28
「――――成程、そういうことか」
リロイから受け取ったデータをパソコンに取り込んで画面に表示させる。それをしげしげと眺めながら、俺は小さく息を吐いた。
画面上に表示されているのは現在の香砂会の勢力図と鷲峰組の勢力図。こうして図で見ると改めてその勢力差が分かる。鷲峰組の縄張りなんてものはほぼ無いに等しい。前組長の時の八分の一以下にまで規模が縮小されていた。
比べて香砂会は前組長の弟、香砂政巳が組長となってから縄張りの拡大が著しい。余程勢力拡大に意欲的なのか、傘下の組から半ば横取るようにして規模を広げている。
関東和平会に名を連ねる香砂会である。東京中を支配下に置いて、和平会での発言力を得ようと目論んでいるのだろう。鷲峰組の造反は、向こうにとっても願ったり叶ったりの事態だったに違いない。
こうした情報を知れば知るほど、俺の中で香砂会という組織が胸糞悪い連中の集まりなのだと感じてしまう。
子分に手を出してまでして得る地位に、一体何の意味があるというのだろう。
感情的になるのはらしくもないが、これは些か度が過ぎる。
鷲峰組がバラライカたちと手を組んだのも、元を辿れば香砂政巳が組長就任の妨害を行ったことが発端だ。それさえなければ二つの組織は今ほど関係が拗れることもなく、俺やホテル・モスクワが日本の地を踏みしめることも無かっただろう。無駄な血を流すこともなく、ここまで大きな事態には発展しなかった筈だ。
「おじさん、怖い顔してるわ」
グレイにそう言われ、一旦パソコンの画面から視線を外す。腰掛けていた椅子の背凭れに背中を預けて、小さく息を吐く。
俺は雇われの身の何でも屋だ。報酬を受け取っている以上、依頼はきちんと完遂する。これは俺の仕事をこなす上での信条だ。故に今回、例え個人的には気に入らない香砂会からの依頼であったとしても、自身の感情に左右されて仕事を放棄するようなことは絶対にしない。
鷲峰雪緒は拐う。それは絶対だ。
「ま、でもそれは依頼主が生きていればの話だけどな」
言いながらテーブルの上に置いてあった煙草を手に取り、口に咥えて火を点ける。
香砂会から言い渡された期限は三日。しかし何も期限ギリギリまで引っ張る必要はない。何事も迅速に対応したほうが後の処理が楽になる。
香砂政巳の依頼を反故にはしない。が、依頼主が死んだとなれば話は別だ。バラライカなんかはそんなのお構いなしに動くのだろうが、俺の場合はそうではない。俺を動かす人間が死んだとなれば、いつまでも報酬の出ないタダ働きに付き合う義理はない。つまりはそういうことだ。
ベッドの上ではグレイが仰向けになって枕を抱いている。ここまで彼女にはこれといった仕事をさせてこなかったが、そろそろ出番となりそうだ。そんな俺の視線の意図に気が付いたのか、目の合ったグレイは口元を歪めて嗤う。
「ねえおじさん。私、今度は
白い枕をぎゅっと抱きしめながらそう言うグレイに、俺も笑って言葉を返す。
「任せろ、とびっきりの場所を用意してやる」
俺は悪党だ。
ならば、どこまでもその身を黒く、暗く染めてゆこう。たとえ行き着く先が、虚無の地獄だとしても。
29
「ダメですボス、バラライカにも他のメンバーにも連絡が取れません」
「チッ、もう一度だ。繋がるまで掛け直せ」
純白のクロスが敷かれた四角いテーブルの上に、高級料理が所狭しと並べられる。
手前に置かれたステーキにナイフを入れながら、ホテル・モスクワ幹部の一人、ヴァシリーは苛立たしげに舌を打った。
先刻前からバラライカたちと連絡が一切取れない。これまでであれば必ず五コール以内にバラライカ、もしくはその部下からの応答があったというのに。
肉厚のステーキを咀嚼しながら額に青筋を浮かべるヴァシリーに、正面に立っていた部下の一人が進言した。
「ホテルも引き払っているし移動したところも見ていない。ここは一度モスクワに指示を仰いだほうが……」
その言葉はしかし、ヴァシリーの持つナイフが男の手の甲を貫いたことで途切れてしまう。突然の凶行に男がくぐもった悲鳴を漏らす。ヴァシリーはナイフを突き立てたまま、男の鼻先にまで顔を近付けて。
「指示を仰ぐ、なんてスカした言葉を使ってんじゃねえ。俺がやれと言ったらやるんだよ、いつから俺に意見できるようになったんだマカリュシカ」
垂直に突き立てられたナイフが、マカリュシカの手甲を抉る。鮮血が白いテーブルクロスを真っ赤に染めていく。
痛みに顔を歪める男を他所に、ヴァシリーの顔には焦燥の色が浮かんでいた。
「ックソ、あの女焚き付けやがったな。でなきゃ大頭目が俺を裏切るわけがねえ……!」
ようやっとナイフを抜いたマカリュシカの手当を施しながら、別の男が口を開いた。
「頭目、あの女がどうして俺たちをハメるんで?」
「アイツはKGBを憎んでるんだよ。KGBだけじゃねえ、GRUも高級党員層もだ」
バラライカの根幹にあるものは絶対的な力への信頼。それ以外で築かれた権力には何の意味も権限も無いと、彼女は真顔で言ってのける。
「アフガンだ、あの女はアフガンにとり憑かれてやがる。ロアナプラに行ってからは一層それが際立ってやがるんだよ、あの女にとっちゃ戦いこそが至上なんだ」
クソッタレが、とヴァシリーは吐き捨てるように言い放つ。整髪料によって整えられていた彼の髪の毛は、その焦りからか崩れ疲弊しきっているようだった。
「……大頭目はこのことは」
部下の一人が尚も口を挟もうとするが、しかしその言葉は最後まで紡がれる事は無かった。
最も早く気が付いたのはヴァシリーだ。店の外、窓の向こう側でゆっくりと停車した数台の黒塗りのセダン。それらの窓が開き、中からマシンガンの銃口が現れる。
「ッ、伏せろ!」
声を荒げた時にはもう遅い。店内の窓ガラスをぶち破って、鉛色の嵐が降り注ぐ。
この時点でヴァシリーの部下の半分程が行動不能に陥る。残った半数とヴァシリーは転がるようにして弾丸を回避し、テーブルの陰で身を低くして銃を構えた。
窓ガラスの破片が辺り一面に散乱する店内へと足を踏み入れてきたのは、サングラスを掛け白鞘を手に持つ男だった。鷲峰組若頭代行、松崎銀次である。
銀次はすらりと刀身を抜き、その鋒をヴァシリーらへと向けて。
「曽我の助六が遊びに来やしたよ……。さァ、」
――――遊びやしょう。それが開戦の合図となった。
「奴の獲物はソードだけだ! とっとと殺せッ!!」
ヴァシリーの怒号に合わせるように、部下たちが一斉に銀次目掛けて弾丸を発射する。
銀次は回避行動を取らない。ただ弾丸目掛けて、細く強靭な刃を振り翳す。
キンッ、と。驚く程軽い音と共に、発射された弾丸の一発が真っ二つになった。銀次は動きを止めず、唖然としたままの男たちの懐に瞬時に潜り込み一閃。派手な血飛沫が上がる。
周囲を取り囲まれているにも関わらず、銀次は流麗な動きで次々と相手を切り捨てていく。数分と経たないうちに、店内で息のある人間は銀次とヴァシリーだけとなった。
白鞘に付着した血液を払いながら、銀次は床に座り込むヴァシリーを見下ろして。
「おたくにゃあ聞きてェことが幾つか。先ずはそうだな、女親分とその通訳について話してもらいやしょうか」
「Подождите, я я был установлен!」
「……あァ、言葉が通じねえのか」
この男には聞きたいことがあった。鷲峰組若頭板東を殺したと思われるバラライカ。そしてその通訳の高市で出会った男。銀次の進む先にまず間違いなく立ち塞がるであろう二人だ。
だが残念なことに、目の前の男は日本語を話すことが出来ないらしい。当然銀次はロシア語など話せないし聞き取れない。握った白鞘をゆっくりと持ち上げて、心底落胆したように銀次は言った。
「使えねェな、アンタ」
30
小さな粉雪が舞う夜道を、俺とグレイの二人は並んで歩いていた。普段であれば辺り一面を照らすのは道路脇の街頭と月明かりくらいのものだろうが、この近辺に至ってはそうではない。無数の赤灯が視界の先に飛び込んでくる。警察車両だ。
今俺たちが向かっている香砂会の屋敷の周囲は、現状完全に包囲されていた。非常警戒態勢というものらしい。屋敷に出入りできるのは香砂会の関係者のみ。それ以外の怪しい人間には必ず警察が声を掛けるように指示が出されているようだ。
目の前の角を曲がって真っ直ぐ進めば屋敷の入口という場所で一旦立ち止まり、ちらりと屋敷の入口の方へと視線を向ける。視認する限り今常駐している警察官は一人、周囲には多数の警官が配備されているだろうが、この場にいない人間の事を考えても仕方がない。
いつまでもここで立ち止まっていては、もし目撃された場合に怪しまれかねない。警察がどこまでこの件を認知しているのか定かでないが、国捜なんかが出てくると面倒だ。そう思い歩き出す。角を曲がると先程見かけた警官がこちらの存在に気が付いた。
但し、こちらを訝しむような様子は見られない。寧ろ柔和な笑みを携え、足取り軽くこちらへ近づいてきた。
「どうも波野さん、今日は冷えますね」
「こんばんは高木さん、ご苦労さまです」
そう言うと警官、高木は仕事ですからと表情を引き締める。
高木というこの男は一年目の新米警官だ。一年目にも関わらずこんな危険な現場に配備されるということはそれだけ優秀なのか、はたまた新人を使わなくてはならない程に警察内部が逼迫しているのか。
因みに波野というのは俺の昔の苗字だ。レヴィやバラライカにすら教えたことはないが、流石にウェイバーなどと名乗る訳にもいかないのでそうしている。
「今日は遅いお帰りですね」
「急に買い出しが必要になりまして」
言って、片手にぶら下げていたコンビニ袋を高木に見せる。理由付けのために予め用意しておいたものだ。中にはグレイが食べるお菓子しか入っていない。
「物騒ですから、夜は十分注意してくださいね」
「大丈夫ですよ、高木さんのような優秀な警官の方が見張ってくれていますから」
「万全の警戒網を敷いているつもりですが、何が起こるかも分かりませんから」
そうですね、と相槌を打っておく。
高木とのやり取りからも分かるように、俺とこの男は知り合いである。と言っても旧知の仲だとか言うものでなく、知り合ったのはつい先日。警察が香砂会屋敷の周辺を警戒するようになってからだ。香砂政巳との面会を行うために何度か香砂会の屋敷を出入りした結果、どうやら俺たちのことを香砂会の組員であると勘違いしているらしい。
別に誤解を解く必要性も感じないし、これ幸いとばかりに利用させてもらっているのが今の現状だ。勘違いする方が悪い。
俺とグレイがこれから何をするのか全く知らない高木は、いつものように俺たちを見送った。彼に背を向けて、屋敷の門をくぐる。
時刻は午後九時。
「グレイ、用意は出来てるな」
「いつでもいけるわ」
言いながらグレイはコートの内側からMP7を取り出す。その銃口にはサプレッサーが取り付けられている。マガジンは四十連が既にリロード済だ。
サプレッサーを付けただけでも消音にそれなりの効果があるが、如何せん外は警察が彷徨いている。出来るだけ外に大きな音を漏らしたくないため、弾丸も通常弾ではなく弾頭の重量を増加させた亜音速弾を使用させている。弾道が不安定になりがちなデメリットはあるが、長距離狙撃をするわけでもなし、グレイの腕なら歯牙にもかけないだろう。
グレイが口角を釣り上げながら銃を構えるのを横目に見て、俺も懐からシルバーイーグルを取り出す。俺のリボルバーには何の消音対策も施されていないので発砲すれば即座に気付かれるだろうが、発砲しなければいいだけの話だ。早い話が威嚇の道具である。
「さて、じゃあ始めようか」
そう言って、歩みを進める。丁寧に手入れされた庭先を抜けて、正面玄関から堂々と屋内に侵入する。
「あん? あんた何しに来たん……」
玄関をくぐった先に居合わせた組員の男が最後まで言葉を言い切ることなく、グレイが頭部を撃ち抜いた。
やはり完全に音を消すことは出来ないが、この程度の音であれば誤魔化しはいくらでも利く。床に崩れ落ちる男を跨いで、更に奥へ。目指すは会談でも使用した香砂政巳の私室、この時間帯なら間違いなく居るはずだ。
「あはっ」
無邪気な嗤いを漏らしながら、グレイは手当たり次第に組員たちを絶命させていく。
俺はそんな少女の後ろに付いて、撃ち漏らしがないかを確認しつつ歩く。殺し損ねた人間が外の警察に逃げ込まれると面倒なので、座敷やトイレなんかのチェックも怠らない。
数分のうちに屋敷内は凄惨な殺戮現場へと変貌した。俺たちの後ろに築かれた死体の山は宛ら道標のようだ。一人に対して何発も撃ち込んだわけではないので血の海と形容する程ではないが、床や壁を彩る鮮血は一般人には刺激が強すぎるものだろう。
ここら一帯でも有数の敷地面積を誇る香砂会屋敷だが、片付けも含め五分程で目的の場所の前にまで到着した。
中から話し声が聞こえる。香砂政巳たちのものだ。
「あの人はまずい、本当に怒らせちゃいけねえ人種ってのは、きっと……」
「おじさん、あの人に何かしたの?」
東堂らしき声が部屋の内部から聞こえてきて、グレイが俺を見上げた。
何もしていない、というか俺は東堂にはきちんと説明したはずだ。バラライカたちなどと同格に扱われては困る、もっと可愛げのあるレベルだと。
「どうも俺は勘違いされてしまうきらいがあるらしい」
「わざとやってるようにしか見えないわ」
辛辣だな、と苦笑する。
「ロアナプラだか何だか知らねえがいけ好かねえ。あんな男のどこに警戒する必要がある」
今度は両角の声だ。つい先日グレイに銃口を突き付けられたばかりだというのに、その思い上がりは一体どこから来るのだろうか。
「両角の言う通りだ。ま、例え俺たちに歯向かってきた所で、うちの武器の数を前にゃあ何もできねえだろうがよ」
香砂政巳の声。そう言えば他の組と比べて武器の所有量が段違いだとか言っていたな。ハワイのマフィアからマシンガンも買ったことがあるとか息巻いていたが、見せてもらったのは粗悪品も良いところのコピー品。今グレイの持っているMP7の足元にも及ばない代物だった。
さて、いつまでも聞き耳を立てているわけにもいかないので、中にも聞こえるような声量で俺は発する。
「何も出来ないね。どう思うグレイ」
俺の意図を正確に理解したグレイが、ニッコリと微笑みながら続く。
「何もしなかった、というのが正しいわおじさん」
私にばかり掃除させて、と小声でそう付け足すグレイ。俺が出ると獲物を横取りされたような不満げな表情をするくせに何を言ってるんだと思わなくもない。
一度小さく息を吐いて、友人宅を訪れたような気安さで襖を開く。中に居た三人は全員が呆然としていたが、一歩踏み込むと同時にそれぞれが銃を抜いた。
が、そんな反応じゃあ遅すぎる。ロアナプラだったら抜く前に撃たれて終わりだ。
「馬鹿な、銃声なんて聞こえなかったぞ……」
俺のリボルバーとグレイのMP7を交互に見て香砂政巳が呟く。そりゃ俺は一発も撃っていないからな。グレイの方にも出来るだけの消音対策は施してあるし、何も銃だけを使用したわけではない。余りにも距離の近い人間は小型のナイフを使用して首筋を的確に切り裂いてきた。勿論グレイが。本当に俺は歩いていただけなのだ。
「さて、面倒事は先に片付けてしまおう」
言ってリボルバーを向ける。当然撃つつもりはない。ここで発砲してしまえば今まで何の為にグレイにばかり撃たせていたのか分からない。
「……どうしていきなりこんなことをしやがる」
銃口を突きつける両角が苦々しく言う。
ここで本当の事を言ってしまってもいいが、俺は敢えてそれらしいことを告げる。
「香砂さん、アンタ、ホテル・モスクワと繋がってるな」
「っ!?」
香砂政巳の表情が変わる。それだけで十分だ。
「敵対組織と協調しようとする。それは俺たちに対する裏切りだ、それは理解してるんでしょうね」
「待ってくれ、それは」
「言い訳を聞きにきたわけではない」
香砂政巳の言葉を遮って、高圧的な口調で言い放つ。状況の有利を保ったまま進めるには相手に言いたいことを言わせず、こちらの言い分を押し付けることが最も効率的だ。
内心でバラライカのような口調を意識しながら、笑ってみせる。
「我々も舐められたものだ、たかが任侠ごときが噛み付こうというのだから」
「っんだとてめえ!」
頭に血の上った両角が引鉄に手を掛ける。
しかしそれよりも早く、グレイが動いていた。
「いけないわおじさん。口を開く暇があったら先ずは手を動かさなくちゃ」
そう言い終わる頃には、既に両角の心臓に弾丸が撃ち込まれていた。何が起こったのか理解できないまま、畳の床へと崩れ落ちる。彼を中心にして広がる鉄臭い液体が、何が起きたのかを雄弁に語っていた。
「ああ、警察の応援は期待しないほうがいい。既に我々の支配下だ」
警官の中に知り合いがいるだけだけどな、と内心でのみ呟く。
「言いたいことはあるだろうが、それはいずれ地獄でしかと聞いてやる。今は先に堕ちていけ」
それが引鉄を引く合図となった。
香砂政巳と東堂が動き出すよりも早く、二人に向かってグレイが正確に射撃する。
断末魔すら響かせることなく、静かに香砂会は壊滅した。
31
「では、ロシア大使館の方以外の電話は取り次がない形でよろしいのですね。ええと、ミス・ヴラディレーナ?」
「ハイ、ドモアリガト」
ホテルの青年に紙幣を何枚か握らせて、バラライカは扉を閉めた。途端に表情が外向きのものから戦場でのものへと変貌する。
「可愛い盛りだな、あれくらいの子は」
「必要なら何人か用意させますが」
「いらん、相手とするには物足りんさ。さて軍曹」
バラライカに視線を向けられ、ボリスは届けられた書類に視線を落とした。
「はい大尉。偵察班より報告が。結集地の一部に変更の必要あり、と。襲撃ポイント2は状況赤です」
「詳細を」
「数時間前に香砂会の屋敷を何者かが襲撃、会長である香砂政巳をはじめとした組員の大半が殺害された模様。周囲は警察が厳戒態勢を敷いていましたが、犯行はその状況下にも関わらず行われたようです」
ボリスの報告を耳にして、バラライカはフッと小さく笑う。
「奴の仕業だな、まず間違いない」
「自分も同意見です大尉。日本の警察は非常に優秀だ。偵察班の報告にもありますが、狙撃ポイントを除けば周囲は完全に防御されていました。それをいとも容易く突破してみせる人間など、彼以外有り得ない」
「ウェイバーめ、先手を打ってきたか」
こちらの行動を予測して先手を打ってきた。そう言うバラライカの表情はしかし愉しげだ。
「奴め、我々が香砂会と手を組むことを知っていたのか。それとも予見していたか、どちらにせよ行動の早い男だ」
「しかし作戦に支障はありません」
「当然だ、ウェイバーが関わってくる以上、数十の策を用意している。ところでニュースは見たか軍曹」
「ええ。同志ラプチェフは実に良く働いてくれましたな」
「邪魔者も排除でき相手の戦力も測ることができる。実に効率的だ」
さて、とバラライカは一旦言葉を切る。
「香砂会が壊滅し、鷲峰組とも対立関係となった。だが我々の行動指針に変更はない、先ずは鷲峰組の血縁者、新たに組長に就任するという女を拐え」
32
考える。岡島緑郎ではなく、ロックは考える。
今自分たちが置かれている状況のまずさを。そして鷲峰雪緒という少女の危うさを。
タクシー内でカトラスを受け取りに向かったレヴィを待つ間、ロックはひたすらに思考を巡らせていた。
当初共同歩調を取っていたホテル・モスクワと鷲峰組は、バラライカが板東を殺したことで完全に敵対関係となった。雪緒が鷲峰組の関係者である以上、渦中に巻き込まれるのは火を見るよりも明らかだった。
ホテル・モスクワのやり方は絶対に変わらない。たった一年しかロアナプラに居ないロックですら、彼女たちのやり方は染み付いている。全ての事柄に暴力での解決を求める、いや暴力を用いた手段しか取らないバラライカのことだ。このまま事が進めば間違いなく鷲峰組は壊滅する。
日本という限りなく安全な地で、平穏に暮らしていた少女は絶対に関わってはいけない領域だ。
裏側の人間であるとロックは自身を認識している。だからこそ彼は表の人間が他者の手によってこちらへ落ちてくることを容認しない、出来ない。
どうすればいい。自分はどうするべきなんだ。
心の中の本心を言えば、雪緒を助けたい。こんな血腥い世界に足を踏み入れてしまう前に、彼女を陽の当たる世界へと返してあげたい。
しかし状況がそれを許してはくれない。バラライカとウェイバーがこの件に関わっている以上、火種が益々大きくなることは確実だ。そうなってはもう後には退けない。行動に移すなら今、このタイミングしかない。
「悪いロック、待たせたな」
タクシーの後部座席が開かれ、カトラスを受け取ったレヴィが戻ってくる。
「やっとこさトカレフともおさらばだ。こいつがねえと一歩も外を歩けねえ。……どうした?」
訝るレヴィをよそに、ロックは流れてくるラジオのニュースに耳を傾けていた。
『今夜未明、香砂会の屋敷が襲撃されました。犯人はその場から逃走。警察は非常警戒態勢の中捜査に当たっています』
「……始まった」
「ああ、姉御は笑いが止まんねえな。ボスとお望み通りの戦争だ」
煙草を咥えながら頬杖を突くレヴィ。
そんな彼女に向かって、ロックはゆっくりと口を開いた。
「レヴィ、やっぱりあの子のことを放ってはおけない。俺と一緒にあの子のところへ行ってくれないか」
「…………」
レヴィは答えない。ロックは尚も言葉を重ねる。
「彼女が鷲峰の関係者なら巻き込まれるのは確実だ。バラライカさんのやり方を見てきた今なら尚の事」
「ロック」
彼の言葉を最後まで待たず、レヴィは外を眺めたまま言った。
「あたしはあんたの護衛でここへ来た。あんたがそうしたいって言うなら止めたりはしねえよ。でもな、守れる命ってのにも限度がある。自分から死に行っちまうような馬鹿を、あたしは一体どうやって守ればいいんだ?」
暗にレヴィは首を突っ込むのはやめろと言っている。それはロックにも理解できた。
しかし理解することと納得することは、全く別の話だ。
「でもあの子は俺たちとは違う、普通の子なんだ……!」
「違わねえよロック。あいつはもうこっち側の人間で、姉御はロアナプラの流儀でここを片付ける。それはボスもおんなじだ、違いなんてねえ」
「だけど……」
「勘違いするなよロック。最初に言ったろ、そうしたいって言うなら止めたりしねえ。あたしに出来る最大限のサポートだってしてやるさ。だが状況は厳しいなんてもんじゃねえ。ロアナプラでだってお目にかかれねえような戦争になる可能性だってある」
レヴィは語るように、ロックを見つめたまま告げる。
「覚悟を決めなロック。ボスと姉御、あの二人に割って入ってまであの女を助けようってんなら、全てを擲ってでもやり遂げる覚悟をな」
以下要点。
・銀さん始動。
・ウェイバー、グレイ始動。
・香砂会がログアウトしました。
・姉御テンション上昇。
・ロック、レヴィ始動準備。
※本作は微勘違いものですから(小声)