イリス ~罪火に朽ちる花と虹~   作:あんだるしあ(活動終了)

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「引きずり出してあげる」

 イリスの同伴を許したのは失敗だったかもしれない。ユリウスにきつくハグされながら、ルドガーは憮然と思った。

 

 はっきり言って、恥ずかしい。ルドガーとて健全な成人男子だ。この歳で兄弟で抱き合う場面を見られるのは居心地が悪い。

 

(でも、よかった。この分だと、母さんのことも恨んだり憎んだりしてああしたわけじゃないんだろうな。俺のこと、弟として大事にしてきてくれた年月も、嘘じゃないんだな)

 

 ルドガーもまた両腕をユリウスの背中に回そうとした。

 

 

 キャアアアアアアアーーーッ!!

 

 

 前触れもなく轟いた悲鳴。今のは、エルの声だった。

 

 ルドガーは即座に踵を返した。イリスもルドガーに続いて行った。一拍置いたが、ユリウスもルドガーとイリスを追って走ってきた。

 

 

 

 

 

 ルドガーとイリス、加えてユリウスが砂浜に戻る。

 

 倒れたエルをエリーゼが治癒し、ミュゼは海瀑にいる化物――タコとイソギンチャクと巻貝をごった煮にしたような魔物を牽制している。

 

時歪の因子(タイムファクター)――!」

 

 ルドガーはエリーゼとエルに駆け寄った。

 倒れたエルは右に左にもがいて苦痛の声を上げている。

 

「エリーゼ、何があったんだ」

「あの魔物が変な精霊術でエルを…!」『回復が効かないー!』

「避けて!」

 

 ミュゼが叫んだ。ルドガーは後ろに跳びずさり、イリスは高く浮いて、化物の魔の手を躱した。

 だが一人だけ、ユリウスが化物の攻撃を避けそびれていた。

 

 駆け寄りたくとも、暴れる化物が間にいて動けない。

 

「何なんだよ、こいつ……っ」

「海瀑幻魔。生き物の命を腐らせる術を使う魔物よ。エルを救うには、あいつを倒すしかないわ」

 

 ミュゼの解説を聞いて、ルドガーは即座に双剣を抜いた。

 いざ切り結ぼうと踏み出した一歩の先、化物は海瀑から姿を消した。

 

(どこにいる? 急がないとエルが!)

 

「昔と同じ――」

 

 声を発したのはイリスだった。イリスはもがくエルを、目を見開いて見つめている。

 

「姿を消して一人、また一人と同胞の血を啜っていった……」

 

 イリスのまなこの中、瞳孔が肉食獣のように細く鋭くなる。

 

「視えないなら引きずり出してあげる! ()()()はもうあの時の弱い花じゃない!」

 

 イリスは精霊態へと変じるや、その体から上下左右360度に触手を放った。

 

 ――徒花の大開花。

 

 触手の尖端が刺さった木や岩が腐蝕して崩れる。海に落ちた触手はそこから海水をどす黒く濁らせていく。

 

「捉えた――!」

 

 左手だった触手によって引きずり出された海瀑幻魔。投網のように砂浜を引きずると、その跡がイリスの腐蝕とよく似た濁り方をしていた。イリスが散じていた触手を集め直して、さらに海瀑幻魔をがんじがらめにした。

 

「次元刀ッ!」

「ミュゼよ!!」

 

 すでにミュゼが指さす天には炎の魔法陣が編まれていた。

 

「レイジングサン!!」

 

 ミュゼの合図で陣の真下からすり鉢状に炎が広がった。イリスの触手に拘束された海瀑幻魔は成す術なく、術の炎によって焼け落ちていく。

 

 ルドガーは幻魔が完全に燃え尽きる前に、骸殻に変身して走り、幻魔に槍を突き立てた。

 

 砕け散る黒い歯車と、舞い降りる白金の歯車球体――カナンの道標。

 急いで駆け戻り、「道標」をエルの手に握らせた。

 

 ガラスが砕ける音。そして、世界が一つ崩れて落ちた。

 

 

 

 

 

 正史世界に戻った手応え。見渡せば、分史と同じくキジル海瀑にいた。

 

(ユリウスは――いない。ちゃんと戻れたかな。……いや、ユリウスが半端なく強いのは俺が一番知ってるだろ。ユリウスなら大丈夫だ、絶対)

 

 自らに言い聞かせ、一人密かに肯いた。

 

 イリスはすでに人間態に戻っていた。左半身の服の布が点々と焼けているのは、海瀑幻魔を捕えた触手に当たる部位がそこだからだと予想がついた。

 

「イリス、腕。エリーゼに治してもらうか?」

「いいわ。自然回復を待つことにする。彼女はイリスをキラっているしね」

 

 すると、ぽつりと、他意がない声がミュゼから上がった。

 

「……風の噂に聞いてはいたけど、本当におぞましい体をしてるのね、貴女」

「刀風情に言われたくない」

 

 一触即発。まさにその時、抱えていたエルが身じろぎ、目を開けた。

 イリスから敵意が消えた。イリスは身を翻しすぐさまエルの傍らに膝を突いた。

 

「エル、大丈夫? どこも痛くない? 平気?」

「うん…だいじょーぶ…」

 

 そう答えるものの、エルの目は焦点を結んでいない。

 

 ふとエルが腕を上げる。ぺた、と掌がルドガーの頬に触れた。

 

「――ルドガーは、へいき?」

「ああ。俺は何ともないよ」

「ウソ。うで、まっかだよ」

 

 え、とルドガーはつい自分の両腕を見下ろした。何の傷もない。イリスとミュゼのおかげでスピード決着だったから、傷を負う暇もなかった。

 念のためエリーゼにも看てもらったが、彼女も「ケガしてませんよ」と答えた。

 

「……平気だよ。後で手当てしてもらうから。もう少し休め」

「ん…るどがーが、そーゆーなら…」

 

 こてん。エルは今度、安らかな顔で眠りに戻って行った。

 

 無垢な寝顔を見て、ルドガーはエリーゼと顔を見合わせて苦笑した。


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