悪徳の都に浸かる   作:晃甫

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前日譚 2

 ロアナプラに住む人間にとって、他人の便器を覗かないというのは最早不文律である。余程の好き者でもない限り、他人様の事情に首を突っ込みたがる人間はいない。下手に横槍を入れればどんな末路となるか、火を見るよりも明らかだからだ。この街の至る所に転がる火種には決して近づかない。その火種に、誰の意思が介在しているか分からないから。

 特にこの街を根城とする黄金夜会が絡んでいるとなれば、脳味噌にオートミールが詰まっていそうなそこらのチンピラであっても絶対に近寄ることはない。例え上司からの命令であったとしても、頑として首を縦には振らないだろう。

 以前の大規模な抗争が脳裏を過るのか、未だに青い顔をして膝を震わせる男たちも居る程である。

 

「だからこそ解せんな」

 

 会合からの帰路、バラライカはそう零した。

 高級外車の後部座席、左から右へと流れていく混沌とした街並みを眺めながら、彼女は会合の内容を思い返す。

 

黄金夜会(我々)に盾突く事がどういう意味を持つのか、理解していない愚か者共はこの街にそう多くない。先の抗争を知っていれば尚更だ」

「……外部組織の介入だと?」

「そこまで断言は出来ん。そう思わせることが狙いで、我々を後手に回そうとしている可能性も有る。回りくどいやり方だ、矮小な組織が好んで使いそうだな」

 

 バラライカの言葉に、隣に座っていた大男は首肯した。

 バラライカは脚を組み替えて葉巻を口にする。途端横から差し出されるライターから火を受け取り、天井へと煙を吐き出した。

 

「何処の馬の骨かは知らんが、裏で手を引いている奴が居る」

「我々をよく知る、ですか」

「正解だ軍曹。大方利権争いに敗れた有象無象の一種だろう」

 

 パッと思い浮かぶだけでもこの街の利権を狙っていた組織など両の指ではきかない。組織の大小はあれど、皆一様にこの街に目を付けていたのだ。

 香港、コロンビア、イタリア。現在の夜会を見渡しても博覧会状態である。これまでに淘汰されてきた組織を思えば、世界中の組織が関与していたと言っても過言でないかもしれない。

 

「この事をあの男には?」

「言わんさ、その必要もない。あの目は既に獲物に狙いを付けている目だった」

 

 フッと。先ほどまでと違い、バラライカは口元に薄い笑みを浮かべた。

 

「リロイ辺りにでも頼んでいたのか、それともあの男の嗅覚か。奴は直ぐにでも動き出すぞ軍曹。どんな火の手が上がるか、楽しみじゃないか」

 

 ウェイバーがどの程度の情報を仕入れているのかは分からない。だがあの会合での口ぶりを思うに、ほぼ敵の絞り込みは完了していると見ていいだろう。渦中にある男が直接動くのだ。その結果この街で広がるだろう戦禍を想像して、火傷顔は口角を吊り上げる。

 

 あの男は死神だ。

 地獄への片道切符は、とうに切られている。

 

 

 

 4

 

 

 

「っつーわけでよ、ここいらで終わりにしようかと思うんだよ」

「ハッ、せーせーするぜこっちはよ。いい加減その手の話にゃ飽き飽きしてんだ。出来るわけもねえのによ」

 

 俺の言葉に、バオは鼻から息を吐き出して磨いていたジョッキグラスを置いた。

 会合からの帰りに一杯ひっかけようとやって来たのは、街の中心部に居を構える酒場イエローフラッグ。西部劇にでも出てきそうな木製扉とテーブル、カウンターが特徴のこの酒場は、俺がこっちの世界にやってきてから頻繁に出入りするようになった場所だ。

 

 そんな酒場のカウンターに腰掛ける俺の横には、中身の無くなった酒瓶が転がっていた。

 既に空にしたボトルは二桁に届くだろうか。普段であればここまでの量を飲むこともないのだが、今日はこの酒場で酒を飲む最後の日。これまで世話になった礼も含めて、少しくらい羽目を外すのもいいかと手あたり次第に注文した結果だった。

 

「ひでーな、結構なお得意様だろ俺って。もう少しなんか無いのかよ」

 

 やけに静かな店内で、苦笑を含んだ俺の声が響く。

 

「オメエが落としてる金以上に店の修理費が積み上がってんだが?」

 

 不機嫌さを隠そうともせず、バオは新しいボトルを俺の前に乱暴に置く。

 

「大体な、見ろこの店の状況を。キリストの葬式やってんじゃねえんだぞ」

 

 ゆっくりと首を回して店内を見てみれば、ことごとく俯いている屈強な男たち。誰もが口を開かず、黙々と目の前の酒を喉に流し込んでいた。まるで酒に酔いでもしないとやっていられないかのように。

 酒場の雰囲気としては少々特殊だが、俺は静かなこの店のことを気に入っている。

 

「いいじゃないか静かで、これでジャズでも流れてりゃ言うことなしだ」

「洒落たバーが良いってンならカリビアンバーにでも行けこのボケ」

 

 カリビアンバーも酒場としてはかなり好ましい部類に入るが、いかんせん値段設定がイエローフラッグよりもお高めである。店主のオカマ野郎はあれで案外良い奴なので、たまに飲む分には申し分ないのだが。

 

「酒入るとアイツ俺のケツばっかり触ってくるんだ」

「ディッキーだからな、諦めろ」

 

 なんて他愛の無い事を話していたら、十二本目のスピリタスが空になった。

 

「お前、マジで肝臓どうなってんだ……?」

 

 バオの変人を見る目が辛い。人より多少酒に強いというだけだ。

 

「最後だからな、多少の羽目外しは大目に見てくれよ」

 

 流石の俺も今回は少しばかり酔いが回っている。ほろ酔い特有のふわふわとした気持ちの良い浮遊感が身体を支配していた。

 

「コイツとももうお別れかもなァ」

 

 ジャケットから鈍い光を放つリボルバーを取り出し、しげしげと眺める。

 黄金夜会へ加入した際、相応の武器が必要だろうとのことでバラライカに武器商を紹介してもらって作らせた特注品。スタームルガー・シルバーイーグル。

 最初はベレッタやシグなんかを進められたが、やっぱ男ならリボルバーだろとコイツを選んだ。

 ぶっちゃけルパン三世に影響されただけである。ルパンのワルサーも中々に捨て難いが、次元のあの滲み出る渋さには一歩及ばなかった。

 勿論そんなことを真正直に言えないので、構造が単純で手入れが楽だからと説明しておいた。連射性に難があるということだったので、じゃあ二挺でいいだろと安直な発想で二挺持ちである。

 

 最初の頃は二挺持ちだと再装填が死ぬほど面倒で全く使い物にならなかったのだが、そこは夜な夜なの特訓で乗り越えた。今では片手でそれぞれのリボルバーへ再装填が可能だ。

 

 まあそんな努力も、今日までになるわけだが。

 くるくるとリボルバーを縦に回す。普段ならこんな威嚇行為と取られるような真似は絶対にしないのだが、イエローフラッグで飲む最後の夜ということ、そして若干の酔いが俺の気を大きくしていた。

 静まり返った店内でリボルバーを回しながら、鼻唄なんかを奏でる。

 

「静かな夜だ」

 

 知らない人間に声を掛けるなんて普段なら絶対にしないのだが、やや感傷的になっていた俺は背後に座る悪漢たちへ無意識のうちに声を掛けていた。

 

「銃声が聞こえないってのを寂しく感じる日が来るなんてな」

 

 くるくる、くるくる。

 リボルバーを回しながら、そんな事を呟く。

 

 酔いが回って指先の感覚が鈍くなっていたことに、俺は全く気が付かなかった。いつでも応戦できるように弾丸はしっかり装填していたことなど、思考の外に飛んでいた。

 そしてそんな様々な事実が重なり合った結果。

 

 やけに聞き慣れた銃声が、イエローフラッグの店内で轟いた。

 

 

 

 5

 

 

 

 その男は、酒場に似つかない静謐な空気に困惑していた。

 上からの命令はウェイバーという男の首を獲ってくること。アルバニア・マフィアからの依頼を受けた男は、海を渡ってロアナプラへと上陸した。幸いにしてウェイバーという男の居場所はすぐに突き止めることが出来た。というか、この男は隠れるといった行為をしていないようだった。

 

 ウェイバーが居るという酒場へと足を踏み入れる。すぐにカウンターに座るウェイバーらしき男を発見したが、ここで男は違和感を抱いた。

 

(……何故、誰も言葉を発しない……?)

 

 酒場特有の喧々諤々とした雰囲気が微塵も感じられなかったのだ。それは通常の酒場では考えられない事態だった。見るからに柄の悪そうな男たちが、整然と並べられたテーブルにお行儀良く着いて酒を飲んでいるのである。

 

 脳内に幾つもの「?」マークを浮かべる男がそのまま店内に入り、ウェイバーからは離れたカウンター席に着こうと足を踏み出そうとした瞬間。男の腕はがっちりと掴まれた。自身の腕に視線を落とせば、青い顔をしてこちらを見上げるモヒカンの大男。

 その大男はやけに小声で、男にこう告げた。

 

「やめとけ、まだ死にたくはねえだろう」

「…………」

「ウェイバーだ。夜会の一翼を担うバケモンだぞ」

 

 数瞬思考を巡らせた男だったが、ひとまず情報収集が必要かと思い至りモヒカン男のテーブルに座る。カウンターの向こうに居たマスターらしき男が注文も聞かずに持ってきたバカルディには手をつけず、モヒカンの大男へと問い掛ける。

 

「何をそんなに怯えている?」

 

 返ってきたのは言葉ではなく、走り書きされた紙切れだった。

 

『ここはウェイバーのお気に入りの酒場だ。声を荒げれば殺される』

 

 そんな馬鹿な、と男は思った。声を大にしただけで殺されるなど冗談じゃない。そこまでイカレた男であるなど事前情報には無かった。

 ちらりとウェイバーへ視線を向ければ、何やら店主と会話に興じているようだった。横に置かれた酒瓶の数を見るに、かなりのアルコールを摂取しているようだ。

 

 これは、今が好機なのでは?

 そんな思考が頭を過る。

 酒が絡んで命を落とした大物の数など数えきれない。この酒場の雰囲気は予想外であったが、男の持参した銃にはサイレンサーが取り付けられている。こちらに背を向けている男であれば、何の問題もなく処理することが出来るだろう。

 懐から音もなく拳銃を取り出した男を見て、モヒカンが目を見開く。なにやら必死で無音の説得を試みているようだが、男は聞く耳を持たない。椅子を引き、ゆっくりと立ち上がろうとして。

 

「静かな夜だ」

 

 唐突に、件の男がそう零した。

 ほぼ無音の店内に、その一言はやけに大きく響いた気がした。

 

 つう、と。男の頬に一筋の汗が伝う。

 何故、今、このタイミングで。

 ウェイバーはそんな独り言を呟いたのか。

 

(こちらの存在に気が付いている? こちらを一瞥もしていないのだぞあの男は!)

 

 まさか。そんな筈はない。

 男の予想はしかし、悪い意味で外れることとなる。

 

「銃声が聞こえないってのを、まさか寂しく感じる日が来るなんてな」

 

 気付いている。気づいた上で、殺し屋である自身を挑発している。ようやくその事実に辿り着いた男は、直感的に不味いと悟った。

 ここは一旦引くべきと警鐘を鳴らす直感に従って、急いでこの場を後にしようと踵を返した、まさにその瞬間だ。

 

 やけに渇いた一発の銃声が轟いた。

 その音をどこか他人事のように、遠くに聞いていた男は、視界が横倒しになり始めたところでようやく自身が撃たれたのだと理解した。

 くるくると銃を回していただけだった筈だ。いつ、どうやって照準を定めた? いや、それ以上に。いつからこちらの存在に気付いていたのだ。

 いくつもの理解できない事象が重なったまま、男は絶命した。数秒して、後頭部の弾痕から真っ赤な液体が溢れ出す。

 

 ウェイバーは最後まで、男に視線を向けることは無かった。

 

 

 

 6

 

 

 

 ……やっちまったなあ。

 くるくると回していたリボルバーを即座にホルスタへ戻し、自嘲気味に溜息を吐き出した。

 弾を込めていたことを完全に忘れていた。危険物で遊べばそらそうなるわ。怖くて後ろを振り向けない。

 幸いにして、背後から悲鳴らしきものは聞こえてこない。突然の発砲に驚いたのか椅子をひっくり返したような音は聞こえてきたが、それだけだ。俺の背後が良く見えている筈のバオも無言でモップを取り出しただけの所を見るに、酒が零れた程度で済んだらしい。

 いや良かったよ、人に当てるような事態にならなくて。

 

「……くそ、酔いが覚めちまった」

 

 背後を振り返るのも憚られたので、テーブルに金を置いて正面奥にある裏口へと向かう。

 

「何だ、もう用は済んだってか?」

「酔いも覚めた。次へ行く」

 

 バオが何やら言っているようだったが気にせず店を出る。月明かりと下品な看板や照明に照らされた路面を歩きながら、どこか飲み直すことができそうな酒場を探す。残念なことに大抵の場所はほぼ出入り禁止みたいになってしまっているので、出来れば新しめな店があると有難いのだが。

 

「大通りはダメだな。前に粗方回ったし。バラライカと飲みに行った所は……そういやこないだ全壊したんだったか」

 

 思いつく限りの酒場を並べて見るも、今いる場所の近くで入れそうな店は思い当たらない。

 一先ずは裏通りへ入って適当に物色してみることにする。裏通りはそこまで頻繁に出入りすることもないため、まだ俺の知らない店なんかがあるかもしれない。

 裏路地に住まう人間たちから(おそらく)奇異の視線を向けられながら歩く事十分程。

 古びたアパートメントが視界に止まる。見れば二階部分に小さな看板が下げられていた。

 以前この辺りを訪れた時にはあんな看板は無かった筈なので、ここ数か月程で新しく出来た店なのかもしれない。であればまだ出入り禁止にもなっていないので、飲み直すには持ってこいだ。先程までの酔いにまだ引っ張られているのか、俺の足取りは驚くほどに軽い。

 るんるん気分で階段を上がり、外から看板が下げられていたであろう部屋へ向かう。

 

「……うん?」

 

 階段を上がって二階へやってきたは良いものの、酒場らしき看板が出されていない。

 

「営業時間外なのか?」

 

 いやいやまだ23時だぞ。大方出し忘れただけなんだろう。新人マスターなのかもしれない。この場所に店を構えたばかりであれば、そういった事を忘れてしまっても仕方ないかもしれない。

 なんて事を考えながら、俺はやけに固い店の扉を開いた。

 

 

 

 7

 

 

 

「あん? 場所間違えたか?」

 

 やけに間延びした、退屈そうな男の声。

 黒髪にグレーのジャケットを着た東洋人が、目の前に立っていた。

 その事実に、ヴァスコとゴランの二人は身体を硬直させる。

 

「……いいや、間違えてはいない。よく此処が分かったな、ウェイバー」

 

 その硬直からいち早く逃れ、そう発したのはヴァスコであった。

 座っていたソファから立ち上がり、次いでゴランへと視線を走らせる。その意図を正確に汲み取ったゴランも立ち上がり、ウェイバーと対峙する構図を取った。

 

「そうか、まあ合ってて良かったよ。他を探すのは面倒だ」

「……成程、既にある程度の場所は割っていたというわけか」

「ま、この辺の地理にはそこそこ詳しくてな」

 

 一触即発の空気が漂う。

 だというのに、目の前の男はどこまでも自然体だった。

 まるでこの程度、何でもないとでも言うように。

 

 大柄の男、ゴランはじりじりと移動し、ソファの下へ隠していた拳銃をヴァスコの足元へと蹴り飛ばした。薄暗い室内だ。ソファでゴランの足元は隠れているため、おそらくウェイバーには気付かれていない。

 この状況下だが、ヴァスコはある程度の冷静さを取り戻していた。ウェイバーが只者ではないということは分かっていたのだ。まさかいきなり本拠地に単身攻め込んでくるとは思っていなかったが、遊撃隊や張の子飼いを連れてきていないということはこれは黄金夜会としての粛清ではなく、ウェイバー個人での対応なのだろう。

 であれば問題ない。

 元よりウェイバーの首を土産にするつもりでいるのだ。計画が前倒しになる。それだけのこと。

 室内の至る所には人間一人を殺すには行き過ぎた重火器の数々が保管してある。それらを用いれば、ウェイバーなどすぐに排除することが出来るだろう。

 脳内でウェイバー殺害の手順を着々と構築していくヴァスコに呼応するように、ゴランもある程度の落ち着きを取り戻していた。逆上しやすい性質のゴランではあるが、常に冷静な相方を見て現状の危険は無いと判断した。

 背後に隠し持っていた拳銃へと手を伸ばし、ゴランはヴァスコの合図を待つ。

 

「ようこそ、歓迎するよウェイバー」

「そうかい」

 

 ウェイバーはまるで緊張する様子もなく店内に踏み入ると、室内全体をぐるりと見回した。仄かな明かりしかない室内では十分な視界を得ることは出来ない筈だが、ウェイバーはそれだけで全てを把握したようにフンと小さく鼻を鳴らした。

 

「じゃ、さっさと出して貰えるか」

 

 丸腰のまま、ウェイバーがそう言った。

 ヴァスコの視線が、ゴランへと向けられる。

 

「ええ、ええ。――――直ぐにでも」

 

 合図を受けた直後、ゴランが取り出した拳銃の銃口をウェイバーへと突き付ける。

 そして躊躇なく発砲。

 銃声が室内に反響した。

 

「……は?」

 

 ヴァスコの口から、呆けた声が漏れた。

 隣に立っていた筈のゴランがカーペットの床へと崩れ落ち、そのまま動かなくなる。

 何だ、一体どうなっている?

 物言わぬ死体へと成り下がったゴランからウェイバーへ視線を移動させれば、そこにはリボルバーの再装填を行うウェイバーの姿があった。

 

「あー、そっちが銃口向けるから反射的に撃っちまったじゃねェか」

 

 淡々と述べるウェイバーだが、ヴァスコにはいつリボルバーを抜いたのかも分からなかった。

 気付いた時には既に終わっている。そんな感覚を実際に体験することになるとは思わないだろう。

 

「そこらに隠してある武器からして、ただのチンピラで済ませる訳にもいかなそうだ」

 

 ついにはここまでの下準備を、チンピラ程度と比較される始末。

 黄金夜会の一角を引き摺り下ろし、その後釜となるべくこれまで水面下で準備を進めてきた。それが、たったの数分で崩れ去ろうとしている。

 

「悪い冗談だと思いたいが、」

「俺に銃を向けた事実は変わらねェよ」

 

 その言葉が引鉄となった。

 ヴァスコが足元の銃を拾うよりも早くウェイバーが発砲。正確にヴァスコの両膝を撃ち抜く。

 

「ガッ!?」

 

 耐え切れず膝を折るヴァスコへ向けて、ウェイバーは続けて二発。今度は両腕だ。

 頭を垂れるような態勢となったヴァスコの元へ、ウェイバーが静かに立った。

 

「目的は何だ」

「…………」

「だんまりか、俺は拷問とか得意じゃねェんだよなァ」

 

 だからまァ、とウェイバーは続けて。

 

「お前はこのままホテル・モスクワに引き渡す。楽に死ねると思うなよ」

 

 

 

 8

 

 

 

「な、俺が言った通りだろう?」

「二日どころか即日解決とは……」

 

 三合会が所有するホテルの一室。革張りのソファに腰掛けた張が楽しそうに腹心へと言った。

 ウェイバーが噂の出処を叩いてから数日。ロアナプラはこれまでの仮初の平穏を取り戻していた。

 ウェイバーを殺せば黄金夜会へ加入できるというデマもナリを潜めている。どうやらイエローフラッグでウェイバーが仕出かしたようなのだが、その場に居合わせた人間に聞いても頑なに口を閉ざしているため詳細は掴めていない。

 

「捕えた男はどうなったんで?」

「ん? ああ、バラライカの所に渡った時点でお察しだよ。今頃はアンダマン海で魚の餌だ」

 

 愉し気に張は嗤う。

 

「内の問題はこれで大方片付いた。となれば後は外だ」

「受けてくれますかね」

「受けるさ。アイツは戦禍が最も似合う。そしてそれを望んでる」

 

 手始めに、そうだな。

 

「ミャンマーに飛んでもらおうか」

 

 

 

 

 9

 

 

 

 

「ご苦労様。その場に居られなかったのは残念だけど、粗方必要な情報は手に入ったわ。聞いていく?」

「いんや。どうせ聞いても俺には荷が重すぎるだろうしな」

「あらそう? 新しい火種になるかもしれないわよ?」

「皆が皆お前らみたいな戦闘狂だと思うなよ」

 

 数日前にひっ捕らえた銀髪の男は、アルバニアに拠点を持つマフィアだったらしい。どうやら以前ロアナプラでの利権争いに敗れ、復権の為に俺を殺せば夜会加入が叶うといった噂を流布していたようだ。なんともお粗末な話である。俺を殺した程度で夜会に入れるというのであればこの街は夜会の人間で溢れ返ることになる。

 俺があの時踏み入れたのは酒場の皮を被った本拠地だったということになる。そんな偶然もあるんだなと言ってみれば、バラライカには笑われてしまったが。

 

「雨が降りそうだわ。帰るなら車を出してあげましょうか?」

「傘持ってるから要らねェ。それにここの車は目立つんだよ」

 

 そこらの商店で買い叩いた安物の傘を掲げて見せ、ホテル・モスクワのオフィスを出る。空を見上げてみれば、この街には珍しい雨雲が一面に広がっていた。

 

「こりゃ降りそうだな……、って言ったそばから」

 

 ポツポツと降り始めた雨は、即座に打ちつけるような土砂降りへと変貌した。宛らスコールのようである。一瞬でスラックスの裾から下がびしょ濡れになる。

 これはもう傘があろうが関係ないな、なんて諦観を抱きながら通りを歩く。この雨だからか通りには人の姿が無い。まさか俺が歩いてるからじゃないよな。そうだと信じたい。

 

「あん?」

 

 唐突に歩みを止めて、今しがた通り過ぎた路地裏を確認するために数歩下がる。土砂降りの為視界が悪く断言は出来ないが、

 

「子供か……?」

 

 薄汚い布切れを頭から被って、建物の陰で縮こまって雨風を凌いでいる子供らしき姿があった。

 幾許か考えて、俺はその子の元へと歩みを進めた。

 大人と子供の間であろうその少女は、どす黒い瞳を俺に向けたまま動かない。

 そんな彼女へ、俺は傘を差し出しながら。

 

「風邪ひくぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




(きっと皆さん分かってただろうけど)かませなアルバニアマフィアのお二人でした。
最初は3,000文字くらい戦闘シーンあったんですけどね、削っていったら秒殺でしたね。


「風邪引くぞ」、からのくだりは004をご覧ください。


こうしておっさんの噂は広がっていくのでした、という話。

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