アーチャーの目が一瞬だけ大きくなった。だが、それ以上の動揺は面に出さず、礼儀正しく挨拶を返す。
「いえいえ、こちらこそ用件のみで申し訳ない。
さて、あなたをキャスターとお呼びしても失礼にはあたりませんか」
『いささか間が抜けているけれどかまわないわ。
魔術師では紛らわしいけれど、魔女と呼ばれるのは好みではないもの。
貴方は考え深い殿方のようね』
「ではキャスター。
単刀直入にうかがいますが、一家殺人と吸血鬼事件と穂群原高校の結界は、
あなたの仕業ではないということでよろしいのかな」
蝶が羽を開閉し、アーチャーの耳を叩くような仕草をした。くすぐったさに彼は肩を竦め、首を振ったが蝶は髪に止まったまま。また羽根で耳を叩く。
「うわっ、怒らないでくださいよ。
証拠隠滅に気を使い、いわば非合法な献血程度でおさめていた昏倒事件と、
あの三件が同一犯だと思ってはいません。だが、念のためにね」
『やはり知恵者ね。あのお嬢ちゃんにはもったいないこと。
あの坊やのセイバーと同様に』
「私としては、あなたのような魔術の先達に、
凛の師になっていただきたいところですがね。
それには不法行為を止めていただけませんか?
今ならば、まだ推定無罪が通る。疑わしきは被告人の利益にということで」
『それが私への利と言うなら足りなくてよ。アーチャーのサーヴァント』
「だが、我々が団結して停戦を進めれば、あなたは困る。
陣地が足枷ともなるのが、キャスターのクラスの欠点です。
手を出してもらえず、無視されるとタイムオーバーになる。
聖杯は入手できませんよ」
蝶が微かに身じろぎした。
『貴方、マスターを裏切る気かしら?』
「いいや、この聖杯の不備を解消したいだけです。
もうひとつおうかがいしますが、
あなたは『魂の物質化』を使える魔法使いではないですよねえ?」
『貴方ならばわかっているはずでしょう。
それを使えるのなら、英霊の座に行くこともないのではなくて?』
「しかしですね、それこそギリシャ神話には不老不死を返上する存在もいたでしょう。
射手座のケイロンに、双子座のポルックス。
天球を支えるアトラスは石に変じました。だから、一応は」
笑みの気配が蝶から漂う。
『ふふ、そのとおりよ。永遠の命など、呪いでしかないわ。
日毎に、肝を啄ばまれるプロメテウスのようにね。
神の血を引くものにさえ、なかなかに耐えられぬものよ。
死に勝る苦痛や、愛する者を失う孤独を味わい続けねばならないのだから。
そんな生になんの意味があるかしら』
「だから、エンディミュオンは眠りにつかされたのかな?
たしかに、あなたのおっしゃるとおりでしょう。不老不死がそんなによいのなら、
子々孫々に伝えるべく、魔法を守り抜くはずだ。決して失伝させはしない。
そうなっていないことが明白な答えだ。魔法使いの行方不明もね」
イリヤやセラには、別方向からのアプローチを示してはみたが、ヤンは成功すると思っていない。キャスターの言葉もそうだが、トップに不老不死の存在が君臨しているなんて、後から生まれた者には堪ったものではないだろう。旧銀河帝国の皇帝には、長寿のあまりに暗殺された者もいたのだ。
本人にしても、技術や社会の進歩についていけるだろうか。過去の遺物と成り果てて、時から取り残されてはしまわないか。
そして、愛する者に先立たれ続けるのだ。遺された者は、いつの日か亡き人の許に赴くことを知っている。だから、喪失の痛みにも何とか耐えられる。それさえも叶わないのが不老不死。
祖父母や両親、配偶者を看取るのは人間の常だが、子どもに孫、ひ孫に
『その不老不死も、果たしてどんなものかしらね。
人の姿形、心を保っているとは限らないわ。
黄金や大理石の像と化すのかも知れなくてよ?』
「うう、そいつもありえるなあ。錬金術の大家で資産家だそうですからね。
宝物庫の財宝のどれかが、ご先祖様の変じたものかもしれないのか。やれやれ」
アーチャーのピントのずれた慨嘆に、蝶が小さく笑い声を立てた。
「しかし、あなたがアインツベルンの魔法使いでない以上、
イリヤ君の参加目的を果たすのは難しそうだな」
彼は髪をかき回しかけ、耳元の来訪者を思い出して手を止めた。
「これは専門家にお聞きしたいんですが、
この聖杯戦争のシステムは改正できないものですか?
あなたに協力していただき、その対価として、
イレギュラーの今回はサーヴァントへの報酬に充てる。
そういう選択も可能ではないのかと、門外漢は思うんですがね」
『今回は諦めさせるのかしら?』
「二百年やってて成功しないのに、そのまま継続するなんてナンセンスです。
この二百年で、社会や技術は非常に進化しているのに。
あなたの生前と比べて、この世界はいかがです。
まさに魔法のような変貌ぶりではありませんか?」
『……貴方、私の真名を知っているわけではないでしょう』
「それはもちろん存じませんよ。
だが、近代は神秘が薄れ、パワーソースを独占するために、
魔術を秘匿し、一子相伝なんてことをしているわけです。
こんな世情では、魔術で名を成す英雄なんて生まれません。
ですから、あなたは魔術が魔術として語られる時代の存在だと思うわけです。
ゆえに、魔術を使うためのエネルギーに苦労されて、
ああいうことをせざるを得ないのではないかとね」
なんとも魅惑的な忍び笑いが蝶から漏れた。
『まあ、本当になんて
あの年若いマスターたちとさして変わらぬ、可愛らしい姿をしているのにね。
アーチャーのサーヴァント、私の僕にならないこと?
魔力不足で困っているのはセイバーだけではないのではなくて?』
この言葉に苦笑いしたアーチャーは、右手で髪をかき回した。
「おほめいただき光栄ですが、私は本当は三十三歳の既婚者です。
可愛いなんておっしゃられても、その、困りますよ」
『……つ、妻に誠実な夫が、まだいただなんて!』
「いやいや、どういう意味ですか、それは。
浮気上等の既婚者なんて、大神ゼウスじゃあるまいし」
不実を疑われるのは、ヤンとしても不本意だ。細めた瞳に不満を見て取ったか、蝶が謝罪の言葉を紡ぐ。
『ま、まあ、これは失礼。……貴方、現代に近い英雄のようね。
私と違って、今は夫婦が誠実なのは当然だもの。なんて素敵なのかしら』
「あなたも色々とご苦労をなさったようですね。
私も妻を置いてきてしまいました。
きっと、大変な苦労をさせたことでしょう。
せめて、それを裏切りたくはないんですよ。たとえ幽霊であっても」
『……貴方の妻は、きっと幸福だったでしょうね。
そんな貴方の主に、あのお嬢ちゃんは力不足よ。
貴方の本来の力を発揮できないでしょうに』
「それはさておき、とりあえず冬木の管理者としてお話がしたいんです。
それに、墓参りの必要性もある。柳洞寺への訪問の許可をいただきたい。
当面、我々との戦闘がなければ、あなたも魔力の搾取は必要ない。
私たちはまず、吸血鬼と結界の犯人の排除に努めたいんです。
悪い話ではないでしょう?」
『あら、私にとって、よい話だと言うの?』
「あなたが細心の注意を払って、魔力を集めている隣で、
無遠慮に猟奇事件を起こしているサーヴァントだ。
新聞に隣り合って載っていたから、私もあなたの事件の不審に気が付いたんです」
蝶が再び身を震わせた。低められた声に冷気が籠る。
『ええ、あの下品な輩……。マスターともども忌々しい』
「魔力の搾取相手を選べるほどの探知能力を持つあなたなら、
本来は攻撃も可能でしょう。
しかし、それをしていないのは、遠隔攻撃が難しい相手だからだ。
機動力や敏捷性に優れ、高い対魔力を持つ、だがランサーではない者。
クラスはライダーまたはアサシン。私の推測はこんなものですが」
『一つを除いて当たりね。教えてあげましょうか、犯人はアサシンではないわ。
悪趣味な結界の方も。だから私には手が出せない。
あの女の首をはねてくれるのなら、柳洞寺への訪問は考えましょう』
黒髪から蝶が飛び立った。
「ありがとうございます。犯人が確定しただけでも、大いに感謝しますよ。
ただそのね、行為をやめさせる程度で勘弁してください。
私の宝具で首をはねるのは、ちょっと無理ですから」
『とにかく、さっさとやめさせることね。
訪問はその結果次第。貴方だけならいつでも歓迎するけれど』
小さく様にならない敬礼をするヤンの前で、空気に溶けるように蝶の姿が掻き消えた。
「いやあ、すごい術だなあ。
こういう術が使えるなら、電話に頼ろうとは思わないのかもしれないが。
しかし、ピュグマリオンときたか。美女の石像を人間にした王と錬金術。
そして杯の名を持つ、聖杯の担い手の母と娘。
父には似てないのに、メイドには似てる。
ああ、嫌だなあ。嫌な予感しかしない」
ヤンは後頭部で腕を組み、寝転がった。眉間に皺を寄せてぶつぶつと呟き続ける。
「うう、別の事を考えよう。アサシンじゃなくてライダー。
キャスターの言を容れるなら、女性のライダーか。
で、人間の血を吸えるような歯を持つって、誰だろう。さっぱりわからない。
アサシンじゃないのはありがたいな。
ライダーなら、戦場次第でどうにかなるかもしれない」
だが、すぐに起き上がった。畳の寝心地は快適とはいえない。部屋の隅に敷いてある布団に場所を移すことにしよう。
「やはり第三次、第四次の双方とも怪しい。
第三次は七十年から八十年前、日本は太平洋戦争に向かっているご時世だ。
外国人が大挙して二週間も何かやれば、絶対に人目につくはずなんだ。
早く中止になったのか?」
ヤンは、めくり癖の付いた戸籍謄本の束に愚痴をこぼした。
「凛の祖父が早死にしているのは痛いな。
おまけに傍系を養子に出して、記憶が断絶してしまっている。
いくら魔術は一子相伝といっても……。
それだって、騙されてる可能性もあるなあ。
秘匿に独占じゃ、他家の魔術師も結局は敵だ。
お宅は後継者問題にどう対応していますかって訊いても、
正直に答えないだろうし」
布団と枕を用意してくれた士郎に感謝しながら、ごろりと横たわる。だが、ヤンの独白は止まらない。
「こんなことしなくたって、あと三百年で人は光の速度を超えるのに。
違う星に向けて飛び立ち、新たな惑星を住居となして、銀河へ広がっていく。
魔法がなくても、私の時代までは届いたんだ。あの万暦赤絵は」
押し入ってきた憂国騎士団の、テロ行為で割られてしまったけれど。
「あの時、ああすればよかったを叶えたところで、英霊の『座』にある我々は不変。
この世界につながる時間線は改変できても、
それ以外の平行世界はそのままじゃないのか?
ここだって、明らかに私の世界の歴史と違うしなあ。
ざっと二十年後に、二大国家間の全面核戦争が起こるようには思えない」
ヤンの世界史では2029年に
その後に起こる核の冬、残り少ない人類は生存のために団結するのではなく、他者を蹴落としてでも生きる道を選ぶ。九十年にわたって内乱と紛争が続き、2129年に
だが、この世界は二極化していない。ここはきっと、東西冷戦が終結した平行世界だろうとヤンは推測している。
「なるほどね、凛の研究テーマにも、一応関連がないことはないんだな」
だからこそ、初代はこんな詐術に引っ掛かったのだろう。駆け出しの魔術師を騙すことなど、造作もなかったに違いない。そしてもう一人、騙されていると思われるのは。
「『世界の内側』の願望はおよそ叶えられる、ねぇ。
ふん、『世界の外側』の英霊は、結局対象外なんだ。所詮コピーだしなあ。
セイバーが英霊になった原因によっては、勝っても利益を得られない。
結局、あれも嘘、こいつも嘘、万能なんかに程遠い代物じゃないのかね」
ヤンはもぞもぞと寝返りを打った。時臣の私服じゃなくて、パジャマを探せばよかった。
「じゃあ、マキリのテーマや願いはなんだろう?
不老不死というのは協力に値するが、慎重派だと思われる当主だ。
今回みたいな悪い条件下で、真面目に参戦しようとするかな」
ヤンの思考は行きつ戻りつしながら、しかし複数の道筋をシミュレートしていく。
こうして、宇宙有数の軍事的才能の持ち主が、思考と牙を研ぎ澄ませ、
同盟を組んだ者に、その一部を提供して警戒を呼び掛けた。
そこに手を出してきたところで、『彼』は所詮敵たりえなかったのである。
最初に声を掛けられたのは、一晩の苦行からけろりと回復して、登校した衛宮士郎だった。右手の令呪を包帯で隠したところで、衛宮家からの巨大なエーテル反応は隠しきれるものではない。
しかし、誤算だったのは、他にも出入りしている御三家の遠坂、アインツベルンのマスターだ。誰が誰のサーヴァントなのか。
探りを入れるために、自分も魔術師で聖杯戦争に参加していことを告げ、学校の結界をキャスターの仕業だと言ってやったが、単純なはずの衛宮士郎は、琥珀の目をぱちくりとさせた。
「そっか、慎二も魔術師だったんだな」
「ああ、そうさ。この学校にはもう一人マスターがいる。
そいつがこの結界の犯人さ。なあ、衛宮、僕と組んでアイツを倒さないか。
これは遠坂のサーヴァント、キャスターの仕業だ」
「ふうん。なんで慎二が知ってんのさ。現場を見たのか?
で、そいつがキャスターだなんてどうしてわかったんだ」
「遠坂と一緒にうろうろしていたからさ。
三日前もあいつ学校を休んだだろう。その時に召喚したんだな。
そいつがやったに違いないね」
「遠坂のサーヴァントはキャスターじゃないぞ。
アイツは魔術なんて使えないって言ってたし。
だいたいさ、慎二もマスターなら止めたらよかったじゃないか」
士郎の反応は、冷静かつ理論的なものだった。単純な正義バカと侮っていた間桐慎二はたちまち言葉に詰まり、返事がないので士郎は続けた。
「それにさ、まだ教会から連絡されてないみたいだけど、
遠坂とアインツベルン、あと俺で停戦を申し入れたから。
じいさん、いや親父の隠し子が名乗り出てきたんだ。
……俺、それどころじゃないんだよ」
「か、隠し子!? なんなんだよそれ」
「なあ、慎二、どうしたらいいと思う?」
困り果てた士郎に逆に相談されて、慎二の繊細な顔が引き攣った。
「僕が知るもんか!」
当然すぎる返答に、士郎は項垂れた。琥珀の目も虚ろになり、雨雲を張り付けたような顔で、呻くように養父の不義理の実態を告げる。
「うん、だよな。だよなあ……。その子がアインツベルンのマスターなんだ」
間桐のマスターは、驚きの声をあげることしかできなかった。
「はあぁっ!?」
「一昨日、家に乗り込んできて、正直、殺されるかと思った。
遠坂が仲裁に入ってくれて、どうにか助かったんだ。
でも借金のかたに、俺、遠坂に弟子入りさせられちまってさ。
アインツベルンの子も、まだじいさんに怒ってるんだよ……」
「あ、ああ……」
「そりゃ、十年も放っといたら無理もないけどさあ!
しょうがないじゃないか、五年前に死んじまったんだから……」
「……衛宮の親父さん、何も言ってなかったのか?」
「ああ、俺はなんにも聞いてないけど、相手が信じてくれないんだ!
今日は今日で、放課後に学校に談判に来るって息巻いてて……。
ごめん、悪いけど、今日はそっちを優先する。じゃあな」
「が、学校に談判!? なんだって、ちょっと待てよ。おい!」
屋上に呼び出したはいいものの、力のない足取りで踵を返されてしまった。だが、問題はそこではない。間桐慎二は、とんでもない墓穴を掘ったのだ。
果たせるかな、次の休み時間には彼の元に遠坂凛からの呼び出しが入った。
「間桐くん、この結界の犯人を知っているんですって?」
腕組みして、優雅に微笑む遠坂の魔術師。二つ所持すれば希少という属性を、五つも所持する天才である。この時、周囲を染めていたのは炎の色と氷の温度だった。
「あ、ああ。キャスターの仕業だ」
「それがわたしのサーヴァントだと、士郎に言ったそうね。
おあいにくさま、わたしのサーヴァントはキャスターじゃないの」
「し、士郎!? おい、遠坂、いつの間にそんな……」
「あいつはへっぽこだけど魔術師よ。我が遠坂の弟子ね。
魔術回路を持ち、サーヴァントを召喚したわ。
で、魔術回路のないあなたが、どうやって聖杯戦争に参加する気?」
「僕は魔術師だ! 魔術回路の有無なんて、魔術師としてのありかたには関係ない!」
「へえ、じゃあどうやってサーヴァントを召喚する気なの?
エンジンのない車は、サイズがどうであれ模型だそうよ。
わたしのサーヴァントによるならね」
間桐慎二は、整った眉目を歪めた。
「サーヴァントならいるさ。来い、ライダー!」
彼の傍らで、サーヴァントが実体化した。