イリス ~罪火に朽ちる花と虹~   作:あんだるしあ(活動終了)

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「分かってても……付いてけないんだよ!」

 若いディラックが倒れ、腕の中から赤ん坊が転がり落ちた。赤ん坊もまた、胸の中心を貫かれている。もはや息はあるまい。

 

「ミラ…ミラ、が…僕を、…ぼく、を…」

「ジュード、しっかりしろ! あれは俺らのミラじゃねえ!」

 

 アルヴィンが威嚇射撃するが、「ミラ」は壁を走ってそれらを躱した。

 

「ミラがお前を殺すわけねえだろ! 今のはこの世界だけの出来事だ! 夢だ! 幻だ!」

「そんなの分かってるよ!!」

 

 走っていた壁を蹴って「ミラ」がミサイルのごとく飛んできた。ルドガーはハーフ骸殻にレベルを引き上げ、槍で「ミラ」の突進を受けた。一気に壁際まで追いやられた。背中を壁にぶつけて一瞬だけ息を吐かされる。6歳の幼女の推力とは思えない衝撃だった。

 

「分かってる…あれが僕らのミラじゃないって分かってる、分かってても……付いてけないんだよ!」

 

 ジュードの恐慌が激しい。このままではトラウマになりかねない。

 

(長引かせるとマズイ)

 

 ルドガーは目の前の「ミラ」の腹を蹴った。怯んだ「ミラ」を槍で弾き返す。

 

「イリス、頼む!!」

 

 いらえはなく、イリスが石畳に手を突く。すると触手が床を割って無尽に生え、「ミラ」をがんじがらめに捕えた。

 

「な、何よこれ!」

「行きなさい、ルドガー!」

「うおおおおおおおおお!」

 

 「ミラ」が拘束を解く前に――!

 

 ルドガーは槍を突き出し、「ミラ」の胸を的確に貫いた。一際大きく打った心音が槍越しに伝わり、二の腕がぞわっとした。

 

 ルドガーはすぐさま槍を「ミラ」から引き抜いた。

 同時に触手の拘束も解け、「ミラ」は金蘭の髪束を振り乱して地に伏した。

 

 槍の先で黒い歯車が割れた。

 ガラスに亀裂が入るように。一つの世界が砕けて、落ちて行った――

 

 

 

 

 

 

 気づけば、ルドガーたちはクランスピア社玄関前に立っていた。

 

「戻った、の?」

「ええ。時歪の因子(タイムファクター)は無事破壊できたわ。2回目にしては上出来よ。よくやったわね、ルドガー」

 

 たったさっきまでの血なまぐささが嘘のように、イリスはふんわりとルドガーに笑いかけた。

 

「じゃあ、ジュードのお母さんも……消えちゃったんですか?」『あんなにがんばって治そうとしたのにー』

「消えたの。あの世界の消失と同時にね。それが分史世界の理。世界を壊すとはこういうことよ」

 

 沈鬱な空気が、場にいる全員の間に流れた。

 

 中でも一人――ジュードが背中を向け、首を下に直角にするほど俯いて動こうとしなかった。

 

(目の前で親と、自分自身が殺されたんだ。混乱するなってのが無理だよな)

 

 どうにか励まそうと悩んでいると、レイアが横を通り抜けてジュードの前に回り込んだ。レイアは無言でジュードの頭を小さく叩いた。

 

「…っ…ミラ…」

 

 呟き、ジュードはレイアの肩に額を押しつけた。

 レイアは拒まず、ジュードの頭を腕の中に引き寄せた。ジュードはレイアのジャケットにシワが寄るほどきつく縋って、嗚咽を上げた。

 

(ジュードにとっての「ミラ」はそんなに特別な存在なんだ。そんなジュードなのに、レイアはジュードを)

 

 初仕事を無事終えたルドガーの胸には、達成感は欠片もなかった。代わりに沈殿した泥のような思いが腹の底で渦巻いていた。

 

 

 

 

 ジュードを慰めるレイアと、そのレイアを食い入るように見つめるルドガー。彼らを見ながらも、イリスは別の事案に思いを致した。

 

(『ミラ』ね。まさかその名を、マクスウェルの使命とやらを遂行する人間に与えたなんて。よりによって、ミラさまの名を)

 

 イリスは遠くの天を仰いだ。

 2000年を経てなお鎮火しない心の炎が、より強く燃え上がっていた。

 

 

 

 

 

 

 エルはエリーゼと共に、仮住まいであるカラハ・シャールのシャール邸に帰り、宛がわれた部屋に入った。

 

 リュックサックを下ろし、帽子をサイドテーブルに置いて、ベッドにぽふんと横になった。

 

「今日は色々あってタイヘンだったね」

「ナァ~」

 

 ルルはルドガーの飼い猫なのに、何故かエルに付いて来ていた。ルドガーが「連れてていいよ」と言ったのでそうしているが。

 

 ベッドの上で起き上がる。窓から星を見上げた。まるで夜空の中に、星とは異なる天体を見つめるように。

 

 

「約束…いっしょに…カナンの地に…ルドガーと…いっしょに…」

 

 

 エルは両手の平を強く、胸にある祈りを抱くように押し当てた。


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