イリス ~罪火に朽ちる花と虹~   作:あんだるしあ(活動終了)

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「わたしが契約する!!」

「何、ですか、今の。精霊、を……食べ、た?」

 

 エリーゼの愕然とした声は、場の全員の心情を代弁していた。

 

「これでまた一歩前進した。フフ」

 

 その時、実験室に紫暗の光線の束が放たれた。

 術者はエリーゼ、標的はイリスだ。

 ルドガーはセルシウスに相対した時に抜きそびれた双剣で、光線を斬り払った。

 

「何するんだ、エリーゼっ」

「どいて、ルドガー! そのヒト、マトモじゃありません。だって精霊を…っ…食べたんですよ!? 絶対! オカシイですよ!」

 

 反論できない。ルドガーはエレンピオス人だが、精霊が同じ精霊を無機物化して食べるモノだと聞いた験しがないし、何よりルドガー自身がえぐい、と感じてしまった。

 

「――いいわ、ルドガー。これ以上は貴方が立場を悪くする」

「イリス……」

「認めましょう、エリーゼ。遠い昔、イリスは死にかけた時にこういう精霊に成ることを受け容れた。精霊に、クルスニクと同じ『呪い』を味わわせた上で、食らう精霊。ゆえに邪霊の渾名にも甘んじてきたわ。けれどね、人が動物を食らうように、イリスが精霊を食らうことの、どこがおかしいの?」

「――、え」

「確かに精霊は食事を必要としない。でもイリスは人類と精霊の中間に位置するから、必要なのよ、食事。エリーゼはイリスに飢え死ねって言うのかしら」

「そ、そんなこと言ってないじゃないですかっ」

「貴女がイリスのような半端モノにも情をかけてくれる優しい子ならば、どうか黙認してちょうだい。別に毎日食べなくてもいい。イリスだって好んでこんな食事をしてるわけじゃないのよ。――精霊なんて、本当なら頼まれたって食べたくないわ」

 

 最後の一言は、ただ一言だったが、場の誰にも分かるほどくっきりと憎悪が透かし見えた。

 

「イリスは精霊……キライ、なの?」

「大キライ。貴方はスキなの? ジュード」

「それは…もちろん」

「それは精霊という種が? それとも特定の精霊が?」

 

 ジュードが返答に詰まった。

 

「例えば特定の精霊を愛していて、ソレと同じカテゴリに属す『精霊』に愛着を感じるというスキなら、それはいずれ貴方自身の足場を崩すわよ。そんな幻想さっさと捨てて、現実を見つめなさい。貴方がすべきは人と精霊を結ぶことじゃなく、切り離し独立独歩で生きていける体系を作ることよ」

 

 再び部屋に下りる、粘ついた沈黙。

 ルドガーにはイリスに反論できなかった。イリスの持論もまた、一つの正しい選択肢に思えたからだ。

 

 

 その沈黙の中、ルドガーの背後から、胎動の音が聴こえた。

 

「イリス?」

 

 ふり返ったイリスは、腹を抱えて、銀糸を振り乱して膝を折った。

 

「イリスっ? イリス!」

 

 ルドガーは慌ててしゃがみ、イリスの両肩を支えた。イリスは片手で床を掻き、さらに深く上半身を前へ傾ける。

 

「だ、いじょう、ぶ……イリス、は、何百年も、こうやって進化、して、きた。だから今回、も……あ、く、うああああっ!!」

 

 ちっとも大丈夫には見えないが、ルドガーにはどうしていいか分からない。

 

『マナが、足りない……蝕を抑えるだけのマナが……ああ、悔しい、くやしい…! 結局はイリスも精霊どもの同類か! 人類から生命を徴収する賤奴に堕ち果てて……ああ、痛い、イタイ! 臓物が腐る! 目玉が融ける! 皮が爛れる! イヤ、イヤよ……精霊と同じカラクリで機能するなんてイヤなのに……アア、崩れる、崩れて、なくなる……『イリス』が消える……ああああああっ! アアアアア゛ア゛ア゛ア゛!!!!』

 

 未だかつて人生でこれほど壮絶な悲鳴をルドガーは知らない。その様は悲痛を超えて圧倒的で、音の暴威にすら感じられた。

 

 イリスを囲むように、天井と床を突き破って、太いコードやケーブルが生えた。イリスはそれらの濁流に上下から呑み込まれた。

 ルドガーがその触手の群れに触れた時、すでに触手は昆虫の繭のような形を成していた。

 

「イリス! イリス!!」

 

 ルドガーは「繭」を叩いた。だが「繭」はビクともせず、イリスのいらえもない。

 

「なんかヤバげな雰囲気だから、とりあえず全員外に出てっ」

 

 バランの号令に従い、何度もイリスをふり返りながら、ルドガーは最後に研究室を出た。

 

 バランが職員IDをカードリーダに当てて何か操作している。すると、壁の一部がシャッターのように上がり、ガラス窓から室内を覗けるようになった。

 

「イリス、イリス!!」

 

 「繭」は依然としてイリスを閉じ込め、今イリスがどういう状況にあるかを教えない。だが、これがずっと続いてはならないという予感だけは、ルドガーの中を席巻していた。

 

「どーすんだよ。このままじゃ研究室どころか、研究所まで溶解しかねねえぞ」

「――直接使役」

 

 ジュードが発した単語に、皆が注目した。

 

「ミュゼは前に力が足りなかった時、僕の直接使役で力が戻ったって言った。同じ原理がイリスに通用するか分からないけど……現状、僕が考え付くのはそれくらいだ」

「その直接使役ってやつ、どうやるんだ!?」

 

 ルドガーはジュードに詰め寄った。

 

「なるべくそばにいて、マナを絶えず供給する……人間側からはそのくらいだけど」

「分かった。俺、やるよ。イリスは俺の一族の先祖だ。俺が契約するのがベストだろ」

「残念だけど、霊力野(ゲート)がない人間じゃ精霊にマナを与えることはできないんだよ。ルドガーはエレンピオス人なんでしょう?」

「そんな――」

 

 助けたい気持ちがあるのに体にそのための機能がない。エレンピオス人として当然のスペックは、人類スケールでは欠陥だった。

 

 ルドガーは無力感に任せてガラス窓を叩いた。

 

 窓の向こうでは、チューブの繭から一本、また一本と、触手が剥げて融け始めている。――羽化する時期でないサナギを切り裂いたら、中から出るのはドロドロに溶けた粘液だけ。

 

「だったら、わたしが契約する!!」


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