イリス ~罪火に朽ちる花と虹~   作:あんだるしあ(活動終了)

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「ノルマとして捉えたほうが」

 レイアがルドガーと共にリドウとビズリーに交渉した結果、翌日から1週間、分史対策エージェントへのインタビューが許可された。

 もちろんいくつかの制約は課されたが、レイアには取材を許されたというだけで充分な成果だった。

 

 その取材も今日で最終日だ。

 

 

 レイアは応接室で、大きく溜息をついた。

 

 ノートにはびっしりと文字、文字、文字。走り書きばかりで、レイア自身が「この時の自分は何を書きたかったんだ」と苦笑してしまった。

 そんなお粗末なメモだが、これらは1週間をかけて綴った、エージェント――クルスニク一族の、骸殻能力者の、人生の記録なのだ。

 

 

『分史世界で知り合いと会うと罪悪感がひどい』

 

『分史世界の自分が自分より幸せそうで嫉妬した。因子を破壊する前に自分を襲った。今でも思い出して吐く』

 

『分史に渡ったエージェントが必ず帰れるわけではない。だからいつも指名されたくないと内心思っている』

 

『分史に住み着こうとした同僚も過去いた。止められなかった。戦ってその世界ごと同僚を殺した』

 

『時計をお互いに見せ合って違いに感心する』

 

『ピンチの時に危険を顧みず時計を貸してくれた仲間に感動した』

 

『彼氏が浮気した分史を見てしまって、気まずくなって彼氏と別れた』

 

『分史の娘が病弱。ガリガリに痩せた娘を見て、家に帰って健康な娘を見て泣いた』

 

『因子化した体を見せたくなくて恋人との関係が進められず破局』

 

『体に因子化の痕が広がると、この先を想像して泣きたくなる』

 

『因子化が進んで辞めた同僚を知っている。自分が無事でいられるかが不安』

 

『正直逃げたい』

 

『早く辞めたい』

 

『世界とかよく分からない』

 

『こんなゲーム設定した精霊マジ許せない』

 

『オリジンとかクロノスとか会えたら一発殴りたい』

 

『てかこのゲーム自体メチャクチャに壊してやりたい。願い事『過去に戻せ』とかで』

 

 

 記事になるまでは誰にも見せられないし、決して手放せない。レイアは知らず強くノートを握っていた。

 

「大丈夫か」

 

 ルドガーだった。没頭しすぎて、彼が入ってきたことにも気づかなかった。

 

「え、あ! うん。内容の濃い話いっぱいで圧倒されちゃっただけ」

「……なあ、今日はここまでにしないか? 取材するレイアがそれじゃ、万全のインタビューはしにくいんじゃないか?」

 

 ルドガーは本気でレイアを心配してくれている。

 気に懸けてもらえるのは嬉しい。心がぽかぽかする。でも甘えは程々に。

 今のレイアはルドガーの友人ではなく、一社会人なのだ。

 

「大丈夫だよ! 体は全然疲れてないし。向こうがせっかく時間空けてくれてるんだもん。お願いしたわたしからギブアップなんてできないよ。それに、今日が最終日だしね」

 

 レイアはルドガーに笑いかけた。去年の旅でも何度も使って来た「笑顔」という仮面。

 ジュードたちは見抜けなかった。なのにルドガーの心配顔は変わらない。

 

「次は誰?」

「分史対策室の室長補佐。今回のスケジュール調整してくれた人。俺の上司だけど、そう歳の変わらない女の人だから、あんまり緊張するなよ」

「ありがと。若い女性……やっぱり美容的な部分を重点的に……」

 

 取材相手が来るのを待つ間、レイアはインタビューの流れを組み立てる。こうなるとルドガーや他者の声も届かない。

 

 ドアがノックされ、スライドして開いた。

 

「失礼いたします」

 

 入ってきた女性は、腰より長い黒茶の髪を翻して、レイアの正面に立った。レイアも立ち上がった。

 

「初めまして。『デイリートリグラフ』のレイア・ロランドです」

「お初にお目にかかります。分史対策室室長補佐のジゼルと申します。よろしくお願いします、ロランド記者」

 

 挨拶もそこそこに、レイアとジゼルはイスに座った。

 

「よろしくお願いします。あの、今日までエージェントの方々の取材の時間調整をしてくださって、本当にありがとうございました!」

 

 レイアは元気に頭を下げた。ジゼルはきょとんとし、それからふっと笑んだ。

 

「頭をお上げくださいな。わたくしも今回のような機会は初めてで、上手く采配を振れたか自信がないのですが」

「そんなことっ。おかげさまで、スムーズに皆さんのお話をお伺いすることができました。ありがとうございます、ジゼル補佐」

 

 記者と取材対象の間に華やいだ空気が生まれる。

 

「ではさっそくですが、質問を始めてよろしいですか?」

「どうぞ、いかようにも」

「ジゼル補佐は普段どんな仕事をされていますか?」

「エージェントたちからすでにお聞き及びかもしれませんが、骸殻能力者として分史破壊と探索をしております。他には、管理職も頂戴しておりますので、任務のシフトや、通常セクションとの折衝もしております。こういうことばかりしておりましたから、今回のご依頼も、わたくしにとっては普段の業務の延長線上でした」

 

 レイアは次々に質問する。分史対策エージェントとしての仕事量と室長補佐の仕事量、どちらに比重があるか。シフトを考える時にどういう基準でエージェントを選ぶか。折衝とは具体的にどのようなことをするか等々。

 ジゼルの仕事のやり方から、部下との関係や本人の性向、さらにはノーマルエージェントには聞けなかった、分史対策室というセクションの方向性を分析する。

 

「少し突っ込んだ質問をしてもいいですか?」

「どうぞ」

「骸殻に目覚めたのはいつ頃ですか?」

「10歳の時です。親が隠していた時計を偶然見つけて」

「すぐにクラン社に入社されたんですか?」

「いいえ。しばらくは訳も分からず時計にも触りませんでした。それから普通に学校を卒業してクラン社に入社して、最初は秘書室に配属されました。分史対策室に配属されたのは入社から半月後です」

「その時はやっぱり不安に思いました?」

「はい。何か左遷されるような失敗をしたかしら、と一晩悩みました。実際に行ってみるといかにも歴戦の勇者という方ばかりで。しかも説明は社長直々にだと言われて、前室長に社長室まで連れて行かれましたのよ? 社長の前に立って説明を聞く間、ずっと心臓が破裂しないかヒヤヒヤしていました」

「確かにそれは緊張してもしかたないですね。ビズリー社長は迫力のある方ですから」

「でしょう? その上、分史対策室が世界の命運を担うセクションで、わたくしにも骸殻があって。しばらくはユリウス前室長に言われるままに、分史を壊して回りました。一種のアイデンティティクライシスでした」

「そう、ですね。お辛かったんじゃないですか?」

「最初はそうですね」

「最初ということは、今は違ったお考えを持ってらっしゃる?」

「考えというか……どうでもよくなったんです。文句を言っても、哲学をしても、精霊を恨んでも、仕事は変わりませんもの。わたくしが辞表を出さない限り続きます。だからもう、どうでもいいことにしてしまおうって」

「どうでも、って……世界を、壊す仕事ですよ?」

「そうですね。でも働かないとお給料は貰えませんし、そうなると生活は立ちゆきませんよね? それは困ります。就職自体が厳しいご時世、辞める踏ん切りもつきませんし。かといって骸殻能力者である以上、異動は不可能ですし」

 

 ジゼルは首を傾げた。エレンピオス人には珍しくない青紫の両目は、どんよりと濁っていた。

 レイアの背筋に冷たいものが走る。――これは病んだ人間の目だ。

 

「だったら何も考えないでノルマとして捉えたほうが気持ちはずーっと楽ですわ。どうせ逃げられないなら、最大限、知りたくないです」


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