イリス ~罪火に朽ちる花と虹~ 作:あんだるしあ(活動終了)
ルドガーたちは、ローエンとジュードを残して、ガンダラ要塞の裏から外へ出た。
「そういえば、ユリウス、どうしてミラと一緒にいたんだ?」
ユリウスとミラが顔を見合わせた。
アルヴィンたちもそこは気になっていたようで、全員の視線が二人に集まった。イリスだけだ、背中を向けて態度で「どうでもいい」と語っているのは。
「俺のほうは、エージェントから逃げて進入した先がこの分史世界だった。そして彼女も。クロノスと運悪くエンカウントして、奴にこの分史世界に落とされた」
「私はマクスウェルだが、次元を超える力そのものはミュゼに全て預けてある。独力でこの世界から出ることはできずにいた。そんな時に、カラハ・シャールの市で、この世界の『私』や『ジュード』を見つけて……その……」
「『ここの君たち』の中の一人が
家では聞いたこともない淡々とした口調だった。
「俺が
「ひょっとしてユリウスさん、ミラと戦ったり……」
「した」
「よ、よく生きてましたね~……」
言ったレイアを初め、アルヴィンやエリーゼもぽかんとしている。レイアが言うほどだから、この精霊の主は相当に強いのだろう。先ほどのミラがイリス相手に苦戦していたのは、単に相性が悪かったからか。
「クラウンは骸殻だけで勝ち取った称号じゃないぞ。――まあ俺も最初は、相手がマクスウェルだなんて思いもしなかったから、話が噛み合うまで時間がかかったんだが。ようやくお互い納得が行った頃には、
ミラは小さく俯き、口を開いた。
「
「本当だ。俺も今までそうしてきた」
「やはり、そうか。そうなんだな。どうあっても――この世界の『ジュード』を殺さなければならないんだな」
ルドガーたちはル・ロンドに向かう船の上にいた。
今はめいめい自由行動時間だ。そこでルドガーが取った行動はというと、一人でいたユリウスに声をかけることだった。
「レイアといなくていいのか?」
「それは後で。ちょっと言っとかないといけないことがあったからさ。――海瀑幻魔の分史世界の時、守ってくれてありがとな」
ユリウスは目を白黒させてから、ふっと苦笑した。
「……守ったと言えるほど大したことはしてないぞ。初撃で吹っ飛ばされたからな」
「でも戦おうとしただろう? だから、あれからずっと言わなくちゃって思ってたんだ。イリスから聞いた。ユリウス、もう結構、
「あの導師どのは全く……よけいなことばかり吹聴してくれる」
ユリウスは黒い手袋を左手から外した。その手は黒炭のように真っ黒に染まっていた。――ずっと秘していたものを、やっと、ユリウスはルドガーに曝してくれた。
「ご覧の有り様だ。気味が悪いだろう?」
ルドガーは首を横に振った。気味が悪いなど、言えるはずがない。これはユリウスがルドガーを守るために負ってしまった呪いだ。
「そんな体のくせに俺たちのために戦おうとしてくれたから、『ありがとう』なんだよ」
ユリウスは微苦笑した。寂しげで、それでも嬉しそうな笑み。
ルドガーは知っている。血の半分でも弟だ。ユリウスがこの世界の「ジュード」をカラハ・シャールで「始末」しようとしなかったのも、領主邸にいる「ジュード」に手を出せばシャール領兵を多く犠牲にしなければいけないからだと。
会話が途切れた。
それでもルドガーはユリウスの隣に立っていた。
次はいつこうして何事もなく共にいられるか分からない。正史世界でのユリウスの指名手配と冤罪はまだ解決していない。
殺伐とした任務でも、なりゆきでも、構いやしない。せめて兄と居られる時間を長く。そう、願った。
兄弟の語らいと時を同じくして。
レイアは、輪から一人離れたイリスに歩み寄った。
「レイア。どうかして?」
「気になっただけ」
「それはイリスが? それとも貴女たちのマクスウェルが?」
「両方」
レイアとて、ミラとイリスを近づけさせないほうがいいのは、ガンダラ要塞での彼女たちの激突を見て骨身に染みた。仲を取り持とうという気さえ起きないほど、イリスとミラ=マクスウェルの間の溝は深い。
「ミラってそんなに、ミラ・クルスニクに似てるの?」
「生き写しよ。顔の造作も髪の色も体の線も、何もかも。最も憎いモノが、最も愛しい方のカタチをしている。悪夢なんかよりよっぽど酷い現実だわ。ああ、そうね、目の色が異なるのが辛うじて救いかしら」
「目?」
「ミラさまの目は、ルドガーと同じ色だった。宝石のような翠の目をしてらしたわ。2000年を経た今でも鮮明に覚えてる。お美しい色の瞳だった――」
イリスは遠くに思いを馳せるように微笑を浮かべて天を仰いだ。
「――いつか」
イリスがレイアに視線を戻した。
「イリスにも取材させてほしいな。イリスが知ってるクルスニクの人たちのことや、イリスの『ミラさま』、それに、イリス自身のこと。全ての始まりの時、イリスたちがどう立ち向かっていったか、絶対後世に残すべきだと思うから」
――さびしいのは、今すぐではない、と確信を持って断言できること。ルドガーやイリスを初めとするクルスニクの記録が世間に公表され、正当な評価を受けるのは、何十年、何百年も先の世代でおいてである。
それでも記録することに意義があるとレイアは信じている。レイアが記しさえすれば、顔も知らない一人ぽっちであれ、誰かに必ず届くのだから。
イリスはまじまじとレイアを見つめてきたが、やがて微笑みを浮かべた。
「本当にレイアはまっすぐな人ね。眩しいくらい。ええ、いつか、レイアの綴った文字で遺してちょうだい。クルスニクの全てを。嘆きも怒りも涙も決意も、イリスは余す所なく話すから」
ついに船はル・ロンドの海停へ着いた。
ルドガーたちが船を下りる中で、レイアはキャスケットを目深に被るよう調整した。――分史世界とはいえ、ル・ロンドはレイアの故郷。顔見知りにでも会ってしまえば、ここの「レイア」との行動のズレがルドガーたちを行動しにくくさせると分かっての配慮だろう。それが分かる程度には、ルドガーはレイアとの付き合いを重ねた。
「この時点のジュード」がいるのは実家のマティス医療院だ。ルドガーたちはそこをまず目指すことにした。
結果は、どんぴしゃり。ル・ロンド唯一の診療所より手前で「ジュード」を発見した。
ルドガーたちは一度、全員で手近な建物の陰に隠れて、作戦会議を始めた。
「ルドガー。ユリウス。あいつが時歪の因子で間違いねえか?」
「ああ。くっきり視える。……って、アルヴィン視えないのか?」
「あー。そういえばそうだな。次元刀持ったちびミラの時には分かったのに」
「あれはクルスニク血統者、中でも外殻能力者が近づかないと可視化しない現象なんだよ」
「となると、だ」
アルヴィンが物陰のギリギリの位置に陣取った。
「俺が行くのがいいのかね。こん時の『エリーゼ』はカラハ・シャールにいるはずだから、出てったら怪しまれる。レイアはここの『レイア』と鉢合わせると困る。ほら、俺が適任だろ?」
「そう、ですね……気をつけてください」『無茶しないでよー』
アルヴィンはふり返らず、手を振り返すことで応えた。
ベンチに座っていた「ジュード」に、ついにアルヴィンが声をかけた。
「よう、優等生」
「アルヴィン!? 別の仕事に行ったんじゃ」
「そっちが終わって時間が空いたから、こうして来てやったんだよ。感謝しろよ?」
「うん。ありがとう、アルヴィン。心強いよ」
正史世界のジュードと変わらない態度や口調。しかし、確かに
「ミラは?」
「レイアと中にいるよ。体拭くから男子は出てろーってレイアに追い出されてさ」
「見たかったんじゃねーの?」
「別に。興味ないから」
そっけなく答えたジュードに、尋ねたアルヴィンも、盗み見るルドガーたちも面食らった。
「何その顔?」
「あ、いや~……なんつーか、お年頃のオトコノコにしては淡白な答えだなーって思っただけ」
「そう? んー、そうかも。でもミラに関してってだけで、異性に興味ないわけじゃないよ、僕。その辺、誤解しないでよ」
「あー、ぶっちゃけた話、ミラのことは異性として圏外と。そういう感じ?」
「今はね」
「今は?」
ジュードは少し考え込む素振りを見せてから、箍が外れたように語り始めた。
「初めて見た時は、そりゃ美人だなって思ったよ? 思春期男子にありがちな、女らしい女に憧れる気持ちだってあった。見る目が変わったのは、ミラがマクスウェルだって知ってから。その時の僕は、精霊ってもっと神秘的で幻想的なものかと思っていた。だからとても驚いた。ミラはすごく俗っぽかったから。『人間の半数に有利な容姿を取った』って語ったけど、そういう意味では大正解だとも思った。現にあの外見のせいで、横暴な言動も責める気になれなかったんだから」
「ジュード」が「ミラ」について語れば語るほど、ミラの俯きが深くなっていく。
「でも、ミラが足を怪我して、それでも止まらないって言った時は、実は本心から呆れた。仮にあそこで僕が父さんの医療ジンテクスを思い出さなかったら、あるいは、僕がミラを見離していたら。ミラは何もできなかったって断言できるよ。四大精霊はいない、歩けも立てもしない、人間界の地理や常識にうとい、セクシーな外見だけが取り柄のただの女。そんな女に何ができるっていうんだ。イル・ファンどころか屋敷の階段さえ降りられなかったくせに。使命だのなすべきことだの、言うことはご立派だけど、それを実行できる体はもうないじゃないか。素直に自分が無力だって納得して、助けてくださいって僕らに頭を下げるくらいしてもいいんじゃない?」
ルドガーの知るジュードならば絶対に吐かない暴言。
――ようやく分かった。ガンダラ要塞からミラが卑屈だったのは、これと同じようなことを「ジュード」に言われたからだったのだ。
「ミラはいつでも自分が万能で正義だと信じて疑わなかった。人間は自分を助けるのが当然で、自分の思想に賛同するのが当然だと思っていたミラ。何て高慢で鼻持ちならない女。身勝手で他人を平気で捨てられるミラ。そんなミラでも僕が見捨てなかったのはね、ミラは僕がいないと何もできなかったから」
「ジュード」は後ろ手に両手を組んで、スカイブルーと星が混ざった空を見上げた。
「エリーゼもローエンも、ミラ一人だけじゃ絶対に付いて行こうとは思わなかったし、レイアだってあんなに良くしてくれなかったよ? だって僕という賛同者で解説役がいなきゃ、ミラは何一つ成せない無力な女なんだから。可哀想なマクスウェルサマ。僕みたいな、ちょっと頭がいいだけの男子に頼らないと何もできないくせに、それにも気づかず偉そうにふるまう精霊の主サマ。僕が見捨てた瞬間に、捕まって拷問か肉奴隷か。滑稽だよね。馬鹿で馬鹿でいっそ清々しいくらいだ」
「……お前、ミラが嫌い、だったのか?」
アルヴィンが問う声は掠れていた。――当然だ。実際に相対して話していれば、ルドガーも「ジュード」の毒気に当てられていた。
「ううん、大好きだよ? 馬鹿で非力なミラ=マクスウェル。一人じゃ何も成せない彼女を、僕一人がいつまでもずーっと助けてあげる」
――これ以上は、だめだ。
ルドガーはそう判断し、隠れていた建物の陰でクォーター骸殻に変身した。そして、誰の制止も聞かず――もっとも誰も止めなかったが――物陰から飛び出した。
「ジュード」は闖入者に驚く間に、骸殻の槍に貫かれた。
世界がひび割れ、崩れ落ちた。
…………
……
…
誰も、何も、言わない。――何かを言えば、均衡が断ち切れると肌で感じている。
その張り詰めた沈黙を破ったのは、皮肉にも別行動をしていたジュードの合流だった。
「みんな! よかった、ちゃんと戻れて……どうかしたの?」
ミラがジュードに背を向け、肩を本当に小刻みに震わせ始めた。
ジュードは不思議そうにミラを見ている。ジュードと一緒に戻ってきたローエンは、そんな二人を見て考え込む様子を見せた。
解散とも言いがたく、かといってこの空気の中にずっと居たくはない。どうする、と地味に心中を追い込まれていた時だった。
ユリウスが何事も起きてないかのように、平然と踵を返した。
「それじゃあ、俺はこれで。ルドガー、言ってもあまり意味はないだろうが、無茶はするなよ」
「っ、
去ろうとしたユリウスの背に、ルドガーは慌てて呼びかけた。
「俺たち、『魂の橋』を使わずにカナンの地に行くやり方がないか探してるんだ。ユリウスも手伝ってくれないか? ユリウスのほうが、俺よりずっとクルスニクのことに詳しいだろうから」
「お前、『橋』のことまで知って……ああ、なるほど。貴女が吹き込んだのか、導師どの」
「今回に限り、イリスは何も言ってないわ。教えたのはリドウよ」
「……あのタレ目男」
久々に聞いたフレーズだなあ、とルドガーは軽く現実逃避した。
「分かった。俺なりに探してみる。ただし俺は指名手配中の身の上だからな。あまり期待するなよ」
「了解。連絡待ってる」
ユリウスは背を向け、黒い手袋をした手をひらりと振った。そして、今度こそルドガーたちの前から去った。
レイアが下からルドガーの顔を覗き込んできた。
「よかったの? ユリウスさん、行かせちゃって」
「今は、いい。全部終わってからまた一緒に暮らせるように、頑張る」
「そう……じゃあ、その時はわたしも手伝うから。絶対言ってね」
「ああ」
レイアは綺麗に笑んだ。留意なく、ああ、恋しいな、と思える笑顔だった。