「なあ、星々の中を飛ぶってのは、どんなもんなんだ?」
衛宮家の縁側で、夜空を見上げたランサーが、同じく星を見ているアーチャーに問い掛けた。
上限の月の出は遅い。まだ宵の口、月光に邪魔されることなく、星々が天空を彩る。剣帯を下げて、天空を行くオリオン。彼の足元に寄り添うのは、鋭く輝く二頭の猟犬の目。
オリオンの右肩のやや上に、星々が寄り添うプレアデス星団。ミューズの六姉妹だ。目の良いランサーには、七人目の姉妹が見える。
日本名は昴。清少納言が、星の筆頭にあげた美しい星団だ。
左肩の上に並ぶのは、双子座の兄カストルと弟ポルックス。弟の方が明るいのは、彼は不死の神であり、兄が人間であったからだ。
兄を失って、永遠に生きることを厭うたポルックスは、自分の不死の半分を兄に分け与えた。星としての生を。
澄んだ冬の大気の中、星はせわしなく瞬く。瞬かないのは惑星だ。純白の金星、黄金の木星。
アーチャーからの答えはない。
「おい」
「あ、ああ、すみません。星に見惚れていました」
ランサーは首を傾げた。
「それこそ、星空を飛んでいるのにか?」
「宇宙空間には空気がないんです。だから、星が瞬かないんですよ。
私には逆に珍しくて」
「俺にも逆に想像がつかねえ。星が瞬かないとはなあ……」
「宇宙では、星は光の点のように見えます。
それが頭上だけではなく、周囲や足の下にもあって、包み込むように輝いている。
星の海という表現は、言い得て妙だと思いますよ」
「ほう……。おまえはなかなか詩人だな。
さぞや絶景だろう。俺も見てみたいもんだ」
アーチャーは頭を掻いた。
「生きていた時なら、ご期待に添えたんですがね……。
お見せできないのが残念ですよ。
本当に美しい光景なんです。
ところでこの星座は、私の国では見られないものなんですよ」
「星は星だろう? なんでまた」
アーチャーが伸ばした指は、オリオンの下の一際明るい星を指さした。
「星座というのは、惑星に固有のものです。
この星空と、私の母国では見える星が違うんですよ。
たとえば、あのシリウス。地球から近いので明るく見えます。
一万一千光年離れた私の故郷では、肉眼では見えません。ここの太陽と同じくね」
ランサーは口をあんぐりと開いた。
「お、おお、そ、そうか……」
黒髪のアーチャーは、色々おかしい奴だが、つくづくと思い知らされた。この大地に生きたランサーとは、感覚のスケールが全く違うのだ。時代を越え、夜空に輝く星さえ違う場所からやってきた英霊。
「私の故郷の恒星バーラトも、ここからでは見えないでしょうね」
「じゃあ、この星空に、おまえの国から見える星はあるのか?」
アーチャーは腕を組み、小首を傾げた。オリオンの右膝を指さす。
「強いて言うなら、かろうじて見えるのがリゲルかなあ……。
私の故郷からよく見える星は、地球からだと望遠鏡がないと見えないのでね」
「ここの土蔵にあったな、そういや」
好奇心旺盛なランサーに、アーチャーことヤン・ウェンリーは苦笑した。
「士郎君の望遠鏡では、きっと無理ですよ」
ランサーは唇を尖らせた。
「なんでだよ。実物を見ていないくせに、おまえらしくもねえ」
「現代の技術ですと、レンズの直径が五メートル以上はないと」
尖った口が、たちまち大きな輪になった。
「は?」
「それから、レンズに見合った焦点距離が必要なので、
ここの土蔵に入らない大きさになります」
ランサーの想像以上にとんでもなかった。
「宇宙って、凄えなあ……。空恐ろしくなってくるぜ」
「ええ、未だに恐ろしいところでもあります。
真空と絶対零度に支配された永遠の闇。
この地球は、一万光年の中では唯一の奇蹟だった」
「だった?」
「この大地から、人類は飛び立ちました。
新たな星を目指し、星の波濤を超え、暗礁を抜けて、私の星まで至る。
千六百年後には、百を超える惑星に人が住んでいます」
ヤンは昴のそばを指さした。
「あのあたりに、銀河帝国の首都星オーディーン」
次に示したのは、青白いシリウス。
「シリウスは、私の世界のもっと古い時代、宇宙の中心だった」
「じゃあ、ここはどうなってんだ?」
黒い瞳が瞬いて、淡々と告げる。
「全面核戦争によって、地球は壊滅の危機にさらされました。
だから、人間の宇宙進出が早まったんですよ。
千六百年後の地球は、荒廃した辺境の一惑星になっています」
そして、地球の復権を目論む狂信者の巣となっていた。ヤンを暗殺したのは、その地球教徒だ。
「全面核戦争が起こらなければ、まったく違う未来になるのかもしれませんが」
そこは平凡で芽の出ない学者として生き、天寿を全うするヤン・ウェンリーのいる世界かもしれない。そうでないかもしれない。
しかし、現在から未来をリレーする人々の中に、凛や士郎やイリヤたちと、彼らの子孫がいるといい。
それがアーチャーの、ささやかで大それた願いであった。
大欲は無欲に似たり。