。
「私だって、どんな英雄と出会えるのかと楽しみにしてたんだ。
なのに、ヘラクレスはバーサーカーだし、ランサーは怪人青タイツだし、
ライダーは妖女黒タイツだ。夢も希望もありゃしない」
正確に言えば、ライダーはタイツではないが、まだそのほうがましだった。ヤンは内心で、聖杯戦争のシステムに呪詛を吐いた。英霊の一欠片を、クラスという枠に押し込むというが、絶対に劣化しているに違いない。
クー・フーリンもヘラクレスも父を神に持つ王族の貴公子。メドゥーサも海神ネーレウスの血を引く姫君だ。それぞれの時代において、最高の美を誇る知識人でもあるはずだ。
そんな巨大な人格の持ち主たちを、七人も完全に再現できる魔術があるなら、聖杯戦争はとっくに成功している。
彼らに比べれば、ささやかに過ぎる自分でさえ、酒も買えないこの童顔。身体能力は二十歳、外見は二十五歳ぐらい、そのぐらいの融通も利かないとはポンコツじゃないか。万能の願望機だなんて、ちゃんちゃらおかしい。信じるに値しない。
「ああ、私もなんで応じちゃったんだろうなあ……。こんな面倒くさいものだったとは」
毟り取ったベレーを渋い顔でもみくちゃにするアーチャーに、名前を略されたサーヴァントの主はおずおずと質問した。
「えっと、セイバーは……」
「もちろん、セイバーは私の理想の女騎士って感じだけど、
マスターである士郎君を差し置いて、あれこれ聞くのも失礼だろう?」
剣の主従は決まり悪げに顔を見合わせた。前半は素直な賞賛だったが、後半は衛宮主従の交流を促すものだ。同盟者は当然として、マスターにも真名を秘しているセイバー。士郎も、養父とうまく行っていなかった様子の彼女に、臆するものがある。言峰神父の言葉が事実なのか、それも心に
「こうなりゃ、キャスターに希望を託すしかないよ。
ひととおりの目途がついたら、さっさと座に帰るから」
「ちょ、ちょっと待った! 待ってくれ!」
声を張り上げたのは、彼のマスターではなく、セイバーのマスターだった。
「それは困る! アーチャーが居なくなったら、
俺、このメンツの中でやっていかなきゃならないじゃないか!」
黙々と努力するだけでは、どうしようもないことがあると悟ってしまった士郎である。これまでの士郎は、肉親もない孤独な存在だった。だが、その半面、こういったしがらみにも縁がなかった。だから、自分のことにのみ努力することができた。
でも、じいさんの娘が現れ、じいさんのサーヴァントだったセイバーも現れ、イリヤの身内のメイドさんまでやってきた。精神的には、バーサーカーにやられちまったほうが楽だったかもしれない……。
「……無理。絶対に無理だ。
頼む、じいさんの事を調べるのにも、色々教えてほしいんだ」
「はあ、でも基本のやり方は、ちょっと調べればわかることだけど……」
士郎は夕日色の髪をぶんぶんと振った。
「アーチャーのちょっとは、俺には沢っ山なんだ!」
「うーん、大半は聖杯の知識のお陰なんだけどなあ」
これに物言いをつけたのはイリヤである。
「ちがうでしょ、受け取り手の差があるもの。わたしのバーサーカーにはムリよ」
「ほんとにもったいないなあ。
ヘラクレスの師は、ギリシャ神話最高の賢者ケイロンだ。
アーチャーかセイバーなら最強にして最賢、主に忠実な最高の戦士だったのに。
この聖杯の知識の恩恵、マスターが受けられればいいのになあ。
時代も国も違う私たちが、当たり前に会話し、本や記録を読めるって、
そっちの方がものすごいことだろう。これを普段も君達が使えないのかい?
言語のサポートまであるし、テストだって楽勝だ」
高校生の心を砕くような一言だった。
「あーっもう、それを言わないで!
聖杯戦争に敗れて死ねば、期末考査は関係なくなるけどね!」
「君たちがちゃんとテストを受けられるように努力するよ」
「お、おう。その、どうも」
ああ、そうか。負けて死ねばテストは受けられないが、生き延びれば問題になってくる。あれは再来週だったっけ。テスト勉強にも、そろそろ手をつけなくてはいけない。
そして、じいさんの隠し子問題。琥珀の瞳が翳りを帯びた。生きていくのは大変なんだ。でも、あの時劫火に消えれば、狂戦士の剛腕で八つ裂きにされれば、今はない。辛くとも、いいことばかりでなくても、生きているのだから。だからテストだって……。
そこまで考えた士郎の脳裏に、不吉な雷光が閃いた。
「ま、まずい、まずいぞ、遠坂! さっさと学校のカタを付けないと!」
「急に切羽詰ってどうしたのよ、士郎」
「来週は高校入試だ! ガンドの風邪で避難はムリだぞ!」
「あーーっ! そうよ、まずいわ。うっかりしてた!」
蒼白になったマスターの言葉に、アーチャーは天井を仰いだ。
「おいおい、凛、そいつはうっかりじゃ済まないよ。
君の言うとおり、止めを刺しときゃよかった。
仕方がない、ライダー陣営の焦りを誘って、入試までにカタをつけよう」