イリス ~罪火に朽ちる花と虹~   作:あんだるしあ(活動終了)

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「だって俺たち、兄弟じゃんか」

 ルドガーたちが入り込んだのはキジル海瀑だった。

 

「あっ、変なキレーな貝!」

「危ないですよ、エル」

 

 海岸へ走っていくエルとルルを追いかけ、エリーゼもエルのすぐ横にしゃがんだ。

 はしゃぐエルと、優しく微笑むエリーゼは、傍目には幼い姉妹のようにも見えた。

 

(ユリウスは十代でエージェントしてたから、一緒に遊んだりした思い出少ないな。今頃どうしてるかな、ユリウス……)

 

 まるでルドガーの考えを読み取ったようなタイミングだった。

 微かに、よく知るメロディラインのハミングが聴こえたのは。

 

(近くに、いる)

 

 海岸にいるエルとエリーゼを見やる。どちらも子供だ。置いて行くわけにはいかない。

 分かっていても、このチャンスを逃せば次はいつになるか分からない。

 

「ミュゼ。少しの間だけ、エルたちのこと頼んでいいか?」

「いいけれど、どうかしたの?」

 

 ミュゼは片頬に手を当て小首を傾げた。

 

「野暮用ってやつ。すぐ戻るからっ」

 

 ルドガーはハミングが聴こえる方向へ走り出した。

 

 

 

 

 

「ルドガー」

「イリス。付いて来たのか」

「お邪魔かしら?」

「いいよ。イリスなら」

 

 洞窟を抜けた先には、海に突き出した大岩があった。その大岩の上に、ルドガーの目当ての人物は座って、呑気に鼻歌など歌っていた。

 

「ユリウス」

 

 呼んだからか、それとも最初から気づいていたのか、ユリウスはハミングをやめてルドガーたちを見下ろした。

 

「また懐かしい唄を歌ってるわね」

 

 ユリウスは座っていた岩から飛び降り、ルドガーと同じ地面に立った。

 

「癖なんだよ。我が家に伝わる古い唄でね。逢いたくてしかたない相手への想いが込められた唄というが……間違いはあるかな、導師どの?」

 

 そういえば、とルドガーはイリスを向いた。イリスもまた始祖クルスニクの子。唄を知っていても不思議はない。

 

「病床にあってなお、マクスウェルを喚ぶためにミラさまが唄い続けた歌よ。逢いたい人に贈る唄、確かに間違ってないわ」

 

 イリスはしばし瞑目した。とても、懐かしく、切なげに。そして、再びユリウスを見上げた。

 

「でもね、ユリウス、一つだけ。その歌はね、アイタイと歌うけど、相手が決して答えてくれない歌なの。縁起が悪いから少しお控えなさい。ルドガーに応えてもらえないのはイヤでしょう?」

「……それは困る」

「イリス! ユリウスも何本気で答えてんだよ! 恥ずかしい奴らっ」

 

 はは。くすくす。

 ユリウスとイリスの零した笑い声が重なり、ルドガーは自分一人が道化になった気分がして面白くなかった。

 

「ユリウスは、その唄好きだな。機嫌のいい時はしょっちゅう歌ってる」

「それはお前のほうだろう? 赤ん坊の頃から、これを歌ってやるとすぐ機嫌が直った。子供の頃、二人で山にキャンプに行った時もそうだった。雷が鳴って怖がってたくせに、これを歌うと、お前は泣きたいのを我慢して歩き続けた」

 

 ルドガーは密かに拳を固めた。――これ以上をユリウスに語らせたくない。

 

「違うだろ」

 

 ユリウスが訝しげにルドガーを見返した。

 

「俺がユリウスと暮らし始めたのは5歳の頃。赤ん坊の俺なんて、ユリウスは知らないはずだ。キャンプだって、ずっとエージェントの仕事で忙しくしてたユリウスが行けるわけない。ユリウス、休みの日は一日家で寝てるくらい疲れてたろ」

 

 ユリウスの顔が、今まで見たこともないほど蒼白に染まった。

 

 それを嗤って、ではないだろうが、イリスがくすくすと小さな笑い声を上げた。

 

「言ったでしょう? ルドガーは賢い子だって」

「貴女の入れ知恵か」

「いいえ。イリスも初めて聞く話ばかりよ。ルドガーはこれまでで貴方に聞きたいことがたくさん出来たみたいね。お兄さんなら、弟の疑問にはちゃんと答えてあげなさい」

 

 イリスがルドガーを見て微笑んだ。大丈夫、わたしが付いていてあげる、と言われた気がした。

 

「ヴェルから聞いた。俺の母さんとユリウスの母さんが違う人だってこと。俺のほうの母さんは、とっくの昔に死んでたってこと。聞いてから、全部繋がった」

 

 ルドガーは大きく息を吸って、吐いた。

 

「知ってた」

「ルドガー……?」

「俺、知ってたよ。母さんが死んだ時にユリウスがそこにいたのも、ユリウスにその気がなかったとしても、結果的にユリウスが母さんを死なせたんだってことも」

 

 

 

 

 

 ユリウスはかつてないほど愕然とした。

 

 知っていた、と。ユリウスの犯した罪を知っていたと。目の前の異母弟(おとうと)は呆気ないほどさらっとそう言ったのだ。

 

「お、前、いつ」

「最初からに決まってんだろ。俺、その場にいたんだぜ? ガキの記憶力なめんなよ」

「それもそう、か……いやっ、待て。それならお前、俺がクラウディアを――自分の母親を殺したと知って、俺と暮らしてきたのか!? 何も知らないフリをして!?」

「別に知らないフリなんてしてない。聞かれなかったから言わなかっただけ。いや、子供心に言わないほうがいいんだろーなー、とは思ってたけどさ。あの頃のユリウス、結構荒れてたし」

「どう、して」

 

 ならばどうしてルドガーはユリウスに笑いかけることができるのか。どうして暖かい料理を作ることができるのか。どうして、憎まずにいられたのか。

 

 

「だって俺たち、兄弟じゃんかっ」

 

 

 ルドガーは満面の笑みを浮かべ、翠眼から涙を流した。

 

「あ、れ? 何で……俺、泣いて? あれ、ど、して」

 

 堪らなかった。ユリウスはルドガーをきつく抱き締めた。

 この弟を引き取って13年、こうやって思いきり弟を抱擁してやったことが一度でもあっただろうか。

 

「ちょ、ユリウス! 見てる! イリス見てるから!」

「知るか、お前が悪い」

 

 守ることはもちろん、善い未来を祈る必要さえなかった。ユリウスの弟はこんなにも強く大きかったのだから。




 原作との最大の違い。「ルドガーが母の死の真相を覚えている」でした。
 それでも幼いルドガーは、何年も考えて悩んで、「死んだ母」ではなくユリウスという「生きている兄」を選んだのです。

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