Persona4 : Side of the Puella Magica 作:四十九院暁美
7月9日。
私は、自室に設置されたテレビの前で、マヨナカテレビが始まるのを待っていた。
昨日から降り続いた雨の所為で、町には濃い霧が発生している。現在の時刻を確認すると、午前0時ちょうど。マヨナカテレビを見る条件が揃った。
ザザザッという耳障りな音と共に、マヨナカテレビが始まる。しかし、テレビには誰も映らない。久慈川りせを救出したことで、犯人の今回の犯行を阻止できたようだ。今夜はいつも以上に熟睡出来るだろう。
次の日。遠くから響くサイレンの音で、いつもより少し早めに目を覚ました私が寝惚け眼でコーヒーを飲みながら特に面白くもないニュース番組を眺めていると、携帯に電話がかかってきた。
こんな早くに誰だろうと少しだけ不機嫌になりつつも電話に応答すると、花村くんが酷く焦った様子の声で衝撃的なことを告げる。
『し、商店街のはずれで、死体が見つかった!』
「……なんですって?」
一瞬にして、眠気が吹き飛んだ。まさか、そんな馬鹿な、ありえない。様々な言葉の羅列が、私の脳裏を駆け抜ける。
とにかく落ち着け、と心中で自分に言い聞かせながら何があったのかを彼に問う。
「どういうこと? 久慈川りせは助け出した筈でしょう?」
『分かんねえよそんなの、俺が訊きてーよ! ああ、クソ! なんだってこんな……っ!』
「落ち着いて、花村くん。現場には私が行く、貴方はみんなに連絡してちょうだい」
『……分かった、何かあったら連絡くれ』
「ええ、それじゃあ」
花村くんとの通話を切り、急いで制服に着替えると外へ飛び出す。
全力で町を駆け抜け遠く聞こえる喧騒へと向かって行くと、複数のパトカーと救急車に騒めきうごめく人集りが前方に見え始める。
人集りの最後尾に着くと荒い息のまま現場を見渡す。現場は閑静な住宅街に建つ1棟のアパートだ。既に遺体があったらしい屋上はブルーシートで覆われており、警官たちが声を張りながら現場の保存に勤めているのが見えた。
来るのが一足遅かったか。そのことに舌打ちをしながらも、足から魔力を地面から流し込んで救急車に運ばれているであろう遺体の探知、解析を行う。
「な……っ!?」
しばらくして被害者が分かった瞬間、私は思わず声をあげて驚いてしまった。
何故なら、殺された人物は "諸岡金四郎" だったからだ。死因は鈍器で頭部を殴られたこと、つまりは撲殺。今までとは違い、人の手によって殺された後がくっきりと残っていた。
どうして諸岡が殺されたのだろう。彼はマヨナカテレビに映っていない。殺される理由は無いはずだ。一体何が、どうなっているのだろうか。……1人で考えていても仕方が無い。とにかく、今はこの事を彼らに伝えるのが先だ。
若干震える手で花村くんに電話をかけると、2回コールが連続した後彼の携帯に繋がった。
『暁美! 何か分かったのか!?』
「……ええ、被害者が分かったわ」
『誰だ、誰が殺されたんだ!?』
「……諸岡、金四郎よ」
『は!? な……嘘だろ、オイ!? なんでモロキンが!?』
ひどく狼狽した様子の花村くんに、私はひとまず話は合流してからすると伝えて電話を切ると、ジュネスに向かって走り出した。
まだ朝だからか人が殆どいないジュネスのフードコートに着くと、いつもの場所に制服姿でたむろする彼らをすぐに見つけて側に駆け寄る。
「ごめんなさい、遅れたわ」
「いや、俺らもさっき着いたとこだ。それより、殺されたのモロキンってマジなのか!?」
息を切らせてそう言うと、花村くんはすぐに話を切り出す。私は少し呼吸を整えると、彼らに情報を伝えた。
「ええ、間違いないわ。現場を魔力で解析したんだもの。おそらく、頭部を鈍器で強打された事が死因、撲殺よ」
「ぼ、撲殺!?」
「テレビん中入れられたんじゃねーんスか!?」
「……多分、ね」
予想だにしない事態に、全員が驚いて声をあげる。彼らの言葉に私は簡素にそう答えると、ここへ来るまでに考えていた予測を話す。
「犯人は気が付いたのよ。テレビに入れても、もう誰も死なない事に。誰かが自分の邪魔をしている事に。考えてみれば、テレビに入れて殺した筈の人間がのうのうと生きてるなんて、普通は気が付くでしょう。テレビで報道された人間がターゲットにしてるなら、尚更よ」
「まさか……テレビの中に入れても死ななくなったから、自分で殺したってのか!?」
花村くんが怒りを露わにして言う。
もし本当にこの理由だとしたら、あまりに身勝手だ。到底許されるものでは無いだろう。
「けど、どうしてモロキンが殺されたんだ? 夜中の番組も、普通のニュースも、諸岡が出てるとこなんて見た事ないぞ」
「それは……どうなんでしょうね」
鳴上くんが訊いてくる。
彼が言ったように、殺された諸岡はテレビには出ていない。では、何故諸岡は殺されたのだろうか。
現状で考えられる動機として妥当なのは私怨だが、どうにも微妙にしっくりこない。学校内で、諸岡は生徒から蛇蝎の如く嫌われる程に厳しいが、ある程度校則を守って生活していれば実害は殆ど無いし、諸岡から停学や退学を宣告されても周りの教師がそれを止めるから、本当にそうなる事など "普通" はまず無い。確かに授業の度に名指しでああだこうだと嫌味を言われる事はあるが、 それだって「あれはそういう奴だから仕方ない」で終わる話だ。いちいち気にしていてはきりがないだろう。
無論、学校外でもその評価は変わらない。この町にいる人々の大半は八十神高校に通っていただろうし、こんな狭い町にあんな険悪で陰湿な教師がいればすぐに知れ渡る。今更周知の事実を問題に挙げるなど、それこそ問題外というものだ。
それに諸岡を殺した理由が、雪子と巽くん、そして私と久慈川りせをテレビに入れた理由に繋がりを見出せない。もし私怨で繋がっていた場合、不良である巽くんはともかくとして、雪子と私と久慈川りせが恨まれる理由が見当たらない。山野真由美と小西早紀については知らないが、考えてみればこの2人は女子アナと普通の女子高生だ。恨むにしてもあまりに関連性が無さすぎる。
となれば愉快犯の線だが、これはまずありえないだろう。何故なら、これまでの犯行が全てマヨナカテレビを観る為のものだと仮定した場合、彼らから聞いた小西早紀が映ったというマヨナカテレビは映像がかなり不鮮明かつ、久慈川りせのようにバラエティチックな作りでもなかったらしい事から、山野真由美が映ったであろうマヨナカテレビもまた不鮮明なものだったと予測出来る。マヨナカテレビを見るのが目的なら、山野真由美を入れた後に小西早紀を入れる理由が無いという訳だ。それに、そもそもマヨナカテレビを見るのが理由なら諸岡を外で殺す意味が無い。元からこの説は破綻している。
「……なんか、おかしくないか? 今回の殺人。今までと色々違いすぎる、つーか……」
「確かに、ちょっと変だよね」
花村くんと雪子が違和感を口にすると、全員がそれに同意する。突発で不可解な点が多すぎる今回の殺人に、私を含めた全員が困惑を隠せない。
「とりあえず、昨日の夜は誰か入ってこなかったか一応訊いてみよう」
そんな中で発せられた鳴上くんの提案に、私たちは同意すると家電売り場に向かうことにした。
「あれ、店員さんがいる」
家電売り場に着くと、テレビの前でジュネスの店員2人が訝しげな顔で何事かを話している。普段、家電売り場では滅多に見かけない店員の存在に驚き千枝がそう言うと、花村くんは「珍しいな……」と呟いた後に彼らに話しかけた。
「おつかれっす〜。何かあったんスか?」
「あ、陽介くん」
花村くんの存在に気が付いたそのうちの1人が声をあげると、その声で気が付いたもう1人の店員が酷く困惑した様子で問いかける。
「ちょうどよかった。店長から何か聞いてない?」
「え、っと……?」
店員の問いかけに花村くんが首を傾げると、その店員は続けて事の次第を説明した。
「いや、さっきから売り場に妙な着ぐるみがいるんだけどさぁ……今日、何かのキャンペーンだっけ?」
「着ぐるみ……?」
心当たりが無いのか尚も首を傾げる花村くんに、片方の店員がその着ぐるみの名前を告げる。
「 "熊田" さんとか言うらしいんだけど……」
「 "熊田" ……?」
それを聞いて、花村くんはほんの少しだけ心当たりがあるような素振りを見せた。
何故かは分からないが、何となく私も心当たりがある気がしなくもない。
「まあ、いっか、客もいないし……そろそろ持ち場、戻んないとな」
話を終えた店員はそんな事を呟きながら、家電売り場を後にした。店員の姿を見ながら、一体何だったんだと思っていた直後。
「う、うわ、居る!!」
千枝が叫んだ。何事かと彼女の視線を追うと、そこには……。
「おおーう。なかなか、ツボにクるクマねー」
クマが居た。マッサージチェアに座っている、クマが居たのだ。
クマはテレビの中の世界に居た筈だが、どうして現実世界にいるのだろう。
「お、おまっ……何でココに……」
花村くんが信じられないといった様子でクマに話しかけると、クマは酷くのんびりした声でそれに答えた。
「やっと来たクマなー。待ってたクマ」
待ってた、じゃないが。しかし、本当にどういう事だろう。というか、外に出れたのか。
「クマさん、出ちゃっていいの!?」
「つか、出れるんかよ!?」
混乱からいち早く復帰した雪子が訊くと、巽くんも続けて訊く。
「そりゃ出口あるから出れるクマよ」
2人の問いにあっさりと答えたクマは、現実世界に来た理由をつらつらと説明し始めた。
「今までは、出るって発想が無かっただけクマ。でもみんなと一緒にいたら、こっち側に興味がむっくり出たクマよ。初体験していいものか迷ったけど、考えるより先に体が動いてしまったクマ。でも考えてみたら行くトコ無いし、ここで待ってたクマ。あ、さっきお名前訊かれたから、 "クマだ" って言っといたクマよ」
「 "熊田" 、ね……」
私は若干呆れながらも納得して、小さく溜め息を吐く。
全く、人騒がせというかなんというか……だがまあ、何事もなくて良かった。
「そうだ、訊きたい事あるの! クマさん、いつからここに?向こう側に、誰か来なかった?」
みんなが呆れ果てている中、雪子が当初の目的を思い出してクマに問いかける。
「こっちの霧晴れるまで中に居たけど、誰も来なかったよ?」
「やっぱりか……」
クマは雪子の問いに、相変わらずのんびりした声で答える。やはり、諸岡は現実世界で犯人の手によって殺されたらしい。
「ねえねえ、クマどっか行きたいクマ!」
黙りこくる私たちを見て話が終わったと判断したのか、クマはそんな事を言い出した。それに対して、巽くんは若干面倒くさそうな顔をして溜め息混じりにクマに訊く。
「あ……? 今それどころじゃ……てか、帰る気なしかよ。……どっかって、例えば何処いらだ?」
えいや、とマッサージチェアから呼び降りたクマは、懐からピンクのメガネを取り出して言う。
「これをリセチャンに渡すクマよ。クマからフォーユーって。これからはきっと、リセチャンがみんなをバックアップしてくれるクマ!」
私がそれを受け取ると、クマは自信ありげに続ける。
「でもって、クマはこれから、みんなと一緒に全開バリバリで戦うクマ!」
「戦うって……お前が?」
「クマを今までのような、ただのプリチーグマとは思わないで頂こう! 戦ってよし、守ってよし、笑顔もよしの "クマ・スペック2" ! 参上クマ! 今ここに、新たなクマ伝説が幕を開けるのだー!!」
怪訝な瞳をする花村くんに、クマは胸を張ってそう言った。随分な自信だが、本当に大丈夫か少し心配になる。
雪子が伝説と聞いて何故か感嘆の声を上げていると、私たちの周りに人が集まってきた。
「やばい、人目引いてる……クマお前、のびのび騒ぎ過ぎなんだよ! と、とにかく移動だ」
花村くんの提案で私たちはとりあえずフードコートへ移動する。そろそろ昼に差し掛かろうかという時間帯だからか、フードコートには他の客がそれなりに居たが今はそれを気にしている暇はない。再び事件についての考察を始める。
「暁美先輩の予想通り、モロキンはこっちで殺されたみてーっスね」
まず最初に口を開いたのは巽くんだ。クマの証言によれば、諸岡はテレビの中に入っていない。現実世界で人の手で殺された事が、クマの証言によって確定したのだ。
「じゃあやっぱり、犯人はテレビに入れても殺せなくなったから、モロキンをテレビに入れずに殺したって事でいいの?」
私が千枝の言葉に頷くと、雪子が久慈川りせから話を聞いてはどうかと提案する。花村くんがそれに同意した直後、クマがもぞもぞと動きながら言った。
「ハァ〜、それにしても暑っクマー……取ろ」
「取るって、まさか "頭" か? やめろよ、子供見てんだろ!」
花村くんは慌てて、クマの頭を叩きながら頭を取るのをやめさせる。
「ったく……中身カラッポで動いてるとか、トラウマ残るっての……気ィ遣えよ」
因みに、私も1度だけクマの中身を見た事がある。人が中に入っても大丈夫そうな広さで、ちょっとだけ着てみたいと思った。
「でも、元通りになって良かった。毛もフサフサね」
「さ、触っていいか……?」
雪子がクマを見てそう言うと、毛並みが気になったのか巽くんはおそるおそるといった様子でクマに訊く。
「ダメックマ」
だが残念な事に、クマはそれを結構強い口調で拒否され、巽くんはがっくりと頭を垂れて落ち込んでしまう。かわいいものが好きな性格の彼は、クマの毛を触りたくて仕方がないようだ。
……後で少しだけ、触らせてもらおうかな。
「てゆーか、フフーン! クマもうカラッポじゃないよ。チエチャンとユキチャンとホムチャン逆ナンせねばって、復活頑張って、中身のあるクマになったクマ!」
「はいはいエラい、よくやった」
「もう! 逆ナン、いつまで引っ張る気?」
「だいだい、中身カラッポなのに、頭開けたって暑さ関係ねーだろ」
なんとも欲望に忠実なクマの言葉に、千枝は呆れながら、雪子は怒りながら、花村くんは怪訝な声色でクマに言う。
「だから、カラッポじゃないってーの! うう、あーっち。もう、限界クマ……」
クマは花村くんの言葉に反論すると、すぐに首についたファスナーを引っ張って、誰かが止める間も無く頭を外してしまう。
「ふぅー、いい風……」
「な……おまっ!?」
「うっそー……」
クマの中身を見た瞬間、私たちは腰を抜かしそうになるほど驚いてしまった。何故なら、クマの中から出てきたのが金髪碧眼の美少年だったからだ。
「生き返るって感じー?」
呆気にとられる私たちを余所に、クマはテーブルに置いてあったリボンシトロンを一息に飲み干すと、笑顔でそんな事を言う。
なんかもう、訳が分からない。
「ねぇ、チエチャンと、ユキチャン、ホムチャン」
「は、はい……?」
「着る物とか、無いかな? ボク、生まれたままの姿だから……」
クマの呼びかけに千枝が返事をすると、続けてそんな事を私たちに訊いてきた。
「ほ、本当に、クマ……なの?」
「ええと……」
どう反応して良いものか雪子と2人で迷っていると、千枝がクマの言った事に気が付いて若干顔を赤くしながら叫ぶ。
「てか、生まれたままとか言った!? や、ここで全開とかダメだから! ええっと、着る物だよね? い、行こう、とにかく……」
千枝の提案に半ば呆然としながら頷くと、私たちはジュネスの服売り場に向かう事にした。
しかし、クマにとってこの世界は見る物すべてが新鮮らしい。服売り場に向かう途中、目を輝かせながらあっちこっちで騒ぎ倒し、女性物のフロアでは「うっひょー!」などと訳の分からない叫び声を上げる始末だ。
「……クマ、いい加減にしなさい。そろそろ怒るわよ」
「おうっ!?」
仕方ないので、少し強めに頭を引っ叩いてクマを正気に戻そうと試みる。
「ほ、ホムチャン痛いクマ……」
「痛いのが嫌なら静かにしなさい。ほら、服を買うんでしょ」
反応を見るに、一応正気に戻ったらしい。全く、本当になんて人騒がせな人間……いや、クマか。とにかく、今後はあまりこういう事をしないように言い聞かせる必要があるだろう。
「おお、クマが大人しくなった」
「ほむらちゃん、なんかお母さんみたいだね」
千枝と雪子が、私とクマのやりとりを見てそんな事を言った。
せめてお姉さんとか、もう少し低い年齢にしてほしいのだが。
「ホムチャン……お母さん……ほむ母さん!」
「ぶふぅ!?」
雪子の言葉を聞いたクマが、良いことを思いついたとでも言いたげな声を出して私を見る。
「……はっ? な、ちょっとクマ、今なんて言ったの!?」
「ほ、ほむ、かあさ、ん……ぷっ、くく、あはははははは!」
思わず声を荒げて咎めるがもう遅い。千枝も雪子も、腹を押さえて笑い出してしまった。
「……さっさと服を選びに行くわよ。ほら、早くしなさい」
私は引きつった笑みでクマにそう言うと、クマの耳を掴んで男性用の服売り場に引っ張っていく。背後から2人の笑い声とクマの悲鳴が聞こえるが、私の気にするところではない。
距離はそう遠くない筈の服売り場にやっとの思いで着くと、クマの耳から手を離して大きな溜め息を吐く。
「み、耳が千切れるかと思ったクマ……」
「んふ、くっ、むふふふ……」
「いつまで笑ってるのよ、雪子」
「い、いや、ほら、仕方ないじゃん? 」
「何が仕方ないよ、千枝だって半笑いじゃない」
もう嫌だ、こんな地獄。さっさと服を選んで帰ろう。
恥ずかしさと言い知れない悔しさで身を震わせつつ、全員でクマの服を適当に見繕った。
「よっし、こんなもんかな」
「おお! 生まれ変わった気分!」
クマの服装は、胸元に大きなフリルのついた白いワイシャツと黒いズボン、装飾として雪子がどこからか持ってきた造花のバラを胸ポケットに挿している、何かよく分からない姿だ。しかし、元が良すぎるせいで違和感が全く無いのが悔しい気もする。
「フフーン! どうクマ、このぷりちーな姿! 思わず見惚れちゃった?」
「お金を払ったら、私たちも着替えて向こうと合流しましょう」
「クマさんはどうするの?」
「……そういえば考えてなかったわね」
こちらに視線を向けるクマを無視して、私は次なる問題に頭を抱えた。その問題は、誰がクマを一時的に引き取るかというものだ。クマを1人で四六商店に向かわせるのは不可能な上、1人で放置したらどうせ勝手にどこかへ行ってしまうだろう。誰かがクマを自分の家に連れて行き、どこへも行かないようにしておかなければならない。
「あたしんとこは親居るからちょっと……雪子は?」
「どうだろう……ちょっとくらいなら大丈夫だけど、ここからだとバス乗らなきゃいけないし……」
「あー、そっか。今のクマくんバス乗らせんのは……」
どうも (私にとって) 良くない流れだ。そう感じた私が、とっさに茜に任せてはどうかと提案しようとしたその直後。突如として、クマが右手を挙げながらとんでもない事を言い出した。
「ハイハイ! ボク、ほむ母さんと一緒がいい!」
「ぶっ!?」
「んぐ!? ふ、ぷ、く……くく……」
「ほむ母さんはやめなさい!」
まさか2度もそのあだ名で呼ばれるとは思わなかった私は、再び声を荒げてそれを咎める。
クマを私が引き取るのはまあ良い。いや良くないが。だが、その呼び方だけは即刻やめてほしい。
「えー、なんでー?」
「なんでも! 次その呼び方で呼んだらタダじゃおかないわよ」
そう言って、私は再び溜め息を吐くと頭を振った。
いけない、これでは完全に親子の会話だ。クマのペースに飲まれてしまっている。
「……で、誰が引き取るのよ」
「く、クマくんも、ほむらちゃんの家行きたいって、言ってるし……」
「クマ、ほむかあ……ホムチャンのお家行きたい!」
今だに笑い続ける2人に訊くと千枝が息絶え絶えといった様子で答え、クマもそれに同意してキラキラとした視線を私に向けてくる。やはり引き取るしかないのか。私は肩を落として渋々ながら、本当に渋々ながら、それを受け入れることに決めたのだった。
「仕方ない……。じゃあ、クマは私が連れて行くから」
ともかく、今はさっさと着替えて向こうと合流するのが先だろう。クマを連れて行くのは少し気がひけるが、ここは堪えるしかない。
「ほら、行くわよクマ。私について来なさい」
「ハーイ!」
私はクマを連れて家に帰っていく。予想通り、途中途中でどこかへ行きそうになるクマを、服の襟首を引っ掴んだりして引き止めるのは骨が折れた。
家に着くと、クマに玄関で待っているように指示して私は自室に上がり、適当な服に着替る。終えたらすぐに玄関に降りてクマが大人しくしているか確認する。
彼は言い付け通り、ちゃんと玄関で待っていた。何故か靴べらを持って、物珍しげに眺めていた。
「ねえねえホムチャン、このぼっこ何?」
「それは靴べらよ、貸して」
クマから受け取った靴べらを使いながら靴を履いて、つま先で2回地面を叩くと、おお、とクマが感嘆の声をもらす。どうやら、クマにはこれすらも新鮮らしい。
「さ、早く合流しましょう」
「りょーかいクマ!」
私たちは家を出ると、途中で千枝と雪子に合流して四六商店に向かう。
商店に着くと、男子たちは店先で "ホームランバーを食べていて、見たところそこそこの時間私たちの到着を待っていたようだ。
「ハァッ、ごめん、遅くなった……」
暑さとここに来るまでにしてきたクマのコントロールで若干疲弊気味の千枝が、彼らに待たせてしまった事を謝罪する。
「ったく、クマきちの服なんか別に何でも――のぁ!? ク……クマか、お前!?」
それに対して、最初は呆れたような物言いだった花村くんはクマの姿を見た途端、大袈裟に仰け反って驚く。
「イエース、ザッツライト。イカガデスカ?」
すると、花村くんの言葉に何故か片言でクマはそう答えた。
「……ブリリアント」
そして、鳴上くんが突然そんな事を呟く。
もしかして、クマに調子を合わせたのだろうか。別に合わせなくても良いのに。
「あたしもビックリだけどさー。間違いなくあのクマくんだから。てか、性格まんまでまいったよ……見るモン全部新鮮らしくて、もう大騒ぎでさ。女性モノのフロアじゃ、コーフンしてワケ分かんない事叫ぶし、ほむらちゃんは――」
「ん゛ん!」
千枝が私の事を口走ろうとしたので、咳払いをして止めさてた。男子たちが怪訝な目で私を見てくるが、アレを話されるのは絶対に嫌だからここは我慢しよう。
「暁美がどうかしたのか?」
「何でもないわ、何でもない。そう、何でもない……何でもないのよ」
花村くんの言葉に、半ば遮るような形で割り込む。これ以上の追求はしないでもらいたい。
「んん? 暁美のやつ、なんか変じゃね?」
「あ、あー……それよりあんた、以後このカッコん時は本能のままにはっちゃけたらダメだからね?」
千枝が強めの口調で釘をさすと、クマはものすごくしょんぼりと悲しそうにうなだれる。
「でも、仕方ないよね。ほんとに初めてなんだもんね?」
「ハァ……わかったよ、そこまでヘコまなくていいから。別に許さないとか言ってないでしょ?」
しょぼくれるクマに雪子がそう言うと、千枝もどこかバツが悪そうにクマにそう言った。
「よかった! 嫌われたのかと思って、ドキドキしちゃった」
「ふふ、まったく……大人しくしてりゃ、見た目はカワイイのに」
2人の言葉を受けてクマは安堵の滲んだ声で答えると、千枝がまるではしゃぎ回る幼子を見るかのような目で言う。
確かに、彼の外見は格好良いよりは可愛いに分類されるものだ。どことなく顔がクマっぽいのは、あの着ぐるみの名残だろうか。
「カワイイ……か? お前、どう思うよ、完二?」
「あ? 何でオレに訊くんスか?」
クマの顔を改めて見た後、花村くんは巽くんにそんな事を訊く。質問の意図が分からず怪訝そうな顔をする彼に、花村くんは控えめな声で呟いた。
「いや、お前の "好み" かなと思ってさ」
これを聞いた巽くんは、表情を一変させる。
「ああ……なるほどね。つまりアレだ……殺されてぇっつー事スね?」
巽くんの結構本気のメンチ切りに花村くんが堪らず目を逸らす。
しかし、何故巽くんはこう、同性愛的な事柄をネタにされるのだろうか。まあ、大方彼のシャドウの所為なのだろうが、ここまで言われるとは一体どんなシャドウが出てきたのか、少し気になるところだ。
「ぷ……ぶふッ」
「笑うとこじゃねっスよ、天城先輩……」
「ご、ごめ……むぶふっ……」
今のやりとりがそんなに面白かったのか、突然雪子が笑いしだしてしまう。
相変わらず、雪子の笑いのツボがどこのあるのか分からない。
「あーぉ、キミたち! ボクのために争わないでよ、ベイビー?」
「るせーッ! ケンカ売ってんのか!?」
クマのふざけた物言いに、巽くんが怒鳴る。クマなりに場を和ませようとしたのかもしれないが、残念ながら悪手だったらしい。
「ったく、しゃーないな」
そんな様子を見ていた花村くんは、懐から千円札を取り出すと巽くんに渡して言った。
「完二、これで好きなだけアイス買って、クマと分けろ。俺たち、ちょっと豆腐屋行って来るから。ここで大人しくしてろよ」
「そんな、イキナリもらえねぇっスよ!」
「リニューアルしたクマきちの、歓迎ってとこだ。その代わり騒ぐなよ」
驚いて遠慮する巽くんに、花村くんはそう伝える。クマの世話を巽くんに任せる事にしたようだ。
「よし、んじゃ行こうぜ」
アイスを食べ終えた花村くんと鳴上くんを連れて、久慈川りせが居る豆腐屋に行くと店から見た事のある人間が出てきた。
「おや……やっぱり来ましたね」
探偵、白鐘直斗。会うのはあの時以来だ。
どうやら直斗はまだ久慈川りせの件を調査をしているようで、店で話を聞いていたらしい。
「あなた、確かに……」
「確か、完二ん時の……」
雪子と花村くんが思い出したように呟くと、直斗は自己紹介をした。
「あれ以来になりますか。そういえば、まだ名乗っていませんでしたね。僕は白鐘直斗。例の連続殺人について調べています。そして、お久しぶりですね。ほむらさん」
「ええ。久しぶりね、直斗」
直斗は自己紹介を終えると、獲物を観察する鷹のような鋭い目で私を見る。
……狙われている。
「え、ほむらちゃん彼と知り合い?」
私と直斗のやりとりに疑問を持った千枝が、顔を見比べながら訊く。
「そんなところよ」
私は簡素にそう答えると、少しだけ前に進み出て直斗と向き合う。よく見れば直斗は不敵に笑っているようで、少しながら不気味に感じる。
「意見を聞かせてください。被害者の諸岡金四郎さん……皆さんの通う学校の先生ですよね」
「ええ。そうよ」
「第二の被害者と同じ学校の人間……世間じゃ専らそればかりですが、そこは重要じゃない。もっと重要な点が、おかしいんですよ……」
店の入り口からゆっくりと歩道に降りながら、直斗は今回の殺人について言及していく。
「この人…… "テレビ報道された人" じゃないんです。どういう事でしょうね?」
直斗のまるで "私たちがこの事を知っている" と断定している訊き方に、私の後ろにいる全員が驚いた。
「しっ……知るかよ、そんな事」
花村くんが思わずといった様子で答えを返すと、直斗の目がより一層鋭さを増す。
狙いは私……なのだろうが、何か違う部分、もっと別の大きなものを見ている気がする。
「それと、もうひとつ。久慈川りせさんは1日だけ、祖母に無断でどこかへ行っていたそうです」
直斗の纏う雰囲気が、氷のように冷たくなる。
追及はここからが本番らしい。
「ですがおかしな事に、彼女は精神的疲労の所為でよく憶えていないと言っていました」
「そう。それは大変ね」
「ええ、大変ですよ……割烹着という "目立つ格好" でありながら "誰にも目撃されず、誰にも見つからない場所 "に自ら行って、しかもそれを憶えていないだなんて。
それに、彼女はこうも言っていたんです。疲れてジュネスの屋上で座り込んでいたところを、皆さんが見つけて家まで送り届けてくれた、と。不思議ですね、彼女が行方不明になった時、必死に皆さんが探しても見つからなかったのにこんな簡単に見つかるなんて……」
落ち着いた言い方で、私たちに揺さぶりをかけてくる。うっ、と後ろの誰かが呻くような声をあげた。
流石、探偵と言ったところか。矛盾点をを的確についてくる。
「私たちは彼女の言う通り、ジュネスの屋上で座り込んでいるのを見つけただけよ。それ以上の事は知らないわ」
私が勤めて平坦な声で問いに答えると、直斗が私の後ろに視線を向けながら言う。
「後ろの方々は、そうじゃないみたいですが?」
……成る程、これが狙いだったのか。
直斗の思惑に気が付いた私は、思わず舌打ちをしそうになった。
多くの人が動揺している中で、ひとりだけが冷静なのは明らかに不自然。例えるなら、あひるの雛の中に1匹だけ白鳥の雛が紛れ込んでいるような、酷く場違いな存在感がある。
直斗はその違和感を、周りを巻き込んで私に擦り付けたのだ。
「……そうね。確かに、私たちは直斗に隠している事がある」
「随分あっさり認めるんですね」
ここで嘘を言えば、そのままずるずるとあちらに引き込まれる。ならあえて、ここは隠している事があると言っておくのが良いだろう。そして、久慈川りせにはすまないがここは彼女を利用して切り抜ける。
「その隠している事について、今ここで話していただけますか?」
「それは無理ね。人に話すのは、彼女の名誉の為にも絶対に出来ないわ」
こう言ってしまえば、直斗がこの先の事を追及する事は不可能になる。我ながら何とも悪質な言い分を思いついたものだ。
「……そう、ですか。それなら、仕方ありませんね」
案の定、直斗はこれ以上の追及を諦めて身を引いた。その目には悔しさと若干の歓喜が見える。
「……僕はこの事件を一刻も早く解決したい。皆さんの事、注目していますよ。それじゃあ、いずれまた」
直斗はそう言い残して、私たちの前から去って行った。
「……な、何だったんだ」
額の冷や汗を拭いながら鳴上くんが呟くと、張り詰めていた空気が徐々に萎んでいく。
心臓に悪いとはこの事だ。生きた心地がしなかったのは多々あるが、それでもこういう類の経験だけは2度としたくない。
「あ……いらっしゃい」
「りせちゃん! 体……もう大丈夫なの?」
少しして、久慈川りせがこちらにやって来た。雪子は突然の登場に驚くと同時に、彼女の体の具合を訪ねる。
彼女がその問いに頷くと、花村くんが安堵の溜め息を吐く。
「それを確かめに来たの?」
「まあ……」
「そうだ……今、少し時間いい? 話さなきゃって思ってた。来て。お店番、今日はお婆ちゃんだから」
久慈川りせの言葉に鳴上くんが曖昧な返事をすると、彼女はそう私たちを誘った。
彼女に連れられて商店街にある "辰姫神社" の境内に入っていく。神社には人影がなく、話をするにはうってつけだ。その道すがら攫われた時の事を訊いてみたが、気が付いたら既にテレビの中だったらしい。
「またしても、犯人については手掛かり無し、か……」
犯人に繋がる情報が得られなかった事に、千枝はがっくりとうなだれる。
犯人はそう簡単に尻尾を出してはくれないようだ。
「あの……その……」
どうしたものかと悩んでいると、久慈川りせが何か言い難そうにしている。
「ん? どしたん?」
「あの……」
千枝が訊くと、彼女は何か決心をした後、先ほどとは打って変わり元気良く言った。
「助けてもらっちゃって……ありがとね! 嬉しかった!」
「えっ……あはは。いーって、そんなの!」
突然の事に驚く千枝だったが、すぐに笑顔でそれに答える。一方、花村くんは顔を赤くしながら何事かを呟く。
「その……最近の私、疲れてて少し暗かったから、嫌かなって思って……喋り方、へん? あ、でも、世間的には今の感じの方が、私の "普通" なのかな……ごめんなさい、私……どの辺が "地" だか、自分でもよく分かんなくて……」
さっきのは、彼女なりに気を使っての事らしい。そんな気を遣わなくとも良いのだが、何とも律儀な子だ。
「はは、そんな、謝る事? いいじゃん、その時々で」
「無理に決めなくても、誰にだって色んな顔があると思うの」
「あはは、雪子が言うと説得力あるわ」
「えっ……そ、そう?」
「……ありがとう。よかった、最初に知り合ったのが先輩たちで」
私と同じ事を思ったのか千枝と雪子がそう言うと、それを受けて、久慈川りせは顔を綻ばせる。
思わず見惚れるような自然な笑みだ。
「そうだ、クマメガネ渡さないと。あ、いえ……」
そういえばと思い出したは良いが、クマメガネをどう渡そうか迷っていると彼女が話しかてきた。
「ほむら先輩……私がいないと、困る?」
「え?」
「私、あの世界で、みんなを助けられるんでしょ? あの "力" で。なら、私が仲間になった方がいいでしょ?」
彼女の言葉を受けて、私はほんの一瞬迷った後クマが作ったメガネを渡した。
「それ、一応、仲間の証っていうか……」
「それをかけていると、向こうの世界に発生してる霧が見えなくなるのよ」
花村くんと一緒に久慈川りせにクマのメガネについて説明すると、彼女は思い出したかのように言う。
「そっか……先輩たち、 "向こう" でかけてたよね、メガネ。ありがと、先輩。これで仲間、だよね」
"りせ" の言葉に全員が頷く。この事件の真解明の為に、心強い味方になってくれそうだ。
「私、明日から、八十神高校に通うの。同じ学校。でも私、まだ友達いないから、仲良くしてよ。それに、恩人だし……」
「任せろ」
「わ、鳴上先輩、そんなカッコいい事言えるんだ。なんか意外」
少しだけ恥ずかしそうにそう話すりせに、鳴上くんが自信満々に頷くと彼女は嬉しそうに屈託の無い笑顔を浮かべる。
「けど、こんな時期に転入って大変だな。事件とか、モロキンとか……テストとかもすぐだし」
花村くんはしみじみといった様子だったが、途中から急に顔を顰めて呻いた。
「ハァ、テストなぁ……自分で言ってヘコんだぜ。中止んなったりしねーかな……」
「やるんじゃない? テストだけはさ……」
それに千枝も同調して、顔を顰める。
どうやら2人とも、テストにはあまり良い思い出がないらしい。まあ、誰にだってテストに良い思い出はないか。
「さてと……なら事件の事は、明日改めて "特捜本部" で相談だな」
「うーす、調子どうスか?」
気を取り直して花村くんがそう宣言すると、その直後に巽くんも境内に入ってきた。
「てかクマのやつ、 "ホームランバー" 5本も食いやがって……ま、オレはその前のも入れると6本だから、買ったけどな」
「誰も聞いてねーよ……」
巽くんは何故か勝ち誇ったような言い方で、割とどうでも良い事を伝えてくる。
これでは、花村くんにツッコミを入れられるのも仕方ない。
「て言うか、話し終わったから。行きましょ、ほむら先輩ッ!」
「へ?」
りせが私の腕に抱きついてきた為、私は驚いて声をあげてしまう。
どういう事だ、私は彼女に好かれるような行動をとった覚えは無いのだが……一体どこで彼女の好感を刺激したのだろうか。
「お前……なんか、前とキャラ変わってね?」
「あなたも先輩たちと同じハチ校生? 明日から、私もだから、よろしくね」
「あ? ああそう……スか。あーと……学年は?」
巽くんはりせに言葉を返そうとしたが、学年が分からなくて中途半端な敬語になってしまった。
そういえば、私もりせの年齢を知らない。まあ、携帯で調べれば分かるだろう。
「クマはどうしたんだ?」
「向こうで5本目食ってるっス。てか、どうすんスか、あいつ」
「……仕方ねえ、俺が連れて帰るか」
鳴上くんの質問に巽くんが答えると、花村くんが溜め息と共にクマを引き取る事に決めた。面倒見が良いのは、中々にそんな立ち回りである。
今日はその後、クマも交えて適当に雑談やら何やらをして解散となった。結局、最後までりせが私に好感を持っている理由については分からなかったが、きっとそのうち思い出すだろう。それをわざわざ訊くまでもない。
……それに、案外こういうのも意外と悪くない。
次の日、学校に行くと "暁美ほむらが金髪の外国人と親しげに町を歩いていた" という噂がいつの間にやら広まっていて、茜に凄まじい追及を受けるのだがそれはまた別の話。