Persona4 : Side of the Puella Magica   作:四十九院暁美

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第29話

 八月二十日、今日は夏祭りの日である。

 女子は浴衣を着るために雪子の家、天城屋旅館に集合してから神社に行くので、男子たちとは現地集合ということになっている。茜は自前の浴衣があるらしいので、彼女も男子たちと同じく現地集合だ。杏子とマミは少し遅れてくるらしい。

 そういうことで、夕方、天城屋旅館に集まった私たちは、用意された浴衣に袖を通していた。浴衣は全て天城屋旅館が巽屋に仕立てを頼んだものらしく、実に着心地が良い上質な肌触りである。ちなみに私の浴衣は、濃紫に彼岸花柄のもので、落ち着きのある上品なものだった。

 

「よっし! じゃ、バンザイして菜々子ちゃん、バンザーイ!」

 

「ばんざーい!」

 

「ち、千枝先輩が……」

 

「菜々子ちゃんの着付けを……っ!?」

 

「はい、二人ともバンザーイ」

 

 千枝の意外な一面に驚愕しつつ――考えてみれば、彼女は小学生の頃から雪子と接しているのだから、着付けをできるのはある意味同然なのかもしれない――、雪子に言われた通りにりせと揃ってバンザイすると、彼女は手際良く私たちに浴衣を着せて、自分もササっと浴衣を着終えてしまう。無駄がない上にとてつもなく早い。さすが、老舗旅館の娘だ。

 全員の準備が終われば、早速辰姫神社へ移動だ。天城屋旅館前からバスに乗って稲羽商店街前で降りる。

 

「はい、菜々子ちゃん。手、繋ぎましょう?」

 

「うん!」

 

 歩きにくそうにしている菜々子ちゃんの手を取り、たわいない話で盛り上がりながらからんころんと下駄を鳴らして、いつもより数倍は活気がある商店街を歩いていると、ちらほらと私たちみたいに浴衣を着た人たちが現れ始めた。

 

「なーんか、去年より少なくない?」

 

「事件のせいじゃないかな」

 

 活気付いている商店街を見て、千枝と雪子がそんなことを言う。私は去年の様子を知らないから違いがよくわからないが、どうやら事件の影響で目に見えて人が少ないらしい。こんなところにまで影響が出ているとは、まったく忌々しいことである。なんてことを考えていると、前の方に何やらものすごい勢いで手を振りながら走ってくる人影を見つけた。もしかしなくても茜だった。

 

「ほむらちゃーん! みんなー!」

 

 水色に菖蒲(あやめ)柄の浴衣を着た彼女は、実に嬉しそうな顔をして私の側に駆け寄ると、何故かぴょんぴょんしながら言う。

 

「ほむらちゃん、浴衣すっごい似合ってるね! 美人さんだよ!」

 

「ありがとう、茜。貴女も似合ってるわよ、その浴衣」

 

「ホント!? やたー!」

 

 その可愛らしい浴衣姿を褒めると、彼女はバンザイして喜んだ。いつも以上にテンションが高い。目も菜々子ちゃんと同じくらい……いや、それ以上にキラキラしている。祭りの熱気に当てられて、随分と舞い上がっているようだ。気持ちはわからなくもないのだが、もう少し抑えてほしい。あまりのテンションの高さにみんな驚いているし、履き慣れていないだろう下駄でそんなに飛び跳ねると、ステンと転んでしまいそうだ。

 

「ぁわ!?」

 

 なんて思ってると、茜がバランスを崩してこちらに倒れこんできた。まったく、世話が焼ける。

 

「……っと。もう、あんまりはしゃぐと危ないわよ、気を付けなさい」

 

 仕方ないので、私は菜々子ちゃんの手を離すと、彼女を両腕で優しく受け止めて苦笑しながらやんわりとした口調で注意した。

 

「あ、あははは……ゴメンナサイ」

 

 茜は私の腕の中で、バツが悪そうに笑って申し訳なさそうに謝罪すると、少しふらつきながら体勢を直す。そして、恥ずかしそうに頭を掻くと、みんなの方を向いて四人に挨拶をした。転んだことで気持ちが落ち着いたらしい。なんとかこの調子でいてほしいものだが、まあ、神社に着いたらまたさっきみたいになるのだろう。彼女はこう見えて割と調子に乗りやすいタイプだから、もう一回くらい注意しておいた方が良いかもしれない。

 

「茜。手、貸して」

 

「はえ? どうして?」

 

 右手を差し出すと、茜はひどく疑問げに顔を傾げながらも、差し出された手を取る。一瞬、季節外れの静電気が手に走ったが、私は彼女の手をそっと握りながら、ちょっとだけ意地の悪い笑みを浮かべてウインクと共に、こう答えた。

 

「今の貴女は、菜々子ちゃんよりも心配だから、ね?」

 

「そっかー、じゃあ仕方な……ってそれ全然仕方なくないよお!? そんなことない! そんなことないからね、ほむらちゃん! 私はっ!」

 

 納得したように頷いた茜だったが、両頬を膨らませてうーうー唸り、左手をぶんぶんと振るう。ぷんすか怒るのは良いのだが、身長のせいでどうにも小学生にしか見えない。悲しいことだが。

 

「えいっ」

 

 なんてことを考えていると、がっちりと左手を掴まれた。何事かと見れば、そこにはりせがしたり顔で私の左手を握っていた。

 

「ね、セーンパイ、私もいいでしょ? 」

 

「もう、仕方ないわね」

 

 猫撫で声で見上げてくるりせに、私は表情を緩めて彼女の手を握る。こういうのを、両手に花、って言うのだろうか。

 茜を加えた私たちは、ふざけあうのも程々にして神社へと歩き始めた。あまり男子たちを待たせては、お小言を貰いかねない。そうでなくとも、時間は有限なのだから、急ぐに越したことはないだろう。相も変わらず中身のない会話を繰り広げながら、人の増えてきた賑やかな通りを歩くこと数分、私たちは鳥居をくぐった。

 

「ほむらちゃん! お祭りだよ、お祭り! 綿あめとかりんご飴とか、焼きそばもたい焼きもあるよっ! あ、チョコバナナも! たこ焼きもあるねー!」

 

 すると、予想通りと言うべきか、境内に建ち並ぶ屋台を見た茜は、一瞬で有頂天になってしまった。最初と同じように、何故かぴょんぴょん飛び跳ねながら屋台を指差して、嬉しそうに笑っている。実に子供っぽい。菜々子ちゃんより子供っぽいのではないだろうか。まあ、それ自体は別に良いのだが、どうして食べ物の屋台ばかりを指して言うのか。これじゃあまるで、私が食い意地の張った子みたいじゃないか。

 

「なんで食べ物ばっかりなのよ。きんぎょすくいとか、型抜きとか、もっと色々あるじゃない」

 

 そう思った私が言うと、茜は心底不思議そうな顔をして、こんな言葉を返してきた。

 

「だってほむらちゃん、食べるの好きでしょ?」

 

「それは……」

 

 なるほど、茜は私のことを食いしん坊か何かだと思っているらしい。実に遺憾である。私はそんなに食いしん坊じゃない。ただちょっと、人より食べる量が多いだけだ。そう思って、反論の言葉を口にしようとしたのだが、何故だかわからないが、惨めに言い負かされる未来しか見えなかったので、そっと口を閉じることにした。

 おかしい。私はそんなに食い意地は張ってないというのに、どうしてこんなにも思い当たる節があるのだろう。やっぱりズボンがキツくなってきたのが、精神的に響いてきてるのだろうか。いやまだ大丈夫だ。お腹はまだ引っ込んでるのだから、心配する必要なんてない。キツくなってきたのは、多分、成長期だからだ。決して、決して太ってきたからではない。

 ……多分。おそらく。

 

「えと、ほむらちゃん?」

 

「わ、私はまだ大丈夫なはずよ!」

 

「へ?」

 

「あ、いや……」

 

 ものすごく微妙な顔で、つらつらとそんなことを考えていると、茜が急に声をかけてきたものだから、驚いて妙なことを口走ってしまった。いけない、これではみんなから変な目で見られてしまう。なんとか誤魔化さなくては。

 

「……菜々子ちゃん、綿あめ買ってあげる」

 

「いいの?」

 

「ええ、もちろん! 好きな柄の買ってあげる。私から、菜々子ちゃんへのプレゼントよ」

 

「わぁ! ありがとう、ほむらお姉ちゃん!」

 

 さりげなく二人の手を離すと、菜々子ちゃんに話しかける。これで誤魔化せたはずだ。そう思って安心していると、背後からみんなの話し声が聞こえてきた。

 

「ほむらちゃん、どうしたんだろう?」

 

「うん、まあ、イロイロあるんだよ……」

 

「いろいろあるよね……」

 

「食レポ……水着……うっ、頭が」

 

 全然誤魔化せてなかった。しかも伝染している。茜以外は別の意味でマズイ状況になっているが、私のせいではないので無視することにしよう。

 

「菜々子ちゃん、どれが良い?」

 

「えっと、えっと……あ、ラブリーンだ! 菜々子、あれがいい!」

 

 菜々子ちゃんの手を引いて、カラフルな袋がずらりと並ぶ綿あめ屋の前に行き、菜々子ちゃんにどの絵柄の袋が良いか訊く。彼女は、可愛らしいアニメキャラクターの絵がプリントされた袋を指差し、実に元気な声を上げた。袋に描かれていたのは、派手な髪色をした探偵っぽい服装の、いかにも女児向けなデザインをしたキャラクターだった。タイトルは "魔女" 探偵ラブリーンと言うらしい。

 

「 "魔女" 探偵、ラブリーン……」

 

 袋に書かれていたタイトルをつぶやくのと同時に、機材に反射した提灯の赤が私の目を刺し潰す。 "魔女" という言葉を口にした途端、何故だかどうしようもないくらいに景色が遠くなった。

 

「魔女……赤……」

 

 頭の奥底で何かがチリチリと音を立てて、私を塗り替えていく。意識が後ろに引っ張られて、どんどんと景色が遠くなる。私が見ているはずなのに、誰かの目を介してみているような悍ましい感覚に苛まれて、身体が自分のものではなくなってしまう。

 

「そう……邪魔を、した……」

 

 記憶が、意識が、世界が、傾く。音が、光が、思考が、閉ざされていく。

 微睡(まどろ)みに揺れる視界の片隅で深紅の槍がちらちらと踊り、私を囲う緋色の鉄格子の裂け目から純白の(かいな)がするりと伸びてくる――私は、この手の持ち主を知っている……? ――、けれど、それを遮るように噴き出た紅蓮の闇が私をじとりと覆い犯す。

 

「あの子は…… "あいつは" ……」

 

 カチ、カチ、と細針が時を刻むように意識が反転して、無意識の奥底から這い寄ってきた仄昏(ほのぐら)い気持ちが、私を乗っ取っていく。

 

「 "殺さなきゃ" 」

 

 口から漏れるか細い言葉は、果たして誰のものだろうか。私のものだったのか、それとも、別の誰かのものだったのか。判断がつかない。

 彼女がどうした? 何をした? 私は、私が、私を……?

 

「ほむらお姉ちゃん?」

 

 はたと、意識が現実を帯びる。

 気が付けば私は私で、さっきまでこの身を苛んでいたあの悍ましい感覚は、さっぱりと消えてなくなっていた。

 

「……ごめんね。ちょっと、考え事してて」

 

 僅か惚けた後、少し心配そうな表情を浮かべる菜々子ちゃんに、困惑を隠しながら努めて優しい表情を向ける。

 

「考えごと?」

 

「うん。ラブリーンって、なんだか菜々子ちゃんに似てるなーって」

 

「えっ!? そ、そんなことない、よ……えへへ」

 

 私の言葉に、菜々子ちゃんは嬉しそうに照れ笑いした。私もそれに釣られて、思わず笑顔になると、荒波沸き立っていた心がすっと凪いでいくのを感じた。子供の笑顔とは不思議なもので、人の心を落ち着かせる効果があるらしい。落ち着きを取り戻した私は、さきほど唐突に起こったあの例えようもなく恐ろしい出来事がなんなのか、今は考えないようにした。

 おそらくアレは、意識すればするほど引き摺られるタイプのものだ。深く考えれば考えるほど、どんどんと意識を引っ張られて、いつしか本当に身体を乗っ取られてしまうタチの悪い精神干渉の魔法に相違ないだろう。杏子が得意とする魔法は人の精神に干渉する魔法だから、私もこの手の魔法にはそこそこ詳しいのだ。しかしいつ、精神干渉を受けた? 怪しい気配は、今の今までどこにもなかったはずだが……。まあ良い。こうも人が多ければ、向こうも迂闊には手出しできないはず。よほど人気のないところにでも行かなければ安全だ。それに、この手の魔法は持続力がない。一時間も経てば消えて無くなる。だから、今は忘れろ。みんなと過ごすこの時間を、ただただ楽しむことに集中して、アレのことなど忘れてしまえ。

 先の現象についての考えを打ち切った私は、目を細めて彼女の頭を撫でながら、屋台のおじさんに声をかけた。

 

「すみません。そのラブリーンの綿あめ、一つ下さい」

 

「あいよ!」

 

 無精ひげを生やした綿あめ屋のおじさんは威勢良く口端を曲げると、店先に吊るされていたラブリーンの絵がプリントされた袋を一つ、菜々子ちゃんに手渡す。

 

「ありがとう、おじさん!」

 

 綿あめを受け取った菜々子ちゃんは、綿あめ屋のおじさんにお礼を言いながら頭を下げる。私もお礼と共に頭を下げ、上機嫌の彼女の手を握ってみんなのところに戻ると、何やら妙に騒がしくなっていた。吹っ切れたらしい千枝とりせが何か理由を付けて、体重なんか気にせず食べまくってやる、と息巻いているようだった。雪子も「でも食べ過ぎないようにしなきゃ」と決意を露わにしている。茜はというと、何故だか私を睨むように見つめていた。

 

「どうしたの、茜」

 

 声をかけると、彼女ははたと気が付いたように目を見開き、僅かに憂い顔を見せる。本当に、どうしたのだろうか。心配になって首を傾げた直後のこと。

 

「体重気にするほど太ってないと思うんだけどなぁ、みんな」

 

 茜は呑気な声でそんなことを呟いた。なるほど、私の身体のラインを見ていたのか。心配して損した気分である。

 さて、結局なんやかんやで時間を使ってしまった私たちは、急ぎ目に待ち合わせ場所である社の前まで向かった。

 

「ごっめん、遅くなっちった」

 

「みんなの着付けに、手間取っちゃって」

 

 千枝と雪子が男子たちに遅れたことを謝るが、何故だか誰も返事をしない。巽くんに至ってはそっぽを向いてしまっている。いったいどうしたのだろう。

 

「あ、もしかしてみんな浴衣だから、びっくりしたのかな」

 

 疑問に思っていると、茜がぽんと手を打って言う。それを聞いて私も、なるほどそういうことか、と合点がいったように頷いた。女子全員が浴衣で来るなんてこと、男子にとっては結構な大事だろう。驚くのも無理はない。

 

「歩きにくい……」

 

 菜々子ちゃんが足元を気にしながら呟くと、鳴上くんが口元を緩めて言う。

 

「似合ってるぞ、菜々子」

 

「えへへ……」

 

 それを聞いた菜々子ちゃんは、照れ笑いしてモジモジしてしまう。すると、それに便乗するように、クマも菜々子ちゃんに声をかける。

 

「ナナチャン、可愛いーよ! クマさ、ナナチャンにゾッコンラブ」

 

「えへへ、ありがとうクマさん」

 

 浴衣姿を褒められた菜々子ちゃんは、クマに照れた声でお礼の言葉を返した。なんとも微笑ましいやり取りである。

 

「ね、私たちの浴衣どう? グッときた?」

 

 ほっこりした気分で上機嫌な様子の菜々子ちゃんを眺めていると、不意にりせが男子たちにそんなことを訊く。

 

「ああ。みんな、似合ってる」

 

 彼女の問いに答えたのは鳴上くんだった。

 

「お、意外にさらっと言われちゃった。……もしかして、言い慣れてる?」

 

 彼のなんでもない感じの口調に、りせは少しだけがっかりしたように、しかし、どこか嬉しそうに笑みを零す。

 

「なんつーかこう、色っぽいよな! な、完二! ……完二?」

 

 花村くんもテンション高めの様子で巽くんに同意を求めるが、彼は私たちから顔を背けて何も答えない。どうしたのかと彼の背中を眺めていると、クマがひどく疑問そうな声で問いかけた。

 

「ねー、 カンジ。なんでソッポ向いてるクマ?」

 

「う、うっせえっ!」

 

 巽くんの返答は、妙にうわずった怒鳴り声だった。明らかに様子がおかしい。それで何かを察したのか、花村くんが呆れたように言う。

 

「まさか、恥ずかしくて見れねーとかか? 小学生かよ……」

 

「ち、ちがっ! そんなんじゃねーっスよ!」

 

 それに対しても、巽くんは明後日の方向を向いたままだった。相変わらず見た目の割に可愛らしい反応だが、このままでは将来苦労しそうだ。彼にはもう少し、女性への耐性を付けてもらいたいものである。

 

「よお、面倒見てもらってすまんな」

 

 やれやれと苦笑していると、背後から壮年の男性の飛んできた。振り向くと、そこには菜々子ちゃんの父親である堂島遼太郎が立っていた。

 

「お父さん!」

 

 真っ先に反応した菜々子ちゃんは、私から離れて堂島さんの側に駆け寄ると、買ってあげた綿あめを掲げた。

 

「わたあめ、買ってもらった!」

 

「よかったな、菜々子。よーし、次は俺と射的でもやるか?」

 

「うん! するー!」

 

 はしゃぐ菜々子ちゃんに、堂島さんは慈しむような口調で答えると、私たちにこう告げる。

 

「こっからは菜々子は引き受けよう。町が賑わうなんて、年に何度もないからな。お前らも楽しめよ」

 

 堂島親子はここから別行動するようだ。事件もさっぱり解決したことだし、家族水入らずで楽しんでもらいたいものである。

 満面の笑みでばいばいと手を振る菜々子ちゃんに、私たちも手を振り返して二人を見送ると、何やらクマが妙なことを言い始めた。

 

「夏祭りの夜、寄り添って歩く二人……なれない浴衣が着崩れて……夏」

 

「いきなり何のコピーだよ」

 

 当然、千枝がツッコミを入れる。キャッチコピーにしても、少々センスが……いや、やめておこう。

 

「これはもう、いち、いち、で歩く! クマー!」

 

「いち、いち?」

 

 どういう意味かと雪子が尋ねると、クマはまるで「クマにイイ考えがある!」とでも言いたげな顔でこんな提案した。

 

「クマ思った。夏で、浴衣で、お祭りでしょ? 異性同士がダンゴ状態でゾロゾロ歩くなんて、もはや不健康だと思うのね。人として。ここはカップルになって歩くのが大自然の摂理だね!」

 

 大自然からお仕置きされそうな意見である。まったく、何を言っているんだか。そう思って、小さく溜め息を吐いたのとほぼ同時に、りせがクマの提案に食いつく。

 

「はーい! クマに賛成!」

 

「え!? り、りせちゃん!?」

 

 まさか食いつくとは思っていなかったのだろう、千枝が焦ったような声を上げると、対してりせは呆れた口調で説得を始めた

 

「もー、先輩たち……浴衣はなんのため? 思い出作るためでしょ? じゃ、早速 "いちいち" で組み分けましょ」

 

「こ、この子どんどんスゴイ……でもそっか、思い出か……」

 

「わ、私はいいかな。あ、今の "いい" は、その……参加」

 

 りせの説得を受けて、千枝も雪子も納得してしまった。……私も男女ペアで歩くのは、まあ、吝かではない。が、そもそも男子と女子の人数が合わないことは、言っておくべきなのだろうか。私と一緒になったら、多分茜も付いてくるが……いや、これは男子的には嬉しいことだから、別に良いのか?

 

「なんだか楽しそうなことになってきたねー」

 

 のほほんとした様子で茜がぼやく。もしかしたら目の前の男性陣のうちの誰かと、一緒に夏祭りを回ることになるというのに、そんな調子で良いのか、茜。

 

「じゃ、じゃさ、そっちで適当に組み合わせ考えてよ」

 

「マジ? 俺ら決め?」

 

 男子たちに丸投げする千枝に、花村くんは困惑した声を上げつつも、私たちから距離をとって円陣を組んだ。

 いったいどういう組み合わせになるのだろうか。少し楽しみではあるが、やはり不安の方が大きい。今だって、巽くんが叫んでいるように見える。どうせ、クマが何かやらかすんだろう。

 

「けってーい! クマがみんなといくよー!」

 

「やっぱりね……」

 

「え? え? どういうこと?」

 

 予想通りすぎて溜め息も出ない。茜が不思議そうに訊くと、クマはキラキラオーラめいた妙なものを発しながら言う。

 

「あのね、女の子の数が多くて、仲間外れになる子が出ちゃうから……クマはそんなのツライし……」

 

「馬鹿なこと言ってんじゃないの」

 

「おうっ!?」

 

「ほら、さっさとジャンケンでもなんでもして決めなさい。あ、私は省いていいけど、茜はちゃんと入れなさいよ」

 

 クマの脳天に軽くチョップを入れると、私はブーブー文句を垂れる彼を追い返した。もっともらしいことを言ってはいるが、下心が見え見えだ。まったく、油断も隙もない。

 

「おお、さっすがほむら先輩!」

 

「ほむ母さん……んふ、ふふふふ」

 

「ちょ、ちょっと雪子……くくっ」

 

「ほむ母さん……ほむらちゃんがお母さん? ……んん?」

 

 何か聞こえたように思えたが、やっぱり気のせいだった。私の記憶には何もないな。

 しばらくすると、どうやらペアが決まったらしく、クマが何やら騒ぎ始める。さて、いったい誰が誰とペアになったのか、見るのが少し楽しみだ。と考えていたら、何故か私のところに顔を赤らめた巽くんが寄ってきた。

 

「どうかした? 巽くん」

 

「え、ええっと……」

 

「ああ、もしかして茜とペアになったの?」

 

「ち、違うっス」

 

「……? じゃあ、貴方は誰と?」

 

「あ、暁美先輩と……ス」

 

「……ええ?」

 

 これは予想外だ。まさか、私が巽くんとペアになるとは。しかし、だとするなら茜は誰とペアになったのだろう。それに、私を含めるということは、誰かが溢れてしまっているはずなのだが、どうなったのだろう。困り顔で辺りを見回すと、千枝と鳴上くんのところにいた。

 

 え、なんでそこに?

 

 そう思ったのも束の間、私の視線に気が付いた彼女はニコッと笑った。

 

「あ、ほむらちゃん。私のことはいいから、二人で楽しんでね」

 

「ええ……? ……ええ!? いや、ちょ、え? どういうこと!?」

 

 てっきり一緒に来るものだと思っていたは私は、突然の事態にひどく狼狽してしまう。なんかもうわけがわからなくなって、胸の前で両手をわちゃわちゃさせながらも茜に問いかけると、彼女は少し悩んだ後に平然とこう答えた。

 

「うーんと……。さすがに、ほむらちゃんの食欲には、ちょっとついて行けそうにないから……」

 

「え゛……」

 

 グサッとくる一言を受けて、ついに私は完全に動きを止めてしまう。

 

「えと……じゃあね、ほむらちゃん。二人で仲良く! ね?」

 

 茜は両手を胸の前でぎゅっとしてどこかぎこちない笑顔を見せると、千枝と鳴上くんと一緒に奥の屋台に歩いて行った。

 

「あ、集合二時間後にここだかんな、遅れんなよー!」

 

 花村くんはみんなにそう呼びかけると、りせとともに歩いていく。雪子とクマも、私たちに意味深な視線を向けてから、どこかへと去っていった。後に残ったのは茫然自失の私と、どうしたら良いのかと困惑している巽くんのみである。

 まったくなんなんだこの状況は。なんなんだこの例えようのない感情は。ものすごくモヤモヤするし、消失感スゴイし、とんでもなく悲しくてむかっ腹が立つ……ホントになんなんだこれは。ていうか、なんで私がこんな目に遭わなければならないんだ。

 

「あ、暁美先輩……?」

 

「……行きましょう、巽くん。なんだか色々と食べまくりたい気分なの、私」

 

「先輩のヤケ食いはシャレになんねぇっスよ……」

 

「失礼ね! 私はまだ常識的な量でしょう!?」

 

「俺より食うのが常識的かよ……」

 

「あーもう! ほら、行くわよ! 今日という今日は食い漁ってやるんだから! 屋台制覇してやるわ!」

 

 巽くんの呟きで完全にいきり立った私は、この処理できない感情を食べることで発散することにした。こういう時は食べるに限る。何故なら、食べた分だけ幸せになれるからだ。というわけで、まずは手近な屋台から制覇していくことにしよう。

 

「お好み焼き……この大きさなら、少なくとも二枚はイケるわね」

 

「フツーに俺の顔くらいあるんスけど」

 

「おじさん、お好み焼き三つください。あ、巽くんも食べるからやっぱり四つで」

 

「ちょ!? 一個で充分っスよ!」

 

「あらそう? じゃあ、やっぱり三つでお願いします。……うん、お祭りと言ったらお好み焼きよね。あと、焼きそばと焼き鳥に、ついでにイカ焼きに焼きとうもろこしも買いましょっと」

 

「聞いてるだけで胃もたれしそうだぜ……」

 

「巽くんは? 何個食べる?」

 

「いや、これだけでいっス……」

 

 屋台を巡り食べ物を買い揃えると、両手にたくさんの食べ物を持ち、口にフランクフルトを加えて鼻歌交じりに歩き始める。さて、まずはどの屋台で遊ぼうか。射的、型抜き、輪投げ、金魚すくいにヨーヨーすくい。どれも楽しそうで目移りしてしまう。

 ……よし、ここは定番の射的だ。

 

「お、射的するんスか?」

 

「ほむ……ひゃへひへひょうふよ」

 

「勝負か……へへっ、先輩だからって手加減はしえっスよ!」

 

「ろほむほほろお」

 

 食べ物を一度左手に集めてから、屋台のおじさんにお金を払ってコルク銃を受け取り、目の前のトレーに置かれたコルク栓を、一つ一つ丁寧に、上下の向きを揃えて一列に並べていく。弾は全部で七発、ラッキーセブンだ。

 

「うっし! じゃ、どっちがあのぬいぐるみを落とせるかの勝負、ってことで」

 

 そう言って、巽くんはひな壇の最上段に並べて置かれた、二股に別れた青いトンガリ帽子を被っている雪だるま (?) の人形を指差す。

 

「そうだ。負けた方が罰ゲーム、なんてどう?」

 

 そんなことを訊きながら、私は身体を横にして右腕を折り曲げ、片手撃ちの姿勢をとった。

 

「ば、罰ゲーム……内容は、どうすんスか」

 

 巽くんも両手で銃を構え、肩撃ちの姿勢をとる。

 

「そうねぇ……じゃあ、定番の "負けた方が勝った方の言うことをなんでも聞く" で」

 

「な、なんでも……?」

 

「そ、なんでも。鼻メガネで町内一周だろうがなんだろうが、問答無用で言うこと聞かなきゃいけないの。ふふっ、楽しそうでしょ?」

 

「そ、そそそうっスね!」

 

「……?」

 

 なんだか巽くんの様子がちょっとおかしい。多分、自分が鼻メガネで町内一周しているところを想像でもしたのだろう。

 

「三、二、一、ゼロ、で始めるわよ、いい?」

 

「う、ウッス!」

 

 右手を伸ばし、銃口をぬいぐるみの額に向ける。巽くんには悪いが、全力で勝ちにいく。慈悲はない。

 

「三……二……一……ゼロッ!」

 

 私の声と同時に、二つ、ポンと乾いた音が響く。初弾は少ししたにズレて、眉間に当たった。狙いをもう少し上に向ける必要がありそうだ。そう思いながら、トレーに並べたコルク栓の一つに銃口を合わせてグッと押し込み、銃口に詰める。そして、スナップをきかせてコルク銃をグルンと回し、華麗なガンスピンを披露、観客が歓声をあげる中、得意げにレバーを引こうとしてはたと気がつく。

 

 片手じゃレバーを引けない……。

 

 マズイことになってしまった。自分から勝負を仕掛けた上、やる前からあんだけカッコつけてて罰ゲームまで用意したのに、一発撃っただけでそのまま何もできずに負けました、とかなるのはなんとしても避けたい。このままだとものすごくカッコ悪いじゃないか、私。

 

「あのー……」

 

 どうやってレバーを引こうかと考えていると、巽くんが何やら気まずそうな声で呼びかけてきた。

 

「何、巽くん?」

 

 まさか、レバーを引けないのがバレてしまったのか。そんな不安を抱きつつも、クールな笑みを浮かべて視線を隣に向けると、ぬいぐるみを持つ彼の姿があった。

 

「……なるほど、そういうことね」

 

 一瞬の沈黙の後、私は笑みを浮かべたままコルク銃をトレーの横に置いて、巽くんに背を向けるとその場にしゃがみこみ右手で顔を覆った。

 すごく恥ずかしい。もう、なんか叫びたいくらい恥ずかしい。あんだけドヤ顔して余裕ぶってたのに一発で負けるとか、恥ずかしすぎて死にたい。悔しくて堪らない。ああもう、身体は熱いし手足の震えは止まらないし、とにかくもう消えてなくなりたい……。

 

「……なんかスンマセン」

 

「くっ!」

 

 いつか必ず仕返ししてやる。そう決意して、フランクフルトにかぶりつく。フランクフルトは、何故かしょっぱかった。

 悔しさに歯噛みしつつ弾を全部撃ち尽くすと、私たちは手持ちの食べ物を片しながら場所を移した。

 

「……暁美先輩」

 

「むぅ……」

 

 神社の右側、中央に設置されたいくつかのテーブル席を囲うように、型抜きやクジ引きの屋台が軒を連ねる砂利が敷かれた広場の片隅で、もそもそとイカ焼きを頬張る私は、隣に立っている巽くんの呼びかけにそんな唸り声みたいな返事をする。

 納得いかない。なんであの大きさのぬいぐるみを、一発で落とすなんて納得いかない。というか、勝負の前に「片手じゃレバー引けないんじゃないですか」とか言ってくれれば良かったのに。なんて考えていたら、イカ焼きを食べ終わってしまった。あれだけあった食べ物も尽きたし、これ以上巽くんを困らせるのは止めた方が良いだろう。

 

「た、巽く……ん?!」

 

 少し気まずい顔をしながら、勢いよく巽くんに顔を向けると、目の前に白い塊が現れた。驚いて僅か後ろに仰け反った私は、ピタリと動きを止めてしまう。そして、それから一瞬の間をおいて、彼はおそるおそるといった様子で私に問うた。

 

「その……こ、これでなんとか機嫌直してくんねースかね……?」

 

 目をパチクリさせて白い塊を観察すると、さっきの射的で落としたぬいぐるみだった。どうやら彼は、これをプレゼントすることで機嫌を直してもらおうと思ったらしい。なんだか気が抜けてしまった私は、ふっと笑みを浮かべてそれを受け取ると、両手で抱きかかえつつ彼に言う。

 

「ありがとう、巽くん。嬉しいわ」

 

 すると、私の言葉にホッとしたのか、巽くんは気恥ずかしそうに笑った。

 ぬいぐるみをもらっただけで上機嫌になるなんて、なんだか子供っぽいなと自分でも思ったけれど、人からの贈り物というのは想像以上に嬉しいもので、どうしても笑顔になってしまう。このぬいぐるみは、机の上に飾っておくことにしよう。

 

「ところで、罰ゲーム、何にするか決めた? あんまり無茶なことはできないけど……なんでも言うこと聞いてあげるわ」

 

「えと……マジでいいんスか?」

 

「もちろん。そういう約束でしょ?」

 

 そう言えばと罰ゲームのことを訊くと、巽くんは何やらものすごく言いにくそうな感じで、顔を赤らめながら視線を右往左往させた。彼のことだから、変なお願いはしてこないとわかっているけれど、いざとなるとなんだか少し身構えてしまう。長い沈黙の後、意を決したように彼は口を開いた。

 

「……じ、じゃあ……ふ、服を……作らせて、ほしいんスけど……」

 

「え? 服を?」

 

「その……前から、服とか作ってみてーなって、思ってて……う、上着だけで、いいんスけど……」

 

 そのお願いに、私は再び目をパチクリさせてしまう。まさか "服を作らせてほしい" とお願いされるなんて、まったく予想もしていなかったのである。しかし、悪いお願いではない。彼のセンスと裁縫スキルの高さを知っている身としては、むしろこっちからお願いしたいくらいくらいだ。

 

「ダメっスか……?」

 

「良いわよ」

 

「いいんスか!?」

 

 巽くんのお願いを承諾すると、彼はずいと私に顔を寄せ興奮した様子で訊いてきた。

 

「え、ええ……」

 

「ッシャァ!」

 

 若干後ろに身を引きながら答えると、彼は嬉しそうに渾身のガッツポーズを披露する。まさかそこまで喜ばれるとは思わなかった私は、嬉しいような恥ずかしいような、複雑な気分になった。だが悪くない。

 

「とびっきり可愛いヤツ作りますんで、期待しててくださいよォ!」

 

「ふふっ、期待してるわ」

 

 この様子なら、きっと素晴らしい服ができるだろう。どんな服ができるのか、今から楽しみだ。

 それからしばらく、巽くんと適当に屋台を回って遊んでいた私は、ちょっと疲れてきたので、休憩がてら広場の中央に設置されたテーブル席に座って、彼との談笑に耽った。

 

「ふぅ……たくさん遊んだわね」

 

「そうっスねー。つか暁美先輩、結構不器用だったんスね」

 

「私が悪いんじゃない、すぐに破れる紙が悪いのよ」

 

 膝上に乗せたぬいぐるみを、両腕でひしと抱きしめながら、中身のない会話を繰り広げる。どうにも口が止まらなかった。さっきまでずっと歩きっぱなしの動きっぱなしだったというのに、よくもこんなに舌が回るなと自分でもそう思ったが、それはきっと、今が楽しいからなんだろう。そうでなければ、こんなにも心がうららと躍ったりなんかしない。もういっそのこと、このままずっと談笑に興じていたいくらいである。

 けれど、楽しい時間というのはあっという間に過ぎてしまうもの。ふと腕時計を見れば、もう集合時間が迫っていた。

 

「そろそろ時間ね、行きましょうか。……あ、その前にりんご飴と綿あめ買ってもいい?」

 

「ま、まだ食うんスか……?」

 

「甘いものは別腹なのよ」

 

 そう言って私は、ぬいぐるみを抱きかかえたまま椅子からすっくと立ち上がり、巽くんと一緒にりんご飴と綿あめの屋台がある通路へ行こうと、一歩足を踏み出した。

 

 その直後。

 

 すぐ目の前に、紅い目をした黒猫がいることに気が付いた。急なことだというのに、いったいいつからここにいたのか、どこから来たのかなんて疑問は、何故か湧かなかった。

 

「ん? どうしたんスか、暁美先輩」

 

 急に動きを止めたことを不審に感じたのか、巽くんが私に声をかける。

 返事をした方が良いのだろうとそう思ったが、意思に反して身体がいうことを聞かない。私の視線は黒猫の双眸に縫い付けられ、瞬きもできない。声の一つすらも、出すことができない。あれだけうるさかった世界が、虚しい静寂に包まれる。あれだけ輝いていた世界が、色褪せた白黒写真みたいに灰色で染まる。全てが超然と隔離された世界に、落ちていく。

 不意に、黒猫が立ち上がって、何処かへと歩き出した。それと同調して私の足も動き出し、何かに誘われたかのように黒猫の後を追う。呪わしいほどの嫌な予感が、足元からねっとりと込み上げてきた。まるで、断頭台に向かって歩いているような、陰惨とした空気が私の身体を冷たく包み、そして、周りの景色を景色と認識できなくなるほど、私の視界が混濁した。

 鈍色をした世界の中、ぼんやりとした黒猫の背を追いかけていくと、ピタリと黒猫の歩みが止まった。

 いったいどれくらい歩いたのだろうか。ほんの短い距離だった気もするし、途方も無いくらいに長い距離だった気もする。巽くんはまだ側にいるのだろうか。

 朦朧した頭で考えていると、誰かの声が遥か遠くから響いてきた。その声はだんだんと大きくなっていき、同時に景色もクリアになっていく。意識を僅かに外へ向けると、私が立っているのは、神社の裏手にあるまったく人気の無い入り口付近らしかった。

 

「ねえ、もうやめましょう……これ以上は、無理よ」

 

「わかってる! わかってるけど……!」

 

 ハッと、目を見開く。今の今まで姿すら見かけなかった、杏子とマミが、そこにいたのだ。二人は向かい合って何かを話しているようで、杏子は悲痛な顔で、マミは憂い顔で言葉を交わしている。いったい、何を話しているのだろうか。そっと、二人の会話に意識を向けた。

 

「いつか取り返しのつかないことになる……本当に引き返せなくなるわよ…… "杏子" 」

 

「ダメだ。やめたらあいつが…… "ほむらが消えちまう" 。またあの時みたいに、円環の――」

 

 私が、消える?

 

 呼吸が浅くなっていく。脳髄を犯すように、頭痛が思考を苛む。身体が熱を帯びる。心が冷たくなる。身体が強張り、何もできなくなる。

 

「けど、あの子は折り合いがついたって言ったんでしょう? ならもういいじゃない。今日だって、あの子は楽しそうにしてた。心から、この祭りを楽しんでたじゃない。……あれも、ウソだって言うの?」

 

「違う……違うんだよ、マミ。そうじゃないんだ。あいつはもう "ほむら" なんだ。ペルソナに目覚めた瞬間、あいつはほむらになったんだ。 "消したほむら" とも "あたしたちが見知ったほむら" とも違う、別の――」

 

 消した、私?

 

 頭痛が、鋭さを増す。思わず両手で頭を押さえるが、立っていられないくらい全身が震えて、ついにがっくりと膝を折ってしまう。

 

「自分と向き合う覚悟ができたって、そういう意味で言ってたんだ。 "あたしが作った世界" で、 "あたしが作った過去と向き合う" って、そう言ったんだ。あいつと別れる時に――」

 

 何を言っているんだ? 何が起きているんだ? 私に何をしたんだ? 私に何を隠しているんだ?

 

「じゃ、じゃあ……!」

 

「気が付いてる……あいつは自分が、あたしに――」

 

 わからない……もう聞きたくない! 私は私だ、私は私なんだ、私は私以外の何者でもないんだ、私以外の私なんているはずがない! 私の記憶は私のものだ、誰かに作られたわけじゃない!

 

 頭を振って、忌まわしい考えを排しようとする。二人の会話を聞かないように、意識の扉を閉じた。けれど、そんな私を嘲笑うかのように、カチ、カチ、と意識が傾いて、私の心の悪魔がそっと怨嗟を(うそぶ)いて希望を打ちのめす。

 

『じゃあ、どうしてお前の記憶は、日に日に薄れているの? 本物ならそんなこと起きるはずない。本物なら、自分が願った奇跡がわからないなんてことはありえない、大切な "あの子" との思い出を忘れるはずない、 "あの子" を嫌いになるわけがない。そもそも記憶を失うなんて、本物ならばあってはならないこと……つまりお前は、暁美ほむらの皮を被った偽者。似ても似つかない紛い者。できの悪い作り者なのよ』

 

 声が脳内に反響して、頭痛がいっそう激しさを増す。カチ、カチ、と無機質で悍ましい音が私を侵食していく。景色が、音色が、世界が、暗くなる。

 

 なにもみえない、なにもきこえない、なにもわからない、わたしはどこへいこうとしているんだろう、わたしはなにをしようとしていたのだろう、わたしはどうなってしまうのだろう。

 

 途切れそうな意識を必死で繋ぎとめて、何かに縋ろうと手を伸ばす。自分がどんな体勢で、どんなことをしているのか、もうわからなかったけれど、その手は空を切って地面へと垂れたことはわかった。

 身体が、意識が傾く。思考が途切れる。

 暗闇に、落ちる。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 杏子とマミがその存在に気が付いたのは、完二の必死な声を聞いた時のことである。

 二人がはたと声が飛んできた方を見れば、完二の腕の中で苦悶の相を浮かべるほむらの姿が、そこにあった。今の話を聞かれたのだと悟るには、充分すぎるほどの光景である。それを見止めた瞬間、二人は反射的に駆け出した。

 

「き、杏子せんぱ――」

 

「退けッ!」

 

 真っ先にほむらの元へと辿り着いた杏子は、完二からほむらを引ったくるようにして奪うと、すかさず右手を彼女の頬に当てて魔力を流し込む。紅い魔力に当てられて、ほむらの苦痛に満ちた表情が、強張っていた身体がみるみると安らぎ弛緩していく。数秒も経つと、彼女は穏やかに寝息を立て始めた。

 

「あ、暁美先輩は!? 大丈夫なのかよ?!」

 

 何が起きているのかわからない完二は、半ば怒鳴るような口調で問う。すると杏子は、慚愧と悔恨の情が入り混じった声でポツリと言う。

 

「ああ……これで大丈夫だ」

 

 それを聞いた完二は深い安堵の息を漏らし、杏子に対して何か言おうと口を開いた。その直後のこと。ふっと意識が遠のいて、彼は眠るように気を失った。

 

「ごめんなさい。…… "ほむら" のこと、よろしく頼むわね」

 

 地面に倒れ伏す完二に、マミは静かに告げる。杏子は黙ったまま、ほむらの頬をそっと撫でてから、彼の頭に手をかざして魔力を流し込む。

 

「頼むよ……本当に」

 

 杏子はマミと同じように、彼に静かな声でそう告げると、魔力を流すのをやめた。次にほむらと完二が目覚める時、今のことは憶えていないだろう。思い出すことも、おそらくはないだろう。

 

「あたしたちじゃ、ダメだったけど」

 

「貴方たちなら、きっと……」

 

 二人の呟きは木々のざわめきに溶けて、この場にいる誰の耳にも届くことはなかった。


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