Persona4 : Side of the Puella Magica 作:四十九院暁美
特捜隊一行が結界に入ると、そこは美術館を模した奇妙な画廊があった。
「な、なんじゃあこりゃあ……!?」
完二が目を見張る。歩くことをためらうほど無秩序な記憶の色彩は、おおよそ現実のものではなく、また影の作り出した心象世界とも違う。どこか陰惨な雰囲気を漂わせていた。
暁美ほむらが今まで歩んできた人生で味わった筆舌し難い負の感情、抑え込まれ沈澱した狂気の全てがここにぶち撒けられている。そんな気さえした。
「こいつは……初っ端からキッツいな」
この惨状を見るに、ほむらの精神状態はあまりにも凄惨な状態にあるといえよう。こんなまざまざと見せつけられる精神の歪さが、行く先々に続くのかと考えると、陽介は眉をしかめてしまう。悠も目眩を覚えるほどの彼女の精神構造に、キツく唇を噛み締めてしまう。
だが親愛なる仲間のため。入り口で立ち止まっている暇はない。
「……よし。みんな、行くぞ!」
覚悟を決めて、彼らは一歩を踏み出した。
右手を伸ばした先にある絆を目指して。
◇
それはまだ“世界が改変される前”、暁美ほむらの一番最初の夕暮れのたびに思い出す夜光燈の思い出。“鹿目まどか”との出会いから始まった終わりなく続く救済の迷路は、まどかの献身による世界改変という形で失敗に終わった。しかしほむらは心のどこかである可能性を模索していた。
概念となったまどかの救済を。
はたしてそれは実現した。彼女は神に叛逆する事で宇宙の支配を実現する。不安定ながらも、世界に鹿目まどかという存在を定着させたのだ。しかし、三日天下の言葉が示す通り、その世界は長く続かない。いくら世界を改変して運命を操っても、愛ゆえに盲目となった悪魔は、小さな少年と赤い魔法少女の邂逅に気づくことができなかった。
「どうしたの杏子? 押されているようだけれど……クフフッ」
「亡霊の言うことか!」
乱れ舞う槍を斬り払い、ほむらが嘲笑を浮かべる。執念深く獲物を弄ぶサメの如く、彼女は杏子の攻撃をあしらっては、わざとらしい挑発を投げつける。
見え透いた罠か。いいや、違う。
これは苛虐だ。愉悦と余裕からくる残虐な遊び心、人の運命をゴミ屑同然に扱う悪魔の退屈凌ぎでしかないのだ。
「クッ、クハハハハ……! 未だに未練を捨てきれない貴女の方が、よほど亡霊らしいわよ? 佐倉杏子」
「んだとォ!?」
「家族という幻想を捨てられない、だから貴女は失敗する。己の影を克服できても深層に溜まったどす黒い澱みは掬えない……そうよね、佐倉杏子? 」
「言うな! お前だって同じだろうにッ!」
舌戦と共に剣戟が空を裂く。ぶつかっては爆ぜる赤と黒の均衡は、徐々に傾き始めていた。
一度その身に概念を宿したほむらと、未だ不完全な魔法少女である杏子とでは、魔力に差があり過ぎる。絶対的かつ純粋な暴力が、杏子を追い詰めていた。
「さて、もう飽きたわね」
「ぐぁ!?」
轟っ。魔力が唐突に上昇したほむらの一撃、無造作に放たれた矢の1本が杏子の左腕を削ぐ。続け様、2本目の矢が右の太ももを破壊し、3本の矢が右目を掠め骨肉を抉る。
数瞬。いや、刹那にも満たない時間で杏子の身体は戦う機能を奪われた。いったい何が起こったのか、痛みが走った時には地面に伏していた。
「く、クソ……!」
槍を支えにしてなんとか膝立ちになるも、そこまでが限界だった。回復にかける時間も魔力も残されてはいない、見逃してもくれないだろう。杏子は自身の最期を悟りながらも、目の前に立つ悪魔を睨む。
「アハハッ、死に際に微笑まない者は理に導かれないと言うわよ?」
「……そうかよ。だったら、最期にお前を笑ってやるよ……」
「相変わらず減らず口は一人前ね」
「お前よりは、よっぽどマシだぜ」
そんなやり取りを最後に、杏子のソウルジェムに紫焔の鏃が突き刺さった。
死。
体験したのは初めてではない。かつて世界が改変される前、暁美ほむらがループしていた世界で幾度となく、杏子は自滅や他殺によって死を経験している。
円環の理……すなわち、まどかとさやかに触れたことで、記憶として脳裏に刻まれた幻のものではあるが、こうして今まさに死を体験するなど想像もしていなかった。
空虚に宇宙を漂う。
まどかと、さやかとの約束。暁美ほむらを守るという約束を果たせず、あまつさえ無謀を重ねた末にマミを残して逝くとは、無力なんて言葉では表せない。後悔と懺悔が目元を濡らし、自身への失望が拳を震わせる。
――このまま、アタシは消えるのか?
広大な星屑の海を漂いながら、諦観を抱いたその時だった。
『なーに泣いてんのさ、杏子』
聞き慣れた懐かしい声が、降り注いだのは。
――……さやか?
聞き違うはずもない。
背中を預け合った最愛の親友、理の従者たる騎士を自称するアイツの声だ。
――さやか、アタシ……ごめん。
『わかってるよ、全部見てたからさ。頑張ったね』
じんわりと胸の奥が温かくなる。さっきと違う感情が目元を濡らすのを感じて、杏子は安心したような苦しいような顔で暝目した。
『あたしが言えた義理じゃないけどさ、ひとりで背負い込みすぎだよ』
――ハハッ、かもな。
『ホントホント。だからさ、このさやかちゃんを頼ってくれてもいいんだぞ〜?』
――死人にどうやって頼れってんだよ?
『それもそーじゃった』
――ったく、このばーか。
数年ぶりの親友との会話は心が弾んだ。童心に帰ったような気分だった。辛いことも悲しいことも、全て溶けてなくなっていく気さえ感じた。
けれどさやかは、急に声色を変えて言う。
『ね、杏子。アンタ、このままでいいの? あのほむらにやられて、そのままでいいの?』
――んなの……!
いい訳がない。
杏子は声に出そうと口を開くが、そこから先の言葉が出ない。
『アンタは何を迷ってるの?』
鋭く突き刺さる言葉に、杏子は言葉を濁す。自分の弱さを認める難しさは知っているつもりだった。だが、言葉に出すのはやはり躊躇われた。
数秒、いや数分か。長い、長い沈黙を経てから初めて、声と呼べるものを発する。
長く溜まった澱みが槍に迷いを生じさせた。だから、心のどこかで勝てないと悟り、全てを諦めてしまっていた。
――自分はもう大丈夫だって……影を受け入れて、一歩前に進んだと思ってた……。
溢れ出した澱みが声を震わせる。あのダンジョンで向き合った影は本物だった。彼女の抱える闇の本質は拒絶への恐怖であり、喪失への恐怖でもある。誰しもが恐れること、彼女はそれに対して殊更に敏感だった。
――けどダメだったッ! アタシは……失うのが、怖いんだ。自分の手で、自分の願いで、また誰かを失うのが怖い。まだ夢に見る、父さんの怨嗟の声が、母さんとモモの悲鳴が、頭から離れないんだ……!
己の影と向き合い、その闇を認める。難しいことではあったが杏子はそれを成し遂げた。しかし人の精神とはそう上手く出来てはいない。
影を受け入れて、一歩前に踏み出す。
受け入れたからこそ容易ではない、尋常ならぬ重苦が彼女を鈍らせたのだ。誰よりも愛をを求めて、誰よりも愛に見放されたゆえに。
『そっか……ハァ、しょうがないなあ。なら、さやかちゃんが解決してしんぜよう!』
さやかは穏やかだがどこか厳しさも秘めた眼で、杏子に語りかける。
『アンタがひとりで抱え込んでる荷物、少しだけアタシが背負ってあげる。だからちょっとした最期にお願い、聞いてくれる?』
――死んだ後までワガママだな。いいぜ、聞いてやるよ。お前の望み。
『ほむらを、助けてあげて欲しいんだ』
――悪魔だって言ってたヤツをか?
『そりゃ確かに悪魔だと思ってたよ。けれどよくよく考えてみればさ、同じだったんだ。大切な人を助けたい、大切な人を守りたい。あたしとおんなじ根っこを持ってるやつなんだって。やっと気付いた、気付けたんだ』
さやかの願い。事故で腕が動かなくなった想い人の腕を直して欲しい。
ほむらの願い。親友であるまどかを魔法少女にさせないために過去へと戻りたい。
なるほど、杏子は納得して瞑目した。さやかは過去の自分とほむらを重ね合わせているのだ。いや、彼女だけじゃない。たった1人生き残ったマミも、自らの過ちで両親を失った自分も、ほむらのどこかに陰を重ね合わせていた。”暁美ほむら“はまどかだけじゃなく、知らず識らずのうちに、仲間、親友、家族なんて耳障りの良い言葉で着飾った自分たちの勝手なエゴさえも背負わされていた。
一身に愛というエゴを受けた彼女は、壊れた心を歪んだ感情で無理やり治した、ツギハギだらけの少女でしかない。
それを思えば、愛を嘯く悪魔にも堕ちよう。全ては過去の積み重ね、始まりからここに至るまでの全てが何もかもを歪め、悪魔という悍ましいモノへと変貌させてしまったのだ。
――わーってるよ。アタシだって同じ気持ちなんだ。お前の期待を裏切られるかよ。
『あたしだけじゃないよ。アンタに期待してるのは』
さやかの言葉に促されたみたいに、もう一つの声が響く。幼さの残るその声は、杏子の記憶に深く刻まれた少年に似ていた。
『ほむらちゃんをお願い。杏子ちゃん』
――……ったく。お前にお願いされちゃあキツイぜ、まどか。
宇宙から眩光が溢れて、杏子を包み込む。概念が灯した生命の篝火によって、仮面は心の鎧へ錬金されて魂と同化し、新たな姿へと生まれ変わる。
新たなペルソナの形。
“憑依型ペルソナ”へと。