その日の夜。
宮永照の頭の中は、時雨との対局をぐるぐると再生し続けていた。
照にとってあれほどまでに完璧な敗北は初めての経験だった。
昔、妹と打っていた時に何千局と打つうちに何度か負けることはあった。
しかし、そんなのは何千局と打っていれば当然と言えば当然の結果で……
とそこまで考えたところで自分はどうなのか?と考え直した。
もし、妹の時のように何千局も打てば自分も時雨に勝てるのか、と。
照が出した答えはNOだった。
少なくとも今の状態では。
だが、今日の対局、時雨のことを意識しすぎて実力が全部発揮できなかったのもまた事実だった。
あまりにあっさり負けてしまったために自分を守るための言い訳かもしれない。
……もう一度打ちたい。
そして、素の力でどれだけ自分が時雨に対抗できるのかが知りたい、そう思った。
「照、お風呂湧いたわよ。さっさと入っちゃいなさい」
照の部屋からそう遠い場所ではないリビングから母親の声がした。
照の家はただいま別居中で、照と母は東京で、妹と父親は長野で暮らしている。
昔はよく4人で家族麻雀をしてお年玉を賭けたりもするほどにこの家は麻雀一家だった。
だが、ある日そんな関係は一瞬にしてつぶれた。
親の間で何があったのか照は知らないし、知る気もない。
だが、彼女は妹―咲とだけはもう一緒にいたくなかった。
本当は自分よりもはるかに才能を持っているのに、誰よりも麻雀が好きなはずなのに、周りに合わせて自分を隠してあたかもつらそうに麻雀を打つ咲。
そんな彼女の姿は麻雀一筋で生きてきた照とってはこの上ない屈辱だった。
そういえば、と照はもう一つのことを思い出す。
そして、彼女はベットから立ち上がり、風呂場、ではなく母のいるリビングへと向かった。
「母さん……」
「何かしら?」
洗い物で忙しいのか照の方には顔もむけずに問い返す。
「今日、学校で麻雀、負けちゃったんだ……」
「あら、珍しいわね。新しく入ってきた大星ちゃんかしら?」
「ううん、今日初めて来た男の子。多分転校生。重ね役満の240000点で淡が飛ばされて終わったわ。」
その瞬間、照の母―宮永 悟の手が一瞬だが止まった。
だが、すぐさままた洗い物を再開する。
だが、二人暮らしでそれほど洗い物が出るわけでもなく、洗い物はほどなく終了した。
タオルで手を拭いて、洗い物をする際にとんだ水をふき取ってから照に椅子に座るように言った。
対面する形で座って悟は話を再開させた。
「なんで、そんなことを母さんに言うの?それとも何かしてほしいことでもあるのかしら?」
昔、照は一度だけ母親がとんでもない気配を漂わせていたことに気付いた。
だが、そんなはずない、と打ち消した。
だって悟は家族麻雀でも常に下位にいて金を奪い取られる方だったのだから。
だけど、今悟った。
今、対面している母親は正真正銘の化け物だったということを。
「私はもっと強くなりたいの。誰にも負けないくらいに遥か高みへ。」
強さに固執する理由は自分でもわかっていた。
咲だ
咲の存在がどこまでも自分を焦らせているのだ。
あんな表情をして打つような妹にだけは負けたくない。
だけど、何千局と打つ中で何度かまみえた咲の真骨頂は自分なんかでは到底止められるものではなかった。
だからこそ余計に負けられない
だが、悟はその熱い闘志を包み込むかのように柔らかな笑みを浮かべた。
そこにさっきまでの圧力はもうない。
「あなたは、もう少し気楽に麻雀をやるべきよ、照。」
「でも、そんなのんきこといってちゃ私……」
「あなたが咲を意識してたことは知ってるわ。でもね、二人とも同じ私たちの血を引いた子なのよ?そんな大きな才能の差はでないわよ」
「でも、明らかに私は咲には才能で劣ってる……!」
「あー、ダメダメ。相変わらず頭が固いわね。そういうところはお父さんそっく
り。じゃあ、迷える愛しい娘のために一つだけヒントをあげるわ」
―あの子は、咲はどんな時、その才能を輝かしたのかしら?
照がそのことを考えようとしたとたんに悟は立ち上がり
考え事はお風呂に入りながらにして頂戴、と照をリビングから追い出したのだった。
だがしかし、風呂場でどれだけ考えても咲がその才能を輝かしたタイミングの共通点が照にはわからなかった。
ついでにのぼせて一時間ほど動けなくなったというのは、照には珍しいおまぬけな一面であった。
☆
同日夕方
時雨と裕香は麻雀部を出て行った後、裕香のものが何もそろっていなかったため日用品を買いにデパートへと来ていた。
「一応、食材とか洗面用具はそろえたから、あと必要なのは……服だな。」
その言葉を聞いた途端、裕香が過剰に反応した。
「服!?買っていいの!?」
目をキラキラさせながら時雨に問いかける裕香。
「新しいも何も、お前何にももってねーんだろ?」
うんうん、と激しく首を上下運動させる。
「いや、なんなら裸で過ごすっていうのも……」
顎に手を当ていやらしい目つきで裕香の体を下からなめるように見る。
裕香は悪寒を感じてとっさに手で体を押さえ、時雨をキっと睨む。
「冗談だ。じゃあ、買いに行くか、つっても俺わからねぇからなぁ。
それに、下着とかも買うなら俺はいたって邪魔だしな。ちっこいけどゲームセンターで暇つぶしとくから、決められたら呼びに来てくれたら金は払ってやるよ。」
そう言って、視界に入るか入らないかの隅の方にある小さいゲームセンターを目指して歩き出そうとする時雨を裕香が止める。
「えーっと、その、せっかく買ってくれるんだから、服くらいは、その、一緒に選んでよ」
視線は時雨と真逆方向に向き、恥ずかしいのか顔を文字通り真っ赤にして言葉も区切れ区切れで裕香は言う。
予想外の誘いに時雨は驚いた。
だが、同時に少しうれしかった。
「よっしゃー!任せとけ。下着から全部ばっちり見て選んでやるよ!」
「ちょ、下着は自分で選ぶから来ないで!服!服だけだからね!」
デパートの中でその声は大きく響き渡り、買い物中の客の視線を集めた。
そして、自分が口走った言葉を思い出して裕香は顔を真っ赤にした。
☆
レディースコーナーに到着すると、裕香は人格が変わったように店の中の服を片っ端から見て周り、ポンポンと服を手に持っていった。
考えなしにとって言っているように見えるほどそのスピードは速く、理解のない時雨には何が起こっているのかさっぱりわからなかった。
そして、1時間ほど回ってようやく一段落した時には手には20点以上の服がのせあがっていた。
(こいつ、確か一緒に選んでよって言ってたよな?)
あまりの独走っぷりに疑問を感じずにはいられなかった。
だが、どうやら時雨の出番というのはここかららしい。
たどり着いたのはカーテンのかかった個室、つまりは試着室だ。
「……覗かないでよ」
ジト目をしながら時雨に忠告する。
「俺だって堂々と公然猥褻はしねぇよ。」
ならいいけどと言ってカーテンを閉める
(本当に信用ねぇな。まぁ接し方的にこの反応は当然か)
1分ほど待った後そのカーテンは開いた。
勿論、時雨が開けたのではない。
ブラウスに紺のジャケットを上から着て、下はひざ上のベージュ色のスカートのカジュアル系のコーディネイトを決めた裕香の姿がそこにはあった。
(出会った時からそうだったけど、裕香って……)
――本当に可愛いよな
その姿を見て心底そう思った。
制服姿でも十分そうだったが、こういう私服姿になると中々にうまい組み合わせも相まってさらに彼女の魅力を引き立たせていた。
「どう、かな?」
顔を赤らめ、俯きながら訪ねてくる姿はさっきまでの雰囲気からのギャップもあってさらに魅力的に感じた。
「……お、おう!いいんじゃねぇか」
一瞬言葉も忘れて見とれていたが、我を思い出してとっさに生返事をしてしまう。
だが、裕香も生返事がわからないほどに緊張していたようで、よ、よかった、と少しうれしそうにはにかんだのだった。
だが、そんな展開になったのも初めだけで、その後、何着も着替えていくうちに、少し前までの雰囲気に戻っていた。
この後裕香は下着も買いに行ったが、当然時雨はついてこさせなかった。
☆
「いつの間にか、もうこんなに暗くなってのね」
外に出ると、入ってきた時とは打って変わって星空が見える夜へと変わっていた。
明るい街灯が夜の街を明るく照らし出している。
二人とも両手いっぱいに荷物を抱えている。
「さっさと帰ろうぜ。晩飯も作ってやらなきゃならねーしな。作れない誰かさんのためにな」
「言ったな、見てなさい、アンタなんかすぐに追いぬかして、私が料理をふるまってあげるわ」
「いつになるんだよ、それ」
冗談めかして笑いあう。
街灯に照らされた道を帰る途中、ふと空を見上げて裕香は言う。
「きれいねー。いつぶりかしら、こんな景色を楽しめるなんて」
それもこれも全部時雨のおかげなんだな、としみじみ思う。
「裕香に星空を楽しむ感性があったことに驚きだぜ」
「失礼ね、あるわよ。」
そのまま歩き続けること5分、時雨たちの帰るべきアパートがその姿を現した。
今日の買い物で裕香は新たな生活がはじまるんだ、ということを強く感じていた。
「時雨」
だから改めて伝えておこうと思う。
「ん?」
この感謝の気持ちを
「その、ありがとね。これからよろしく!」
その言葉の持つ意味をなんとなくでだが時雨も理解した。
「あぁ、よろしくだ、裕香!」
このとき、時雨も裕香もお互いの距離が縮んだ気がしたのだった。
前話では、随分と多くの方が間違いを指摘くださったおかげで、なんとか正しい形で持って行けたのではないかな、と思います。
本当にありがとうございました。
今回の話を書いていて、改めて自分は麻雀の描写を書くのが苦手なんだなぁと再認識しました。
また、感想などございましたらぜひぜひお願いします。